表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

カミサマと一緒

カミサマと一緒 その4 ゲームのリセットはできるが、人生のリセットはできないから気を付けよう

作者: シベリウスP

日常から逃げたい作者が、慰みに書いている銀魂に良く似たコメディ短編集の第4弾です。軽~く読み流していただければ幸いです。

幕前 基本的に幕前は面白くないから読み飛ばしてもいいが後悔するぞ【第4巻用】


時は近未来――世界は一国家となり、なんと全世界を日本が統一していた。日本の世界統一はその精神性にあった。曰く……武士道。

しかし、その実は、世界的大企業であるマウント・フィフス社と手を握り、その『企業傘下の国政運営』によってもたらされた、パックス・ジャポニカであった。

その日本では、西暦2080年を過ぎたころから、内乱に勝利を収め、国政の実権を手中にした官僚派が、荒れ果てた『東京』を捨てて、『新東京』に首都を移転し、そこで日本の政治をほしいままにしているのである。

一方、敗れたサムライ派は、『東京』や地方都市で細々と活動を続け、政権奪取を狙っている。

官僚派は警察機構や軍隊を牛耳っているが、一方のサムライ派も大きな幹をいくつか持ちながら、私設武闘集団を組織してゲリラ活動やテロ活動(「官僚派」の言い分。「サムライ派」は「聖戦」と呼んでいる)を行っていた。

この物語は、そのような激動の時代を熱く生きた人間たちの物語である――――。

え? 時代背景がイマイチわからない? 3巻にも載せてたんですけどぉ~?。

じゃあ、年表をもう一回だけ掲載しとくから、きちっと読んで理解してくれたまえ。

なお、5巻には年表は載せないから、今度こそ最後のチャンスと思ってきちんと予習・復習しておくように。いや、予讐・復讐じゃなくてね……。

 (略年表)

2063年(永生元年)…「官僚派」が日本国首相として永山鉄山(42)を擁立。永山は世界的経済界の雄・マウント・フィフス社の日本支局長だったため、日本の社会的機構に大改革を行った。その『聖域なき規制緩和』により、日本の経済界(と言ってもほぼ中小企業だけだったが……)は大打撃を受ける。

2064年(永生2年)…「サムライ派」の重鎮・宮辺貞蔵(44)が「新精神政策論」を発表し、政権を非難する。永山政権は宮辺を弾圧。宮辺は郷里の肥後に逃れる。

2065年(永生3年)…肥後の「サムライ派」の雄・宮﨑八郎眞郷(30)が、「岱山郷塾」を開講する。

2070年(永生8年)…永山鉄山首相が暗殺される(享年49。この暗殺は、永山に利用価値を見いだせなくなったマウント・フィフス社の陰謀であった)。マウント・フィフス社と組んだ軍需相の小田信名(27)がクーデターを起こし、軍事政権樹立。信名は永山首相暗殺実行犯として宮﨑眞郷を投獄、処刑する(眞郷の享年35)。

2071年(永生9年=明示元年)…4月6日、宮﨑眞郷門下生が小田政権に反旗を翻す(永生・明示の乱勃発)。サムライ派の主な人物として、武田春信(31)、上杉剣心(25)、毛利元成(33)、伊達正昌(22)、西郷大盛(35)らがいる。12月改元。

2077年(明示7年)…3月、八神主税(20)を局長、鳴神雹(20)を副長、犬神主計(20)を参謀として、200人の兵力で『協同隊』が旗揚げする。『協同隊』は、当初、武田春信の甲州軍に属して東京の制圧を狙い、新政府軍と戦う。

2078年(明示8年)…5月、武田春信戦死(享年38)。10月、毛利元成病死(享年41)。

2079年(明示9年)…8月、後世に残る『サムライ派』最後の大勝利である『利根川の合戦』が起こる。サムライ派は上杉剣心(33)を大将とした約3万人、官僚派は陸軍中将・第1師団長である佐久間信守を大将とする約2万人。この戦いに『協同隊』(隊士300人)も参加し、特に副長・鳴神雹(22)はその鉄の軍紀から“鬼の副長”、その華麗で凄絶な戦いぶりから“双刀鬼”の異名をとり、一躍サムライ派の伝説となる。

2080年(明示10年)…3月、上杉剣心死去(享年34)。5月、最大の決戦である『東京の戦い』でサムライ派が完膚なきまでの敗北を喫する。サムライ派は西郷大盛(44)を大将に、中村半太郎(34)、篠原主幹(33)、村田新吾(32)、別府晋作(30)、永山一郎(31)、池上弥四郎(30)の6個連隊・約2万人。これに鳴神雹(23)たちが属した『協同隊』(隊長・八神主税、参謀・犬神主計、副長・鳴神雹=“双刀鬼”)500人などを含めて2万5000人。

官僚派は陸軍中将・第1師団長である柴田束家を大将とし、第2師団長・明智光正、第3師団長・橋場秀吉、第4師団長・庭秀長、第5師団長・竹川一益、第6師団長・前田俊英の計14万人。西郷は自刃、中村と篠原、永山、池上は戦死。村田と別府は行方不明。『協同隊』も、八神主税はじめ雹の親しい友人たちが戦死する(八神の戦死は未確認)。

2083年(明示13年)…この物語のスタートです。

【主要な登場人物紹介】

鳴神雹なるかみ・ひょう…東京都十二支町龍崩区2丁目15番地にある『鳴神神社』の神主にして、何でも屋である『頼まれ屋』を経営している。トレード・マークは大小の木刀。金髪赤眼でいつもはずぼらでダメ男だが、やる時はやる男。天才的な二天一流を使う『真のサムライ』である。

佐藤清正さとう・きよまさ…肥後から新政府の官吏になるために上京してきた16歳の少年。龍崩区1丁目に姉とともに二人暮らしをしている。二天一流の免許保持者で『頼まれ屋』の従業員。近頃出番が少なくて影が薄い、ツッコミ役とナレーターを勤める“気配り草食系少年”。

雨宮霙あまみや・みぞれ…風魔忍群の末裔で、一家離散の憂き目にあった14歳の少女。茶髪碧眼のツインテールに、大阪弁でしゃべる可愛い子。身が軽く、忍術の腕も確かな『頼まれ屋』の従業員。KY気味で食い意地が張っているが、雹を兄と慕い、現在『頼まれ屋』に同居中。

佐藤誾さとう・ぎん…清正の姉で、文武両道、家事万端お任せのエキセントリックな性格の美人。肩までの黒髪で清楚な雰囲気を持っている。今年20歳だが嫁に行かずに弟の面倒を見ている。現在、寺子屋の訓導として勤めている。心に決めた人がいるが、それは雹のことなのか?

中西琴なかにし・こと…陸軍大尉で武装警察『真徴組』の紅一点。剣の腕は大したものだが、酒癖が悪いのが珠にきず。雹に惚れてしまったかもしれないドM娘。

玉城織部たまき・おりべ…陸軍少佐で武装警察『真徴組』最強の剣士。ドSで、頭取の俣野とは犬猿の仲。松平総括のためには水火を辞さない『俺、いい子』。


 では、第13幕から、張り切って行ってみよう!


第13幕 テレビショッピングで売ってるものは、すぐにタンスの肥やしになっちゃうな


――その日、僕は朝から調子が良くなかった。

『でも、今日は休むわけにはいかない……だって、大切なプレゼンの日だもの……』

僕は、体調が悪いのをおして、会社へと出勤する。しかし、やはりこらえきれずに、汽車に乗る前に駅のトイレでゲ○をまいてしまった……。ああ、このままじゃ会社に行けない……どうしよう?(Aさん・会社員25歳)

――私も、体調が優れなかったのですが、大事なお見合いの日だったので無理してお見合い会場へと行きました。しかし、帯をきつく締めすぎて、ただでさえ気分が悪いのに、吐きそうになりました。

相手の方は、とても素敵な殿方……そんな方の前でゲ○なんて……ああ、私はどうしたらいいの!?(B子さん・家事手伝い23歳)

「そんなあなたに、『ゲロピタミン』! この『ゲロピタミン』は、有効成分の働きで、ムカつきや吐き気を瞬時に止める効能を持っています」

『おかげで吐き気が嘘のように消えて、プレゼンは大成功! 大きな契約が取れて上司にも喜んでいただきました』(Aさん談)

『私も、おかげさまで縁談がまとまり、玉の輿に乗ることが出来ました』(B子さん談)

「このように、多くの方々から喜ばれている『世田谷生まれのゲロピタミン』、今なら1箱24粒入り2万4千円のところを、初回ご注文の方に限り2千円でのご奉仕です」

「安いですねェ~!」

「しかも、5箱ご注文の場合、1箱サービスして、さらに、この狩団製『ゲ○処理用のポリ袋10枚組10セット』をプレゼントします!」

「アフターサービスも万全ですね? お電話は今すぐ、0120・53・53・53番、0120ゴミゴミゴミ番へどうぞ!」


「……アホくさ……何やねん、狩団製のゲ○袋って? 薬が効かへんことが前提やないか?」

ここは、鳴神雹っていう人が経営している何でも屋『頼まれ屋』の事務所である。事務所の中では、従業員の紅一点である雨宮霙ちゃんがそう、テレビに向かって文句を言っていた。僕、佐藤清正はそんな霙ちゃんに言った。

「霙ちゃん、テレビばっかり見てないで、ちょっとは僕の手伝いもしてよ?」

「嫌や。うち、新聞記事のスクラップ作りなんて言う仕事は似合わへんねん。そないな地味な仕事は、地味なキヨマサにこそうってつけやねん」

「ちょっと、霙ちゃん。それどういう意味? 僕のどこが地味?」

僕が霙ちゃんに異議申し立てをすると、霙ちゃんはジト目で僕を見て、鼻でフンと笑ってニヤリとし、そのままテレビに向き直った。

「何その態度!? すっごいムカつくんですけど!」

僕が言うと、霙ちゃんはハナクソをほじりながら言う。

「あに? 清正ムカつくんけ? ほならこの『ゲ○ピタミン』買うたろか? 雹ちゃんの金で」

「その『ムカつく』って意味じゃないよ! それに何? 雹さんの金でって」

「だって雹ちゃん、うちらにまともに給料くれへんやん? そやからうち、な~んにも欲しいもの買えへんねん。おやつかて雹ちゃんが買い置きしているガブリコ位やで? うち、お年頃の14歳やのに、うちの青春は真っ暗や!」

そう言われると、同じく給料なんてものにほとんどお目にかかっていない僕も、何も言えない。

「……そう言えば、雹さんは?」

僕が話題を変えて訊くと、霙ちゃんはテレビ画面を見つめたまま言う。

「知らへん。何や用事があるゆうてスクーターで出てったわ。どうせパチンコかなんかやろ?」

「何それ!? ちゃんと仕事してほしいよなあ~。あ~! なんか僕もこんな作業、嫌になっちゃったなあ!」

僕はそう言うと、切りかけの新聞紙とハサミをテーブルに放り出して、ソファに寝っころがった。どうせ雹さんが帰ってくるまでに片付けとけばいいし、パチンコなんだったら2・3時間は帰ってこないだろう……僕はそう思ったのだった。

「……テレビ、面白い番組ないね……」

僕は、霙ちゃんが見ているテレビショッピングの画面をぼーっと見ながら言う。まあ、昼間のこの時間だったら、テレビショッピングか外国製の安っぽいドラマしかないのは分かり切っていた。

「霙ちゃん、テレビショッピングって、面白い?」

僕が訊くと、霙ちゃんは亀の子せんべいを食べながら言った。

「そやなあ、画面のこっちの方でおばはんたちが『わぁ~』とか『きゃ~』とか言うのが、わざとらしゅうてええなあ。それに、この商品ホンマは元値幾らやろ? とか考えながら見てると楽しいわ」

「ふむふむ……霙ちゃんって、若いのにしっかりしているなあ?」

「当たり前や! 金なんてもんはなあ、いくらでも遣うてええもんちゃうで? 100円で売ってあるんやったら90円に、90円にまけられるもんやったら85円に値切るのが、買い物のだいご味やないか? それを言い値で買うとったら、あっという間にお財布の中は空やで?」

僕は、霙ちゃんが思いのほかしっかりした女の子であることに感動してしまう。僕より2つも年下なのに、“値切る”という買い物の真髄を把握しているなんて……霙ちゃんだったら、1か月1万円生活でもかなり残金を残せるに違いない。

「なあ、もし宝くじが7億当たったらどないする?」

霙ちゃんがこちらを向いて聞いてくる。でも僕には7億円なんて大金、想像もつかないので、正直に言った。

「う~ん、7億円なんてお金、想像もつかないや……。とりあえず新しいPC買って、スペックを最高にしても50万弱くらいかな? すげ、それでもまだ6億9550万も余るのか……」

僕が言うと、霙ちゃんは呆れたように言う。

「何や、PC買うて終わりかい? だからキヨマサなんや」

「じゃ、霙ちゃんだったらどういう遣い方するのさ?」

僕が訊くと、霙ちゃんはうっとりした顔で言う。

「うちは、まず1億で東京のはずれに土地と家買うやろ? もち、家には金庫を付けて、2億くらいの金銀や宝石をもしもの時のために準備しておくんや。それから3000万くらいで世界一周して、4億は株に投資するんや」

すげ、僕と考えていることが全然違う。株で投資だなんて、霙ちゃんってホントに14歳?

僕がそう思っていると、テレビでは次の商品が紹介される。


――私は、昔から冷え症で、特にお腹が冷えてしまうので冬場はトイレに頻繁に行かないといけなくて、困っていました。同僚からも、『な~に、C子、ま~たトイレ?』などと言われるのが恥ずかしくて恥ずかしくて……どうしたらいいのでしょう?(C子さん・29歳会社員)

――私は寝相が悪く、親からも注意されていたんですが、いよいよ一人暮らしを始めることになって、途端に困ってしまいました。特に冬場は、お腹を出して寝てしまうと、次の朝はてきめん、下痢になってしまいます。このままじゃいけないと思っています。(D美・20歳学生)

「はい、冷え症や寝相、それから来る下痢、つらいですね~? でも、これさえあれば、もう大丈夫。それが、乙女の味方『ストマック・ガード』!」

――『ストマック・ガード』のおかげで、冬の寒い日もお腹が冷えずに助かっています。今では、友達からも『冷え症良くなったの?』と言われて最高です!(C子さん)

――私も、どんなに寝相が悪くても、どんなに寒い朝でも、この『ストマック・ガード』に助けられています。もう手放せません(D美さん)

「女の子の冷え症は、なかなか頑固ですからねェ~。この『ストマック・ガード』は、厚さわずか1ミリですが、伸縮性に富み、しかも熱がこもらない設計です。遠赤外線によりお腹はポカポカ、そして、色も肌色、白、ピンクと3色そろっています」

「可愛いですねェ~。これなら、彼氏の前で服を脱いでも大丈夫ですね?」

「遠赤外線によるお腹の冷え解消! 『ストマック・ガード』。今回、1個3000円のところ、3色セットで3000円と特価ご奉仕しています!」

「えっ!? 3色ともついて1つのお値段ですか?」

「そうなんです! しかも、驚くのはまだ早い!」

「まだ何かあるんですか?」

「はい、今回、3色セット3000円で、さらに、林英恵さんがデザインした蝶々柄の1枚を特別にお付けします!」

「林英恵さんデザインの蝶々柄!? それは可愛いですね?」

「さらにさらに、レッグウォーマーとミトンの手袋もお付けしてのご奉仕です! お電話は今すぐ、0120‐535353番、0120ゴミゴミゴミ番へどうぞ!」


「……何やそれ!? 『ストマック・ガード』? 素直に『腹巻』って言えばええやん? 横文字にすればカッコええ言うもんとちゃうで?」

霙ちゃんがテレビに突っ込む。確かに、何という商品名を付けようが、見た目は『腹巻』以外の何物でもない。

「それに何や!? 『彼氏の前で服を脱いでも大丈夫』? そないなシチュエーションがいつあるんや? うちやったら、腹巻していたら恥ずかしゅうて彼氏の前では服は脱がへんわ」

「い、いや……僕としては彼女が腹巻していても一向に構わないけれど……そもそも、冷え症の彼女だったら気を遣って暖かい所でデートすると思うな?」

僕が言うと、霙ちゃんはにっこりと笑って言う。

「キヨマサのくせに、たまにはええこと言うやん? そやで! 彼女が寒がりやったら暖かい所でデートするもんや、相手のことを考えてデートせなあかん! 見直したで? キヨマサ」

「しかし、腹巻に蝶々柄はどうかと……」

僕が言うと、霙ちゃんも激しく同意する。

「そのとおりや! 腹巻はラクダ色に決まっとる! 蝶々柄やペイズリー柄なんて邪道や!」

「ぺ、ペイズリー柄なんてサイケデリックな柄、誰がつけるんだろう?」

「少なくともうちは嫌や! うちは腹巻はラクダの腹巻しかせぇへんねん」

「え!? 霙ちゃんも腹巻するの?」

僕が訊くと、霙ちゃんは不思議そうに僕に聞き返した。

「うちかて女の子や。体が冷えることもあるわい。そないなときは、パピィから貰った腹巻に、マミィが編んでくれた毛糸のぱんつが最高やで? キヨマサはどないしてんねん? まさか寒い時もやせ我慢しとんじゃないやろな? 身体に悪いで?」

「け……毛糸のぱんつって……ちくちくしない?」

「アホ! 誰がじかに毛糸のぱんつを穿くバカがおるねん? 毛糸のぱんつはいちごパンツの上から穿くに決まっとろーが!?」

「そ、そうだよね……あはは、あははは……」

僕が困って笑うと、霙ちゃんはジト目でニヤリと笑って言った。

「何なら、うちの毛糸のぱんつ見せたろか? キヨマサ」

「い、いえ! 結構です!」

霙ちゃんの口車に乗ってしまったら、後で雹さんや姉上からなんて言われるか……。

「しかし……テレビショッピングなんて、何や詰まらんものしか売ってへんなぁ……もっとこう、消費者の心をぐっと掴むようなもんを紹介したらんかい! おっ!?」

テレビに向かって文句を垂れていた霙ちゃんが、そう言って身を乗り出した。そこには……


――私は、胸が小さい……いわゆる『ちっぱい』って言われて悩んでいます。好きな人がいるんですが、彼はどうやらグラマラスな女性が好きなようで、告白しようと思っても、自分の胸のせいでその勇気が持てません……どうしたらいいでしょう?(E子さん・16歳学生)

「せや! こういう商品が欲しかったんや! 『ちっぱい』は世界の女性共通の悩みや! 乳のでかい女には、うちらの気持ちは分からへん! テレビショッピング、グッジョブやで!」

霙ちゃんがテレビに向かって熱く語っている。テレビは続けて商品の説明に移った。

「――これは、多くの女性の悩みでしょうねぇ~。でも大丈夫、昔から、“パッド”とか“寄せて上げる”とかありますが、今回の商品はそのような小手先のものではありません! 全国の『ちっぱい』さん待望の品、『物理演算ブラ』!」

――何それえ! 物理演算って何だよ! 何を演算するの!?……ってか何でここで物理!?

僕がそう思っていると、画面には見たことのある緑色のツインテールをした女の子が映った。

――私も、もともとは『ちっぱい』とか『みっぱい』とか言われていたんですけれど、この『物理演算ブラ』のお世話になってから、自分に自信が持てるようになりました。今では、『ぺったん派』の皆さんが多い時にはいつものブラで、そうでないファンの皆さんが多い時にはこの『物理演算ブラ』を付けてステージに立っています。(初音○クさん・16歳ボカロ)

「何でここで初音ミ○!?」

僕がそう突っ込んでいると、画面には見たことがある人の顔が映った。番組の女性キャスターが話を続ける。

「――ミクさんもご愛用のこの『物理演算ブラ』は、新政府の嘱託技術職員でもある白川武史さん渾身の商品です。白川さんは、同じく『ちっぱい』である奥様の悩みを解決するために、装着したらブラが体型をスキャンし、瞬時にその体型に合ったバストラインを物理的に演算して、特殊なたんぱく質を胸部に注入し、理想的なバストラインにするブラを開発されました」

――白川さんんんん! 何やってんですかァあっ!

テレビには、あの白川さんが映って、テレビキャスターに自分の作品の説明をしていた。

「何や? これあの“萌え”の旦那やないか? こないなもんを作るなんて、なかなか隅に置けへん奴やったんやな?」

「たんぱく質を注入するんですか? 痛くないんでしょうか?」

「まあ、注入と言っても注射器のようなもので注入するのではなく、皮膚組織を壊すことなく浸透する特殊なたんぱく質を使っていますので、痛くありません。もちろん、注入されるたんぱく質は人間のたんぱく質と同質ですので、医学的にも問題はありません」

「では、この『物理演算ブラ』を付ければ、本当に胸が大きくなるということですね?」

「そのとおりです。仮想バストではなくてリアルバストですから、『物理演算ブラ』を付けた上から揉まれた場合、女性が感じる快感は装着前と変わりません」

「すばらしい発明ですね!? でも、お値段は随分と高いのでしょう?」

「本来は、本体価格20万円のところを、今回は『日本CBM社』の特別のご厚意で、本体とお手入れキットを含めて1万9900円でのご奉仕です。ただし、先着100名様に限らせていただきます」

「キヨマサ! 早う電話や! 電話を取ってんか!」

霙ちゃんはそう言うと、飛びつくようにして電話にかじりつき、すぐさまダイヤルを回す。

「もしもし、今やってる『物理演算ブラ』1個くれへんか? そや、うちがつけるんや! 住所は東京中区十二支町2丁目15番地の『頼まれ屋』に届けてんか? うちは雨宮霙いうねん……支払方法やて? うちの兄貴が払うがな……うん、鳴神雹言うねん……うちと雹ちゃんの苗字が違うのは何故かやて? アホ! 義理の兄貴に決まっとんやろうが! そないなこといちいち気にせぇへんでええわ! ほな頼んだで!?」

そして、霙ちゃんは電話を切ってニカッと笑って言った。

「へっへ~♪ これでうちも『ボンキュッボン』やねん。キヨマサ、うちがあのブラ買うたこと、内緒やで!?」

霙ちゃんはもう舞い上がっている。僕はため息をついてテレビ画面に顔を向けた。その時、次の商品が紹介され、僕はその画面にくぎ付けになった。

――おれは、どうしても『海○王』になりたかったんだけど、特技があるわけでも、凄い使い魔を使えるわけでもなかったんだ。けど、この『ゴ○ゴムの実』を食べたおかげで、いい仲間たちとも出会って、懸賞金3億ベリーをかけられるほどになったんだ!(ル○ィーさん・19歳海賊)

僕は、開いた口がふさがらなかった。何、『ゴム○ムの実』って何!? そんなのホントにあったんかい!?

