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獣の見た夢  作者: MAKI


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103/141

あなたのなかのわたし

 



 アベルは仲間たちとポルトに帰還した。

 しかし、ディド・ズマと王子らの会見は既に終わっていた。

 ちょうど傭兵軍団が東方向へ移動していくところを目にする。


 急いでポルト市街の中心部にある城へ向かう。

 門番たちはスターシャを認めると直立不動で敬礼する。

 アベルらのことは連れだと説明するだけで通過できた。


 城壁の中に入る。

 アベルやカチェは内部の風景を見ると、出るともなしに溜め息が出てしまった。

 かつてハイワンド家が暮らしていた城は大部分が吹き飛んだため、再建されている城は全く姿の異なるものだった。

 見知った景色が別物になっていた時の切なさ……。


 武骨な二階建ての城が建造中だった。

 一階部分の窓の位置は高く、全てが矢狭間として機能する構造になっている。

 あらかたの建築は済んでいるようだが、堀を作ったり、壁を延長するというような工事を行っていた。

 職人と兵士が共同で作業をしている。


 スターシャに導かれて進む。

 正面門は城壁と一体になった櫓に挟まれる形で備えられている。

 人が二人並んで通れるかどうかの狭さ。

 門番が四人いて、スターシャが挨拶するとアベルたちは見咎められずに中に入ることができた。


 一階にある待合室に通される。

 簡素な部屋で調度品の類は少ない。

 しばらく待つと出入り口ではない壁から不意に通路が現れた。

 隠し扉だ。

 おそらく秘密裏に会いたい人物を呼び寄せるときに使う通路なのではとアベルは想像してみる。


 中から男が一人出て来る。

 痩せた、濃緑の瞳をした知的な感じの男だった。

 年齢は三十歳ほどだろうか。

 スターシャがオーツェルと呼びかけているから、そういう名なのだろうとアベルは理解した。


 その男が手招きをしている。

 スターシャの後に続いてアベル、カチェ、ワルトがついていった。

 扉の内側は直ぐに階段になった。

 狭い螺旋階段だ。

 二階に上がると、突き当りに扉がある。

 スターシャが扉をノックして、中に問い掛けると返事がある。

 ガイアケロンの溌溂とした声だった。

 内側から扉が開くと、そこにはガイアケロンがいた。


「よく戻った。アベルとスターシャだけ中に入ってくれ。オーツェルはそこのお嬢さんのお相手を頼むぞ」


 お嬢さんというのはカチェのことだ。

 カチェは部屋の中に入れないのでムッとした顔をしている。

 アベルは腰から刀を鞘ごと外してカチェに渡す。


「カチェ様。ちょっと待っていてください」

「分かったわ……」


 分かったと言いつつ、とても不満そうだ。

 呼ばれたアベルが入室すると、ガイアケロンの他にもハーディアが待ち構えていた。

 部屋は書斎のようであった。

 本棚に机があるだけ。

 書類を作成する筆記用具があるぐらいで、あとはこれといった特徴はない。

 飾りのない殺風景な空間。

 窓は開いているが、木綿のカーテンできっちり覆われている。

 外から中が見えないようになっていた。


 ガイアケロンは木綿の簡素な服を纏っていた。

 鎧の下に着るような実用的な長袖と下穿きだ。

 鍛え上げられた体躯に圧倒的な存在感がある。

 灰色と青の混じり合った瞳がアベルを注視してくる。

 整った口元には爽やかで温かみのある笑み。

 まるで長年の友人や部下を迎え入れるような態度だった。


 ハーディアは象牙色をした絹の貫頭服を着ている。

 白い帯を腰の部分で結い、ウエストから豊かな胸のラインが浮かび上がっていた。

 用心の為か習慣であるのか長剣を一振り、帯に差し込んでいる。

 輝く金髪は編まれることも結われることもなく流れていた。

 装身具の類はわずかに金の首飾りをしているぐらい。王族にしては質素なものであったが本人に破格の美貌が備わっているせいで華やかさばかり目立つ。


 意外にも彼女までもが柔らかな笑みを浮かべていた。

 どこか憂いた気配もそれはそれで魅力的だが、自然な笑みのほうがもっと良いものだ。

 とても演技には見えない喜びの視線をアベルに向けている。

 それからスターシャに弾んだ声で語りかけた。


「待っていましたよ。スターシャ。簡潔に報告を」

「はっ。ハーディア様。アベルらはディド・ズマの軍団の後を追う小集団をケルク市にて捕捉しました。これを待ち伏せて勇敢かつ徹底した攻撃により殲滅。殺した主なる者にズマの会計マゴーチ。加えてレンブラートという将がいたようです」


