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獣の見た夢  作者: MAKI


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123/141

王道国への旅

 




 アベルはテオ皇子やバース公爵から、ある任務を命じられていた。

 すなわち、ガイアケロンが帰国することになれば必ず同行し、王都の情勢を偵察せよというもの。

 それからできることならばガイアケロンの謁見に付き従い、イズファヤート王の顔を直に確認すること。

 それにより彼の王の心理や健康状態を読み取れ……。

 旅立つ前、最後に届いた密書の内容だった。


 もはや皇帝国のための任務になど興味はなかったが、ガイアケロンに高い利用価値があるとテオ皇子に思わせておく上では重要なことだった。

 いくら秘密同盟がなったとはいえ、互いに価値を感じている内が有効期限と考えておくべき……、アベルはそう判断していた。

 皇帝国を捨てたようでいて、自由にならないことばかりだった。


 アベルをイズファヤート王の近辺に送り込む、というのはバース公爵がガイアケロンに強く要求していた。

 祖父バースはアベルの人物鑑定の能力を評価していた。

 どうしてもイズファヤート王の人柄を調べさせたいという考えに違いなかった。

 その要望に対してガイアケロンはできるだけのことはすると言ったものの、どうなるか、また何が起こるか全く分からない。


 アベルはイズファヤート王を想像してみる。

 人の心を持たない残忍な性格。

 実子を道具と見なして、目障りなら使い捨ててしまう冷酷さ。

 底知れない不気味さだ……。

 王道国の貴族や民衆は、恐怖によって統治されているという。


 アベルは黙考すればするほど、実はガイアケロンの狙っている反逆は間近なのかもしれないと感じる。

 誰しもが、まさかと思うような瞬間でなければ不意は突けない。

 勝利して凱旋帰国をした王子と王女。

 民衆、貴族ともども英雄と讃えるのは間違いない。

 栄光に包まれ、さらなる恩賞に預れるだろうというところで……無謀とも思える反逆をするとは普通、誰しも考えない。


 だが、アベルだけはガイアケロンの心に渦巻く憎悪と殺意を知っていた。

 自分のことのように認知できる。

 あの狂気と同種の衝動。

 欲求が理屈を上回る。

 何が何でも殺してやりたいという、飢餓感。


 機会が来れば……即座に父親殺害に及ぶかもしれない。

 そうなればガイアケロンと共に王宮内で死闘を繰り広げることになるだろう。

 見捨てられるわけが、なかった。

 生き残れる可能性など、無いに等しいのかもしれない。


 柔らかい日差し。

 春を告げる鳥が青空で賑やかに鳴いていた。

 思ったより死が差し迫っているのかもしれない思えば、道中の風景が、それは何でもないような田舎であったとしても、やたらと美しく見えるものだった。


「アベル。今日の変装は似合っていますか? おかしくはないでしょうか」


 隣で馬を操るハーディアが、高雅な声で聞いて来た。アベルは声の主を見る。

 王女は、そうと分からない姿に化けている。

 口元は絹布で隠し、質素な皮革の軽装鎧をしていた。髪は束ねて冑と服で隠している。

 服装といい乗る馬といい、身分の低い戦士階級といった風情だった。

 ただひとつ、隠しようもなく知的で優雅な眼差しだけが際立っている。


 ガイアケロンとハーディアは用心深く、襲撃を警戒して、影武者を仕立てていた。

 さすがに顔までもが似ているとは言えないが、背格好はほぼ同じくした男女である。

 影武者にはガイアケロンとハーディアの鎧を装着させて、さらに布で口元を隠させてある。

 かなり近場から見ても立派な馬に乗る彼らは、本人たちにしか見えない。


