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獣の見た夢  作者: MAKI


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アベルの試練

 




「うわ~。すげぇ」

「アベル! 見て見て! あんなに騎士がいるわ……」


 アベルたちは圧倒されるような光景を目にしていた。

 見渡す限り、軍隊にまつわる人間が犇めいている。

 人が多すぎて、実際どれぐらいなのか分からなかった。

 数万人……だろうか。


 兵士や従者のような戦闘員だけでなく、荷物を持って移動する労務者も多くいる。

 それから商人。背中に冑や剣を山のように背負っていた。

 低質な武器が、おそらく相場の五倍や十倍以上の値段だろう。


 また、どう見ても雑役を生業とする婦人ではない艶っぽい女たちが歩いているところにも出くわす。

 一様に派手な柄の服を着ていて、スリットの入ったスカートから太腿が覗いている。

 そうした女たちは兵士が口笛を吹いて囃し立てると、色気のある笑みを返すのだった。

 従軍娼婦。

 軍隊の移動するところ、必ず居る女たちだ。


 それから、やはり目を引くのは騎乗した者たちだ。

 騎士の煌びやかなこと、噂に聞いていた以上だった。

 領内の活動と違って戦場では目立たなければならないから、騎士は飾毛や奇抜なデザインの変わり冑、あるいは幟で存在をあらん限り誇示している。

 馬衣も凝りに凝った意匠で作られ、それぞれが個性を放っていた。

 そんな派手派手しい騎士たちが、そこらじゅうで数十騎の連隊をいくつも形成して駆け巡っている。

 その様子は壮観としか言いようがない。


 アベルたちは人の群れの中に入っていく。

 警備の兵士はいたがハイワンドの家紋、軍旗があるので掲げていれば何も言われなかった。

 しかし、犯罪者でも捜索しているのか、皇帝親衛軍の装備をした兵士や将校が人相書きを手にしていた。

 アベルは気になって聞いてみる。賊なら厄介だ。


「あの~。誰かをお探しですか」

「ああ。占い師を探している」

「占い師?」

「そうだ。コンラート皇子の信任あるお方だったのだが、混乱のさなか行方不明になられてしまった。皇子は大層心配されておる」

 

