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獣の見た夢  作者: MAKI


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111/141

戦い、幻影、飢えた男

アベルの心臓は抑えようもなく鼓動を速める。

 コンラート軍団数万人の兵どもが殺到してきた。

 壮絶な殺し合いの始まりである。

 緊張しないはずがない。

 これほどの大合戦は久しぶりだ。

 草原での戦いですら、敵味方合わせても一万人に満たない人数だった。


 アベルはガイアケロンの声を聞いた気がした。

 気のせいではなく、かなり距離があるのに号令の声が届いたのだ。

 弓と投石による攻撃が一斉に始まる。


 射程の長い強弓の矢が、渡河を終えたばかりの皇帝親衛軍の頭上に降り注ぐ。

 直線ではなくて、山なりに届くような射かたをしている。

 皇帝親衛軍は大きな長方形をした盾で矢を防いでいた。

 防御力に優れた大型の盾なので、矢は効果が薄いと思われた。


 それにしてもガイアケロンの巧みな用兵だとアベルは感心する。

 数日前から材木の伐採準備を進めておき、昨夜の内に壁のように並んだ戦列の後ろに設置。

 皇帝国の前進が始まったら一糸乱れぬ素早い行軍で通路から後退させて、その通行可能だった隙間は重装歩兵で防御を固めた。

 この鮮やかさは予め兵士たちに作戦を説明して、理解させていたものと思われる。

 逆茂木は簡易的なものだが、破壊するのには手間どることだろう。

 敵前で排除作業などしていれば格好の的である。


 アベルが鞍の上で立ち上がり、軍団の右翼後方から戦況を眺めていると、いよいよコンラート軍団の重装歩兵が迫ってきた。

 動きに統一性があって装備も優良。

 恐るべき相手だ。


 ついに逆茂木の設置されていない場所では長槍による突き合いが始まる。

 戦列同士が槍を突き合わせる直前、人の間に隠れていた魔法使いが主に火魔法を行使する。

 炎弾かそれに類する魔術だった。

 察知して防御魔法として「水壁」を出しているため、双方、大した被害は出ていない。

 運悪く盾に命中して傷を負った兵士が後ろに運ばれて行き、すぐに戦列は元に戻る。


 コンラート軍団は逆茂木を破壊しようにも斧や大槌を所持している兵士は皆無だったため、どうすることもできないでいた。

 手で押したところで抜けるほどヤワには作っていない。

 魔法で破壊したとしても、数人が抜けられる隙間を作るのがやっとの様相だった。

 アベルが見ていても積極的な魔法攻撃はないので、警戒して温存しているのかもしれない。


 コンラート軍団は膨大な重装歩兵を活用できなくなっていた。

 相手の長所を潰す作戦は当たりつつある。

 これなら寡兵のガイアケロン軍団でも引き分けぐらいには持ち込める……という見立ても出来るが、やはり数的格差は大きい。

 どこかで防御が破られると寡兵の軍団は、たちまち危機となる。


 もし形勢不利のまま乱戦に巻き込まれたら自分も死ぬかもしれないとアベルは、ついそんな想像した。

 コンラート軍団の渡河は続けられた。

 後続が延々と視界を埋め尽くしている。

 四万人いるのか五万人いるのか、良く分からなかった。 


 アベルの見たところ皇帝国の重装歩兵百人隊は横十列、奥行十人の隊形を作っていた。

 これは最も基本的な戦列のありかたで、奥行きが十人と厚いため突破力にも優れている。

 まさに重装歩兵の特性を最高に発揮できる隊列だった。


 奥行を減らして横に広く取れば攻撃範囲は大きくなるが、その分、戦列は薄く脆くなってしまう。

 かといって、逆にあまりにも陣形の厚みを増やしたら後列が全く攻撃に参加できずに遊ばせてしまうことになりかねない。

 だから戦列の厚みは五列から十列程度が適当であると習った覚えがある。


 時間が経つ。

 アベルたち後方部隊は、じっと待つほかない。

 今のところコンラート軍団は想定していなかった逆茂木で大軍の利点を生かせないまま、戦況は膠着状態になっていく。

 最前線の兵士は両軍ともに長い槍と盾を装備した重装歩兵。

 逆茂木の無いところでは槍で攻撃するだけではなく、もはや盾で押し合いをしている状況だった。

 猛獣のような唸り声や叫び声を上げて、殴り合いにも発展している。

 まさに暴力の宴だ。


 重装歩兵戦列の後ろに控えている弓箭部隊が、互いに矢を射あっていた。

 ガイアケロン軍団の騎兵は草原氏族出身の者で構成されている。

 彼らは槍の他にも弓を武器として所持していた。

 約三千もの騎兵は一端、馬を下りて前方に進出。

 本職の弓部隊に混じって相手に向かって盛んに矢を放っていた。

 荷駄部隊の雑役夫たちは矢が尽きないように配り歩いている。

 実に巧みな支援体制だった。

 

 敵の旗を見ると、中央と左翼は皇帝親衛軍で右翼は公爵連合の軍勢であるのが知れた。

 ガイアケロン軍団は一歩も退かずに持久戦の構えだ。

 消耗した最前列が後列と交代することはあっても、突破を許した箇所はどこにもない。


 盾が矢でハリネズミのようになった者が大勢いた。

 数万人の人間が争うというのは、やはり極めて異常な状態だった。

 何が起こるのか全く分からない。

 気を揉むアベルは喉が渇いたので水を飲む。

 ところが隣のカチェは平然と数万人の争いを眺めていた。


「カチェ様。怖くない?」

「見ているだけですからね。別にどうともないわ」

「……カチェ様なら一万人でも指揮できそう」

「そうねぇ。百人頭と千人長を掌握できるかどうかが重要でしょうね。よほどの下手を打たなければ、優秀な将兵を敵より多く用意してぶつければ勝てるのではなくて。まず重要なのは軍団を維持する兵站よ」

「あの逆茂木。よく用意したね。事前に計画していたに違いない」

「奇策というほどのものではないわ。木柵を作ることぐらい教えれば兵士たちはやれますから」

「敵に隠して作り、ぎりぎりで内側に隊列後退をさせたのは凄いけれど」

「普段の訓練がものをいうのよ。突然、やらせようとしても訓練が行き届いていないと無理でしょう。だからこれは作戦というよりも兵士の能力を鍛えてあるかどうかです。基礎能力があって初めて策が生きるということです」