「ハーディア様。ただの女戦士に見えます。でも、似合ってはいないかな」

「いつもの姿の方が好ましいという意味ですか。意外と甘い言葉もお上手ですこと。カチェとか誰にでも同じこと言っているのでしょう?」


 アベルは王女のからかいに困る。

 別に深い意味で言ったわけではなかった。

 本音として、似合っていないから口にしたまでだ。


「ふふ。変装すると別人になったようで楽しいものです。あと、アベル殿。今は私に敬語を使うのは止めなさい」

「それこそ難しい注文……」

「さて。騎馬隊の百人頭アベル殿。配下の私に何か命じてみなさい。水汲みでも洗濯でも。何でもしますよ」

「ハーディア様こそ言葉使いが変なのだけれど。命じてみなさい……なんて、普通だれも言わないです」


 困惑するアベルをハーディアは悪戯っぽく見ていた。

 口元は布で見えないが、形のいい唇は笑んでいることだろう。

 アベルはハーディアの思わぬ一面を知りつつある。

 かつては冷徹に接してきた王女だったが、ひとたび信頼してからというもの身内のように親しんできた。

 その態度はアベルやカチェだけでなく平民であるシャーレ、あるいは奴隷であるワルトにまで及んでいる。

 この優しさは演技とは思えなかった。

 戦争では非情の決断を下すハーディアだが、本来こうした女性なのだろうとアベルは感じる。


「あんまりアベル殿を困らせたら駄目だぞ。女戦士さん」

「まぁ、兄様……じゃありませんでした。荷物持ちさん。失礼」


 王族兄妹は互いに笑い合う。

 ガイアケロンもまた変装していた。

 労務者の着るような、まるで古びた麻の服を纏っていた。さらに粗末な外套を羽織って、頭には布を巻きつけてある。

 一応、馬には乗っているが、荷物などが括り付けてある様子から運搬人としか見えない姿だった。

 どこの誰が王子だと思おうか……。


 ただし、その顔をよく見れば雄々しくも泰然とした表情に、はっきりとした格がある。

 運び屋にしては貫禄がありすぎた。


 ガイアケロンは妹ハーディアの気分が和んでいるのを見て、単純に嬉しくなった。

 ディド・ズマとの婚儀が一方的に進む心痛のせいか、妹は憂いを含んだ表情をしていることが頻繁だった。

 しかし、この帰国の旅にあって、だいぶ気持ちを取り戻している気配がある。

 もっとも、実情は人生最後の紀行を味わっているつもりなのかもしれない。


 ガイアケロンは願う。

 ……せめてハーディアだけはどこか安全なところで平穏に暮らして欲しい。

 希望が胸中に浮かぶが、やはり有り得ない妄想だった。

 逃げ場などない。

 あの怪物の子供として生まれたとき運命は既に決していた。


 二人で固く約束したのだった。

 もはやこれまでという時は、父王イズファヤートと刺し違えると……。





 ~~~~~





 ガイアケロンは帰国の旅団を、僅か三百人にまで絞ってある。

 選び抜かれた戦士や魔法使い、それから会計なども行う官吏、紋章官なども随行する。

 さらに戦いで活躍が目覚ましかった千人長のアグリウスやスターシャなど軍団の中堅。

 ヴァンダルのような馬廻りの若手なども選ばれていた。 

 参謀のオーツェルはいつでも共にいる。


 アベルが意外に思ったのは、幼なじみにして薬師のシャーレが同行を求められたことだった。

 彼女の作る薬はハーディアが必要としている。

 できるだけ争いに巻き込みたくないのだが、仕方が無かった。

 またシャーレ自身も置いて行かれるより、旅に従いたい希望が強いのだった。


 移動はひたすら続く。

 方角は東南東。

 中央平原と呼ぶぐらいで平地が主であるが、小高い丘や山稜もしばしば見える。

 地面は緑の草に覆われていて、荒れ地はなかった。

 森は少ない。


 至る所に湧き水や小川があって、水に困ることがなかった。

