僕の従姉
魔石の探索は結局、七日間も必要とした任務になった。
ポルトの街は今日も活気に溢れている。
大きな壺を運ぶ労務者、露店から漂う羊肉を焼いている臭い。
化物の巣だった鉱山から、やっと普通の世界に戻って来れたという実感にアベルは心底嬉しくなる。
やはり、あんな陽の光すら差さない世界は行くものではない……。
カザルスは目的の魔石を手に入れてすっかり上機嫌である。
同時に手に入れた魔石のいくつかはアベルに分けてくれた。
素直に喜ぶべきなのだが、命懸けで手に入れた第一級魔石はカザルスのものだから、いまいち釈然としない。
城外門でカザルスと別れる。
旅の間に彼の人格がだいぶ理解できた。
興味のあることは機械、飛行魔道具、星の運行、物理、魔術理論。
それらが彼の内部で美しい理想に高まっているらしい……。
アベル一行は、とりあえず荷物を置くためイースの部屋に戻った。
すると扉に手紙が留めてある。
二通だ。
一通はテナナ村のウォルターから。
アベルは嬉しくて、さっそく封を開けた。
~~~~~~~~~
アベルへ。
従者としての生活はどうだろうか。
血族と認めていないとは言え伯爵様がアベルに酷い意地悪をするとは思えない。
だが、心配している。
お前のことだから、問題を解決していけると思う。
もし、うまくいってなければ迷わず帰ってこい。
意地など犬の餌にもならぬという諺もある。
恥じることなく帰ってこい。
別の道はいくらでもある。
こちらテナナは変わりない。
平和そのものだ。
魔獣も姿を見せず、たまに熊や猿がいるぐらいだ。
ところで、実はアイラが妊娠した。
アベルが出発する前から少し気配はあったのだが、確実になったから連絡しておく。
俺から伝えられることはこれぐらいだ。
それと、リック君はどうしているのか。
村長も気にしている。
機会は掴めたのだろうか。
返事をくれ。
我が息子アベルへ。
~~~~~~~~~
「うおおおおっ」
アベルは思わず雄たけびを挙げた。
アイラが妊娠。
そりゃそうだ。まだまだ妊娠できる年齢だ。
あと一人二人は産んでもらわねばならない。
もっとたくさんでもいい。
生まれる子は女の子なら、飛び切りの美少女になるだろう。
弟だって大歓迎だ。
きっと長男のように暗い瞳をしていない。
アベルは心から喜んだ。
さっそく返事を書かねばと思う。
リックの方も、なんとか城で勤め口を探してやらないとならない。
だが、従者といっても仕える騎士が重要なのだと痛感している。
下手な奴は紹介できない。
これは難しい。
いっそのこと料理長ピエールに頼んで料理人の見習いにでもした方がいい気もする。
近いうちにリックと連絡を取ろうと考えた。
アベルはもう一通も見てみる。
ハイワンドの家紋が蝋封にくっきりと押してある。
イース宛かと思ったら、アベル・レイへと書いてある。
さっそくアベルは中を見た。
実に流麗な教養の豊かさを感じさせる文字だった。
~~~~
アベル・レイへ。
カチェ・ハイワンドが早急の出頭を命じる。
お前によって無礼にも同行を断られ、わたくしの誇りは地に堕ちた。
しかも、アベル。お前は一向に帰還しない。
屈辱を濯ぐ機会すら、わたくしに与えないということだ。
許すまじ、アベル。
だが、天より高く慈悲を持って、此度一度のみは許しても良い。
戻ったのならば、ただ何事も置き捨てて、わたくしの元へと来なさい。
ここに命じます。
カチェ・ハイワンド伯爵貴孫
~~~~
アベルは溜め息をついて頭を押さえた。
なんだこの手紙は……。
せっかく穏やかな日常に戻れたと喜んだのも束の間、カチェからまさかの出頭命令。
――今日はちょっとゆっくりしようと思っていたんだ。
まったく休んでないからね。
巨大蛙に食われそうになったし……。
ところが、早くも出勤である。
眩暈がしてくる。
「もうこれ、居酒屋ハイワンドとかにした方がいいんじゃねえの……」
イースに事情を話す。
ガトゥ男爵への報告はイースに任せて、アベルはこのまま本城に行くことになった。
ワルトは部屋の前に番犬として置いていく。
どうせ寝ているだけだろうが。
アベルはやや急ぎ足で広大な壁内の庭を横切り、本城へ向かう。
カチェがあの紫の目でイライラしているところを想像すると自然と足が早まる。
本城の門は当たり前だが、びったりと閉じられていた。
防御のことを考えて大きな門になっていない。
馬一頭が、ようやく通れるぐらいの幅と高さ。
衛兵が四人いる。
覗き窓から中の門番に開けるように依頼しないと、内側のかんぬきは外されない。
