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獣の見た夢  作者: MAKI


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漂流一日目



 


 アベルたちはクアンとリアンと名乗った双子の老人に招かれて、管制塔のような建物へ歩いていく。

 石造りで、一階部分は二十部屋ほどありそうだった。

 そして、塔が一つ突き立っている。高さ十五メートルぐらいか……。


 アベルは汗を拭った。

 太陽がぎらぎらという感じで照っている。

 影の黒さが陽の光の強烈さを証明していた。


 建物の中は、ひんやりとしていた。

 湿度がないから日陰は涼しく感じるようであった。

 入り口と続きの部屋は、待合室のような感じ。

 大人十人が居ても狭苦しくない。

 ただ、家具が貧弱で、素人造り風な四人掛けのテーブルと椅子があるだけ。


 どちらがクアンだったかリアンだったか、そっくりなのでもう分からなくなってしまったが老人の片割れが言う。


「悪いのじゃがなぁ。椅子も机も全員分はないのじゃ。さすがに一度に八人も来ることは、これまでなかったのでなぁ」

「いやいや。わしらも、ここに来て二十五年になるがな。こんなに人が来たのは初めてじゃよ」


 カザルスが抑えられない好奇心を剥き出しにして質問を始めた。


「あの先達の賢老様。ボクは皇帝国皇立魔術学院で魔学を志していた、カザルス・ラーロというものです。お二人はどうしてここへ辿り着いたのですか」

「わしらは王道国の王隷魔術大学で研究をしていた。専門分野は分裂戦争時代に失われた技術を復活させるのを目的とした、大帝国魔術学ということになろうかのう」

「そして、我ら兄弟は飛行魔道具の研究をしておった。ただ、研究というのは徹底した秘密主義で行うもの。我ら二人以外は、何をしておるか誰も知らない状態じゃ」

「ある時、二人で飛行魔道具に搭乗しておったとき、地上の着陸誘導装置が壊れたのであろう。そのまま飛行魔道具はここまで、すっ飛んで行きおった」


 王道国の人間ということで一応は敵国人ということになるのだが、アベルは二人の老人に敵意は湧かなかった。

 同病相憐れむというか……。なんとか上手くやっていかないと、という感じだ。


「わしらがここに着いたとき、やはり先着者が一人おられた。その方は二十年も一人きりで暮らしておった。わしらと会ったときは、そりゃ嬉しそうにしていたものじゃよ」

「その方は皇帝国の、ユグノーメンという名前の人でカザルスさんと同じ学院の方だと記憶しておる……」


 カザルスが、はっという顔をした。


「ユグノーメン! 本で読みました。たしか飛行魔道具についていくつか論文を残されました。でも、ずいぶん前に行方不明になっていますよぉ。そうか、ここに流されていたのですか。その方はどうされました?」

「わしらが来てから三年ほどした頃、病気で亡くなったのぅ」


 双子の老人が揃って笑った。


「ふへへへ。そうやって、何十年かに一度、人が来てここの文化というか掟が少しずつ出来て行ったわけじゃな。無人の頃もあったらしいがの、親切なやつというか……単に他にやることが無かったのじゃろうが、ここで暮らしていくのに必要な知識だとかやり方を、粘土板などに書き残していくのじゃ」


 カザルスは感慨深げに言う。


「ふ~ん。そんなことを千年も続けていたのかぁ」

「いや。どうやら四百年ほど前かららしいぞぃ。おそらく、大陸側に現存していた着陸施設が全て壊れたのじゃろう。あるいは盗掘にあって部品を盗まれたか。そちらの方が有り得るかの」

「ははあ。ここは島だから、それで流石の冒険者も陸路では来られなかった……」

「大方、そうした理由じゃろうな」


 ガトゥは火酒を全て飲み切ってしまった。

 空になった瓢箪を顰め面で眺めて言う。


「ここ、酒はねぇんですかい?」

「居酒屋じゃないぞい」

「わしら兄弟は、もともと酒を嗜まないのじゃ。作ろうとは思わなかったのう」

「ふへ~。それじゃこの島、生きている価値がねぇぞ。女はどうですか?」


 双子の老人はガトゥを呆れ顔で見た。


「おるわけないじゃろう。わしら、二十五年ぶりに女性を見ておる」


 クアンとリアンはカチェとイースを、しみじみと眺めた。

 女性二人は鎧を纏った完全武装だから凛々しくはあっても色気は無い……、と思ったのはアベルの方だけだったらしい。

 それは感慨深げというのも飛び越した、何かとてつもなく長く暗いトンネルを抜け出して数十年ぶりに陽の光を見た人間の顔のようであった。


「おお……」

「ああ……」

「まるで天女か女神のようじゃあ……」

 