「ご明察……」


――やっぱりカチェは人の上に立つ人間だな。

  まさに生まれついての貴族だ。

  これはカチェ大将軍も夢ではないぞ……。





 ~~~~~





 ピラトの元に軽装歩兵の百人隊長から訴えが殺到してきた。

 冷たい河で半身を濡らした兵士たちが後方で戦いに加われないまま待ち惚けを食らわされていると激しい不満を伝えてきたのだ。

 昨日に続き、今日までも冷たい思いをして兵士たちは怒り狂っているという。


 ピラトは幕僚や伝令兵を伴って騎乗のまま渡河。

 さらに最前線で状況を見ていたが、判断に迷う。

 最初の計画では自軍の重装歩兵によってガイアケロン軍団の戦列を崩した後、軽装歩兵を左翼から迂回させるつもりだった。

 しかし、逆茂木のせいで守りは崩れず、迂回するにしても計画より遠くまで移動させなくてはならない。


 まずは正面の攻勢を成功させなくてはならないが、殺気立った兵士たちの要求に抗しきれなくなる。

 だいぶ当初の計画とは異なるが、ここで左翼から迂回攻撃をさせる決断をした。

 つまり相手にとっては右翼の側面を狙うわけである。


 ガイアケロン軍団の戦列と逆茂木を避けて、さらに横手に進むと岩場や林があるので大きな集団を作ったまま前進はできそうにもない。

 散兵となってしまうが、それでも大軍で圧し潰せばいいと楽観視した。だいたい軽装歩兵は戦列戦法を重視する兵科ではない。弓や投石で相手に被害を与えたうえで接近戦に持ち込めばよい。

 数で優っているのだから勝てるに決まっているとしか思えない。


「伝令兵。軽装歩兵の千人将らへ左翼から迂回して攻撃を命じる。攻撃地点は任せるが、バロウ千人将の槍兵隊は後方の街道を奪取せよ。次いでベイルケ千人将の重装歩兵後列二千人も迂回攻撃に加われ」


 ピラトは全く攻撃に加われないでいる重装歩兵と軽装歩兵へ迂回攻撃を発した。

 なにしろ膨大な人数である。

 伝令兵が到達した部隊から順に左側へと移動していった。

 戦列は姿を失い、ただ群れを成した兵士たちが兵科も混ざったまま岩場や林へと歩いて行った。


 アベルはコンラート軍団が迂回攻撃を狙ってきたのを察する。

 相手の動きは丸見えなので、気づかないわけがない。

 その迂回部隊も総数で言えば凄い数だ。

 はっきりとは分からないが一万人に達するかもしれない。もっと大勢にも見える……。

 しかし、コンラート軍団は最大の強みである大兵力を生かし切れていない感じがする。

 逆茂木と徹底した防衛戦術で進撃は完全に停止しているからだ。


 ガイアケロン本陣から馬廻りが通達にやってくる。

 スターシャの遊撃隊、シュアットの強襲偵察隊、アグリウスの軽装歩兵隊、ボルホト指揮下の重装歩兵隊は敵の迂回部隊を迎撃せよ、というものだった。

 アベルは馬に乗り、槍を小脇に抱える。

 いよいよ出番だ。


 指令を受けた部隊が右翼後方から離れて、主戦場の横手に展開していく。

 コンラート軍団は逆の左翼側からは迂回部隊を進ませて来ない。

 しかし、ガイアケロン軍団は全体としてはUの字に近い形へと変形していく。

 この陣形変化によって迂回部隊へ対抗するつもりだ。


 スターシャが指揮をする遊撃隊の五百人は騎乗している者が半数ほどで、残りは徒歩で随伴していた。

 武器は多様で、大弓を所持している者や物騒な形状をした鉾を携帯している者までいた。


 アベルはスターシャに馬を寄せる。向こうもアベルに気が付いた。

 彼女は軽装甲ではなくて、かなり厳重に鈍色をした板金胸甲や草摺りで防備している。

 冑は鏡のように磨かれた白鋼で、鶏冠のように鮮やかな青い飾毛が伸ばされていた。

 赤毛の髪が冑の間から流れていて妙に美しい。


「どうした、アベル」

「どうやって戦ったらいいかな」

「ボルホトもアグリウスも優秀な将だ。配下の百人頭も強者揃いだから任せればいい。どうせ敵は戦列なんか組めないまま適当に迂回してくるだろう。あたいらは中でも最も回り込んで背後を狙ってくる部隊に対応しよう。間違ってもガイ様やハーディア様のいる本陣には近づけさせないよ」


 最高指揮官である王族兄妹は陣形の中央、すぐ後方にいた。

 全方向を親衛隊で防衛しつつ、伝令騎兵の送受をさかんに繰り返していた。

 本陣は戦列から離れた標高の高いところに設置して、俯瞰しながら指揮をするという方式がむしろ主流なのだが今日、ガイアケロンはそうしたことをしていない。

 より味方に近いところから大声で叱咤激励していた。


 敬愛する英雄が背中から指示を飛ばしていれば、さぞかし前線兵士は勇気づけられることだろう。

 人の心を掴むのが上手だった。

 逆に言えば名将の必須条件とも言えるとアベルは感じる。


 実質、アベルが指揮官の強襲偵察隊とスターシャの遊撃隊は、ほとんど一体となりつつ側面から後方へと展開していく。

 進めば進むほど足場はさらに悪く、雑草が生え、大きな石までもが転がり、起伏が激しい。

 林が間近に迫ってきた。

 これより進むと長い槍を持つ重装歩兵や騎馬では行動できなくなってしまう。


 敵はなかなか来ない。

 きっと道なき道に苦労しているためだ。

 逆茂木のすぐ横手に敵の迂回した部隊が攻撃を始めたのが遠目に見えた。

 しかし、ボルホトという将が指揮している重装歩兵たちが素早く新たな陣形を作りだすことに成功していた。

 敵の攻撃を受け止めている。

 さらに時間は経過していく。

 昼前から始まった戦闘だったが、もはや正午をずいぶんと過ぎている。


 アベルが苛つきを感じ出した頃、やっとアベルたちの正面に敵が姿を現す。

 コンラート軍団の軽装歩兵が林や枯れた藪の間から姿を現してきた。

 武器は槍だが長槍よりは短い種類を持っていた。

 盾も円形をした小型のものを左腕に結束している。

