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獣の見た夢  作者: MAKI


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青い悪魔

 




 ザラという賊の頭目に脅されるような形で魔獣退治をすることになってしまった。

 アベルは隣を歩くイースに話しかける。


「ねぇ、イース様」

「なんだ、アベル」

「やっと戦争から離れたと思ったら、妙なことになりましたね」

「まぁ、こんなものだろう。魔獣界など無法地帯に等しい」

「西の一族経営ブラック騎士団を逃げ出したら、東のタコ部屋に再就職が決まりました……」

「……アベル。お前の言うことは時々、訳が分からないな」


 イースが奇妙なものを見る顔つきをしていた。


「イース様。くだらない冗談です……。お気になさらず」

「……」


 横で二人の会話を聞いていたカチェは、やっぱりアベルは不思議だなと感心するのだった。




 アベルは気持ちを切り替えて様々に考えを巡らす。

 はっきり言って状況は悪い。

 どう切り抜けるか……。



 従兄のロペス。

 ロペスの槍と怪力は本物だ。

 彼は魔法が使えない。

 しかし、それを補って余りある攻撃力がある。

 性格は好戦的。

 交渉は下手で、気に入らなければ武力で叩き潰すのが第一手のような感じの男。

 一応、騎士団の流れでリーダーをやっているが、一介の戦士の方がお似合いだった。


 同じく従兄のモーンケは、逆に戦闘に向いていない。

 盾と剣を使う防迅流を学んでいるらしいが、実戦では攻撃にほとんど参加していなかった。

 ほぼロペスの後衛に徹している。

 魔法も初級止まりで、威力の大きい魔法を使ったところなど見たこともなかった。


 アベルはモーンケが苦手だった。

 兄のロペスの後ろに隠れているかと思えば、黙っていて欲しい時には出張ってくる。

 それに自分の事を嫌っているのが、言動の端々から伝わってくる。

 ずっと引っ込んでいて欲しい……。


 カチェは、もはや手練れだ。

 魔法も強力。

 あくまで激しい攻撃で相手を圧倒しようという基本姿勢は戦士そのもの。


 ガトゥは暗奇術の達人。

 見た目はちょっといい加減そうなお兄さんだが、思いのほか精緻な攻撃を繰り出す。

 暗奇術特有の意外性ある行動は敵にしてみれば厄介極まるだろう。

 実戦経験の豊富さでは、イースに次いでいる。

 頼もしい……。


 イースについては考えるまでもない。

 一行の中で最強と言っていい。

 速度、力、判断、行動。

 全てで抜きんでている。


 ワルトの戦い方は武術というより本能だ。

 接近戦を得意としていて、武器はナイフ。

 蹴りや押し倒しも多用する。

 素早さと強靭さを併せ持ち、人間族からすれば異様にトリッキーな動きをやってみせる。しかも、人間を超える鋭敏な嗅覚や聴覚を発揮する。

 ワルトは鍛錬というものを全くしないのに、いつの間にか強くなっていた。

 イースいわく、獣人というのはそういうものらしい。

 それに達人と一緒に居るとより強くなる傾向があるとも言う。

 いずれにしても、かなり頼もしい。


 カザルスの評価は難しい。

 剣では劣るが、魔力による身体強化はなかなか強力だ。

 得意の鉱物魔法の威力は切り札にもなり得る威力。

 しかし、接近戦はあまりさせないほうが無難だった。


 ライカナは全く未知数だが、イースと同じ魔人族なので相当強いのだろうと想像できる。

 今のところ抜剣したところすら見たことはないが……。


 アベルはこの戦力でどう戦えば有利になるか、歩きながらあれこれと考えた……。




 ~~~~




 殺伐とした雰囲気を発散させる賊達と共に密林を移動する。

 方角は村から北のほうだった。

 足元は頻繁に人が移動するのか踏み固められていた。


 ならされた道をしばらく歩いていると小川にぶつかる。

 その小川の傍を上流に向かって進む。

 賊たちは、すでに剣を抜いて、しきりに樹上を気にしていた。


 アベルの近くにコステロという名の賊がいる。