アベルは試しに、伯爵から貰ったメダルを見せてみることにした。
四十歳ぐらいの門番に家紋メダルが見えるようにする。
「あの。僕は従者アベルです。これを見てもらえますか」
「ん? これは……分かった」
門番が合図をすると門が少し開く。
「早く入れ」
促されて、アベルは隙間に身を滑り込ませた。
アベルは内心、驚く。
家中の者として扱わないと伯爵は言っていたのに、これさえあれば出入り自由ということではないか。
よくわからん……。
本城に入ったはいいが、カチェの部屋が分からない。
そういうの手紙に書いておけよ、と思う。
誰に聞こうと考え、アベルは知り合いがいるのを思い出した。
最上階のカザルスの部屋を訪ねると、彼はもう早速、作製に没頭していた。
ノコギリなんか手にしていた。
休むとか、そういう考えがないらしい。
やはり頭のネジが破断している方だ……。
でも、それぐらいの人物でないと偉大な業績は上げられないのかもしれない。
カザルスはカチェの部屋を知っていた。
「カチェ様の部屋ならお城の二階。東側の角部屋だ。でも、何の用事だい?」
「いや、なにって……僕が聞きたいですよ」
「用事もないのに呼び出されないだろう。というか、カチェ様とはどんな関係なの?」
「う~ん」
本当のことは説明しにくい。
一応、従姉ということになるのだが、一族扱いにはしてもらっていない。
「なんていうか、ときどき剣の稽古をしている……ような」
「剣。そうか……そういう方法もあるのか」
「え。なに?」
「いやあ。カチェ様にはときどき算術を教えているのだけれどねぇ。せっかく筋がいいのに、飽きっぽいんだなぁ……。でも、そこが、たまらないんだなぁ。あの美しくて覇気のある瞳、あの口ぶり……癖になるねぇ」
そう語るカザルスは夢見心地という表情。
青白い茄子みたいな二十代の男が十代前半ぐらいの女の子に……。
アベルはちょっと汗をかいた。
――まぁ、カチェって妙に大人びているからな。
「僕も剣をやっておけば良かったなぁ。いや、今からでも……」
「いいえ、カザルス先生。貴方は魔道具でこそ輝ける男ですよ。交わらないはずの道に迷い込むと後悔しますから」
「うっ。そ、そうか。それもそうだ。キミは若いのに説得力のある諭し方をするねぇ」
知りたいことは知ったが、カザルスについては知りたく無いことまで知ってしまったようだ。
アベルはもう何も言わずに退散した。
狭い螺旋階段を降りて二階に移動。
扉に「カチェの部屋」という木札が掲げられていた。
赤い薔薇の花輪が名前を飾っている。
趣味がいい。
あの粗暴なカチェの意外なところだ。
アベルはノックする。
しばらくして、誰何の声がした。
カチェの鈴のように透った声。
「アベルです。来ました」
凄い勢いで扉が内側に開いた。
カチェの紫色の瞳が光を放つようにアベルを見つめて来る。
やっぱり凄い美少女だった。
美人の多い世の中だけれど、群を抜いている。
でも、ちょっと怖い……。
「遅いわっ! わたくしを何日待たせるつもりなのっ!」
「あ~。ごめんなさぁい。急いで来たんです。許してください」
「だいたい、伯爵一族の命令を……」
カチェの顔が怪訝なものになった。
それからジロジロと頭から爪先までアベルの服装を見回す。
鉱山の中で濡れたり化け物蛙の体液塗れになったので、けっこう壮絶なことになっている。
「アベル。あんた汚いわ。それに臭い」
「いや、好きで汚れたわけじゃないっすよ。もう大変だったんですよ。マジであんなところ人間が行く場所じゃないです。最低のクソ壺みたいな所でしたよ」
「何があったの?」
カチェは興味津々で聞いてくる。
とりあえず部屋に入れてもらったアベルは、鉱山でのオゾマシイ体験を身振り手振りで熱心に伝えた。
「そんな面白そうなこと、わたくしを除け者にしてやってきたのねっ!」
カチェは興奮しながら身を乗り出してきた。
「………えっと。僕の話しをちゃんと聞いてくれていましたか?」
「擬態したバケモノ蛙を殺して魔石を手に入れた冒険なんて………うらやましいっ!!」
――だめだ。人は見たいものしか見えないというが……これがそれか。
「それで……今日の用事はなんですか」
「わたくし、あれからお爺様にお手紙をしたためたわ。ロペスお兄様がアベルに決闘をお命じになったことも。そうしたら、お叱りの手紙がロペス兄様に届いたそうよ」
――え~? かえってマズくね? それ……。
あとから徹底的な復讐があるのではと不安になる。
アベルの懸念を他所に、カチェは話を進めた。
