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獣の見た夢  作者: MAKI
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私をダンジョンに連れて行って

 




 アベルは目を覚ます。

 もう、朝に近い感覚がある。

 隣にイースが寝ていて、静かな呼吸音が聞こえた。

 今日は抱き付かれていなかった。

 まあ、あれは何かの間違いだったのだろうと納得してみる……。


 だいたい冷静に考えてみると、女の子と同じ寝台で休むというのは凄いことだった。

 しかも、相手はあのイースである。

 下手に触れたら、大変なことになるかもしれない。

 ある意味、猛獣と一緒に寝ているようなものだ……。

 よくよく考えてみると恐ろしい。


 そろそろ朝一番の鐘が鳴るかなと思っていたら、やっぱり鳴った。

 音が鳴りやむ前にアベルもイースも起き上がる。

 昨日は命懸けで戦ったり我が儘なカチェの相手をしたりと、やたらと激しい一日だったが疲労はすっかり取れていた。

 むしろ、アベルの体は快調なぐらいだ。

 手足が軽やかである。

 準備を整えて廊下に出ると例の狼人がいた。


「まだいたの?」

「そんなこと言わないでくれずら。おらっち、名前はワルトというだ。ご主人様」

「イース様……どうしよう」

「自分で決めろ。子供ではあるまい」

「いや、子供ですよ」

「ふん……アベルを子供とするのは納得がいかんな」


 ワルトと名乗る狼人。

 身長はアイラと同じぐらい。前世的に言うと百七十センチぐらいだ。

 毛並みは黒と灰色。粗末なボロを纏っている。


 手は人間と獣の中間みたいな感じ。

 ナイフぐらいは握れるようだ。

 顔は狼というかシェパードに似ていて、そこに人間っぽさが少し混じっている。

 顔面の大半は毛に覆われていた。

 こうして見てみると、確かに悪い人物の感じはしなかった。


 アベルは、獣人が皆こうなら猫耳美少女は期待できない、などと思わずにはいられない。

 かなり残念。ショックだ。


「イース様。食堂って奴隷も利用できますか?」

「いや。騎士と従者の特権だ。奴隷はだめだ」

「うーん……。ま、ピエール料理長に頼んでみよう」


 食堂まで行くついでにワルトに色々聞いてみる。

 考えてみれば本物の亜人と話しをするのは初めてで、聞きたいこともたくさんあるのだ。


「ワルトは何歳なの?」

「おら、まだ若いほうだっちよ」

「いや歳は?」

「クウゥンン……。十より上だっちよ」

「あれ、もしかして数が分からないの?」

「十まで数えられるっちよ。そこからは……たくさんだっち」

「まぁいいや。獣人って何歳ぐらいまで生きるの」


 飼うにしても、何十年も飼えないからアベルは聞いておく。


「そうだっちねぇ。長生きすると、たくさんたくさん、ぐらいだっち。でも幼子のころに死んでしまうのも多いだっちよ」

「なんかもう、よくわかんねぇな。人間族と変わらないぐらいか?」

「そうそう。そうだっちよ」

「なんで皇帝国に来たの」

「今年は亜人界で飢えが起きているんだっちよ。山脈を越えて餌探しをしているうちに、人間族の領土に入り込んでいたっち」

「それで悪党どもと、つるんだのか」


 ワルトは済まなそうに耳を伏せた。


「すまんだっち。腹減りには敵わなかったずら。でも、おらにも言い分はあって人間の国が縄張りにしているところは、もともとおらたちの狩場だった所だっちよ。勝手に後から来て、盗っていったのは人間のほうずら」

「イース様。こういうことって良くあるのですか」

「亜人たちの越境は大抵が食糧不足によるものだ。境界線も曖昧な地域がある。あとは、魔獣界から強力な竜などが流れてきて、住処を追われて皇帝国の領地に入り込むこともある」