 一応、冑を頭に被り、金属の小札で作られた鎧も装着している。


 アベルは相手の装備を観察して迂回部隊の性質や狙いを考える。

 ガイアケロン軍団の後方に回り込んで攻撃するのを企図しているはずで、それを許すと大きな危機に陥る。

 逆茂木と重装歩兵で攻撃を受け止めようという戦術が無効化されてしまうわけだ。

 だから、早期にコンラート軍団の後方攻撃は頓挫させないとならない。

 初っ端から全力で攻撃して相手の意気をぶち壊しにするのが最良であろう。


 アベルは体内の魔力を加速させる。

 昨日、治療魔術を使いまくったわりには少しも疲労していない。

 むしろ、ますます魔力は充溢してきていた。

 有らん限り攻撃魔法を連発していこうと決める。


 アベルの頭上に熱の塊が発現する。

 赤熱した鉄の塊を思わせる紡錘形をとり、次の瞬間、敵へ射出されていく。

 槍を持った軽装歩兵の群れの足元に命中すると、炎弾の数倍の爆発を起こし、爆風と共に破片が飛び散る。


 腹に響く衝撃波。

 千切れた内臓や手足が飛び散っていく。

 爆閃飛の強力な爆発は、簡易な鎧などズタズタに引き裂いてしまう。

 体に仲間の大腸を絡みつかせた親衛軍の歩兵が恐怖で悲鳴を上げる。

 シュアットたちが驚く。


「アベル! そんな魔法が使えたのか!」


 射程の長い強力な魔法を使う者は、本職の魔術師にも少ないので吃驚したらしい。


「いつまでも通用すると思わない方がいいぞ。水壁でも威力はほとんど減殺されてしまうからな」


 アベルの予測通り、爆閃飛を敵の集団に連続して使っていると状況を察知した魔術師が防御魔法を使ってきた。

 水魔法「水壁」を強化したような、範囲も広い水の壁ができる。

 無駄撃ちはしたくないので爆閃飛の攻撃はやめた。

 それでも二十人ばかりを即死させて出鼻を挫いた気配はある。


 こちらが魔法を使えば敵も使って来る。

 炎弾に似た魔法を行使してきた。

 少々離れた岩に炎の塊がぶつかって破片が飛び散る。

 アベルの胸甲にも小さい欠片が命中して金属音を立てた。

 配下たちに向かってアベルは叫ぶ。


「敵を前に進ませるな! 矢を積極的に使え!」


 草原氏族の戦士たちは馬上から弓を射るのを得意としている

 彼らはアベルの指示通りに馬で駆け抜けると同時に弓矢を放っていく。

 この騎射戦法だとちょっとした魔法使いなど問題にならないほど威力を発揮する。

 敵は有効な反撃を繰り出せないでいた。

 百騎程度の攻撃でも、充分な障害だった。


 敵の軽装歩兵に弓を装備した者も混ざってくる。

 しばらく射合いとなったが、やがて持ち矢が互いに減ってくる。

 遠距離攻撃の優位性が失われる瞬間だ。

 矢が尽きてしまえば弓箭兵は護身用に持っている刀剣で戦う他に手はない。

 しかし、盾を装備していない弓兵など、本職の剣士兵や重装歩兵には容易い相手となる。


 アベルとシュアットが配下を率いて奮闘していると、コンラート軍団の迂回部隊の数がいよいよ増えてきた。

 最も大きく迂回してきた軍勢は二千人か三千人ほどだろうか。

 主に槍を装備した軽槍兵と呼ぶべき兵科のように見える。

 しかし、統率はまるでなっていない。

 適当に数人から数十人の集団となりながら緩慢に移動していく。

 アベルが次の手を考えているとガイアケロン本陣から伝令騎兵が飛び込んで来た。


「援軍に重装歩兵千人を送る。強襲偵察隊および遊撃隊、アグリウス指揮下軽装歩兵はそれまで防御および遅滞行動をせよ」


 アベルとスターシャは指令に従い、ゆっくりと後退する。

 だが、後退の様子見せたアベルたちへ、ここぞとばかりに相手は数を頼んで大部隊で攻撃を仕掛けてきた。


 コンラート軍団の迂回部隊に、さらに重装歩兵が混ざり出す。

 大規模な戦列は形成できない地形なので、それぞれが十人程度に纏まって大盾を構えつつ接近してきた。

 味方の重装歩兵はまだ来ない。

 形勢不利だが敵に主導権を渡してはならない。

 気合を入れてアベルは味方へ叫ぶ。


「ここが勝負の分かれ目だぞ! 増援が来るまで敵の突入部隊を絶対に通すな!」


 仲間たちから雄々しい返事がある。

 敵迂回部隊の一部は後方の街道を目指していたのでアベルは槍を手に騎馬突撃を命じた。

 馬の横腹を蹴り、いち早く駆け出す。

 カチェやシュアットたちがそれに続いた。

 百頭もの馬群はそれだけで威圧感がある。

 親衛軍の兵士たちが驚いて腰が引けたのが見えた。

 アベルは裂帛の声を上げて馬を急かす。


「でやあああぁぁぁ!」


 軽装歩兵の脇を過ぎざま槍を繰り出せば、穂先は喉へと突き刺さる。

 死体を地面に投げ捨てた。

 強襲偵察隊の配下たちも荒々しく攻撃を繰り返して敵の先鋒を粉砕した。

 街道を奪取しようとした敵の気勢を制した感がある。


 少し離れたところではスターシャの遊撃隊らが馬を降りて、地形の険しい場所でも敵と戦っていた。

 相手は迂回が妨げられ進めないことで動揺を見せている気配があった。

 しかし、数はさらに増えてくる。

 ここで突撃するか、待って敵を誘い込むか迷うところだが、尽かさずカチェが助言くれる。


「アベル! ここは私たちもスターシャみたいに徒歩で突撃しよう。待っていたら形勢を引っ繰り返されてしまうかも!」

「よしっ。シュアット。俺たちも下馬して遊撃隊の加勢に入るぞ!」

「望むところだ。暴れてやるぜ」


 剽悍な騎馬戦士たちは下馬していても獰猛な戦士である。

 いずれも顔に凶悪なまでの殺気を湛えてアベルの戦意に答えてくれた。

 アベル、カチェ、ワルトは混戦の中に突入する。


 敵の群れの中に指揮官らしき者がいるのをアベルは見逃さない。

 迷わず手に持つ槍を渾身の力で投擲した。

