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獣の見た夢  作者: MAKI


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旅の始まり

 




 カチェが腰に手を置き、仁王立ちしていた。

 目はいつも以上に鋭くなっている。


「わたくし、驚きました……! 会ったばかりのライカナさんとあんなに親密にしているとは本当にビックリしたわ。我が目を疑いました」

「いや……あの。ほんとに変な事はしてないっすよ。嘘じゃないんで信じてください」

「じゃあ、どうして抱き付いていたのっ」

「なんかライカナさん、ずっと一人旅をしていたから……人恋しくなったと……はい。それだけみたいです」

「ふん! いいこと、アベル。次、見つけたら、こんなものでは済まさないわよ」


 カチェは背筋の凍るようなひと睨みをくれると、食事の準備に行ってしまった。

 本当に何をされるか分かったものではない……。


 部屋にライカナが戻ってきた。

 気の毒そうな表情をしている。


「アベル君、ごめんなさい。からかい過ぎたわ。あの子は恋人だったのね」

「恋人? まさか。従姉ですけれど実質はあるじですよ。まぁ、幼馴染みたいなところもあるから言葉遣いとかアレですけれど」


 アベルは殴られて腫れた顔に治癒魔法を施した。

 ライカナは驚いている。


「詠唱しないで治癒魔法が使えるのですか。よほど慣れていても発動の切っ掛けで魔法名ぐらいは唱えるものだけれど」

「これは僕の数少ない特技です」

「かつて似たような治癒の魔法を使った人物がいたと言われています。癒しの聖女アーストライアという人です」


 アベルが聞いたことのある人だった。


「たしか僕の父上が、たまに祈りを捧げていました」

「貴方のお父さん、もしかしてお医者様かしら」

「はい。そうです」

「アーストライアは今では神格化されていますが、もとは実在の治療魔術師です。彼女は始皇帝の臣でしたが、やがて始皇帝に仕えるのを止めて放浪の旅に出ます。行く先々で無償の治療を続けたので、やがて聖者として崇められます。しかし、本人はそれを否定して、一所に留まらない人生を送りました」

「へぇ。そんな人だったのですか」

「彼女は三十歳になった頃、病を得て亡くなります。原因は治療魔法の使い過ぎによる過労だと伝承されています。アベル君もそうならないようにしてください」

「そんな善人じゃないですから……。過労死なんか、もうしません」

「もう?」

「…………」


 ライカナは不思議そうにしているが、アベルは黙っていた。





 いよいよ島から脱出する弾みがついた。

 手始めにライカナの協力のもと船の改造をすることになった。

 砂浜にある彼女の船をさらに安全な陸まで引き上げる。

 邪魔な背鰭ワニは魔法を使い、仕上げは全員突撃で蹴散らしてやった。

 肉まで手に入って一石二鳥だ。


 改めて良く見たライカナの船は小型で、せいぜい三人乗りといった感じだった。

 構造は大木を刳り貫いて人が乗れるようにして、三角帆を張れるようになっていた。

 もちろん舵もついていた。

 ライカナが説明してくれる。


「わたしは亜人界、王道国、魔獣界と旅をしてきて様々な船を見てきましたし実際に操ったこともあります。ちょっとした湖沼で使う小舟には木の骨組みに動物の皮を張り付けたようなものもありますが、海峡を渡るのには適していません。そこで、もう一艘船を作って、わたしの船と横桁で繋げるのです。葦を編んで作った帆も増強しないといけません。幸いこの島にも葦原があるので作業は上手く行くはずです」


