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私を探して

作者: 影山 ゆきひろ

私を探して


第一章


はじまり


私を探して・・・。


携帯に届いたメールには、そう書かれていた。

送り主は不明・・・。

携帯のアドレス帳とバッチするものはなかったので、

送り先のアドレスがそのまま表示されていた。


誰だろう・・・。

きっとアドレスを変えたのに、それを連絡し忘れた誰かだろうと思った。


私を探して・・・


君、誰?

僕はさっそく送り先へメールを返信した。


でも、それから丸一日、その返事は来なかった。


なんだよ。イタズラかよ。


送り主の名前も無かったし、文面も意味不明だし、

こちらからのメールにも反応ないし、

結局誰からのものかわからないメールの事は、それで終わりになった。



第二章


失踪


「最近うちの学校の学生が何人か失踪してるっていう話知ってる?」

「都市伝説かなんか?」

「ううん、まじで。」


「え・・まじで?」

「うん。そうらしいよ。」

「誰に聞いたの?」

「友達から・・。」


学生の失踪・・・

こう言うと一大事という感じもするが、

実際僕も、一年生の時に、一時期失踪していたことがあった。


それは、友達に特に話をすることもなく、

夏休みにヨーロッパ旅行で約一カ月間行っていたことがあって、

帰国してすぐに体調不良になり、

検査入院で更に一カ月くらい病院に閉じ込められていたことがあった。


その間も特に友達に連絡することなく、

退院して初めて講義に出席した友達から、

どこに失踪してたのと、

冗談交じりで言われたことがあったけど、

今回の失踪事件とやらも、同じようなことではないかと思った。


「それが携帯も通じなくてさ。」

どうせ料金滞納で止められてるんじゃない?。


「通じないっていうか、出ないんだって。」

あなたが掛けたからじゃないの?


「大事な集まりにも来ないんだよ。」

大事だと思ってるのは君たちだけじゃないの?

「試験の日も来なかったらしいよ。」

履修するのやめたとか?


「それも必修科目だから。」

え・・・。


「しかも全員同じ講義を受けてた子たちでさ。」

集団ボイコット?