 治癒魔法でアベルが足を治してやったせいか、アベルに時々話しかけてくる。


「狒狒のバケモノどもは村と砂金の採掘場の間で襲ってくることがある。村から採掘場まですべて危険だ。気をつけろっ」

「ああ。わかったよ……」


 アベルはつられる形でかなり警戒しながら移動したのだが、狒狒の襲撃はなかった。

 そのまま一行は砂金の採掘場へ辿り着く。

 人が大勢いる。


 まず気になるのは武装した男たち。

 数は、ざっと数えたところ三十人ぐらいだろうか。

 砂金の採掘場を見張っていたようだ。

 アベルはザラの手下は総計で百人近くにもなるのを知った。

 もしかしたら、まだ他にいるかもしれない。


「ねぇ。コステロさん。ザラって人の手下は何人ぐらいいるの?」

「今だと、百と数人だったかな」

「食料はどうしているの?」

「村の畑があるんだが、それだけじゃとても足りねぇ。ここから往復十日ぐらいの所に町がある。そこから商人に運ばせている。そいつがまた悪徳商人でよ。高いったらありゃしねえ……」



 アベルは採掘場を見回した。

 小川から水を引き込んでいる。

 そして、崩した土を泥にして、さらに皿で浚うという方法で土中から金の粒を選り分けているらしい。


 アベルは泥まみれで土を崩したり、砂金を浚っている人たちをよく見た

 人間族とは人種の違う雰囲気の男女だった。

 肌はやや浅黒い。

 ライカナは獣人と人間族の混血というようなことを言っていたが、確かにそういう印象がある。

 中にはやたら毛深い男もいた。


 砂金掘りをやさられている村人に若者はいなかった。

 逆に子供と老人が多いように感じる。

 粗末な服を着ていて、鎧などを装着している人は一人もいなかった。

 ザラの手下たちとは明確に異なっていた。

 そういう村人らしき者が五十人ぐらい働いている。

 ライカナが知り合いを見つけたのか、泥を皿で浚っている老婆に話しかけた。


「貴方たち、どうなっているの?」

「あ、あんたはライカナ・ヴィエラ様……!」


 老婆は泣きながら訴えた。


「あのザラって刺青の男が手下を引き連れて襲ってきたのさ。抵抗した男たちは大勢殺されてしまったよ」

「酋長のナジジ様はどうされました?」

「村に監禁されているよ……。若い女もね。あたしら老人と子供は見ての通り、砂金掘りをやらされている……。地獄みたいな毎日だね」


 アベルは十歳ぐらいの少年が腰まで泥水に漬かって、砂金掘りをしているのを見つけた。

 少年は、ちらっとこちらを見て、しかし顔を伏せて作業を続ける。

 賊の仲間と思ったらしい……。


 アベルはイースやガトゥに小声で相談する。


「イース様。どうしますか?」

「まずは狒狒の魔獣だな。賊はどうするか、ロペス様が決めるだろう」

「ザラって刺青の男。ヤバい気配でしたね。それにディド・ズマって奴が後ろに控えているみたいですけれど」

「私は、そのディド・ズマという男の事を知らない。ガトゥ様は何か知っていますか」

「聞いたことはあるぜ。亜人界で、心臓と栄光って名の傭兵団を率いている男だ。亜人界で最も大きな傭兵団だな。直接の構成員は二万人を超えているって話しだ。傘下に収めている傭兵団は大小合わせて百以上。総兵力ってことだともっと膨れるだろうな。たぶん、このザラって刺青野郎の手下たちも、そういう傘下の組織じゃねぇかな」




 アベルはザラという男と戦っていいものか判断がつきかねた。

 しかし、罪もない村の少年や老人を奴隷にして酷い労働をさせているのを見ていると、どうしようもなくムカついてきた。

 気が付くと、どうやったらザラや手下たちを殺せるかと想像している。


 冷たい殺意がアベルの心に湧き出してくる。

 こんな時、憎悪や攻撃衝動に身を任せて、敵の中に飛び込んでいく欲求を持つ。

 争いを拒否したり恐怖する心とは二律背反した、後先考えない暴力への渇望。


 アベルは思う。

 この気持ち。

 単純な人助けというわけではないのかもしれない……。

 ただ、ぼんやりした善意で殺人なんかできるものではない。

 はっきりした、爆発するような衝動がある。

 自分でも理解できない、コントロール不能な心。

