良い上司は宝物
アベルはカチェとの訓練で程良く疲れる。
初めは面倒だと思っていたが、やっているうちにカチェの本気が伝わってきた。
筋は確かで根気強く鍛え続ければ、かなり上達しそうな気配だ。
まずは母アイラから伝授された攻刀流の基本形から教えている。
「カチェ様。じゃあ、ここまでですね」
「いいこと。明日も必ず来なさい」
カチェは嬉しそうにふんぞり返って宣言してきた。
アベルは従者らしく一礼して素早く退散する。
なにしろ仕事が山積みなのだ……。
本城の狭く作られている門を番人に開けてもらう。
そのままガトゥ男爵の小屋まで行くとイースもいた。
上役であるガトゥは、ちょっといい加減そうに見えるが、実際のところ世の中の裏道に精通した男だった。
ありがちな下級貴族ではなく、どうしたわけか特権意識もほとんど持っていない。
アベルは、この気さくな男に親しみを感じている。
そろそろ血筋のことも含め、全てを説明しようとした。
ところが、ガトゥの方は既に父ウォルターが伯爵の私生児であることを知っていた。
当然、アベルの素性もである。
イースはその時、初めてアベルが伯爵の孫であるのを知ったようだった。
「でも伯爵様からは従者として働けと仰せつかりました。僕はハイワンド家の者としては認められないという説明でしたので……これからも従者として扱ってください」
ガトゥが困ったような楽しいような複雑な顔つきで、にやにやと笑っていた。
「俺の下にまともな奴が入ってくるわけがねぇんだ……。なんかあるだろうなと思って騎士団の古株に一杯飲ませて聞いたらよ、伯爵様には認知していない私生児がいるって。どうやらアベルという新しい従者がその私生児の息子らしいと言いやがる」
「まぁ、いずれ露見することでしたね。父上が一族扱いされていないのですから、ましてやその息子の僕がハイワンド家の郎党扱いされる可能性は皆無です……。そのほうが気楽ですけれど」
アベルはガトゥの過去もこの際、聞いてみようと考える。
「そう言うガトゥ男爵は何をやらかしたのですか?」
「俺か? 俺ぁな……もともとベルギンフォン公爵という大貴族にお仕えしていたのさ。けれど、そこの次女と好い仲になっちまってな。お互い、合意ではあったのだがな。でも、配下の男爵風情が公爵家のお嬢様と婚前交渉などもっての他ってなわけで放り出された」
「自由恋愛は難しい……」
「貴族の結婚なんて政治的取引か財産目当てなのがほとんどさ。俺はその大事な材料に手出しした不届き者。一度でも主家反抗のお咎めを受けた者は、どこの貴族でも嫌われる……。けれどハイワンド家に引き取ってもらった。そんな俺だ。他の奴がやりたがらない仕事ばかりが来るようになっちまっても文句を言うつもりはねぇぞ。例えば、混血の面倒を見たりとかでもな」
「私はガトゥ様に感謝しているが、面倒をみてもらっている覚えはありません」
イースはいつもの恬然とした表情でそう言った。
「ところでガトゥ様に一つ相談があるのですけれど」
「なんだ」
「僕と同村の出身で、リック・ハザフという少年なんですけれど。僕と一緒にポルトへやってきました。本人は従者になりたがっているんです。どうしたらいいですかね」
ガトゥは余裕を感じさせる笑みを、すっと消した。
目つきが鋭くなる。
そうすると生粋の戦士にしか見えない。
少し怖いぐらいだ。
「ふむ。将来は騎士になりたいってか。魔力の方はどうだ?」
「からっきしです。身体強化はもちろん、感じ取ることもほとんどできません」
「なんか一芸はあるか。例えば教師カザルスみたいな。あとは絵が上手いとか。なんでもいい」
「……強いて言えば材木加工が得意だったような気がします。ま、本人がそういう労働を好んでいないのですけれど」
「ふーん。大工にでもなったほうが、いいんじゃね?」
「そうなんですよね。でも意地になっているし、騎士にやたら憧れていて。それで無理やり農民にさせるよりは一度でいいから機会があればなと」
ガトゥは思案気にした後、答えた。
「王道国との戦は益々激しくなってきている。主戦場は東の中央平原だから実感がないかもしれんが……。仮に皇帝国の派遣軍団が敗北でもすれば、次に戦場となるのは皇帝国最東部のこのハイワンドやレインハーグ領だ」