 ブルンブルンと柄を震わせて槍は飛翔し、飾り羽の付いた冑に命中する。

 激しい金属音が響き、相手は倒れた。

 脳震盪を起こしたのか動かなくなる。


 吐く息が荒くなってくる。

 怒りが込み上げてきた。

 心は平静とかけ離れていく。

 真の達人は状況によらず穏やかであるが、自分はそんな心境にはなれない。

 狂気に近い攻撃衝動。

 憎悪の奥にチラつく父親の姿。

 あの小男……殺しても殺したりない糞男。

 何度でも殺してやる!


 アベルは白雪と無骨を抜き、敵中に突撃する。

 前方をワルトが一歩早く駆けている。

 ワルトは勢いそのまま跳躍して重装歩兵の盾に蹴りを食らわせる。

 あまりの激しい打撃で相手は仰向けに転倒。

 ワルトは斧を振り回して暴れまくる。

 敵の腕が千切れるように飛び、冑ごと頭蓋骨を叩き割った。

 敵兵たちはワルトの激しい動きに注目せざるを得ない。


 アベルはその隙を逃さず近寄り、不用意に出ていた槍の柄を切断して盾に体当たりをした。

 盾を構えて防御を固めている相手はじっくり攻めるのを旨としているから、態勢を整える暇を与えない猛攻を続ける。

 盾の防御が無くなった部分、鎧があるものの無視して力を込め、胸元めがけて突きを入れた。

 無骨の切っ先が鉄の小札を貫通して、ずるりと滑らかに入り込む。

 心臓に達した感触があった。


 傷口から勢いよく血飛沫が噴き出た。

 原野が流血で赤黒く染まっていく。

 戦士たちが狂ったように取っ組み合いをしている。

 時間の感覚が吹っ飛んでいく。


 隣にいるカチェが炎弾を行使。

 水壁で防がれてしまった。

 十数人の敵集団の中に魔法を使える者が何人か混ざっていることを確認した。

 肉弾戦あるのみだ。

 アベルとカチェが雄叫びを上げながら敵に突っ込む。


 視界が赤く染まる。

 感覚は際限なく研ぎ澄まされて行くと同時に、ある朧げな幻に囚われていく。

 イースの姿。

 

 凶暴な顔をした敵兵の群れに突っ込み、縦横無尽に刀を振るい、あらゆる相手の肉体を引き裂いた末にやっと、イースの姿は凝縮していく。

 水面に映った影のような存在にアベルは語りかける。


――少しだけ傍に近づけた気がするよ。


 無骨で重装歩兵の盾ごと腕を斬り裂き、白雪の打突が敵兵の目を貫く。

 兵士による槍など、ごく単調なもので簡単に見極めがついた。

 ロペスの剛力かつ技巧のある槍とは比べ物にならない。


 猛獣のように大口を開けて狂ったように襲い掛かってくる敵と切り結び、いちいち数えていられないほど殺した後……。

 戦場には首筋や頭蓋を斬り割られた無残な死体が連なり、自分自身の手や腕も血塗れの有様になる。

 迂回を仕掛けてきた敵は背中を見せて逃走していた。


 精緻な輪郭を描いていたイースの顔貌や肢体は薄らいでいく。

 完全に消え去る寸前、最後の残像は一糸まとわぬ裸体。

 アベルは血に汚れた手を伸ばしてみる。

 象牙よりも白く滑らかな肌、膨らみかけた少女の乳房の柔さ、無毛無垢なる肉の割れ目が……。


 瞬きをしたら、もうイースの影は消え失せていた。

 本当に幻だったのか、あるいは現実だったのではないかと考えてみるが、やはりそこには影も形もなかった。




 やがて後方からガイアケロン軍団の重装歩兵が移動してきた。

 彼らは元々、正面戦力であったものだが、敵の迂回に併せて引き抜かれてきた戦力である。

 彼らと防衛を交代してもらう。

 敵の迂回攻撃は、もう明らかに停滞していた。

 どうも動きが鈍い感じがする。

 戦っていたのは一瞬のような気がしたが、アベルが太陽を見ると早くも正午はかなり過ぎている頃合いだった。


 短い休憩で水や酒を飲む。

 返り血で汚れた仲間が大勢いた。

 激しく扱ったせいでグニャグニャに曲がった刀を、それでも仕方なしに持っている者もいる。

 スターシャの姿が見えたので駆け寄ると、向こうから声を掛けてきた。

 彼女自身も最前線で戦っているから数人は斬り殺したような気配があった。

 鏡のように磨かれた冑に血が付いている。


「アベル! お前はやっぱり強いぜ。見ていたけれど白兵戦で二十人以上は殺しただろう。その前は魔法で敵の先手を圧倒していたし、今日一日でいくつ首を獲るつもりだよ」

「そうだったか。よく憶えていない……。コンラート軍団の奴ら、思ったよりも粘りが無いような気がしないか」

「相手も疲れてきているだろうさ。なぁ、アベル。野戦というものは多くの場合、長くても半日程度で勝つか負けるか引き分けか、いずれにしても決着がつく。何でか分かるか」

「やっぱり疲労かな」

「それも大きな原因だ。あとは空腹だぜ。朝から夕方まで飲まず食わずで戦えるわけないだろ。勝ち戦の場合は略奪に忙しくて戦いを止めてしまうこともあるけれどよ」

「じゃあ、今日はこれでお終いかな?」

「いや、相手はすげぇ大軍だからな。あともう一波ある気がする。仕掛けて来るなら中央突破だろうな」

「迂回攻撃が上手く行かないから、やっぱり正攻法で決着をつけると……」

「そうさ。相手の総大将はコンラートって皇子だっけ。誰でもいいんだけれどよ。誰が考えたって、もうそれしか手はねぇだろう。男が女を犯そうと襲い掛かった時と同じさ。犯せると思って掴みかかってんだ。簡単には離さないさ」

「下品な例え」


 アベルは思わず口を歪めて笑ってしまう。

 カチェは恥ずかしそうに顔を赤くさせていた。


「もし中央が破られたら予備にしてある騎兵と、あたいらみたいな後方部隊が最後の切り札になるからな。そのつもりでいろよ。いちいち命令なんかなくても即座に動け」


 アベルは納得して頷いた。

 歴戦の闘士であるスターシャの読みは理に適っているように思えた。

 混沌と殺戮に満ちた合戦に決着が訪れようとしている。





