シャーレの旅立ち
帰郷した翌日の朝、アベルは一人で村長の家へ行く。
手紙では伝えてあるが会った上でリックのことを説明したかった。
騎士と引き合わせる直前に彼が兵士になったこと、今も帰還兵に消息を聞き回っているが動向は不明であると。
歩いてすぐの村長の家。扉をノックした。
中からリックに良く似た、彼のお兄さんが出て来る。
「ああ。ウォルター様のご子息、アベル様。お帰りでしたか」
「あの。村長様をお願いできますか」
「リックのことなら気にしなくていいですよ。あのバカ。身の程知らずに村を出て行って、行方知れずだって……」
「そのことなんですけれど中央平原に出陣した部隊って、常に移動していて連絡をとるのが難しいんです。特に下級兵士は難しいみたいで」
リックのお兄さんは、諦め気味に首を振った。
「父さん! アベル様が来てくれたよ!」
奥から出てきた年齢五十歳ほどの村長はアベルの説明に頷いて、何も言わなかった。
静かな眼差しに諦念が認められるだけだ。
なんだか息子の死をすでに覚悟している風にも感じられる。
農家の次男以下は奉公に出され、そのまま故郷に二度と戻らない者が珍しくない。
はっきりとした生死は不明で、ふらっと出稼ぎ先から姿を消して、それっきりという事は当たり前の世の中だ。
アベルは短い会話以上のことは何も言えなかった。
気の利いた慰めなんか思いつきもしない。
そのまま家に戻るとする……。
その日の昼の事だった。
ウォルターとドロテアがシャーレを連れてやってきた。
何やら普段と雰囲気が違う。
「アベル。実はちょっと頼みがある」
「はい。父上」
「シャーレ君のことだ。シャーレ君は実に見どころがあるぞ。魔法も火魔術と水魔術の初級が使えるし、賢さもある。なにより素晴らしくやる気があるな。
場所さえ良ければ、さらに成長する。だから、ポルトで薬師として本格的に修行させようと前々から相談してあった」
「なるほど……」
「うちで修行させるにも限界がある。アイラは薬師としても看護婦としても、かなりの腕なんだけれどな。とはいえ田舎だとどうしても情報や技術が古くなりがちだ。
医学の最先端は帝都の医学院だが、あそこは敷居が高い。いきなり行って入学というのは無理だ。そこで、とりあえず数年はポルトで修行させようと思う」
「はい」
「ハイワンド家がお抱えにしている薬師に手紙を出したところ、良い返事がきている。俺も面識がある人で、堅物だが確かな男だ。アベル、帰りにシャーレを連れて行ってやってほしい」
「あ~。僕、何となくお城で見覚えがあるかも、その薬師の方。白髪混じりの五十歳ぐらいの人では」
「俺はハイワンド騎士団にいた頃の姿しか知らない。でも、それぐらいの歳だ。名前はエリック・ダンヒルという……薬師だけではなくて、診察術や縫合術にも長けた人だ。俺も短期間だが診察術を習ったことがある。師とするのに相応しい方だ」
ドロテアがやたらと気合いを入れて言った。
「シャーレだったら、きっと優秀な薬師になるからね。看護婦としても良く働くわ。これでアベルが騎士様になって治療院を開けば、お似合いの二人よ。間違いないわ!」
冗談を言っている気配ではなかった。
ドロテアは丸っきり本気だ。
笑っていたけれど、目が怖い。
アベルに向けられた視線に執念が漲っている。
シャーレは恥ずかしそうに顔を赤くさせて俯いていた。
――おいおい。マジか。
まぁ、仮に結婚ってことになれば貴族と縁戚関係に
なれるわけだしな……。
ドロテアにしてみりゃ、いいことなんだろうけど。
どうやら帰郷を促したのは、シャーレの件もあっての事らしかった。
アベルは、なんとなく納得する。
もちろん結婚の約束なんか出来ないので、アベルは笑って誤魔化すしかなかったけれど。
結婚うんぬんは置いておくとしてシャーレのような有望な娘が機会を得られるならば、これほど素晴らしいことはない。
アベルは今日一日ゆっくりして、明日には騎士団に戻るつもりだと両親に伝える。
シャーレは旅支度を以前から進めていたので問題はないということだった。
彼女にとっては人生を左右する重大な話なのだが、相談はそれで済んでしまった。
ウォルターとアイラは今日も仕事がある。
怪我人や病気に休日はない。みな、診療所で忙しく働きだした。
再び家でイースと二人きりになった。
やることは特に何もない。
「イース様。暇な思いをさせています」
「そんなことはない。この家にいるだけで、心地よい。不思議だ」
「以前、カイザンでイース様の家に泊めてもらいました。その、正直に言って寂しい家でしたね」
「そうか……。考えたこともなかった。あの家は寂しかったのか」
「僕も、こういう家に生まれていなければ気づかなかったはずです」
前世の俺のまんまではな、とアベルは心で付け加えた。
イースは赤い瞳を向けてきた。
「いつか、私の家族、父様や祖父様、母様のことを教えてやろう。でも今はまだアベルに言いたくはない」
アベルはイースの表情を見た。
いつもの冷然とした雰囲気とは、少し異なっている気がした。
三年もの間、ずっと一緒にいるから察することのできた僅かな変化だった。
――イースのような者にも肉親への葛藤があるのかな……?