 さっそく手頃な材木を伐採してライカナの船に並べるような感じで置く。

 二隻の船を並列にして丸太で繋ぐ「双胴船」のような構造になった。

 アベルは船に関する専門知識は無いが、こうした船を南洋の人々が使っていたのは映像で見た覚えがある。

 たしか転覆しにくい利点があるはずだった。


 まずは舳先を削り出し、人や荷物が乗るように内部を刳り貫く。

 工作はカザルスとライカナが中心になって作業を進めた。

 生粋の貴族であるモーンケやロペスは職工のやるような仕事など手伝うとは思えなかったが、どうやら本気で皇帝国に帰りたいらしく意外と真面目に手伝うのだった。


 それから保存の効く食料を大量に用意しなければならなかった。

 魚や鹿肉の燻製、塩漬けを優先的に作ることにする。


 まずは塩がいるので海水から大量に作っておくことになった。

 これは塩漬けを作るだけでなく、密林内では塩が手に入りにくいということもあるし、さらにはやがて人里で物々交換の時に使えるという目論見があった。

 

 ところが魔法でさっと作れないか様々に試してみたが、どうも上手くいかない……。

 結局、地味に作ることになった。


 塩作りは土石変形硬化で大きな土鍋と、かまどをアベルが作るところから始まった。

 安全な入り江で、まず、かまどを作り、土鍋に海水を注ぐ。

 火は流木を燃料として、強火で盛大に焚いてやった。

 もうこの時点でアベルは汗だくになった。

 熱くて仕方ないので氷槍を近くに射出して、砕けた氷を舐めた。


 やがて土鍋の中の海水が減り、白濁してきた。

 カザルスが言うには、まず塩とは別のものが少量だが精製されるので、それを濾して取らないといけないらしい。

 麻で作ったフィルターのようなもので、塩ではない結晶を省き、残った濃縮海水をさらに沸騰させる。

 すると、いよいよ塩が結晶化するので、さらにもう一度、濾す。

 湿った塩の塊が残るので、天日で干してから鹿皮の袋へ大切にしまう。


 大人の肩幅ほどはある大きな土鍋から採取できた塩は、手のひらの半分もなかった。

 たかが塩づくりでも、時間と根気のいる作業なのだった。

 アベルは塩づくりで残った液体を、しげしげと見つめる。


――これが、ニガリってやつだ。

  豆腐を作るのに使う……あれだな。

  たしか肉を柔らかくする効果もあったはずだ。


 アベルは試にその日の料理でニガリを使って肉と野菜の煮物を作ってみた。

 すると、たしかにいつもより肉が柔らかく、野草のエグみが減っている。

 カチェやライカナが味の良さを喜び、アベルを賞賛した。


「アベルって、やっぱり何でもできるわね!」

「わたしも、こんな美味しいものを人に食べさせてもらったのは二年ぶりぐらいです。アベル君をますます気に入りました」


 アベルはちょっと得意満々になる。

 なんか主婦の小技みたいな知識まで増強されてしまった……。

 食べ物は体力や気力に直結するとアイラに教えてもらった。

 貧しい食事をしていると、健康を損なうし、やる気にも影響がある。

 アベルは手に入るもので、どう料理すればもっと美味になるか考えていると楽しくなってくる。


 南の島の生活は、案外と面白いものだった。

 仲間と協力して狩りをしたり、船を作るというのは刺激的なのである。

 それに自然の美しさといえば驚異と呼んでも余りある。

 極彩色の鸚鵡が数百羽の群れで空を飛び、水中には鮮やかな熱帯魚が数千匹も泳いでいた。


 陽が沈むと、今度は星月の世界が現れた。

 アベルは綺羅星が数えきれないほど広がった夜空を眺める。

 水平線から天頂にまで至る巨大な天の川も良く見えた。

 深遠な宇宙の姿が眼前に広がっている。


 カザルスが天文観測をしていた。

 持っていた望遠鏡を即席の固定台に設置して、星を観ている。

 

「何か発見はありましたか?」

「あるさぁ。やっぱり理球体は球体だけあって場所が変わると見える星が変わるのだ……。星と言うのは不思議だ。いったい、どうしてこんなものが創られたのだろう。惑星運航というのはどんな理屈なのか。魔素だけでは説明がつかないことばかりだよぉ」