「はい、この『ゴムゴ○の実』は、新世界にしかないと言われる『悪魔の実』の一種で、食べた方は身体がびよーんと伸びてしまうそうなんです……えっ? 違う?」

画面の中でディレクターさんやキャスターが何か慌てている。そして、そのキャスターがお詫びを言って訂正した。

「すみません、実は商品が違っていました。今回ご提供するのは『ゴムゴ○の実』ではなくて『消しゴムの実』と『オカモトゴムの実』でした」

何それぇぇ! 『消しゴムの実』って何か分かるけど、『オカモトゴムの実』って何!?

僕が心の中でツッコんでいると、キャスターが言う。

「『消しゴムの実』は、食べたら身体中が消しゴムになってしまう不思議な『悪魔の実』です!」

ドヤ顔で言うな~!! そのくらい誰でも分かるわ! 『消しゴムの実』を食べて身体中がクレヨンになったら、それこそ驚きだわ!ってか、身体中が消しゴムになって、誰得じゃい!? 消したら体が消しカスになってしまうじゃないか~!

別のタレントがわざとらしく驚いて言う。

「凄いですね~!? これで消しゴムを忘れても平気ですね!?」

消しゴム忘れても、普通に借りればいいじゃん!?ってか、社会人で消しゴム忘れて困るシチュエーションって何?

「そして、もう一つの『オカモトゴムの実』は、食べたら女の子とエッチなことしても、女の子は妊娠しません!」

そっちかいいい!? 年中コン○ーム装着かい!?……あ、でも、これ、雹さんに食べさせたらいいかも?――僕がそう思っていると、キャスターが真面目な声で言う。

「ただし、この実は相手のオンナノコの排卵日に食べても、避妊の効果はありません。くれぐれもお気を付けください」

意味ねェじゃん! 普通のコン○ームつけた方がましじゃん!

「でも、排卵日にさえ気を付ければ、『ゴムつけるの嫌だ』っていう男子にとっては、これは朗報ですね?」

この女性キャスター、顔が赤くなってるよ……ってか誰だ? こんな商品の紹介を女性キャスターに振ったバカなディレクターは? 僕はあまりバカバカしかったので、値段すら聞いていなかった。

「……キヨマサ……お前、その商品欲しいんか? 買うたら、誰と使うつもりやねん?」

霙ちゃんが心なしか僕から離れて聞いてくる。その顔にはありありと警戒の色が浮かんでいた。僕は慌てて言う。

「み、霙ちゃん、ご、誤解しないでよ? 僕はこんな商品には興味はないよ。あんまりバカバカしかったから、呆れて見ていただけだよ」

すると、霙ちゃんは僕を疑い深そうな目で見ていたが、

「キヨマサも厨二やから、今イチ信じられへんねん。キヨマサがそのゴムの実食べてうちに襲いかかってきたらどないしよ~?」

そう言ってひしっと自分の胸をかき抱く……でも、そうまでしても霙ちゃんの胸はあんまり谷間ができなかった。霙ちゃんは僕の視線の先を感じ取って、きっと僕を睨むと言う。

「キヨマサ……お前今、『そうまでしても胸の谷間ができない』とか考えているやろ!?」

「えっ!? い、いや、そんなことは考えていないよ。い、嫌だなあ霙ちゃんったら……」

しどろもどろに言う僕に、霙ちゃんはこう吐き捨てた。

「ええわい! 大きくなったら見とれよ!?」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

その頃雹さんはというと、霙ちゃんが言ったとおり、近くのパチンコ屋の中にいた。

「いーわきっのけっむりは、わーだつーみのぉ~、たぁつかっとばぁ~かり、な~びくぅ~なりぃ~……っと。へっへ~、今日は超いいじゃん? 超調子いいんじゃないですかコノヤロー」

何か、雹さんは久々の上げ潮らしい。雹さんの周りにはパチンコ玉がいっぱい入った箱が山と積まれていた。自然、雹さんの顔はほころび、鼻歌なんかも出てくる。

「っと、もう2時間か……。そろそろ帰ろうかな?」

雹さんは、腕時計を見るとそうつぶやく。そして、名残惜しそうに台への投入を止めると、カートに箱をぎっしりと積んで、カウンターへと行った。


「へっへっへ~、儲かった儲かった。20万も勝つなんて、今日はついてるぜ」

雹さんは、僕たちへのお土産として紙袋一杯のお菓子を抱えながら、ほくほくとして歩く。ふと、雹さんは場外馬券売り場に目を止めた。

「そうか、今日は『1歳馬・真夏のテイオーカップ』だったな……あと1レースか、ちょっと冷かしていくかな?」

雹さんはそうつぶやくと、お菓子の紙袋をコインロッカーに預けて、馬券売り場に行った。

「う~ん……なんかピンとくる奴いないなぁ……ま、冷やかしだからな、オッズが一番悪いヤツに賭けてやるか」

雹さんはそう言うと、馬番単式で6枠12番の『ネクロマンサー』に1万円を賭けた。締め切りが過ぎ、雹さんはゆったりと柱にもたれて、本日最後の第8レースを観戦する。

『各馬一斉にスタート!』

いよいよレースが始まった。今回のレースは1600メートルだ。雹さんは半眼で馬場全体を見回しながら、観客たちの喧騒から少し離れた場所にいた。

「……ふ~ん、なかなかいいレースじゃねェか」

雹さんはつぶやく。なかなかの混戦のようで、観客たちもヒートアップしている。今、先頭にいるのは馬番4番で一番人気の『モエスラッガー』、続いて6番の『アイアンケロッグ』、そして1番の『ミッドナイト』である。オッズでの人気の順に並んでいるようだ。しかし、ビリッけつの『ネクロマンサー』まではわずか3馬身に過ぎない。

「『ネクロマンサー』がどんな馬かは知らねェが、刺しに強い馬なら勝負は分からねェな……」

雹さんが言ったとおり、そのまま団子状態で第4コーナーを回る。そして最後の直線に入り、信じられないことが起こった。それまで1位を守っていた『モエスラッガー』が失速し、『ミッドナイト』が先頭に立った。

「おっ、行け行け! 刺せ!」

雹さんも思わず口にしてしまった。その眼前では、大外から『ネクロマンサー』が刺してくる。

「よし! 『ネクロマンサー』、そのまま刺し逃げだ!」

観客たちの悲鳴と怒号の中、なんと『ネクロマンサー』がそのまま『ミッドナイト』を刺し切って、1着でゴールしてしまった。オッズは198・6で……。

「すげ……万馬券じゃん! これってビギナーズ・ラックって奴? 今日、俺、なんかツキまくっているんですけどコノヤロー」

……ということで、1万円の投資が200万ほどになり、今日一日で200万以上稼いでしまった雹さんだった。

「いや~、これだから不労所得ってやめられないよね~?」

雹さんは、手堅くその中の150万ほどを自分の口座に振り込むと、コインロッカーからお菓子の袋を取り出し、ゆっくりと家路についた。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

僕と霙ちゃんの間に、テレビショッピングの変な商品のことで気まずい雰囲気が流れる。

――マズイ! 何やかや言っても霙ちゃんはまだ14歳のオンナノコだから、あ~んな商品がテレビに映った時点でチャンネルを変えるべきだった……。

 僕がそう思って、顔を赤くして霙ちゃんをチラチラ見ていると、テーブルをはさんで向こう側のソファに座っている霙ちゃんも、顔を赤くして僕をチラッ、チラッと見ている。どうやら霙ちゃんは相当僕のことを警戒してしまったようだ。

――無理もないよな。あの商品がいくらバカバカしかったとはいっても、ガン見していたら商品に興味があって、つまりは、その……エッチなことに興味があるって思われても仕方ないよな?

でも、このまま誤解されてしまってもつまらない。僕はそんなことには興味がない、士道一筋の清純な16歳日本男児だということを、霙ちゃんに再認識してもらわなければ……。

「あ、あのさ、霙ちゃん?」

僕が声をかけると、霙ちゃんはびくっと身体を震わせて、ささっと僕からよけるようにして言う。

「な、何や? キヨマサ。いきなり話しかけられたらびっくりするがな?」

「ご、ゴメン……」

――うわ~! こんなシチュエーションで何しゃべったらいいんだろ!?

僕は、すっかり途方に暮れてしまう。切り口上な霙ちゃんの言葉に、僕はすっかり気を呑まれてしまったのだ。霙ちゃんはジト目で僕を見ながら言う。

「何やねん、キヨマサ? 話しかけといてだんまりされると、うち、何やキヨマサのことが怖くなるやんけ?……まさかお前、この可愛いミゾレッチをこの場で手籠めにしようなんて考えてはおらへんやろな!?」

「ま、まさか! 確かに霙ちゃんは可愛いけど、僕はまだそんなことをするような歳じゃないし、何よりも姉上のために僕は立派な侍にならないといけないんだ! エッチなことなんて……き、興味はあるけど……まだ、僕は……雹さんみたいなサムライの足元にも及ばないから……」

しどろもどろに言う僕を見て、霙ちゃんは警戒の色を解いて、ニコッと笑って言う。

「そやな? まだキヨマサは半人前どころか4分の1人前やで。せやけど、キヨマサ、正直やし、一所懸命やな……それは伝わったで?」

そして、すすっと僕の方に寄って来て言ってくれた。

「キヨマサ、すまんかった。うち、キヨマサを誤解していたねん……っというか……うち、ちょっとキヨマサのこと気にしすぎていたねん……何故かは、言わなくても、分かるでしょ?」

「え?……そ、その……み、霙ちゃん? ちょ、ちょっと顔、近いんじゃない?」

うわ~! 霙ちゃんの目が、くるくるとした碧眼がうるうるとして、と、とっても可愛い! ほのかに頬を染めた霙ちゃんは、肌の色が抜けるほど白いから、今は桜色にうっすらと染まって、か、可愛すぎる……い、いかん、僕、僕、このままじゃ霙ちゃんにヘンなことしちゃいそうだ!!

「キヨマサがあんまり存在感あらへんから、気にしとかんと忘れるねん」

「そっちぃぃぃぃ!? てか、僕のこと好きとかそう言うんじゃないの!?」

思わず僕が言うと、霙ちゃんはケッと言って、

「自惚れるんじゃねェよ4分の1人前。少なくとも雹ちゃんとタイマン張れるくらいになってから言えやヴォケェ!」

そう遠慮会釈もない言葉を僕に浴びせた。ああ……確かに僕はまだまだ雹さんには敵わないけどね……でも、あの人とタイマン張れるくらいになるって、いつぐらいなんだろう?

僕が一人黄昏ていると、霙ちゃんは次の商品に夢中になっていた。

「キヨマサ、次の商品は、『肥後牛の焼肉セット』やて! 肥後の赤牛の霜降り肉5キロが1万円やて!」

「えっ!? 肥後の赤牛? 懐かしいなあ~」

僕が言うと、霙ちゃんが振り返って訊く。

「何や、キヨマサは肥後の生まれなんか?」

「うん。僕の父上は肥後で大番役頭を勤めていたんだ。禄は千六百石だった」

「ふ~ん、なかなか大身のご身分やったんやなあ。この赤牛も食べたことあるねんか?」

「うん。身びいきかもしれないけれど、肥後の赤牛はとてもおいしいよ。でも、高いから僕もあんまりは食べたことないなあ」

すると霙ちゃんはきらりと目を輝かせて言った。

「じゃ、頼もう。雹ちゃんのおごりや」

「そんな! 勝手にそんな高いもの頼んだら、雹さんから怒られるよ?」

「かまへんかまへん。ほかの役に立たへんものと比べたら、食べ物やし、安いし。雹ちゃんにちょっとばかし多めにお肉あげたらええやん」

そう言って、僕が止めるのも聞かずに電話する霙ちゃんだった。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「あら、雹さん。どちらへ?」

雹さんが紙袋を抱えて歩いていると、姉上――佐藤誾さとうぎん――が雹さんに声をかけた。

「あっ、お誾ちゃん。俺、パチンコの帰りさ~♪」

「ふ~ん、そんな紙袋抱えて、上機嫌なところを見ると、今日は珍しく勝ったみたいですね?」

「おうさ、今日は面白い位にツキまくってさ~。そうだ、せっかくだからお誾ちゃんにも何か買ってやるよ?」

雹さんが言うと、姉上はニコッと笑って言う。

「あら嬉しい! でも、私これから雹さんの所に行こうって思っていたんです。夕食ご馳走しようかな~なんて思いまして」

「そりゃ嬉しいな。でも、せっかくだ。俺が金持ってるうちに何かおねだりしたいものはないか?」

雹さんが言うと、姉上は「う~ん、そうですねェ~」と首を傾げた。道行く人が、そんな二人をちらり、ちらりと見て通っている。そりゃそうだろう、雹さんは長身で、金髪の癖っ毛で、顔もいいし、姉上だって弟の僕が言うのも何だが美人で、色白で、スタイルもいいと来ている。美男美女が仲睦まじそうに話していたら、みんなの注目を集めようというものだ。

やがて姉上は顔を赤らめて言った。

「あの、雹さん。何でも買っていいんですか?」

「え? ま、まあ、そんな何十万ってのは無理だが、ある程度お誾ちゃんのご要望にはお応えするつもりだよ?」

すると姉上はニコニコとして言った。

「じゃ、付き合ってくださいませんか?」

そう言って、ずんずんと商店街を歩きだした。


「これこれ、これです! これ、可愛いと思いませんか? 雹さん」

姉上は、一軒の店に入ると、その一角にあるぬいぐるみコーナーで目を輝かせて言う。

「……これ、何だ?」

雹さんが言うと、姉上はびっくり顔で聞く。

「えっ!? 雹さん、『あもんちゃん人形』知らないんですか?」

「知らないなあ……キキーモラ人形なら知っているが」

雹さんは、丸っこくて毛でふわふわしたその人形を、指でつんつんしながら言う。

「もう、雹さんったら。呪いの人形じゃないんですよ? 『あもんちゃん人形』は、持っていたら恋がかなうって言われているんです」

姉上が『あもんちゃん人形』をなでながら言う。その様は、とても二十歳とは思えないくらい可愛くて、思わず雹さんは姉上を抱きしめようとし……いてっ!

「おいキヨマサ。お前、ナレーターの特権を利用して俺を勝手に動かしていいと思ってんのか?」

す、すいません雹さん。まじめにやります。

オホン……では、気を取り直して……

『あもんちゃん人形』をなでている姉上は、とても二十歳とは思えないくらい幼くて、雹さんは少し戸惑ってしまった。

――お誾ちゃんって、思ったより子供っぽいところがあるんだな?

雹さんはそう思いながら、ふと別のショーケースを見た。そこには、銀でできた可愛らしい指輪が飾られている。

――こんなのプレゼントしたら、キザすぎるかな?

雹さんはそう思いながら値段を確認する。5万か……ま、手ごろかな。

「雹さん。私、この『あもんちゃん人形』がいいです」

姉上が言うと、雹さんはニコリと笑って言った。

「わかった、じゃそれをいただこうか」

『あもんちゃん人形』を包んでもらっている間、雹さんはどこかに行っていた。そして、人形の包装が終わって、姉上がそれを受け取った時、雹さんがどこからともなく帰って来て言う。

「どうだい? お気に召したかい?」

「ええ、ありがとうございます雹さん」

姉上は本当にうれしそうに言う。その笑顔を見て雹さんは少し頬を赤くしたが、

「そりゃよかった……じゃ、帰ろうか?」

そう言って歩き出した。


「ふふっ、『あもんちゃん人形』って、実物を見ると可愛いですね?」

姉上は雹さんから買ってもらった人形の包みをしっかりと抱いて言う。雹さんは素知らぬふりで歩いていたが、やがて人通りも絶えたころ、突然、群青色のブルゾンのポケットから何かを取り出して、

「お誾ちゃん、これは別口のプレゼントだ。気に入らなかったら質屋にでも入れてくれ」

そう言って小さな箱を姉上に渡した。

「え? 何かしら雹さん。開けて見ていいですか?」

姉上は、そう聞いて、雹さんがうなずくのを見ると包み紙を開けた。

「!? 可愛い……雹さん、こんなものまでいただいていいんですか?」

中から出てきたのは、銀でできた指輪だった。ハートの形をして、シンプルだけれど可愛らしいデザインだった。

「ああ。お誾ちゃん、あんまりアクセサリーって持ってないみたいだったから……。ゴメンな? 俺、男だからお誾ちゃんが好きな物とか、デザインとかあんまり分からなくてな? 結局ベタだけど無難なものにしちまった」

姉上は、その指輪を左手の薬指にはめて、うっとりと眺めて言う。

「いいえ……嬉しいです雹さん。これ、婚約指輪の代わりでいいですか?」

「え゛!? い、いや、そんな大層なものじゃなくて、いつもお誾ちゃんには世話になっているから、ほんの志のつもりだったんだけど……」

慌てる雹さんを見て、姉上はくすりと笑って言った。

「うふっ♪ 冗談ですよ? 婚約指輪には宝石も入った、もっと高価なものを買ってもらいますね?」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「お~い、帰ったぞぉ~、霙ェ~、清正ぁ~」

ガラリと戸が開いて、雹さんがそう言って入ってくる。そして、その後にはニコニコしながら姉上が続いていた。

「お帰りなさい雹さん。あれ? 姉上まで何で?」

僕が言うと、姉上はニコニコ顔を崩さずに言った。

「晩ごはん、作ってあげようと思ったのよ。清ちゃん、姉さんがいたら邪魔かしら?」

「い、いえ、そんなことはないですよ」

僕が言うと、霙ちゃんが目ざとく姉上の指を見て言う。

「お帰りなさい誾ねえちゃん。あれ? その指輪何や?」

すると姉上は、少し頬を染めながらも嬉しそうに言った。

「これ? 似合うかしら?」

「すっげー似合ってるやん! 雹ちゃんからの贈り物け? 雹ちゃんってば、顔に似合わずキザなことするねんな?」

「えっ!? 雹さんからの?……あ、姉上、まさか雹さんと……?」

僕があまりにショックな顔をしていたのだろう、霙ちゃんが僕の頭をなでて言ってくれた。

「ヨシヨシ、シスコンのキヨマサにはつらいやろうけど、こういう時は黙って赤飯炊くねんで?」

すると雹さんが少し慌てて言う。

「ち、違う、違う! 勘違いするな! 今日は雹さん、ちょっとパチンコで大勝ちしたから、いつも世話になっているお誾ちゃんに心ばかりの贈り物をしただけだ。だいたい、俺にはお誾ちゃんはもったいないくらいの娘っこだ。な? お誾ちゃん?」

すると姉上は、少し寂しそうな顔をしたが、慌てている雹さんの顔を見てぷっと吹き出し、

「……そう言う事にしておきますね? でも、雹さん、本人の目の前でそんな言い方したら、傷ついちゃいますよ?」

そう笑って言う。雹さんはひきつった笑いをして、こう言わざるを得なかった。

「……じゃ、今日は俺のおごりで、みんなで何か食べに行こうか?」

それを聞いて、僕はもちろんだが、姉上も、そして霙ちゃんも満面の笑顔で言ったのだった。

「それ、賛成!」

ああ、今日は何事もなくていい一日だったなあ……でも、毎回これじゃ、この作品、続いて行かなくなっちゃうんじゃないかな? 僕はちょっと不安に思ったが、そこは作者に任せて、この幕を引くことにしたのである。

【第13幕 緞帳下げ】


【幕間】

そう言えば、その後、霙ちゃんがテレビショッピングに頼んだ商品が届いたけれど、雹さんはぶつくさ言いながらもその支払いをOKしてくれた。

僕も霙ちゃんも、そして雹さんと姉上も、『肥後の赤牛』をたらふく食べることができて幸せだった。

けれど、霙ちゃんが楽しみにしていた『物理演算ブラ』だけど……

「何やねんこれ! ちっともでかくならんやん!」

そう、『その人の体形に最も合ったバストにする』という売りのそのブラだが、霙ちゃんにとって現在のバストが最も似合うと判定されてしまったのか、ちっとも霙ちゃんが望む『ボンキュッボン』にはならなかったらしい。

けれど、いつかはそのブラの真価が発揮されることを信じて、今日も霙ちゃんは『物理演算ブラ』を付けて、りんご牛乳をがぶ飲みするのでありました。

【幕間終わり】


第14幕 オフ会に参加したら、ゲームの妄想が壊れてしまうよ?