不思議に思うばかりだった。
平穏に時間は過ぎて夕食を食べ終わり、イースは早々に診療所で寝に着いた。
そろそろ自分も寝ようかと思っていたアベルはウォルターとアイラに手招きされる。
「どうしたんですか?」
「いや、あのな。ちょっと驚いたんだが……イース殿のことだ」
「はい」
「別に俺らはさ、亜人界を旅したぐらいだから亜人と人間族の夫婦なんか、いくらでも見てきたしよ。とくに森人族なんか、可愛らしいのがいるから人間族でも好きになることはあるんだよな。森人族の女ってのはさ、大抵がちょっと背が低くて、少女らしい体型のまま大人になるしよ……ま、ほんと。あれはあれでいいもんだぜ」
アイラが、じろっとウォルターに視線を飛ばす。
かなり怖い顔だ。
ウォルターが慌てて言葉を切った。
――森人族の女性はロリ体型?
「はぁ、何の話ですか」
「いや、だから。その……アベルがイース殿を慕っている様子だからな。だけれど従者と主人というのは、疑似的な恋人って感じになりがちだけれど、もうちょっと頭冷やせよって意見もあるわけだ」
「え~と……。ちょっと良く分からないのですけれど、誤解だと思いますよ。僕はイース様を女性として好きになっているつもりはないです」
アイラとウォルターが顔を見合わせる。
二人して首を傾げた。
「そういう風にも見えたけれどなぁ」
「そうよ。見えたわ」
「……違うと思います」
アベルは内心、複雑な気持ちだった。
イースの精神……決して誰も憎むことなく、恨むこともなく、何に対しても怯まない。
完全無欠、不動不壊のようにしか感じられない。
そこに、ある種の清らかさを感じている。
だが、俺は何か幻でも見ているのだろうかと己へ反問することもあった。
とすればイースを好意と憧れで祭り上げているのだろうか。
どちらにしろ単純な恋愛感情とは……違うだろう。たぶん。
だいたい根本的な問題として、自分が女性をまともに愛せるのかという疑問もあった。
――俺のような、どこか愛に怯みを感じている男が……。
女性とどう愛し合うというのだろう?