 二人の老人が観音様を拝むようにした。

 アベルは思わず苦笑が出る。こんな辺境と評しても余りある最果ての孤島で、女性の一人もいない生活が続いていれば鎧兜を身に纏った姿でも感動してしまうのか。


「まあ、武装天女か戦女神って感じですけれどね。ところで外敵がいないのなら、もう鎧は解きませんか? 暑いし邪魔だし……」


 双子の老人が答えた。


「海岸の方には危険な生物もおるが、ここはさほど心配いらぬよ」

「聞いたことぐらいあるとは思うが、海は魔境じゃ。得体の知れない海棲魔獣が犇めいていておる。かなり危険じゃ」

「海岸には魔獣というか、蜥蜴の大きなやつがおってな。そいつがこの島で一番危険な生物じゃのう」

「ただし、やつら基本は海岸から離れぬ。数年に一度ほど、ここらまで来ることがあるがの」

「わしらは魔法が使えるから、別にどうということはない」

「黒焦げにしてやるだけじゃのう」


 アベルたちは鎧を脱ぐことにした。

 ガチャガチャと盛大に音を立てながら鎧を外す。

 普通は従者に手伝ってもらいながら着脱する。

 ワルト以外、七人分の鎧というと、もうそれだけで小山のような状態だった。


 鎧の下は衝撃を和らげるため厚手の服や綿入れを着ることが多い。

 赤道直下の気候では不快どころの服装ではないので、それも脱ぐ。

 全員、下着姿みたいになってしまった。

 椅子にはロペスとモーンケが座って、あとは突っ立っていた。

 モーンケは疲労困憊しているらしく、いつもはうるさいぐらいの無駄口ばかりだがぐったりとしている。

 ロペスが老人たちに聞いた。


「皇帝国に戻るにはどうしたらいいだろうか」

「まず、大陸に渡るため船を作らないとならんのう。海峡の距離は大したことはないが海流が速くて複雑らしい。流木が思わぬ動きをするのをわしらは何度も見かけておる。よって、筏のようなものではなくて帆や舵のあるしっかりした船を作らなければならん。ただ、作ったところでそれを操船するのは難儀じゃろうな」

「もっと根本的な問題があるのじゃ。あんたらみたいな体の大きな男たちが食べるだけの貯えがない。今日、明日ぐらいは食べ物をやるが、自分の分は自分で獲って欲しいのう。面倒はみきれん」

「なるほど。まず狩りか。何が獲れる」

「山なら小型の鹿。ただしオスの肉は臭みが強い。獲るならメスにしておくことじゃ。鹿は食べるだけではなくて皮は大事な材料になる。海はかなり食用になるものがあるのう。魚、海老、貝、海藻、海鳥……、あとはさっき話した蜥蜴のバケモノ。食い物に関しては海のほうが美味いものじゃが、慣れるまでは迂闊に近づかないことじゃ。特に夜は絶対に近づいてはならぬ」


 ロペスは全員に宣言するように言った。


「いいか。できるだけ早く国に戻るぞ。それから偽りで俺たちをこんなところまで送り込んだカザルスだが、今は許す。帰国するには、こやつの力も必要になるだろう」


 カチェが悩んだように聞く。


「でも、ロペス兄様。わたくしたち確実に爆発で死んだと思われているわ」

「それがどうした。爺様……バース伯爵様の所へ戻り、処置を決めていただこう。スタルフォンやカイトル男爵が上手くやってくれれば、ハイワンドの武勲は不滅のものと称えられているはず。まずは帰らねば……」

「死守で死んだはずの私たちが帰ってもいいのかしら。それって命令違反じゃないのかしら?」


 それまで珍しく黙っていたモーンケがカチェの疑問に答えた。


「カザルスが作った自爆装置の威力を見たろう。リキメル王子のやつ、二千人か三千人、あるいはそれ以上の将兵を失っている。大戦果だ。弁解の余地はあるさ。それに、俺ら他に帰る当てがあるわけでなし」