 そう語るカザルスには戦闘をしていた頃の、陰に籠った殺気のような気配は消えていた。

 一介の研究者の態度である。

 アベルは、こういうカザルスの方が好きだった……。




 ライカナは旅隊を編成するにあたって、各人の能力を知りたいと申し出た。

 そこで各々、使える魔法、得意の流派などをライカナへ伝える。


「なるほど。とりあえず全員、戦闘の経験はあるわけね。治癒魔法が使えるのはアベル君のみと……。それから全く魔法が使えないのはロペスさん、ガトゥさん、あとは狼人のワルト。でも、魔力による身体強化はできるわけね」


 まずライカナは旅における基本姿勢を伝えた。


「貴方たちは戦闘を好むかもしれないけれど、わたしの方針はできるだけ戦わないことです。相手が魔獣にせよ何にせよ、逃げられる状況ならば必ず逃げます。死ぬ危険を犯して強力な魔獣を倒したところで、せいぜい肉が手に入るぐらいのもの。肉が食べたければ小動物はいくらでもいます……。ときどき魔獣の中には有用な素材となるものもいますが、今回は旅が目的ですから」


 ライカナは未知の魔獣がいかに危険であるか執拗に説明を続けた。

 体色を変えて忍び寄る、おそらくカメレオンの大型化したような魔獣にあと少しで食い殺されそうになったという話は実に真に迫る。


「次に、食べ物には気を使います。水は煮沸したものか魔法で作ったものしか口にしないでください。食べ物は猿や鳥が食べているものは、おおむね食用にできます。知らない物しか手に入らなかったとすれば、欠片を舌に乗せて痺れや異様な苦みがないかを確かめてからにしてください。アベル君の治癒魔法や解毒魔法だけでは、全回復しない毒や病気は世の中いくらでもあります」


 毒を持った茸や草木についてもライカナは非常に詳しいのであった。

 特に樹液が猛毒である植物について注意を促す。

 その毒は魔獣を殺すことにも使えるが、下手に採取して液が皮膚に付いただけで手足を失う者がいるのだという……。


「もし、はぐれた場合は危険がない限り下手に動かないでください。こちらには、わたしやワルト、イース殿といった感覚に特に優れた者がいます。何もしなくても見つけ出せる可能性が高いのです」


 ライカナ自身はどうした流派や魔法を使うのかアベルは聞いてみる。


「わたしは中級程度の火、水、気象魔法を使います。剣は……我流です。それから、ごく初歩の治療魔法も使えますが、これは掠り傷を治す程度ですから、あまり頼りにしないでください」