 万に及ばんとする夥しい羊や牛が、花の咲き乱れる平原で放牧されているのをアベルは頻繁に見かけた。

 なんと世界は広く美しいのだろうと実感する時。


 数千年に渡って様々な勢力が勃興した大陸中央地域だけあって、遺跡がいたるところにあった。

 ちょっとした高地の頂上付近には砦の跡が姿を現す。それらは完全に朽ちた遺構であって、稀に旅人が野宿に利用する程度のものであった。

 街道沿いに宿場町と村落が点在していて、交通の要所に大きな街がある。

 人口の多い場所の近辺には畑が広がっていた。


 ガイアケロンは勝利の報酬として中央平原の約半分の支配を任されていた。

 よって見渡す限りの平野は、これが全てガイアケロンのものということになるのだが、それはそれで気の許せることではないらしい。

 なにしろ、王から下賜された土地だけあって、支配が不十分であるなら領地経営の不能者として断罪される恐れがあるからであった。


 古くからその地に住んでいる有力者と、新しく雇った官吏を上手く利用して徴税や統治運営を実行していくしかない。

 戦争のような華やかさのない、地味で堅実な執政が求められている。

 遊興や騎士道にばかり凝って領地経営を疎かにし、結果、没落していく貴族というのは珍しくない。


 旅団はやがてセルタという交易で栄える大きな街に着いた。

 石造りの平屋が三メルテ四方に広がり、商家が軒を連ねている。

 こうした大きな街は多額の収益が望めるためか王家直轄になっていて、ガイアケロンの領地とはなっていない場合がほとんどであった。


 混乱を避けるため王族兄妹が来訪したことは街の官吏に伝えないことになっている。

 旅団は壁で囲まれたセルタの郊外で一日、休むことになった。


 ガイアケロンとハーディアは少数の供だけで街に出向く。

 視察のためだった。

 こうして不意に訪れるからこそ、その場所の本当の様子が分かる。

 王族に不手際を隠蔽するため、役人や地主は来訪に会わせて誤魔化しを行うことが多々あるのが現実だ。


 アベルとカチェ、スターシャなども密かな移動に付いて行く。

 活気に満ちた石畳の道。喧噪がうるさいほどだ。

 商人や労務者の姿が多い。

 それから物乞い。

 穀物の入った袋や、油を入れた瓶が積まれた馬車が行き交う。


 街の中心には広場、端には家畜のための水場などがある。

 そういう場所にどこからか流浪してきた家族たちが、それも数十組と途方に暮れた様子で座り込んでいた。

 難民と言っていい人たちだった。

 疲れ切った老人、ぎらついた眼をした若い男、無表情の中年の女、泣いている赤ん坊。


 彼らのうち、労働できる者が日雇いのような仕事に就き、朝から働いて夕方に家族の元へ食物と共に戻る。

 無宿者が増えると犯罪や景観などで問題が起こるため、街に住む者からは良く思われない場合が多い。

 難民が罵られたり、追い払われたりは良くあることだった。酷いと武器まで使った騒乱状態となる。

 この問題の難しさは、どちらが一方的に良い悪いと判別できないところだった。


 アベルが彼らに話しを聞いてみると、亜人界や皇帝国属州、中には王道国本国から移動してきた民衆までいた。

 移動と言っても、それはほぼ逃避行である。

 王道国や亜人界の一部では天候不順で農作物が採れず、餓死者が出るような状態らしい。

 属州や亜人界は戦乱が激しく、住処を追われて旅立ったという。

 いずれも治安が安定して、作物に恵まれた中央平原の領地を目指してきたと説明する。


 アベルは広場の隅に一組の家族を見つけた。

 十歳ぐらいの少年とその母親らしいのだが、その母らしき女性は添え木をした足を投げ出して寝込んでいる。

 女はまだ若く、二十代後半ぐらいの年齢だが、顔は痩せていた。

 どうやら骨折らしい。

 少年に声を掛けてみる。


