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獣の見た夢  作者: MAKI


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20/141

出陣式とアベルの恩返し



 一か月が経過した。

 ベルル団長の中央平原への出陣が迫っている。


 集められた騎士が三百人。従者が約千二百人。

 他に各種の兵士約千人の陣容である。

 合わせて二千五百人。


 この他に、軍勢の食糧や物資を運搬する荷駄部隊がつく。

 荷駄部隊は民間の輸送業者と城雇いの運搬人の混合部隊で、戦力扱いにはなっていない。

 すでに中央平原へは先発部隊を派遣しているハイワンド伯爵家である。

 この追加出兵は領地の人口や財政でいえば、捻出の限界に近い軍勢だった。


 ポルトの街は明日の出陣式に向けて、大賑わいだった。

 兵士に武器やお守りを高い値で売りつけようという商人たちがうろついている。

 あるいは軍隊に付き物の売春婦も、どこからともなく湧き出してくる。

 露出の多い服を纏った艶やかな女性が、路地裏で太腿を見せつけたりして兵士を誘い込もうとしていた。

 富農や大きな商家など領内の有力者も式に招かれているので、ちょっとしたお祭り騒ぎであった。


 アベルとイースは出陣式の準備が忙しく、ここ四日間ほどは睡眠時間もまともにないほどだった。

 ガトゥ男爵とイースは居残り部隊なので、出陣には加わらない。

 引き続きハイワンド領内の安定のため働く立場となる。


 出陣式の準備であるが、これがまた大量の人間と物資が行き交う戦場のような状態。

 主に従者や荷運びの臨時雇いが行きつ戻りつを繰り返している。

 もたもた荷物を運んでいては強面の監督者に怒鳴られてしまう。

 

 イースまでもが荷物の移動をやらされていた。

 並みの量ではない。

 引越し屋さんみたいだとアベルが思うほどだった。

 しかし、イースはいつもの涼しい顔で、大の大人も運べないような重量物を、さくさくと運んでいく。

 アベルはさすがにガトゥ男爵に文句を言わざるを得ない。


「イース様の剣の腕が泣きますよ。もうちょっと他に仕事がないのですか?」

「すまねぇ。堪えてくれ」

 

 ガトゥ男爵も、いくらなんでもこれは酷いとは思っているらしく本気で謝っていた。

 だが、イースは平然としている。


「ガトゥ様。気にしないでくれ。私は別に荷物運びを恥とは思わない。むしろ、なぜ恥と感じるのか不思議だ」


 荷物を運ぶイースは華やかさのない麻のワンピースを着ているが、大剣一振りを背負っているという珍妙な姿。

 もう、どういう職種の人なのかよく分からなくなっていた。


 アベルとイースはひたすら荷物を本城へ運ぶ。

 今日の夕方から夜にかけて、出陣祝いの宴がある。

 荷物の中身は料理の食材だった。


 野菜、果物、たくさんの肉は豚、鳥、牛、羊など多種に及んでいる。

 珍しく魚もあって、ニジマスのような川魚だった。

 さぞかし御馳走になるのだろう。


 アベルとイースは食材を届けるため厨房の中へ入った。

 中では数十人の料理人たちが鬼気迫る様子で働いていた。

 おいそれと話しかけられる雰囲気でもない

 そこには見知った顔のピエールがいる。

 向こうがアベルに気がついて歩み寄ってきた。


「よぉ、アベルじゃないか……!」


 彼は犯罪者と言っても信じてもらえる強面の顔を笑顔にした。


「あれ? ピエールさん。今日はこっちですか?」

「ああ。……ちょっと向こう行こうぜ」


 ピエールに連れ出されて、厨房の裏手に連れ出される。


「俺の話しを聞いてくれよ」

「はい」

「本城の料理人はよ。俺のような騎士団厨房の者を見下してやがんだ」

「はぁ……」

「今日みたいな宴会では人手が足りないから、俺らまで駆り出されるんだけれどよ。本当に感じの悪いやつらでさ。皮むきから皿洗いまで何でもやってるのに嫌味を言ってきたりよ」