 イースを基準に考えれば魔人氏族のライカナは人間族を遥かに上回る能力を持っているだろう。

 年齢も重ねているから、経験知に基づいた実践的な技を数多く持っているのではとアベルは考えた。

 またとない機会なので、吸収できるところを見逃さないことにする。


 ライカナの説明では、密林地帯には大河がいくつかあり、海が満潮時には川上に向かって流れが逆流するという。

 それと帆走を利用して船でエンドーラ湖と呼ばれている大きな湖まで移動して、そこから先は陸路を行くのが最善であろうということであった。



 ライカナが来訪してから六十日ほどで、船の改造と携帯食料の準備は終わった。

 船は何回か試しに操船して特に問題がないので、あとは風向き次第で、いよいよ島から脱出となる。

 ライカナの代わりに操船が出来るものが居ないと困るので、アベルとカチェが訓練を繰り返した。

 カチェは勘が良く賢いので、アベルが目を見張るほどすぐに上達していった。


 船に取り付けた帆は三角帆というものだった。

 この帆は、帆を固定する横竿を左右自在に動かせる。

 逆風であっても、風向きに対して約45度の角度で帆を張ると、斜め前に航行できるのが特徴だった。

 斜め前に前進するので正しい方向に進むには、ジグザグに進むしかない。

 帆の操作を始めとして操船作業は、かなりの習熟が必要で、しかも重労働であった。

 だが、カチェは嫌がらず何でも手伝い、しかも上手い。

 アベルはその順応力に、ひたすら感心した。




 ~~~~




 日持ちのする食料の用意も計画通りに進み、ついに旅の始まりは近い。

 アベルたちはリアンとクアンに別れの挨拶をする。


「お主らなら危険に満ちた魔獣界を必ずや突破できよう」

「わしらにできなかったこと、やり遂げておくれ」

「……もし、良ければ一緒に行きますか?」

「いやいや。自分らの体力や根気は理解しておるよ」

「毎日、足が棒になるまで歩き続けるなどわしらには、もはや無理なことじゃ。若者の邪魔になるなど王道国の貴族として許されぬよ」


 二人の老人は気鋭の研究者であったはずで、それが唐突に孤島での自活人生を強いられたのは激しい苦痛であったろうとアベルは想像する。

 しかし、リアンとクアンは好々爺の雰囲気で旅立ちを祝ってくれた。

 思えば飛行魔道具で辿り着いたときから親切に助けてくれたうえに、魔法まで教えて貰った。


 二老人は一つだけ心残りがあるという。

 共に独身であったが家族や親戚、学友などがいたので手紙を送りたいらしい。 

 だが、粘土板では大きすぎて携帯に不便だ。

 そこでアベルは薄く削った木簡に烏賊の墨、葦のペンを用意した。


「おお。ありがたい。もしかしたら便りが届くと思えば、わしらの余生に楽しみが増えたわい」

「詳しくは聞かぬがアベルは皇帝国でも由緒ある貴族の子弟とみた。お前さんのような有能な者はこの島で腐ったらいかん。必ず帰ってくれの」



 心優しき老人の便りを受け取り、その日の朝方の風向きは万全。

 雲に不穏さはなく、波にも異常ない。

 何もかもが旅立ちを言祝ことほぐようであった。


 アベルたちは海岸で背鰭ワニを魔法で蹴散らすと、船を全員で持ち上げて波打ち際に浮かべた。

 荷物を搬入する。

 鎧や食料は船が転覆しても沈まないように、浮きとして木材を結束しておく。

 しかし、武器だけは身につけた。

 海上で何が起こるか分からないから……。


 ライカナが三角帆を張り、船に乗った全員が櫂で海を漕ぐ。

 速度はぐんぐんと上がっていき、船は快速を発揮した。

 アベルが振り返ると岩山の上でクアンとリアンが手を振っていた。

 島から離れると海流は急に速くなる。

 ライカナが檄を飛ばす。


「海流に流されっぱなしだと大陸から離れ、遥か沖合へ運ばれてしまいます! とにかく大陸へ近づくことを優先! 全力で櫂を漕いで!」



 舳先に当たった波が、盛大な飛沫を上げた。

 アベルは全身、びしょ濡れになった。

 海水がしょっぱい。

 やたらと興奮してくる。

 未知に挑む冒険者の高揚。

 体が熱くなってくる。