「それが、みんな変なメールが来てたらしいの。」

「え?どんな?」

「なんでも差出人不明で、探してくれっていう内容だったらしい。」


「え・・それって。」

「うん。よくわからないんだけど、友達にそういう話をしてたらしい。」


それって・・。


「どんなメールかは見てないの?」

「うん。見てない。」


「それって、これじゃない?」

僕は前に送って来た怪しいメールをその友達に見せた。


「よくとってあったね。」

「うん。何かの時のためってとこかなあ。」

「何かの時って今まさにこの時だね。」


私を探して・・・。


失踪している学生は意外に簡単にわかった。

五人の男子学生が失踪していることがわかった。

いずれも丸山先生の記号学の講義を履修している学生だった。

丸山先生のこの講義は必修科目で、一回でも欠席をすると

それが成績に響くことは勿論、講義の内容もよくわからなくなってしまうので、

まず出席しないということは考えられなかった。


それが或る日、いきなり五人の学生が休んだ。

しかも彼らはその次の週も同様に欠席した。

そして更にその次の週も出席しなかった。

そのことを心配した彼らの友人が、彼らの実家やアパートに足を運んで調べたところ、

旅行に出かけると家族に言い残して、そのまま連絡が途絶えていることがわかった。


中には失踪届を出している家族もあったが、

残りの学生については、こんなことが前にもあったということで、

特に気にもせずに、家族はそのままの放置状態であった。

そのような状況だったので、いなくなった五人について、

不可解な集団失踪ということで、噂になりだしたのは、かなり後の話だった。


どうやら五人が失踪したということになった段階でも、

例のメールの話は出ていなかった。


メールの件が話題になったのは、

その五人のうちの一人の友人が、

実はこんな内容のメールが来たと、話を聞いていたことがあったと、

彼の失踪後しばらくして、友人に話をしたのが、次第に友人の輪で広がり、

そしてそれを端緒に実は僕も、実は私もと名乗りを上げる人が出て来て、

それ以外の四人についても同様のメールを

受信していたことが判明したのである。


彼らの記憶によると、メールの内容は僕に来たものと同じだった。


私を探して・・・。


失踪した五人は、きっと、この「私」を探しに行ったのだと

周りの人々は考えた。


一方で、まさか・・という声もあがった。

誰だかわからない「私」を探しに、しかもいたずらかもしれない

不確かなメールだけで、もう一カ月以上も行方をくらまして、

この人探しに明け暮れるとは信じられなかったからだ。

僕にしても、

最初のインパクトはあったものの、

こちらから送ったメールには無反応だったし、

その後は特にめだったこともなかったので、

この事件は終わったような気がしていた。


ところが、夏休みが終わると、

あの五人も揃って講義に出席して来た。


彼らに話を聞くと、メールによって最初はその「私」を探した探しまくったものの、

結局は情報が得られず、そのうちに人探しの旅から、

純粋な旅行に切り替えて、

あちこちを遊び歩いたということだった。


その話を聞いて、彼らを取り巻く友人たちも、

また興味本位で取り巻いてた連中も一気に熱が冷め、

それでこの件はあっさりと、且つ完全に終息した。


僕もそれまで後生大事に保存しておいた例のメールも

何のためらいもなく消去した。



第三章 追跡


今日は丸山先生の講義。

そして今日はフェルナン・ド・ソシュールのアナグラムについて。

僕はいつも教室の一番後ろの列に座っている。


この席を確保するために講義の始る三十分も前に着席している。

後ろの席だと特にいいことがあるわけではないが、

教室全体が見渡せる位置にいることで、

何故か落ち着いて講義を聴けるということはある。

そういうことから僕は毎回一番後ろの列のしかも一番左はじに着席するのである。


講義が始まって三十分くらいした頃である。

後ろのドアからヒールの音が聞こえて来て、その音が僕の後ろで止まった。


と、突然僕の右横にその女子学生が座った。

彼女はゆっくりと万年筆とルーズリーフを出すと、

そこに先生のしゃべることに合わせて何かを書き始めた。

・・とそう思った。

そして、そのルーズリーフを静かにちぎると、それを僕の方へさっとすべらした。


「私を探して。」


その紙にはそう書かれてあった。


「え?」


僕が呆然として、その子を顔を見る前に、その子はさっと筆記用具をしまって、

そのまま入って来たドアに消えた。

そしてそのまま戻らなかった。

彼女はそれからその講義には顔を出さなかった。


紙切れを渡された日から三回目の講義でも彼女の姿を見かけないことを機に、

僕は彼女を探す決心をした。

私を探して・・・。


彼女には特に親しい友人はいなかった。

ただ彼女を顔だけは知っているという女の子が、

以前何かの名簿を作るために、

自分のプロフィールを書き込んで

みんなで回したということを思い出して、

その中に彼女の住所と携帯のメアドを

知ることが出来たのはラッキーだった。


メアドは記憶では僕に送られてきたあのメールと同じものだった。

確信はなかったが、アイフォンのメアドだったことは記憶している。


そして住所は、意外にも大学の近くのマンションの一室になっていた。

地方から上京して、ここを借りているのに違いなかった。


僕は一路、そのマンションに向かった。

でも彼女がいまそこにいるとはとうてい思えなかった。

彼女はそこからどこかへ姿をくらませてるはず。

それを探すのが僕の役目。


私を探して・・・。


それは僕へのメッセージ。

僕に探してくれと伝えていた。



第四章 


マンション


マンションに着くと、あの名簿にあった部屋にまっすぐ向かった。

部屋の前まで来ると、表札が目に入ったが、そこには何も名前が書かれていなかった。

今でも彼女がその部屋に住んでいるのか、いないのかわからなかったが、

とにかくドアフォンを押した。


ドアフォンの音が部屋の中に鳴り響いているのが聞こえた。

その音は二、三度むなしく繰り返すと静寂の中に消えて行った。

僕はそれを三度繰り返した。


やっぱりもう住んでいないのかな・・。


仕方なくその場を立ち去ろうとすると、

突然隣の部屋のドアが開く音がしたので、

僕はびっくりしてその方向に体を向きなおした。


隣の部屋からは少しむさくるしい感じの男が出て来た。

ドアフォンの音がうるさくて文句を言われるのかなあ。

嫌な予感がした。


「君は隣を訪ねて来たの?」

「あ・・はい・・。」

「いないよ。越したよ。」

「みたいですね。」


いないことはわかったので、軽く会釈をして前を通り過ぎると、

その男は意外な言葉を次に続けた。


「君、彼女を探してるの?」


え・・僕は少し固まった。

そしてその質問に軽くうなずくと、

次の彼の言葉を待った。

「これ渡してって。預かってるよ。探しに来たヤツに渡してって。」

そう言われて、僕は彼から封筒を一つ受け取った。


「なんですか?これ・・。」

「隣に住んでたおねーちゃんが、私を探しに来る男に渡してくれって、

引越しの挨拶の時にそう頼まれたんだよね。」

「探しに来る男って僕のことですか?」

「うん。そうなるね。なので、それ、受け取って。」


僕が探しに来ることをわかってたのかどうかわからないけど、

事実こうして探しに来てるわけだし・・僕へのメッセージと受け取っていいのかな。


「でも僕の容姿とかは言ってなかったんですよね。」

「聞いてないよ。でも探しに来たのは君だから。」


確かにここに探しに来たのは僕だけど、これって僕じゃない誰かが探しに来ても

渡したってことではないだろうか。


「もし僕じゃない人が来ても、渡したんですよね。」

「変なこと聞くね。でも、確かにそうだね。

君の名前とか容姿とか聞いてたわけじゃないし。」


やっぱり・・。


「他に誰か来なかったんですか?」

「来なかったなあ。」

前にメールを受け取ったっていうあの五人はここには来なかったのかなあ。


「あ・・。」

突然その男が何かを思い出したように言葉を発した。


「そうそう・・合言葉を聞いてた。」

「合言葉・・ですか?」

「うん。それを聞いてから渡してって言われてたんだ。」


合言葉?