 もしかしたら、こうした精神は取り返しのつかない破滅に繋がるかもしれない。

 くだらない、ノラ犬みたいな死に方。

 それを言えば前世の最後だって、どうしようもない野垂れ死にのようなものだったけれど……。



 イースの視線を感じた。

 アベルはイースの紅玉のような瞳を見詰め返す。


「アベル。何を考えているのか分かるぞ。やる気か」

「……まぁ、そうですね。やってしまうかもしれないです」

「私とアベルだけなら好き勝手やってもいいが、カチェ様やライカナ殿がいるのを忘れるな」


 イースはアベルの心が理解できた。

 以前にも増して、視線や雰囲気でアベルの心理が伝わってくる。

 アベルに自重を促したものの、一緒にとことん戦いたい欲求が湧き出る。

 アベルと二人、火の車になりながら、生か死かの瀬戸際に墜ちてみたい。

 きっと、また心が見つかる。

 どんな心だろうか……。


 イースは止め処もない思考を断ち切った。

 気配がある。

 ワルトに聞いた。


「臭わないか」

「臭うっち! あのヒヒの臭いだっち!」


 アベルは無言のまま刀を抜いた。

 イースも剣「孤高なる聖心」を上段に構える。

 採掘場にいた賊達が騒めきだす。

 鋭い声が飛び交う。


 森の中、周囲全てから金属的な吼え声が起こる。

 ザラの手下たちが慌てて集まり出した。

 しきりに怒鳴り声を上げている。

 泥水に漬かって砂金を集めていた村人たちが岸辺に上がってきた。

 皆、ザラの手下ではなくて、ライカナの傍に寄ってきた。


「ライカナ様。狒狒の魔獣、もの凄く強い! 村まで逃げた方がいい!」


 村人の少年が忠告した。

 少年は狼人ワルトよりも人間族に似ているが、体つきや毛深さは半分獣人という感じだった。

 魔獣を恐れる様子が半端ではない。

 アベルはロペスに進言する。


「ロペス様。あの荒くれどもは放っておきましょう。我々は魔獣の討伐を請け負っただけです」

「ああ。もとよりあんな賊風情、どうでもいいぞ。狒狒だか何だか知らんが、殺すだけだ」



 ザラの手下たちが、何か植物の葉らしき物を口に入れて咀嚼していた。

 こんな時に物を食べるのかとアベルは奇妙に思う。

 荒くれどもは葉を飲み込まず、ずっと口で噛み砕いていた。

 すぐに男たちの目が、じっとり濡れてくる。

 ただでさえも粗野な顔に、狂的な興奮が浮かんできた。

 ピンと来た。


 -麻薬だ!


 何か無数の生物が、あたりの森に動いている気配がしていた。

 黒い獣が樹木を渡ってやってくる。

 ロペスと同じぐらいの巨体なのに、樹間を飛び回って移動している。

 異様に身軽だった。

 村の少年がライカナやアベルに訴えかける。


「あの狒狒の群れを統率している頭に気を付けてっ! 別格の凶暴さなんです! 体がデカくて赤毛、それに顔面が青色なんだ」

「顔面が青い狒狒……。そいつが群れを率いているのか」


 アベルは少年に言う。


「とりあえず僕らの後ろに隠れていなよ」

「兄ちゃん、ザラの手下じゃないの?」

「誰があんな奴の!」


 アベルたちは村人を守るように円陣を組んだ。

 狒狒はすっかり周りを囲んでいるみたいだった。

 数が分からない。


 密林のような視界の悪いところで魔獣の群れと戦うのは初めてだ。

 アベルの呼吸が乱れる。

 心臓が狂ったように激しく律動していた。

 固唾を飲み込んだ。

 頭上を取られている時点で不利だった。

 魔法を使って牽制しようか迷っていた時だった。


 狒狒が三匹、樹から飛び降りてザラの手下に襲い掛かった。

 麻薬のもたらした激しい興奮で恐怖心を塗りつぶした荒くれどもが、口から泡を吹きながら両手剣を狒狒に叩きつける。


 バシッという乾いた藁束を払ったような音がする。

 剣で打たれた狒狒は、まるでダメージを感じさせず攻撃した男の腕を取ると、そのままブンブンと振り回す。

 まるで玩具で遊んでいるみたいだった。


 男の悲鳴。

 狒狒に掴まれた腕がグニャリと折れていた。

 助けようと槍を持った男が狒狒を突く。

 槍は多少の効果はあったのか、やられた狒狒がビクンと震え、捉えた男を引き摺りながら後退した。