 アベルは勇んで櫂を漕いだ。


 帆の操作はライカナがやっているが、次に重要な役割である舵取りはロペスが行っている。

 上半身裸のロペスは鋼鉄のような筋肉を露わにさせていた。

 凄まじい力を感じさせる肉体はアベルも思わず息を呑む迫力に溢れている。


 ライカナがロペスに鋭く指示をして方向を南にとらせた。

 ちょうど海峡の中央あたりに差し掛かった時、アベルは海面に何かを見つけた。

 三角形の背ビレだ。


――鮫かな…?


 普通の鮫なら船から落ちないかぎり、別にどうということはないはずだ。

 普通ならば……。


 アベルが注視していると、どうも船の上に人が乗っているのを理解しているらしく、しつこく追跡してきた。

 それから距離を詰めてくる。

 ぐいぐいと追い縋ってきて舷側に並んだかと思ったら、突然、海面から跳躍してきた。


 巨体。

 猛速度で接近。

 巨大な口を開けて飛んできたのは鮫ではなく、ワニとシャチを混合させたような、さながら海竜というべき魔獣だった。

 真っ黒な瞳には人間を食い物する貪欲さしかない。

 

 海竜は立ち上がって帆の操作を手伝っていたカチェに目がけて跳躍してくる。

 アベルはとっさに櫂を海竜の顎に叩きつけたものの、巨体はそのままアベルとカチェを弾き飛ばした。


 アベルは衝突で全身が宙に浮き、ついで体が海中に突入したのを感じる。

 海の中で一回転して、それから浮上する

 至近距離にカチェが同じく漂っていた。

 アベルは泳いでカチェの傍に行く。


「カチェ様。怪我はないですか!」

「とっさに跳ねたから大丈夫よ! でも、どうしよう! あのバケモノ、また来るわよ」


――やばい! やばいぞ……落ち着け。


「アベル! あそこにいるわっ! 背ビレが見えたっ」


 カチェの指さす方に黒い三角のヒレが波間に現れていたが、すっと海中に沈んだ。


 アベルは船を探す。

 帆を張っている船は急に止まれるはずもなく、かなり先まで進んでいた。

 こうなったら三角帆を上手く操って反転するか、帆を降ろして櫂だけで漕ぎ進むしかない。


 カチェは立ち泳ぎしながら海中で刀を抜いて、周りを警戒する。

 刀は取り落とさないように、紐で鍔と手首と絡ませた。

 こんな特殊な状況で戦ったことなどないから、どこまでやれるか分からない。

 だが、黙って食われるつもりなどなかった。

 カチェは巨大な牙の生えた咢が迫ってきても、逆に渾身の突きを食らわせるつもりで海面を睨み付ける。

 そして、絶叫した。


「来てみなさい! バケモノめ! ただ食われてやるつもりなんてないわよ!」


 アベルは闘志満々のカチェに驚きつつ、策を考える。

 なんとか足場が欲しい。

 アベルは老人たちから教えてもらった水魔法の中でも、「極凍氷結波」を思い浮かべた。

 強力な冷気波で対象物を一気に凍らせる魔法だ。


 アベルは海面を凍らせるイメージを強く持って、体内の魔力を加速させる。

 魔法名を詠唱。

 魔術が発動した。

 アベルとカチェの顔に強い冷気が吹き付ける。

 海面が見る見る内に凍っていく。

 人が乗れるような氷塊を創るべく、必死に魔力を注ぎ込んだ。

 すぐに小舟ほどの氷の塊ができたので、カチェと泳いで氷塊に掴まる。

 カチェが悲鳴を上げた。


「つ、冷たい!」

「カチェ様。我慢してください。さぁ、そいつの上に乗って!」


 カチェが刀を咥えて、両腕を氷塊の上に乗せ、勢いをつけて海中から飛び出した。

 なんとか氷の上に乗れた。

 アベルは足元の下、すぐ傍を巨体が泳いだ気配を感ずる。

 ぞっとした。

 もしかしたら狙いはカチェで、間一髪、海竜の攻撃をかわしていたのかもしれなかった。


 足元、直下から攻撃されたら防ぎようがないかもしれない。

 いちかばちか、爆発音で敵を威嚇する魔法「轟爆娑」を海面すれすれに発動することにした。

 水中にどれほどの影響があるか分からないが、海竜を牽制することができるかもしれない。


「カチェ様! 耳を塞いで!」


 アベルは、いつもなら絶対にやらないほど、かなり近くで特殊魔法「轟爆娑」を行使する。