 話しているうちに食堂の裏手に着いた。

 アベルが料理長のピエールに事情を話すと、人の見ていないところでならばワルトに食べ物をやるという、ありがたいお言葉を頂戴した。

 さっそく用意してもらうことにする。


「ちょっと待っていろよ。すぐに出してやるから」


 ピエールの言葉に従い待っていると山盛りの大麦のお粥と野菜クズ、スジと脂の塊などが大きい木の皿に盛られている。

 それをワルトは感動しながら物凄い勢いで食べていた。

 尻尾なんか千切れんばかりにブンブンさせている。

 アベルは、何かとてもいいことした気分だ。

 どうみても昨日の残飯だったけれど……。

 

 ワルトには飯が終わったら部屋の前で待機していることを命じた。

 アベルとイースは改めて食堂に入り、朝食を食べる。

 噛み千切るのも苦労するほど固い黒パン、塩漬け豚肉を焼いたもの、付け合わせに芋と人参。

 塩味をした豆のスープ。

 黒パンはスープに浸して、柔らかくしてから食べることにする。


 食事をしていると意外なことがあった。

 何人かの騎士や従者がアベルに挨拶をしてくれたのだった。

 向こうの方からである。

 どうしたことなのか……。

 

 昨日の裁判が良かったのかもしれない。

 ロペスやモーンケの意地悪が、まさかの意外な結果だ。

 アベルは思う。

 あの業腹な従兄ども、無様な戦いをしたらクビにするつもりだったのじゃないかと。

 あるいは、腰を抜かして逃げるのを期待していたのかも。

 隙あらば侮辱してやろうという態度だ。


 アベルは、より負けたくないと決意を固める。

 泣いてウォルターのところへ帰るなんて恥だ。





 ~~~





「ところでイース様。今日の予定は?」

「まず上司に会う。任務の相談だ」

「上司! ロペス様ですか」

「いや、違う。直属の上司だ」


 考えてみれば、そういうのも当然かとアベルも納得した。

 ロペスは団長代理であり、城には騎士が数百人もいる。

 いちいちイースがロペスから直接に命令を受けるということは、あまり無いはずだ。


「どんな人ですか」

「名は、ガトゥ・トーゾという。身分は男爵である」

「騎士ではないのですか」

「そうだ。それに暗奇術の達人でもある。私より強いかもな」

「そりゃすげえ!」


 アベルは本気で驚く。

 イースの強さは驚異的だ。

 そのイースに匹敵するなら、もう本物である。


「ガトゥ様は奇数の日はお休み。偶数の日は勤務されている……はずだ。ときどきいないが」

「え。じゃあ、一年の半分は休みか。いいな~。ちなみにイース様のお休みはいつですか」

「騎士に休日はない」

「え……」

「常在戦場。これあるのみ」

「ブラックかよ!」




 優雅な庭園を横切り、しばらく歩くと木造の小屋があった。

 イースが扉をノックすると、中から入れと言う声がする。

 内側の部屋。椅子に座っていたのは、三十歳ぐらいの男だった。

 無精髭が生えているが、不思議と不潔感はない。

 むしろ似合っている。


 髪は灰色と、くすんだ茶髪を混ぜたような感じ。ちょっと長め。

 目は青。

 鼻もでかいが、口もでかい。

 肌は日焼けしていた。

 美男子ではないけれど、どこか親しみが湧いた。

 彼はアベルを見るや、口角を上げてニヤリと笑った。


「よぉ。お前さんが噂のアベルかぁ。なかなか癖のある面構えだなぁ」

「ど、どうも……」

「おれぁ、ガトゥ・トーゾ男爵。ま、よろしくな。イースの従者はすぐに辞めやがるけれど、お前さんは長続きしてくれよぉ!」

「あ、はい」

「実は俺もイースと同じく訳ありなんだが、詳しい話しはまた今度だ。簡単に俺から言えることは、女には注意しろってことだ。つまり人生の形が変わるとだけ言っておこう」


 アベルは堪えられず、ちょっと笑ってしまった。

 要するに女でしくじって厄介な役目に左遷されたと、そう言っているのと同じことだ。

 何だか、明るくて好感の湧く男だった。


「さてと。この書類の山を見やがれよ」


