奇妙な友情
執軍官のノルト・ミュラーは親衛軍にガイアケロンの追撃を行わないように厳命する。
同時にドラージュ騎士団の長であるエリアス・ドラージュを探しに行く。
途中、殺気立った騎馬隊と行き交う。
彼ら騎士たちはガイアケロンに槍をくれてやろうと猛り狂っていた。
馬に拍車を入れて山道のほうへ駆けていく。
小高くなった丘にエリアス・ドラージュを見つけ出した。
派手な黄金の翼が冑に装飾されているので遠目でも見つけやすい。
数十騎の幕僚を従えて、自身は白馬に乗っている。
何かしきりに下知していた。
ミュラーは警戒兵を怒鳴って追い散らし、接近していく。
見てくれは貧相な男でも、執軍官の飾りが付いた冑には効果がある。
「ドラージュ騎士団長殿! ミュラーめの具申を聞いてくだされ!」
彼はあからさま面倒な者を見る顔つきをしたが、一応は皇帝親衛軍を束ねる執軍官の進言を無視しなかった。
しぶしぶ承諾する。
それでも権高い声色でミュラー子爵が何の用事だ、と問うてきた。
子爵とわざわざ呼ぶあたり、立場を弁えろと威圧しているも同然であった。
「なにとぞ、追撃は慎重に!」
「なにを言うかと思えば、お前は愚か者だ! 今こそ果敢に攻める時ぞ」
「これは罠でしょう」
「何が罠なものか。敵は敗走を始めている。我ら公爵家の増援があることを察知したに違いない。このまま原野に残れば多勢無勢の不利と気づいたのだ」
「偽装ではないかと」
「ふっ……! 臆病者は藪の中の兎を獅子と間違える。偽装後退などという戦術は机上の空論だ。演技で逃げることなどできない。兵士たちは敗走しているうちに恐怖に駆られ予定地から掛け離れた所まで逃げるだろう。隊列は失われ、周囲は見知らぬ者ばかりとなる。組織的な反撃などできはせぬ」
「平野ならそうともなりましょうが、あそこは細い一本道ですぞ」
「ええい! しつこい! ガイアケロンとハーディアめは直ぐそこにいるのだ。これでどうして攻撃せずにいられようか!」
「……」
エリアス・ドラージュは目に怒気を湛えてミュラーの意見を拒絶した。
周囲を固める彼の幕僚たちもミュラーを軽蔑の視線で見ている。
説得は失敗だ。
ミュラーは沈痛な気持ちで顔を俯ける。
執軍官などと言っても公爵家への強制力はない。
唯一、命令できるのはコンラート皇子なのだが……、皇子は後方の軍陣から出てこようとしない。
打てる手はなさそうだった。
「エリアス・ドラージュ騎士団長殿。せめて山岳へは大軍を入れすぎませんように。十人ほどの部隊を小刻みに送らなければ渋滞の憂き目になることでしょう」
「ミュラー子爵。お主に言われずとも心得ておる。もはや口出し無用。怪我人ばかりの親衛軍の面倒でも見ておれ」
「……」
アベルとカチェ、ワルトは後退戦の渦中にいる。
乗っていた馬は強襲偵察隊に預けて別れたので徒歩だ。
アベルは追って来る皇帝国公爵家の軍勢の様子を見た。
場所は幅の狭い山道である。
四、五人が横に広がると、もうそれで両側は切り立った崖や深い谷への斜面となる。
時折、馬車のすれ違いのためか道幅の広い場所があるものの、いずにせよ限られた空間しかない。
追ってくる敵の顔。鉄兜の庇の下には、濡れたような生臭い光を帯びた眼が凶暴に光っている。
相手は騎士階級の者が多く、馬に乗っていてその周囲を従者が固めていた。
彼らはガイアケロンとハーディアという巨大な目標に向かって、闘争心を燃え上がらせている。
復讐ということもあろうが、褒美が目当てでもあるはずだった。
敵国の英雄の首を獲れば、高位の貴族に成り上がることすら夢ではない。
そんな欲望に駆られた相手が山道を数百人ほどで追跡してくる。
後続はどれほどいるか見当もつかない。数千人だろうか。
ガイアケロンの重装歩兵らは十人ほどが道を塞ぐようにして戦い、敵の追撃を押し留めている間に本隊は後退を続ける。
戦闘をしていた兵士は機を見て退き、また別の部隊が防衛線を作って待ち構えているので、尽かさず交代して戦うということ繰り返していた。
ガイアケロンとハーディアは常に最後尾で戦っている部隊から、そう遠くない位置で、つまり声の届く距離で叱咤激励をしている。
撤退戦では味方から置いて行かれるという恐怖が潰走を生む。
しかし、ガイアケロンの勇ましい声が騒々しい戦場にあって、別格の気配を伴い届いてくるのだ。
アベルは彼の気迫に息を飲む。
炎のような性、輝く顔つき、圧倒的な信頼感、信念と集中力がオーラのように湧き上がっていた。
目には見えないが、魔力と渾然一体となったカリスマ性が配下ばかりか敵すら呑むようだった。
まさに数万人を手足のように動かす男の姿だった。
そのガイアケロンがアベルの視線に気が付いた。