ウォルターが、くだけた調子で言った。
「まぁ、仲が悪いよりはいいさ。俺みたいに主家と仲違いして最後は逃げだす破目になるってこともある。主従関係ってのは難しいもんだ。なかなか割り切れないしな。普段はすげえ仲が悪いけれど敵とは協力して戦う騎士と従者もいるんだよな」
アイラが本気の眼つきで言った。
「シャーレがいいわよ。あの子だったら素直だし、ドロテアより美人になるわ」
アベルは、ドロテアとアイラの同盟関係を感じた。
相当に強固な同盟だろう。
ドロテアだって働き者でアイラと気が合っているし。
――これは、この同盟連合には敵わんかもしれんね……。
アベルは作り笑いの表情のまま固まった。
母はさらに言葉を続ける。
「旅の間でも向こうでも色々と機会はあるでしょう。いいえ、むしろ積極的に作るべきです。たまの休みは人気のない森に行くのがいいでしょう。
そして、手を出したら責任なんだよっ。男なら!」
アベルは目を見開いてアイラの言葉を反芻した。
男と責任……。
組み合わせてみるとあまりにも重たい単語だ。
ウォルターもアベルと同じ顔をしていた。
「はい。母上……」
アベルは生気の抜けたような返事をするしかなかった。
そんな風に帰郷の夜は更けていった。
~~~~~
翌朝。
シャーレは地味な感じの麻の上下に外套という標準的な旅装で現れた。
舗装されていない土の道などを移動すれば、かなり激しく汚れるものだから別にお洒落はしなくていい。それでいいのである。
ひとつ問題があって馬にはアベルと二人乗りしなければならない。
ちょっと練習で乗せてみようと思ったのだが、シャーレは乗馬に関しては全く素人で、そもそも鞍に跨るまでが大変だった。
鐙に片足を入れて一気に鞍へ登るのであるが、このとき馬と意志疎通しながら乗らないと嫌がられる。
ハヤテはかなり賢い馬だが性格が悪い馬だと乗るのが下手な時点で嫌がって振り落とそうとしてくる。
馬の身になってみれば当然かもしれないが……。
なにしろ、ただでさえも人間を乗せて歩く義理など無いというのに、そのうえ乗るのは下手で重たいとくれば馬も嫌になるだろう。
アベルはシャーレのおしりと腰を支えて鞍の上へ押し出した。
女の子の体は柔らかいのである。
おしりを鷲掴みにするとそれが良く分かる。
シャーレは「あっ」とか「きゃっ」とか言っていた。
これは別に、いやらしい気持ちでやっているわけではないのだ……。
思わず柔らかい、指先がどこまでも沈んでいきそうな感覚に笑顔になってしまうのだが。
そう思っていたアベルだが、背後に妙な気配を感じた。
ハッと慌てて振り返ると、いつの間にかドロテアとアイラがいた。
二人とも笑ってはいたけれど、じりじりと焦げるほど熱い気合を込めた視線だった。
見逃さないぞって感じだ。
――こわっ!
「馬の背中って、けっこう高いね! 怖いかも!」
いや、怖いのは俺の方だよ……アベルは心底そう思う。
そうしてしばらく練習をするとハヤテもシャーレも慣れてきた。
いよいよ出発の時である。
アベルはアイラとウォルターに向き合った。
「それでは行ってきます」
「次はまた、一年後ぐらいに帰ってきなさい。嫌になったら辞めて帰ってきてもいいぞ。人生なんかいくらでも、何とでもなる」
アイラは短く、待っているわ、とだけ言った。
アベルの核にいる男は、こういう時に何を言うべきか分からない。
思いつきもしない。
だから、黙って頷いて馬を進めた。
シャーレの家の前では父親アンガスが、やや涙目になりながら娘を送り出した。
他に子供はいないから、大事な一人娘だ。
それでも過保護にしないで、とにかく外に出してみる決断をしたのは親としても強い決意あってのことだろう。
ゆっくりとハヤテを歩かせた。
イースは黙って合わせてくれる。
それにナナも賢い馬だからハヤテから離れるような動きはしない。
シャーレはテナナ集落から出たことがないから、通過する宿場町の荒れた気配に怯えていた。
無理もない。
顔が古傷だらけの、傭兵とも用心棒とも見分けのつかない男たちの集団が行き来している。
それは樵や農民とは明らかに人間の質が違う。
どことなく荒んでいて、殺人や放火などを躊躇うことなく実行する狂暴さが滲み出ている。
シャーレも怖がるというものだ。