「合言葉・・言ってみて。一応。」

合言葉・・・。


「あれ。度忘れ?」

合言葉なんて知らない・・・。。


「まあ僕も義務でやってるわけじゃないし、こんなこと面倒だしね。

それに彼女を探しに来たのは君だけだったんだから、

君にその封筒を渡して終わりでいいと思うんだけどね。」


彼女を探しに来たのは僕だけ・・?


「君は彼女を探しに来たんだろ?じゃなければここへは何しに来たの?」


私を探して・・。


僕はその言葉でここに来た。


「私を探して・・。」

「あ・・それそれ。それが合言葉。正解だよ。」


彼は僕がつぶやいた言葉を合言葉だと言って、ドアをドン!と閉めて中に入った。


僕の手には白い封筒が残った。中を開けると一枚の便箋が出て来た。

そしてそこに書かれていたのは・・・。



第五章 光堂


「五月だったかな。雨が降ってたよね。あの光堂で食べたおそば、

あなたがなかなか蓋を出来なくって、食べ過ぎたって言ってた顔が可笑しかった。」


その便箋にはそう書かれてあった。


これっ・・誰に宛てた手紙だろう。

これって、僕に?


五月の光堂で食べたおそば・・いったい何のことだろう・・。

まったく記憶にないことだった。

これを僕に?