 アベルは人相書きを見せてもらう。 

 なかなかリアルな肖像画だった。

 唇が厚く、瞳の大きい色っぽい女の人が描いてある。

 年齢は三十歳ぐらい。

 それって逃げたんじゃねぇの、とアベルは思ったのだが黙っていた。

 いずれにせよコンラート皇子が占い好きというのは本当だったわけだ。




 さらに移動をして眼前には伯爵盟軍の軍勢が野営していた。

 参じている伯爵家は十五家に及ぶ、大軍団であった。

 伝え聞いたところ、戦闘員三万人だという。

 人が多すぎて、もし実数とは異なっていても分からない。

 アベルはこれで負けたと言われても、いまいちそういう感じはしなかった。


 アベルはカザルスが持ってきた望遠鏡で様子を見てみる。

 少し離れた場所で野戦陣地を建築中の大集団があり、そちらは皇帝親衛軍の一万五千人らしい。

 雑役夫や人足たちが列を作って堀を作り、木柵を巡らせている。


 王道国の主戦力は第一王子イエルリングの軍団だったという。

 イエルリングはハイワンドより南にあるベルギンフォン公爵領の攻略に向かっているらしい。

 皇帝親衛軍の大部分と、公爵連合軍はそちらの防衛に向かっていた。


 このハイワンドを目標に国境へ接近しているのが、第二王子リキメルにガイアケロン王子とハーディア王女の軍勢だった。

 リキメルは約四万人。ガイアケロンとハーディアは一万三千人ほどの人数だという情報が、隅々まで行き渡っていた。


 アベルには規模が大きすぎる話しで、どうにも実感というものが湧かない。

 どちらが優勢なのか、よく分からなかった。


 皇帝軍はコンラート皇子というのが総大将なのだが、どうも評判が悪いのだった。

 アベルは前世で働いていたブラック企業を思い出した。

 どうしようもないバカが重役になるなんてことが、一族経営の会社ではよくあった。

 要するに社長の息子、娘ななどという理由で能力もないのに判断者の立場に就いてしまうのだ。

 もう、そうなると最低である。

 判断力がないから愚かな決定をするし、部下が四苦八苦してミスをカバーしても感謝など、まるでしない。

 部下の苦労などは見てもないか、知っていたとしても当然だとか、自分が正しいと思い込んでいるものだった。


――いくら部下が頑張っても全部を無駄にする三代目のバカ息子が

  のさばっていた会社があったな。

  そういえば皇帝国って何代目だっけなぁ……。


「カチェ様。皇帝国はウェルス皇帝陛下で何代でしたっけ?」

「畏れ多く偉大なことに、皇帝国の治世は五十八代目よ」


 がっくりきた。

 こりゃダメかもと思う……。




 アベルたち一行はほどなくして大鷲が毒蛇を掴む意匠の大旗を見つけた。

 ハイワンド騎士団に間違いない。

 中央の陣幕へ近づく。

 衛兵が、ぐるりと周囲を守っていたが警護の騎士は儀典長騎士スタルフォンやカチェを見知っているので、すぐに面会が叶った。


 ワルトとカザルス以外は全員、陣幕へと入っていく。

 アベルは最後尾を足取りも重く歩く。


――ああ、やだなぁ。

  おれ、あのベルルって叔父さん苦手なんだよな……。


 陣幕の中にはベルル本人と先行していたロペスがいた。

 アベルはベルル団長の顔をそっと見る。

 叔父にあたる男。

 一度しか会ったことがない。

 でも、凄く嫌われていた。

 父ウォルターと顔つきそのものは似てはいる……が、受ける印象はまるで逆だ。

 ウォルターの持っているような優しさや大らかさはどこにもない。

 ベルルにあるのは人を容易につけ込ませない、厳しさ、冷徹さだった。

 カチェが歩み寄り、貴族の礼をするとベルルが意外そうな顔をした。


「カチェか……。久しぶりだな。お前までも来たのか」

「はい! 父上。長いことお顔を見ることも叶いませんでした。このカチェ、ハイワンドの危機とあって後方で休むことなどできません。この時のために剣と魔法を学びました。どうか軍陣に加えてください」

「ふん。こんな所まで出張ってくるお前を追い返すのは無理らしいな。まぁ、せいぜい捕虜にならないように後ろで見ていろ。しかし……ガトゥやイースはまだしも、あいつの息子までいるのは何故だ……?」


 あいつの息子というのはアベルに決まっていた。

 アベルを見るベルルは、露骨に嫌そうな顔をしている。


「お前……。何をしに来た。臆病者の息子は呼んでいないが」


 アベルは一歩前に出で、一礼した。


「ベルル団長。このアベル・レイも戦いに参加させてください」

「アベルよ。俺はお前の父親ウォルターを認めることはできない。よってお前の姿も見たくない。我が軍陣に加えるわけにはいかないな」


 カチェが信じられないという顔をしていた。

 仲が悪いことは知っていても、ここまで明確に拒絶するとは考えていなかったのだろう。


「ベルル団長。僕は父から一度だけ仲違いの経緯を聞いたことがあります。ベルル団長が重傷を負ったときに禁断の魔法、自己生命抽出を使うように命じたと。僕の父上はそれを断って、出奔した……」

「逃亡だ。戦士として最も恥ずべき行為だ」

「でも、使わずともベルル団長は無事でした。父は間違っていないのではないですか?」


 いっそう険を含ませた表情のベルルは睨みつけてくる。

 その視線の激しさにカチェは驚き拳を握った。

 父親の態度は敵を前にしたような憎しみすら含んでいた。


「そうじゃない! 俺はあのとき、あいつが魔法を使えば本当に一門衆として認めても良いと思っていたぞ。しかし、あいつは逃げた。いざとなって口とは違う行動を取る奴ら……何度、裏切られたか分からない! あいつもその手の奴だ」