そして、戦う素振りを見せていたアベルに手招きをしている。
間違いない。
アベルはガイアケロンの周囲を守る親衛隊の間を抜けて近づいた。
膝元に辿り着く。馬上から声が掛かる。
「アベル。これは撤退戦だ。今はこのまま後退する。お前は切り札になってもらう。我の重装歩兵では防ぎきれないような猛者が出てきたら、そのときこそ頼む」
「はい」
「ただし、踏ん張りすぎるな。あくまでも無事に後退すればいい。夕方までに山脈を抜けるのだ」
「分かっています。敵を誘き出すためにこんなことをしているわけですから」
ガイアケロンとハーディアがこの狂乱の最中でも失わない冷静な心性を感じさせるように笑った。
肯定の笑みだった。
これはただの後退ではない。
そうでなければ最も守らなくてはならない王族兄妹が殿軍に居残るなどありはしない。
単に将兵を大事にする性格や勇猛さだけが動機ではないのだ。
この一見、分かりやすいような計略に皇帝国の軍勢は乗せられていた。
皇帝国の騎士たち、始めは噂の憎い敵の顔を見てやろうという気持ちであったかもしれない。
美しさを賞賛されているハーディアの素顔を見物したいという好奇心もあるだろう。
ところが、頭に血の上った戦士が抜け駆けをする。
それを見て刺激された者もまた飛び出して追いかける。
戦闘が始まる。
そうなってしまうと、もう集団心理の止めようもない流れが発生する。
遅れてなるものか。
我こそは英雄を倒し、新たな勇者になるのだ……。
そうした欲望の連鎖が発生していた。
人間の心理を理解し、操ってみせたガイアケロンの手口にアベルは感心する。
人はやはり欲を刺激されると、どうしても弱点が露呈するのだった。
普段は、厳重に守備しているはずの命ですら無防備にしてしまう。
欲しいものの為なら、つい危険を忘れて手を伸ばし、罠に落ちる。
これを防ぐには強力な抑制力が必要なのだが……。
アベルの感じ取って見たところ、そうした制御はほとんどされていない。
我こそは大手柄を立てられると勇んだ者らが押し寄せていた。
突然、追ってくる皇帝国の部隊から矢が飛来してくる。
狙いは馬上にいて目立つガイアケロンかハーディアだった。
しかし、傍に控えていたオーツェルが短い詠唱を唱えると気象魔法「突風」が発動。
もともと命中しそうにもなかった矢が、さらに方向を違えて飛び去る。
普段は参謀と事務長を兼ねたような働きをしている彼だが、最前線にあっては魔術師としても行動していた。
普段は理知的で学者のような雰囲気のある彼もまた、信じる主のために命を投げ打つ決意を顔に漲らせている。
戦場でもっとも危険なのは逃げる場合で、これを混乱なくやり抜くのは勝つことよりも難しいかもしれない。
その困難を成し遂げるには兵士の質と指揮官の行動が鍵となる。
ガイアケロンとハーディアは兵士たちから絶大な信頼を得ていた。
その二人が間近で指示と激励を繰り返しているので、重装歩兵たちは整然と後退戦を続けられていた。
一列の戦列を作り、後ずさりしながら大胆不敵に戦う。
勢い余って突っ込み過ぎた皇帝国の戦士を槍で迎撃した。
時折、様々な魔術による攻撃がある。
多いのは火魔術だった。
こればかりは鎧冑だけで防ぎ切れるものでもなく、防御魔法で防ぎきれないと人体が吹き飛び、肉の塊が路傍に撒き散らされた。
ガイアケロンの強弓兵が三十名ほど同伴していて、技量抜群の彼らは魔法使いへ徹底的な反撃をした。
気象魔法の突風で矢が逸らされる場合もあるが、敵とてなし崩しに追撃しているだけなので連携は悪い。
矢の連撃を防御しきれなかった魔法使いに命中を与えることもあった。
ガイアケロンの弟にあたるシラーズ王子も最後尾に残り、撤退戦を肌で感じていた。
困難な戦いを後学のために見届けるかと、姉であるハーディアから提案されたからだった。
シラーズの高い誇りがこの申し出を断らせなかった。
危険な役目を兄姉に任せて逃げるなど、恥辱である。
そうしてラカ・シェファの反対も押し切ってここにいる。
ごく間近で兄姉の堂々たる戦いぶりを見ていると、これが軍団の統括者かと改めて痺れるように感じたものだった。
ハーディアはシラーズの仕種をそれとなく観察している。
命の瀬戸際で人の本性は露わになる。
どれほど口では美辞麗句を囀ったとしても、血走った眼に殺気を湛えた敵の大男を前にすれば、戦うか、逃げるか、その二種類だけがある。
どちらを選ぶ者なのか、見極める絶好の機会だった。
さらに狙いはもう一つある。
シラーズに怯えの気配が僅かでもあれば、その心胆の弱さの現れと判断してよい。
事に臨んで恐怖ばかりの武将など、およそ信用に足りない。
この先、共に歩むのは無理だ。