いやいや、渡す相手が違ってないかな・・・。

折角もらった手紙だったけど、僕は少し拍子抜けしてしまって、

その手紙をポケットの中に押し込んで帰宅した。


翌日学食で友達に囲まれながら、僕は今までのいきさつを彼らに話した。

「じゃあお前宛ての手紙じゃなかったってこと?」

友達は冷たくそう言い放つ。


「でも講義で渡されたのは確かだしね。」

友達でも少々理解のあるヤツはいる。


「でもおそばを食べたことなんかないんだろう?」

理論的に考えてくれるヤツもいる。

「そうなんだよ。その光堂もおそばも記憶ない。」


「光堂ってどこ?」

その中のひとりがつぶやいた。

でもそのつぶやきは僕への質問に聞こえた。

僕が言葉に詰まっていると、それはみんなへの質問に転化していった。


「お寺?」

「どこの?」

「光ってるお寺?」

「金閣寺とか?」

「そういえば、修学旅行で行ったね。」


正確には京都の鹿苑寺の金閣・・ここへは中学校の修学旅行で行った。

じゃあ、そこで食べたおそば?・・

うーん。でも記憶にない。

でも、もしかしたらそういうことがあったのかもしれないという不安がおそってきた。


「修学旅行で行ったじゃん。

じゃあそこでおそばをその子と食べたっていうこともあったんじゃない?」


そう言われるとあったのかもしれない。でも記憶にない。


「記憶にないなんて、薄情だなあ。」

確かに薄情かもしれないけど、記憶にないものは仕方がない。


「光ってるお堂ということで、太陽が当たるお堂っていうことも考えられない?」

「太陽が当たる・・朝日とか?・・朝日を一緒に見た関係?」

ちゃかされてる。でも勿論そんな記憶も経験もあるわけがない。


「違うよ。雨が降ってたんだろう? じゃあ太陽は出てないよ。」

「あ・・そうか。」

「いやいやお天気雨だったかもしれないよ。」

「太陽じゃなくて、月の光かもしれないよ。」

次第に収拾がつかなくなった。


いずれにしても僕にその記憶がないのだから、この話は続けても意味がなかった。

きっと彼女は誰かと僕を勘違いしている。そう答えを出した。

確かにあの講義の時間であのメッセージを受けたのは僕だけど、

それも彼女の勘違いなら、それはそれで話は収まる。

僕が忘れてしまったというよりも、そもそも彼女の記憶違いなのだから。


この件もあのメールに続いて次第に僕の記憶から消えて行った。


第六章 仙台


五月になった。

突然、僕の親しくしている母の兄の息子さん、

つまり、僕の従兄に当たる人が披露宴の招待状を送って来た。


当日は両親の都合があって出席出来なかったので、

僕が代わりに行くことになった。

会場は仙台だった。

牛タンの美味しい町・・やったぁ!・・


それもあるが、久しぶりの東北への旅行が、

最近マンネリ化した生活に何かインパクトを与えてくれそうで、

急なお誘いにもかかわらず、僕はこの旅行を楽しみにした。


当日、東京駅から東北新幹線に乗り、わずか二時間で杜の都、仙台駅に到着した。

仙台というと、数年ぶりの訪問で、前回はその従兄と青葉城を見て、

プロ野球とサッカーの観戦をした。


その従兄に彼女が出来て、明日結婚というと、なんか信じられない感じがするが、

そう言えば牛タンや新鮮な魚介類を使ったお寿司など、

食べ物には関心がまったくなかった彼が、

やたらそういう食べ物屋へ連れて行ってくれたことを思い出すと、

既にあの時に彼女の存在ないし、影響があったのではないかと気がついた。


駅から従兄の家にタクシーで向かうと、挙式前日だというのに、

意外に落ち着いていて、邪魔になるのではないかと心配していた僕を

快く迎えてくれた。


「急だったから宿も取れなくて、あわただしいけど、うちで勘弁してね。」

伯母さんからそう言われると却って恐縮してしまう。


「この度はおめでとうございます。」

伯父さんと伯母さんを前にして、親から言われたことをしっかり行った。

「まだまだ子どもだけどね。でもおめでたいことだから。」

伯父さんがそう言うと従兄が応接間に入って来た。


「急で悪かったね。でも来てくれてありがとう。」

「あ、おめでとうございます。」

なんか、従兄がやけに大人に見えて、仰々しい言葉遣いになってしまった。


従兄の挙式、披露宴は翌日、厳かに行われた。

初めてしっかりと経験する行事に、ただただ僕は好奇の目でそれを追うだけで、

意外に長かった宴もあっという間に終わってしまった。


新郎新婦はその日は披露宴が行われたホテルに宿泊し、

翌日仙台空港からヨーロッパへ新婚旅行に行くらしい。

僕は従兄のいなくなった伯父さんの家にその日も泊めてもらい、

翌日東京に戻る予定でいた。


披露宴から帰って来ると、お祝いだと言って、

伯父さんが冷蔵庫に冷やしてあったビールを持ちだして来た。

伯母さんがまた飲むのかと言っているようだったが、

それには構わず伯父さんはビールの栓を開けた。


「明日帰るんだったっけ?」

「その予定です。」

「明日ドライブしないか? 帰るのは明後日でもいいんだろう?」


伯父さんも一人息子がいなくなって、寂しいのだろうか・・。

そう思ってビールをコップについでもらいながら、その提案をうなづいて、

了承していた。


翌日のドライブは午後からだったので、すっかりお酒は抜けていたし、

伯母さんも一緒に行きたいと言い出したので、

松島辺りへのショートドライブのつもりが、

もっと遠くへ行ってみようということになった。


「どこがいい?」

伯父さんの唐突な言葉。

「どこがいいかなあ・・。」

ってよくわからないし。

「そんなこと言ってもわからないよね。」

伯母さんの助け船。

「じゃあ松島とか・・。」

思いつくのはそれくらいしかない。

「松島ってこの前行かなかったかい?」

そう言われるとそういう記憶がある。

「じゃあ平泉なんかどうかしら?」


平泉?


「おお・・そうしようか。」

伯母さんの提案にすんなり快諾する伯父さん。

でも僕はそれがどこかわからない。


「中尊寺って聞いたことない?」


あ・・

確か日本史で藤原一族が云々という記憶が・・。

「そこに行ってみよう!」


聞いたことがある場所だけど、行ったことはないし、

日本史で習ったところということも少し関心がわくところだし・・。


「それって宮城県じゃないですよね。」

「うん。岩手県だね。」


更に北へ向かうということがなんとなく楽しかったので、

僕もその提案に同意するように笑顔になった。


仙台から東北道に乗り、

伯父さん、伯母さんと僕の小さい頃の話で盛り上がってるうちに

あっという間に目的地へ到着してしまった。


「岩手県というと遠いっていう気がしたんですが、意外に近かったですね。」

「そうだね。高速も空いてたしね。」


高速を降りると、中尊寺という看板を目指して少し走ると、

やがて大きな駐車場が現れて、そこに車を止めた。

駐車場にはこんな雨の日なのに観光バスが何台も停まっていて、

多くの人が本殿に向かって列を作って坂道を登っていた。


「あの坂道結構急ですね。」

「天気も悪いから、足元を気をつけないと。」


仙台を出て来る時は晴れていたのに、平泉の近くに来ると雨が降りだしたのは、

ここが雨がよく降るところなのか、それとも岩手はやっぱり遠いということなのか。


「お土産は降りて来たら買おうね。」


伯母さんが急な坂を前にして、お土産売り場に関心を示していると、

伯父さんが先手を打つようにそう言った。

坂はたしかにきつく、道も舗装されていない箇所があって、楽には進めなかった。

それでも観光客は多く、ここが有名な観光地であることを改めて知らされた。


「雨なのにすごい人ですね。」

「平泉っていうとやっぱり有名だからなあ。」

「ここでは何が特に有名なんですか?」

「やっぱり金色堂かなあ。」

「金色堂?」

「国宝で、現世に極楽浄土を現わしたものと言われているんだよ。」

「それって金閣みたいに金なんですか?」

「ははは。それは見てからのお楽しみだな。」


しかし、この雨なのに、みんなこの坂を登って、

その金色堂に向かっているなんて、ご苦労なことだと思った。

ぬかるみに足を取られて、靴が脱げている人もいた。


「雨でなければなあ。」

傘もぬかるみもうっとおしかった。


「五月雨の降のこしてや光堂」


え?

「芭蕉だよ。知らないかい・この句。」

「五月雨?・・五月の雨・・まさに今日の日ですね。」

「光堂はこれから行く金色堂を指しているんだよ。」


光堂?


これって、聞いたことがある・・・。

あ・・これって・・。

これって、あの手紙にあったぞ・・。


えっとえっと・・僕は必死になってあの手紙の文言を思い出した。


「五月だったかな。雨が降ってたよね。あの光堂で食べたおそば、

あなたがなかなか蓋を出来なくって、食べ過ぎたって言ってた顔が可笑しかった。」


五月の雨・・。

光堂で食べたそば・・。


え・・。


まさか、ここの話?