「それでね。わたくしは礼儀の勉強をする代わりに、アベルと行動を共にしてよいという許可を得たわ」
「んんっ?」
「これで毎日、剣と魔法の稽古ができます。実力を磨いて、噂に聞く王道の戦姫ハーディアとも戦ってみせるわっ」
なんか壮大な夢があるようだった。
これからそれに付き合わされるのはこっちなわけだが。
「すみません。カチェ様。ハイワンド伯爵様がどうした許可をお与えになったのか、正確に教えていただけますか……。その、無制限に自由が与えられるはずがないでしょう?」
「ま、まあね。確かにいくつか制限はあります。お城から出るときは必ず警護の者つけること。儀典長騎士スタルフォンと良く相談すること。日帰りに限ること。危険なことはしない。礼儀作法、諸学科の勉強は毎日すること……。これらを守らなければ稽古の許可も取り消すという条件です」
アベルは頷く。有り得る内容だった。
たぶん、カチェのストレスコントロールなのだろう。
アベルはこの際だから、カチェの身辺について突っ込んで聞いてみることにする。
「あのカチェ様。込み入ったことを聞きますけれど、ベルル団長とカチェ様はどれぐらい話をしたり遊んだりしますか?」
カチェが、すっと顔色を変えた。
子供は心が顔に出るから分かりやすい。
表情を隠すということを学んでいない。
「お父様は忙しいから……。わたくしのお相手は無理なのよ。でも、お兄様たちとは狩りとかに行くの。わたくしは狩りをやらせてもらえません。まだ子供だし女だからと言って。わたくしだって、教えてくださればできるのに」
もう、ほぼ放任ということだろう。
「お母さんは?」
「お母様は……帝都に居られます。その……お仕事があるとかで……」
「最後に会ったのはいつですか」
「えっと……えっと……」
カチェの顔がどんどん暗くなっていく。
「二年前の、新年会のときよ」
――なるほどな。両親から放っておかれているのか。
可哀想な子なんだ。
急激にカチェに対して同情心が湧いて来た。
「分かりました。じゃあ、これからできるだけ毎日、剣の稽古の相手を僕がします」
カチェが花開くように笑った。
よほど嬉しいようだ。
「でも、カチェ様。申し訳ないのですが、僕は騎士イース・アーク様の従者です。まずそちらの任務が優先です。それは理解してください」
「分かったわよ。ところで、わたくしも聞きたいことがあるの。アベルって遠縁の者なのでしょう。ハイワンド家とどういう関係なのですか。それから会話に出てきたウォルター・レイとはどちらの方ですか」
――困ったな。洗いざらい全て話すべきなのかな。
いずれ分かることだしなぁ……。
アベルが思案していると、扉がノックされた。
入ってきたのは家令のケイファードだ。
タキシードに似た雰囲気の黒服を着ていて、適度な緊張感の漂う人だった。
いかにも重責を担っている男の雰囲気。
会社で言えば優秀な部長のような感じだった。
「カチェ様、失礼します。従者アベルが訪ねてきたと聞きました。私も彼に用事があるのです。すぐに済みますゆえ、しばしアベルをお貸しくだされ」
アベルは渡りに船とはこのことかもしれないと思った。
「ケイファード様。今そちらにいきます」
急いでアベルは席を立ち、ケイファードの元へと行く。
ケイファードは一端、アベルを室外に連れ出した。
「アベル。君に給料の支払いがある。普通は月初めの日に主計長騎士のもとに取りに行くのだ。だが、君には私から直接に渡す」
「あっ、はい。どうも」
「それでな。これは誰にも絶対に話さないでおくのだぞ。伯爵様はお前に情けをかけられている。よって特別のご厚意により、給金は手心が加わっている。銀貨十枚だ」
「普通は五枚ですか」
「そうだ。だから倍である」
ケイファードは深く頷いた。
思い切ってアベルは相談してみることにした。
「あの。家紋の印章についてなのですけれど、これって、もしかして特別待遇ですか?」
「その通りだ。あの場ではベルル様もいらして態度ではお示しにならなかったのですが伯爵様はウォルター殿の件では、おそらく後悔なさっている。ベルル様とウォルター殿との間を取り持つべきであったと。アベルの父上のことであるから、これについて貴方は慎重に行動しなければなりません」
「僕の父上と伯爵様とは上手く行っていないようでしたけれど」
「時間が経てば考え方も感じ方も変わるものです。しかし、バース様は滅多にお心を人に明かさないお方。察するしかありません」
ケイファードはそう語るがアベルの核にいる男は、そうだろうかと思う。