もし、そうならばシラーズを思い切ってここで謀殺してもよいとハーディアは考えていた。
シラーズは兄ガイアケロンに従うと説明していたが、そんなものは口約束にすぎない。
王族というだけで権力闘争に利用され、いつ災いと転じるか知れたものではなかった。
心の弱い者は動揺しつつも人を裏切る。
欲深い者は平然と立場を覆す。
目付けのヒエラルクやラカ・シェファも先行させたのでここにはいない。
シラーズには少数の配下がいるだけだ。
激しい撤退戦の最中であれば戦死も不審ではない。
彼の軍団の残余を吸収すれば自軍はさらに増強するというものだ。
ハーディアは弓矢が不気味な擦過音を立てて上空を飛び交うなか、柔和に微笑みシラーズの名を呼ぶ。
シラーズにしてみると白鋼の鎧に身を包んだハーディアの姿は、光り輝くようであった。
琥珀のような瞳には勇気が灯り、豪奢な金髪が冑から零れ落ちていた。
美の具現にして戦いの姫だ。
「シラーズ王子。人の体が粉々に吹き飛ぶ戦いの味わいはいかがですか?」
「はい。姉上! ここまで見事に撤退戦ができるとは思ってもいませんでした。偽装後退と言ってもまさか自ら囮になるなどとは……! これならば相手は罠を疑いつつも乗らずにはいられない。これが戦術の妙だと思い知っています」
シラーズは長兄イエルリングの顔つきに似ていて美男子だった。
すっきり通った鼻梁、引き締まった頬、氷のような青い瞳。
普段は何事も白けた様子で冷やかに見詰める視線の持ち主であるが、しかし、今は戦いの興奮に軽く酔っている。
恐怖の気配はどこにもなかった。
ハーディアは満足げに頷いた。
今、殺す必要はない。
彼はまだ裏切らないだろう……。
しかし、いつかその日が来るかもしれない。
アベルは防衛に加わる機会を待ちつつ後退を続ける。
登り坂、降り坂を繰り返す山道。
馬車の通行ができるように整備されているものの、決して楽な道のりではなかった。
追いかける方も逃げる方も、だんだんと体力を失っていく。
早くも時間は正午ごろで、山岳の半ばあたりまで来たところだった。
アベルは何か強い魔力を感じたので注視していると火魔術「竜息吹」と思しき攻撃がある。
カチェの得意な魔法でもあるあの技は火炎放射の効果を発揮するので、複数対象が固まっていると非常に威力を現すことがある。
膨れる火炎。
吐き出された火の帯。
戦列を作っていた重装歩兵の上半身を舐めるように炎が蠢く。
火達磨になった重装歩兵が十人ほど悶え苦しみ、逃げ惑っていた。
ドラージュ騎士団の騎士がその隙に騎馬突撃を仕掛けてくる。
二騎が併走していた。
火傷に苦しむ重装歩兵を馬蹄で踏み潰し前進してくる。
一人は赤い飾り羽を冑に付けている。もう一人は鎧の上に青地の陣羽織を着流していた。
その二騎は際立った手並みだった。
赤い方が槍を手にして、馬上という高所を利用して上方から激しい突きを繰り出し、新手の重装歩兵は圧されていく。
青い方は戦槌を片手持ちにしていた。
大型の槌にも関わらず軽々と振り回し、盾を打ちつければ一撃でひしゃげてしまう。
盾の防御を破壊され腕ごと折られたらしく、兵士が倒れた。
激しい攻撃のなか、それでも隙を見て槍を掻い潜り、騎士の足元に接近した兵士がいたが、あと一歩というところで炎弾が命中した。
兵士の鍛えられた太腿が柔い粘土のように千切れて、体は飛ぶように転ぶ。
素早く近づいた剣士兵が止めを刺した。
二騎の背後には魔法使いや刀槍を手にした従者が控えていて、相手が接近戦に持ち込もうとしても馬に乗る主たちを攻撃させなかった。
猛攻は続く。
まさに豪槍と呼ぶべき鋭い攻撃を、赤い飾り羽の男が仕掛けた。
重装歩兵の長い槍を巻き込みつつ捻り上げ、間髪入れずに馬で突進。
馬鎧で覆われた騎馬の衝突はハンマー以上の破壊力。
跳ね飛ばされた重装歩兵がなすすべなく転倒する。
重傷を負った歩兵は後ろから来た従者たちが穂先で滅多刺しにした。
これまでの追手とは別格の気配がある。
二騎の騎士は戦いに怯える雰囲気など全くない。
かといって気が変に高ぶっているという様子もなく、落ち着いて敵に接敵し、殺すことに手馴れていた。
加えて背後の従者たちとの連携がいい。
魔法使いも実戦慣れしている。
アベルは自分の出番だと感じた。
「ガイアケロン様。かなりの使い手が現れました。あいつらは魔法剣士でないと防ぎきれないでしょう。これから戦ってきます。僕らを最後尾にして、ガイアケロン様は先へ進んでください」
「アベル。頼っていいか」
「はい。こういう事のために僕はいるのです」
「あくまで牽制が目的だ。本当だったらお前をこんな風に戦わせたくない。もし無理をして踏みとどまり、逃げる余裕を失えば殺される」