「伯父さん!」


いきなり大きな声を出してしまったので、伯父さんがびっくりしている。

「あ・伯父さん、おそば・・ここらへんでおそばって何かありますか?」

「そばって・・岩手だから、わんこそばとか?」


わんこそば!


「それって、あれですよね。大食いかなんかでやるやつで、

蓋をするまでどんどんお代わりをされちゃうんですよね。」


TVの大食い大会でわんこそばのそのような光景を見たことがあった。


「そうだね。それがわんこそばだね。」


光堂で食べたそば・・。

蓋を出来なくて、食べ過ぎた・・・。


って・・やっぱりあれってここじゃん!


僕の意識はわんこそば一色になっていた。

ここでわんこそばを食べなければいけない。

そして、そんな暗示にかかってもいた。


「金色堂にはわんこそばを出すところがありますか?」

「どうだろう。でもそういうお店はさっきの登り口じゃないとないんじゃないかなあ。」


このまま金色堂に行っても、そこにわんこそばがなくては意味がない。

それって下で買って、金色堂まで登って食べるということだろうか。

とにかく、伯父さんには忘れ物とだけ言って、急いで下にあった食べ物屋に一人戻った。



登り口に数件あったお店を端から見て回ると、

その中に「わんこそば」とメニューが出ていたお店があったので、

さっそくその暖簾をくぐった。


「すみません。わんこそば下さい。」


持ち帰りは出来るのかと聞くと、それはやっていないというので、

仕方なくここで食することにした。


しばらく待つこと十分・・。


出て来たのは単なるもりそばだった。


え・・。

あれ?


「すみません。注文したのはもりそばじゃなくて、わんこそばだけど。」

「それがわんこそばですよ。」

え?


「でも、これってもりそばじゃないですか?」

「わんこそばって言っても、いまじゃお椀に小分けして、

いちいち給仕するなんていうことはしませんよ。人件費も掛るしね。

今でもやってるのは花巻とかに行かないと。」


花巻?