ハイワンド領は中央平原と接続領域にあるから、戦の気配がこういう人の往来で伝わってくる。
シャーレは田舎のテナナでは感じ得ない戦争の雰囲気を知って、かなり驚いていた。
馬でゆっくり進むから急げば三日のところ、四日間でポルトに着いた。
シャーレはポルトの人の多さに圧倒されている。
道行く人の服装はテナナではあり得ないようなものだ。
歩いている女性の中には、どういう職業であるのか、かなり薄着の人もいる。
アベルは想像がつくけれどシャーレなどは見たことも聞いたこともないようで、ぎょっとした顔で見詰めている。
それに建物も石造りの二階建てが多く、テナナと雰囲気は全く異なる。
「アベル。あたし、こんなところでやっていけるのかなぁ」
優しげなエメラルドグリーンの瞳が、途惑いで揺れていた。
「すぐ慣れるよ。僕もそうだった……」
アベルはウォルターに教わった薬師の家へと移動する。
ポルトの街には一応、住所が割り振られている。
しかし、厳密なものではない。
この通りの何々さんというような程度の分類である。
だが、薬師の家だから、すんなりと目的地は見つかった。
薬師は擂鉢を使うから目立つところに擂鉢の紋章が掲げられているのが一般的だ。
ちなみに治癒魔術診療所などと違って薬師になるのに免許制度とかはない。
だから名乗るのは自由だが、薬師組合というものがあって、そこに承認されていないと不都合が多くある。
組合とはだいたいが閉鎖的で利権的なので部外者には解りづらい世界でもある。
不安そうなシャーレよりも先にアベルは薬師店の扉を開けた。
伯爵家に出入りするような一流の薬師店なので、内部の作りは格式が感じられた。顧客の症状を聞き取る問診のための机と椅子が並んでいた。
客が十数人ほど静かに待っている。
アベルは受け付けのお姉さんにシャーレの事を伝えた。
ついでに店内の観察をする。
掃除は行き届いていて床も清潔、働いている人の顔は暗くない。
バタバタと人が走り回っているような職場は、一見したところ威勢が良くていい……なんて思ったら大間違いだ。
職員が走り回るほど仕事が切羽詰った状態は、間違いなく悪いことだ。
焦ったり、追い詰められたりしていると人間はミスをする。
まともな仕事量なら起きないような間違いをやってしまうのだ。
だから、やたら騒々しかったり、働いている人の顔付きが緊張に満ち満ちているような職場は、ブラック注意報である。
アベルは、ここがそういうところならシャーレを助けなくてはならないと思って、よく見た。
どちらかというと、ホワイトな香りがした……。
しばらく待っているとアベルも見覚えがある白髪のおじさんが出てきた。
エリック・ダンヒルは小柄だが胆力の漲った元気のある感じの人だった。
「あ、あの。あたし、シャーレ・ミルと申します。準騎士ウォルター・レイ様からご紹介していただきました」
「わしはエリック・ダンヒル。手紙は読んだ。住み込みで働きたいとな。部屋はあるぞ。
ちなみに人手が足りない。かなり足りない! 理由は戦争じゃ。戦地で戦っている兵士たちに薬を送ってやらねばならない。ところが、必要な量に比べて生産が全く追いついておらん。今日、今から働くということでよろしいな」
「は、はい」
「では、私の妻に案内させる。行きなさい」
荷物を置いて、さっそく仕事だ。
シャーレが不安でいっぱいの顔でアベルを見た。
これからどうなるんだろう……という気持ちが伝わってきた。
「時々、会いに来るよ。修行だから辛いこともあるけれど、技術を身につければ自分のためになる。何か困ったことがあれば、城外門の門番に言伝を頼んでくれ。任務でいないことも多いけれど、なるべく早めに行くから」
「うん」
「じゃあ、体に気を付けてね」
「おう、若いの。お前はウォルターの息子だな。薬師が不健康ではバカにされるわい。その娘は任せろ。一流に仕上げる」
エリック・ダンヒルの頼もしい言葉だった。
これなら大丈夫だろうと、アベルは安心した。
「父上が貴方から診察術を教わったと聞きました」
「おおよ。あいつは優秀な男だったぞぉ! お前も仕込んでやろうか!」
ダンヒルは呵々と笑った。
つられてシャーレも笑顔だ。
アベルはシャーレの成長を願いつつ、店を出た。
シャーレならきっと、この新しい世界を一歩一歩と自分のものにしていくだろう。