「お母さん、怪我をしているのか」

「……そう」

「医者になんか行けないよな。金がいるから」

「……」


 少年は暗い表情で黙り込んでしまった。

 骨折はきちんと繋いで安静にしているしかないのだが……。

 アベルがじっくり聞き出してみると、北の方から家族で移動している最中、父親は病気になり死んでしまったという。

 母親と二人で街の近くまで来たが、事故で足を痛めて以来、ここで半ば物乞いのような状態らしい。


 アベルは周りにあまり人がいないのを確認してから、母親の足を見た。

 警戒して抵抗するかと思ったが、熱で体力がないらしく、ほとんど抵抗しない。

 脛の腓骨が折れているようだった。一応、骨接ぎの応急手当だけはしてあるが、圧迫が緩んで直されていない。

 足は何倍にも膨れ上がり、状態は最悪。

 外傷も膿んでいて、このままでは壊疽してしまうかもしれなかった。

 これは中級程度の、たとえばウォルターほどの治療魔術の使い手であっても一度には治らない傷だ。


 こういうことは一気に素早くやった方がいい。

 アベルは魔力を活性化させて集中。

 白い輝きが掌に生まれる。

 腫れ上がり、腐りかけた足を掴んで、骨の再生と患部の快癒を強くイメージした。


 額から汗が流れた。

 やはり魔力の成長に実感がある。

 体の内から湧き出してくるパワーに密度と質量のようなものが、激しく漲っていた。


 余計なこと、無駄なことをしているのかなとアベルは思う。

 偽善と言えばその通りで、せっかく治療魔術の才能に恵まれて、だが、愚かにしか振る舞えないけれど……それでもウォルターの真似だけでもやってみたい。

 その場限りの手助けなのは知っているが、無いよりマシと思ってみたり。


「治ったはずだ。歩いてみて」


 すっかり足が元通りになった女性は恐々と立ち上がり、驚きの表情をする。

 治ったのを確認して、それから手持ちの食べ物と少額の銀貨を渡した。

 素早く立ち去る。ガイアケロンたちとは後で合流すればいい。


 こうした、辻治療と呼ばれる行為は実はいくつもの危険を伴う。

 まず、無償で治療するとみて、あそこが悪いとかここが痛いと要求してくる者たちが群がってくる。

 むろん数百人全てに対応することはできない。

 できないと言えば彼らは不公平であり当然受けるべき利益を奪われたと恨んでくる場合すらある。


 それでも無理に助けようとすれば一時的に聖人のように敬われて、しかし、金のない者たちへの際限の無い施しで体力を損耗していき、やがては共倒れとなる。

 皇帝国のように治療魔術師を最下級貴族である騎士に叙するという法律は、貴重な人材の管理と保護のためでもあった。

 また、その地域で治療者として活動している者から辻治療は、商売の妨害をしていると受け取られ、激しく非難されることもある。


 一連の行為を離れたところから見ていたハーディアとガイアケロンは驚きを感じていた。

 アベルは数十人の屈強な戦士を殺害する冷徹さがあるのに、たったいま奥深い慈しみを覗かせた。

 貧しい困窮者に憐みを持ったとしても、実際にあそこまで助ける者は少ないのである。

 ハーディアは隣にいたカチェに聞いてみた。


「アベルは、ああしたことをよくやるのですか」

「はい。お金が無くて困っている怪我人を助けることがあります。かつて旅の途中……何回もありました。それからワルトの命を助けたのもアベルだと聞いています」

「不思議な人ねぇ」

「他にも変わったところがたくさんあります……」


 カチェは自分の方がずっとアベルのことを良く知っているのだと自慢したいぐらいだった。

 そんな簡単にアベルの複雑な性格をハーディアに理解してもらいたくない。

 ときに、いとも容易く命を投げ出す暴勇、奇妙なほどの慎重さ……今のような優しさ。

 そうしたものが混じりあっているのがアベルだ。