 ハーディアは男なら誰でも惚れ惚れとしてしまう長く流麗な首を頷かせた。


「こちらが掴んでいた話しとも一致しています。アベル。良くやりました。実際にやってみせた者だけを我らは信頼します」

「光栄なことです……」

「不思議な事ですね。敵国同士なのに協力できることがあるとは」


 それはハーディアの本心だった。

 もともと好きで戦争などしているわけではない。

 父王イズファヤートに命じられているだけだ。

 拒否したり戦いに敗れれば幽閉か処刑か……冷酷残忍な父親という怪物にひたすら忍従していた。


 加えてハーディアにとってディド・ズマは纏わりついてくる異常者だった。

 ズマの並外れた権力への憧れ、暴力によって何ものも制圧する態度。

 徹底した強者の理論。

 敗者への完全な無慈悲。

 虐殺や拷問をむしろ喜んで行う性格……。


 顔も見たくない滅ぼすべき敵の手下をアベルが殺してみせたのだ。

 憂さが晴れた。

 こうしてディド・ズマを妨害し続ければ婚姻など成り立たなくなるかもしれない。

 襲撃などそう何度も上手く行くわけもないのだが、ついそうした望みをハーディアは持ってしまう。

 ガイアケロンがアベルに言う。


「さて。我ら共通の敵であるディド・ズマに一撃を与えたアベルは……これからどうしたいか?」

「テオ皇子との秘密同盟について返事をいただけますか」

「その件だが、やはりあまりにも重大事すぎる。何とかして一度、テオ皇子殿やバース公爵殿と直に会えないか。顔を突き合わせて会話しなければ信頼関係は築けない」


 アベルは頷いたと同時に、ガイアケロンが交渉に乗り始めたのを察した。

 やはり祖父バースの読みは外れていなかったのだ。

 ガイアケロンとて権力闘争に勝つため必死。

 有利になる要素が増えるならそれにこしたことはない。

 ましてや皇帝国の強大な軍団を配下に置くテオ皇子の助力は魅力的だろう。


「それにつきましては早急に本国へ打診します。密会というのは、そう容易なことではないでしょうが」

「連絡ついでに報告しておくのだ。ディド・ズマはいよいよ金を欲している。より過激に行動するはずだ。それから我が兄リキメルは後がない。おそらくあと一度負けたら父王から無能の烙印を押される。いま、異母弟のシラーズ王子がこちらに向かってきている。あるいは圧力を掛けるつもりで父王様は派遣したとも考えられるな。リキメルを廃嫡したのちには、残った領地と戦力が分配できるから」


 簡単に説明してみせたが、それはガイアケロンのような王族しか知りえない貴重な情報だった。

 そんなことまで教えてくれる真意はどうしたものかとアベルは驚く。


「ところでディド・ズマから奪った金があるのですが……」

「ああ。それがどうした」

「僕のものにしてもよいのでしょうか。そちらに渡した方が……」

「ははは。人の戦利品を奪ったりするものか。アベルのものさ」

「金貨と一緒に書類も手に入れました。読んだのですが、どうも契約書のようなものでした。ちょっと見てもらいたいのです」


 アベルは懐から羊皮紙の束を渡す。

 ガイアケロンとハーディアは興味深そうに読んでいく。


「これは食料の供給契約だ。相手は光神教団。奴隷を千人渡すかわりに、一個軍団が半年ほど活動できるだけの糧秣を渡すという内容のようだ」

「なんですか。その教団というのは」

「亜人界で勢力を伸ばしている宗教組織だ。実態としては、行き場を失くした農民などを荘園に閉じ込めて重労働をさせている。ディド・ズマのような連中とも取り引きをしている、どうしようもない奴らさ……。ハーディアの方は何だったかな」