僕の名は、勇者セイショウ。レベル89の戦士である僕は、このブストルティアで最も凶悪な大魔王・シュリーディゲンディービッテ7世を倒すために、今日も正義の剣を揮う。

『はあ~っ!』

僕は、迷宮の中、遂に大魔王の臣下であるグレン・ヴィザードがいる部屋を見つけ出すことに成功した。そして、部屋の前を固めているモンスターたちの群れに、雄たけびを上げて突っ込んで行く。

『やあっ! とおっ!』

僕が揮う長剣『ガイアス』は、一振りで並みのモンスターなら10体20体をまとめて吹っ飛ばすほどの神剣だ。こいつを手に入れるために、僕は今までさんざん苦労してレベルを上げてきたのだ。

『危ない、セイショウ! メラガイア!』

『!』

僕の後ろからモンスターが槍を振り上げたのを見て、僕のパーティーメンバーであるレベル80の魔法使い・勇者アンジェラが火焔魔法を使ってそのモンスターを吹き飛ばしてくれた。

『……サンキュ、アンジェラ』

僕が言うと、アンジェラは頬を染めて答えてくれる。

『いいえ……せっかく大魔王の近くまで来れたんです。こんな所であなたを死なせるわけにはいきませんから、勇者セイショウ』

ふと見ると、横ではレベル78の盗賊・勇者ゴエモンとレベル77の僧侶・勇者マリアンヌが、わんさと群れているモンスターの中で苦戦していた。

『ゴエモンとマリアンヌを助けないと! 行くぞ、アンジェラ』

僕が言うと、アンジェラはにこりと笑って言う。

『ええ、あの二人には心配は要らないでしょうけど、あなたが助けたいって言うのなら行きましょうか?』

ゴエモンのMPも、マリアンヌのMPも、もうあまり余裕がない。今、ゴエモンがタイガークロウを使ったから、あと少しでゴエモンのMPは無くなるはずだ。

『うらあああ~っ! くらえっ!“星の刃”っ!』

僕は、(カッコつけて)必殺技の“星の刃”を使う。ゴエモンたちを窮地に陥れていたモンスターたちは一発で消し飛んだ。

『おおっ! 助かったぜぇ、セイショウm(_ _)m』

『もうちょっとでボクたち、やられちゃうところでした~(>_<)さすがレベル89の勇者\(^ヮ^)』

ゴエモンとマリアンヌがそう言ってくれる。僕は笑いながら言った。

『行こう、グレン・ヴィザードはこの中だ』

僕は神剣『ガイアス』を握り締めながら、ゆっくりとボスルームの扉を開けた……


「……ふあ~……もう3時か……そろそろ寝ないとな……」

僕のリアルの名は、佐藤清正。新政府の官吏になりたくて、肥後熊本からこの『新東京』に出てきてはや半年。しかし僕は、今、任人堂の新しいソーシャル・オンラインゲームである『ドラゴンハンター・スマッシュクエストⅩ』通称『ドラスマⅩ』にはまってしまっていた。

今日も……というより昨夜の9時からログインして、フレンドである魔法使いアンジェラ、盗賊ゴエモン、そして僧侶マリアンヌたちと落ち合い、今の今まで大魔王の臣下であるグレン・ヴィザードと死闘を繰り広げていたのである。

おかげでグレン・ヴィザードをめでたく退治し、クエストクリアし、おまけに僕の戦士セイショウはレベル90に達したので、僕はご機嫌だった。

パーティーを解散し、さて寝ようと酒場でキャラを登録していた時、僕宛てに手紙が届いた。

「? 何だ?」

僕はログアウトをいったん中止し、あちらの世界の郵便局に行ってみると、魔法使いアンジェラから手紙が届いていた。

『勇者セイショウさんへ。レベル90おめでとう! こんなに早く森に到達するなんてすごいですね? それで、お祝いを兼ねて、私たちのパーティーメンバーでオフ会をしませんか? 私、セイショウさんの中の人にも、とても興味があるんです。チャットでは16歳ってことでしたけど、私も同い年ですし、リアルででもお友達になりたいな~って思って。ご賛同いただけるのでしたら、私宛にメモを残しておいてください。他のメンバーにも話をしておきましたのでよろしくね❤』

「えっ!?」

僕はびっくりして手が止まった。お、オフ会!? そ、それってアンジェラさんの中の人に会えるってこと? 僕は、今まで1か月、一緒に戦ってきたアンジェラさんとのチャットの内容を、とっさに思い出した。

僕らが出逢ったのは、僕がまだレベル30くらいの時で、その時にはアンジェラさんはすでにレベルは60に達していた。

――【アンジェラ(以下「ア」)】私、新東京の三鷹地区にある『任人堂』の近くに住んでいます。年は16歳です。

――【セイショウ(以下「セ」)】へえ~。僕も16歳だよ。でも、アンジェラさんはゲームの進行がうまいね? ゲーマーなの?

――【ア】別にゲーマーってほどじゃないんです。ただ、この作品は私の親戚のオジサンも制作に参加しているので、そのテスターも兼ねて、早くからゲームをしていたんですよ。

――【セ】そうなのか。でも、僕はへたくそだから、君の足手まといにならないかな?

――【ア】そんなことありません! セイショウさんはとても覚えが早くて、戦闘のセンスもあると思います。私なんか、あっという間に追い抜いちゃいますよ!?

――【セ】そうかな……そう言ってもらえるとうれしいよ。

それ以来、僕らは毎晩、決まったように9時にはログインし、カムチャッカ大陸で落ち合って、互いのクエスト進行やレベル上げに協力し合ってきたのだ。おかげで僕は……いや、僕の『戦士セイショウ』は、今やブストルティア――新大陸ヘンダーシアが加わってからは両大陸を代表するキャラクターとしてその名が知られていた。

僕は、それまでのアンジェラさんの戦いぶりや、チャットの内容から、確かに女の子であり、しかも芯が強くて見た感じ控えめな女性であると思っていた。だから、正直言うと、“こんな子と仲良くなりたい!”って思わなかったというとウソになる。いや、あえて言おう! 僕はアンジェラさんが気に入ったと……いわゆる『アンジェラは俺の嫁』である。

僕は、慌てて返事を書いた。

『アンジェラさんへ。こんにちは、いつも一緒に冒険してくれてありがとう。オフ会の件、僕も楽しみにしています。僕も、リアルででも友達になれたらうれしいです』

「うふふ……オフ会かあ~、何着て行こうかなぁ~」

僕は酒場で戦士セイショウをサポーターに登録すると、ニコニコしながらログアウトし、そのまま幸せな気分で布団に入った。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「おはようございます。雹さん」

ここは、東京は『十二支町』の龍崩地区2丁目15番地にある『鳴神神社』の社務所。そこが、僕たちのマスターである鳴神雹さんが経営する何でも屋『頼まれ屋・雹』の事務所でもあった。

いつもは僕が雹さんたちを起こしに行くのだが、今日は……というより今日も、僕の姉上である佐藤誾ぎんが雹さんを起こしに行った。

姉上が、事務室の隣にある雹さんの居間兼寝室の襖を開けると、今朝も雹さんはまだ寝床の中でぐーぐーと眠っていた。雹さんの寝顔にはもさもさとした金髪がはらりとかかっている。姉上には、雹さんが26歳という年齢にしてはあどけなく見えたので、くすりと笑って雹さんを軽く揺すって言った。

「雹さん、雹さん。もう朝ですよ? 早く起きてください」

「う、う~ん、霙ェ、そんなところ触るな……」

雹さんの寝言に、姉上の顔からさっと血の気が引く。するとそれにおっかぶせるように、雹さんの隣で寝ている『頼まれ屋』の紅一点・雨宮霙ちゃんが寝言を言った。

「何言うてんねん記念物……雹ちゃんの、早くうちに頂戴よぉ……でないとうち……」

霙ちゃんは、元・風魔忍者の末裔で、お姉さんの霰さんが雹さんのことを気に入り、妹である霙ちゃんの世話を頼んで行ったことから、雹さんと同居している。その内幕は姉上も重々知っているし、霙ちゃんがまだ14歳だってことも分かっているけれど、やっぱり自分が好きな人がガキとはいっても女の子と同居するのは心配らしい……姉上はいったん深呼吸して心を落ち着かせた。

「ばぁ~か、お前みたいなガキにはまだ早い……」

「何やて! うちはもう14歳やで!? 雹ちゃんのイケズっ!」

「いてっ!」

雹さんと霙ちゃんは寝言で応酬し、霙ちゃんは布団をはだけて雹さんを足蹴にする。ちなみに霙ちゃん、今朝もインナーといちごパンツだけだったらしい。姉上はそのあられもない霙ちゃんを見て、ぷるぷると震えだした。

「あ~、いててて……霙ェ、お前本当に寝相がワリィな? あれ、お誾ちゃん? おはよう」

足蹴にされて目覚めた雹さんは、固まっている姉上にそうあいさつをする。姉上はぎこちない笑顔を雹さんに向けて、言った。

「おはようございます雹さん……雹さん? 14歳のオンナノコをインナーといちごパンツだけにして、何をしていらっしゃるんですか? このロリ○ン侍が!」

「えっ!? あっ! ち、違うんだお誾ちゃん。こいつはいつも……うぎゃああ~っ!!!」


「ホント、ゴメンなさいね雹さん。私、てっきり霙ちゃんが雹さんの毒牙にかかったかと思って、びっくりしちゃったの」

姉上はそう言って笑いながら、雹さんに朝ごはんをよそう。雹さんは腫れ上がった頬をなでながらぶつぶつとつぶやく。

「まあさ、確かに思春期のオンナノコがいちごパンツとインナー姿で俺の隣に寝ていたら、そんな風に勘ぐられても仕方ないよな? だから霙にはあれほどパジャマを着ろって言ってるんだけどな?」

「だって、パジャマ着たら暑いねん。うち、大和の国では夏は裸で寝ていたんやで。パンツのゴムがお腹に食い込むと、なんや息苦しくなってくるねん」

霙ちゃんは、3杯目のご飯をがっつきながら言う。姉上はため息をついて言った。

「そりゃあ、私だってブラは外すけど、さすがに裸では寝られないわ……霙ちゃん、こんなでも雹さんは男なのよ? 特にお酒なんか飲んで帰ってきた日なんか、男なんてものの理性なんて簡単に吹っ飛ぶのよ? そしたら雹さんは豹さんになって、あなたの貞操が踏みにじられるのよ? そして望まない妊娠をして、結局苦労するのはあなたなのよ?」

「……なんか、えらい言われようだな……」

雹さんはりんご牛乳を飲みながら言う。霙ちゃんはそんな雹さんに、まじめな顔で聞いた。

「雹ちゃん、ホンマに雹ちゃんはうちとエッチぃ事したいと思うことあるんか?」

「バカ言うなっ! 何度も言うが、俺はロリ○ンじゃねェ! 雹さんこれでも一応、大人のオンナが趣味だっ!」

「そやったら誾ねえちゃんとすればええやん?」

ご飯をもっきゅもっきゅと食べながら霙ちゃんが言うと、途端に姉上は顔を真っ赤にして言った。

「や、やだわ霙ちゃんったら。ひ、雹さんだって好みってものがあるでしょうし、私だって好みがあるのよ? そ、そんな手近に居るからって、誰とでもやっちゃっていいもんじゃないのよ?」

すると雹さんは、一瞬で頬の腫れを引かせて、カッコつけて姉上に言った。

「俺ぁ、お誾ちゃんみたいな娘、好みだぜ? どうだいお誾ちゃん、俺と一発やんねぇか?……ぐはっ!」

雹さんは、姉上の左ストレートをまともに受けて、炊事場の壁を突き抜けて吹っ飛んで行った。

「はい、お望みどおり一発差し上げましたわよ?……あ~やだやだ、だからデリカシーがない男って嫌なのよね?」

それを5杯目のご飯をがっつきながら見ていた霙ちゃんは、今さらのように姉上に聞いた。

「ところで誾ねえちゃん、こないな朝っぱらから何しに来たんや?」


「――で、お誾ちゃんの悩みってのは何だい?」

雹さんが、頬の腫れと頭のたんこぶを気にしながら言う。姉上はさっき雹さんをぶっ飛ばした手前、言いづらそうにもじもじしていた。

「……お誾ちゃん、さっきのは俺が悪かったんだから、気にしなくていいぜ? とにかく、悩み事なら誰かに話しちまった方がすっきりしていいぜ?」

雹さんが優しい顔でそう促すと、姉上は決心がついたように言った。

「雹さん、うちの清ちゃん、どうかしてしまったんです!」

「……どうかしてしまったって……清正は別にいつもあんな感じじゃないのかい? 確かにここ1週間、あいつ欠勤しているけれど、ちゃんとナレーターは務めているぜ?」

雹さんが笑って言うと、姉上は頭を振って言う。

「そうじゃないんです。確かに清ちゃん、取り立てて特徴がなくて、この作品の中でもその容姿なんかを記述している場面なんてほとんどありませんが、そのことじゃないんです」

……姉上、それは少し言い過ぎでは?

「そのことじゃないってすると?」

「清ちゃん、ここ数日、部屋から一歩も出てこないんです。ご飯食べるときと、トイレ行くときと、お風呂入るときだけ出てきて、そのほかの時間は部屋に閉じこもったっきり、何かしこしこやっているみたいなんです」

姉上が言うと、雹さんは眉を寄せてつぶやく。

「シコシコ?……」

姉上はうなずいて続ける。

「それに、生気がなくなるって言うか……少しやせても来ています。雹さん、清ちゃんはどうしちゃったんでしょう? 今までこんなことなかったのに……」

涙目で言う姉上に、雹さんは薄く笑って言った。

「お誾ちゃん、それは男なら誰でも通る道さ……心配しなくていいよ。それよりお誾ちゃんは弟を信じて、どんなことをしても弟だって遠くから温かく見守っておけばいいのさ」

「なんや雹ちゃん? キヨマサはどないしたんや?」

心配そうに訊く霙ちゃんに、雹さんは笑って言った。

「霙も気にしなくていいよ。ま、これからはあいつにはいちごパンツとか刺激が強いものを見せないようにしてくれや?」

「雹さん、清ちゃんは大丈夫なんですか? 何なんですか?」

心配してさらに雹さんに言う姉上に、雹さんはニコリと笑い、

「そんなに心配なら、アイツが何をしているかを教えてやるが……お誾ちゃん、ショック受けるなよ? さっきも言ったとおり、こりゃ男なら誰でも一度は通る道なんだから」

そういうと、雹さんは姉上に何事かを耳打ちした。姉上の顔が真っ赤に染まる。

「……っ!」

「だから、遠くから温かく見守るのが一番さ。後で俺が行ってやるから、お誾ちゃんはいつもどおりあいつに接してやんなよ?」

雹さんからそう言われて、姉上は真っ赤な顔のままうなずいた。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「ふあ~、良く寝ちゃった……あれっ? もう11時?」

僕は、昼前に目覚めた。これはこのところ、習慣になってしまったらしい。

「あ~あ、今日も『頼まれ屋』はお休みだな……ま、だいたい『頼まれ屋』って、仕事がない時が多いし、僕が必要なときは雹さんか霙ちゃんが呼びに来るだろうし……」

僕には、そんな甘えた気分があったことも否定しない。でも、こんなに無断欠勤が続いていれば、僕は『頼まれ屋』をクビになるかもしれないな……僕は少し不安になった。1週間以上も無断欠勤が続いているのに、雹さんも霙ちゃんも様子一つ見に来ないなんて、僕はひょっとしたらもうクビになっているのかもしれない……そんな気もしたが、何せ『ドラスマ』が楽しくて、そして、アンジェラさんに会いたくて、僕はついついPCに向かってしまうのだった。

僕はそう思いつつ、今日もPCを立ち上げる。そして、すぐに『ドラスマ』にログインするのだった。

そこに、

「よ~う、清正君、元気だったかね?」

そう言いつつ、襖を開けて雹さんが入ってきた。

「あ、雹さん。お久しぶりです」

僕が雹さんを振り返って言うと、雹さんはニヤニヤしながら言う。

「1週間もサボっておいて、わりかし元気そうじゃないか? お誾ちゃんが心配してうちに来たぞ? 何を毎晩シコシコやってんだ?……それにしては、ティッシュも何も散らかってないな?」

雹さんは部屋を見回し、ゴミ箱を検めながら言う。ひ、雹さん、あなたは何を勘違いしてんですか!?

「ひ、雹さん! 僕は何も、そんなことなんて……」

僕が慌てて言うのに、雹さんは訳知り顔で僕の肩を叩きながら言う。

「心配すんなって? 俺だって少しは経験があることなんだ。確かに清正くらいの歳から20歳を過ぎるころまでは、やりたい盛りの血気盛りだからな。しかし散らかしていないのはいいことだよ。ほら、お土産だ」

そう言って雹さんが手渡してくれたのは、ここに書くことがはばかられるようなロリ○ン雑誌と、ティッシュの5箱セットと、コン○ームが1箱だった……って、やっぱり雹さん、勘違いしてる~っ!!

「……これ、何ですか?」

僕が訊くと、雹さんは僕の手からコン○ームの箱を取り上げて言う。

「やだなあ、清正君ったら、知ってるくせに❤ 二次元のオンナノコへの妄想が募って、三次元のオンナノコに手を出しちゃった場合、これがないと後々ヤバいよ~?」

「違いますよ! 僕はこのところ、オンラインゲームにはまってしまって、遅くまでやっているから起きられなかっただけです! 雹さんが考えているようなこと、やったりしていませんよ!?」

僕がそう言うと、雹さんはニヤリと笑って僕の首根っこを押さえて言う。

「んだとう!? オンラインゲームだぁ!? それで夜型引きこもり兄ちゃんになって『頼まれ屋』を無断欠勤していただとぅ!? 仕事なめんなコルァ!!」

雹さんの大声を聞いて、姉上も血相を変えて僕の部屋に入って来て言う。

「清ちゃん! そんなことで仕事をサボっていたなんて、あなたはいやしくも肥後藩の大番役頭、佐藤筑前の嫡子で千六百石取りの家の当主なんですよ? ああ、これじゃ雹さんが言ってたように、オナ○ーにはまって仕事が手につかないってほうがまだましだったわ! 姉さんは哀しいわ!」

えええええ――――――――――っ!!! 雹さん、僕の姉上に何てこと吹き込んでたんですか――――っ!?

「ま、お誾ちゃん、コイツは根っから怠惰な性質じゃねェから、そのオンラインゲームをやるに当たって決め事をすれば、元のようなこいつに戻るだろうよ。心配すんな」

雹さんはそう言うと、姉上を落ち着かせてから、僕に向かって言った。

「清正君、いったい君はオンラインゲームの何にそんなにはまったんだね?」

「は、はあ……それはですね……」

僕が言いかけた時、PCのビープ音が鳴った。画面を見ると、『ドラスマ』内で僕宛に手紙が届いたらしい。僕は雹さんをちらっと見て、雹さんがうなずくのを確認すると、あちらの世界の郵便局に行く。

「へぇ~、戦士セイショウ……おっ、もうレベル90ってことは森か~。清正、お前顔に似合わずなかなか隅におけねぇじゃねェか? おっ、この『魔法使いアンジェラ』って、清正のフレさんか?」

雹さんが僕のキャラクターを確認しながら言う。僕はうなずくと、郵便を受け取った。やはりそれはアンジェラさんからのものだった。

『勇者セイショウさんへ。オフ会の件、さっそくご賛同いただきありがとうございました。つきましては今度の日曜日、午前10時に秋葉原のクロスフィールドにある喫茶店“ハスキー”でお待ちしています。セイショウさんの中の人、どんな方なのか今からワクワクしています❤ 私は、薔薇の飾りのついたカチューシャをしておきますので、セイショウさんも何か目印を付けておいてください。目印は後で教えてくださいね❤ ちなみにゴエモンさんは白いワイシャツにチェックのネクタイとサングラス、マリアンヌさんは髪をポニーテールにして、赤いリボンで結んで来るそうです』

よっ……僕は思わずガッツポーズして叫んだ。

「よっしゃあ~! ついにオフ会だぁ~!」

僕は思わずそう叫んで、はっとする。しまった! 姉上と雹さんがいたんだっけ……。

「ふ~ん、『セイショウさんの中の人、どんな方なのか今からワクワクしています、はーと』か……清正くぅ~ん、これ、どーゆーこと? 仕事サボって君、ずっとこのアンジェラって娘とゲーム内デートしちゃってたわけぇ?」

雹さんがニヤニヤしながら言う。姉上も、眉を寄せている。

「清ちゃん、この娘さん、お幾つなの?」

「じ、16歳って聞いてますけど……」

「清ちゃんと同い年なのね? でも、普通16歳って言ったらJKでしょ? この娘さん、寺子屋にも行かずにゲームばかりして……そんな娘さんとの交際、姉さんは認めませんよ?」

姉上がぴしゃりと決めつけるのに、僕は反論した。

「そんな! 話をしてみると、この子はとてもいい子なんです。ちゃんとパーティーメンバーの相手のことも考えてくれて、とてもいい子なんです!」

「ゲームの中の性格が、そのままの性格とは言い切れません! とにかく、この子のおかげであなたは雹さんや霙ちゃんにも迷惑かけているんですよ? 姉さんは認めませんし、オフ会に行くことも許しません!」

姉上からそう言われると、『頼まれ屋』を1週間も無断欠勤していた僕としては、何も言い返す言葉がなかった。僕はがっくりと肩を落とす。そんな僕を見かねたのか、雹さんが言ってくれた。

「まあ、お誾ちゃん。うちを無断欠勤していたことについては、今後、心根を入れ替えてもらえばいいことさ。それより、コイツがこんなにムキになっているんだ。オフ会くらい行かせてやれよ?」

「でも、1週間も無断欠勤して、雹さんに本当にすまないんです」

姉上がそう言う。僕は雹さんに頭を下げて言った。

「雹さん! ご心配とご迷惑をかけて、すみませんでした! 僕、ちょっと雹さんや霙ちゃんや姉上に甘えてしまっていました」

「まあいいことさ、それも経験さ。そして、オフ会でこのアンジェラって子の中の人が、男だったとしても、ショック受けるなよ?」

「え?」

僕がきょとんとすると、雹さんはニヤリとして言った。

「このアンジェラって子、ひょっとしたらネカマかもしんねェぞってことさ」

え゛え゛え゛え゛~っ! それは想定外だった~っ!