平泉じゃやってないんだ・・。


第七章 花巻


わんこそばというと、盛岡と花巻が本場らしいのだが、

僕には直感として花巻がひっかかった。

それに盛岡は遠かったので、伯父さんを説得するのも難しいかとも思われた。


僕は伯父さんにもう少し足を伸ばして、

是非花巻に行ってみたいと話をしたのである。


伯母さんは花巻温泉なんかいいねという話をしたが、

それほど時間の余裕があるわけではないので、

とりあえず目に付くものがあればそこに寄って、

後はまっすぐ仙台へ帰ろうということになった。


花巻・・。


彼女を探して僕は平泉に来て、そしていま更に北へと向かっている。

果たして花巻が正しい行き先なのか、まったく自信がなかったが、

そば屋のおばさんのあの一言で、

何故か今、こうして目的地を花巻に確定していた。


「でもどうして花巻へ行きたいなんて思ったの?」

伯父さんが当然の質問をして来た。


「わんこそばがちょっと食べてみたくって。」

「ああ・・そっか。」

伯父さんと伯母さんが笑ってる。


でも、わんこそばを食べたところで、

彼女の行方のヒントなど見つかるのであろうか・・。

そもそもあの手紙に書いてあったことは、彼女を探す暗号だったのだろうか。

そして平泉に来たことも、その行方を探す道のりとして正解であったのだろうか。


僕はまったく勘違いの行動をしてしまっていて、

何の収穫も得られないどころか、

まったく無意味なことをしているのではないかという不安をも持ち合わせていた。

けれど、今はこう行動するしか仕方がなかった。

また最悪、これが無意味な行動だとしても、

結果、楽しい旅行が出来たのだから、それはそれでいいという思いもあった。


花巻市内に入ると、さてどこへ行こうかと目的を失った。

花巻と言うと・・。


確かにわんこそばを食べに来たという建前であったが、

お腹もそんなにすいてなかったので、

何か名所旧跡を回って、それで仙台に戻ろうということになった。


確かにわんこそばを食べたところで、

そこで彼女の手掛かりを発見するということはどうしても考えられなかった。

それよりあのメッセージが、何かキーワードを伝えるということであれば、

有名な施設の中に掲げられているものに、うまくダブらせた方が的確だと思われた。


勿論それは、探す方の人にとって易しいということである。

また探して欲しいということであれば、それは探される人にとっても

都合がいいということでもあるのだが。


花巻では宮沢賢治、新渡戸稲造、高村光太郎が有名人として思い浮かぶが、

それぞれの施設として、

「宮沢賢治記念館」、「花巻新渡戸記念館」、「高村記念館」などが設置されてある。


ただ携帯で検索すると、「高村記念館」だけは、

市のホームページからアクセスができず、

残りの「宮沢賢治記念館」と「花巻新渡戸記念館」のどちらかを見て、

それで帰宅することにした。


さて・・どっちに行こうか。

「やっぱり宮沢賢治かなあ・・有名だし。」

「新渡戸だってお金になったくらいだしね。」

「宮沢は著書なども良く知ってるけど、新渡戸はよくわからない人だからなあ。」


意見がまとまらないでいると、伯父さんがしびれを切らして、

「じょあ良く知らない新渡戸に行こう。」と言って、車をその方向に向けた。


新渡戸記念館・・正確には、花巻が上につく。

花巻に何故か直感が働いたのであるから、やっぱりこっちを選んで正解だったのではないか。

選んだ後でそう思った。


東北道の花巻南I.Cから下りて、新花巻駅付近をうろうろしていたので、

そこから記念館は三キロくらいの距離だった。


綺麗な庭園の中にどっしりと建てられた記念館には、

彼の生涯や業績のほか、地域開発に貢献した新渡戸一族の歴史なども紹介されていた。

所要時間約三十分・・・。


今まで五千円札の人・・というイメージしかなかった彼の、

様々な業績について知ることが出来た良い機会であったが、

このことから彼女の失踪先を推測することは、

まったく次元の違う話になってしまった感じがした。


ここに何かヒントがあったのだろうか・・・。

そうだとしても、これがヒントですという掲示でもない限り、

それがそうだということは到底思い浮かぶはずもなかった。


平泉からわんこそばを追って花巻に来たのだが、

やっぱりそばを食べるべきだったかと後悔をしながらも、

仕方なく仙台の伯父さんの家にそのまま戻った。


第八章 東京


翌日東京に戻った。


結局、花巻から仙台に戻る行程でも、仙台の伯父さんの家に着いてからも、

仙台から東京へ戻るまでも、ずっと何かヒントが隠されていたはずだと、

時にはこじつけのように思考をめぐらせた。

でも、やっぱり何もそこには見出せなかった。


仕方なく、東京に戻ると、いつものように大学へ行って、

学食でたむろしている友達にこの顛末を報告した。


けれども、彼らの返して来た言葉は、

「なんだ。お前もあの五人と同じように、途中で引き返して来たんだ。」の一言で、

ここまでは頑張ったんだぞと言いたかった僕には、