「お兄様。こちらはまた別の書類です。森人の国、エウロニアが光神教団の布教活動を認めないので相談したいというような内容です……」

「複雑な利害関係があるみたいですね」

「亜人界は特に難しい。地縁血縁、部族での纏まりが強固だ。部外者が支配しようとしても統治は容易ではない。それなら日頃から友誼を結んでおいて必要な時に協力してもらうべきだな。我はそう心がけている」


 それからアベルはいくつか情報交換をしたところで話し合いに目途が付いた。

 襲撃を成功させたことによりガイアケロンの信用を勝ち取った。

 テオ皇子と密会してみたいというところまで彼の気持ちを動かすことができたのだ。

 最初の態度からしてみれば、比べ物にならないほど態度は軟化している。


 使者としての役目は成功しつつある。

 仕上げにどうにかして密会を成立させて、あとはテオ皇子とガイアケロン王子が互いに信頼できるとなればバース公爵の大陰謀に現実味が増す。

 もっとも、まだまだ解決しなくてはならないことだらけだが……。


 それからアベルはアスの忠告を忘れるわけにはいかない。

 稽古の願いをすれば断られない。隙を見て肌に触れてみよ……。

 いったい何が発見できるのかは分からないが、ここは素直に従ってみよう。


「あの。ガイアケロン様。不躾ですけれどお願いがあります。後程このアベルと稽古をしていただけませんか」


 このいささか唐突な頼みに、ガイアケロンは穏やかな表情を変えない。


「稽古はよほど素性の確かな者とだけ行うのは言うまでもない常識でありますが、伏して願うのみです」

「……。いいぞ。面白そうだな」


 ハーディアが不安そうな顔で反対の意を呈した。


「アベルよ。密使として私たちの実力を調べるのも任務であることでしょう。しかし、いくら何でもあからさまに過ぎますよ」

「そう思われるのは無理のないことです。ただ、このアベルは研鑽の身でもあります。二度とはないこの機会を逃せない一心です」

「いいさ、ハーディア。俺もアベルの腕に興味がある。ひとつ立ち合いといこうか。もちろん魔法はなしだぞ」

「お兄様がそう言うのでしたら……。怪我をしないように鎧はしてくださいね」


 ハーディアはそれだけ主張して、それ以上は反対しなかった。

 話し合いを終えて、アベルはガイアケロンに導かれ部屋を出る。

 それから案内されたのは城の中庭だった。

 離れたところに衛兵がいるものの、他者の入り込む余地はない。

 併設の小屋には訓練用の木剣や盾がある。ガイアケロンは大剣を模した大振りの木造剣を手にした。

 樫材で作られたそれは、ほとんど武器に近い。

 その気になれば致命傷を負わせることもできる得物だった。


「アベルよ。我は騎士イースと戦ったとき、重傷を負った」

「はい」

「あれほどの手傷を受けたのは、実のところ生まれて初めてであった。失敗の原因は油断だったと思う。我は棒術を得意としていた。棒には長さがあり、折れず、相手の防具越しにも激しい打撃を与えられる良さがある。そうした特性を生かして数々の強敵を討ち取ってきた。しかし、騎士イースには通用しなかった。原因は速度だ。いくら威力があっても武器を当てることが出来なければ意味がない。こちらの攻撃は遅すぎ、イースの動きは速かった。次に意表を突いた攻撃。大剣を投げつけて、組手で挑んできた。これは全く想像していなかった。結果として腕を取られて関節をやられた」