 捕まった男はナイフを手に必死で抵抗するが、狒狒がマウントポジションで巨大な拳を顔に叩きつける。

 数撃で男は瀕死になって抵抗を止めた。


 狒狒は巨大な牙を剥き出しにして大口を開けるや、男の顔にかぶりついた。

 顔面の肉が引き千切られる。

 血が噴き出た。

 瀕死の男が体を痙攣させた。

 弱弱しく最後の抵抗をするが、再び顔を貪られた。

 白い頭蓋骨が鮮血の間で目立っていた。


 アベルたちの頭上、ほぼ真上に黒い影。

 数匹の狒狒が飛びかかってきた。

 ロペスがハルバートで鋭く迎撃する。

 見事な反撃と思われたが、しかし、狒狒は空中でハルバートの穂先を横から叩いて逸らす。

 さらに、ロペスの冑に包まれた頭を殴ろうとした。


 予期しない展開にアベルは息を飲んだが、ロペスも只者ではない。

 魔法こそ使えないが、怪物じみた力の持ち主だ。

 ハルバートを捨てると、素手で狒狒の殴りつけを跳ね返した。

 そのまま狒狒の顔面を殴り返す。強烈な打撃。

 単純な暴力のぶつけ合い。

 勝ったのはロペスだった。


 殴られた狒狒が甲高い悲鳴を上げて後退る。

 ロペスは腰から大剣を抜きざま、思い切り振り下ろす。

 狒狒が慌てて腕で防いだが、剛毛を切断し、腕を深々と斬りつけた。

 血が霧状に散った。

 狒狒がとつてもなく大きい声で叫ぶ。

 逃げ出そうとした。


 アベルは炎弾を創り、ロペスが傷つけた狒狒に射出した。

 狒狒は横っ飛びで炎弾を回避しようとしたが、ロペスが抜け目なく足元から拾ったハルバートで動きを妨害した。

 炎弾は狒狒の腰に命中。


 至近距離での爆発。

 肉と毛が飛び散る。

 しかし、信じがたいことに炎弾を食らった狒狒は即死しなかった。

 深手ではあるが激しい威嚇の顔つきをして抵抗を止めない。とても目を離すことなど出来なかった。

 アベルは驚いて呟く。


「嘘だろ。まだ生きているのかよ!」


 狒狒は腹を押さえて逃げようとするが、ロペスのハルバ―トが首筋に突き刺さる。

 それでも狒狒は死なない。

 凄まじい生命力だ。

 援護に入ったガトゥが手槍で心臓のあたりを滅多刺しに突きまくる。


 それがやっと致命傷になったのか狒狒が抵抗を弱めた。

 ロペスが狒狒の首に刺さったハルバートを抜いた。

 苦々しく吐き捨てる。


「こやつ、手こずらせおって」


 別の狒狒がさらに攻撃を仕掛けてきた。

 アベルが対応するより早くイースが対応する。

 

 狒狒は人間離れした動き、まるで偽攻撃のような挙動をしてきた。

 対するイースは大剣を上段に構えて、すり足で移動。

 平静なイースの心に炎が宿る。

 戦ったことのない魔獣との駆け引き。高揚感。


 アベルはイースの支援をするべく移動した。

 狒狒が激しく体を揺さぶる。

 ナイフさながら尖った犬歯を剥き出しにした。

 魔獣の本能の動き。

 メチャクチャなダンスみたいな運動。

 前後左右どちらに挙動するのかアベルには識別ができなかった。


 イースは斜め前に踏み込みつつ上段から大剣を振り下ろす。

 もっとも単純で、そして強力な斬撃。


 狒狒は左に横っ飛びで、大剣の切っ先から逃れる。

 イースはその動きに追随する。

 狒狒の体に、回避しようとする方向に対して「起こり」があった。

 その起こりを読む。


 大剣の刃の角度を捻って変え、力任せに切っ先を狒狒にぶちこんだ。

 狒狒の剛毛を薙ぎ、鎖骨から胸部に至るまで切り裂く。

 狒狒が断末魔の絶叫を上げた。


 イースは少し驚く。

 この手応えと剣筋ならば下腹部まで斬り下ろしている自信があった。

 しかし、毛や筋骨がよほど頑丈なのか、胸まで斬るのが限界だった。

 これでは半端な斬りつけなど無意味だ。


「アベル! この狒狒のバケモノ、強いぞ! 魔法攻撃の方がいいかもしれない。カザルス。お前は村人を守っていろ。この敵はお前向きじゃない」


 イースの厳しい忠告とも命令ともつかない声が飛ぶ。

 カザルスが慌てて後ろに下がったのをアベルは見た。


 アベルは頭上と周囲を見渡す。

 興奮に呑まれないよう自分に言い聞かす。

 狒狒はまだまだいた。

 枝葉の合間から黒々とした体が見え隠れしている。