「……」
「百人程度が小競り合いをするような戦いじゃない。数千人、数万人が命がけで争う、本物の合戦だぞ。俺の考えでは、このまま行くところまで行くな。皇帝陛下も向こうの王室も先代と違って、お互い交渉して停戦しようって考えがない。大戦争を覚悟しないとならん」
「……王道国とはそんなに関係が悪化しているのですか」
ガトゥが強く頷いた。
「しているぜ。燃え上がらんばかりだ。もともと皇帝陛下が代替わりして三十年。ずっと続いていた戦争が、もう絶望的な段階だ」
「リックは諦めさせたほうがいいですか」
「自分で決めさせた方がいいな。死に花を咲かせたいってやつもいる。止める義理は親でもないかぎりはねぇだろうよ。でも、アベルがどうしても止めさせたいなら、俺がぶん殴ってやるよ。それでも従者になりたいってぐらい意地があれば……、仕事を探してやってもいいがな。従者にしてやるかは分からないけどな」
アベルは頷いた。
先日の坑道のような場所にリックを送り込んだら、かなりの確率で死ぬ気がする。
――そうだよな。普通の職業じゃないんだ。
ガトゥに相談して正解だった。協力してくれる。
その後、ガトゥが約束通りに豪華な食事を奢ってくれるというので街に出ることになった。
彼には従者がいない。
従者にしてしまうと、騎士に育て上げる責任のようなものを感じるから滅多なことでは従者を採用しないと言った。
独特の責任感があるらしい。
見た目や言動は大雑把なのに……。
まだ日も高いが夜間になり閉門してしまうと、特別な任務でもなければ城内には入れてもらえない。
たとえば罪人の移送でもないかぎり。
よって非番の日は昼から酒を飲み、夕方に城へ帰るという者はちらほらいた。
アベルは城外門の門番に話しかける。
いつか銀貨をしつこく強請った若い兵士だった。
「あの~。僕のことは憶えていますか」
「えっ。あっ。従者様、何か用事ですか」
態度が全然違うのでアベルは驚いてしまった。
「え? な、なんすか、その喋りかた?」
「いや! 以前は失礼しました。まさか騎士イース・アーク様にお仕えされる従者様とは知らず、ご無礼をしました。ただ、兵士の安月給では余禄がなければ食えないものでして、はい」
「え、あ……はい。大変ですね」
「いえいえ、とんでもございません」
「えっと~。ちょっと聞きたいことがありまして」
「なんでございますか」
なんだこの会話と思いつつアベルは問う。
「デコボコした芋みたいな顔の少年が城外門のところで人待ちしているの見ませんでしたか?」
「……芋。あっ。あいつかな」
「知っていますか」
「なんとなく、それっぽい少年は見ました」
アベルは懐から銅貨を適当に出して兵士に渡した。
「そいつ、リック・ハザフという名なんですけれど見かけたらここで待たせてください。それで僕まで知らせてくれると助かります」
「分かりました。取り次ぎの件、了解です」
アベルたち一行は街に出る。
行き交う人々は様々だが、みな人間族だった。
金持ち風の人もいれば、浮浪者としか見えない風貌の人もいる。
よく分からないのが、かなり重武装の人だ。
中には騎士のように従者的な人間を連れている者もいた。
もしかすると本当に騎士なのかな……とも思えた。
アベルはガトゥ男爵に聞いてみる。
「ああ。ありゃ、傭兵だろう。ハイワンド伯爵家は兵士が不足しているから、傭兵も募集している」
「傭兵と兵士の違いが良く分かりません」
「だろうな。皇帝国は国家というものは自分たちの国だけだとしている。他国を認めていないわけなんだけれど、実際にはそうじゃねえ。亜人界にも人間族がたくさん住んでいるのさ。
国は名乗っていないけれど、強力な自治権を持っている集団がいくつかある。皇帝国が属州としている地域もあるし、全く支配の及んでいない場所はさらに広い。そういうところから流れてきた武人とか、出稼ぎ労働者って言い方もあるか」
「ああ。そう言えば僕の父上も母上も亜人界で暮らしていた時期があります。冒険者としてですが……」
「そうそう。そういう奴ら。で、伯爵家のような高位の貴族は出陣を命じられても、兵士の徴兵は自分の領地内でしかできない法律がある。領地内で徴兵をしても陣立てできないぐらいに頭数が不足している時に、あいつら傭兵の出番ってわけだなぁ」