「……」

「この反省を経て、我は徹底的に戦い方を変えた。こちらも武器は大剣。組手も一から鍛え直した。いい勉強をさせてもらったと思っている」


 ガイアケロンの肉体は完璧なほど均整がとれていた。

 変に筋肉が付きすぎているということもないし、もちろん贅肉など一欠けらもない。

 身長はロペスほどではないが、前世的に言えば百九十センチは近くありそうだ。

 動きがしなやかで、健康的に伸びた四肢は力が漲っている。

 直感的に、物凄く強い男なのがピリピリと伝わってくる。


 アベルは王子と相対した。観察する。

 ガイアケロンは脇構え、切っ先は天向いている。

 これは「屋根」とも呼ばれる型で、剣の持ち方としては一般的なものだ。

 見るからに強靭な体から繰り出される斬撃は、正面から受け止めては防ぎきれないだろう。

 しかも、尋常ではない魔力の猛りを感じる。


 アベルは始めから隠しもせずに二刀流で行く。

 そうそう王族と稽古などさせてもらえないと考えるべきだった。

 ガイアケロンと立ち合うことなど、もう一生でこの一度きりかもしれない。

 最初から持てる限り全ての技を出そうと思った。


 アベルから仕掛ける。

 摺り足で近寄りつつ、夢幻流「水月剣」を試みる。

 右の一刀をわざと目立たせて、相手の視線を誘導する。

 人間は本能的に動いているものへ焦点を合わせてしまう。

 ガイアケロンの瞳の動きに注目……。機会が来た。

 突然、死角側から脇腹を狙って攻撃した。


 足運び、気の謀り、刀の挙動。

 全てに自信があった。

 しかし、驚愕する破目になった。

 物凄い力で隠密に繰り出した左の木刀は弾かれた。

 ガイアケロンは瞬間的に柄を持つ両手の内、右だけを離し対応。

 木刀の鎬部分を掌底で叩き落としたのだ。

 

 流れるように反撃を仕掛けてきた。

 体当たりのような、全身で突っ込んでくる斬撃がアベルへやってくる。

 回避しようとしたが間に合わない。

 鍔迫り合い。

 アベルはガイアケロンの恐ろしさをはっきり理解した。

 

-なんて力だ!

 まるで敵わない! 


 それはイースやロペスですら凌駕する剛力だ。

 ガイアケロンの接近戦は土砂崩れのような圧倒性を持っていた。

 なんとかして鍔迫り合いを外そうとアベルは足掻くが、粘りつくように追随されて逃げられない。

 あっという間に突き飛ばされる。

 アベルは無様に尻もちをついた。

 鼻先に木剣を突きつけられる。

 完敗だった……。


 アベルはある程度のところまではやれるだろうと想像していただけに言葉も出ない。

 敗因を考える。

 初手の「水月剣」からして通用しなかった。

 かなり自信があったのに……。 

 掌底で行った鎬への打撃は正確なもので、あれなら真剣においてもガイアケロンは傷一つ負わないだろう。


 ひとつ気が付く。

 ガイアケロンと鍔迫り合いをしたら不利すぎる。

 

「僕の……負けです」

「今の剣の動き。奇妙で面白かった。アベルが凡庸な攻撃をしてくるはずがないと分かっていたから対応できた。さぁ。もう一度だ」


 まだチャンスを貰えているようだ。

 アベルは気を取り直して、今度は二刀流を捨ててみる。

 一刀は手に握り、もう一刀は腰紐に差し込んでおく。

 そして選んだ型は攻刀流、下段の構え。

 木刀の切っ先は地面につくほど下まで降ろす。

 アベルは相対する。


 間合いを謀っていると、今度はガイアケロンの方が先手を打ってきた。

 摺り足で、大きな体躯からは想像できないほど素早く動く。

 ぐんぐん迫ってくる体。

 アベルは横手に逃れたが、剣界から離れることが出来ない。

 ガイアケロンは追随してきて猛攻を加えてくる。

 圧倒的な連撃。


 刀身を押さえつける技術は卓越していた。

 まるで吸い付いているように「縛り」は解くことができない。


 必死のアベルを軽々と凌駕する膂力でガードを引き剥がし、あるいは体勢を崩しにかかる。

 抵抗するが、凌ぐだけで精一杯。

 反撃の試みはすべて絶え間ない圧迫や蹴りで砕かれた。


-くそっ! なんとかしなければ!


 追い詰められつつあるアベルは体力のあるうちに反撃を狙う。

 渾身の力で絡みつくガイアケロンの木剣を押し返して、一瞬の隙をついて横跳躍。


 逃げきったと思ったが手を読まれていた。

 ガイアケロンは片手突きを放つ。

 大きな四肢を存分に使った強烈な一撃。


 アベルの胸甲に突きが入る。

 両足ともが地面を離れる。

 体が宙に浮いていた。

 なす術もなく背中から床に落ちる。

 後頭部を軽く打った。

 視界が回転していた。


 ―なんて強さだ!

  全く付け入る隙が無い……!