 ガトゥはうんざりした様子で机の上を示した。

 紙が積んである。


「全部が任務の要請だ。だが、全てに答えることはできない。重要な犯罪者の捜索や緊急性の高い魔獣の討伐を優先する。そして、平行作業だ。複数の仕事を同時にやらねばならん」

「はい。良く分かる話しです」

「分かってくれるのかよ。頼もしいぜ。よしっ。俺はもうお前を子供扱いしないぞ」


――過重労働。

  複数作業はブラック企業の基本中の基本だもんな。


「それでよ、さっそくだが急な任務依頼がきた。しかもバース伯爵ご本人からだ。帝都に発つ前、命令書を寄越してこられた。お城にいる客分教師の中に、カザルス・ラーロっていう青年がいる。二十代半ばにして魔道具の作製に関しては天才肌のやつだ。伯爵が見込んで子飼いにしているから、頼みは断れない。悪いが今から行って、依頼内容を聞いて来てくれ」


 イースが淡々と答える。


「了解しました」

「おしっ! 任務が済んだら、改めて三人で酒でも飲もうぜ! おごってやっからよ」

 

 ガトゥは人好きのする笑顔をした。

 子供を酒に誘うなよと思うわけだが……。


 アベルたちは退室して、お城へ向かう。

 本城の警備は固く、一か所だけの門は閉ざされている。

 伯爵の命令書を見せて、やっと内部に入れてもらえた。

 カザルスという人は城の最上階に住んでいるらしい。

 階段を登り、指定された部屋をイースがノックする。


 中から出てきたのは、茫洋とした笑みを浮かべた青年。

 どこか浮世離れした雰囲気をしていた。

 日に当たらないのか色白で、細長の顔をしている。

 アベルは茄子を連想した。


――なんかオタクっぽい感じだな……。



「あれ? あんたら誰?」

「私は騎士イース・アーク。伯爵様から指示があった。客分教師カザルス・ラーロを支援せよと。任務内容を伝えてください」

「あっ! 伯爵様、ボクの頼みを聞いてくれたのか。よし、入ってくれ」


 部屋の中はかなり乱雑だった。

 とにかくすごい数の本である。

 天井まで平積みになった、本、本、本……。

 たぶん千冊はある。

 それから、道具類を自作しているのか、木材やら金属板が転がっていた。

 足の踏み場もない。


 辺りを見回しているとアベルは定規を見つけた。

 思わず手に取る。


「これは……」

「ああ。それは物の長さを測る道具だよ。田舎だと大工ぐらいしか持ってないから結構、知らないんだよね。秤はさすがに普及しているけれど」


 カザルスがテナナの田舎者にそう教えてくれた。

 それは事実で、薬を扱うアベルの家に秤はあったが定規はなかった。

 代わりに印のついた縄があって、それで長さを測るのである。

 大雑把なものであるが、それで日常生活に困ることはない。

 ここにあった定規は精密なもので、長さは一メートルぐらい。

 木で作られていて、墨で緻密に距離が刻まれている。


「これで一メルという単位でしたっけ」

「そうそう。そして、千メルが一メルテね。単位は大事だから良く憶えておくんだよ」


 なんか教師っぽいことを言ってくれた。


「さあ、こっちにきてくれ」

 

 カザルスはどんどん奥へ行ってしまう。

 アベルは構うものかと本を踏んづけて歩いた。

 奥はかなり広い部屋だった。

 しかも、二部屋にまたがっている。

 その部屋でアベルは面白い物を見つけた。それはどう見ても望遠鏡だ。

 好奇心が抑えられず、アベルは思わず質問した。


「あの。カザルス様。これって遠くを見る道具ですか?」

「あっ。分かるの? そうさ。天文観測眼鏡というものだ。実際のところそれは魔道具ではなくて、光の屈折を利用した道具なんだけれど、分かる?」

「なんとなく。魔力を使っていない道具って意味ですよね」

「正解!」


 さらにアベルは壁に楕円の図形を見つけた。

 計算式のようなものもある。

 ピンときた。


「ははあ。このために使っていたのか。これは惑星軌道の計算かな?」

「ああぁああぁあぁあぁあ!」


 カザルスが唐突に叫んだ。