愕然としている僕に向かって、雹さんは、

「ま、とにかく日曜日を楽しみにしておくんだな? それから、明日は仕事が入っている。ちゃんと出勤してくれよ?」

そう言って笑って帰って行ったのだった。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

そしてやって来た日曜日。僕は朝早くからおめかしして、秋葉原に向かった。秋葉原は僕の住む十二支町から汽車で15分くらいのところだ。ちょうど昔『皇居』と呼ばれていた場所――今は第1師団の駐屯地になっている――をはさんで反対側にあるまちで、『明示の乱』以前には電脳機械や萌え文化の発信地として有名だったところである。もちろん、今もってその文化発信地としての秋葉原は健在で、『メイドカフェ』や『ロリ○ン雑誌編集部』、『同人誌』そして『任人堂』や『セグァ』、『番台ナメコ』などの大手ゲームメーカーの支社が軒を連ねている。

僕は、手紙にあったとおり、クロスフィールドの中にある喫茶店“ハスキー”に入り、ざっと中を見回した。確か、アンジェラさんは薔薇の飾りのついたカチューシャをしているということだったけど……僕はそれを目当てに席を見回すと、僕の目印である、柄に『阿蘇山』と書いた木刀――雹さんから借りたもの――を見つけたのだろう、奥の席から一人のオンナノコが手を振ってくれた。

「あっ! セイショウさんですね? こっちですよ~」

僕は、アンジェラさんが女の子であったことに内心ほっとしながら、そしてそのことによってさらに鼓動が激しくなった胸を抱えながら、奥の席へと行って、アンジェラさんの前に腰かけた。

「こ、こんにちは……初めまして、セイショウです」

僕が言うと、目の前の女の子――黒髪を長く伸ばし、薔薇の飾りのついたカチューシャをはめ、くるくるとした黒曜石のような大きな目が、白い肌の中で輝いている――も、ニコリと愛くるしい笑みを僕に向けて、自己紹介してくれた。

「こんにちは、アンジェラです。セイショウさんって、想像どおりカッコいい方ですね?」

えっ!? カッコいい!?……僕はこんなかわいい女の子からそんなこと言われたのって、生まれて初めてだったので、とたんに舞い上がってしまった。

「そ、そんな……かっこいいだなんて……て、照れちゃうよ……ところであとの二人は?」

僕が訊くと、アンジェラさんは少し寂しそうに笑って言った。

「それが、二人とも都合が悪くなったって……ゴエモンさんやマリアンヌさんともお会いしたかったなぁ……」

と、言う事は……今日は僕とアンジェラさんの、ふ、二人っきり!?

「そ、そうなんだ……ざ、残念だなぁ~、あははは」

僕は、心の中でガッツポーズしながら言う。そんな僕に、アンジェラさんは言ってくれたのだ。

「でも、おかげでセイショウさんと二人きり……私、その方がいいかなって思っちゃったんです、えへっ♪」

――やめろぉ~! そんな可愛い顔で、そんな可愛い声で、そんなこと言わないでくれぇ~っ! ほ、惚れてまうやんかぁ~っ!!

僕は心の中で叫ぶ。そんな僕を、アンジェラさんは優しく見つめてくれていた。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「お~お~、すっかり舞い上がっちゃってからに」

「だらしない顔やなあ、見てられへんでキヨマサ」

「……清ちゃん……」

僕は知らなかったが、僕たちが座った席の近くに、雹さんと霙ちゃんと姉上が座り、僕たちの様子を見ていたのだ。ニヤニヤしている雹さんや霙ちゃんと比べると、姉上の表情は複雑だったらしい。雹さんは姉上に目配せして言った。

「お誾ちゃん、これでアイツもシスコンの汚名返上だな?」

「……」

雹さんは、姉上がアンジェラさんをじっと見つめているので、不思議そうに訊く。

「おいおい、お誾ちゃん。まさかここにきてお誾ちゃんがブラコンぶりを発揮しちまうんじゃねェだろうな? どうした? あの娘っこの顔に何かついているか?」

すると姉上は、雹さんの顔を見て言った。

「雹さん、私、あの子を見ていると何か悪い予感がするんです……べ、別に弟を取られるからとか、そう言うんじゃありません。ただ、あの子は清ちゃんを何かの罠にかけようとしているって気がしてならないんです」

すると雹さんは、あごをさすりながら言う。

「お誾ちゃんの気のせいじゃねェか? はたから見ていてもあの二人、アツアツのラブラブだぜ?」

「いいえ、あの子の表情を見ていると、清ちゃんのことを本当に好きなわけじゃないって気がするんです……女のカンですから、はっきりした証拠はありませんけれど……」

やがて、僕たちが別の場所に移ろうと立ち上がって店を出ると、雹さんはため息をついて言う。

「分かったよ。お誾ちゃんが安心するように、アイツらをしばらくつけてみようか」


アンジェラさんが、オーダーしたパフェを食べ終わって、僕にニコリとして言ってきた。

「ねえ、セイショウさん。今から二人で映画でも見に行きませんか?」

僕は、こんな美少女と店の中で二人っきり、顔を突き合わせていることに窮屈さを感じていたし、しゃべるネタもつきかけていたこともあって、即座にOKした。映画なら、何もしゃべらなくてもいいから、少しは安心だ。

「いいねぇ! 何を観に行く?」

僕が言うと、アンジェラさんは片目をつぶって言った。

「私、何か恋愛ものが見たいんです。付き合っていただけますか?」

れ、恋愛もの!? 恋愛ものって、キスシーンがあったりするやつ!? アンジェラさん、初めてのデートでそれはちょっと刺激が強すぎるんじゃ?

と、僕は思わないでもなかったが、今までの感触でアンジェラさんは僕に対して好感を持ってくれたらしいって思えたので、ここはひとつ、『そんな映画を見ても劣情に流されない強い意志を持った清純派の僕』を知ってもらうのもいいかなあって思わないでもなかった。

「分かりました。お供します」

僕はそう言うと、心の中の“リトル清正”に、『僕はアンジェラという姫を守る騎士だ』と言い聞かせながら立ち上がった。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「あいつら何かムカつくねん。なんや、腕なんか組みよって! ケッ! キヨマサのくせにふざけんなバーロィ!」

雹さんは、僕たちをつけながら悪態をつく霙ちゃんに注意して言う。

「霙、あんまり大きな声を出すな!……それにしても清正の奴、すっかり取り上せているな……あんなじゃ、どこに連れて行かれるか分かったもんじゃねェな?」

雹さんがそう言った時、ふと、その目に留まった者があった。それは、白いワイシャツにチェックのネクタイを締め、黒いズボンを穿いてサングラスをかけた男と、袴姿で髪をポニーテールにし、それを赤いリボンで結んでいる、これもグラサンをかけた小柄な女の姿だった。

「あいつらは、確か……」

雹さんが、僕のセイショウに届いた手紙を思い出す。

“ちなみにゴエモンさんは白いワイシャツにチェックのネクタイとサングラス、マリアンヌさんは髪をポニーテールにして、赤いリボンで結んで来るそうです”

雹さんがさらに不審に思ったのは、二人とも腰に刀を差していることと、今日、オフ会に姿を見せなかった二人がそろって僕たちのことを尾行していることだった。

――こいつぁヤベェかもしれねェぜ。あの二人はかなりできる。お誾ちゃんの言うとおり、何故かは知らんが清正を罠にかけようとしている奴らがいるのかもしれねェ……ただの美人局みたいじゃなさそうだぜ。

雹さんはそう思うと、

「おい霙、お誾ちゃんと一緒に清正の後をつけな。俺はちょっと野暮用を思い出した」

そう言って二人からすっと離れて行こうとした。

「雹ちゃん、どこ行くんや?」

「雹さん?」

霙ちゃんと姉上がそう聞くのに、雹さんはニコリと振り返って言う。顔は笑っているが、その目の光は真剣だった。

「清正があぶねぇとなったら、四の五の言わせず引きずって帰りな。俺もあとから必ず行く。ちょっと待ってな」

その言葉に、霙ちゃんも姉上も真剣な表情でうなずいた。


「どこに行くんだい? お二人さんよぉ?」

雹さんは、曲がり角で怪しい二人組――勇者ゴエモンと勇者マリアンヌの中の人たち――の後ろから声をかけた。

「!?」

二人のうち、勇者ゴエモンの中の人が、間、髪を入れぬ抜き打ちを雹さんに放つ。雹さんはそれをかわして、大小の木刀――大刀には『阿蘇山』、小刀には『草千里』と柄に彫ってある――を二天一流の型に構えて言った。

「うちの清正に何するつもりだ? ゴエモンさんとマリアンヌさんよ?」

すると、驚いたことに勇者マリアンヌの中の人が、びっくりしたようにグラサンを外して雹さんに話しかけてきた。

「雹さん!? 雹さんですか!?」

「何だい、お琴ちゃんじゃねェか! するってェとこのゴエモンさんは?」

雹さんもびっくりして言う。勇者ゴエモンの中の人は、琴さんの言葉で事情を悟ったらしく、刀を鞘に納め、サングラスを外して名乗った。

「こんな所で会うとは意外だな、鳴神雹。また公務執行妨害でしょっ引かれたいか?」

そう、ゴエモンの中の人は、泣く子も黙る武装警察『真徴組』の取締役頭取・俣野藤弥陸軍大佐、そしてマリアンヌの中の人は6番組肝煎・中西琴陸軍大尉だった。

「あんたら、二人して『ドラスマ』三昧でオフ会参加か? 公務員は気楽でいいよな。この税金ドロボー」

雹さんが言うと、俣野大佐がそれをスルーして聞く。

「あの少年は、鳴神氏の知り合いか?」

「ああ、奴は俺んとこの従業員の佐藤清正だ」

俣野大佐はしばらく考えていたが、やがて思い出したようにポンと手を叩いて言う。

「ああ! 白川氏救出時に手を貸してくれた、あの取り立てて特徴がないパソコンオタクの少年か!……すっかり見忘れていた」

「おいおい、あの話は第11幕だから、そんなに昔の話じゃねェだろ?」

雹さんが呆れて言うと、今度は中西さんがそれをスルーして言う。

「頭取、急ぎましょう。あのアンジェラを見失ってしまいます」

「おっ、そうだった! おい鳴神雹、今は公務で忙しい。話の続きはまた後日だ」

そう言って駆け出した二人を、雹さんは目を細めて見ていたが、すぐに

「ちょっと待て! 事情を教えろ!」

そう言って二人を追いかけて駆けだした。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「あ、あの……アンジェラさん……ちょっと、引っ付きすぎじゃないですか?」

アンジェラさんは、僕の右腕をしっかり握ると、ぴったりと僕に身体をすりよせて歩いている。その身体からは、甘くてとてもいい香りがするし、僕の右腕には、何か、温かくて柔らかくて、丸っこい弾力があるものの感触がもろに伝わってくる。

「えへ♪ だって、セイショウさんみたいなカッコいい人と、こうやって腕組んで歩くって、私の夢だったんだもん❤」

そう言うとアンジェラさんは、僕を上目づかいに見て言う。

「それとも、私がこんなことするのって、イヤ?」

――イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ! 僕としてはと~っても気持ちいいんですけど! なんか今までの彼女いない歴16年が嘘みたいなんですけど!

僕は完全に理性が吹っ飛ぶ寸前にあった。僕の中の騎士である“リトル清正”は、劣情の塊である“リトルキヨマサ”に圧倒されつつあったのだ。

はっきり言って、僕はもう映画なんてどうでもよかった。どこに向かって歩いているかなんて気にもしていなかった。ただ、僕の鼻孔をくすぐるアンジェラさんの甘い香りを胸いっぱい吸い込み、右腕に当たる柔らかい感触を、できればこの両手で思う存分堪能したい……そんなことしか考えていなかったのだ。

「こっちに来て、セイショウさん❤」

アンジェラさんが、急に僕の右腕を引っ張って薄暗い路地に入り込む。そして、しばらく進んで、大通りからの見通しも利かなくなったところでアンジェラさんは立ち止まり、僕に抱き着いてきた。

――だ、ダメだよアンジェラさんっっ! ぼ、僕もう……我慢の限界だ!

僕は、胸に押し付けられるアンジェラさんの柔らかい身体を、そっと抱きしめ……

「ぐっ!」

……ようとしたところで、突然、後頭部に衝撃を感じ、そのまま気が遠くなってしまった。気を失う寸前に見たのは、今までの可憐さが嘘のようにニヤリと笑ったアンジェラさんの豹変した笑顔だった。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「おい、お琴ちゃん! 何があっているんだ? 教えてくれ!」

雹さんが、やっと俣野大佐と中西さんに追いついて、走りながらそう問いかけた時、道の向こうから走ってくる赤いジャージの女の子の姿を見つけた。

「雹ちゃ~ん、大変や~! キヨマサと誾ねえちゃんがさらわれたねん~!」

それを聞いて、雹さんと俣野さんと中西さん、三人とも立ち止まった。そこに、青い顔をした霙ちゃんが駆け寄ってきて言う。

「雹ちゃんゴメン! キヨマサとあの女、どこかの路地に急に逸れたんか、姿が不意に見えなくなってん!」

「……お誾ちゃんは?」

雹さんが訊くと、霙ちゃんは身体を小さくしてボソッと言った。

「キヨマサを探してうちが駆けだした時、後ろから4・5人の男たちが出てきて、誾ねえちゃんを連れて行ったしもうたねん……ゴメン、雹ちゃん。役に立たへんでホンマにゴメン」

そう言う霙ちゃんの左腕からは、生々しい血が滴っていた。雹さんはすぐに手拭いを取り出して霙ちゃんの腕を縛ると聞いた。

「どんな奴らだった?」

霙ちゃんは痛さに顔をしかめて言う。

「忍びや、あの動きはうちと同類や。中でも一人、ごっつ強いヤツがいたねん。うち、逃げるのに精一杯やったねん……ゴメン、雹ちゃん」

「気にするな。清正とお誾ちゃんは俺がきっと助けだす。それより傷の手当てが先だ」

そう言う二人の話を聞いていた俣野大佐が、眉を寄せて雹さんに言った。

「一般人が手を出すことじゃないぞ、鳴神氏。それより俺たちに協力しろ。佐藤ご姉弟は真徴組が助け出してやるから、ちょっと屯所まで来てくれないか」

雹さんは、ぐったりしてしまった霙ちゃんを抱きかかえると言った。

「けっ! しょうがねェ。話の裏ぁ知らねェと、どうにも手の付けようがないらしいや……俣野、今回はてめぇらに力貸してもらうぜ?」

【第14幕 暗転】


第15幕 ゲームのリセットはできるが、人生のリセットは出来ないから気を付けよう


「あのチビ助は、命に別状はないそうだ。心配しなくてもいいぞ、鳴神氏」

前幕で清正とお誾ちゃんがさらわれたと知った俺(雹)は、大けがをした霙を抱えて、とりあえず十二支町子の日区13番地13号にある、武装警察『真徴組』の屯所に来ていた。

清正が出かけたオフ会は、とんだ罠だったわけだが、そのオフ会に同時に誘われていた真徴組頭取・俣野大佐と、6番組肝煎・中西琴大尉と出逢った俺は、事件の真相を聞き質すべく、屯所に乗り込んだわけだった。

「ありがとう、恩に着るぜ。あの娘はあの子の姉から預かっている子だ。殺しちまうわけにはいかねェからな」

俺は、目の前に座っている真徴組のトップ、総括の松平権兵衛陸軍准将に、そう言って頭を下げる。松平准将は、“仏の権兵衛”と巷で言われている噂どおり、温厚な顔で続けた。

「今回の事件について話す前に、その内幕を多少理解してもらわないといけない」

「権兵衛さん、それは機密事項だぜ?」

隣に座った頭取の俣野大佐の意見に、松平准将はニコリと笑って言う。

「裏を知っていてもらわないと、鳴神氏はこの真徴組に頼らずに自身でこの事件を解決しようとするだろう。勝手に動かれては、こちらとしても迷惑至極。それよりは事の次第を打ち明けて理解していただいたうえで、こちらの迷惑にならぬよう自重していただこうと思う」

「……権兵衛さんがそう言うならいいや。だがな鳴神、このことは機密だ。ほかの所でべらべらしゃべりやがったら、即座にたたっ斬るぞ!?」

俣野大佐がそう凄むが、俺にとっちゃ屁でもねェ。しかし、俺も大人だから、そこは大人の対応ってやつをした。

「分かったよ。俺も侍の端くれだ。しゃべっちゃいけねェことをべらべらしゃべるなんて真似はしねェよ、俣野さん」

俺が言うと、松平さんはニコリと笑って、今回の事件の裏を話しだした。

「鳴神氏、そなたは“吉原仙厓境”をご存じか?」

「“吉原仙厓境”? あの花魁がいるって言う花街かい? いや、一度も行ったことはねェ」

「そもそも、“吉原”などという花街は、この新東京という世界の首都には相応しくない存在だ。一昔前の赤線・青線が一掃されたように、この地上から抹殺されてしまってもおかしくない街――それが“吉原仙厓境”だ。しかし、あの街はいまだに残り、そして栄えている……それが何故か分かるか?」

俺はハナクソをほじりながら言う。

「いんや、想像もつかねェよ。想像もつかねェところで想像もつかねェ程お偉い連中が、自分たちのために残した……ってことじゃねェのかい?」

すると松平さんは、ニコニコしながら言う。

「さすがは鳴神氏だ。そのとおりだよ。“吉原仙厓境”を残しておきたい理由が、新政府には二つあった。一つは、色事には大きな金が動く、その金を押えたかったこと。そしてもう一つは、新政府にとって都合のいい治外法権の場を残しておきたかったこと……」

「つまり何かい? “吉原仙厓境”に目指す人物を連れ込めば、そいつが誰に殺されようと構いなし……ってことかい?」

松平さんは、俺の言葉に無言でうなずく。

「で、その治外法権の場“吉原仙厓境”と、今度の事件と、どう関わり合いがあるってんでぇ?」

俺が訊くと、松平氏ではなくて、俣野が答えた。

「その“吉原仙厓境”は、厳密に言うと政府の管轄じゃねェ……『シャドウ・キャビネット』の連中の管轄なんだ」

「!?」

――『シャドウ・キャビネット』……この国を傀儡にしていやがる外国資本の連中の寄合か……。

俺がそう思っていると、俣野が続ける。

「知っての通り、『シャドウ・キャビネット』は、全世界の司令塔と言われる機関だ。現在は『マウント・フィフス社』が中心となっているが、その野党である『ラックフェロー社』の連中も、うまい汁を吸いたくて人員を送り込もうと必死で画策している」

一息ついた俣野の代わりに、松平さんが言う。

「俺たち真徴組は、政府を経由した『マウント・フィフス社』の依頼で、ある事件を追っている。それは、“吉原仙厓境”のトップであるマウント・フィフス社の専務取締役を兼ねる男、アーノルド・シュランツェネッガーを亡き者にしようと画策している集団のあぶり出しだ」

「マウント・フィフス社からの依頼ってことは、その黒幕はラックフェロー社ってことかい?」

俺が言うと、俣野がニヤリとして答えた。

「証拠がないから何とも言えん。しかし、その集団は、様々な手段で駆り集めた少年たちを、外国に売り飛ばしている人身売買組織だ。もちろん、女の場合は“吉原”の女衒に売っているのだろうが……その組織に、世界的に有名な犯罪組織『鬼面夜叉』が関わっているという確かな証拠もある。今回、拉致された佐藤ご姉弟も、その手先に捕まったんだろう」

「その獲物あさりと連絡に、『ドラスマⅩ』が使われたってことか」

俺が言うと、俣野はうなずく。

「俺たちはプロだ。ハンドルネームやキャラ名なんかでそいつの身元を割り出すことは朝飯前……それで、あの『アンジェラ』なる女が怪しいと様子を見ているうちに、オフ会の話が出た。今まで姿を消した少年少女のほとんどが、オフ会への出席を口実に出かけて消息を絶っている。それで俺と琴はオフ会の約束を断り、奴をつけていたんだ」

「で、奴らのアジトは分かったのかい?」

俺が訊くと、俣野はニヤリと笑って指をパチンと鳴らす。とたんに周囲の襖が開け放たれる。そこには真徴組の隊士たちが刀を抜いて突っ立っていた。

「雹の兄ぃ、今回ばかりはいけやせんぜ? 兄ぃの出番はねェンだ。大人しく屯所で待ってておくんなせぇ」

ニコリと笑って真徴組のエースである5番組肝煎・玉城織部陸軍少佐が言う。俺は一瞬この場を突破しようかと迷ったが、霙を置いては行かれないと思い直し、玉城君の顔を見て笑って言った。

「しょうがねェな……清正とお誾ちゃんを頼んだぜ? タマキン君」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「う、う~ん」

僕は、ゆっくりと意識が戻った。意識が戻るにつれて、頭の後ろに鈍痛を感じ、顔をしかめる。

「よかった、清ちゃん。気が付いたのね」

僕は、その声を聞いて、はっきりと意識が戻った。僕の目の前には、僕の顔をのぞき込んでいる心配そうな姉上の顔があった。姉上は僕を膝枕していてくれたのだ。

「姉上……ここは?」

僕はゆっくりと辺りを見回す。姉上は首を振って言った。

「私にもわからないわ。私は清ちゃんの後を追っていた時、急に現れた男から当て身をくらって、そのまま気を失っていたらしいの」

よく見ると、そこは廃工場か倉庫らしい。だだっ広い空間で、高い天井近くに窓が開いているが、そこまで登る手掛かりになりそうなものは何もない。その高い窓からは、明らかに夕方の光が差し込んでいる。とすると、僕はだいぶ長い間、気を失っていたらしい。

「姉上……すみません。僕が強情を張ってオフ会に出たばっかりに、姉上までこんな目に遭わせて」

僕が言うと、姉上は優しい顔で言ってくれた。

「いいのよ清ちゃん。私は清ちゃんが無事だったから、それでいいの」

それを聞くと、僕は寝てばかりもいられない気分になった。姉上をこんな目に遭わせたのは、僕の責任だ。だったら僕が何とかして、姉上をここから逃がさなければ!