~~~~~~~~









 ピラトは困惑していた。

 すぐにも圧倒的に決着が訪れると思っていた戦いは、かなり長びいている。

 決め手になると思った迂回攻撃が、あまり効果を示していない。

 状況を聞き出そうと連絡を取ろうにも、伝令兵が走って遣り取りをしなければならないので非常に遅い。


 全ては敵が密かに設置していた逆茂木が原因だ。

 大して厳重な作りでもないから破壊できるかと思ったが、敵陣から攻撃があるとそう簡単なことではなかった。

 せっかくの重装歩兵が全面攻勢を仕掛けられないでいる。

 だからガイアケロン軍団に乱れが生じていない。

 混乱に乗じてこその迂回攻撃であったということだ。

 正面攻撃と迂回攻撃はもっと連動していなければならなかった……。

 ピラトはそこに思い至ったが、今更どうすることもできない。


「執軍官ピラト様。千人将ゾルタンより伝令。敵の防御強固にて攻撃は進まず。障害物の破壊に援軍が欲しいとのこと」

「大工どもに逆茂木の排除を急がせろ! 中央部だけでも何とかしろ!」


 ピラトは大工と呼ばれて蔑まれている工兵部隊に催促をする。

 工兵部隊は付属部隊であって親衛軍扱いにはならない。

 その実態は一級の兵士に選ばれない者たちの掃き溜めである。

 工兵は原則、戦闘には参加しないということもあって自然と侮蔑の感情が持たれていた。


 戦場の喧騒。

 さらに時間は経過する。

 しばらくしてピラトの元に工兵隊長から伝令がある。

 敵の反抗が激しく撤去が思う通りに行かないので魔法部隊で掩護してもらえないか、というものだった。


 ピラトは忌々し気に舌打ちする。

 それから数人いる強力な魔術師の使いどころを考える。

 彼らは代えの効かない貴重な戦力で、絶対に死なせるわけにはいかない。

 また、魔法使いらは魔術門閥に所属しているので、下手な運用をして戦死者を出すと門閥から圧力がある。

 特に第十階梯魔術師ロン・ローグが総帥を務めるローグ魔術門閥はコンラート皇子と関係が深いので、うっかりすると政治問題となってしまう。政治力の無い自分にとって厄介な問題だった。