 ベルルは悔しさのあまり唇を噛んでいる。

 どうもベルルは立場上、人に背かれた経験が多いようだ。

 戦闘集団では色々なことがあるだろうなとアベルは想像する。

 顔や言動を見る限り、このタイプは説得が不可能だ。

 やってみせた者しか信用しない、という感じだった。


「アベル。お前はポルトに帰れ。なんだったら親の所まで逃げてもいいぞ。顔も見たくない」


 ベルルは冷たく言い放った。

 ここで呑んでしまえばイースとガトゥ、カチェとも離れ離れになってしまう。

 特にこんな形でイースと別れるなどあり得ない。


――おれにはイースが必要だ。

  退くわけにはいかない!


「では、戦いで証を立てれば認めていただけますか」

「お前が戦うというのか。どこで? まさかカチェの背中でか」

「イース様と共にです。イース様なら最前線へ飛び込んでいくことでしょう。僕もきっと武功を立ててみせます」


 答えは無い。

 ベルルは、しばし考え込んだ後、何かを思いついた顔をした。


「それなら調度よく名誉ある立場があるぞ。死に番がいい」

「死に番ってなんですか?」


――なにそれ。言葉の響きからしてヤバイじゃねぇかよ……。


「部隊は通常、戦列を形成する。だが、最前列のさらに前へ、単独で散兵を配置することがある。敵からすれば一人で近づいてくるから目立つわけだ。当たり前だが、攻撃が集中する。ところが、そのおかげで後方の戦列本隊の被害は減るわけだ。……しかし、死に番は言葉通り、死ぬことが多い」


 ベルルが嘲りを含めて、にやりと笑った。


「今度の戦いは国土を守る決戦という以上にハイワンドのための戦いだ。他家に無様な所は絶対に見せられないのだ! よって既に二名の死に番を志願してもらった。そういうことがお前にできるのか、と聞いている。舌は動いても体が動かない奴ばかりだ……」


 出来はすまいとばかりに侮蔑の顔をするベルル。


――やらなければ、追い返されるな。

  それどころか、この流れだとクビかも……。

  あり得る。


 冷や汗が出てきた。

 だが、考えても意味はない。

 アベルが答える直前、イースが声を上げた。


「ベルル団長。騎士イース・アークからお願いの儀があります。死に番でしたら、私に申し付けください。私ならば最大限、敵の攻撃を引き付けられるでしょう」

「イース……。お前では駄目だ」

「何故ですか。ぜひ、私にやらせてください。お役目、きっと果たします」


 イースは珍しく、重ねて頼み込む。

 物事に淡泊な彼女らしくない態度だった。


「……皇帝国は近いうちに、またさらに亜人を排除する法律を作る。詳しい内容までは知らないが……、しかし、そういうわけだから名誉職にお前を配置できない。たとえ混血でも亜人の気配が濃いお前にハイワンドが救われたとあっては……具合が悪い」


 イースは無表情で沈黙した。

 アベルは怒りが込み上げて来る。

 自分がバカにされるよりも、腹が立つ。

 イースがどれだけ働いたと思っているのだろう。

 誰もが嫌う、地味で危険な賊退治を一人でずっと続けてきた。

 同僚の騎士たちからも黙殺されて。

 その才能も気高い心も、亜人の混血というだけで認めない。

 本当に皇帝国とは、つまらない国だ……。


 次にガトゥが、さらに後を継いで申し出る。


「なら、このガトゥめが役目を頂戴したくあります。アベルは俺の部下なので、このような晴れ舞台を任せるわけにはいきません」

「待ってください、ガトゥ様。それには及びません。ベルル団長は僕にと指名です。僕が受けます」


 カチェが小さく呻く。

 抗議の声を上げそうだったのでアベルはそれを制した。


「今やらなければ、ここで僕だけ帰ることになります。それだけは嫌だ」

「けれどアベル! 死に番なんかやったら無事では済まないかも!」

「それは、みんな同じことです。立場が重くても低くても、どこであっても戦場とはそうしたものです」


 だが、カチェは誰もが威圧されてしまうような鋭い輝きを瞳に灯して前に出た。

 アベルはあの目をしたカチェが引き下がらないのを知っている。

 父親であるベルル団長の前に歩み寄る。


「お父様! 死に番というのは特に忠義心ある老兵に勤めさせるのが通例と聞いたことがあります。死に花を咲かせたい者への名誉職だと! それなのになぜアベルなんですか? ウォルター・レイとの確執が原因なら八つ当たりではないですか!」