 ザラの手下が狂乱状態で戦っている。

 それなりに凶暴で激しい抵抗なのだが、いかんせん麻薬で作りだした興奮に基づいているから連携も何もあったものではない。

 四匹の狒狒が纏まって攻撃を仕掛けてきた。

 賊の二人が巨大な拳で顔面を殴られて倒れる。

 さらにもう一人が狒狒の体当たりで弾き飛ばされた。

 狒狒は食い物として人間を見ているらしく、その場で人体に齧り付いていった。

 人肉を咀嚼する音がする。


 アベルは樹木の奥に妙な気配を感じる。

 なぜ、それに気づいたか自分でも分からない。

 毛の色が異なる狒狒がいる。

 赤毛だった。

 一瞬、鮮やかな青色をした顔面が見えた。

 あれが狒狒の魔獣たちの統率体であろうか……。

 ふっと姿を消す。

 どこに消えた……。


 アベルは左側の視界がどうしても狭いから、首を振り、さらに五感を鋭敏に意識する。


 -もし狒狒が賢いとするなら俺の眼帯に気づく。

  ってことは死角になっている左側からの不意打ち?


 アベルは体ごと死角になっていた左に向ける。

 突然、青面の狒狒が巨木の裏から現れ、何かを投げつけた。

 アベルの顔面めがけて、豪速で正確に飛来してくる。


 アベルは倒れるようにしゃがんで回避。

 頬すれすれを拳大の岩が掠めていく。

 あんなもの顔面に食らったら即死しかねない。

 冷や汗が、どっと噴き出した。


 アベルは刀を上段に構える。

 敵を見据えた。


 赤毛で体格が他の狒狒より、もう一回り大きい。

 体長二メートル半ほど。

 嫌でも目に付くのが顔面。

 不気味なまでに鮮やかな青色をしている。

 血走った眼が睨みつけてきた。

 青面の大狒狒……。


 こいつが狒狒のボスだと一目で分かった。

 アベルの本能が激しい危険を訴えている。

 早く逃げろ。こいつとは戦うな、と。


 アベルは歯を食い縛って恐怖を抑えつけ、魔力を活性化させる。

 土石変形硬化で足を拘束して、炎弾を何発かぶちかませば勝負は決まる。

 そう思い込んで自らを鼓舞した。


 ―魔獣ごときに負けてたまるか!


 赤毛を生やした青面大狒狒の足元を変形させた瞬間、相手は前方に跳躍した。

 瞬時に間合い寸前。


 ―見抜かれた?!


 アベルは驚愕しつつ、青面の大狒狒を迎え撃つ。

 巨体が迫りくる。

 デカい。

 壁みたいだ。


 青面大狒狒は巨大な拳を振り下ろす。

 身長は相手の方が遥かに大きいから、まるでハンマーが頭上から襲ってくるような攻撃だった。


 刀を拳に目がけて上段から振り出す。

 切っ先が拳に到達する寸前、握られていた拳が、パッと開かれた。

 青面大狒狒は刀の鎬を、巨大な手のひらで掴み取った。


 アベルは愕然とする。

 手品みたいだった。

 想定もしていなかった。

 真剣白刃取りというような洗練さもない。

 無造作に、動物的に刀を取られた。


 アベルは刀を動かそうとするが、ピクリとも動かない。

 即座に氷槍を全力でイメージ。

 目の前に氷柱が猛烈な速さで形成される。


 射出しようとした瞬間、アベルは丸太みたいな大狒狒の腕が自分の胸甲に叩きつけられたのを見た。

 回避できなかった。

 刀から手が離れる。

 体が宙に浮く。


 意識が消えそうになるのを堪える。

 体が何かにぶつかって、地面に落ちた。


 十メートルぐらいは飛ばされていた。

 咳が出る。

 全身が上手く動かない。

 青面大狒狒が、あくまでアベルを狙う。

 睨みつけ、駆けてきた。


 アベルは小刀を抜く。

 どう戦ったら良いのか全く分からなかった。

 対策が上手く立たない。

 強いて言えば距離を取って遠距離攻撃なのだが、もう詰められていた。

 アベルは背中を見せて逃げたくなる衝動を無理やりねじ伏せる。

 迂闊に動いたら最後だと分かっているのに思わず混乱しそうになって変な動作をしかけたとき、絶妙の間合いでイースが姿を見せる。

 これ以上はないという完璧な時機に大剣を振りかざし、青面大狒狒の背後から攻撃。

 

 ―勝った!


 だが、アベルは再び驚愕した。