 ここぞという時の切り札。

 逆茂木を壊すのに使うのが丁度よいのかもしれないとピラトは結論した。

 決着はあくまで親衛軍の戦力でつければよい。

 その方が自分にとっても得だ……。


「仕方ない。魔法部隊に工兵部隊の掩護を命じる。すみやかに障害物を無効化せよ」


 やがて昼を過ぎた頃、中央部の逆茂木をほぼ破壊したという報せを受けた。

 やっと受け取った吉報である。

 まさか相手が逆茂木を用意していると思わなかった。

 ガイアケロンの策に嵌められた。

 しかし、これでようやく計画通りに事が動く。

 最後の決め手として温存しておいた最精鋭の重装歩兵部隊二千人に渡河を命じた。

 歴戦の勇士が集められた「忠誠隊」と呼ばれる彼らに中央突破を仕掛けさせる。


「勝った……! これで勝ったぞ」


 苦しい戦いになっていたが、この采配で勝負が決まる。

 敵が中央で崩壊すれば左翼に展開している迂回部隊が、いよいよ効果を表す。

 包囲を恐れて敵は山岳へ伸びている街道へ逃げ出すに違いない。

 バロウ千人将の槍兵部隊で退路を遮断できれば包囲殲滅である。


 ピラトは確たる勝利の光景を見た気がして歓喜に包まれていた。

 ガイアケロンかハーディアを殺せば、きっとコンラート皇子は自分を伯爵に任じてくださる。

 有力貴族の仲間入りだ。

 栄光の人生が開けている。

 ピラトは満面の笑みを浮かべた。

 これまでの攻撃による損害は大きく、集計できていないものの数千人の死傷者が発生するようだが勝ちさえすれば帳消しである。

 勝利こそが全て……。




 ~~~~~




 ガイアケロンはコンラート軍団に動きがあるのを見て取った。

 魔法部隊を交えた敵の工兵部隊により中央部の逆茂木はあらかた破壊されてしまった。

 なかなか優秀な工兵たちだった。

 皇帝親衛軍の攻勢が一時的に止み、部隊の交替が始まる。

 最精鋭の切り札で中央突破を試みようとしていると読んだ。


 ついに決着の時。

 ガイアケロンとハーディアは馬に飛び乗り本陣から駆け出す。

 シラーズ軍団へと向かう。

 そこには士気の低いシラーズ配下の兵士約四千人がいた。

 彼らを取り囲むように督戦隊やガイアケロンの兵士たちが配置されている。


 シラーズ王子は馬に乗り、特に選抜した近習たちを護衛に侍らせていた。

 黄金と宝石で煌びやかな鎧兜を身に着けたラカ・シェファの姿も見える。

 ガイアケロンは弟王子に大声で呼びかける。


「シラーズ王子! 攻撃の機会を与えてやる。中央部から打って出よ」


 頷いたシラーズは決死の思いで兵士たちに号令する。

 怜悧な顔は蒼ざめていた。


「さぁ、戦列を組め! 中央部から前進! 前へ進めぇ!」


 のろのろと意気消沈の様子で準備をする者たち。

 百人頭たちが怒声を上げて気合を入れる。

 完全に戦意を失い、もはや戦いに加わろうとしない者が数百人もいた。

 怒った百人頭と抵抗する男たちが罵声を浴びせあっている。

 シラーズはこれが自分の兵かと情けなくなり、猛烈に怒りが込み上げる。


 実際、多くの兵が目の前で凄まじい殺し合いを見ている内にすっかり怖気づいてしまっていた。

 金貸しのラカ・シェファが財力に飽かして集めただけの人間たち。

 すでに危険な気配を感じ取った勘のよい者は行軍中に脱走していた。

 その数、約二百人にも及ぶ。

 逃亡者は見つけ次第、処刑すると宣言していた。

 ラカ・シェファが顔を真っ赤にさせて叫ぶ。


「お前らっ! 戦えっ! 戦わんか! 褒美は用意してあるぞ!」


 傍の馬車には銀の壺や装飾品、金貨銀貨、珍獣の毛皮などが積まれていた。

 分かり易いやり方ではあった。

 やけっぱちで先頭に並ぶ千人ほどの兵士。

 その後ろに仕方ないという気配の者たちが並び、最後に不貞腐れて寝転がっているような者が五百人ぐらい残っている。


 シラーズ軍団にいる、やる気のない者は捨て駒として利用する作戦だった。

 勝ち戦に乗じて略奪することが目的の彼らを現地で解雇すれば悪質な山賊と化す。

 だから兵士を辞めさせればいいという問題ではなかった。

 ゴロツキを連れてきてしまったのなら、きちんと最後の始末までするのが指導者の役割となる。

 ガイアケロンは大声で誰にも聞こえるように呼び掛けた。


「シラーズ王子! この有様は何だ!」

「ガイアケロン兄上。私は不満です! この戦いの結果次第では指揮下を離れさせていただきますぞ!」

「……我が軍団に加えてやったというのに采配が気に入らないと申すか! この不心得者が!」


 ガイアケロンの良く透る声が戦場に響き渡る。

 電撃のような大喝だった。

 演技と分かっていたシラーズでさえも背筋が冷たくなっていく。

 王道国の王子同士の関係が良くないと見せかける芝居のはずであった。

 敵を騙すにはまず味方から……という方法をそのまま実践したにすぎない。

 事前にシラーズ軍団の兵士たちにはガイアケロンと新参のシラーズとの仲が良くない、というようなことを吹き込んでもある。


 言い争いを続けようとするが、シラーズは言葉が出てこない。

 紛れもない殺気を放射しているガイアケロンに気が呑まれてしまった。

 これは兄の隠されたもう一面かと感じる。


「シラーズ王子。もはや口先の出番ではない! 攻撃せよ!」


 ガイアケロンの隣にいるハーディアも信じられないほど冷たい顔をしていた。

 数え切れないほどの人間を殺してここまで歩んできた人間の気迫だった。

 戦場の緊張感も加わって、シラーズは首を締められるような気分になる。


「ぐわああぁぁぁ!」


 ふいに叫び声。

 座り込んでいる兵士を槍で串刺しをしたのは軍目付けヒエラルク・ヘイカトン。

 雪のように白く仕上げた特異な鎧を身につけていた。

 男を串刺しにして槍玉に上げ、放り棄てる。


 青筋が何本も浮いた額、褐色の瞳は興奮で濡れたように光っている。

 それが合図となって、ヒエラルクの連れてきた直参の従卒約百人と督戦隊二百人が槍や刀で戦列に加わらない者を攻撃し始めた。

 たちまち数十人ほどが殺され、あるいは殴られるなどしている。

 悲鳴があちこちで上がる。

 あくまで逃げて戦列に参加しない者をガイアケロンの兵士たちが罵り、石を投げつけて追い返す。

 彼らにしてもやる気のない者が傍にいて苛立っていたのだった。


「てめぇら男だろ! 戦え~!」

「逃げるな! 敵に向かって進め!」


 シラーズ軍団が進めるのは逆茂木が破壊された中央正面のみだった。

 歪な戦列を組み、重装歩兵が進む。

 シラーズ王子は馬に乗り、剣を手にして最後尾から配下たちを追い立てる。

 督戦隊が槍を持ち、穂先を味方の背中に突き付けていた。


 曲がりなりにも軍団が前進していく。

 シラーズは気を取り直し、冷酷に微笑した。

 一戦一戦が己の命運を賭けた戦いだ。

 初陣から負け戦となれば支持者など、今後は全く増えないだろう。

 父王イズファヤートからは取るに足りない小者として捨て置かれるに違いない。

 王族として広大な領地を手にし、数万の軍勢を支配する以外の人生に意義などありはしないと思い定めていた。

 叶わないのなら死ぬのみだ。


「さぁ。シラーズ軍団、敵にかかれ! 後退する者は手討ちにいたすぞ!」


 シラーズは激を飛ばす。

 皇帝親衛軍の予備部隊が進出してきた。

 横三十列、奥行き十列の隊が三部隊並んでいた。

 約二千人規模の重装歩兵である。

 コンラート軍団、取って置きの精鋭であると思われた。


 背中から刀槍で追い立てられたシラーズ軍団が皇帝親衛軍と激しくぶつかる。

 後退すれば殺されるシラーズの兵士は必死に戦う。

 猛獣のような叫び声。断末魔の悲鳴。

 押し合いと槍の突き合い。


 始めは互角かと見えたが……徐々に形勢はシラーズ軍団の不利に傾いていく。

 相手は選抜され訓練を積んだ皇帝親衛軍である。