「向こうは伯爵様の料理を作るような人たちでしょ。放っておきましょう」

「いや、実はよ。俺は作戦があるんだ」

「作戦?」

「おおよ! この前、アベルが作った薄肉の揚げ物。カツレツってやつ。ありゃ絶品料理になるはずだと思って、作り方とソースの研究をしたんだよ」

「なるほど」

「あれを今日の客人たちに食べさせるつもりさ」

「良い考えです。ピエールさんが作れば、きっと美味しいって言ってもらえますよ!」

「おう。あまりに腹が立ったから、ちと愚痴らせてもらったぜ……。でも、今日は見返してやる」


 アベルは立ち去ろうとしたが、ピエールに肩を掴まれた。


「ちょっと待ってくれ。アベル。頼む。実は今どうしても人手が足りねぇ。アベルの料理の腕は確かだ。これから手伝ってくれねぇか」


 強面がそう懇願してきたが、他人から見れば脅迫しているようにしか見えないのだった……。


「う~ん」


 アベルは考える。

 ピエールには普段、かなり世話になっている。

 ワルトの餌とか、時間外に厨房と食材を借りたりだとか。

 ここで恩を返しておきたかった。


「イース様。お手伝いしてもいいですか?」

「ぜひするべきだ。ピエール料理長にはお世話になっている」


 イースは力強く頷きをくれた。

 ここでアベル料理部隊に加わり、イースは荷運びの任務に戻っていく。

 アベルは予備のエプロンを貸してもらってピエールの横に着いた。

 食材の山を見て、闘志が湧いてきた。


――刑務所で五百人分の炊事をやっていたこともある。

  居酒屋でバイトしたこともあったなぁ。

  あれに比べれば、こんなの大したことねぇだろう。



 アベルは主に野菜や芋の皮むきと、茹でを担当した。

 ピエールはカツレツの下拵えに集中する。

 厨房はある意味、過酷な戦いの場のようなところだ。

 ぼやぼやしていると蹴られたり、フライパンで殴られたりは日常だった。

 手伝いを始めたアベルはどこからともなく厳しい視線を感じる。


――思い出すなぁ。 

  バイト代も満額払わないくせに、ちょっとしたことで物凄く怒る

  店長がいた居酒屋……。

  感謝の気持ちを戴きます、みたいなのがキャッチフレーズの

  気持ち悪い会社だったぜ……。


 数時間、アベルは立ちっぱなしで働き続ける。

 黙々と作業を熟していった。

 その技術力はピエールばかりか本城勤めの料理人たちをも唸らせたらしく、驚きの顔で見てくる。


「料理が足りていないぞ! どうなっている!」


 アベルは聞き覚えのある声がしたと思ったら、家令のケイファードだった。

 今日の祝宴の仕切り人なのだろう。

 責任の重い人だった。


 異常な量の料理が作られては会場に持って行かれる。

 料理人も給仕も馬車馬のように働くのみだ。

 湯は煮えたぎり、熱された鉄板で油が跳ねる。


 ヘマをした料理人の見習いが罵声を浴びた。

 アベルと同じぐらいの子供だ。

 彼はほとんど泣きそうな表情をしながら野菜を切っていた。

 やがて何度も顔を出しては檄を飛ばしているケイファードがアベルに気づいた。


「アベル! こんな所で何をしているのですか?」

「いや、人手が足りないというから手伝っています。許可は取ってありますが」


 ケイファードが一瞬だけ、本当に哀れなものを見たという視線をした……。


 時間は、たぶん夕方を少し過ぎたころだ。

 昼からぶっ続けに働き詰めで、さすがに疲れてきた。

 少しだけ休憩しようと水を飲んでいたら、知らない給仕に肩を叩かれた。


「休めるんだったら、これ運んでくれっ!」


 豚料理が山盛りになった皿を指さされる。

 断れば殴られそうな雰囲気だったので了承するしかない。

 厨房から皿を持って賑やかな方に行く。


 祝宴会場は会堂と中庭にまたがって設置されていた。

 ざっと見渡すと四百人ぐらいの人がいるだろうか。

 やっぱり出陣式だけあって厳つい男がばかりだった。

 出陣する騎士階級の全員がいるようだ。

 なかには女性の魔術師や女騎士も、ちらほらといた。


 皆、すでに酒がかなり入っているらしく無礼講、酔って大騒ぎの状況だ。

 ものすごい大声で怒鳴り、笑いあう騎士たち。

 喧々諤々の議論をしているのは百人隊長らしい。


「王道のやつら、王族どもを惜しげもなく最前線に投入してくる」