ただ笑われてショックを受けるだけでしかなかった。



ただ、人生は苦もあれば、楽もある。


落ち込んでいる僕に同情したのか、或いはそれとはまったく関係なくなのか、

とにかく今までのうっ憤を晴らすような話を友達が持って来てくれた。


「お前さ、楽器やってたよな。」

軽音楽のサークルに入っていた。バンドは中学生からやっている。


「うん。ギターとベース弾けるよ。」

「じゃあ、ベースが抜けてしまってメンバーがいなくて困ってるバンドがいるんだけど、

ヘルプで入ってくれないかなあ。」

「どこのバンド?」

「東女なんだけど。」

「とんじょ?」

「うん。」


とんじょって・・どこだろうと思った。

でもそれを聞くのもなんか悔しくて、

彼からそのいきさつを詳しく聞いてみることにした。


「実はね。そのバンドのリーダーが浪人してた時の予備校の友達なんだけど、

東女でミュージック・ソサエティという軽音楽のサークルでバンドやってるんだよ。」

「うん。」

「でも最近ベースの子が学業に専念したいって言って脱退しちゃって、

代わりのメンバーがなかなか見つからないから、

誰か知り合いにベースを弾ける人がいないかって、

なんか俺のとこに泣きついてきちゃってさあ。」

「そうなんだ。」

「うん。それでお前、確か、去年の学祭でバンドやってたじゃん。

それでどうかなって思って声を掛けたんだけど。」

「その学校ってどこだっけ?」

「吉祥寺・・お前は八王子でしょ? 住んでるのが。

だからそれほど遠くないかなと思ってね。」

「吉祥寺の・・。」

「吉祥寺の東京女子大だよ。」


え・・女子大か・・。

女子大のバンドでベースが弾ける・・・ちょっと格好いいかも・・。

そう思って、一も二もなく引き受けるという返事をした。



その翌日、彼から向こうのメンバーにまず会って欲しいという連絡があり、

早速吉祥寺の喫茶店で会うことになった。

まず彼の予備校の友達という人に京王線の改札口で待ち合わせて、

それからメンバーが待っている喫茶店へ行くという段取りになった。


「実際他のメンバーにも会ってもらって、それでもやって頂けるというのなら、

是非お願いしたいのですが。」


駅で待ち合わせた彼女から言われたことは、もっともなことで、

また彼女の真摯な姿勢にも感心した。

けれど、僕は彼女と駅であった瞬間にそのバンドに入ることは決めていた。

それは、他のメンバーがどうだとか、

演奏する曲が自分の嗜好に合う合わないということはどうでもよくて、

彼女と一緒のバンドで演奏出来るということだけで、僕はやる価値を見出していた。


バンドの練習は毎週火曜、金曜の夜六時から、軽音楽のサークル室で行われた。

僕は毎回欠かさずその練習には参加していた。

当初は、部室に入ると女性の化粧の匂いで鼻がマヒしそうになったが、

それも回を重ねるに従って慣れて行った。


校門の警備員さんには、

最初の数回はメンバーが、この人はこれからうちのバンドのメンバーになるので、

怪しい人ではないから、通してあげてねという挨拶をしてくれた。

その後数回は、ノートのようなものにいちいち来校の目的や、

訪問先、氏名などを書いていたけど、そのうちに顔パスで通過できるようになっていった。


確かに週に二回も通っていたわけだし、バンドの練習が九時くらいに終わって、

メンバーと一緒に警備員さんに挨拶をしながらその校門を出て行くわけだから、

自分のこともいい加減、信用してくれたのだろうと思った。


僕の家は京王線の京王八王子駅が最寄駅だったので、

吉祥寺駅からは井の頭線で明大前まで行って、

そこで京王線に乗り換えて京王八王子駅まで行くという帰宅方法をとっていた。


僕の友達の予備校時代の友達であるバンドリーダーの彼女は、

下北沢に住んでいたので、明大前まではいつも一緒に帰っていた。

週に二回一緒に帰ることだけでも親しくなるきっかけになったし、

またそれとは別に個人練習ということで、その二回以外にも明大前とかで会って、

公園やスタジオで一緒に練習をしていたことで、

半分はつきあっているような錯覚に陥っていたことも確かである。



「VERA祭が終わったら、どこか旅行でもしたいなあ。」

「いいね。旅行。」

「最近旅行なんて行った?」

「旅行か・・ないなあ・・・あ・・従兄の結婚式で仙台には行ったけどね。」

「仙台いいなあ・・やっぱり牛タン食べたの?」

うん。食べたよ。」

「じゃあ私も仙台に行っちゃおうかな。」

「その時、仙台から更に北にのぼって、花巻まで行ったんだ。」

「花巻?」

「うん。花巻。」

「花巻って何があるの?」

「色々とあるけど、時間がなくって新渡戸記念館だけ見て来た。」

「へぇそうなんだ。」

「日帰りだったしね。」

「でもどうして新渡戸記念館に行ったの?」

「うん。なんとなくかなあ。」

「なんとなくなんだ。関心とかはなかったんだ。」

「うん。なかった・・と言うか、新渡戸っていう人のことはよく知らなかったしね。」

「新渡戸稲造って・・うちの大学の初代学長なんだよ。」


え・・そうなの?