僕はゆっくりと起き上った。相変わらず後頭部の鈍痛はあるが、それでも我慢できないほどじゃない。僕は顔をしかめて立ち上がると、この大部屋の様子を一渡り見てみた。

「清ちゃん、立ち上がって大丈夫なの?」

「平気です……姉上は、僕がきっと助け出します」

僕はそう言うと、今度は壁を調べてみた。しかし、やはりどこにもとっかかりはない。

「清ちゃん、よく見てごらんなさい。私たちの他にも捕まっている人たちがいるようよ」

姉上に言われてよく見ると、確かに、ここにいるのは僕たちだけじゃないらしい。何人もの男女が、鎖につながれてこの大きな部屋の中で座り込んでいるのだった。今まで影になっている部分にいたので気づかなかったのだ。僕はその人たちに近づこうとして息をのんだ。

「!?」

僕たちの他に捕まっている人たちは、男も女も僕と同年か、少し上らしい。しかし、みんな一糸まとわぬ裸だった。裸の身体で、膝を抱えてじっとうずくまっている男がいるかと思えば、同じ体勢でぶつぶつと何かをつぶやいている女の子もいる。しかし、全員に共通して言えるのは、裸であることの他に何かにおびえたような表情をしていることと、その目が異様に虚ろであることだった。

「清ちゃん……」

姉上も、その異様さに気づいたらしい。震える声で僕に呼びかけてきた。僕は覚悟を決めた。幸い、僕の腰には雹さんから借りた『阿蘇山』ロゴ入り木刀があった。僕はその一剣を頼りに、姉上の側までゆっくりと下がった。

「……あいつ……服を着ている……」

「新入りだ……」

「新入りだぞ……」

「女だ、女もいるぞ……」

女という言葉が、裸の男たちに一種、凶暴な感情を芽生えさせたらしい。男たちのうち何割かは、ゆらりと立ち上がって、手に手に鉄パイプや棒切れを持って僕たちの方にゆっくりと迫ってくる。そうでないものは、裸の女たちにつかみかかっていくものもあった。たちまちそこかしこで、目を覆わんばかりの痴態・醜態が繰り広げられる。

「その女も、売られるんだ……俺たちも売られるんだ……」

迫ってくる男たちは、そうつぶやきながら鬼気迫る表情で僕たちを見据えている。姉上は、真っ青になって震えていたが、僕が

「姉上! 僕は力の限り姉上のために戦います。姉上もどうぞ、好きな人のために姉上の貞操をお守りください!」

そう言って『阿蘇山』の木刀を手渡すと、姉上はうなずいて立ち上がった。

「承知しました。この佐藤誾も戦います。清ちゃんこそ、犬死しないようになさい」

僕は、手近にあった鉄パイプを2本取り上げると、円明二天流の構えを取って、押し寄せる男たちに向かって吠えた。

「肥後熊本藩先の大番役頭・佐藤筑前が嫡子、佐藤清正、参るっ!」

僕は、機先を制してもっとも僕に近づいていた男に走り寄り、その男が防御の姿勢を取らぬ先に、鉄パイプを頭に打ちおろす。ズゴッと嫌な音がして、男の頭蓋が割れて、おびただしい血が噴き出した。

「やっ!」

続いて僕は、鉄パイプを打ち下ろしてきた男の手元に飛び込み、左手の鉄パイプで男の股間を叩き上げる。男はグチャッという音とともに「げっ!」と一声叫び、白目をむいて倒れる。

「くっ!」

キイイン!

2・3人の男たちが、同時に僕に鉄パイプを振り下ろしてきたが、僕はまとめて左手の鉄パイプで受けとめると、右手の鉄パイプで全員をひと薙ぎにする。アバラが折れる嫌な音が響き、全員が血反吐を吐いてうずくまった。

「ふんっ!」

僕をすり抜けて行った男が、姉上の渾身の突きをのど元に受け、喉を破られて悶絶する。僕はさらに5・6人を血祭りに上げ、いったん姉上の近くまで退いた。その時である。

「はいはい、お前たち、何をやっているんだい!」

大部屋の入口が開き、30人ほどの武装した男たちがなだれ込んできたかと思うと、その中の一人が抜き身を提げたまま歩いて来てそう言った。僕たちを襲っていた男たちは、その人を見ると静かになり、ゆっくりと元いた方へ退却して行った。

「さすが勇者セイショウさんですね? リアルでもこんなに強いとは思わなかったですわ♪」

その人はそう言いながら、僕たちの方を向いた。それは、

「!? アンジェラさん!? 何であなたがここに?」

それはアンジェラさんだった。あの可憐な風情のアンジェラさんが、今では抜き身を引っ提げて、強面の男衆を追い使っていた。

「ごめんなさい、勇者セイショウさん……いえ、佐藤清正さん。私の名はアンジェラ・早紀って言います。世界的盗賊団『鬼面夜叉』第7旅団の第4大隊長で~す❤」

相変わらずニコニコしながら、凄いことを言ってくれるアンジェラさんは、ニコニコしながらカチューシャと黒髪のヅラを取った。そして、亜麻色のショートヘアとなり、ボーイッシュで精悍な女戦士へと変貌して言う。

「もう一つ謝らないといけないことがあったわ。私、ほんとは20歳なの。4つもサバよんでてごめんなさいね?」

だから、あんなに甘い香りがしたんだ……確かにあれは、大人の色気が混じったみずみずしい色気だった……って、そんなことこんな時に考えてんじゃねェよ、僕!

僕は顔を赤くしながら言った。

「で、そのアンジェラさんが僕と姉上をどうしたいんですか? やっぱり僕らも人身売買にかけるって言うんですか?」

「そうだと言ったら、どうします? 清正さん?」

顔は笑っているが、アンジェラさんは差し料の鯉口を切った。僕は笑って言う。

「あなたには敵わなそうだから、そう言う事ならここで腹を斬ります。その前に、姉上を僕の手であの世に送ってね? だって、姉上には心に決めた方がいらっしゃるんです。その方以外に貞操を捧げるなら、姉上は生きておられないでしょうから」

するとアンジェラさんはくすくすと笑って言った。

「面白いご姉弟ね。それが当節時代遅れとなった“サムライ”ってやつかしら? 冗談よ、清正さん。最初は確かにあなたもお姉さんも売ってしまおうかと思っていたけど、あれだけの腕を見せつけられたらねェ……売るにも、殺すにも惜しいわよ。どう? 私の彼にならない? それだけの技を持つ清正君なら、夜の方の技も仕込めば極上になりそうだわ」

「……姉上はどうするつもりですか?」

僕が警戒を緩めずに聞くと、アンジェラさんはまた破顔して言う。

「お姉さまは、私の彼女よ? 私は両刀遣いなの。いつもは女の子を食べるのが好きだけど、たまには男も食べたいの。それも飛び切り生きがよくて、技も達者なね? 女同士だったら貞操なんて気にしなくていいんじゃない? それが嫌だと言うなら、お姉さんの意中の男も引っさらってきて、先に恋人に抱いてもらってから私のものになってもよくってよ? どう、寛大でしょ?」

「お断りします!」

姉上が凛として叫んだ。びっくりするアンジェラさんに向かって、姉上は笑顔で続ける。

「私の意中の彼は、恥を知るお方です。あなたが招いても、ここに来てはくれません。私を助ける以外の目的ではね? そして、あなたが招かなくても、彼はここに来てくれます。私を助けるためにね。もし、私が死んだら、可哀想にあなたも、『ハイス〇ール鬼面組』も、彼が叩き潰してしまうことでしょう」

アンジェラさんはくすくす笑って言った。

「二つ間違いがあるわ、お姉さん。一つは、私たちの名は『ハイスクー〇鬼面組』ではなくて『鬼面夜叉』よ。もう一つは……」

そう言ったアンジェラさんが、僕の視界から一瞬消え、次の瞬間には姉上の背後に立っていた。アンジェラさんがゆっくりと差し料を鞘に戻す。パチンという鐔鳴りの音とともに、姉上の左手の薬指にはめられていた、雹さんがくれた指輪が、真っ二つになって地に転がった。

「……もう一つは、その男は私に勝てない……いえ、『鬼面夜叉』には勝てないわ」

そう言うと、続いて部下の男たちに命令を下した。

「この二人は、私の恋人よ。特別房に丁重にご案内して」

男たちに引きずられていく僕たちを見ながら、アンジェラさんは笑って言った。

「ホント、面白い人たちね。24時間あげるから、私の恋人になって頂戴ね❤」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「お~い、霙ェ。少しは良くなったか~?」

うち(霙)は、雹ちゃんのそんな間延びした声を聞いて、はっと目を覚ました。目の前に雹ちゃんのどことなくもさっとした、けれど心配そうな表情をした顔がある。うちは思わず言った。

「雹ちゃん、お腹すいた」

すると雹ちゃんは笑って手をパンパンと叩く。その音に促されるように襖が開いて、真徴組の制服を着た隊士が雹ちゃんにつっけんどんに言う。

「鳴神氏、ここは旅館ではござらん。我らもそなたたちの目付を命じられてはおるが、仲居のように世話をせよとは言いつかってござらん」

すると雹ちゃんは、人懐っこい顔で笑って、隊士に言う。

「まあまあ、俺たちゃ確かに厄介もんだろうが、この娘っこはケガ人だ。お腹が空いたそうだから、ご飯をいただければありがたい。なぁ~に、おかずは塩でいいよ。適当に食わせるから、ちょいと一升ほど炊いて持ってきてくんねぇか?」

すると隊士は、フンといった顔で襖を閉めた。そのまま足音荒く立ち去って行く。何やねんあれ?

ふと気が付くと、ここはいつものうちと雹ちゃんの愛の巣・『頼まれ屋』の事務所ではないことに気が付く。うちは雹ちゃんに聞く。

「雹ちゃん、ここどこや?」

すると雹ちゃんは、『少年マンデー』を読みながら言った。

「『真徴組』の屯所だ。お前のそのケガを治療してもらった。後で松平さんと俣野に礼を言っとかないとな?」

それでうちは思い出した。うちはキヨマサを尾行していて、キヨマサが見えなくなって、駆け出したら誾ねえちゃんが攫われて、うちも怪我させられたんや!

「雹ちゃん、キヨマサは? 誾ねえちゃんは? みんな無事なん?」

うちの問いに、雹ちゃんは間延びした声で答える。

「『真徴組』が救出に向かっている。大丈夫だから心配するな……とタマンキ君とお琴ちゃんが言っていたな」

「アホ! あないなロケットランチャー男と男女に任せといたらアカンで!? 雹ちゃん、うちらも行かんと埒あかへんで!?」

うちはそう言って立ち上がろうとしたが、途端に左腕に激痛が走り、足元がふらついて布団に倒れ込んだ。

「無理するな、お前の傷は毒に冒されていた。熱も高かったし、ついさっき下がったばかりだ。回復するまではしばらくじっと我慢してろ」

「そやかてキヨマサと誾ねえちゃんが……」

なおも言ううちに、雹ちゃんは優しい顔を向けて言った。

「我慢しろ。俺だってこんな所で我慢してんだ。お前が回復したら、きっと一緒に連れて行く。だからご飯食って寝てろ。いいな?」

やがてしばらくすると、雹から頼まれた隊士が、アツアツのご飯を釜ごと抱えて持ってきた。

「ご飯でござる。茶碗と箸はここに置いておく。おかずは味付け海苔しかなかったが、それでようござるか?」

「あ~、上等上等、でござる。かたじけなくござったでござるな。はっはっはっ」

雹ちゃんがおどけてそう言うと、隊士はニコリと笑って出て行った。

「雹ちゃん……このご飯、毒が入ってんのとちゃうか?」

うちが言うと、雹ちゃんは笑って言った。

「いくら『真徴組』でも毒入り飯を1升も炊かないさ。ま、眠り薬くらいは入っているかもしれねェがな?……そうだろう、隊士さんよ?」

雹ちゃんがそう言うと、襖が開いて、さっきの隊士といかにも隊長然とした男が立って笑っていた。

「なるほど、頭取が心配なさるはずだ……鳴神氏、拙者は『真徴組』の軍監を勤めている、陸軍中佐の千葉一郎と申す。先だっての『似非双刀鬼』の際はかたじけのうござった」

「あの時、『真徴組』ではただ一人、北島君から斬られなかった隊長だな? あんたもかなりの腕だね?」

雹ちゃんが言うと、千葉と名乗った男は笑いを消さずに言った。

「鳴神氏、今度の事件に関わり合いがある『鬼面夜叉』という組織をご存じか?」

「いや、知らねェな」

「人によっては盗賊組織というものもいるが、その実は『シャドウ・キャビネット』ともつながった闇組織だ。情報収集から闇売買、そして暗殺や戦場での突撃など、いわば、政府の『影衆』や『鬼童衆』と同じで、『シャドウ・キャビネット』のために汚い仕事を受け持つ者たちの集まりだ。都合7つの旅団を持ち、1旅団は4個大隊からなる。1大隊は千人程度の人員を擁し、それもすべて忍者や特殊部隊から選り抜かれた精鋭ばかりだ。だから一個大隊で優に普通の一個師団に匹敵する戦闘力を持つ」

「なるほど、そりゃ剣呑な相手だ。お琴ちゃんやタマンキ君が、今回ばかりは俺の出番じゃねェっつった訳が分からぁ」

雹ちゃんが静かにうなずく。何で? 何で雹ちゃん、そないなこと言うん? 雹ちゃんもそないな奴らに負けず劣らず強いやんか!――うちがそう思っていると、千葉っちゅう男はちらっとうちを見て笑いを浮かべると、雹ちゃんに言った。

「今回の事件で動いているのは、その『鬼面夜叉』でも最精鋭を謳われる第7旅団だということが分かった。この第7旅団は、前年に起こった『エゲレスの乱』において、エゲレス軍の4個師団8万人をたった4千人で壊滅させた部隊だ……相手がその1個大隊千人では、わが『真徴組』3百人は文字通り全滅するだろう」

「……それが仕事と言いながら、松平さんや俣野、お琴ちゃんやタマンキ君は不憫なものだな?」

雹ちゃんが言うと、千葉さんは涙を浮かべて雹ちゃんに頼んだ。

「鳴神氏、いや、『双刀鬼』。われら『真徴組』を救ってくださらんか?」

「救えとは? 俺ぁ何にもできないぜ?」

「このままでは、『真徴組』と『鬼面夜叉』の衝突は必至。さすれば必ず総括は先頭で討死される。総括が討死されれば、頭取も、織部殿も、いや、すべての肝煎が戦死するまで戦う羽目に立ち至ろう。そんなことになれば、『鬼面夜叉』にも大打撃を与えてしまう……そうなれば、たとえ『真徴組』が勝ちを拾っても、『シャドウ・キャビネット』から潰されるは必定」

「だから俺に火中の栗を拾えと? 御免だぜ。そんなことすりゃ、この俺が『鬼面夜叉』とやらに付け狙われることになっちまわぁ。命がいくつあっても足りねェぜ」

雹ちゃんが笑って言う。千葉さんはニコリとして言い添えた。

「お忘れか? 今回の仕事は『マウント・フィフス社』からの依頼だ。人身売買の組織がつぶれれば、『鬼面夜叉』とて手は出せまい。人身売買組織のアジトは、品川台場にあるらしい」

「つまり、俺は俺で、清正とお誾ちゃんを取り戻せばいい……そう言いたいんだな千葉さんよぉ?」

雹ちゃんがそう言うと、千葉さんは苦み走った顔を緩めた。雹ちゃんはそんな千葉さんの顔をじっと見ていたが、やがてうちに静かに言った。

「霙、いい子でご飯食っとけよ?」

「ちょい待ちぃ、雹ちゃん。うち、すぐご飯食べて支度するねん」

うちがそう言うと、雹ちゃんは怖い顔でうちに言う。

「今回はダメだ。相手が悪すぎる。いい子はここでじっと我慢の子だ」

「何言うてんねん記念物。うちは大五郎やないで? 大五郎かて3分間しか我慢せぇへんでええねんで? うちも行く。キヨマサや誾ねえちゃんがさらわれたんは、半分はうちのせいや! だからうちはうちで落し前付けへんといかんねん! これでもうちは風魔忍者やで!? 雹ちゃん、うちを連れてかへんと、うち、ここで死ぬわ。ホンマやで?」

雹ちゃんは長いことうちの顔を見ていたが、やがて笑って言ってくれた。

「しようがないおちびさんだ。俺から離れるんじゃねェぞ?……ってことで千葉さん、たらふく食える飯を用意してくれねェか? 眠り薬抜きでな?」

千葉さんは笑ってうなずいた。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

その頃、『鬼面夜叉』第7旅団第4大隊長アンジェラ・早紀は、品川台場にあるアジトで、上司である第7旅団長と話をしていた。

「では、今の任務を切り上げて逃げろと?」

アンジェラが言うと、旅団長――正しくはその副官――が優しい声で言う。

「ああ、どうも『マウント・フィフス社』は、吉原にいるアーノルドに見切りをつけたようでね? そうなればアーノルドは俺たちが消さなくても、『マウント・フィフス社』から消されるだろうから、今回の作戦の意義が失われたってことさ」

「あのアーノルドが、そんなことでくたばる柄とは思えないけどね? でも、これって、僕じゃなくて元老院のオジサンたちがそう言っちゃってるんだから仕方ないよね?」

旅団長も、へらへらと笑って言う。アンジェラはぷいと横を向いて言った。

「元老院のじじいの言う事なんて、聞く必要ないじゃないか!? 私はこの手でアーノルドの親父の首を取ってやりたいんですけどね? ダメっすか、旅団長?」

「アンジェラ、アーノルドを消せば、必然的に『マウント・フィフス社』、ひいては『シャドウ・キャビネット』を敵に回すことになる。そしたら俺たち第7旅団は『鬼面夜叉』全体を敵に回してしまうことになりかねん」

副官が言うと、アンジェラは剣呑な目で副官を見据えて言う。

「烈風、あんたにゃ聞いてないんだよ。私は紫電の意見が聞きたいんだ!」

すると、紫電と呼ばれた旅団長は、相変わらずすっとぼけた声で言った。

「僕も、烈風と同じ意見だよ? まだ元老院を敵に回すには早いよ。今回は随分儲かったみたいだから、それで良しとしようよ? ね、アンジェラ?」

「……っ!」

アンジェラは、何か言いたそうにしていたが、へらへらと笑っている紫電から、有無を言わさぬ殺気がほとばしり出ているのを感知して、顔色を変えて押し黙った。

「納得してくれたかい? してくれないと困っちゃうけど……」

紫電がそう言うと、アンジェラは冷や汗をたらたら流しながらうなずいた。

「そう、納得してくれたんだね? よかった、君を殺さなくて済んで♪」

紫電はそう言いながら立ち上がると、すたすたと部屋を出て行った。後に残されたアンジェラに、烈風が優しい声で言った。

「……よかったな、俺ぁ冷や冷やもんだったぜ。とにかく、一両日中に獲物たちを片付けて、シマに戻ってきな。じゃ、アンジェラ第4大隊長殿、よろしく頼むわ」


「何だい何だい、天下の『鬼面夜叉』第7旅団長が、元老院のジイサマたちの言いつけをへこへこ聞くなんて、とんだ笑いもんさね?」

アンジェラはそうぶつぶつ言いながら、清正たちを閉じ込めている特別房へと向かう。

「あいつら、どうしようかね? 連れてはいけないし、かといって殺すのも惜しいし……こんなことなら、姉弟とも一度味見しておくんだったなぁ……私としたことが、くそっ!」

そうひとりごとを言いながら、特別房のドアを開ける。

清正とお誾は、突然現れたアンジェラにはっとして身体を固くする。それを見て、少し機嫌が直ったアンジェラが快活に言う。

「あなたたちをどうするか、急に決めなきゃいけなくなったのよ。それで、先ほどの答えを聞きに来たの。清正君、お姉さん、どう、私の恋人になってくれないかしら?」

「……嫌だと言ったら、どうします?」

お誾が、低い声で訊く。アンジェラは目を輝かせて笑って言った。

「そうねェ……力ずくで私のものにするって手もあるけど、それじゃお姉さんが可哀そうだし、気持ち良くなってもくれないわねェ? かと言って、私、あなたたちを殺しちゃうのが、と~っても惜しいのよ。お願いだから私のものになってくださらないかしら?」

「先ほども言いました。私には心に決めた殿方がいます。ですから、そのお方以外にこの身をお任せするつもりはありません。残念ですが、あなたが殺したいのなら、殺していただいて結構です」

お誾が言うと、清正が悲しそうな顔で聞いた。

「アンジェラさん。僕、『ドラスマ』でアンジェラさんと冒険していて、とても楽しかった。アンジェラさんは、優しくて、芯が強くて……そう、まるで姉上みたいだといつも思っていました。だから、僕は仕事を休んでまで『ドラスマ』に夢中になった。それは、アンジェラさんと一緒にいたいって思ったからです……そんなアンジェラさんが、こんなことをするなんて僕には信じられない! きっと何か訳があるんでしょう?」

するとアンジェラは少しうつむいたが、すぐにカラカラと笑って言う。

「ほ~っほっほっほっ! 清正君、あなた、やっぱり初心ねェ? ネットの中では誰でも別人になるのよ? 私は、あなたみたいな初心な子を食べたいだけなのよ。だって、私は汚れているから、いっそどこまでも汚れてしまってもいいじゃない? ネットに夢を見ちゃだめよ?」