 アベルは引っくり返ったまま呆然としてしまう。

 勝つ方策が一つも見つからない。

 力でも技量でも完全に負けていた。


 ガイアケロンが手を差し出してきた。

 アベルは腕を伸ばし、掌を握る……。

 左目が疼き、脈打った。

 瞬間、頭の中で光が爆発する。

 アスの忍び笑いが聞こえた気がした。

 視界は一転、暗幕のように黒くなったかと思うと次には景色が現れる。






 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++






 俺の……俺の名前はガイアケロン。

 母親と二人暮らしをしていた。

 最も古い記憶。

 憶えているのは家の壁のことだ。

 古い家で様々な汚れがついていた。

 そのシミが人の顔のように見えて、恐ろしかった。


 相貌とも顔の輪郭とも思える模様は薄闇の中で蠢き、やがて実存を伴う。

 老婆の顔、男の顔、のっぺらぼうな子供の顔……。

 恐ろしくて目を閉じ、寝台に顔をうずめていると、どこからか母が帰ってくる。

 踊り子だった母親は、夕方から夜中まで仕事に出かけていて不在だった。

 決まって明け方に帰って来た。


「母様。壁に人が住んでいます」

「壁ではなくて心に住んでいる人の影だね、それは」

「怖い」

「怖いのは自分の心に怯えがあるからさ。あたしがずっと一緒に居てあげられればいいのだけれど……」


 俺の母ルクナーサは寂しそうに笑っていた。

 やがて住む場所が変わった。

 着いたのは見たことも無いほど立派な建物。

 目に眩いほどの白い壁だ。

 シミが一つもない。

 だから俺は喜んだ。

 もう老婆も男も出てこないと……。


 母がちっとも嬉しくなさそうに言った。

 今日、これから父親に会えるのだと……。

 しかし、父は王様だという。

 父親と言うのは何だか分かる。

 友達には例外なく父親がいた。

 父親とは少し怖くて、でも優しくて、いつも食べ物やお金を持ってきてくれる凄い人だ。


 だが、王様とは何か、俺には理解できなかった。

 一番偉い人だと言う答えが母からあった。

 やはりそれでも意味は分からない。

 しかし、ともかく今日は生まれて初めて父親に会えるという。

 どんな人だろう。

 きっと立派な人だ!