「気にしないでください」
―俺はあんたの父親殺しに協力したいだけなんだからよ……。
ガイアケロンはアベルの人物を推量し続けている。
どこか孤高の、言うなれば群れを持たない狼のようなところがある。
そうとなれば組織には最も向かない人間であるのだが……彼は皇帝国の密使という、これ以上ないほどの組織の一員としてやってきた。
軽快な人格ではない。
年齢の割に不自然なほど胆力があって、それは単なる若者の無知が原因ではなかった。
どうも心の底に鉛のような沈鬱さを感じる。
しかし、それでいて魅力的なのは何故だろうかとガイアケロンは考える。
密約成立のためとは思えない、程度を超えた協力。
もしかして俺を心から好いてくれたのかなとガイアケロンは想像する。
しかし、アベルの好意を利用する……とは考えられなかった。
理由は分からないが、立場を超えた友情を自覚していた。
その気持ちを掃いて捨てようとしたが、できなかった。
敵国の使者と友になるなど、ありえないはずなのだが……。
ガイアケロンは視線に信頼を湛えつつ頷いた。
アベルは隣のカチェとワルトに合図してから、敵に向かって徒歩で近づく。
腰の刀を二振りとも抜く。
左手に白雪、右手に無骨。
刀の鍔に紐を通して手首に巻いておく。
こうしておくと柄に血油などがついて滑ったとき、刀を落とさずに済む。
アベルたちの武装はすっかり整っていて、いつでも戦いに臨める状態だった。
負傷者を抱えて逃げていく重装歩兵たちとすれ違う。
彼らは徹底した訓練により致命傷でない限り負傷した味方を見捨てない。
この掟はガイアケロンが日ごろから厳しく命じていて、もし仲間を見捨てて逃げた者は怯懦の行いとして罰せられるという。
アベルは緊張してくる。呼吸は乱れ、掌に冷や汗のようなものが溜まっていた。
刀や槍での闘争は、つまるところ手を伸ばせば相手に触れられるほどの至近距離で命の取り合いをする。
一瞬の判断の過ちで内臓を刃物で抉られ、無残に死ぬ。
あるいは、体の一部を引き裂かれるような暴力に晒される。
以前に比べれば格段に腕は上達しているが、それでも治療魔術では間に合わないほどの致命傷を一回の攻撃で受けることもあるだろう……。
死の影がちらつき、興奮が体を突き動かす。
最後尾に到達したアベルは、体内の魔力を活性化させる。
渦巻くように熱いエネルギーが腹の辺りに溜まっていく感覚がある。
水魔法「魔凍氷結波」を使う。
この魔術はかつて最果ての島でリアンとクアンという二人の老人から伝授された。
使い手の少ない技であるのか、戦場で相手が使ってきたところを見たことは無い。
初見の攻撃魔術は効果が見込めるものだった。
敵は手練れの二騎。アベルから放射される魔力を感じ取って警戒したのか、いまだ馬上にいて様子を窺っていた。
魔力の高まりが最高潮に達し、魔術が発動する。
大気が凍てつき、局所が極寒となった。
青い陣羽織の騎士に激しい冷気が吹き付け、乗っていた馬が驚いて暴れた。
次の瞬間、危険を察知した騎士は戦槌を手にしたまま飛ぶように下馬する。
馬の首から頭部にかけて一瞬で氷に覆われ、凍結した。倒れる馬体。
騎士の背後に控えていた魔法使いから「熱温風」の魔法が発動。
冷気が威力を大幅に減殺される。
防御が一呼吸遅れたのは、やはり見たことのない魔術に素早い対抗ができなかったためらしい。
赤い羽飾りの騎士も同じく下馬した。
馬を殺されたくなかったと思われる。
アベルは戦い方を考える。
やはり接近戦だ。
魔法合戦をやっていると、いつかは魔力を消耗しきってしまう。
そのとき無傷の騎士がいると厄介だ。
魔力を減衰させて氷結現象を止める。
相手の魔法使いもそれに合わせ「熱温風」を終わらせると、すぐさま次の術に移行した。
灰色のローブを着た魔法使いから魔力の高まりを感じる。
炎弾が創生された。アベルと視線が交錯する。
フードの奥に三十歳ぐらいの男の慎重な目線が、品定めをするように隠れている。
アベルの足元を狙って炎弾が射出された。
これに水魔法「水壁」で対抗。
双方の魔法がぶつかり合い、相殺された直後、赤い羽根飾りの騎士がこれ以上ないほどの素早い連携攻撃を見せた。
突き。穂先がアベルの顔面に向かってくる。
この攻撃は予測していた。
やたらと良いチームプレイをしていた。当然、想定しておくべき状況。
アベルは左手に握った刀で穂先を捻るように弾き、体ごと跳躍させて前進。
槍の内側に入った。
アベルはさらに踏み込み、大上段に無骨を掲げる。
頭を狙うと見せかけて、実際は相手の上腕を狙う。
イースとヨルグという二人の師から伝授された技。
―こいつを食らってみろ!