「亜人界の人間族でも入国は許されるのですか」
「手形を持っていて、入国金さえ払えば越境できる」
「王道国の人間は?」
「表向きは禁止されている」
「裏があるってことですね。密入国かな」
「そうだ。その取り締まりも騎士の役目だ。今度、詳しく教えてやるよ」
ガトゥは城からそれほど離れていない裏路地の店に入った。
「亀の友」
という変な名前の店だった。
店の中には亀の甲羅が、何十個も飾られていた。
どっちかというと亀の敵って感じだ。
二十人ぐらいがやっと座れる小さなお店だった。
他に客は一組しかいない。
ガトゥは勝手にいろいろと注文してくれた。
アベルは気になっていることを聞いた。
「あの。亜人って差別されるんですよね。どうしてですか。僕の父上は差別するなと言ってましたし僕もそう思うのですが」
「そりゃあ、長い歴史の問題だな。簡単に説明するのは難しいのだが。もともと大帝国って国があったことを知っているか」
「はい。千年前、人間族の始皇帝が創り上げた統一国家です」
「そうだ。始皇帝がいなくなって、大帝国が分裂したとき、亜人たちは人間族の支配に抵抗して激しく争った。まず、それが禍根の一。
それから第二、亜人たちは飢えが起きるたびに、越境して皇帝国を荒らしていく。それが、かなり大きい。
第三が、いまの皇帝陛下は亜人たちを嫌っている。厳しい弾圧政策を何度か実行している。ま、そんなようなわけだな。他にもたくさん理由があるけれどよ」
「イース様が可哀そうです。立派に働いているのに誰も評価しない」
「う~ん。それはそうなんだが、まぁ、イースも冗談の一つでも言える性格ならなぁ。それでなけりゃ、色気を上手く使うとかよぉ。凄腕で、人を寄せ付けない受け答えじゃあ……避けるってもんよ」
話題のイースは石のように黙ったままだった。
アベルはどうして冷遇されるような皇帝国に仕えるのか聞いた。
「ご祖父様とお父様がハイワンド家に仕えているからだ」
短い、それだけの返答だった。
「二人とも亜人なのですか」
「父様は人間族だ。祖父様は魔人氏族と人間族の合いの子だ」
そういえば、カイザンの町でそんなことを聞いた気がした。
「父様から、私の価値は戦いでしか現れないと言われた。私もそのように思う」
イースはいつにも増して口数が少ないので、アベルはもうそれ以上は質問しなかった。
ガトゥは苦笑いを浮かべる。
「ま、気にせずやっていくしかねぇな。アベルはカチェ様のご学友になったことだし、風向きも良くなってきたかもしれねぇ」
「ご学友の件なんですけれど、僕も途惑っています。妙な方向になってしまって」
「どうだろうね。伯爵様は案外、はじめから視野にいれていたかもしれねぇぞ」
「遊び相手ってことですか」
「カチェ様はご家庭に恵まれていねぇ。それを気にされているのかもな。教えてやるがな、二人の兄貴とは腹が違うんだぜ、カチェ様」
「え……。いま知りました」
「ハイワンドじゃ有名な話だぜ。ベルル団長の夫婦関係は最悪だったらしい。義務的な子作りが終わってからは特になぁ。それで、ベルル団長は正妻と離縁しないまま、とある女性を愛人にした。それがカチェ様の母上さぁ」
「どうりで兄と顔が似ていないわけだ。瞳の色が、違いますよね」
「ああ。綺麗な菫色をしてるだろう。母上にそっくりなんだぜ」
ガトゥは運ばれてきた葡萄酒を美味そうに飲み干した。
もちろんアベルはお茶を飲む。
イースが嗜むのは、かなり度の高い蒸留酒なのだが水と同じように飲んでいた。
顔色は、ほんのわずかだけ桜色になっている。
料理が運ばれてきた。
店の人が説明してくれた。
陸亀の香草蒸し焼き。川亀のスープ。亀の卵のオムレツ。
肉は柔らかく、癖が無くて、上等な鶏肉よりも美味かった。
「イースはアベルをお構いなしに危険な任務に連れて行くな。もちろん、いざとなれば助ける気はあってのことだろうが」
「私はアベルを子供扱いするつもりはありません。今の内から修羅場で鍛えておけば、ひとかどの戦士になる。名立たる剣士や魔法使いは、いずれも幼少から激しい環境で育っています。生き物は、穏やかな環境にいると鈍って腐る」
「イース様。物騒なことを言わないで……」
――イースは俺を戦士にするつもりだったのか?