「ああ、だから奴ら遠征軍にもかかわらず士気が高いぞ。そりゃそうだ。城に閉じ籠って命令だけしてくるのと王族が戦場にいるのとでは、差が出るに決まっている」

「ガイアケロンとかいう王子など、おそらく十代後半だろうが我らは負け続きだ……」

「他にもハーディア王女という王族も派遣されていると聞く」

「戦姫などという異名まで持ってな」

「イエルリング王子やリキメル王子も油断ならん。実に手堅い。それに侵攻を諦める気配も無い。奴ら間違いなく本気だ」


 そんなことを大声で話している横をアベルは料理を持って彷徨う。

 どこに持っていくべきか分からない。


 迷っていたら知らない女の使用人から、あそこに持って行けと言われる。

 アベルが皿を運んだ先は伯爵一族や部隊長などがいる一番の上座であった。

 苦手なベルルやロペス、さらにカチェの姿が垣間見えた。

 ベルル団長や長男ロペスは大勢の将や騎士たちと、なにやら熱心に話し合っている。


 カチェは瞳の色に合わせた菫色のドレスを着ている。

 凄く似合っていたが表情は浮かない。

 つまらなそうにしていた。

 話しかけるつもりはなかったのでアベルは早く料理を置いて戻ろうとしたのだが、目敏くカチェに見つかってしまった。

 彼女が慌てて席を立って近づいてくる。


「アベル。あなた何しているの?」


 唖然というか、怪訝な顔つきだった。


「いや、ちょっと今、手伝っていて」

「え。だってアベルは……従者でしょう? あのイースという亜人の女騎士が給仕をやらせているの?」

「違います。世話になっている人に頼まれてやっているんです。僕の好きでやっていることですよ」


 じゃ、僕は忙しいからと言ってアベルは空の皿の山積みを運ぶべく、立ち去る。

 その様子を、モーンケが少し離れた位置で見ていた。

 もう相当、酒が入っていて泥酔寸前。


 本当はこんな祝宴、忌々しかった。

 父親のベルルに付いていって戦場を望んだが、時期尚早として却下されていた。

 武芸で自分が大きく劣ると言う自覚がある。

 だからこそ華々しく活躍して、人に認められなければならない。

 そうでなくては栄えあるハイワンド伯爵家の一族として示しがつかない。

 それなのに父親からは領内を守れと命じられてしまった。


 イラつきが募る。

 そこにアベルである。

 猛烈に怒りと嫉妬心が湧く。

 不気味な子供だった。

 見た目は少年なのに、まるで大人のような言動をしている。

 そういう教育を父親からされたに違いない。

 たとえ私生児でも武勇の誉れあるハイワンドの血筋が色濃く現れたということなのか。

 妬ましさで血が逆流するような感覚。

 後ろからゆっくり近づき、皿を運ぶアベルの背中を思いっきり蹴っ飛ばした。


「ぐぇっ!」


 アベルは蛙が潰れたような声を出して、吹っ飛んだ。

 数十枚の皿が派手な音を立てて割れた。


――痛てえよ……なんだよ……。


「私の前を横切るなっ! 下郎っ!」


 酔ったモーンケが、さらに足蹴りをくれた。

 アベルの脇腹に爪先がめりこむ。


「ちょっと、モーンケ兄さん。やめてよっ!」


 騒ぎに気付いたカチェが止める。

 モーンケが邪魔な奴が来たという顔をして立ち去った。


「うう…」


 完全な不意打ちで、少しも防御態勢のとれなかったアベルは激痛に悶える。

 衝撃で呼吸ができない。

 事態に気づいたケイファードが素早く手を打った。

 使用人を集めると割れた皿を片付けてアベルを引きずるようにして会場から連れ出す。

 アベルは廊下で自分に治癒魔術を使って、痛みをとる。


「あ~、くそっ! 後ろから……なんて卑怯な」


 あまりの出来事で怒りよりも、やられた感の方が大きかった。

 背後からの攻撃に全く気付けなかった。

 アベルは誰ともなしに聞く。


「何が起きたんだよ? 誰だよ、やったやつは」

「たぶんモーンケ兄さんよ。わたくしも蹴った瞬間は見ていませんけれど」

「ふざけやがって!」


 アベルは思わず壁を拳で叩いた。

 無意識に魔力が籠っていたらしく、壁がベコリとへこんだ。

 ケイファードが慌てて諫める。


「アベル、壁を壊すなっ。弁償ものだぞ」

「あっ。はい。すみません。天引きは勘弁してください」


 アベルは悔しいが、たかが平社員の一匹だ。一族経営の親族幹部に抵抗してもクビが飛ぶだけだった。


「くそ~! 一族経営のブラック企業が!」


 天を仰いで、嘆きを叫ぶしかできなかった。