 俺は嬉しくて笑った。

 なぜか母は涙を流した……。


 信じられないほど長い廊下。

 厳めしい兵士が並んでいる。

 巨大な扉を通る。

 何もかもが大きかった。

 宮殿の最も奥に、あれがいた。


「なぜ、笑っている。王を笑うか」


 それが王様という名の父から浴びせられた最初の言葉だった。

 俺は必死に答える。

 違う、嬉しくて笑っていたのだと。

 しかし、王という人間は許さなかった。

 側仕えに命じて、打擲させた。

 生まれて初めて頬を叩かれた。

 体がひっくり返るほどの激しい打撃。

 俺は二度と父親に微笑む必要はなくなった。

 それが父と言う名の、怪物との出会いだった。


 時間が流れる。

 俺は琥珀色の瞳をした少女と出会った。妹だった。

 愛らしい無垢な表情でありながら、際立って気品のある顔立ち。

 既にハーディアの母は亡くなっていた。

 不遇な身だった妹を俺の母親は哀れみ、連れてきた。


 俺たちは、これといった後見人の居ない王族。

 どの大人も現れては好奇の目で俺たちのことを爪先から頭の天辺まで観察する。

 まるで舐め回すような視線。

 どうしたら金になるか、どうしたら甘い蜜を出すようになるのかという欲望を溢れさせんばかりの計画者たち。

 踊り子という低いどころか卑しいとまで言われる身分の母は、ありとあらゆる甘言と阿りに抵抗する。

 やがて小金では妥協しない欲深い女と呼ばれ、激しく非難されていた。

 それでも黙って王宮の隅で耐える母親。


 やがて繰り返されるようになった毒殺の試み。

 迫りくる政争を避けるために、俺は白痴を装った。

 犬のふりをして、王宮の柱に小便を垂らして見せた。

 取るに足りない愚か者を演じなくては、いつ暗殺者を送り込まれるか分かったものではなかった。

 だが、そうまでしても暗殺者がついに姿を見せた。

 金の為なら子供も殺す人の形をした魔獣。

 俺は襲ってきたから、やりかえしてやった。

 俺の体の内側では魔力が燃え盛っていた。

 渾身の力で拳を叩き付ければ、敵の顔面は卵のように割れた。

 撒き散らされる血と体液。

 赤く染まった腕……。


 時間は流れていく。

 王に呼ばれたので俺は向かった。

 頭を垂れ、跪き、人形のように無表情に蹲る。


 居並ぶ重臣たち。

 一様に表情を押し殺すか……もしくははっきりそれと分かる追随の笑み。

 俺は知った。

 父は子から与えられる親愛の笑みが嫌いなのだ。

 配下たちが顔面に張り付ける恐怖を混じらせた笑みだけを認められる。

 王にとって笑顔とはそうしたものだった。


 燦然と輝く黄金の冠を被った怪物が玉座に座っている。

 その面相の冷たさは異様だった。

 それほど老けていないが、若者らしい闊達さなど欠片もない。

 暗く煙がかったような青い瞳。

 そこからは湿った情熱ばかりが放射されていた。

 傲慢で、親しみなど湧きようもない気配。

 玉座にいるのは、底なしの欲望のみで蠢く怪物だった。

 子も奴隷も兵士も将も貴族も……すべて同質の物体として扱う。

 他人は利用できるだけ利用し尽くす。

 ただ、それだけ……。


「父様。ガイアケロンが参上しました」

「父王、もしくは王と呼べ」

「はい。父王様」

「愚鈍、病身のお前を今日まで養ったのは王たるこの余だ」


 違う。

 母親だと言いたかった。

 沈黙で答えた。


「しかし、王は最大の寛恕を持ってして最後の機会を与える。まずお前に将を一人、兵を千人与える。戦場へ行って皇帝国と戦ってみせろ」

「はい。尊命を戴き、恐悦至極にございます」

「せめて戦場で死ね。将兵への供物ぐらいにはなってみせい」


 こいつ、今度は俺を戦場に捨てる気だ……。

 こいつ、嫌いだ……。


 俺の心には父親への怨嗟が唸っていた。

 そして、巨大な憎しみ。

 汚泥と鮮血が渦を巻いているような心象風景。

 その渦の中心にいるのは、僅かの親愛も見せない父親。

 父は何もしない。

 温かい言葉も掛けず、有益な知恵も授けず、ただ父と呼ばれることに嫌悪を示すのみ。

 少しぐらいは期待を続けていた。

 父らしい面があるのでは……。

 いつか愛情を見せてくれるのでは……。

 全て裏切られた。

 繰り返される出征の命令。

 寡兵で戦い続け、無残に死んでいく配下たち。

 数えきれないほど殺されかけた。

 逆に殺し返した。

 泥を啜る思いで生き延びた。

 やがて、くっきりと明瞭に形を取った殺意。


 あいつ、殺す……。


 憎しみは薄まるどころか、果てしなく暗く濃くなっていく。

 父親の冷酷な命令に従い、それでも生き延びなくてはならなかった。

 名誉が目当ての商人を利用した。

 有能ゆえに疎まれていた人間を拾い上げた。

 小さいながらも軍団を作り上げた。


 戦い続けた日々。

 弱肉強食の戦場。

 戦士と戦士が、命を奪い合う地獄の底で足掻き続ける毎日。

 しかし、希望を失わなかった。


 このまま死んでなるものか。

 燃え上がる憤激があった。

 あいつに利用されただけの人生。