 アベルは、我慢できずに言ってしまうことにした。

 あの馬鹿げた命令。

 ハイワンドを時間稼ぎの捨て駒にして、何の支援も送らなかった。

 せめて軍勢を立て直して牽制ぐらいしてくれれば、もっと戦いようもあったのではないかと恨みに近い感情がある。


「コンラート皇子のバカっぷりを見ているとさ、皇帝国は長くないかもですね。僕が見た感じ、ガイアケロンは本物です。ああいう下の苦労を理解して自分で危険を引き受けるやつが人望を集めるもんであってねぇ……。逆に見捨てるようなコンラート皇子じゃあ、お先真っ暗ですねぇ」


 ロペスとモーンケがアベルをじろりと睨みつける。

 皇帝陛下や執軍官に忠誠誓わなければならない貴族としては、ほとんど禁句のような批判だった。

 カチェが取り成すように言った。


「お爺様は王道国と和平を望む派閥よ。お兄様たちは早く帰って、お爺様のお力になってあげて。わたくしも考えたのですけれど……たぶん今の皇帝国はよくない所がたくさんあるわ。亜人を排除する法律も……悪法よ。きっと何かの間違いで作られたのよ」


 モーンケは冷笑と共に言う。


「ふん。カチェも、お偉くなったものだな。畏れ多くも法律うんぬんなどと」

「やっぱり亜人というだけで差別するのはいけないことだわ。イースみたいな恩人もいるのに」

「法律を作るのは皇帝陛下の不可触権利だ。俺らが差し出がましいことを言うわけにはいくまい。法律には従っておけばいいんだ」


 アベルは思わずモーンケに言った。

 もはや皇帝国でもない場所で、これまでの習慣を引きずられては我慢できないこともある。


「モーンケさんさぁ。この際はっきり言うけれど……もし、あんたがイース様に対して無礼な態度をとったら、イース様が許しても僕は許さないですからね。ここはもう皇帝国じゃないんだ。法律なんか関係ないぞ」


 モーンケが目を逸らし、舌打ちをする。

 不満の様子。

 少しも素直さのない態度だった。


――俺は、こいつの下で働くつもりはないからな。

  ましてイースが不公平な扱いを受けて放っておくわけねぇだろ。


「話し合えばわかるなんて思っていないから、本当に許せないとなれば……覚悟している。人には言ってはならない事、やっちゃいけない事があるんだ」

「…………」


 アベルも幾多の斬り合いを経てきた人間なので、姿は少年であってもその言葉には切れそうな鋭さがあった。

 ロペスが奥目ぎみの青い瞳に獰猛な光を湛え、静かに言った。


「モーンケは俺の弟だ。モーンケが殺されそうになれば、俺は助けに入る。つまり、俺をぶった斬ってからでないとモーンケに手は出せないということだ。俺はいつでも受けて立つぞ」


 す~っと、部屋の温度が下がったような雰囲気となる。

 もともと今日という日はリキメルの本陣に突撃して、思う存分暴れまわる覚悟を決めていた顔ぶれである。

 それが不意になり、どこか行き場のない憤懣が滾り切っているのだった。

 ガトゥが険悪になりかねない雰囲気を吹き飛ばすように言う。


「とにかく目的もなくこんな島で暮らすことはできねぇ。酒は工夫すれば作れるかもしれねぇが、女はどうにもなんねぇ。どれほど危険だろうと魔獣界を東から西へ横断の旅といこうぜ!」


 アベルはガトゥの気遣いを察した。

 余計な気遣いをさせてしまったと感じる。


――いかん、いかん……。

  イースを馬鹿にされたみたいでキレかけちまった。

  モーンケみたいな陰険クズを相手にしていても仕方ないか。

  気分を変えよう……。


「ガトゥ様。酒はなくても女性ならイース様とカチェ様がいるけれど。あ、いや。だからって別にどうしろってわけじゃないですよ! ただ二人など目にないという口振りですから」