 まだ自分の知りえない部分もあるのだろうと想像する。

 そこに最も肉薄していたのはイースではなかったか。

 しかし、イースは何も語らないまま別れた。


 それまで黙っていたスターシャが訳知り顔で語る。


「あたいはあれ、分かるよ。あんまり戦士稼業をやっていると罪滅ぼしがしたくなるのさ。このままじゃ神様に見放されるって気になる。だから神殿にお供え物したり、貧者に金を恵んでやったり。男なら体を売っている女に多めの金を渡してみたりしてさ」

「アベルは女性を買ったりしません。それから神様がどうしたとかアベルに言わない方がいいわ。だってアベル、神様が嫌いみたいだから……凄く」


 ハーディアとスターシャは、いまひとつ理解できないという風な表情をしていた。

 ガイアケロンは何か哀しそうな目線を一瞬だけ浮かべる。


 カチェとて、理由をはっきり知っているわけではない。

 ただ、しばしばアベルが冒涜的に神を罵るのを知っていた。

 敬虔な信徒や司祭が聞いたら争いになってしまうほどに。


 神は役に立っていない。

 神は人間の弱い心が生み出した幻だ。

 神の意志を語る者は詐欺師だ。

 神がいるとしたら最低の糞野郎だ……。


 力の限り神を否定するアベル。

 カチェは思い出す。

 神様に抗議しても、それは空に石を投げるようなものですよ。すぐに自らへ石が落ちてくることでしょう。そうアベルに諭した。

 そうしたらアベルは……石は本当に遠くまで投げれば、やがて落ちて来なくなると子供みたいな反論をしたものだ。

 ひどく真剣な態度で言うほどのことでもないはずなのに。

 それともあくまで人は神すら殺せると言いたいのだろうか。まさに涜神だ……。


 アベルはしばらく一人でセルタの街をぶらつく。

 交易路だけあって、ポルトよりも活気がある。

 適当な飲み屋に入って葡萄酒を頼んだ。

 その店は商人の出入りが多く、色々な噂を聞くことが出来た。

 中でも北方草原の情報は興味深い。


 なんでもかなり激しい部族間の戦争が起こっているという。

 外地からの侵略というのではなく、草原氏族たちの勢力争いらしい。

 共に戦ったユーリアン氏族のウルラウや、顔にわざと装飾した傷を作るスターキ氏族の恐ろしげな風貌が思い出される。


 ウルラウは勇敢に草原を駆け抜ける、美しい女性だった。

 健やかに過ごしていればいいが。

 もう二度と会うことはないだろうか……。




 セルタの街で食料を買い込み、旅団はさらに東へと進む。

 夜明けとともに慌ただしく出発。

 日中は最低限の休息だけで、日没前に平原で野宿する。

 幸い雨はほとんど降らない。

 南東に移動するごとに、加速度を増して季節は明確な春へ変化していく。


 やがて旅を始めてから二十八日め、ついに王道国に到達した。

 国境の街ティラールに入城。

 ティラールは王道国の西部にあって最重要の拠点だった。


 先行したヒエラルクの手配は完璧で、すでに街ではガイアケロンとハーディアの受け入れ態勢が整っていた。

 かなり大規模の要塞が市の中心にある。

 内部には王が行幸したときのため、玉座の間まで設けられていた。

 しかし、そこも一泊しただけで次の目的地に起つ。


 すべての関所は、先行している軍目付けヒエラルクの命令により通過が許された。

 王子、王族と言えどもイズファヤート王の許可なく国内を自由に移動することはできない。

 ましてや僅か三百人とはいえ、武装した戦士を同行させて王都に入るには特別な許可がいる。

 だが、ヒエラルクの働きによって、そうした問題は完全に解決されていた。


 国内のあらゆる要所を、ガイアケロンは無視するかのように突き進む。

 王都に接近するにつれ、ガイアケロンとハーディアが帰国するという噂が、どこからともなく、しかし声高に溢れていた。