 青面大狒狒の尻から伸びている、ぶっとい尻尾がイースに鞭のごとく叩きつけられた。

 あのイースが、体ごと宙に飛ばされる。

 地面を転がり、だが、すぐに立ち上がった。

 ところが複数の狒狒が樹上から降り立ち、イースを取り囲んだ。

 人間以上の連携攻撃。

 イースは多対一の戦闘に引き摺りこまれた。


 鮮やかなほど毒々しく青い顔面をした狒狒がアベルへ猛然と突っ込んでくる。

 アベルは、信じられない光景を前にしてほとんど恐慌しつつ炎弾を放った。

 青面の大狒狒が直上ジャンプで炎弾を難なく回避する。

 着地と同時に、全くタメの動作なくアベルへ跳躍。


 自分の頭と同じぐらいのデカい拳が迫ってくる。

 アベルは腕で防ぐことしか出来なかった。

 籠手で守られた腕に岩石同様の拳が当たって、骨が軋みを上げる。

 体が投げ出される。

 またしても十メートルは飛ばされただろうか。

 意識が朦朧とした。

 一瞬の気絶。


 アベルの天地が逆さまになった。

 青面大狒狒に足を掴まれて、吊り上げられていた。

 目の前。

 巨大な口が開く。

 黄色い不潔な牙が剥き出しになって、赤黒い舌が見えた。

 生臭い息がアベルに吹きかかる。


 ―喰われる……。


 せめて相討ちを狙って炎弾を脳裏に強くイメージ。

 噛みつかれた瞬間、ぶちかます覚悟を決めた。

 爆発で自分も大きなダメージを負うが、黙って殺されるつもりはない。


 ―この狒狒野郎! ただじゃ殺されねぇからな……!



 その時、カチェとワルトが激怒と共に、青面大狒狒に攻撃を仕掛ける。

 カチェは早々に炎弾を諦めた。

 飛翔速度が遅くて、例え距離が近くても避けられると踏んだ。

 だいたい捕まっているアベルが魔法に巻き込まれてしまう。


「があぁぁあぁ!」


 気合いの声と共にカチェが刀で突きを仕掛ける。

 青面大狒狒が体ごと動き、蹴りで反撃。

 カチェは紙一重でかわした。

 赤い毛で覆われた、ぶっとい足が掠めていった。


 ワルトがナイフを青面大狒狒の腕に突き刺す。

 剛毛でろくに刃が通らなかった感触がワルトの手に伝わる。

 しかし、それでも痛みで青面大狒狒がアベルを離した。

 アベルは頭から地面に落ちる。

 痛む体を引き摺って距離を取った。


 怒り狂った青面大狒狒がワルトを殴りつけてくる。

 ワルトは反射神経だけで青面大狒狒の拳を避けたが、体の脇から長大な尻尾が鞭のように蠢き、叩きつけられた。

 意外な攻撃。

 逃げられなかった。

 ワルトは打撃で飛ばされたが空中で一回転して、着地。

 そのまま再び攻撃。


 カチェが攻撃をワルトと同期させて、駆け込む。

 カチェは恐怖心を捻じ伏せる。

 アベルが回復する時間を稼がなくてならない。

 イースすらあしらうバケモノだ。

 頭を使わないと勝てない。

 カチェは腰の手斧を掴むと青面大狒狒の足元に向かって投げつけた。


 回転する斧を避けるために青面大狒狒が片足を上げる。

 ワルトがその隙をついて跳躍攻撃。

 青面大狒狒が拳を振って反撃してくるが、その手にワルトは噛みついた。


 体毛の薄い手に噛みつかれた青面大狒狒が、驚きを露わにする。

 ワルトを叩いて攻撃するが、離れない。

 カチェが渾身の刺突を青面大狒狒の腹部に仕掛ける。

 切っ先が肉に埋まる感触がある。

 しかし、致命傷からは程遠い。


 青面大狒狒が吼えた。

 血走った眼が睨みつけられる。

 カチェは睨み返した。


「魔獣ごときが!」


 青面大狒狒が空いた方の腕をカチェに振る。

 カチェは刀を引いて、地面に這い蹲る。

 ぎりぎりで回避した。

 あんな打撃を食らったら無事では済まない。

 アベルのように吹き飛ばされてしまう。

 背筋が粟立つ。


 青面大狒狒が、手のひらに噛みついたままのワルトの腕を掴むと力任せに引っ張る。

 それでも離れないワルトの胴に、逆に噛みついた。

 ワルトの鋼鉄のような腹筋に巨大な犬歯が突き刺さっていく。

 ブチブチと筋肉の切れる音が聞こえた。

 血が噴き出る。


「ギャワアァアァァ!!」


 ワルトが堪らず噛みつきを止めた。

 その瞬間、青面大狒狒がワルトを放り投げた。