騎士の手首に刃を振り下ろすと、ずるりという滑らかな手ごたえ。
金属の籠手が嵌っているものの、刃筋を立てた無骨にとって紙にも等しかった。
右手首が地面に落ちる。
だが、相手は槍を捨てると悲鳴も上げずに後ろへ逃げた。
青い陣羽織の騎士が戦槌を振り上げ、怒りの罵声と共にアベルへ近づくが、ワルトが間に入って牽制。
トリッキーな横跳躍をする。
躊躇っている隙にアベルは氷槍を創り、陣羽織の男へ射出。
胸甲に命中して氷の槍は粉々に砕け散る。しかし、それでも牽制にはなった。
ワルトが一気に跳躍して斧を陣羽織の騎士に叩きつけるが、相手はやはり手練れだ。
どうしても大振りになりがちな斧の軌道を読んで、素早く体幹を反らして回避。
逆にワルトへ蹴りを入れる。
湿った打撃音が響いた。
跳ね飛ばされたワルトは空中で一回転して着地した。
負けじと再び攻撃しようとする。
「ワルト! 深追いするな!」
格闘戦になるのを制止した。
カチェが敵に向かって炎弾を使い、爆発が起こる。
敵の魔法使いが土石変形硬化を行使してきたが、アベルは魔力を注ぎ込み妨害した。
片手首を落とされた騎士に代わって従者たちが寄ってくるが、アベルは相手をしないことにした。
退き時だ。
走って逃げに移る。
敵の槍兵が追いかけてきたが、カチェが再び炎弾を使って出鼻を挫いた。
また徒競走のような状態になる。
アベルたちは背後を振り向きながらひたすら走った。
鎧が邪魔で仕方ない。
魔力による身体強化がなければ、どうなっていただろうか。
ガイアケロンの部隊は、だいぶ先まで後退している。
カチェが驚いて声を上げた。
「もうあんなに離れているわ!」
「カチェ様。きっとガイアケロン様はここらで一気に距離を稼ぐつもりなんでしょう。急がないと夕方までに山道を抜けられなくなります」
アベルは走りながら背後に気象魔法「極暴風」を使った。
追ってくる者たちの全身に激しい風圧を与えてやる。
なにしろ場は狭い山道なので逃げ場がない。
小石ぐらいなら飛ばす勢いの風に敵勢は停滞した。
また新手の魔法使いが対抗魔術を使ってくる気配があったので、素早く逃走に転じる。
ひたすら走る。
アベルは駆けながら今度は濃霧を発生させる気象魔法「迷霧」を詠唱。
体の中のパワーを振り絞り、猛烈に加速させる。
出来る限り、最大の魔力を込める。
カチェはアベルから強烈な魔力を感じ、驚く。
敵の魔法使いたちがどれほど強力な魔法攻撃があるかと危険を察知し、味方に気を付けろと警告していた。
走るアベルの掌から爆発的にミルクのような濃密さで霧が発生した。
運よく風向きがよい。
敵に向かって濃霧が雪崩のように向かって行った。
敵から混乱の声が上がる。
「アベル。凄い霧。魔力が強いから……!」
「このまま霧を発生させつつ逃げますよ。さぁ、走って」
ジブナル・オードラン副騎士団長は山道の先で白い靄が発生したのを認めた。
見る見るうちに白い幕のように広がっていく。
最前線近くまで出張って来たものの、負傷者ばかりの追跡戦にいらだちを感じているところだった。
オードラン公爵の弟にして騎士団第二の地位にいる自分こそが勝利の立役者と意気込んでいただけに、焦りを感じる。
副騎士団長ではあっても、実質、オードラン公爵家の軍事を取り仕切っているのは己であった。
その自負心、矜持が悔しさを倍増させた。
「ええい! わしの護衛はいい。魔術師どもを馬に乗せて前へ進ませろ。魔法で風を起こして霧を吹き飛ばせ!」
「しかし、ジブナル様。それでは不用心に過ぎませぬか」
「うるさい! 自分の身ぐらい自分で守れる。急げ」
断続的に濃霧を出しつつアベルたちは移動を続けた。
ガイアケロンとハーディアの部隊は姿も見えなくなっていた。
まさに最後尾である。
やって来た時は行軍速度だったので距離が長く感じたものだが、走ってみればそれほどの長い山道でもないようだと気がつく。
もうじき旧ハイワンド領になると思われた。
太陽の傾き具合から判断して、日没まで二時間ぐらいかと察する。
ワルトが獣の耳をピクピクと動かしていた。
「ご主人様! 後ろから蹄の音だっち! 馬で何十騎も近づいてくるっち!」
「アベル。きっと魔法で霧を飛ばしながら馬で追い駆けることにしたのよ。追い付かれるわ!」
アベルは考える。
ここで落雷魔術「紫電裂」を使って敵の先頭に必殺の一撃を与える……。
しかし、あの魔術は未だ正確な狙いが出来ないでいた。