「嘘だ!」

清正が大声でそう叫ぶ。アンジェラはびくっと身体を震わせ、清正を見た。清正の真剣なまなざしに、アンジェラの頬が少し染まった。清正は続けて言う。

「そんなの嘘だ! 僕には分かる。アンジェラさん、あなたとのチャット、あなたはとても楽しそうにしてくれていた。優しい言葉もたくさんかけてくれた。あれが作り物のあなただとは、僕には到底思えない! アンジェラさん、ゲームならリセットできるんです。今まで僕たちにしてきたことも、リセットして優しいアンジェラさんに戻ってください!」

アンジェラは、清正の言葉を聞いて動揺した。母の顔を知らなかったアンジェラは、父の手で育てられたが、その父からひどい目に遭い、それから人生を転がり落ちて行ったアンジェラである。幸い、その美貌と父譲りの武技で『金剛夜叉』に拾われ、頭角を現した。

けれど、心のどこかに、幸せへの渇望があったことは否めない。清正の言葉には、アンジェラをして二人を殺すことをためらわせる何かがあった。

アンジェラが目を閉じて、心の中の情念と戦っていた時、不意に正門と裏門で、爆発音が轟いた。

「!? 何ごと!?」

アンジェラがそう言った時、

「大隊長殿、『真徴組』が突入してきました!」

そう、大隊副官が慌てて部屋に飛び込んできた。アンジェラはいつもの自分に戻り、副官と本部の兵たちに命令を下した。

「すぐにシマに戻る。この二人は人質だ。縛り上げて一緒に連れて行くんだよ! 屋上にヘリを準備しな!」


その10分ほど前、静まり返った『鬼面夜叉』第7旅団第4大隊がいる貸倉庫群の前で、『真徴組』が勢ぞろいしていた。

「今回の敵は、世界に名だたる強者『鬼面夜叉』だ。情報によるとその中で最強を謳われる第7旅団だということだ。であるから、もとより私は生還を期していない。敵の数はおよそ千人、こちらは高々3百だ。だが、侍たる者、一人十殺のつもりで奮戦してもらいたい。相手の大将首を取った者には、私から内務卿に申し上げて相応の褒美を遣わしてもらう。『真徴組』の真価を発揮するのは今宵だ!」

総括である松平准将がそう訓示すると、続いて頭取の俣野大佐が指示を出した。

「正門は、総括の直接指揮により1番組、3番組、5番組、6番組の4隊が突入する。先鋒は5番組で、総括は3番組とともに進まれる。6番組は敵を倒すのではなく、人質の救助を第一義として行動せよ。頼んだぞ織部、琴」

1番組の山下中佐、3番組の川口少佐、5番組の玉城少佐、6番組の中西大尉が、真剣な顔でうなずく。それを見て俣野大佐はニコリと笑い、続けた。

「裏門は、俺が指揮を執る。2番組と4番組が俺の部署に入ることになる。こちらは徹頭徹尾、敵の捕捉と撃滅が任務だ。途中で仲間が倒れても、助けることはできない。そのつもりでいろ。俺が倒れたら2番組の柏井中佐が指揮を引き継ぐ。柏井中佐が倒れたら、4番組の富田少佐が指揮を執れ。裏門組は、勝鬨を挙げるか、全滅するまで戦う、そのつもりでいろ!」

その凄絶な言葉に、柏井中佐と富田少佐は顔を青ざめさせていたが、二人ともニヤリと笑うと言った。

「了解、頭取。一緒に地獄までお供しますよ」

俣野大佐はそれを聞くと一瞬ニコリとして、すぐに真顔に戻って言う。

「敵の大将首以外は討ち捨てだ。戦いの中でも、冷静に周りを見て、決して一人で戦うな。では、かかれっ!」

その言葉とともに、裏門組が発動位置へと駆け足で進む。一緒に駆けだそうとした俣野大佐に、松平准将はニコリと笑って呼びかけた。

「おい、藤! 終わったらみんなで酒を飲むぞ?」

俣野大佐も笑って答えた。

「そりゃいいな! では、2時間後に勝鬨を挙げましょうや? 権兵衛さん」


倉庫は大混乱を呈していた。織部のスティンガー地対空ミサイルによって戦いの火ぶたが切って落とされ、『真徴組』の面々は阿修羅となって人身売買組織の巣窟に突入する。『鬼面夜叉』きっての精鋭である第7旅団であるが、実はここにいるのは第4大隊の1個大隊だけで、しかも不意打ちにあったという弱みがあった。『鬼面夜叉』の兵士たちは、おっとり刀で小隊ごとに各自、戦いに参入する。

「それぃ! もう一発!」

織部が手当たり次第にスティンガーをぶっ放す。その度に、人身売買組織の手下たちや『鬼面夜叉』の兵士たちが10人単位で吹っ飛んだ。

「織部、もういい! 琴、人質の救出に向かえ!」

松平総括の指示により、織部は抜刀して突撃に移り、琴は隊士を率いてひときわ大きな倉庫へと突入して行った。

「うりゃあ! しゃあ!」

織部は、隊員をひとまとめにして、本部と思われるビルへと向かう。さすがにここには分厚い陣が敷いてあった。

「あいつらを本部に入れるな! 敵は高々50人程度だ。押し包んで皆殺しにしろ!」

2百人ほどの陣の先頭で、指揮官らしき男が叫んでいる。織部はその男を見て、ニヤリと笑うと舌なめずりして言った。

「おい、てめぇら、俺があの男をたたっ斬ったら突撃しろや」

そう言いざま、一人で敵陣に突入して、敵の指揮官らしき男に名乗りかける。

「俺ぁ『真徴組』5番組肝煎、玉城織部少佐だ。てめぇはここの指揮官かい?」

「おう、我こそは『鬼面夜叉』第7旅団第4大隊第1中隊長……」

織部は、最後まで名乗らせなかった。一跳びでその男の背後へと跳躍しつつ、愛刀『大和守貞吉』を振り抜く。第1中隊長は、名乗りを上げることもできずに、首と胴を斬り離された。

「おおい、野郎ども! 俺に続け!」

怯んだ敵兵たちの真っただ中で、織部は血刀を振り上げて部下たちを呼ぶ。5番組の隊士たちは、刀を執りなおして鬨の声をあげて突っ込んできた。


一方、裏門の方では、

「続けェ~っ!」

こちらも、俣野大佐が2番組と4番組、計百名の先頭に立ち、愛刀『之定』を振り回して、5百人ほどの敵兵の真っただ中に躍り込んだ。

「命が惜しい奴ぁ、どいてろ!」

普段は謹厳実直で“役者のような”と形容される優男の俣野大佐だが、刀を構えると別人のように鋭い目つきになる。その眼光の鋭さに、さしも歴戦の『鬼面夜叉』の強者たちも、あるいは斬られ、あるいは逃げ散り、俣野大佐一人の働きで敵陣にはぽっかりと風穴があいた。

「柏井さん、富田、左右を拉げ!」

俣野大佐は、そう指示を出す。それを聞いた柏井中佐と富田少佐は、自隊のうち40人ずつを連れて敵陣の両翼へと押し出しはじめる。

「どけっ!」

俣野大佐は、2番隊と4番隊から1分隊ずつ引き抜き、二人の小頭と20人の兵力でもって、本部のビルへと突入した。


「いけません! 本部の防御線が破られました!」

屋上でヘリを待っていたアンジェラのもとに、前線から伝令が来て言う。アンジェラは激昂して言う。

「相手はたかだか3百人だよ!? 『真徴組』がいかに精鋭部隊だといっても、奴らだって人間だ、第7旅団の名にかけて叩き潰せ!」

「まあ、大隊長殿。ここは俺に任せて、早いとこシマへと行ってください。大隊長殿のヘリが出たら、部下たちは俺が率いて突破させますから」

大隊副官のシルバー・スタローンがそう言って刀を抜く。アンジェラはフンと笑って言った。

「あんたが行くと、余計な死人が出るんだけどねェ? ま、先に私たちにケンカ売った『真徴組』が悪いから、それは仕方ないかねェ? 頼んだよ、シルバー」

「任せといてください」

そう言ってシルバーは駆け出した。

「もうすぐヘリが来る。シマに戻ったら、改めてあなた方を可愛がってあげるわね? 清正君、お姉さん?」

アンジェラがそう言って清正とお誾を見る。二人とも、黙ってアンジェラを見つめていた。と、その時、下へと降りる階段へのドアを開けたシルバーが、驚きの声をあげた。

「何だ、てめぇは? どっから入ってきやがった!?」

その声に、アンジェラも、清正も、お誾も、その方向を見た。そこには、群青色の詰襟シャツにジーンズを穿き、黒いバッシュをつっかけて、群青色のブルゾンを着込んだ金髪赤眼の男と、胸元に“FUMA”のロゴが入った赤いジャージを着た茶髪のツインテールの美少女がいた。

「雹さん!」

清正とお誾が同時に叫ぶ。その声を聞いて、ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、雹が二人を見て笑って言った。

「よお、お誾ちゃん、清正、待たせたな?」

「誾ねえちゃん、キヨマサ、無事だったけ?」

霙もそう言って笑う。

「てめぇ、政府の役人か?」

シルバーが目を怒らせて言うのに、雹は涼しい顔で答えた。

「俺は天下の素浪人、『頼まれ屋』の雹ってもんだ。下で騒いでいる『真徴組』みたいな税金ドロボーと一緒にしないでくれないかコノヤロー」

シルバーは、刀を振り上げて部下たちに命令した。

「おい、野郎ども、このふざけたあんちゃんを血祭りにあげろ!」

おう! と叫んで、10人ほどの男たちが雹に殺到したが、彼らは一人残らず霙の苦無と体術の餌食となった。ある者は苦無をぶっ刺され、ある者は霙に投げ飛ばされて屋上から地上へと落とされ、それこそあっという間に料理されてしまった。

「何やねん、『鬼面夜叉』ってごっつ強いと聞いてたねんけど、そうでもないんやな? 腹ごなしにもならへんわ」

霙がそう言うと、シルバーが驚いて叫んだ。

「おっ、嬢ちゃんはあの時の……」

すると霙はにわかに顔を固くして雹に言う。

「雹ちゃん、こいつや! こいつのせいでうち、死にかけたねん。仇とってんか?」

「ふ~ん、そうか。じゃ、まずは霙の敵討ちだな?」

雹さんはそう言うと、ゆっくりと腰に差していた『阿蘇山』の大木刀と『草千里』の小木刀を両手で抜いた。

「そこの男、お誾ちゃんと清正が待ちかねている。そこをどけ」

雹が言うと、シルバーは目を怒らせて刀を構えなおした。

「兄ちゃんこそ、死なないうちにお家に帰んな……と言ってももう遅いがね?」

そううそぶくと、

「死ねえっ!」

シルバーは電光石火の突きを繰り出した。

キイイン!

鋭い音が響く。そして、すれ違った雹とシルバーの間に、シルバーの刀が折れて突き立った。

「……兄ちゃん……てめぇ、何者だ?……」

シルバーはそうつぶやくと、がはっと血を吐いて斃れた。

「だから退けって言ったんだ……霙、そこいらの雑魚は任せた」

雹はそう言うと、『阿蘇山』を一振りして血振りをする。霙はニコッと笑って、

「あいあい♪」

そう言うと、雹を後ろから襲おうとしていた敵兵の中に飛び込んで行った。

「おおりゃあ~、ほぁたあ! ほぁたあ! おおりゃあ~!」

霙が叫び、その手足が舞うたびに、兵士たちの頭数が減っていく。とても14歳の少女とは思えない戦闘振りであった。

「あの子……何者だい?」

雹は、愕然として霙の戦いぶりを眺めているアンジェラを見据えて言った。

「俺んとこの従業員さ……ところで、あんたが『鬼面夜叉』の第7旅団長さんかい?」

アンジェラは薄笑いを浮かべて言う。

「残念ね? 私は第7旅団の第4大隊長、アンジェラ・早紀よ。あなたのことね? お姉さんが言ってた意中の彼って……なるほど、確かにできるわね?」

するとそこに、空の彼方から小さくプロペラの響きが聞こえてきた。それを聞くとアンジェラはにっこり笑って言った。

「金髪のお兄さん、残念だけど、私のお迎えがもうすぐ着くわ。清正君とそのお姉さんは、私が頂いて行っていいかしら?」

「あんたが一人で行くと言うのなら、俺ぁ警察じゃねェから見逃すぜ?」

雹が言うと、アンジェラが鋭い目をして聞いた。

「この二人、気に入ったの。連れて行きたいと言ったら、どうするの?」

雹は片頬で笑って答えた。

「お誾ちゃんや清正を連れて行っても、何の役にも立たねェと思うがな? あんたの趣味は理解できねェが、清正は俺んとこの従業員で、お誾ちゃんは大事な家族の一員だ。猫の子じゃねェンだ、はいそうですかって簡単には渡せねェな」

その答えを聞いて、アンジェラはうなずいて言う。

「刀で決着をつけるしかなさそうね?……残念だけど」

「はぁ……アンタみたいな美人を倒すための刀じゃねェンだがな? 敵味方でなけりゃ、甘味処にお誘いしたいくれぇだよ、あんた」

雹が言うのに、アンジェラは笑って

「嬉しいこと言ってくれますね? でも、私にも好みってやつがあるのよ? あんたたち、手出しするんじゃないよ?」

アンジェラは後ろにいる部下たちにそう言うと、真剣な表情で雹を見つめて言った。

「行くわよ!」

「詮方ないな」

雹がつぶやいた瞬間、アンジェラは雹の横をすり抜けていた。抜く手も見せぬ瞬息の居合だった。

「ぐっ!」

雹の左肩から胸にかけて斬り裂かれ、血が噴き出る。さしもの雹も一声呻いたが、何とか倒れずに踏みとどまった。

「雹さん!」「しっかり、雹さん!」

お誾と清正が心配して叫ぶが、雹は涼しい顔でアンジェラに向き直った。

「……くっ……アンタを見損なっていたよ……今度は真剣にやらせてもらうわね?」

こちらを向いたアンジェラの額からは血が流れ、左目に入っていた。アンジェラは腰を落とすと、

「エイッ!」

そう叫んで雹の横をすり抜ける。しかし、今度は雹は避けただけで、その身体にはかすり傷ひとつつかなかった。

「!? 何故!?」

アンジェラはニヤニヤ笑っている雹を見つめてそうつぶやいたが、自分の刀が中ほどから折れているのを見ると、

「……初太刀ですでに私の刀を折っていたのね……お姉さんがホレるわけだわ……」

そう言って膝から崩れ落ちた。その頭頂部からはおびただしい血があふれてきた。いつの間にか、雹がその頭蓋を叩き割っていたのだ。

「さて……」

雹は、隊長を失って浮き足立つ兵士たちを、鋭い目で見据えて言った。

「お誾ちゃんたちを返してもらおうか?」

そう言うと、雹さんは両手の木刀を構えて、残りの兵士たちの群れに突っ込んだ。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

『真徴組』と『鬼面夜叉第7旅団第4大隊』の血戦は、俣野大佐が予言したとおり、2時間で決着がついた。というのも、貸倉庫にいたのはほとんどが人身売買を専門とするアングラ組織の手下であったからだった。『真徴組』は戦死20名、戦傷130名を出すほどの激戦の末、アングラ組織の約千人のうち350名を斬り倒し、450人を逮捕した。本来の『鬼面夜叉』の奴らで、目ぼしい人物は雹さんが討ち取ったシルバー・スタローンくらいのものだったそうだ。

逮捕者や死亡者の中には、第4大隊長であるアンジェラ・早紀の名はなかったらしい。『真徴組』に呼ばれて屯所に出頭した僕たち『頼まれ屋』の面々に、頭取である俣野さんがそう話してくれた。

「おかげで、人身売買組織のアジトを潰せたし、まだ売買先が決まらなくて監禁してあった少年少女5百人を助け出すことができた。これもひとえに、『頼まれ屋』の皆さんのご協力のおかげだ。このとおり、礼を言わせていただく」

僕たちは、総括の松平准将からそうお礼を言われ、さらに金一封をいただいて恐縮してしまった。

「おい、鳴神雹」

総括室から退出した雹さんに、俣野さんがぶっきらぼうに呼びかける。雹さんは

「あん? 何でぇ?」

そう言って振り向いた。

「貴様、誰から『鬼面夜叉』のアジトの場所を聞きやがった? 隊の秘密を漏らした奴はどいつだ!」

俣野さんがそう言うと、雹さんはニヤリとして答えた。

「そりゃ~おめぇ、『真徴組』のことを大切に思っているヤツに決まってんだろ? そいつ、俺に言いやがったぜ? こんなことで『真徴組』を潰されたくないってな。俣野さんよぉ、あんた、性格ワリィ癖にいい部下に恵まれてんな?」

「……鳴神……」

「俺ぁ『真徴組』は嫌ぇだが、お琴ちゃんやタマキン君が死ぬのもぞっとしない話じゃねェか? だから及ばずながら推参仕ったってとこさ。それに、清正やお誾ちゃんは、俺の関わり合いだぜ?」

そう言って笑う雹さんに、俣野さんも笑顔を向け、雹さんの肩をポンと叩いて総括室に戻って行った。


「ああ~、しかし、今回は疲れたぜ」

『頼まれ屋』に戻って事務所でグダグダしながら雹さんが言う。

「でも、霙ちゃん、凄いよね? あんなたくさんの敵を相手に、本当に八面六臂の大活躍だったじゃないか。忍者ってのも凄いもんだなって見直しちゃったよ」

僕がソファに座って、向かい側に座っている霙ちゃんにそう言う。霙ちゃんはニコニコとして言った。

「そら、うちは風魔忍者の末裔やし、現役の忍者やからな? あの程度やったら軽いもんや」

「確かに、霙が作ってくれた湿布は良く効くよ。傷口の塞がりも早いし、痛みも引いた」

雹さんが言うと、霙ちゃんはさらにニコニコ顔になって言う。

「そやろ!? うち、薬の調合も得意やねん。ま、これからはうちを『頼まれ屋』の錬金術師とお呼び? おーっほっほっほっ♪」

「でも雹さん、アンジェラさんの行方が分からないそうですよ? また、僕たちを狙ってきたりしないですかね?」

僕が言うと、雹さんは両手を頭の後ろで組んで言う。

「その方がいいな……あいつには何か過去がある。あいつは、人に言えない過去に縛られて苦しんでいるヤツだ。だったら、話を聞いてやるか、一思いにあの世に送ってやるか、どちらかを選ばせた方があいつのためにもならぁ」

僕は、雹さんのつっけんどんな言い方の中に、アンジェラさんへのいたわりがこもっているように感じた。雹さんって、こんな人なんだ……初めて会った時からそうだった。この人は、決して人を憎んでいない、むしろ、雹さんほど人間という存在を愛している人はいないとさえ思う。だから、僕はこの人についているんだ。

僕がそう思っていた時、炊事場から姉上が顔を出して言った。

「雹さん、霙ちゃん、清ちゃん。ご飯ができたわよ?」

「えっ! ご飯? うわ~い、ご飯やご飯や! キヨマサ、はよ行くで!?」

ご飯と聞いて、霙ちゃんが元気いっぱいにダイニングへと駆け出す。僕も笑ってそれに続いた。

「やれやれ、食い気だけはいっちょ前だな? お誾ちゃん、疲れてないか? ご飯の支度までしてもらって悪いな?」

雹さんが笑って立ち上がった。姉上が、そんな雹さんに顔を赤くして言う。

「雹さん、ありがとうございました。清ちゃんだけでなく、私までも捕まってしまって、ご心配おかけしました」

雹さんは、そんな姉上の指を見て、ふっと薄く笑うと、ブルゾンのポケットから小さな箱を取り出して姉上に渡した。

「これは?」

雹さんは、姉上の問いかけには答えず、姉上の肩をポンと叩くと、ダイニングへと歩きながら言った。

「お誾ちゃんが気に入らなければ、質にでも入れてくれ」

「え?」

姉上は、急いで箱を開けた。すると、そこには……

「!?……雹さん……」

……そこには、前、雹さんからプレゼントされたのと同じ形の指輪が入っていた。姉上の目から、一筋の雫がこぼれる。しかし姉上は袖口でそれをふくと、にっこりと笑ってつぶやいた。

「ありがとうございます、雹さん。今度は、失くしたり壊されたりしないようにしておきますね?」

【第15幕 緞帳下げ】


【第16幕 緞帳トバス】

スポットライトが当たると、そこには金髪赤眼の優男が、椅子に座ってこちらを見ていた。

男は、25・6歳だろう、癖のある金髪がスポットライトの光を反射して、太陽のようにキラキラと輝く。男は、片肘を椅子のレストにかけて、その細いあごをもう片方の手で撫でながら言う。

「宝くじ……年々、宝くじ財団は、人々の射幸心を煽るかのように1等当選金額をつり上げている。今年はとうとう1等7億にまで跳ね上がった。これは、プロ野球の一流選手の年俸と同じ状況だ……」

男はそこで一息つき、続ける。

「プロ野球選手の年俸が、一般ピープルの常識を遥かに超えるような金額になって久しい……おかげで世のバカ親たちは、自分の子供に法外な夢を見るようになってしまった。どう見ても運動音痴の子供に野球やサッカーをさせたり、たいして可愛くもない子供に劇を習わせたり……親の欲目と欲望とが渦を巻いて、将来ある子供にそのしわ寄せが行く……いやはや、世も末だ」

男は、椅子ごと右を向き、横目でこちらを見ながら続けて言う。

「そして宝くじ……これは別名『狸の宝くじ』とも言う……つまり、『空くじ』なのだ。考えてもみたまえ、アメリカのドリームくじは当選者がテレビに出るが、ここ日本ではそんなことはまずない。たぶん、プライバシーがどうのという国民の批判を考えているのかもしれないが、その実、当たりなんてないことを上手に隠しているのかもしれないのだ」

男は、そのままの姿勢で顔の前で手を組んで

「……もちろん、これは私の妄想かも知れない……しかし、宝くじが当たるなどという幸運なお方の顔を見てみたいものだと思う時もあるのだ。『買わなければ当たらない』……それは確かだ。『買ったのは夢だ、宝くじで、ひと時の夢を買ったのだ』……それも一理ある。んが、夢だけじゃ俺たちのビンボーはいつまでたっても改善しない! 誰か、宝くじを当ててくれ! いや、当たりくじを俺にくれ!」

男がそう叫ぶと「うるさいわい! 何一人でくさい芝居してんねんか!?」

男は、そう言う声と共に現れた赤いジャージを着たツインテールの少女に、椅子ごと蹴り飛ばされた。

「霙ちゃん、いきなり蹴飛ばすことはないだろう? 雹さんも、宝くじが全部外れたからって、そんなに気落ちしなくてもいいじゃないですか?」

そう言いながら、取り立てて特徴がない、黒髪で茶色の瞳をしたどこにでもいそうな少年が現れる。

「だって悔しいじゃないか!? 雹さん悔しいもん! 宝くじなんて毎回毎回買ってるのに、1等どころか3等4等もかすりもしないって何よ!? くっそ~、金返せェ! これならパチンコにつぎ込んだ方がましだぁ!」

金髪の青年、鳴神雹が一人で騒いでいるのを見ながら、佐藤清正と雨宮霙――雹が取り仕切っている『頼まれ屋・雹』という何でも屋の従業員たち――は、ひそひそ話をする。

“雹さん、どうしたのさ? いつになく荒れてるじゃない?”