 音の衝撃は強烈だった。

 頭が仰け反り、一瞬、意識が飛ぶ。

 爆音で肺の中が揺れるような感じがした。


 歯を食いしばって意識を繋いだ。

 アベルは刀を抜いて、急ぎ海中に潜る。

 透明度のある澄潮だった。

 十メートルぐらい先までもが見える。

 海竜の巨体が蠢いていた。

 しかも、一匹だけではなかった。

 二匹いる。

 爆音はある程度の効果があったらしい。

 やや様子を見るように回遊している。


 アベルは試しに「火炎暴壁」が海中で発動しないかやってみたが、魔力の高まりや集中を感じたものの、炎はやはり発生しなかった。

 海竜の体長は七メートル以上ありそうだった。

 フォルムは海の生き物らしく流線型をしているが、それでいて圧倒的な偉容があった。

 恐竜のような咢に咬まれて、海中深くに引きずり込まれたら、もうお終いだ。


 アベルは海中で戦うのを諦めて、氷の上に退避する。

 カチェに引っ張り上げてもらった。


「アベル! これからどうするの! さっきみたいに、また跳ね飛んでくるわ」

「炎弾で迎撃しましょう。背鰭が出てくればある程度、動きは予測できます。二匹いますから、全周を警戒してください」


 爆発音で驚いた海竜は、しばらく襲ってこなかったが、やがて背鰭が海面に浮かぶ。探るように周囲ほ回遊しているので、まだまだ食う気は満々だった。

 船は反転しているが海流が悪いらしく近づけないでいた。


 アベルとカチェは掌の上に炎弾を創り、いつでも射出できるように構える。

 二人の息が興奮で荒くなる。

 僅かな反撃の機会を逃せば今度こそ巨大な顎で殺されてしまう。


 海竜の一匹が急に向きを変えて、もの凄い速度で近づいてきた。

 至近距離。

 海面をぶち破るように海竜が大咢を全開にさせて飛び出してくる。

 アベルとカチェは、ほぼ同時に炎弾を放出。

 吸い込まれるように海竜の頭部に命中した。


 炎が弾ける。

 肉が爆ぜた。

 衝撃波でアベルとカチェは体を叩かれたようなショックを受けた。


 海竜は顎と頭部を破裂させたものの、勢いのついた巨体は氷塊に衝突。

 体が宙に浮く。

 アベルとカチェは、ふたたび海に落下した。

 氷に掴まろうとしたが、即死しなかった海竜がバタバタともがくものだから激しいうねりが巻き起こり、泳ぐのも困難だった。


 カチェはアベルにしがみ付く。

 アベルは柔らかくて熱いカチェの体を抱きとめる。

 アベルが少し離れたところにもう一度、氷の塊を創ろうと決心しかけたとき、船が戻ってきた。

 船上の仲間たちは櫂を懸命に漕いでいる。


 もう一匹の海竜が来る前に乗り移ろうと、アベルとカチェは刀を口に咥えて、船に向かって泳ぎだす。

 もう必死だった。

 服を着て、しかも刀まであるから泳ぎにくいのだが、そんなことは言っていられない。


 舷側に辿り着くと、まずカチェをガトゥが引き上げた。

 アベルはワルトが持ち上げてくれる。

 そのときだった。アベルの背後で激しい水飛沫。


 もう一匹の海竜が咢を開けてアベルに突入していく。

 アベルは首だけで後ろを振り返り、これはやられたと覚悟したとき、イースの大剣が振るわれた。

 海竜の顎を一撃で、切断した。

 さらに大剣で海竜を跳ね返す。

 飛沫が盛大に飛ぶ。

 海中で咢を失った海竜がもがいているのが見えた。

 血が煙幕のように海を漂う。


 ライカナが帆を張り、再び進路を反転させる。

 鋭い号令が飛び、ロペスが舵を操った。

 アベルは船上で荒い息を吐いた。

 慣れない状況の戦闘で、勝ちパターンのような形に全然持っていけなかった。

 その場その場で凌いで、幸運にも助かった……というような感じだった。

 海は魔境、という言葉を思い知る。

 ライカナは言う。


「王道国の東側にリーム内海と呼ばれる海があります。リーム内海を東へ越えたところに外地半島と呼ばれる王道国の開拓地があるのですが、そことの連絡船にわたしは乗ったことがあります。船は大きく、全長四十メルテはあって、外殻は分厚い木板で防御されていました。今、我々が乗っているこうした船では、あんな海棲魔獣の攻撃を受けてしまうことが、これで分かりましたね」