 ワルトは地面に叩きつけられる。


 アベルは一連の援護攻撃の隙に圧迫骨折したと思われる腕やアバラ骨を治療魔法で回復させる。

 投げ飛ばされたワルトの元に駆けだした。

 ワルトの腹が引き裂けていた。

 ピンク色をした細長い腸が、はみ出ている。

 アベルは戦慄しつつ、治癒魔法を発動させて飛び出た腸を傷口に押し込む。

 カチェが牽制ために炎弾を至近距離の地面に射出。

 爆発。

 爆風。


 青面大狒狒が近くの大樹に飛びつき、そのまま幹を登っていった。

 アベルの治療魔法でワルトの傷が塞がる。

 太い動脈を切られていなかったのが幸いした。

 あともう一歩で致命傷だ。


「ご主人様。助かったっちよ!」

「助けられたのはこっちだ」


 カチェがバックステップで後退。

 アベルの脇に着いた。


 アベルは速く荒い呼吸を繰り返す。

 頭上に視線を這わせる。

 複数の狒狒が樹々を飛び回っていて、葉や小枝がバラバラと絶えず落ちてきた。

 あの青い顔面をした大狒狒の気配が消えていた。


「とんでもない魔獣だったな。あんな強い奴、初めてだ……」


 アベルはイースのことも気になる。

 さっき最後に見たのは狒狒に囲まれているところだった。


「イース様と合流しよう」


 アベルたちは混乱極まる採掘場を駆け抜ける。

 狒狒は基本的に人肉が目当てだった。

 誰か一人が引っ張られて密林の中に引き込まれると、他の狒狒が群がって貪りつく。


 麻薬で恐怖心を誤魔化した賊達が数人単位で纏まり、抵抗を続けている。

 イースは二匹の狒狒を仕留めていた。

 残るは一匹。

 対峙している。


 アベルたちが援護に回った瞬間、隙のできた狒狒の頭蓋を大剣で叩き割った。

 狒狒の脳が割れた頭蓋骨から流れ出る。


「アベル! 無事だったか……。狒狒に囲まれて助けに行けなかった」

「カチェ様とワルトに助けられました。正直、ヤバかったです」

「ああ、かなり強力な魔獣だ」


 森から大勢の雄叫びが聞こえる。

 アベルが何かと思って見ていると、それは賊の棟梁、ザラが率いる部隊だった。


 村から救援のために駆け付けた……というにはタイミングが良すぎる。

 襲撃を予測していて、時間差を置いて行動していたのではと思われた。


 ザラの武装は十文字槍だった。

 防備は脛当てと胴丸ぐらいの軽装。

 部下と共に、大胆なほど軽快な足取りで狒狒に近寄る。


 ロペスに匹敵するような冴えた槍使いだった。

 一匹の狒狒の胸に深々と槍を突き刺した。

 部下たちが連携して攻撃を仕掛ける。

 魔法使いが何人かいた。

 様々な攻撃魔法を使って狒狒を追い払う。


 狒狒たちは食欲を満たしたのか、あるいは新手に驚いたのか退いていく。

 吼え声が密林に響くが、やがて静かになった。

 戦闘は終わったらしい。


 アベルはライカナやカザルス、ガトゥたちが気になり、あたりを探す。

 彼らは採掘場で村人を守ることに徹してた。

 アベルは意外に思う。

 ガトゥはともかく、ロペスやモーンケまで領民でもない村人を守るとは思わなかった。

 感心してアベルはロペスに話しかけた。


「ロペス様。お優しいですね。村人のために戦ったのですか?」

「成り行きだ。ライカナ殿がそのように動くので、つられたに過ぎない。村人はついでだ」

「あ……そうですか」


 ―まぁ、そうだよな。

  戦闘バカのロペスが人のために戦うわけないか……。


 ロペスが聞いてくる。


「アベル。お前、何匹仕留めた?」

「いや、僕は全然だめでした。群れの統率体と思われる大狒狒と戦ったのですが、危うくこっちが殺されるところでした。イース様が四匹殺したはずです」

「イース! 首を獲っておけよ! 証拠だからな」

「心得ました」


 ロペス、モーンケ、ガトゥ、アベルが揃った。

 それからロペスは周囲に目を配りつつ小声でアベル言う。


「俺は王道国との戦いを止めているつもりはない。ザラという男。たどればディド・ズマという王道国に協力している傭兵の頭目に繋がっている。これは戦争の続きだ」

「……今は皇帝国に帰ることを優先しては」


 モーンケが青い目をギラつかせながら言う。