“宝くじが3万円分、全部外れたんでダダこねとるんや。ええ年こいてみっともないで? キヨマサ、お前止めたらんかい?”

“えっ!? む、無理だよ。あんなになった雹さんって、ただのガキよりたちが悪いもん”

二人がぼそぼそ話をしている向こうで、雹は叫んでいた。

「神様~! 俺に1等7億円を当てさせてくれ~っ!!」


第16幕 宝くじの1等が当たる確率って、交通事故にあう確率より低いらしい


「はあ……」

いつもの群青色の詰襟シャツにジーンズを穿き、群青色のブルゾンをひっかけて、太い革ベルトにトレード・マークの『阿蘇山』『草千里』と彫られた大小の木刀を腰に差し、黒いバッシュをつっかけた金髪赤眼のサムライ・鳴神雹さんは、秋の色が深くなってきた町を歩きながらため息をつく。

「雹さん、元気出してくださいよ? オータムジャンボは当たらなかったけれど、まだ歳末ジャンボや歳末ミニがありますよ?」

僕がそう言うと、霙ちゃんもニコニコしながら雹さんを励ます。

「そや、石の上にも三年や。買わへんと当たらへんっちゅうのは真実やで雹ちゃん? いつか打てる代打逆転サヨナラ満塁ホームランやで!?」

「……まあなぁ、宝くじの1等に当たる確率なんて、交通事故にあう確率より低いって話もあるからなぁ……。でも、あの3万円は惜しかったよ? 何が『オータムジャンボ』じゃ? おかげで俺の財布は『お~寒』だぜ……」

雹さんが言うと、霙ちゃんが身体をぶるっと震わせて言う。

「そのギャグ、ホンマに『お~寒っ』やで? 雹ちゃんにはギャグのセンスがないねんなぁ?」

「ところでお前たち……」

雹さんが、僕たちの格好を見て訊く。

「なじょしてお前たちは揃って群青色のブルゾンを着ているのかな?」

僕は、待ってましたとばかりに雹さんに言う。

「実はこれ、僕と霙ちゃんが話し合って、『頼まれ屋』の制服にしたんです」

「制服?」

「そや、雹ちゃんのブルゾン、何やカッコええから、宣伝も兼ねてうちらの制服にしたんや。見てんか? 背中には『頼まれ屋・雹』って刺繍してあるんやで?」

そう言うと、霙ちゃんは雹さんに自分のブルゾンの背中を見せた。確かに、背中には大きく『頼まれ屋・雹ちゃん』と刺繍してある……って、“雹ちゃん”!?

「み、霙ちゃん、屋号が“雹ちゃん”になってるよ?」

僕が慌てて言うと、霙ちゃんはニコニコしながら言う。

「かまへんかまへん、大した違いやあらへんやん? うちは“雹ちゃん”の方が可愛らしくて好きやねん。キヨマサこそ何やねん? 『頼まれ屋・雹さん』やんか?」

「こ、これは、電話口で刺繍の文字を頼んだ時、つい癖で“雹さん”って言っちゃったみたいなんだ」

僕たちがそう言い合うのを聞きながら、雹さんは僕たちのブルゾンをしげしげと眺めていたが、やがてニコリと笑って言った。

「ま、二人とも仕事熱心でよろしいってことにしとこうか。だけどな、ちゃんと電話番号入れとかないと、宣伝としては効果は半減だな」

雹さんがそう言った時である。

「おわっ!?」

「きゃっ!?」

雹さんは、曲がり角で出会い頭に若い女性とぶつかって倒れる。

「あぶねェな!? どこ見て歩いてんだい!?」

雹さんがそう言うと、その女の人はゆっくりと立ち上がった。その立ち上がり方は、まるで身体中の力が抜けているのを無理にしゃんとしようとして努力しているようにも見えた。その女の人の顔色は青ざめて、髪も振り乱している。着ているものは上等の着物だし、顔立ちもどこか上品で、美人の部類に入るだろう。こんな女の人が息せき切って走るなんて、何があったんだろう?

僕がそう思っていると、雹さんも不審に思ったらしく、女の人を支えて立たせながら言う。

「すまなかったな、大声出しちまって。しかしおめぇさん、何をそんなに急いでいるんだい?」

「……すみません……わちき、急いでおりますきに……失礼は重々謝りんすえ」

その女の人は、か細い声で言うと、また走り出す。そこに、女性が曲がって来た往来の方から、見た目にも堅気の衆とは思えない男たちが、血相を変えて走ってくるのが見えた。

「あの女を探せ! 草の根を分けても探し出せ!」

頭らしい若い男がそう叫んでいる。10人ほどの男たちは、やがて僕たちの近くまでやって来ると、息を整えて僕たちに聞いた。

「ちぃとものをお尋ね申す。ここいらに着物着て高島田を結った女が来やせんでしたかい?」

すると雹さんがにこりとして答えた。

「いや、見ねェなぁ……何だい、大の男がぞろぞろと連れ立って、女一人を探しものかい?」

すると頭の男が言う。雹はその顔を見ておやと思った。どことなく、相貌がさっき自分にぶつかった女に肖ていたのだ。

「あっしら、“吉原仙厓境”のもんです。足抜けした女を探しているんでさぁ。旦那も知っての通り、奉公途中の足抜けは“吉原”最大のご法度。他の花魁や禿連中にも示しがつきませんのでなぁ……」

「ふ~ん、俺ぁ、まだ吉原には上がったことはねェが、さぞやいい女だろうなぁ? その上玉が男と手に手を取って恋の逃避行ってか? アンタらにゃワリィが、俺から言わせるとそれもまた乙なもんだねェ……。で、その花魁、捕まえたらどうする気でぇ?」

雹さんはニコニコしながら訊く。頭の男はじりじりしているのが見えるようだった。

――雹さん、ここで時間を稼いでいるんだ! とすると……。

僕はそう気づくと、霙ちゃんを見る。霙ちゃんも僕のアイコンタクトで察したのだろう。ニコリと笑って雹さんに言う。

「雹ちゃん、うち、キヨマサと先に行ってるで?」

雹さんのうなずきを見た僕たちは、男たちに怪しまれないようにゆっくりと歩き出し、角を曲がったところから走り出した。

「キヨマサ、お前鋭いやん? あの姉ちゃんを探すんやろ?」

「そうさ。わざわざ雹さんが時間を稼いでいるんだ。あいつらより早く見つけ出して、『真徴組』にでも連れ込んであげようよ」

「そやな? だいたい女を商品にするって、女をバカにしてんねん! うち、そんなのは嫌いや!」

霙ちゃんはそう言うと、ぐんとスピードを上げた。


「旦那、勘弁してくだせェよ? 花魁を見つけたらどうするかって? そりゃ、吉原の作法にのっとってお仕置きするに決まってんでしょうが?」

雹はそれを聞くと、ブルゾンのポケットに両手を入れて笑って言う。

「お仕置きって、○○○○を××××して、△△△の□□□でもすんのかい?」

「さぁて……○○○○を××××して、△△△の□□□かどうかは知りませんや。そう言う荒事はすべて、吉原の自警団『青鞜』の連中が裁きますからねェ……。ところで旦那、時間稼ごうったってそうは問屋が卸さねぇや? 旦那も『月輪がちりん』の手のものですかい?」

頭の男がそう言うと、10人ほどの人相の悪い男衆は、手に手にドスを取り出して、さっと雹の周りを囲んだ。雹は相変わらずポケットに手を突っ込んだまま笑って言う。

「おいおいおい、何を勘違いしていやがる? 『月輪』とか何とか、そんな菩薩様みてぇな名の女、俺ぁ知らねェぞ?」

「しらばっくれるな! わざと俺っちと長話して、『月輪』を逃がそうってェ魂胆だろうが、その手は桑名の焼き蛤でぇ。正直に話した方が、身のためだぜ? 旦那よぉ」

「だから、俺は何も知らねェって言ってるだろうが? 先にも言ったとおり、俺ぁ吉原自体にまだ行ったこたぁねェンだ。どこのお座敷の兄ちゃんか知らねェが、その『月輪』を足抜けさせるほどの上客だったら、俺の顔を知らねぇ訳ゃねぇだろ? 俺の顔をいっぺんでも座敷で見たことがあるかい?――ねェだろう? 自慢じゃねェが俺ぁ、花魁様と飲めるほど稼ぎがよくはねェンだい」

「…………野郎ども、ワッパ仕舞いな、ほかを探すぞ……旦那、あんた、相当できるね? その度胸に免じて、旦那の『知らねェ』って言葉を信じやすぜ。行くぞ、野郎ども!」

頭の男がそう言うと、男たちは雹の顔を憎々しげに見ながらドスをしまい、頭とともに走り出した。

「……『月輪』か……こりゃただの足抜けってわけじゃなさそうだな?」


結局、僕たちはあの女の人を見つけることができずに『頼まれ屋』へ戻った。すでに雹さんは帰って来ていて、デスクに座って『少年マンデー』を読んでいた。

「よお、清正、霙、ご苦労さん」

雹さんは『少年マンデー』から顔を上げると、そう笑って僕たちをねぎらってくれる。

「あかんで雹ちゃん。あの姉ちゃん、とうとう見つけられへんかった。雹ちゃんはどないやった?」

「俺もさ。しかしあのねェちゃんの名前は分かった」

「えっ!? 何て名前ですか?」

僕が訊くと、雹さんはつまらなさそうに言う。

「月の輪と書いて『月輪』というそうだ」

その時、玄関のベルが鳴った。霙ちゃんが僕に顔を向けて言う。

「キヨマサ、はよ出らんかい?」

「ええっ!? どうしていつも僕が!?」

「当たり前や、雹ちゃんはマスターでうちはヒロインやで? こういう時は下男の出番とちゃうねんか? なあセバスチャン」

「誰がセバスチャンだ!? このチネッテが!」

僕はそう言いながらもソファを立ち、玄関へと向かう。ああ、悲しい位身についたこの習性、どうにかならないかなぁ……。

「はい、お待たせしました。どうぞ」

僕が言うと、玄関のドアが開き、そこには『真徴組』の玉城さんが立っていた。

「玉城さん、お久しぶりです。何ですか、珍しいですね?」

僕が言うと、玉城さんはニヤリと笑うと靴を脱いで事務所へと上がってきた。

「よう、タマキン君、久しぶりだねェ?」

雹さんが言うと、玉城さんは

「いや、雹の兄ぃ、俺、玉城です。今日はちっとばかし話がありやしてね?」

そう言いながらソファに腰かける。

「珍しいな。俺に何の話だい? 言っとくが、金を貸してくれなんて話はダメだぜ。オータムジャンボが当たらなくて、俺の財布もおー寒だからな?」

雹さんがそう言うと、玉城さんはニコリと笑って言った。

「いや、前のページで兄ぃたちが話してた『月輪』の件で、ちょいと兄ぃに相談がありやしてね?」

――何なのこの人ぉぉぉ! 『前のページ』って何のことぉぉ!?

僕は、玉城さんの斜め上にかっ飛んだ話し方に、そう心の中でツッコみを入れる。しかし、雹さんはどこ吹く風といった表情で、玉城さんに聞いた。

「タマキン君、君、ひょっとして吉原に登ったことあるの? その歳で?」

「冗談言っちゃいけやせんぜぇ、兄ぃ。おいら、これでも女買うほどのすれっからしじゃねェ。その点ではおいらはいたっていい子なんでさぁ」

玉城さんがそう笑うと、霙ちゃんが混ぜっ返す。

「その割には、性格と性根がすれきってるやんけ?」

「てめぇよりはマシでぇ、このチビ助が」

玉城さんはそう言うと、雹さんに言う。

「実は、ここ一月ほど、この東京の街中で、女の死体があちこちから発見されるんでさぁ」

「女の死体?」

雹さんが眉を寄せて訊く。玉城さんは、霙ちゃんが出したお茶を一口すすって、続けた。

「それも、みな別嬪の格子や散茶クラスの花魁でさぁ」

「それは、殺されたってことかい?」

雹さんが聞くと、玉城さんは唇を歪めて言う。

「ねェ、兄ぃ、格子や散茶と言えば、花魁クラスの女郎だ……それが新造とか禿なら、いじめられて吉原を抜け出し、男衆に見つかって成敗されたってことで、ひでぇ話じゃあるがそれなりの理由わけはありやすがね? しかし、殺された女たちの中には、いっぱしの部屋持ちで浮名を流した奴らもいる。そんな花魁たちが、ここ一月で10人もお六になってるのは、ちと解せなかったんでぇ」

「つまり、『月輪』が『真徴組』に助けを求めたって言うわけか?」

 雹さんが言うと、玉城さんはニコリとして、

「さすが兄ぃだ。話が早ぇや」

そう言うと、またお茶を一口すすって続ける。

「本来、俺たち『真徴組』は“吉原仙厓境”の奴らともつながっていて、たとえば新造や禿が逃げたりした場合、俺たちにも吉原から捜索願と協力願いが出されるんでさぁ。そう言った時は、俺たちも捜索にできる限り協力するし、見つけ出した場合は保護して吉原に連絡を入れやす。そうすっと、吉原の自警団である『青鞜』の奴らが引き取りに来るって寸法でさぁ」

「ちょっと待て、タマンキ君。『青鞜』って奴らはどんな奴らだ? 俺が出逢った男衆も言っていた。荒仕事はその『青鞜』の連中がするってな?」

雹さんが聞くと、

「知っての通り、吉原は治外法権の場。シャバでの刑法や刑事訴訟法なんかは適用されない場所でさぁ。しかし、それじゃ治安が悪くなりすぎて仕方ないってんで、腕利きの女郎衆を集めて作られた武装集団、それが『青鞜』でさあ。奴らは全員、青いニーソを穿いているのでその名が起こったそうですが、ニーソっていう萌え要素がある形の割にゃ、腕は凄く立つ連中ですぜ? 今は、確か不知火って女がその頭領らしいですがね?」

玉城さんはそう答えて、一息入れる。

「話は戻りやすが、今回の『月輪』。こいつは吉原仙厓境で最も位が高い、たった二人の太夫の一人なんでさあ。実の姉の『天照あまてる』とともに、実質的に吉原の女郎衆を束ねていたのが、この『月輪』なんです。けど、今回、吉原からは『月輪』の出奔について、少しも連絡が来ちゃいねェンです。不思議でしょ? ツートップのうちの一人が足抜けしたって言うのに、俺たちに何の連絡もないんです……で、おいらは、“ははぁん、こりゃ吉原の奴らは内々に『月輪』を始末するつもりだったんだな”って思いやしたよ」

「そうかもしれないな……しかし、そうなると、『月輪』って花魁は姉の『天照』ってやつと仲たがいしたってことかい?」

雹さんが聞くと、玉城さんはニヤリと笑って言った。

「そのことについては、ご足労ですが兄ぃに屯所まで来ていただきたいんで……松平さんが兄ぃを連れて来いっておっしゃってるんでね?」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「やあ、よく来てくれた。鳴神氏」

『真徴組』の屯所に着くと、前回の事件のこともあり、松平さんや俣野さんは僕たちを下にも置かぬもてなし振りで迎えてくれた。

「俺たちをここに呼びだすなんて、どういう風の吹き回しだい? 前回のこともある、アンタらと関わり合いになると碌なことがねェが……」

雹さんが言うと、松平さんは“仏の権兵衛”そのままの笑顔で言う。

「わっはっはっ、ちと手厳しいご挨拶だな鳴神氏。話のあらましは織部から聞かなかったか?」

「……と、いう事は、タマンキ君を俺たちの所に差し向けたのは松平さん、あんたってことかい?」

雹さんが言うと、松平さんは笑顔のままこともなげに言った。

「そうだ。織部から聞かれたことと思うが、“吉原仙厓境”から厄介ごとを持ちこんだ女がいる」

「それが太夫の『月輪』って女かい?」

「そうだ。知ってのとおり、“吉原仙厓境”は治外法権の場。俺たち『真徴組』もおいそれとは手が出せない。政府もそこの自治や治安については表向きノータッチだ」

松平さんがそう言うと、俣野さんが目を細めて説明を引き継ぐ。

「表向きノータッチとは言いながら、一応、政府内では内務卿の小久保大臣の管轄にしてある。それは、いつか話したように、“吉原仙厓境”の実質的なオーナーが『シャドウ・キャビネット』の連中だからだ」

僕たちが怪訝な顔をしたから、雹さんが僕たちに小声で説明してくれた。それによると……

――『シャドウ・キャビネット』とは、世界的大企業のトップで構成された機関で、マウント・フィフス社が音頭を取って世界の国々の政治を思うままに操っている。話によると『シャドウ・キャビネット』は、マウント・フィフス社会長であるハッシュ・グラントをチェアマンとし、全員で11名の企業代表で構成されているらしい。

そのメンバーは、ハッシュ・グラントの他にマ社代表6名、ラックフェロー社社主アルフレッド・ラックフェロー、ハーネギー鋼鉄財団会長マイク・ハーネギー、インターネット販売業である『ヒマラヤネット』の社主ラリー・ページ、寒損電子の創業者李投機の11人からなるらしい。ものを知る人たちからは“世界の司令塔”と呼ばれ、『サムライ派』の志士たちからは諸悪の根源として、いわばラスボス扱いされている人たちのことだった。

俣野さんは、タバコに火を点けて続ける。

「“吉原仙厓境”は、もともと庄司神左衛門を惣名主として、町名主7人で構成された吉原自治会が郭内の自治を行ってきた。しかし、吉原の利権に目を着けた『シャドウ・キャビネット』は、それまでの冥加金の上納だけでは飽き足らず、直接支配をもくろんで、先代庄司神左衛門の死去と同時に、惣名主名代として配下の人物を吉原に送り込んできた。それが、今のエグゼクティブ・プレジデントのアーノルド・シュランツェネッガーだ」

「ふうん……。先代の庄司神左衛門は幾つだったんだい?」

「確か、50だったと聞いている」

俣野さんの答えを聞いた雹さんは、きな臭い顔をして言う。

「……『シャドウ・キャビネット』の奴らが殺らしたんじゃねェか? その歳で都合よくおっ死んじまうもんかね?」

「アーノルドが惣名主になった後、続けざまに町名主6人が6人とも事故とか病気で死んでいるからな、その可能性は捨てちゃいねェ。しかし、何分にも俺たち『真徴組』じゃ吉原には手を出せねェ」

松平さんがそう言うと、雹さんは腕を組んで

「で、その代わりに俺たちがその酒乱ツェネッガーにナシつけに行けと?……冗談じゃねェ! あんた方ケーサツが手を出せねえものを、俺みたいなパンピーがどうしたらいいってんでぇ?」

そう首を振ると、俣野さんが沈痛な顔をして言った。

「……だろうな。だが、鳴神よ、一応ここまで来たんだ、『月輪』の話だけでも聞いて行っちゃくれないか? それを聞いたうえで、あんたがどうしようと、俺たち『真徴組』は何も文句言わねェよ?」

「……話聞くだけだぞ? “吉原仙厓境”のツートップの一人って女がどんな奴か、話のタネに会ってみるだけだからな?」

雹さんはそう言って腰を上げた。


その女は、ゆっくりと布団から身体を起こした。身体のあちこちが痛むのか、姿勢が変わるたびに、その整った顔を歪めていたが、声は立てなかった。

「姉さま……」

女は、布団の上に座りなおすと、長い黒髪をなでながら言う。女は結っていた髪をおろしていた。

女の名は、『月輪』。“吉原仙厓境”で姉と共に、たった二人の太夫として活躍している現役の花魁である。その彼女が、今は『真徴組』の屯所の一角にある部屋に、その身を横たえることとなってしまっていた。

「月輪さん。目が覚めましたか?」

襖の外から、女の声でそう聞いてきた。月輪はか細げな声で答える。

「あい、つい今しがた目が覚めたでありんす」

「じゃ、失礼しますね? 夕餉の準備が出来ましたんで」

襖を開けて現れたのは、『真徴組』の6番組肝煎で紅一点の中西琴陸軍大尉であった。琴はニコリと笑うと、襖を開けたまま言う。

「気分はいかがですか?」

月輪は、少し青白い顔を横に振るという。

「もうだいぶ良くなりんした。本当にお世話になりんした」

「ずいぶんとひどい目に遭ったみたいですね? まずは、ご飯をしっかり食べて、健康を取り戻しましょう」

琴はそう言うと、小さなテーブルの上におかゆと味噌汁、香の物を載せて、月輪の前まで運ぶ。月輪はその料理をちらりと見たが、首を振って言う。

「美味しそうでありんすけど、あちきは姉さんのことが心配で、食事ものどを通りません」

「そんなこと言っちゃダメですよ? 食べないと何もできません。少し無理してでも、一口でも食べてください。ここは『真徴組』の屯所です。誰もあなたに手出しはできませんから……ね?」