 アベルの肩を鷲掴みにする。


「どうして分かったあぁぁぁぁ?」


 カザルスはぶるぶると小刻みに震えている。

 アベルは震えるのは自分の方だと思う。


「い、いやあ。そのう。星の観察と計算といえば……そうかなと」

「キミは天才か。計算式も理解したのか」

「えーと。微分積分はもう忘れてしまって。ぽんこつ頭なもので」

「ビブン? なんだそれは?」

「要するに細かい計算を繰り返して惑星運動の周期を割り出したりするやつです。変化の割合っていうか」


 カザルスは目をギラギラと光らせていた。

 ちょっと狂気を感じる。


「ボクが今やっていることだ」

「依頼ってのはそのことですか。計算の手伝いなんかできないですよ」

「依頼? 依頼ってなんだ?」

「いや、あんたが伯爵様に頼んだ件ですよ」

「………ああっ。そうか」


 カザルスの鬼気迫る視線が緩んだ。

 やっと本題に入った。


「依頼っていうのは、そう。ボクは魔道具の開発をしている。今作っているのは本当は秘密なんだけれど、でもキミには教えてあげる。空を飛ぶ魔道具と、もう一つは大爆発を発生させる魔道具だ、でもこのことは誰にも言うな、秘密だぞ」


 カザルスは何が可笑しいのか、へへへへへ、と笑いだした。

 イースはカザルスのような人間と会話するのが不可能なのか、ずっと黙ったままだ。


「空ですか。というと鳥みたいな道具?」

「ふへへ。キミ、鳥の解剖をしたことないの?」

「鳥はさすがにないです」

「莫迦だなぁ。骨を調べてみなよ。鳥の骨は凄く軽いんだ。よく調べると格子状の空洞になっている。人間のと全然違う。つまりそれぐらい軽くないと、空は飛べないってことだ」


 飛行機がアルミのような軽金属で作られるのと同じだなとアベルは思う。


「カザルス様の言っていることは分かります。それに羽ばたくような機構と動力は作るのが非常に難しいでしょう」

「そうそう。それでカラクリが複雑になりすぎるから、ボクは機械式を諦めた。作れたとしても人が一人乗るのが精一杯だろうなぁ。

 で、もう一つの方法が魔力を使って、大気上に浮遊している魔素を捉えて飛行する方式だ。理論はだいたいできている。それで、今は実用機を作っている最中なんだけれど……製作費が掛かりすぎて伯爵様に怒られてしまった」

「はい。それで?」

「で、魔石とか天銀鉱とかその他の材料を、もう自分で手に入れることにしたんだ。というかそうしないと製作が進まない。なにしろハイワンドのお家は出陣の費えが物凄い金額だからね。ボクも雇われの身だからさ。会計とか経理の計算を手伝わされるんだけれど、戦費はもう酷いんだからっ!」

「はいはい。それは分かりましたから……」

「分かってくれた? ああよかった」


 カザルスは、にや~、と口を緩く広げて笑った。

 思わずアベルは首を振る。

 イースの方を見てみれば、彼女は目を閉じてジッとしていた。


「それで、あれですか。魔石だとかはどこまで行って買うのですか」

「買うんじゃないよ。採りに行くんだよ」

「どこまで?」

「アルドバ鉱山遺跡までさ」

「イース様。知っていますか。そこ、どんなところか」

「ポルトから馬なら片道で三日ほどの場所だ。北部山脈の麓にある。もう千年以上も昔に、魔石や鉱物を採掘していた遺跡だ。しかし、鉱脈の大部分は枯れて、長い間、放置され人々から忘れられていた。だが、鉱山はもともと自然に湧出する魔素が非常に濃い場所だから、坑道には良質の魔石が再生している……」

「なるほど。それを採りに行くのですか」

 

 カザルスが嬉しそうに頷いた。

 イースは冷然と言う。


「しかし、問題がある。坑道は複雑に伸びているらしい。しかも、何百年と放置されていたせいで、魔獣が格好の住処にしてしまった。冒険者が挑んでは行方不明になるのを繰り返している危険地帯だ」


――なにそれ。超いきたくねぇ。


「いや、なんか騎士のやることじゃない、そう思いませんか。イース様。やはり騎士には騎士の仕事があるのですよ。たとえば人助けとか」