 士気でも練度でも大きな差があった。

 鋭い長槍で体を刺され、盾による押し合いに負けて数十人の兵士が仰向けに倒れる。

 そこを槍で突かれ、地に伏しているところをさらに無数の兵士によって踏み殺されていく。


 シラーズ軍団の前列が見る見るうちに崩壊していく。

 数百人が殺されていった。

 生臭い血が濃厚に原野に漂う。

 ヒエラルクは満足げに独り言を口にする。


「くふふふ……極まってきたのう。獅子斬りをかせ」


 状況に応じて武装を変えるので、従者に武器を持たせて随伴させている。

 ヒエラルクの槍を素早く受け取った従者。

 別の従者が急いで大刀の柄を差し出す。

 抜き放つと陽光に刀身が眩いほど輝く。

 獅子斬りと呼ばれる、刀としては最大級の大振り業物だった。


 ヒエラルクが扱えば鎧兜で防御をした兵士といえども頭頂から股下まで真っ二つに斬り下げることができる。

 次々に殺されて行く前列の様子を見て恐慌寸前の兵士たちが、どこかに逃げ場所がないか浮足立つ。


「さてさて! これほどの戦場に恵まれたというのに楽しめもできない哀れな者どもよ。活を入れてやらねばな」


 ヒエラルクは歩もうとしない兵士の胴を横薙ぎにする。

 本当に上半身と下半身が分断されてしまった。

 自らの下半身が臓物をぶちまけている光景を目にした当人が悲鳴を上げた。

 次の瞬間、絶命している。

 軍目付けの従卒たちもそれに倣い戦意の乏しいものをさらに斬殺する。

 ヒエラルクは首を捻りながら、呟く。


「ボッ! ボッ! ……う~ん。ちょっと違うな。工夫が足りぬ」


 獅子斬りを振りながら、シュバッとかシュボッと繰り返す。

 傍にいる弟子たちがそれを見る。


「本当に斬撃が決まったというとき、ヒュボッと斬れるものだ。人間の体だけではないぞ。鎧兜と言えども、スボッと斬れるのだ。こればかりは中々説明できないものよぉ。お主らも斬って憶えい」


 従卒たちから威勢のいい返事がある。

 逃げられないと諦めた兵士たちが皇帝親衛軍へと死に物狂いで突撃していく。

 しかし、相手は皇帝国最精鋭の部隊だ。

 数千人は既に致命傷か虫の息で倒れ、その死体を踏み越えて親衛軍が進んでくる。


 ガイアケロンは戦場を見渡す。

 捨て駒の部隊は、あとほんの数刻で消滅する。

 相手が凄い。まるで草でも刈るようにシラーズ軍団の兵士を薙ぎ倒していく。

 さすが精鋭、皇帝親衛軍の予備部隊である。

 おそらく「忠誠隊」と呼ばれる歴戦のつわものが集められた集団ではないかと想像した。

 統率、個々の戦闘能力、どれも高い。

 面魂も大したもので、ふてぶてしく、落ち着いていて、それでいて惨忍でもあった。

 良い戦士たちだ。

 ガイアケロンは馬上から号令した。


「督戦隊は横に逃れよ! 次いで不死身隊。前進!」


 不死身隊と名付けられた重装歩兵二千人はガイアケロン軍団にあって、最も戦歴豊富にして戦闘意欲の高い部隊だった。

 彼らはガイアケロンとハーディアに命を捧げる覚悟を持ち、同じ隊員たちとも固い団結心を持っている。


 急速に接近した彼我の最精鋭がぶつかり合った。

 シラーズ軍団の兵士たちは、融けた氷のように姿を消した。


 血飛沫、暴力と暴力のぶつかり合い。

 数百人の獰猛な男どもが槍で突き合い、盾で押し合う。

 少数居る魔術師は下手に手出しできない。

 両軍互いに強力な魔法使いに対する警戒と憎悪は激しく、もし術を行使してきたら弩や強弓などで徹底的に反撃する心積もりだった。


 そして、さらに時間は経過していく。

 冬の太陽は傾いていった。

 山岳地域のことである。

 そう遠からず原野は日陰となる頃合いだった。


 ピラトは状況が呑み込めなかった。

 迂回部隊は動きが見る見るうちに緩慢になり、敵の重装歩兵と戦闘をしていたかと思えば、いまや後退して傍観している。

 命令である迂回行動を放棄してしまっていた。

 後方を突くはずの部隊から伝令が飛び込んできた。


 ガイアケロン軍団の別働隊に攻撃は阻止され、矢は尽き、もはや前進することはできない。撤退の許可をくれという。

 そして、最も重要な、ここぞという戦機に繰り出した精鋭の重装歩兵は数千人もの敵兵を殺したが、新手の部隊を突破できずにいる。


「これはいったい、どうなっているのだ……」

「軍団を後退させてください。マクマル・ピラト執軍官」


 呟きに答えたのは、うっかりすれば下級役人にすら見えてしまう貧相な風体をした頭でっかちの中年。

 ノルト・ミュラー子爵だった。


「……、な、なにをバカな」

「迂回部隊を撤退させなければ彼らは全滅してしまいます。そうとなれば貴方は指揮権剥奪のうえ厳しく罰せられましょうぞ」

「な、なぜ全滅などするのか。圧倒的に兵力で勝っているのだぞ! 現に忠誠隊は敵の軍勢を数千人と殺しておるではないか!」

「ガイアケロン軍団は逆茂木を利用しているので正面兵力を減らすことができます。余剰した戦力を迂回部隊の迎撃に当てたのです。しかも、我が方の兵員は休みなく移動したうえに冷たい河を渡って戦った結果、疲労の極み。迂回部隊は実力を出し切れなかったでしょう」

「……」

「時間を浪費すると被害が拡大します。早く撤退を。今なら立て直しが出来る程度の損害で済みます。このミュラーも共に責任を負いますゆえ……さぁ」


 ピラトは唇を噛む。

 握った拳が震えていた。

 勝てなかった……ということが呑み込めない。

 コンラート皇子にあれほど強気で申し出てしまった。

 後には引けない。

 勝てるはずだった。

 なぜ、負けるのだろうか。

 いや、まだ負けたわけではない。

 公爵連合の軍勢は、僅かな損害しか発生していないはずだ。

 ここで右翼側からも迂回攻撃を仕掛ければ、戦況は変わる。

 そうだ。そのはずだ……。


「エリアス・ドラージュ騎士団長殿に伝令。公爵連合の軽装歩兵を右翼側面から進出してほしいと伝えろ」


 ノルト・ミュラーは焦り迷っているピラトを哀れに思う。

 この状況で公爵勢が兵を送るはずがない。

 彼らは勝てないことを素早く察知しているだろう。

 むだに兵を失う行動は絶対にとらない。


 伝令兵が馬に乗り、駆けていく。

 待っている間も悪い報せばかりが上がってくる。

 重装歩兵からは敵の抵抗が激しく、前進できないという報告が何度もやってきた。

 弓部隊からは矢の供給がなければ支援射撃ができないとの訴えが届く。

 そして、全ての部隊から疲労により兵員の限界が近づいていると急告が殺到していた。


 ピラトは顔面蒼白になり沈黙する。

 なぜこうなった……何かの間違いのはずだ……公爵家が迂回攻撃をすれば今度こそ敵は崩壊する……。

 そんな考えで頭が一杯になる。

 撤退を訴える使者を怒鳴って追い返す。


 ノルト・ミュラーは体を焼かれる思いで公爵家の返答を待つ。

 やはりピラトには最後の駄目押しが必要だった。

 彼は判断能力を失いつつある。もう、どんな報告もひたすら無視を続けていた。

 口の端に白い泡を吹いている。


 もう少ししたら前線の兵士たちは命令を無視して、後退してしまうかもしれない。

 それこそ真の危機だ。

 恐慌状態になったまま一切の指揮命令系統から逸脱して逃げる「潰走」の状態になってしまう。


 唯一の希望は皮肉なことにコンラート皇子を手酷く非難したリモン公爵の戦力である。

 リモン騎士団の防衛陣地があるので、おそらくガイアケロン軍団は追撃を仕掛けてはこないはずだ。


 ノルト・ミュラーの胃が痛みだす。

 薬を飲もうかと思ったとき、ドラージュ騎士団に送った伝令兵が戻ってきた。


「ピラト執軍官様。ご報告します。公爵勢に迂回攻撃の余力なし。皇帝親衛軍の正面突破がならない以上、これより対岸まで後退するとのこと」

「……なっ!」


 ピラトは絶句した。

 いともあっさり友軍から決別されてしまった。

 いよいよこれが現実なのかと信じられなくなっていき、すべてを疑い出す。