 ケイファードやカチェは、アベルの意味不明な叫びを気の毒なものとして、むしろ優しい視線で見守った。




 治癒魔法で痛みは全くとれてしまったので、アベルは厨房に戻り仕事を再開しようとした。

 ところが場にそぐわない人物が一人。

 カチェだった。

 きょろきょろと物珍しそうに辺りを見渡している。

 瞳は好奇心で輝いていた。

 料理人たちが薄紫のドレスを纏ったカチェを迷惑そうに見ていた。

 とはいえ少女だろうと主家の人間であるので邪険にはできない。

 見習いの少年など、口をぽかんと開けている。


「あの、カチェ様。ここは貴族の方が来るところではありませんので」

「アベル、いいでしょ。わたくし、ああいう大人の男の人達がお酒を飲むところ嫌いなの」

「だからって、ここでなくてもいいじゃないですか」

「嫌よ。あの会場、わたくしの事をジロジロと見てくる人もいるから」


 品定めをされているのだろうなとアベルは察する。

 カチェはもう、あと三年ほどもすれば婚姻の対象となるはずだ。

 伯爵家の息女にして見目麗しい令嬢となれば引く手あまただろう。

 

 楽しそうに厨房を見ているカチェを追い出すのも可哀想なのでアベルは放っておくことにした。

 それから、いよいよ佳境に入ったピエールのカツレツ作りを手伝う。

 なにしろ二百人分だから、本当に山盛りの凄い量なのである。


 大鍋に油がなみなみと注がれていて、そこに衣をつけたカツレツを次々に投入する。

 揚げすぎると失敗なので、ピエールが全神経を集中させてタイミングを見計らう。


 アベルは揚がったカツレツを皿に盛りつけて、野菜のソテーを添える。

 ピエール自信のソースを付けて、給仕に合図した。

 速やかに料理が運ばれていった。

 息子の出撃を見守る母親の気分であった。


「喜んでもらえるといいなぁ……」

「ねぇ。アベル。今の料理はなに? 食べたことない」

「あれはカツレツって言って僕の故郷の料理です。食べてみますか?」

 

 カチェが嬉しそうに頷いた。

 アベルが皿に一人前を盛ってソースを垂らして、ナイフとフォークを渡した。

 席はないので、マナー違反著しいもののカチェは立ち食いをする。


「なにこれっ! 美味しいっ!」


 カチェが顔を輝かせていた。

 あっという間に食べきってしまう。

 可愛らしい桜色の唇にソースが付いている。

 アベルはそれが面白くて、モーンケに蹴られたことなど忘れてしまった。




 それからもカチェは厨房に居たがったが事情を知って飛び込んできたケイファードに諌められて、しぶしぶと部屋に帰って行った。

 宴会は夜中になっても続いている。

 本城の使用人たちは燭台の灯が絶えないように気を配っていた。


 泥酔した男どもが、合唱したり喧嘩したりの乱痴気騒ぎ。

 会場や廊下は昏倒した男たちで歩くのに苦労する有様である。


 カツレツは熱烈に絶賛されて、おかわりの要求が絶えなかった。

 ピエールはひたすらカツレツを作り続けた。

 アベルも彼の援護を続けた。

 もう、休みなしで延々と野菜を刻み、肉を叩き、盛り付けをした。


 やがて全ての食材が無くなり、料理は作れなくなった。

 アベルとピエールが燃え尽きたのは、そのときだ。

 二人だけでなく、厨房の全員がその場で座り込んだり、倒れてしまう。


 もはやピエールは疲れ切ったまま床で寝ていた。

 働いている者は誰もいない。

 アベルも休むために、そろそろ部屋に帰ろうかと思ったとき目の前に誰か来た。

 名も知らない五十歳ぐらいの貫禄のある男だった。

 黒い髯が口から顎にかけて伸びていた。

 目つきが厳しい。

 仕事の鬼っていう感じだった。


「おめぇ、ガキのくせに良い筋だな」


 低い声でそう言われた。

 凄まれているのかなと思った。


「俺もお前のころには皿洗いから、芋の皮むきまでやっていた。思い出すぜ。四十年も前のことだ」

「貴方はどなた様ですか?」

「儂はハイワンド伯爵家料理長。ジャック・ドルイドだ。お前はピエールの弟子か? それにしてはカチェ様と知り合いのようだ。解せないな」

「僕は騎士イース・アーク様の従者アベルです。ピエールさんには親切にしてもらっているので、今日はそのお返しです」

「ふん。合点がいった。仁義というわけだな。料理も騎士道も結局は、そこだ。今日は儂のほうこそ助けてもらった。何か相談があれば、いつでもこい。それとこれは礼だ。とっておけ」