あの小男を殺したことは前世でも今生でも、少しの悔いもない。
それほど簡単に人の性格は変わらない。
前世で自分の精神年齢は三十代以後、変化しなかった。
それは自分だけのことではないと思う。
男の性格とは、三十歳ぐらいでやっと固まり、それ以後はさほど変わらない気がする。
それこそ、生死に関わるような体験でもしなければ……。
アベルは一度だけ会った伯爵の顔を思い出してみる。
あの顔には、親しみなど欠片も現れてはいなかった。
冷厳で、どこか傲慢なほど意志の固さを感じさせて……。
いかにも高位の貴族と言う気配。
それとも貴族社会という化かし合いの世界で六十年近くもやってきたから、本心と顔は別物なのだろうか。
「……ケイファード様。もうひとつ相談があります」
「なんですか?」
「いまカチェ様に、僕と父上のことを質問されています。正直に父は伯爵様の私生児であることをお伝えした方がいいですか」
「なんと。うむ……。まず、そもそも隠しても無駄だ。ウォルター殿の出自を知るものはいくらでもいる。その内、お知りになるであろう。カチェ様は嘘が、ことのほかお嫌いである。正直にご説明申し上げなさい」
「分かりました。ケイファード様の要件は終わりですか」
「いいですか、アベルよ。カチェ様は同年代の友がほとんどいない。しかも、女の子らしい遊びにはあまり関心をお示しにならない方だ。そこを踏まえて上手くやってもらいたい」
ケイファードはアベルを部屋に送り出した。
アベルはあらためて席に着く。
カチェは質問の答えを待っていた。
嘘が嫌い……それはおそらく周囲の大人に口約束を覆されたことがあるからではないかと想像してみる。
正直に行くしかない……。
「あの。いとこって分かりますよね? つまり、カチェ様の親戚なのですけれど」
「えっと、お父様の兄弟の子供ということですわね。でも、お父様には兄弟はいませんことよ」
「はい。そうなのですけれど、実は違います。バース・ハイワンド伯爵様には男子の子供が二人います。一人はむろんベルル様。もう一人が、ウォルター・レイ。僕の父上です」
カチェが言葉を失っていた。
細い眉は角度を鋭くさせ、紫の瞳がいっそう厳しくなる。
「僕はカチェ様の、いとこなんですよ」
「………な~んだ。なるほどね。アベルって私の弟なんだ」
カチェが笑っていた。
柔和な笑みではない。
もっと凄味のある笑みだった。
「弟? いや、だから、僕からみてカチェ様は従姉だってことですよ。ただ、伯爵様が仰ったように、あくまで遠縁の者ですからね。一族扱いはしないでください」
「そうね。では弟分ね。もう決定! なんか変だと思っていたの。絶対に変だった。みんな嘘をついているって感じだった。わたくし、そういうの分かるのですから。隠したってだめよ。そう言われてみればアベルってハイワンドの顔をしているわ。目は暗いけれど」
カチェは、うんうんと頷き、なにか得心いった風だった。
「僕の想像では、ベルル様は父ウォルターが嫌いで、だから僕のこともお嫌いなんでしょう。カチェ様はこの件には手を出さないでください。これは僕の問題ですからね」
――お前が余計なことをすると拗れるって意味だよ。
心の中で付け加えておいた。
「ふん。分かったわ。それではさっそく、これから剣の稽古をするわよ。いいわね。お父様ったら、お城の剣術指南の先生にわたくしには剣を教えるなと釘を刺したの。だから、稽古の相手がいなかったのよ。でも、これでアベルがいる!」
さっそくカチェが上機嫌で支度を始める。
そうして訓練をしたのだが、カチェは相当ストレスを溜めていたみたいで、いつも以上に激しい稽古になってしまった。
しかも、前回の負けを意識しているらしく、防迅流で守りを固めたアベルに対して終始冷静に攻撃を続けてくる。
驚くべき学習能力であった。
アベルは少しだけ苦戦する。
しかし、アイラから教わった癖技を使うとカチェは対応できずにあっさり敗れた。
実戦を知らない者の弱点だった。
カチェの教育係である儀典長騎士スタルフォンにも事情を説明して、これからは毎日アベルに余裕があれば昼前から午後にかけて剣の訓練をすることになった。
イースの許可はないのだけれど、会社でいえば会長のバース・ハイワンド伯爵から命令が来ているのだから間違いではない……。
アベルはそのように自らに言い聞かせた。
カチェという娘は物怖じせず生意気な感じで、正直なところ苦手なタイプなのだが……。
まあ、それはそれで楽しいことがありそうだと面白くなってきた。