琴がそう勧めるが、月輪は顔を伏せているばかりである。そこに、松平たちが雹を連れてやって来た。

「琴、月輪さんの具合はどうだ?」

「あ、総括。今、目が覚められたので、お食事をお持ちしたところですが……」

「食べたくないと仰られるのか?……無理もない」

松平はそう言うと、月輪の部屋の外から優しい顔で聞く。

「無粋な男連中ですが、ちょっと部屋に入れていただいてもよろしいですか?」

月輪は、松平の優しい顔を見ると、頬を染めてうなずく。松平は「では、お邪魔します」というと、俣野大佐、織部少佐、そして雹たち『頼まれ屋』の三人を連れて部屋の中に座った。

「?」

月輪が雹たちを見て眉をひそめたが、雹の金髪を見てはっとして言った。

「そちらはんは、あの時、あちきとうつかりんしたお方はんどすな?」

「ああ、あんなとっさの出来事を覚えていてくれるなんて嬉しいぜ」

雹が言うと、松平は怪訝な顔で聞く。

「こいつと知り合いでしたか?」

「あちきがここへ逃げてくるときに、曲がり角でうつかりんしたお方どすえ。あちきがそこを立ち去った後、あちきをつけてきた男衆を引きとどめておいてくれはったお方どす」

月輪が言うと、雹は首を振って言った。

「何か仔細があると思ったんだ。女一人を男衆が追いかける時ゃ、だいたい男の方がワリィって相場が決まっているからな? 無事にここまで逃げられて幸いだったな」

そして、雹は自己紹介をした。

「俺ぁ、この十二支町の龍崩地区の鎮守社『鳴神神社』の神主で、『頼まれ屋』っていう何でも屋をしている鳴神雹って言うんだ。以後よろしくな、月輪さん?」

すると月輪も頭を下げて言う。

「あちきは、“吉原仙厓境”で右鳳太夫をしてありんす、月輪太夫いうどすえ。以後良しなに、鳴神雹はん」

「よせやい。俺ぁ無粋な男だから、そんな畏まって呼ばれたらかたくなっていけねェ。俺のこたぁ“雹さん”でいいぜ」

雹が照れて言うと、月輪はその顔がおかしかったのか、くすりと可愛らしい笑みをこぼして言った。

「あい、雹はん」

雹は、月輪の笑顔に一瞬見とれたが、こちらも笑顔で聞いた。

「早速だが、俺がここにいるのは、この松平さんからあんたの今後について相談に乗ってやってほしいと頼まれたからなんだ。まずは、吉原でツートップを張っていたあんたが、なぜ吉原を足抜けしなけりゃならなかったかを聞かせてほしい」

すると、月輪はとたんに顔をこわばらせて、雹の顔を怯えたように見た。雹は優しい顔をして言う。

「こちらの玉城君からも、今、東京のあちこちから発見されている花魁のお六についての相談を受けたんだ。吉原で何が起こっているんだ? 俺の手でよければ、貸してやりてぇんだ」

「ありがたいお言葉でありんすが、堅気の方を巻き込みたくないんどす……」

「庄司神左衛門は、何で死んだんだ?」

雹のその言葉に、月輪はハッとした顔を上げる。雹はニコニコしながら言った。

「なあ、月輪さんよ? 俺ぁあんまりややこしいことに手を出したくはねェ。だいたいが俺ぁぐうたらな男だからな。けどな、人間、お天道さんを真っすぐ見て歩けって、さるお方から教えられて育ったんだ。空を仰げねぇほど元気をなくしている奴には力を貸せ、それが『サムライ』だってね? 吉原の内情はある程度この松平さんから聞いた。そのうえで、俺が推理したのは次のとおりだ。違っていたら後でこっそり教えてくれねェか?」

雹はそう言うと、ゆっくりと言った。

「元来、吉原は庄司神左衛門と町名主がその町を治めていた。政府には冥加金を支払う約束で自治を取り付けてな? けれど、政府よりもっとお偉い機関が、吉原の利権に注目し、先代庄司神左衛門を殺害してアーノルドなる男を吉原に送り込んだ。しかしアーノルドは吉原を私物化しようとして町名主たちを殺し、独裁体制を築いた。殺されて東京で見つかった花魁たちは、その町名主たちのお抱え芸妓だ……違うかな?」

雹の話を聞きながら、月輪は涙を流していた。やがて雹の話が終わると、月輪は静かに話した。

「先代の庄司神左衛門は、あちきと姉さんの父でありんした」

「そうだろうと思っていたよ」

雹が言うと、月輪は不思議そうに聞く。

「どうしてそう思われたんどすえ?」

雹はこともなげに答えた。

「俺とぶつかった時、あんたがつっかけていた草履……それに吉原の庄司神左衛門の屋号である“松永屋”の屋号が入っていた。あんたは庄司の家のお抱えだ。吉原の総元締めの太夫が危険を冒してシャバに出て、『真徴組』に転がり込むなんて、よっぽどのことだぜ? だから俺ぁ、十のうち六・七は、アンタと姉貴は庄司の血がつながったもんだとここに来た端から思っていた」

月輪はうなずくと言った。

「父は、あくまで冥加金を増やすことで『シャドウ・キャビネット』の申し出を断るつもりでありんした。吉原の自治は女たちの自由を守るためのものだと……その話をしに政府に行った帰り、父は何者かに殺されたんどす」

「殺されたってのは確かかい?」

雹が訊くと、月輪はその目を雹にひたと当ててうなずいた。

「吉原大門前で袈裟がけに斬られて……斬った男は『鬼面夜叉』どす。相手が『鬼面夜叉』どしたら、あちきらでは敵いません。そして『シャドウ・キャビネット』から『鬼面夜叉』の下手人を引き渡す条件で、アーノルドが送られてきたんどす」

「とんだ出来レースだな? 最初から『鬼面夜叉』と『シャドウ・キャビネット』はつるんでいたに違いねェ……そのアーノルドって言う男は、どんな奴だい?」

雹が訊くと、織部がそれを引き取って答えた。

「そいつぁ、おいらの方から説明しまさぁ……。アーノルド・シュランツェネッガーは、現在43歳で、元々は世界的に有名なフランスの外人部隊出身でさあ。その後、25歳の時に世界的な傭兵部隊である『グ○イル傭兵団』に所属。その圧倒的な武威により、団長のグレイ○やその息子のア○クに次ぐほどの声望を得た人物です。その後、アイ○と仲たがいして『グレイ○傭兵団』を退団し、自分で特殊部隊『ブラックベレー』を創始しやした。『ブラックベレー』は『明示の乱』初期に、政府と組んであちこちで『サムライ派』と戦っていやす。その時、吉原のことも聞きこんだんでしょう」

「歴戦の男ってわけか……」

雹が言うと、俣野もうなずいて言う。

「こちらで調べたスペックでは、身長210センチ、体重150キロ。普通の男では振り回せないような豪剣を揮う男で、それなりに戦術眼も持ち合わせている。1年前に『ブラックベレー』を後継者に引き渡し、自らは『マウント・フィフス社』の取締役兼吉原惣名主となっている。しかし、現在は『マウント・フィフス社』が何故か彼のことを悪く言っている。前回の事件のこともある、『鬼面夜叉』の連中も出張っているかもしれねェ……だから『真徴組』ではなかなか手が出せねェンだ」

「……アーノルドは、吉原の経済力を使って、世界の覇王となろうという野望を持っておりやんす」

月輪が、ぽつりと言った。雹は静かにその横顔を見つめて言う。

「……魔王の間違いじゃねェか?」

すると月輪はかすかに笑って言った。

「雹はんの言うとおりどす。アーノルドは大魔王どす。それで、あちきと姉さんは、それを阻止しようと『真徴組』に吉原で起こっていることを知らせに来たんどす。アーノルドは、吉原の稼ぎが年間2兆円を超えることに目を着け、自分を派遣した『マウント・フィフス社』に冥加金を送ることを渋り始めたんどす。その金で吉原に天下の浪人を集め、ひと戦を考えているようでありんす。そのためにあちき等の父をはじめ、町名主の皆を殺し、反対する者や情報を外に漏らす者を次々と亡き者にして行ったのでありんす」

「ふん、2兆か……確かに想像できないほどの額だが、天下を狙うにはその程度では足らねェな」

雹が言うと、俣野が頭をかきながら言う。

「だが、金と権力に目がくらんだ奴の判断を狂わせるには十分すぎる額だ。その金で自分のもといた『ブラックベレー』を雇って、天下を狙う兵を挙げるつもりなら、ゆゆしきことだぜ、権兵衛さん」

「藤、それはその通りだが、アーノルドは一応、合法的に『シャドウ・キャビネット』が任命した吉原惣名主だ。それを俺たち武装警察風情がのこのこと吉原に出張って行くわけにも行かねェぞ?」

松平がそう言って考え込む。雹は、月輪に視線を移した。月輪は、白綸子の寝巻を着て、ゆっくりと布団の上に座っている。最初は疲れたような表情をしていたが、話をしているうちに吉原や姉のことを思い出したのか、ふつふつとたぎる怒りといった感情が浮かんだのだろう、顔をやや紅潮させてじっと男たちを見ている。

その表情の中に、凛呼としたものを見て、雹は薄く笑うと首を振った。このねェちゃん、いい目をしている。きっとこれが吉原で太夫を張っている誇りというものなんだろうな……。

「月輪さん、女に歳を聞いて無粋だが、今年幾つになる?」

雹が不意にそう聞くと、月輪は少し頬を染めて答えた。

「24でありんす」

「姉ちゃんの『天照』は?」

「姉は双子でありんす」

「つかぬ事を聞くが、おたくたちには弟さんはいねェかい? 年のころは22・3の」

雹が訊くと、月輪はニコリとして答えた。

「旦那には、何も隠せないどすな? 三代目庄司神左衛門となるはずどした、伊織という今年22になる弟がありんす。弟は、今、狛犬の長治という名で吉原の門番組をまとめています」

「もちろん、長治さんのことはアーノルドは知らねェンだろうな?」

雹が言うと、月輪はうなずいて言った。

「知られたら殺されますえ?……門番組の皆さんも、伊織のことをみんなで守ってくれています」

雹は目を閉じて笑うと聞いた。

「ところで、あんたら二人とも、決まった旦那はいるのかい? 神左衛門が生きていたとしたら、そろそろ身請けって話も出ていたろう?」

雹は、目の前に座る女にそう言って、ニコリと笑う。月輪は、ぶしつけな雹の質問に、柳眉を逆立てようとしたが、その雹の笑顔に、いささかも花魁を小馬鹿にした様子がないことを感じ取り、同じく笑って言った。

「左龍太夫『天照』と右鳳太夫『月輪』、あちき等は、吉原の華にありんす。華は咲いてこそ華にありんす。そして、華は手に届かないものにありんす。あちき等は、惣名主様がたとい何とおっしゃろうと、あちき等の心のままに華を咲かせよう――そう姉さまと話をしておったんどす」

そう言う月輪の顔は、吉原の名を代表する花魁としての誇りに満ち、輝いていた。

「もちろん、吉原に来る女子は、貧しいところの娘も多いどすが、あちき等はそんな禿はんたちも生きていくための最低の知識は必要いう事で、吉原独自の寺子屋なんかも開いているんどす。まちの治安は惣名主と町名主の責任、けど女郎たちの身の振り方や給金などは、女郎といえども一人の女として女郎のみんなの手で決める……それがあちき等のやり方どした。悪い男に引っかかり、子供を抱えてしまう新造さんもおりはるし、禿を苛める男衆もおる。吉原は苦界とはいえ、あちき等花魁には、その苦界で生きる女たちの希望になり、苦界を楽界に近づける義務もあるんえ? 雹はん、お分かりどすか?」

凛とした月輪の言葉と態度に、男たちは声も出なかった。雹は月輪の言葉を聞き終わると、目を閉じて何かを考えていたが、やがてふうと息を吐くと、ニコリとして言った。

「華は咲いてこそ華、届かぬところに心のままに咲くその吉原の華……見てみたくなったぜ。俺ぁ今まで一度も吉原に行ったことはねェ。見物がてらに行ってみようか」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「いいか、吉原ってとこは、大人の男のパラダイスだ。本当はお前たちのようなガキが出入りしていい場所じゃねェが、今日は特別に仕事で連れてくんだ。あまりキョロキョロすんなよ?」

雹さんが、心なしかそわそわして言う。話によるとかなりヤヴァい仕事らしいのに、雹さんってば普通に座敷に上がる旦那のように鼻の下を伸ばしていた。

吉原は、ずっと昔は日本橋人形町にあり、その後浅草寺裏の日本堤に移転した。『明示の乱』以前は東京都台東区と呼ばれていたところであり、以前僕が来た秋葉原の北北東に位置する。

雹さんは、いつものとおり群青色の詰襟シャツに群青色のブルゾンを羽織り、群青色のメンパンに黒いバッシュをつっかけ、太い革ベルトには『阿蘇山』『草千里』と彫られた大小の木刀を腰にぶっ差したスタイルだった。もちろん僕たちもいつもの服装だったが、雹さんから注意されて『頼まれ屋』の縫い取りをした制服ブルゾンは着て来なかった。

雹さんは、吉原の大門をくぐり、悠々と日本一の遊郭の中に足を踏み入れたが、初心な僕は“遊郭”と聞いただけで足が震えるのを禁じ得なかった。

「何や、キヨマサ。足震えとるやんか? 怖いんか?」

霙ちゃんがいつもの胸に“FUMA”の縫い取りがある真っ赤なジャージ姿で聞く。僕は顔を赤くして言った。

「ぼ、僕は未成年だから、ちょっと恥ずかしいんだ。霙ちゃんこそ顔真っ赤だぞ?」

「う、うるさいわい! うちかて清純な14歳や、仕事でなければ恥ずかしゅうて入れんわ!」

そう言い合っていると、向こうの方からちょっと小粋な感じがする、目の鋭い若い男が歩いて来て、僕たちを見つけると寄って来て言った。

「旦那、この間はご迷惑をおかけしましたね? ところでここは18禁の場所ですぜ? 未成年の坊ちゃん嬢ちゃんを連れ込まれても困るんですがね?」

すると雹さんはニコリとして言った。

「ああ、別にかまわねェよ。あんなところであんたに声をかけられたのも何かの縁だと思ってね。今日はうちの従業員を連れて社会科見学に来たんだよ。ところで探し人は見つかったかい? 伊織さん」

すると男はびくりと肩を震わせて、辺りを見回すと言った。

「旦那、どうしてあっしの名を?」

雹さんは笑って言った。

「聞くだけ野暮ってもんさ。もちろん、俺はあんたの味方だ。いや、吉原の女たち全部の味方さ。吉原の華から頼まれて、女たちの自由を取り戻しに、もう一輪の華に会いに来た。兄さん、『天照』に会うには、どうしたらいい? 教えてくれないか」

すると男――狛犬の長治、つまり伊織――は、疑い深そうな目で雹さんを見ていたが、やがて首を振って言った。

「諦めなせえ。『天照』はアーノルドの旦那だけの花魁だ。他の座敷には上がらねェ」

「そうか、それは残念だ。せっかく妹の消息を聞きこんだんだがね……。何でも妹さんは二人きりで会いたいそうだから、『天照』さんに直接耳打ちしたくてね? そう言う事なら出直そうか。おい、清正、霙、帰るぞ」

「え~っ! 雹ちゃん、せっかく来たんや。ちょっとそこの茶屋でお団子でも食べて行かへんか?」

霙ちゃんがそう言うと、雹さんは慌ててどこかへ駆け去っていく伊織さんをちらりと見て言った。

「じゃ、一皿だけだぞ?」

「うわ~い! 雹ちゃん、恩に着るで。キヨマサ、はよ頼まんかい!」

「うん、じゃ、お姉さん。団子を3皿お願いします」

僕と霙ちゃんは、店先に出された蓮台に座ると、お店のお姉さんが持ってきてくれた団子をパクリとほおばる。雹さんは片手をブルゾンのポケットに突っこんだまま、出されたお茶をすすっていた。

と、そこに、白綸子の着物を着流しにした女が現れ、道をはさんで雹さんの前に突っ立った。女は茶色の髪の毛を後ろで束ねてお団子にし、前髪は白い額にはらりとかかるくらいに伸ばしていた。細面できつい目つきをしてタバコをくわえ、煙をふうと吐き出しながら雹さんを見ている。非常に美人だったが、惜しむらくはその右目に額からあごにかけて大きな刀傷があった。その傷がなく、目つきが優しければもっとかわいい女性に見えるだろう。

「よう、そこの別嬪さん。そんなにジロジロ見られたら照れるんだけどコノヤロー。こっちに来て一緒に団子でも食わねェか?」

雹さんがそう女に声をかけると、その女はタバコをくわえたままこちらに歩いてくる。その着物の裾からは、青いニーソが見え隠れしていた。女は雹さんの前まで来ると、静かな声で言った。

「わっちの名は不知火、吉原自警団『青鞜』の首領でありんす。兄さん、初見のようだが『天照』様に会いたいそうじゃないか?」

「へぇ、さっきの男、なかなか気が利くじゃないか。『天照』さんに会う方法を知らせに、わざわざこんな別嬪さんをよこすなんてな」

雹さんはそう言うと、左手をブルゾンのポケットから出した。僕と霙ちゃんはそれを見て、蓮台から立ち上がる。雹さんが手をポケットに入れている時は、そんなに緊張しなくていいが、両手とも使わざるを得ないような相手である場合、僕たちがそばにいては邪魔になるときがある――その時が、まさに今だった。

不知火は、冷たい目で雹さんを見つめながら、無機質な声で言った。

「悪いが、『天照』様は、一見さんはお断りでありんす」

僕には、不知火の身体に、ゆらりと陽炎が立ったように見えた。

「清正、霙、ちょっと離れてろ」

雹さんがそう言った瞬間、不知火は後ろに差していた脇差を抜き討ちにする。と同時に、雹さんの左手、店の奥から何かが飛んできた。

「!」

不知火は目を見張った。右からの脇差での居合斬に左手からの手裏剣攻撃、たいていの相手はこれでお陀仏になる。ちょっとばかり腕が立つ相手でも、後ろか上へと跳ばざるを得ない。しかし、跳んだ場合、上なら手裏剣が、後ろなら不知火の二の太刀が追って来ることになり、主導権を奪えない……雹さんはそう見切ったのか、僕たちが食べていた団子が載っていたお盆で手裏剣を受け、不知火の斬撃は『草千里』の小木刀で止めていたのだ。

雹さんは左手のお盆を店の奥に投げつける。それは見事に、次の手裏剣を撃とうとしていた女の顔を直撃した。そして開いた左手で『阿蘇山』の大木刀を抜き討ちにする。不知火はその攻撃を辛くもかわし、後ろへと跳躍した。

「ねェちゃん、せっかくお近づきになれたんだ。そんなに慌てて逃げるこたぁねェだろう?」

雹さんはそう言いながら、不知火へ『草千里』で突きを放つ。それを避けたところに『阿蘇山』の逆袈裟が入る。不知火は目を細めて雹さんの太刀筋を読もうとしていた。

「ぬし、なかなかやるの? これはわっちも本気を出さんといけんようじゃ」

脇差を横に構えて不知火が言うと、雹さんは二天一流の構えを崩さずに笑って言った。

「オイオイ、何で斬り合いなんかしなきゃいけねェンだよ? 俺はただ『天照』さんに会って、ちょっとばかし力をお貸ししたいだけじゃねェか?」

「力を貸す?」

不知火がそう言うと、雹さんはそのままの構えで言う。

「そうさ、近ごろの吉原の話は聞いている。だから俺はお節介に乗り出してきただけだ。アンタみたいな別嬪さんとは、こんな所で抜き身を交えたくないなぁ。せっかくなら、ベッドの中で俺の抜き身をアンタの鞘に納めさせてくれねェか? たはっ!」

「聞くに堪えぬ雑言! わっちは『青鞜』の首領じゃ! そのような真似はせぬ!」

――あ~あ、また出ちゃったよ雹さんの悪い癖が。何で雹さん、美人と見ればあんな口説き方しかしないのかなぁ? それも戦いの最中に。あれじゃ誰にだって悪ふざけとしか聞いてもらえないよ……。

僕がそう呆れて見ていると、不知火は顔を真っ赤にしながら、雹さんに鋭い斬撃を続けざまに繰り出す。これには雹さんも閉口して、ゆっくりと脇差をあしらいながら後ろへと下がって僕と霙ちゃんに言った。

「こりゃいけねェや。霙、清正、一時撤退だ。大門まで逃げろ!」

橋の上で雹さんがそう言った時、

ドキュ――――ン!

鋭い鉄砲の音が響き、雹さんの土手っ腹に小さな赤い花が咲いた。

「不知火の姐さん、やけに苦戦してたじゃねェか?」

声をかけてきたのは、さっきの男――狛犬の長治だった。長治はエンピール銃を片手に、雹さんにニコリと笑いかける。

雹さんはぼんやりと自分の腹に咲いた赤い花を見ていたが、ニコリと長治と不知火に笑いかけると、そのまま欄干を越えて川へと落下し、大きな水しぶきを上げた。

「雹さ――――――んっ!!」

「雹ちゃ――――――ん!!」

同時に叫んだ僕と霙ちゃんの前に、不知火がやって来て言った。

「ぬしらにも、ちょっと話を聞きたいことがありんす。わっちと一緒に来てくんなまし。あの男は川から引き揚げたら、ぬしらの所に連れてくるよう言っておいたんでな……おい、男衆、妙な浪人は始末したとお館様と『天照』様に申し上げておくんなまし!」

僕らは、そう言う不知火の後について行くしかなかった。

【第16幕 暗転】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