 いっそう冷たい視線をしたベルルは腕を振り上げると、カチェの頬を平手で張り飛ばした。

 バチンという弾けた音がする。

 かなり強い張り手でカチェがよろけて膝をつく。

 しかし、なお無言のまま父親を睨み返していた。

 久々の再会をした娘へ、父が怒鳴り声を上げた。


「お前に何が分かる! 戦では裏切り者ばかりだ! 逃げ出す傭兵ども。兵士ども! 果ては騎士まで! 俺は口だけの者を絶対に信用しない。そいつが死に番をやり果せたら、それで認めてやる。ハイワンドの一門に加えてもいいぐらいだ。しかし、やらないのなら消え失せろ! さぁ、俺は忙しい。陣幕から出ていけっ」


 アベルはカチェを引き摺るようにして、幕外へ出ていった。

 カチェはうっすら涙を目に溜めている。


 誰も何も喋らなかった。

 割り当てられた場所に野営を作って、とりあえず食事の準備をする。

 なにしろ戦場では食べられるときに食べておかないと、次の機会はいつ巡って来るのか分からない。

 アベルは大麦のお粥に肉を入れたもの、チーズと焼締めたパンなどを用意する。

 カチェは雑用を黙って手伝うようになっているので用意はすぐに終わった。

 いつもと変わらない様子でガトゥは穏やかに言う。


「戦場では流れ矢で呆気なく死ぬ奴もいる。どうして死ななかったのか不思議な奴もずいぶん見てきた……。気休めで適当なこと言っているわけじゃないぜ」


 様子の変わらないイースも頷いた。


「アベルならば魔法もある。矢など逸らせられる。要は敵戦列の前で戦い抜くだけ

だ。敵は単独兵に対して戦列をやすやすとは崩さない。それに矢とて無尽蔵にあるわけではないから、当たりにくい散兵への浪費を嫌うだろう。たぶん、矢で殺せないとなれば数人の兵士を送り込んでくるはずだ。それをしばらく耐えれば、我々が追い付く……。アベルは多対一の戦い方を身につけている。これまでの賊退治でも複数の敵を一人でいなしたことがあった」

「敵が戦列を進めてきたら、どうするのですか?」

「その時は距離を保ちつつ後ずさりすればいい。死に番は敵の攻撃や注目を吸収するのが目的だ。死ぬのが役目ではない」


 カチェが馬車から何かを持ってきた。

 それは長方形をした大型の盾だった。

 アベルが身を少し屈めれば全身が隠れるような代物である。

 内側に革ベルトがあって、前腕に固定するようになっていた。

 取っ手もあり、空いた方の手でそこを掴むことができる構造だった。

 底部に杭がついている。地面に刺して固定するのに使うものだ。


「これ、名品なのよ。全部、薄くても頑丈な鋼鉄で作られているの。普通、盾を鋼鉄で作ると値が張るから板に革を張り付けた楯が多いでしょ……。これ、アベルにあげる。使って」