「俺たち金がほとんどねぇ。ここで旅費を手に入れよう。結局はその方が近道になる。あいつらを殺して砂金をいただこうぜ。かなりの額だ」


 アベルはその欲深くもあり無謀な考えに呆れる。


「モーンケさん。あんた、まともじゃないよ。この状況でどうやってそんなことするんだ」

「こんな地の果てに飛ばされて、女もいねぇ、金もねぇ。やってらんないぜ。アベル。お前はイースがいるからいいよなぁ。やりたい放題だもんな。へへっ……イースなんかの何が面白いのかさっぱり分からねぇが。頼まれたって喘ぎ声ひとつ出さない女なんぞ相手にしないぜ」

「……ふざけんなよ。あんたなんか指一本でも触れたら叩き潰されるだけだろ。手を出したくても出せないくせに」

「へっ! アベル。お前、良い手を考えておけよ。いいか。俺らはハイワンドであることはどこでも変わらないんだからな。裏切るなよ」

「……」


 ロペスが、さらに言う。


「金はともかくとしても、村人たち。見捨てるには哀れにすぎるとは思わぬか?」

「たしかにそれを言われると辛いところです。でも、ロペス様は村人なんか気にしてないでしょう?」

「そうでもないさ。武人の徳に善民を守るというものもあるからな」


 アベルはロペスの言葉をあまり信用しない。

 貴族意識が強いロペスは、力と血筋こそ人間の全てだと思っている節がある。

 イースに対しては、それほど差別意識を持っていないようだが、それはイースの腕を買っての事だろうと思う。

 あくまで村人は、ついでに助けられるものなら助けてもよい、という程度のはずだ。

 ロペスは傲然と言い放った。


「何か手を考えろ……。正面突破というのも愉快だが、ここはアベルの策に期待したい」


 ロペスはお前なら当然いい手を思いつくだろう、というような顔つきをしていた。

 アベルは溜め息をついて首を振る。

 ザラの手下、コステロが近寄ってきたので相談はそこで終わった。




 アベルたちは六個の狒狒の首をザラに渡す。

 ザラは刺青だらけの顔面を歪める。

 どうやら笑っているらしい。


「ほっほ~! こりぁ大したものだ!」


 ザラの感嘆はまんざら演技でも無いらしい。

 荒んだ顔をした手下たちも狒狒の首の数に驚いていた。

 ロペスが大声で言う。


「これで約定は果たしたかな」

「いやいや。ちょっと待て」


 ザラは威嚇のための笑みを浮かべつつ言うのだった。


「俺はこのクソ狒狒に賞金を懸けている。一匹につき、金貨五枚だ。顔が青いやつは特別だから十枚。お前らの通行料には、まだ足りねぇよ」

「……」

「そう怖い顔すんな。村に戻ったら頼もしい助っ人さんのために宴を設けるからよ。酒と肉、用意させている。お前らだったら直ぐに金は貯まる。ここで稼いでいけや」


 断らせないぞという気配がザラの顔に浮かんでいる。

 ガトゥが口を挟んだ。


「条件については、まだ話し合おう。全てあんたの命令に従うつもりはない」


 ザラは返事をしない。

 にやけ笑いを消さないまま踵を返した。

 ぞろぞろと手下が付いていく。

 村人たちも、今日は作業が終わりなのか帰路へ歩いていく。


 アベルは、ザラがどういう人間なのか、もうだいたい理解しているつもりだった。

 欲望と暴力だけの人間。

 こちらを骨の髄まで、しゃぶろうとするに決まっていた。


 アベルはライカナの元に向かう。

 戦闘前にあれこれと情報を教えてくれた村の少年が怪我をしていた。

 腕に大きな傷を負っていた。

 普通なら切断ものだ。


「アベル君。この子、狒狒の攻撃で怪我をしたの。助けてもらえる?」


 アベルは無言で頷き、傷を治すイメージを強く脳裏に描いた。

 骨まで露出しているような少年の腕が、見る見る内に修復された。

 少年が驚愕と感謝の混ざった顔を向けてくる。

 アベルは、どうやってザラたちを殺すか、考えてみることにした。

 モーンケは金が欲しいと言うが、アベルにとっては重要なことではない。

 金も名誉も無関係な、野犬同士の殺し合いに等しい戦いにしかならないのは分かっていた。

 







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