外してしまうばかりか、至近距離に落雷などさせたら地面を伝わってきた雷電流によって自分自身を傷つけてしまう。
かといって他の魔法……土石変形硬化では、大きな壁が完成する前に追いつかれる。
だいたい、氷の壁にしても土壁にしても魔法によって破壊されてしまうだろう。
結局のところ、なんとかして山道を通過してガイアケロンの軍勢と合流するしかなさそうだった。
「二人とも。全力で走ろう! あともう少しで山道は終わるはずだ」
「ご主人様。いざというときは、おらっちが残って戦えばいいずら……。足には自信があるっち。戦ってから逃げられるっちよ」
アベルはワルトの円らな黒目を見た。
狼男としか言いようのない顔に、忠実な瞳が光る。
ワルトはかなり強いが、それでも魔法の援護がある敵と単独で戦い続けて無事に済むはずが無い。
他に手が無い時は自分が犠牲になってもアベルを助けるつもりのようだ。
もはや奴隷というよりは友達である獣人を、こんなところで失うつもりなどない。
「ワルト! 格好いいこと言うじゃないか! だが、お前の世話にはならないぞ」
「そうよ。ワルト。わたくしだっているからね」
「カチェ様。最後の手だ。冑と胸甲を捨てよう!」
カチェは頷いた。
革の帯をナイフで切断して、まず冑を谷の方へ捨てた。
カチェの紫紺の髪が、表に露わとなった。
それから胸甲と背甲の間にある帯も切ってしまう。
がらんと金属音を立てて防具が道に落ちた。
体が物凄く楽になった。
アベルとカチェは歯を食いしばって、さらに走る。
ワルトはほとんど疲れを感じさせずについて来ていた。
さすが狼人だとアベルは、ちょっと笑ってしまう。
アベルは背後を振り返る。
ちらほらと騎馬の姿が見える。
いよいよ覚悟を決めて、戦うか、あくまで逃げるか決めなくてはならない。
戦うのは自分とワルトだ。
カチェには逃げてもらいたいけれど……。
もっとも言う事を聞かずに残って戦ってしまうかもしれない。
―イチかバチか紫電裂を使うか。
アベルが魔力を集中させ始めた時だった。
ワルトが叫ぶ。
「先の方に匂いがするっち!」
蛇のようにうねる坂道。
登りきると展望が開けた。
旧ハイワンド領だ。
森や林、原野が広がる。
背後から悲痛なほどの馬の嘶きが聞こえた。
追っ手は馬に鞭でも与えているようだ。
アベルたちはどこにガイアケロンの軍勢がいるのか見渡しながら進んでいると、行く先に小勢がいた。
その数、僅か十人ほど。
見覚えのある男がいる。
―ヒエラルクだ!
剣聖ヒエラルク・ヘイカトン。
イズファヤート王の直属にして軍目付けの彼が、こんな最前線で何をしているのだろうか。
しかし、アベルはともかく彼の元に向かう。
ヒエラルクと視線がぶつかる。
ねっとりした熱気を孕んだ瞳。青筋の浮いた額。
酷薄さが言いようもなく面相に滲み出ている。
彼は笑っていた。それは楽しそうにしている。
ヒエラルクは潜在的に完全な敵なのだが、ここは奴を利用しない手はない。
アベルは叫ぶ。
「ヒエラルク様! 僕の後ろに味方はいません! 皇帝国の追手が来ています!」
「おう! 若いの。前に一回、会ったことがあったなぁ。最後尾でよくぞ戦い抜いた!」
アベルはヒエラルクらを横目に通り過ぎる。
離れた所で様子を見ることにした。
敵の馬群が姿を現した。その数、約三十騎。
派手な旗や幟が翻っていた。
オードラン公爵家やドラージュ公爵家の騎士らしい。
皆、顔に凶暴なまでの殺気を漲らせている。
延々と成果なく追跡を続け、もはや怒りが頂点に達しているらしい。
邪魔する者は皆殺しにする気迫を発散させていた。
ヒエラルクの背後に控えている男から激しい魔力を感じる。
アベルは鼠色のローブを着たその男が、サレム・モーガンという高名な魔術師だったのを思い出す。
サレム・モーガンの頭上に炎弾に似た炎の塊が数十個と渦巻き、馬群に向かって乱打された。
馬群の中には魔法の使い手もいたので「水壁」によって防御したが、その守りを上回る効果範囲だった。
爆発を身体に受けて騎士が落馬する。
馬が混乱状態になり下馬する者もいた。
ヒエラルクが抜刀して突入する。
従者らしき男たちも従った。
ヒエラルクは長大な刀身の得物を手にしていた。
無骨よりも、さらに長い。
素晴らしい速度で駆け抜けるヒエラルク。
真っ白な鎧を着ていた。
目立つために度肝を抜くような衣装を身に纏う者も戦場には良くいるが、白というのは珍しい。
それだけに敵からの注目を浴びる。
騎士がヒエラルクに殺到した。