将来は何になるか、いまいち決まらないけれど。
とはいえ戦士や勇者にはならないよなぁ……。
「僕、将来のことははっきり決めていないけれど、父上の治療院の手伝いをしたい気持ちがあります。それで騎士になろうって思っています。準騎士でもいいんですけれど。あとは……、いつか世界を旅してみたいかな」
「……そうか」
イースは見た目、いつもと同じく平然とした表情をしていた。
やっぱり、よく分からない女だ……。
端正な美しい顔をしているが彫刻のように変化がない。
アベルにはイースの真意が少しも読めない。
たらふく食べて、夕方に城へ戻った。
アベルは気づく。
寝具を買うのを忘れてしまった。
結局、またイースと一緒に寝ることになった。
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ロペスとモーンケが二人きりで相談している。
兄ロペスが二十歳。弟モーンケが十五歳。
性格の合う兄弟だった。
食事も狩りも、いつも一緒である。
苦々しい顔をしたロペスは手紙を弟に渡した。
祖父バース・ハイワンドからの手紙。
内容は、まだ未熟なアベルに罪人と決闘させたことを諌める内容だった。
ロペスが机を叩いて怒る。
「父上が腰抜けの子ゆえ、さっさと化けの皮を剥げと言われるからイースの従者にしたり決闘させたりしたというのに、じい様から逆に叱られる始末だ」
「まぁ、兄貴。そのうち正体を暴いてやろうぜ。あいつはずっとイースの従者さ。嫌になって辞めるか、こっちに媚びを売るようになるか。それに父様は騎士にお認めにはなるまいよ。使い潰してやるさ」
「ふん。ガトゥの下で一緒に飼い殺しだな。後は、ときどき仕掛けてやれば、すぐに嫌気がさして田舎に帰るだろうよ……。中途半端な奴に一門衆のような顔をされては堪らんからな」
兄弟二人が笑いあった。
特にモーンケの笑いは陰があった。
モーンケ・ハイワンドは魔法の才能は初級止まりで、身体強化のほうも兄に遠く及んでいなかった。
戦闘に関しては妹のカチェと戦っても、たぶん負けるか、良くて引き分けという程度の実力。
訓練は積んでいるのだが、魔力が弱いことは自他ともに認めざるを得なかった。
どうして俺には才能がないのだ、モーンケはそう自分を責める毎日。
父親のベルルは、そんな息子に頭を使えばいい、参謀や主計で活躍すればいいと理解を示すことがある。
気持ちは助かると同時に、それが無性に悔しくなる。
役立たずは家で静かにしていろとバカにされている気がしてくる。
自分は所詮、武将として凡才以下である……。
認め難い、身を焼くほどの悔しさ。
そんな時、アベルが現れた。
才能にあふれる少年。
治癒魔法が使えて、身体強化による剣術も子供とは思えない域である。
妬ましい。
羨ましい。
憎たらしいと言ってもいい。
機会を見て、犬以下の、奴隷にしてやる。
モーンケは、その日を想像して笑った。