 今にも迂回攻撃が成功してガイアケロン軍団に大きな動きがあるのではと考えるが、何も起こらない。

 それどころか左手の林や岩場から軽装歩兵などが走って逃げてくるのが見えた。

 攻勢に出ていたはずの重装歩兵らが、むしろ逆茂木から進出してきた敵方の兵士たちに押されつつある。


「ピラト執軍官。撤退のラッパを鳴らしますぞ」


 ミュラーの呼びかけに相手は答えなかった。

 返事を待たずにラッパ手へ合図を鳴らすように命じた。


 音を聞いた軽装歩兵たちは我先にと河の方角へと走っていく。

 重装歩兵たちは最後の忍耐力を発揮して、背中を見せずに盾を構えたまま後ろ歩きで後退していった。

 ミュラーと副官のウルズファルはピラトの乗る馬の手綱を取り、無理矢理に後退させた。

 彼は放心状態だった。

 ミュラーは負傷者を見捨てずに助ける命令を四方八方、あらゆる部隊へと送る。




 ガイアケロンは追撃を控えるように厳命する。

 下手に攻撃をすれば、せっかく沈黙していてくれたリモン公爵の戦力を刺激することになる。

 あらゆる兵士が勝鬨を吼えていた。

 場を守り抜き、敵は攻撃を諦めて逃げていく。

 間違いなく勝利だと誰しもが喜んでいた。


 ガイアケロンとハーディアの前に、血塗れになったヒエラルクが戻ってくる。

 返り血を目立たせるために白塗りになった彼の鎧は、真っ赤になっていた。

 表情は清々しさすら感じさせる。

 ただ濃褐色の眼だけは興奮で濡れている。

 笑顔を浮かべた。


「ガイアケロン様、ハーディア様。これは勝利と言ってよいでしょう。素晴らしい戦いでした。皇帝国は一万人ほども死んだのでありませんか」

「我の見立てだと七千強といったところであろうか。数えたわけではないから確証はないが」

「お見事なる采配。このヒエラルク、改めて王子が英雄と呼ばれるわけを知りましたぞぉ!」


 ヒエラルクが、ハハハハと金属でも擦り合わせたように高笑いをする。


「軍目付け殿。手筈通り、こののち偽装後退となります」

「おお、そうでしたな。一撃加えて素早く退くとは、剣術にも通ずる妙技ですなぁ。奴ら、上手いこと乗りますか。此度以上に屍の山を築けるか楽しみですなぁ! まったくガイアケロン様は素晴らしき御方よ」


 血に酔ったヒエラルクを横目に、ハーディアは怪我人の手当てを急ぐように伝える。

 負傷者は馬車か担架によって日没後、速やかに街道からポルトへ護送する。

 今夜のうちに、大部分の部隊は後退させるのだ。


 邪魔なヒエラルクには食事と風呂の支度をさせたと口実をつけて本陣から送り出す。

 彼はハーディアの本心を知りもせず、好待遇の配慮であるとさらに上機嫌になってくれた。


 夕暮れの中、本陣には引っ切り無しに伝令兵が出入りを続けた。

 オーツェルが緻密で素早い対応を見せる。

 ひたすら報告を聞き、指令を繰り返している内に日没となっていく。

 篝火が焚かれた。


 そのとき、本陣を訪れたのはアベルとカチェ、それにスターシャだった。

 念のため人払いをさせたので書記官などは退席していった。

 オーツェルも若干不満そうに陣幕から出て行く。

 近いうちに彼へ事情を説明しなくてはとハーディアは考えた。


 アベルが群青色の瞳を向けて、迂回部隊を迎撃した様子を語る。

 彼の強襲偵察隊がスターシャの遊撃隊と一体になりつつ激しく戦っていたのは知っている。

 ガイアケロンが信頼の籠った笑顔でスターシャを労う。


「スターシャ。いつもながら突発的な事態によく対応した。遊撃隊を充分に動かしてみせたな」


 愛するガイアケロンから称賛されてスターシャは夢見る乙女の表情である。

 おめめハートマーク状態……。

 アベルは、こいつ可愛い顔もできるもんだと驚く。

 殺すだとか犯すだとか下品極まる傭兵話術の達者なアバズレには見えなかった。

 なんかちょっと萌えてしまう。


 次いでハーディアも満足げに声を掛けてくれる。


「アベル。後方の街道を占拠されていては兵士が動揺しかねませんでした。よく先手を打って敵を押し返してくれましたね」

「いや、あれは敵の動きについていっただけで、結果的に阻止できただけのことです。それよりも……僕は戦術の凄味を教えてもらいました。まさか守備の準備をしているとは思いませんでしたよ」

「逆茂木のことですか。あんなものは基本技術です。兵士は教えて鍛えれば様々なことをやってくれます。皇帝国の兵士にも同じことはできるでしょう。問題はいつどのように行うかの判断です」


 それよりも鍵となる人物と交渉して、コンラート軍団を誘導してみせたアベルの功績が大きいのだとハーディアは心で付け加える。

 かの軍団がさらに強大化し、リキメル王子を打ち破った後に戦うことになれば、それこそさらに困難な戦いになっていたかもしれない。

 今日こうして優位に合戦できたことは計り知れない利益であった。


「もう知らせてもよいことですが、我々はこれからコンラート軍団に偽装後退を仕掛けます」

「……それはどういう策ですか」

「私と兄が殿軍となって敵を引き付け、主要部隊は街道を戻って東に逃げます。山岳を越えた場所に罠を張ります」

「敵がお二人を追い駆けていくうちに罠にはまると……。でも最後尾で敵を引き付けるのは危険どころの話しではないでしょう」

「危なくない戦などあるものですか」


 ハーディアは柔和に笑ってみせた。


「殿には僕も加えてください」

「……随分とあっさり命を賭けますのね。我らとて貴方に死なれては困るのですよ」

「賭けるものと言えば、もともと命ぐらいしかないので」


 結局、生死の際で戦う他ないのだとアベルは感じる。

 イースの幻が姿を結び、何かが掴めそうな気がするのは死が臭う戦闘の渦中だけだった。


 アベルの返答を聞き、兄ではないが密使風情にしておくのが惜しいとハーディアは思う。

 活躍をしても所詮はテオ皇子の利益のために働いている者なのだと残念に感じる……。

 しかし、その時、ハーディアの脳裏に閃きがある。


 これほどの献身……本当にテオ皇子への忠誠心だけでやれることだろうか?

 アベルはそれほどまでにテオ皇子に入れ込んでいるのか。

 幸いスターシャ以外は人払いしてあるので探ってみる。


「アベル。私はテオ皇子の人柄を知らないのですが、どのような御方ですか? 聞かせてください」

「テオ様は……僕もじかに会話したのは二度あるだけです。背が高く肩幅もあり、見た目の印象としては重厚な方です。胆が太いと噂されていますけれど……」

「それだけですか?」


 アベルは照れたような顔をした。

 何しろほとんど話しをしたことがないので……そう説明してあとは黙ってしまった。

 ハーディアはおかしいと思った。

 とてもではないが尊敬する主人への気持ちなど全く感じられない。

 せめて、主はどうした考えを持っているとか特に讃えられるべき美徳はどうだとか、思想はどうしたものであるなどと力を入れて称賛するべきである。

 それなのに、アベルにはそうした素振りが無い……。


 アベルの異様なまでの激しさはテオ皇子への忠誠心が原動力ではないと見抜いた。

 ということは……何が動機なのだろうか。

 非常に気になる。

 放置しておくことはできない。


 アベルの望みを正しく理解して、それを叶えてやれば真の配下にすることができるかもしれない。

 ハーディアはどのような甘い誘惑を用意するか考えを巡らし始めた。

 これは敵の軍勢を撃破するよりも楽しい狩りになるかもしれない。

 どこか影のあるアベルの瞳の奥に、何が隠れているのだろうか……。













お読みいただきありがとうございます。

二話分に相当する文字数になってしまったのですが、分割しにくかったので……。

次話未定です。

それでは。

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