「アベル。何てこと聞くんだ。おれぁ主筋の女には二度と手は出さねぇよ」

「わたくしだって、ガトゥの妻なんか嫌です」

「イ、イース様は……」

「イースは彫刻みてぇなもんだ。おれの趣味じゃねえ。だいたいアベルが怖くて指一本と、さわれないぜ」

「え……。それ、どういう意味ですか」

「どうもこうも、そのままさ。イースに手を出したら殺し合いだって自分で言っているじゃねぇかよ」

「いや、あの。イース様を蔑ろにしたら従者として許せないという意味でして」

「そうか?」


 そうした遣り取りの間、イースは沈黙しているだけだった。

 カチェはそんな様子のイースをよく見ると、微妙に困っているという気配だった。

 どうしたらいいのか分からない……そういう態度だとカチェは感じた。

 みんなが上手くやっていけるように自分が立ち回らないといけない……カチェはそう決める。


 何とも言えない奇妙な雰囲気になったとき、双子の老人が親切に申し出てくれた。


「使っていない部屋が十室ほどある。おのおの好きに使うがよい。寝るときにいる麻の敷物は予備があるから、くれてやろうぞ」


 とりあえず荷物を置くこととした。

 まず部屋割りを決める。

 アベルは習慣というか、ほぼ当然のようにイースと同室。

 部屋は八畳ぐらいありそうだった。

 何もないから広く見える。

 窓があって、ボロボロの木の板で塞がれただけ。

 石の床は埃っぽいので掃くか拭うなどしたいが、箒も雑巾もない。

 怪我をした際に使う清潔な布は持っているが使いたくない。

 あとで老人たちに聞こうと思った。


「ワルト。お前も適当な部屋を使っていいぞ」

「荷物の無いおらっちは、前と同じで廊下が落ち着くっちよ。ご主人様の部屋の番をするっち!」

「あ、そう……。まぁ、好きにすればいいさ」


 アベルは刀だけ腰に帯びて老人の所に移動。

 老人たちは食べ物を振る舞ってくれるという。

 全員で建物から出て、傍にある木造の掘っ立て小屋に行く。

 そこが厨房と保存食の貯蔵庫を兼ねていた。


 衛生的にも安全的にも寝床と食料は、このように分けておくべきだ。

 食べ物の臭いを感じ取った魔獣の類が寄ってきたとき、寝ている人間まで襲われる危険を減らすことができる。


 アベルは料理の様子を見る。

 全部で十人の食事を料理するというのは大変なことだ。

 思った通り、いつもの数倍の調理をすることになったリアンとクアンは、慣れてはいても苦労していた。


「僕も手伝いますから」


 アベルは申し出て、見たことのない大きな芋の皮むきなどをやった。

 どうやらタロ芋の類らしい。

 何かの干し肉と共に芋は煮た。

 アベルが味見してみると里芋に似た味であった。


 それから鮭ほどもある大きな魚を干したものを焼く。

 アロエみたいな野菜。

 さらにメチャクチャに酸っぱい柑橘類を用意して料理は完成した。


 器は人数分なかったので、リアンとクアンが土石変形硬化を駆使して、手早く作り上げてくれた。

 こういう時、魔法は本当に便利だ。

 もし魔法が使えなかったら、粘土から素焼きを作るか、木を彫るとかして容器を用意するところから始めなければならない。


 当たり前のようになってしまっている魔法の偉大さを感じるこうした時こそ、アベルは大げさかもしれないが、この世界の不思議を感じる。


 神は信じていないけれど……でも、この異世界にならば、いるかもしれない。

 そんな風に思うのだった。


「この芋、たくさん採れますか」

「いちおう畑はあるがの、そこらにいくらでも自生しておるのじゃ。この島に麦はないのじゃ。芋が穀物の代わりじゃな」


 食卓は無いから、調理場の横で適当に地べたに座って食事となった。

 干した魚は脂がのっていて、かなり美味だった。

 芋は淡白な感じで、変な臭みはなく食べやすい。

 肉は山で獲れる鹿の干し肉らしい。固いが味自体は悪くない。

 今は無いが海藻なども食べるらしい。

 カチェは出てきた食べ物を旺盛に口にした。


「アベル! これ美味しいわ! 魚なんかあんまり食べたことないけれど、こんなにいいものだったのね」