「だが、たしかアルドバ鉱山遺跡の化け物退治という依頼が、すでにガトゥ様のもとに来ていた記憶がある。併せてこなせば一石二鳥だな。客分教師カザルス殿。任務は心得た。アルドバ鉱山遺跡へ行きましょう。本日、出発できますか?」

「昼までには支度をするよぉ」

「馬は所有していますか?」

「持っていないが、とりあえず乗れる」

「では、お城で借りてください。カザルス殿ならば家令のケイファード様に頼めば馬を手配してもらえましょう。正午に城外門のところで落ち合いましょう」


 アベルが口を挟むタイミングも見つからず話しは決まってしまった。

 伯爵の指令という時点で、覆るなどあり得なかったのだ。

 いったんアベルとイースは本城から出ようと廊下を歩いているときだ。

 アベルはカチェが廊下の先から歩いてくるのを見つけた。


 向こうもアベルを見た。

 紫の瞳が、大きく見開かれる。

 見つけたぞ、というような感じで凄い速さで駆け寄ってくる。


「いたわねっ、アベル!」


 アベルの前に走ってくると、腕を組み、あごを上げた姿勢を決めた。


「今日も、わたくしと稽古よっ! さぁ中庭に行きましょう」

「いや、あのカチェ様。僕はこれから伯爵様の命令があって忙しいのです」

「お爺様の命令ですって? どんなっ!」

「アルドバ鉱山遺跡に、鉱物採掘と化け物退治……みたいな」


 アベルとしては、もう口にするのもウンザリな仕事内容だった。

 暗いジメジメとした魔獣の犇めく鉱山洞窟とか、悪夢そのものだ。

 ところが、カチェにしてみると遊園地に近い印象らしい。

 彼女の顔がキラキラというかギラギラしていくのをアベルは唖然としつつ見た。


「なにそれっ、凄いっ! わたくしも行くっ!」

「いや、行けるわけね~だろ」

 

 思わず素が出てしまった。

 アベルとカチェが押し問答をしていると儀典長騎士スタルフォンがやってきた。


「なにをしておる? む。お前はアベル。どうした」


 急いでアベルが事情を話し、カチェの敗北は決定した。

 スタルフォンはカチェに首輪を付けてでも城から出さないと宣言する。

 アベルは、首輪はちょっとマニアックだろと思ったけれど。

 でも案外、似合うかもしれない。


 カチェが、物凄い恨みの表情をしてアベルを睨みつけている。

 このまま逃げると禍根を残す。

 復讐されそうだ。

 このままというわけにはいかない。社会人能力とはフォロー能力のことなのだ。


「カチェ様。一本だけ稽古しましょうか。それで今日のところは許してください」

「当り前よ! このままじゃ気持ちが治まらないっ」


 中庭の訓練施設に移動した。

 一本だけならそう時間は掛からないはずだ。


 アベルは、盾と軽めの木刀を選ぶ。

 防迅流も鍛えておきたいという動機だった。

 それにカチェは、あれで結構素早く、かつ的確に攻撃してくる。

 守りを固めた戦法を試したかった。


 稽古開始。

 かなりの力と素早さで、カチェは木刀を乱打してきた。

 しかし、ウォルターに仕込まれた防迅流でカチェの木刀を全て防ぐ。


 アベルは防戦一方のようでいるが実際には違う。

 カチェは全然、攻撃に手ごたえがないからイラつき始めた。

 体力には余裕があっても心理的には崩れていく。

 そこで機が来たとみてアベルはわざと隙を見せる。


 無理に攻撃を仕掛けてきたカチェに、盾を前に出して突撃。

 間合いを詰め切ったところでアベルは剣を突き出す。

 カチェは辛うじて身を捻って回避したが、その動きを予測して盾でぶん殴ってやった。


 カチェが地べたに膝をつく。

 剣先を突き付けて、勝負ありだ。


「僕は父上に習ったのですけれど、盾は防御だけに使えるわけではないのですよ。殴ることにも使えるのです。防迅流の技術には盾で敵を制圧する技がいくつもあります。じゃ、今日はこれまで」


 カチェは悔しさのあまり唇を噛んでいる。


「わたくしも任務をしたいっ」

「伯爵様に頼んでみたらどうですか?」


――どうせ無駄なことだろうけれど……。


 そうアベルは心中で付け加える。