ヒエラルクは完璧に刃筋を立てて、振り抜いた……ように見えた。
アベルの目でも完全には捉えきれなかった。
もう首が一つ、宙を飛んでいる。
サレム・モーガンの魔法で四、五人が殺されたとはいえ敵の方が多勢である。
多勢を相手するときは包囲されないことが重要なのだが、ヒエラルクらは不意を突く動きで騎士たちを翻弄していた。
そして、相手の攻撃を誘い、後の先をとる。
確かにヒエラルクの方が攻撃されているはずが……次の瞬間、相手の両腕が切断されていた。
戦闘は一方的な様相を呈する。
ヒエラルクの弟子たちもまた、相応の使い手だった。
騎士たちを制圧していく。
しかし、公爵家の戦士たちにも意地がある。
一人の騎士が片腕を切断されながらもヒエラルクの従者に組み付き、格闘戦になった。
絡みついたまま弟子と騎士が地面に倒れる。
騎士は片腕になっていたので、やはり組手では不利だった。
隙を見て弟子は小刀を相手の鎧の隙間に突っ込んで致命傷を与えたように見えたが、最後の抵抗がある。
死を覚悟した騎士は弟子の首筋に噛みつき、肉と動脈を引き千切る。
血潮が噴き出す。
壮絶な殺し合いだった。
見る見るうちに人数は減っていった。
ヒエラルクが最後の一人と相対している。
相手は全身を板金鎧で覆った騎士だった。
バイザーの隙間から覗く目は恐怖。
完全にヒエラルクに呑まれている。
「お前らの攻撃は雑すぎる。何というか、愛が無いなぁ」
ヒエラルクの問いかけに返事はない。
「技術がついてないのは、もはやこの場で言うても仕方なし。だったら尚更、気持ちを込めなくてはならんぞぉ」
「……」
「恐怖というものは、つまり我が身可愛さに尽きる。怖がっている内は、気持ちは湧かない。そんなことでは愛は生まれないというもの」
ヒエラルクが動いた。
刀は構えられてもいない。
実に野放図な、全く防御を感じさせない動き。
アベルは騎士の足元に注目する。
人間の心の動きは体の端々に現れるものだが、足は特に顕著な部位だ。
その者が行きたい方向に足は向いている。
逃げたいのか戦いたいのか……。
騎士の足がヒエラルクに向き直り、一気に動いた。
悲鳴のような絶叫を上げつつ騎士が両手剣を振り上げて突っ込む。
必至の攻撃だったが意外と正確な斬撃。
ヒエラルクの首筋に切っ先が近づく。
紙一重で避けた。あえて接近を許したヒエラルクは刀の柄頭で騎士の面頬を鋭く叩く。
いくら板金で防御されていても衝撃は激しい。
騎士は仰向けに転倒。
立ち上がろうとした瞬間、ヒエラルクの横薙ぎ。
鎧ごと胴がほとんど分離してしまった。
血と内臓が飛び散る。
凄い強さだとアベルは戦慄を覚える。
ヒエラルクは機の読み方に天才性があった。
しかも、呼吸の乱れが全くない。
もし戦ったとして、あいつに勝てるだろうかとアベルは自問する。
剣だけなら負けるだろう。
夢幻流の癖技に引き摺りこめば、あるいは……とも思うが、やはりそれは甘かった。
では魔法はどうだろうか。
強力な魔術を連発して……だが、ヒエラルクにも対抗する技があるかもしれない。
剣の腕で負けていて、それでいて勝てるなどとは愚かな考えだった。
アベルは首を振る。
しかし、あいつを殺さないとイズファヤート王は殺せない。
ガイアケロンは奴を倒せるのだろうか……。
戦いはひとまず終わったが、山道の方が何やら騒々しくなってきた。
皇帝国の後続部隊だ。
ヒエラルク達が身を翻して戻ってくる。
アベルたちも急いで逃げなくてはならない。
だが、どこが安全だろう。
「お~い。若いの! 殺された者の馬が余っている。乗れ!」
ヒエラルクは気さくなほどの態度でアベルへ、そう語りかけて来る。
顔には満足げな笑み。
アベルはかなり体力を消耗している。断る余地はなさそうだ。
カチェとアベルは二人乗りをして場を離脱する。
ヒエラルクの純白だった鎧には血飛沫が散っている。
まるで模様のようだ。
背後を振り返ると公爵勢が溢れるように姿を現していた。
隊列も作らないまま原野に広がっていく。
ヒエラルクたちに付いて馬を操っていると、やがて林の中に入っていった。
そこにはガイアケロンの重装歩兵、軽装歩兵などが姿勢を低くして隠れている。
皇帝国の軍勢は止まらないというよりも、勢いを停止できない様子だった。
手柄目当てで興奮した数千人が殺到しているのだ。
原野に三千人ほどが侵出してきたところで太鼓の音がした。
ガイアケロン軍団が林の中から姿を現す。
槍を構えた部隊が整然とした戦列を形成し、まるで歩く壁のようだ。