「魚はなんといっても鮮度ですよ。干してもいいのですけれど新鮮なら生でも食べられますね」

「生で!」

「刺身とも言いますけれど。それに醤油とワサビいう調味料があれば、なお良いです。あるわけないけれど」

「ショウユ? なにそれ」

「黒い汁で……豆から作るのですけれど。僕には作れません。どこかにあるのだろうか……」


 食事が終わると、ちょうど正午ごろになった。

 太陽が頂点にある。

 日陰は涼しいが、直射日光は厳しい。

 老人たちが言うには、暑さが辛い正午あたりは昼寝をするものらしい。

 労働はもっぱら朝方に済ませる。

 夕方にまた料理するなり働くなりするらしい。


「イース様。あとで海岸の方へ行きましょう。偵察です。ついでに貝ぐらいだったら獲れそうだし」

「そうだな。海棲魔獣と戦ったことはないから楽しみだ。蜥蜴のバケモノというやつ、興味がある」


 カチェも目を輝かせて言う。


「わたしくも行くっ! 狩りなんかゴブリン以来です! 面白そう!」



 日差しが僅かに緩む。

 クアンとリアンに案内してもらいながら、アベルたちは島を歩く。

 道というものは無い。

 土とゴツゴツした岩肌。

 針葉樹と広葉樹が入り混じった植生の山が見えた。


「わたくし、海を始めて見ます! すごいわっ! なんて大きいの! 果てが見えない……」


 カチェは開けた地形から生まれて初めて海原を見て、感動していた。

 素直な情緒のあらわれ。

 こんな瑞々しい感性の塊のような少女は、やはり敵に包囲された城の中なんかより自由な場所の方が良いとアベルはしみじみと思った。


 流れとしてはこのまま海水浴と行きたいところではあるのだが、そこはこの世界。

 普通にヤバそうな生き物がいた。

 砂浜に図体のデカい生物が、数百頭は居並ぶのが見て取れた。


 こんな光景、見たことがない。

 アベルもカチェも自分たちが全くの異境に放り込まれたのを、はっきりと思い知らされた。


 海岸で巨体を誇っている生き物はワニに似ているが、扇状の背鰭が付いていて、ほとんど恐竜という風情だ。

 大きさは頭から尾っぽの先まで五メートル以上はある。


「げぇ! あんなの、どうやって始末するのですか」

「わしらは魔法を使うだけじゃ。やつら数は多いが、知能の低い下等な生き物。例えば狼のように連携して狩りをするということはないのじゃ……。まぁ、見ておれ」


 老人の片方が詠唱していると、なかなか強力な魔力が感じられた。


「火球熱獄召」


 双子の老人の数メートル先にロペスの背丈ぐらいはある火球が発生。

 火球の色は華々しい黄色をしていた。

 それを海岸の方へ射出する。

 のんびり休息している風の背鰭ワニの一匹に、問答無用で命中させた。


 爆発音は起こらない。

 一瞬だけ背鰭ワニがバタバタと尾を暴れさせたが、すぐに静かになった。

 激しい熱が発生しているらしく、煙と物の焼ける音が上がる。

 火球が消えた後、一匹のローストされた巨大なワニというか恐竜がいるのみだった。

 アベルは思わず質問する。


「見たことの無い魔法です。爆発を伴わない火魔術ですか。代わりに熱が激しい……」

「そういうことじゃ。爆発は瓦礫を飛び散らせる。あれはたいぶ離れていても、案外と破片が飛んできて危ないじゃろう。それゆえ、こうした魔法を使うのじゃ」

「さて、これからが大変なのじゃ。あのせっかく焼いた肉を狙って、他の蜥蜴がやってくるから、蹴散らさねばならん。手伝ってくれろ」


 クアンとリアンの二老人は再び詠唱。

 今度はバスケットボールほどある「炎弾」の大きくなったようなものを出した。


「これは爆発音が大きいものの、威力は大したことない。ちょっと見ておるのじゃ」


 老人たちの詠唱は完成した。


「轟爆娑」という詠唱名の完成をもって魔法は発動。

 二つの大きな炎の塊は海岸の背鰭ワニの中に飛び込み大爆音を立てた。


 驚いたアベルは思わず、うおっと声を上げたほどだ。

 炎弾の爆発音とは比較にならない。


 音に驚いた背鰭ワニが数百匹、慌てて海に飛び込んでいく様子は壮観だった。