 ~~~~





 アベルとイースは本城を出て、ガトゥ男爵に事の顛末を報告。

 ガトゥは書類の山からアルドバ鉱山遺跡に関係する依頼だとか資料を引っ張り出した。


「該当地域は魔獣の目撃が頻繁。遺跡を根城にして、付近の村落へ襲撃があるので魔獣を根絶してほしいとの依頼。それから冒険者組合(ギルド)からの報告では、今年だけで少なくとも四組の旅隊が調査に行ったまま行方不明。鉱山内で全滅した可能性が濃厚と」

「ほう……、心躍るな」

 

 イースが、なにやら物騒なことを呟く。

 横目でアベルはそんなイースに対して、信じられないものを見たという顔しかできない。


「イースなら間違いねぇだろうが、カザルスって教師は戦闘慣れしてねぇ。もう少し人数が欲しいところだが……。悪いが今回、俺は付いていってやれねえ。別件で忙しい」


 アベルは狼人ワルトを思い出す。


「あの。僕、狼人の奴隷がいるのですが、連れて行った方がいいですよね」

「なんだ。便利な物を持っているじゃねえか。イース、その獣人、使えるのか?」

「狼人氏族のうちでは、中の中程度の手並みと思います。鍛えれば、まだ成長することでしょう」

「おしっ。じゃあ、きぃつけて行ってこい。無事の帰りを待っているぞ。おっと、そうそう。遺跡内の地図がある。二十年ぐらい前に、とある騎士が調査したときのものだ。持って行けよ」