「いいんですか。戦場のことだから無くしてしまうこともありますよ」

「アベルが怪我しなければ、それでいいわよ」


 その後も、カチェが何かと世話を焼いてくれるのでアベルは驚いた。

 むしろ、ちょっと不気味なぐらいだった。

 カチェには我儘を言われ続けたせいで、むしろそうでないと物足りない気がしてしまうから不思議だ。


 やがて、草原に夜が来る。

 軍陣は夜でも騒がしい。

 ガトゥとスタルフォンは情報収集に出かけた。

 ベルルの陣幕には篝火が焚かれている。

 ひっきりなしに人が出入りしていた。

 アベルがぼんやり見ていると、ベルルとロペスが十人ぐらいの供を連れてどこかへ馬に乗って出かけた。

 急な軍議でもあるのかもしれない。

 しばらくしてガトゥが戻ってきた。


「色々、話しを聞いてきたぜ。明日か明後日に王道国が軍陣を整えてきそうだ」

「そっか……。急いでよかった。間に合ったんですね。なぁワルト。頼みがある」

「なんだっちか。ご主人様」

「カザルス先生は戦場に慣れていない。戦闘が始まったら、カザルス先生の援護を頼む」

「命令ならそうするだっち」

「アベル君……。その……役に立たなくてすまない」

「カザルス先生は最後の切り札ですよ」


 アベルは口ではそう言ったが、本気で切り札にしようとは思っていなかった。

 そんな絶妙のタイミングで強力な攻撃魔法を発動するのはかなり難しい。

 いくら魔力が強力でも戦闘慣れしていなければ素人と大差ないのだ。


 しかし、カザルスには感謝している。

 荷物運びから警戒などで仲間は多い方がいいに決まっていた。

 でも、下手なやつを仲間にしてしまうと貴重品を盗まれて逃げられることもあるので、誰でもいいというわけではないのだ……。


 陣の中にいるから不寝番を立てる必要もないので、アベルはさっさと横になってしまう。

 星空を見上げながら妙な具合になったな、と感じる。

 前世なら……ブラック会社で働いていた時、もう限界だと感じたらさっさと辞めていた。

 怒鳴りつけられて、恥を知れとかどれだけ迷惑かけるつもりだとか、辞めるなら損害賠償をしろとか、後任の人材を見つけて来るまで辞めるななどと言われたものだ。

 そういう時には法律違反の恐喝だと伝えて、淡々と辞職した。

 仕事は生きるためにやっているのであって、社長のために死にたくて働いているわけではないのだ。

 そんな当たり前のことも分からない強欲経営者は、さっさとくたばれ。

 ところが今生、とうとう命懸けで戦うことになっている。

 尊敬するウォルターは嫌になったら辞めていいと言っていたではないか。

 

 それなのに、なぜ……。

 他人のために命がけで戦うなどという行為から最も遠いはずの自分が……。

 心の中の衝動が戦いを求めている気がする。

 そして、なによりイースだ。

 イースの存在が逃亡を許さなかった。

 イースは過保護ではないが、いつも大事な部分では助けてくれた。

 ここで別れてしまえば、大切なものを失う気がする。

 命よりも大事なもの。

 だから離れられない……。



 カチェは横になったアベルを黙って見ていた。

 胸の内は嵐のようだった。

 なぜ父親がアベルをそこまで嫌うのか理由が分からない。

 アベルが死ぬはずないと思うそばから、不安の波が打ち寄せる。

 初陣がこれなんて、あんまりだ。

 想像ではアベルと二人、騎馬突撃に加わって戦功を挙げるはずだった。

 活躍すればアベルは騎士になれるかもしれない。

 そうしたら自分の側仕えになってもらう。

 ずっとアベルと一緒にいられる……。


 あまりにも現実は別であった。

 カチェは眩暈がするほど悩む。

 そして自分を責める。

 自分の考えが甘かったのだ。

 そこまで父親とウォルター・レイの関係が悪かったとは知らなかった。

 人間関係の落とし穴……。

 それなのに安易にアベルを巻き込んでしまった。

 せめて祖父に手紙で仲介を依頼して、具体的な扱いを決めておいてもらうべきだった。

 後悔しても遅かった。

 カチェは鎧を磨いているイースに聞いた。


「イース。アベルは無事に済むわよね」

「はい。無事どころか手柄を立てるでしょう、きっと」


 イースの短い、確信に満ちた返答だった。

 少し気持ちが落ち着いた。

 だが、それでも眠れない夜は恐ろしく長く、夜明けはいつになっても来なかった。





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