 海が激しく沸騰したように沸き立つ。

 老人たちの言う通り、音は派手だったのにそれというほど爆発で飛び散る物もない。


「なるほど! 威嚇に有効な魔術だ!」


 リアンとクアンがアベルを見て言う。


「なんだったら、教えてやってもいいぞ」


 アベルは意外に思う。

 魔術師も武人も基本的に技を教えたりはしない。

 精々、初級の清水生成だとか加熱ぐらいは親切な人なら教えることもあるが、とある階梯を越えると門閥だとか複雑怪奇な掟の関係で、そうは教えて貰えない。

 あとは金だ。

 教えて欲しければ金貨を積めという態度も常識である。


「いいんですか? お金は無いですよ」

「金なんかあってどうするのじゃ。ここでは最も無用なものじゃぞ」

「もう、わしらここで死ぬ運命。いまさら門閥出自のことを言っても益の無いことじゃ」

「さぁ、肉を取りに行こうかのう」


 背鰭ワニは、炭化して真っ黒になっている。

 高熱火球は凄まじい威力だ。


 背鰭ワニの皮はちょっとした皮革製の鎧と同等の硬さである。

 手斧でぶっ叩くと内部は生焼けだった。

 適当に食べられそうな肉を切り取って集める。

 しかし、量がかなりある。切り取るだけでも大変な作業だった。

 一匹を手に入れれば、十人でも数日は肉にありつける。

 全員で一気に解体していく。

 内臓も処理すれば食べられそうであったが、今は肉を優先して集める。

 それからアベルは背鰭ワニがいない隙をついて、波打ち際の砂浜をほじくり返す。


「アベル。なにやっているの?」


 カチェが好奇心旺盛といった様子で聞いてきた。


「貝を獲っているのです」

「貝? ああ、あの……カタツムリみたいな」

「まぁ、ちょっと近いかな」


 二人でほじっていると、蛤みたいなやつがゴロゴロといくらでも獲れた。

 それからシャコというか海老っぽいのもいる。

 獲物を老人から借りた革製の袋に放り込む。

 早くも、海の様子が怪しい。

 海上に背鰭ワニの顔がのぞいていて、こちらを狙っている気配がする。


「もう離れた方がいいのう」

「まとまって襲われると面倒じゃ」


 ところがイースは老人の忠告を無視して、むしろ波の打ち寄せる方へ歩いていく。

 剣を抜いている。

 背鰭ワニの一匹が、全身をくねらせて泳いできた。

 波打ち際でも俊敏に四足を操り、イースへ突き進んでいく。

 獰猛な様子そのままに襲い掛かってきた。


 イースは巨大な咢を跳躍してかわすと、剣の切っ先を背鰭ワニの頭にぶちこんだ。

 頭部にバックリと斬り込む。

 硬いはずの皮をものともせずに巨大な傷口が開いた。

 だが、強靭な生命力を持った背鰭ワニは頭蓋に深い傷を負っているにも関わらず、バタバタと激しく暴れる。

 振り回される尾に衝突したら大怪我は間違いない。

 イースは数度にわたって背鰭ワニの喉や首を斬りつけて、始末した。

 だが、あらかた切断されたにもかかわらず頭部は瞬きをしたり、ぞろりと揃った鋭い牙が伸びている咢を開け閉めしているので、完全に死んだわけではない。

 寒気がするような生命力だ。


 海から数十匹の背鰭ワニが這い上がってきた。

 それでもイースは退かない。


「イース様? どうしたんですか! 逃げないと」

「いや、私は今日、戦いたい気分だ。アベル、お前は戻っていろ」

「えっ?」


 イースは猛然と波打ち際を進み、いきなり背鰭ワニに飛びかかった。

 今度はコツを掴んだのか一刀で背鰭ワニの延髄を切断した。

 さらに次なる獲物を求めて波打ち際を駆ける。


「イース様! なんのスイッチが入ったんすか! 危ないですよっ」


 イースは答えず背鰭ワニとの戦闘を続ける。

 ロペスが斧の付いた槍、ハルバートを高く掲げる。


「うおおぉぉおぉぉぉ!」


 雄叫びを挙げて、イースと同じように突っ込んでいった。

 それからハルバートを渾身の力で振り下ろす。

 グシャリと骨が圧潰した鈍い音。

 背鰭ワニの頭蓋が、完全に砕ける。

 ガトゥが楽しそうに叫んだ。


「俺もやるぜ!」


 たちまち、うっ憤晴らしの闘争が始まる。