 そのままアベルとイースは部屋に戻る。

 ワルトは建物近くの日当たりの良いところを見つけ出して、そこで寝ていた。

 その姿は巨大な犬そのものだった。

 起き上がったワルトが欠伸をすると鋭い犬歯が見える。


「お前はいいなぁ。昼から寝ていられて」

「人間族は頭いいのにバカだっちよ。食いきれないほどの食べ物を、死にそうになるほど働いて作っているっちよ。意味が分からないっちよ」

「そういうお前は飢え死にしそうで流れてきたんだろ?」

「食べ物が少なくなったのは天気のせいだっちよ。オラらのせいではないっち」


 獣人の物の考え方が、なんとなく伝わってくる。

 異人種の考えを知るにはいい機会かもしれないとアベルは感じた。

 しばらくこいつを飼うか。


「イース様。ワルトに武装させてもいいですか?」

「そうだな。必要だろう。どうやらそいつ、アベルに懐いているようだ。使っていない短剣があったはずだから貸してやる」


 イースは部屋から帯剣ベルトと短剣を持ってきてくれた。

 短剣は両刃で刃長は手の平ぐらい。

 ワルトは革のベルトを、しっかりと体に巻き付けた。

 二本の短剣を革帯に差す。

 旅装を整えて城外門の内側で待っていると、教師カザルスが馬に乗ってやって来た。


「おまたせぇ」


 相変わらず、どことなく掴みどころのない表情をしていた。

 細目に褐色の瞳。

 知的な感じが眉目に現れているのたが、緊張感のようなものはどこにもない。

 危険な場所へ行くはずなのに、ちょっと散歩にでも行くような態度だった。


 ポルトの街で食料などを買い込み、旅は始まる。

 アベルはまだイースと二人乗りだ。

 胸甲があるから、おっぱいとかは触れない。

 鎧が無くても触ったら顔面骨折だから触らないけれど。


 ワルトは健脚を自慢して、馬には負けねぇずら、とか言っているから徒歩だ。

 教師カザルスは、みずから取り合えず乗馬できる程度と言っていた腕だったが借りた馬がとても優秀だった。

 ナナの後ろを、とっとこ歩いてくれる。


 旅が始まる。

 途中、アベルがカザルスに鉱石や魔石について質問をすると教師だけあって、要点を押さえて教えてくれた。

 魔石というのは自然界に遍く存在する魔素が蓄積された結晶や石の総称だ。

 普遍に存在している魔素は捕捉するのに膨大な手間がかかるため、魔法の発動力としては非常に効率が悪い。

 しかし、魔石は既に魔素が蓄積された物体だから、そこから魔力として力を引き出すことができる。

 要するに乾電池のようなものらしい。

 魔石は実際のところ、そこら辺の土中にいくらでもある。

 ただし質が低い。

 何千個と集めなければ用を成さないのであれば、ほぼ価値はない。


 カザルスが求めているのはそうした屑石ではなく、膨大な魔力を貯め込んだ第一級魔石結晶である。

 その魔石を動力源として、大勢の人間が乗れる飛行魔道具を作製したいそうだ。

 そしてカザルスの願望はバース・ハイワンド伯爵の目論見とも合致した。

 アベルは恐らく伯爵が飛行魔道具を軍事利用したいのだろうと想像する。

 アベルは聞いてみる。


「その飛行魔道具。これまでどれぐらいの予算で作っていたのですか」

「なんだかんだで、皇国金貨の二千枚ぐらいは掛かっている」

 

 皇国金貨は皇帝国で流通している最高位の貨幣だ。

 アベルもウォルターからたった一枚、いざという時のために貰っただけである。

 とてつもない浪費だった。


「そりゃ伯爵様も怒るな」

「仕方ないだろ。全て特注だし、空を飛ぶんだぞ。安物を使って落っこちたらどうする」

「まあね……。でも、カザルス様は金銭感覚とか疎そうだから」

「学問の前に金など些細なことだ。アベル君。キミは優秀なのにチンケなことを言うね」


 色々と無駄話をしながら旅をする。

 イースは黙って聞いているだけだったが。

 そうして雨に降られることもなく、順調に進んだ。

 ワルトは散歩感覚なのか、実に嬉しそうに付いてくる。


 ハイワンド伯爵領は皇帝国の最東部に属するという。

 さらに東に行くと、大陸の中央平原となる。

 中央平原は肥沃な平地で、長年に渡って王道国との勢力争いの舞台になっているそうだ。

 その平原を東にさらに進むと、そこは皇帝国の宿敵である王道国の領土となる。


 伯爵領の北は北部山脈と呼ばれていた。

 山脈は非常に峻険で、魔獣、野獣が数多く生息している。

 北部山脈を越えると人間族の勢力圏ではなくなり、亜人界となるらしい……。

 アベルは世界は広く、自分はその一部しか知らないのだなと思った。


 いつか、世界を巡ってみたい。

 決して消えることのない、胸に渦巻く怒りと憎悪が何かを求めていた。

 







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