 二人は王道国の人間にとって、あまりにも大きな英雄であった。


 アベルはその訳を知る。

 王道国は皇帝国以上の重税が課せられていた。

 苦しい生活の成果は、戦争の勝利だけであった。

 それだけに華々しく活躍する戦士、王族は異様なまでに讃えられる。


 アベルはそうした群集心理に恐ろしさを感じる。

 これは……つまり一度負け込めば、急降下するように失望され、事によっては憎まれる破目になるからだ。


 王道国を移動すること十八日間。

 急激に人口密度が高まってきたのを感じる。

 とうとう王都の外縁部に到達したのだった。


 馬車が擦れ違えるだけの幅広い道路は、全て舗装されている。

 街道の脇は煉瓦造りの建物になり、二階建てが当たり前になってきた。

 屋根は陶製の瓦で葺かれていて、色彩は一様に赤茶色をしている。

 ときどき高価な石材の列柱に囲まれた神殿がある。


 アベルは思わず声を上げた。

 遠く、小高い山に巨大な城が見える。

 皇帝国の皇城に匹敵する規模だった。

 複数の城壁に防御され、中心に尖塔を五つも備えた構造物がある。

 

 城のある山はそれほど標高は高くないが、あたりは平野ばかりが続くため目立っている。

 王都には水路があり、すぐ近間に海があるという。

 海は海棲魔獣が多く、人間はあまり利用できないのが常であるのだが、遠浅の海が広がっているためか魔獣の数が例外的に少ない海域だという。

 王道国のあらゆる場所から陸路だけでなく海路までもを利用して、数え切れないほどの人々が行き来していた。

 帝都に並ぶ、この世界で最も栄えた都。

 無尽蔵の混沌、最悪の貧困と最高の贅沢が同時に存在していた。


「あそこに王が、イズファヤートが……」

「そうだ。あそこに父がいる」


 ガイアケロンの横顔に、表面的な変化はなかった。

 穏やかと言っていい。

 だが、アベルはこの男が、真の怒りを心に湛えているのを知っていた。

 その激怒は、もはや鋼の冷たさすら有している。


 アスの魔術によって、ガイアケロンの心象風景を見知っている……。

 幻などではない。

 生々しい、侵してくるような熱まで伝わるほどの実感。


 そういえば、あの女もまた、ここに来ているのだろうか。

 空色の澄んだ瞳。

 神秘的なほど美しい中性的な顔。

 黙っていれば聖なる気配すらしそうな肉体であるのに、アベルへは常に淫蕩な態度を示した。

 事あるごとに欲望を増大させようとする女……。


 来ているに決まっていた。

 出会ってからというもの断続的に、しかし、絶えることなく姿を現した。

 まさに魔女。

 愚かな男が、焼けた鉄板の上を混迷しながら走り回る様を見て、楽しんでいる……。


 しかし、アスの助けが無ければ、ガイアケロンとこれほど短期間に接触できなかったかもしれない。

 少なくても心の内を知ることは無かったはずだ。

 父親殺しの望みを抱く、獣のごとき男同士だと。


「いつ城に行くのですか」


 アベルは何でもないように聞いてみたが、緊張は抑えられなかった。

 命懸けの反逆。

 誰も彼も斬り殺し、破壊を重ね、最後は自分の肉体も粉々になる……。

 死の予感は、どうしようもなく加速する。


「後から兄リキメルとシラーズが到着してからだろう。登城する前にやらなければならないことが山積みだ。オーツェルから聞いたのだが、ディド・ズマは既に王都に到着しているらしい」

「ズマが!」


 ガイアケロンは、今度こそ表情を隠さなかった。

 妹を欲望で支配しようとする男への、激しい怒りが滲み出ていた。

 滅多に怒らない男の激情。

 夥しい人々を染め上げるほど流される血は、すでに生臭く漂っている気がした。






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