 血の臭いに寄せられて背鰭ワニが無数に寄ってきた。

 リアンとクアンが慄き、声を上げる。


「なんという乱暴者どもじゃ」

「ええい。これだから武人というのは始末におえん」

「魔獣より恐ろしいわい!」


 カチェが触発されたというより、もともとそういう性格だから自分も負けてはならないとばかりに刀を抜き、突撃を始めた。


「でやああぁああぁ!」


 アベルは仕方なく、その後ろに続く。

 イースなら万が一にも背鰭ワニごときにやられることはないだろうが、カチェはどうしても心配になってしまう。


「がぁああぁぁあ!」


 アベルのヤケッパチになった絶叫が南海に響く。

 ワルトが面白がって遠吠えを合わせた。

 二老人とモーンケやカザルスは、逃げるように海岸とは逆方向へ走っていく。




 結局、夕方まで魔獣を相手にした憂さ晴らしは続いた。

 おそらく、百匹ぐらいは殺している。

 海岸は背鰭ワニの死体、流れ出した血で満ちた。

 壮絶な光景だった。

 どこからか禿鷹のような、かなり大きな猛禽類が飛来して死体を啄む。

 アベルは屍の連なりを見て呆れ呟く。


「環境保護団体が見たら怒りで絶叫するよ……」


 肉の回収なんか、もちろん出来ないので死体はそのままにして仮住まいに戻る。

 ロペスなどはハルバートの先端に刈り取った背鰭ワニの首を突き刺してご満悦だった。


 大陸に沈む夕焼けが、異様なほど美しい。

 光の残滓が、雲の端を紅色や黄金色に輝かせていた。

 カチェが切なげに落日を見詰める。


「ハイワンドはどうなったのかしら。皆は無事に逃げ出せたの……? そして皇帝国はどうなってしまうのかしら」




 アベルは忙しい。

 なにしろ料理など、する気もないし出来もしない面々ばかりだ。

 ひとつ恐ろしいことに気が付く。


「待てよ! 爺さんに作らせるのも悪いから、これからは僕一人で全員の料理を作るの? あの大食らいどもの飯を一日三回……マジでかよ……」


 ところが気を利かせたカザルスとカチェが来て言う。


「ボクも手伝うよ。学生時代は一人暮らしだったから多少は料理できるぞぉ」

「わたくしもやってみるわ。これからは自分で何でもやらなくてはなりませんから」


 メインはもちろん、乱獲に乱獲を重ねた背鰭ワニ。

 これが、なかなか美味い。

 適度に脂の乗った鶏肉といった感じだ。

 それからアベルは蛤を煮てスープのようなものを作った。

 上品な旨味のある吸い物になった。

 アイラからは野菜を食べないと体を壊すと何度も教えられたから、野草から食べられるものを見つけ出してスープに入れる。

 例のタロイモを蒸して皿に盛り、皆に提供する。

 早飯猛者ばかりなのでアベルたちが苦労して作った料理は、あっという間になくなった。


 陽が沈むと、星月夜が空に広がる。

 カチェは飛び散った宝石のような綺羅星の輝きを見詰めて、価値観が変わりつつある自覚を持つ。


 たった一日の体験だが、これまでの人生全てより濃厚だった。

 朝、敵の総攻撃があった。

 城壁が崩されて、騎士団は本城に逃げ込んだ。

 地下道からスタルフォンやケイファードたちは逃げだして、自分たちは決死の攻撃をするつもりで飛行魔道具に乗った。

 生まれてからずっと住んでいた城は爆発で吹き飛び、崩れてしまった。

 飛行魔道具が実際は制御不能と知らされて、死を覚悟したこと。

 アベルが抱えて助けてくれようとして……。


 死ぬ気で、相討ちを狙ってでも王道国リキメル王子と戦おうと決意していたのに、今は東の果てにいた。

 珍しい料理を食べて、星空を眺め、隣にはアベルがいる。

 現実が転変してしまった。


 はっきり分かったのは自分の人生がどうあろうと皇帝国がどうなろうと、自然はそこにあるがまま……ということだ。


「死なずに済んでよかったな、でも、お前が死んでも生きても、そんなことは自然には関係ないんだよ」


 カチェは何かから、そう言われているような気がした……。








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