 ジャック・ドルイドという料理長は両手一杯ぐらいの袋をくれた。

 中を見ると白い粉……。


――なんだよこれ。ご禁制のやつじゃねえだろうな……。


 アベルは舐めてみる。甘い。

 それは砂糖だった。

 この世界では貴重品のはずだったから、買えば金貨ものかもしれないご褒美だった。

 アベルはお辞儀をして、厨房を後にする。


 本城から出て、イースの部屋に戻る。

 廊下でワルトが寝ていたが、アベルが近づくと目を覚ました。


「ご主人様だっち。おかえりなさいだっち」


 シッポを振っている。

 鍵は開いていた。

 中に入るとイースはベッドで寝ている。

 こちらも、目を覚ました。


「遅くなりました」

「いいや、ご苦労。明日は出陣式だ。我々、居残り部隊の者は見送るしかできないから、楽が出来てしまう日なんだ」

「はい」

「もう二度と帰って来られないかもしれない人たちだ……」


 アベルはイースの隣に潜り込む。


「アベル。料理をしているお前は良かったぞ。私にはできないことだ」

「料理より剣で褒められたいです」

「なら、修行に手を抜かないことだな」






 朝、一番の鐘が鳴った。

 二人は身支度をして、部屋を出る。


 ところがアベルは建物の外で意外な人物に出会った。

 一緒にテナナから出てきたリックである。

 彼は粗末な鉄兜を被り、槍を持っていた。

 体のサイズに全然、合っていない。ブカブカだった。


「リック。お前……」

「アベル! やっと会えたぜ。ここに住み込みだって聞いたからさ」

「どうしたんだよ。その装備」

「カッコいいだろ! おれ、見習い兵士に見出されたんだぜ」


 リックは自信満々だった。


「えっ! どういうことだ」

「俺さあ。アベルと別れた後、いろいろ仕事やってみたんだ。八百屋だろ。家具屋。それから何か分からない仕事。どれも合わなかった。一日か二日で辞めたよ。で、門の所でお前を待っていたら、サイモン百人隊長に声を掛けられたんだ」

「だ、誰それ? サイモン隊長?」

「ベルル団長の配下で、槍兵部隊の百人隊長様さ! 俺、見込みありだって! その場で兵士なるって誓った!」


 リックは嬉しそうに笑っていた。


「………じゃあ、出陣部隊に加わるのか」

「そうだよっ。中央平原で王道のやつらを蹴散らしてやるんだっ」

「止めないか? おれ、実はお前に紹介できる騎士をやっと見つけたんだ。ガトゥ男爵様っていう人で、いい人だ! そっちと話しをしてからでも遅くないだろ」

「だめだめ。俺のことを最初に見つけてくれたサイモン様には恩がある。でも、アベル。ありがとうな。俺のことテナナから連れ出してくれて、騎士様も探してくれたんだな」

「リック。あのさ。王道国との戦争は危険なんてものじゃないらしいぞ。もうちょっと様子みてから方がいいって」


 リックは不機嫌そうな顔をする。


「アベル。ここは俺の正念場だ。ここで見つけた自分の道。簡単には捨てられない!」

「お前のお父さん、心配しているみたいだぞ。父上が手紙で教えてくれた。せめて親に知らせてからでもさ」

「俺、字が書けないからさ。アベル、代わりに返事を書いておいて。俺が機会を掴んだって。ここで辞めたら、おれ一生だめになりそうな気がする。それに何度考えてみてもテナナで農夫なんか嫌さ。それなら、たとえ見習いでも兵士として働く」

「……」

「そろそろ、集合時間だから。じゃあな。次に会う時は、お前が騎士様で、俺は百人隊長だな」


 リックは笑顔で手を振って去っていく。

 アベルは複雑な思いを持つばかりだった。

 戦場になど行ったことはないが、過酷と言っても言い足りない世界だろう。


 しかし、それでも見送ることしかできなかった。

 目標を見つけ出した彼を叩き潰してでも諦めさせるということは、どうしてもできなかった。

 きっと一生、無理やり止めさせられたという恨みと屈折が彼の心に残る。

 相手が子供でも、手を出してはいけない領域のはずだった。





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