この時のために温存していた最精鋭。
ポロフ原野にもあえて連れて行かなかったガイアケロンの切り札と思える。
特徴的なのは盾を持たない槍兵部隊だ。
盾が無い代わりに、彼らの持つ槍は通常の重装歩兵が装備しているものよりも、さらに長いのだった。
思い切って防御を捨てた、攻撃のみに特化した長槍部隊である。
そんな部隊が五千人ほど公爵勢に進み、無慈悲な攻撃を仕掛ける。
始めは対抗して戦っていた相手だが、すぐに圧倒的不利を悟った。
なにしろ長大な槍とではリーチの差があって、一方的に攻撃されるばかりだった。
苦し紛れに魔法で反撃したところで焼け石に水の状態。
しかも、素早く逃げようにも細い山道には進退もできないほど人が居てどうにもならない。
しばらくすると、虐殺にも似た状況となる。
日没前までに決着はついた。
皇帝国の追っ手は二千人ほどの屍を残して山道を戻っていく。
しかし、山岳地帯では激しい混乱が起こっている様子だった。
ガイアケロンは追撃をしない代わりに、気性の荒い野牛を十頭ほど用意してあった。
牛の角に松明を縛り付け、山道の入り口で思い切り鞭で叩く。
そうすると暴れ牛は、皇帝国の軍勢が敗走した方へと猛烈な勢いで走っていった。
アベルとカチェは全身、泥と返り血だらけ。
鎧と冑も無くなっていて、なかなか壮絶な有様だった。
時間は日没寸前。
空は赤く色づいていた。
機会を見てガイアケロンとハーディアの元へ出頭しようと、しばらく戦場を見渡しているとそれらしき集団を見つけた。
相変わらず最前線のすぐ近くにいる。
今は戦闘の指揮で多忙を極めているため、アベルは待つことにした。
カチェがアベル語り掛ける。
「アベル。どうしても一番危ない役目をやりたがるのね……」
「カチェ様。ごめんよ」
「仕方がないわ。わたくし、アベルと一緒にいると決めていますからね。離れた所にいるよりかは、ましというものです」
-離れた所か……。
イースは今どこにいて、何をしているのかな。
アベルはイースの姿を脳裏に思い描くと、言い知れぬ衝動が湧き上がるばかりだった。
夜になり、アベルはガイアケロンとハーディアの元へ呼ばれた。
陣幕の中は人払いしてあり、余人はいない。
二人は勝利を得た者の栄光を感じさせる笑顔だった。
アベルを見るガイアケロンの灰と青を混ぜたような瞳には、確かな信頼が籠っていた。
「おお。アベル。来たな。無事で何より」
「待っていましたよ。アベル」
「……。このあと、さらに攻撃ですか」
「いいや。さすがに兵士どもは疲れている。それに勝利は大きすぎるのも良くない。ほどほどの勝ちを得たら慎重に様子を見るべきだ」
「コンラートの軍勢をだいぶ痛めつけました」
「アベル。この勝利、お前の働きによるところが大きい。おそらくコンラート軍団はこれで冬季の活動を停滞させるだろう。損なった軍団を立て直すには時間がいる。限定的な作戦行動しかとれなくなったはずだ」
アベルは複雑な心境だった。
この王族兄妹には何と敵が多いことだろう。
皇帝国からは怨敵として呪うように敵視され、それでいて親類は油断ならない。
あのイエルリングのような男と権力闘争をしているのだ。
しかも、ガイアケロンの最終目標は父親を殺すこと。
魂を燃やすような父親に対する憎悪。
アベルにとって、もう一人の自分と言っていい男。
あまりにも困難辛苦に満ちた道のりだった。
助けてやらないとガイアケロンは負けてしまうかもしれない。
これほどの強い男でも……。
そして、これは単純な人助けでもない。
満たされない自分の心を、救ってやる行為でもあった。
「アベル。我はテオ皇子と早く会ってみたい。密約が成ればいいな」
成らずともアベルを手放すつもりはガイアケロンになかった。
どうやら自分は、この奇妙な青年に意識を寄せられると強く自覚した。
欲望と欲望が共鳴する不思議な感覚……。
ハーディアは視線を交わす兄とアベルに、胸騒ぎを覚えた。
兄のことは知り尽くしているつもりだった。
その兄が、ついぞ見せたことの無いほどの態度をアベルに示していた。
とても危険な何かが芽生えているのでないか……。
直感が、そう告げていた。
それは我らの運命を切り開く兆しなのか、それとも全ての破滅に繋がるのか……。
お読みいただきありがとうございました。
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次話未定です。
それでは。