 あいつに屈服させられただけの魂。

 そんなものが認められるわけない。

 力の限り、知恵の限り、抵抗した。


 意外なことに増えていく仲間たち。

 懸命に働けば働くほど、将器ありと人々が集って来る。

 信頼できる人間の心地よさ……。

 加えて相棒ハーディアの成長の目覚ましさ。

 この世でたった一人、同じ境遇の妹。

 巧緻な線を紡ぎ合わせた相貌の美しさは、血塗れの戦場でますます輝いた。


 似た境遇の王子王女が次々に死んでいく。

 誰も彼も惨たらしい死に方。

 毒を飲まされ、血を吐いて死んだ者。

 支援者に煽て上げられた末に危険な戦場へ出陣するや肢体を引き裂かれて殺された者。

 父親の命を全うできず廃嫡された後に自殺した者……。


 俺はいちいち数えていられないほど殺した。

 やればやりかえされる。

 引き換えに大勢の部下を殺された。

 敵味方双方の屍が、巨大な山になっている。

 願いは一つ。

 死体で出来た山脈の頂点には、父親の死体を積み上げる。


 あいつ、必ず殺す……。






 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++






 ガイアケロンは軽い眩暈を感じた。

 一瞬、意識が途切れるが、すぐに復調した。

 手を握っているアベルが、ぐったりと倒れていた。


「おい。どうした? 打ちどころが悪かったか?」


 カチェが心配になって走り寄る。

 アベルの頭を撫でると、意識が戻ったらしくアベルの瞳が開く。

 驚いた。

 涙を流していた。

 アベルはそれを自覚していたらくし、慌てて袖で拭う。


「えっ。どうしたのよ。アベル。そんなに痛かったの?」

「……なんでもない」


 アベルの心に響く激しい衝撃。

 まるで全身を叩かれている気がした。

 今の光景……まるで我が事と感じる一体感。

 アスの魔術だ。

 ガイアケロンの心象風景を、まったく直視してしまった。


 彼ほどの大らかで雄々しくそれでいて優しさを感じさせる人間の奥に、絶えず唸り声を上げる獣が蹲っていた。

 その願望は、父親殺し。

 憎み切っていた。

 呪いを謳っていた。

 父という怨敵をバラバラに引き裂く望みを、あらんかぎり漲らせていた。 

 アベルは思わず微笑んだ。


 -俺と同じだった!


 奇妙な友人を得たような心境。

 ガイアケロンに対する圧倒的な親近感。

 それにしても何という現認と内面の差であろうかと、心底から思う。

 激しい憎悪を抱いた人間には見えなかった。

 気遣うように見てくるガイアケロンの顔。

 贋物ではない優しさを感じる。

 暗殺に晒され、父親の暴虐に苛まれたはずなのに、それでも人間を愛している男。

 人間を信じられる強さを持った男でもある……。


 アベルは自分の根本にある父親殺しの魂が震えて、共感するのを抑えられなかった。

 そして、同時に一つの巨大な気づきを得ている。

 ガイアケロンの願望に協力し、それを叶えることができた瞬間。

 求め、乞い、恨み、憎しみながら……持ち続けた果てしない飢渇が満たされるかもしれない。


 -ついに俺はもう一度、父親を殺すことができるのではないか……。


 とはいえ必然、保身を考えない命懸けの先には……無残な死の影がちらつく。

 破滅だ。

 ガイアケロンと共に身を亡ぼすかもしれない。

 しかし、だとしても抑えられない欲求……。

 ふと、イースの面影が再生された。

 記憶の中のイースはいつも同じ姿だった。


 アベルは自分自身と、目の前の数奇な王子を比較する。

 荒れ切った、渇いた魂。

 誰からも愛されず、誰も愛せなかった人間。

 まったくもって混乱、錯綜したあげく、ぼろぼろに擦り減っただけの人生。

 そして、転生してもなお消えない怨念を抱いた救われない男。


 -彼を助けることが、自分を救うことになるかもしれない……。


「すいません。ガイアケロン様。もう大丈夫です」

「頭を打ったのなら休んでいろ。後から体調が悪くなることもある」

「いや、本当に……何でもありません。それより、王子は具合悪くないのですか」

「俺か。俺はなんともないぞ」


 アスの魔術はガイアケロンには自覚がないらしい。

 平然としていた。

 もし、自分の記憶を探られたと気づいたのなら、いくらガイアケロンでもここまでの態度はとれないと思える……。

 隣のカチェは不思議そうな表情をしていた。


「僕なら大丈夫ですよ。カチェ様」

「う、うん」


 そう言われつつもカチェは疑念を払拭できなかった。

 アベルはどこか変だ。

 何がどうとは指摘できないが、しかし、絶対に異常が起こっていた。

 ガイアケロンに負けたことがそんなに悔しいのだろうか?

 それにしては妙に晴れ晴れとした顔をしていた。

 カチェは変な胸騒ぎがした。

 理由は分からない……。




いつも読んでいただき、ありがとうございます。

次回未定です。それでは。

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