 その後、船は南に進路を取る。

 櫂を漕ぐ腕にも、さらに力が入る。

 できるだけ速度を出した方が海棲魔獣に狙われる可能性は低くなるだろうから、アベルたちは必死になった。


 やがて船は、いよいよ大陸に接近していく。

 岸は岩礁のようになっていて上陸には全く向いていなかった。

 波の力で岩場に叩きつけられると船は壊れ、人も危険なことになってしまう。

 ライカナが指示を飛ばした。


「暗礁にぶつかるのが怖いから、もう少し沖に出ます。海図なんかないから、よく見

張ってください!」


 乗っている船は喫水が浅いので、海面から覗いているような岩に注意していれば衝突することはない。

 アベルは海の色が変わったのに気が付く。

 先ほどまでは海底が見えるような澄潮であったのに、今は緑色に変化していた。


「ライカナさん。海が変わりました」

「ええ。これは河口が近くなった証拠よ。川の水は土を含んでいるから、緑だったり茶色だったりするのです」

「あ、なるほど」

「この風向きなら、今日の内に河口へ到達できるでしょう。河口には洲があるから上陸できます」


 少し余裕が出てきたのでアベルは釣りを試みる。

 島で見つけた弾力性のある枝を釣り竿としたものに、麻の細い紐を結う。

 鹿のツノから削り出した釣針に、浜辺で捕えておいたゴカイを付けて流すだけだ。


 釣針を作るのは大変だった。

 土石変形硬化で尖った石槍は作れるのだが、釣り針のように細いものは負荷がかかって折れてしまう。

 結局のところ、原始的な骨角器を製作するしかなかった。


 砂鉄から鉄を作ろうか考えたが、ガトゥやカザルスから、鉄器の作製をやり出すと年単位の時間がかかるから止めた方がいいだろうと言われた。

 それよりは現状の装備で、物資の手に入る人里を目指したほうが早いというわけだ。


 そうした苦労の末に出来た、かなり大雑把な仕掛けなのだが、スレていない魚は案外と餌を咥えこむのだった。

 保存食は用意してあるものの新鮮な獲物が手に入るときは、それを食べた方がいいに決まっていた。

 たしか生魚にはビタミンなども含まれている……。


 ほどなくして釣竿に手ごたえがある。

 竿がグッと撓った。

 アベルが紐を手繰り寄せると、シイラに似た魚が掛かっていた。

 ガトゥが棒の先端にナイフを取り付けた即製の槍で突き刺した。

 船上に魚を引き上げる。

 アベルは血抜きのため暴れる魚のエラを切断する。

 その後も、立て続けにその魚は釣れた。

 どうやら船影を流木などと同一視したらしく、むしろ好んで寄ってくるようであった。


 釣った魚は昼飯として三枚におろして、刺身で食べる。

 島に自生していたレモンを持ってきてあるから、捌いた身に果汁をかけて塩を振って食べると、なかなか乙な味わいだった。


 襲ってくるものさえなければ、船旅と言うのは爽快なものだった。

 白い海鳥が船に近づいてくる。

 海上を大小の魚が飛び跳ねていた。


 カチェやイースが海風を気持ちよさそうに受けている。

 やがて太陽は大陸側に没していく。

 夕方、大河の河口らしき海域にまで辿り着いた。

 広大な洲があるので、船を砂州に乗り上げて錨を落とす。

 潮は引き潮で、見る見るうちに洲が広がっていった。


 浅瀬では蟹が無数に蠢いていた。

 ワルトが棍棒を片手に蟹を獲り始めた。

 駆け寄って棍棒を叩きつけ籠に入れていく。


 蟹と言っても甲羅だけで手のひらほどはある大物だ。

 さっそくアベルは蟹を丸焼きにして殻を叩き割り食べてみる。

 濃厚で香ばしく、食べ応えがあった。

 カチェやイースも美味そうにしている。


 初日から危険な目にも遭遇したが、アベルはこれからどんな旅になるのか不安以上に楽しみだった。

 どれほど美しいものに出会えるだろうか。

 

 







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