「それも知らなかった?」

「うん・・。」


え・・。


「びっくりした?」

「うん。」


でも、

びっくりしたのは・・実は花巻のキーワードが新渡戸稲造で、

そしてそれはいま自分が週に二度も通っている東京女子大学と、

大きな関わりがあるということに対してであった。


そっか。彼女の仕掛けはここに回ってくるんだったんだ。

ここで再び、僕の妄想とも言える彼女探しの旅が始まった。


第九章 彼女


僕にあの紙切れを渡したあの子は、この女子大の学生だということだろうか。

僕の大学は共学だし、マンモス大学だから、勝手にキャンパスに入って来て、

適当な講義を覗いて、あのように誰かに何かを渡すことは十分可能である。


でも、一方で友達は彼女のことをうちの学生だということで知っていた。

うちの学生であってこの女子大の学生であるということはおかしな話であって、

ではいったいどういうことなのだろうかということになってしまった。


もしかしたら彼女は双子であって、僕にあの紙切れを渡したのはそのいずれかであった。


或いは、元はうちの学生であったのだが、退学して今はこの大学の学生になった。


或いは、まったくの他人の空似。


或いは、ゴールはこの女子大ではないということ。

或いは、この大学も含めて全ては妄想。


最後の答えを選択すると元も子もなくなってしまう。

せめてここが何かしらのポイントであって欲しいと思うのは、せめてもの願いである。


「ね、何を考えているの?」


うっかり彼女の存在を忘れていた。

彼女はこの女子大の文理学部哲学科3年生で、

僕がベースで参加している軽音楽部のディンプルというバンドのリーダーである。


哲学科というと頭が固いというイメージを持っていたのであるが、

実際に話をするとそういうことは全然見られない。

僕は大学での講義は卒業に必要なぎりぎりの単位しか取っていなかったし、

そのどれもが期末にレポートだけ出せばいいというものだったので、

今はまるでこの女子大の学生かのようにこちらにばかり通っている。

週に二日の約束で参加したバンドだったが、

ライヴが近くなるとそれが週に三日になり、直前のこの時期には毎日になっていた。


そのようなわけで、この彼女とは四六時中一緒にいるようになって、

つきあっているというわけではないけど、

事実つきあっているような感じになっていた。

ただ、実際につきあっているものとは違うのは、

どっかに遊びに行ったり、手をつないで歩いたりすることはなく、

いつでもバンドの話をして、ずっと一緒にいたということであった。


私を探して・・・。


そう言われて、僕は確かにあの子を探し始めた。

けれど、今はこの彼女といつも一緒にいるようになって、

あの子のことはどうでもいいことに思えて来た。


まさか、あの子がこの彼女であるはずはないし、

まさか同一人物だなんて考えられないし、

整形でもしたのならそうかもしれないけど、そこまでする意味はまったくないわけだし。


或いは、あの子が誰かに変わって「私を探して」というメッセージを

僕に伝えたということもあるのかもしれないと思ったりもしたが、

それにしても、何故僕が誰だかわからない「私」を探す必要があるのか、

まったく見当もつかなかった。


そこで止まっていた。

私探しもあの女子大で停滞していた。

そしてそれらの状態でこの子に会った。

そうであれば、彼女に落ち着くことで、

僕の私探しは終えることが出来るのではないかと思えて来た。

「私」をこの子に転化することで、

このことに終止符を打つことが出来るのではないかと真剣にそう思った。

それは自分を欺くことになるかもしれないが、そんな大げさなことではなくて、

第一そんな義務は僕にはないわけだし、

僕はこの子に行きついたことに感謝しながら、

この子との日々に埋没することを決めていた。



第十章 エピソード


日曜日、

その日は勿論バンドの練習はなかったのだが、

僕は京王線の明大前駅で彼女と待ち合わせて、

ライヴで演奏する曲の最終チェックをしていた。


また直前の部室での練習の時に、

彼女が弾くギターソロにチョーキングの箇所があって、

その弦を持ちあげる作業が辛いと言う話を聞いていたので、

握力を鍛える器具と、もう少し細い弦を買いに行くという約束もしていた。


井の頭線で渋谷まで出て、楽器屋やスポーツショップを数件回り、

今日はこれで散会してまた明日部室で・・といういつものパターンだったのだが、

いつもは下北沢で降りる彼女がどういうわけか、

そこでは降りずに明大前まで乗車して来て、京王線のホームまで見送りに来てくれた。


「わざわざ悪いね。」

「こちらの用でつきあってもらったんだし。」

そう言って次の特急が来るまでホームで話をしていた。


明大前から特急で京王八王子まで行くと、停車する駅の数も少なく、

楽な気分で帰ることが出来る。

ところが、特急は十分に一回、この駅に止まるのだが、

ちょうど特急が来る頃になると、話が盛り上がってしまって、

それが時にはバンドの重要な内容になったりして、

もうそれで何本も乗るべき電車を見送っている。


「話をするなら駅を出ようか。」

「そうだね。」


ホームで立ち話もなんだからと、改札から外へ出て、

近くの喫茶店で話をしようとしたのだが、彼女は大学からの定期を持っていたが、

僕は切符で乗車したので、その切符代がもったいないと、

改札口で話をすることにした。


もうどれくらい立ちっぱなしで話をしていただろうか。

いい加減に帰りましょうということになって、

やっと二人はホームに戻った。


「もう帰るんだからね。私疲れたし。」

「うん。帰るよ。」

そう言いながら再び数本の特急を見送って、やっと電車に乗り込めたのは、

この駅にお昼過ぎに来て、もう日はとっぷり暮れていた。



また別の日にはこんなことがあった。

大学の部室での帰り、今日は僕が家族の都合で外で食べて帰るということになって、

帰りがけに下北沢で彼女と一緒の夕食を誘った時のことだった。


練習が終わるのが夜の九時だったので、それからの夕食はけっこういい時間になっていた。

彼女は自宅から近いからまだいいが、僕はここから帰るとなると、

一時間以上の時間を要したのでかなり遅い時間になることは歴然としていた。

しかも最寄り駅から自宅へのバスがなくなるの時間は、ゆうに過ぎてしまう。

駅から歩いて帰るとなると、暗い夜道を一時間近く歩かなければならなかった。


食事をして既に十時半を回っている。

いつものように話ははずんで、なかなか切り上げるタイミングがつかめないでいる。

僕が少しいい加減にうなずいているのを、彼女は敏感に感じて、

少し不満顔で僕に「帰る?」と聞いて来た。


こういうシーンで僕はどうしたらいいのかと迷った。

「ちょっと家に遅くなるからって電話する。」

そう言って彼女は席をはずしてしまった。

ますますまずい。

僕にとっては結構遅い時間になっている。

家族には外でご飯を食べて帰るとは言ってあったが、

いくら遅くても最終バスには乗って帰って来ると話をしてあった。

このままだと真面目に帰れなくなる。

まさか彼女の家に泊めてもらうわけにもいかないし・・。

っていったい僕は何を考えているんだろう・・と一人困惑していた。


その時、僕の携帯にメールが届いた。

なんだろう? 誰からだろう? と思った。

まさかうちから早く帰れっていうメールじゃないだろうな・・。


あんまり良い気分はせず、そのメールを確認すると、


「私を探して。」

例のメールが再び僕に送られてきていた。



第十一章 続行


「私を探して。」


その文面を見た瞬間、僕はぞっとした。

でも次の瞬間、それは誰か友達のイタズラじゃないかと思った。

最近大学へも行ってないし、

どうやら女子大で女の子に囲まれて、

楽しくバンド活動をしているという噂が流れているということも耳にしていたからだ。


でもそのメールは違っていた。

私を探して・・の文章のあとにしばらく空白があった後、

更に文章が続いていた。


「他の五人の方は、正解を見いだせなかった。でもあなたの今至っている場所は、

私を探す正しい道のりを歩んでいます。でも、まだ終わりではありません。

私はまだ先にいます。私を探して・・・。」

そう書かれていた。

彼女が戻って来たことに気がつかなかった。


「どうしたの? 大丈夫?」

僕の顔がそんなにひどい表情をしていたのだろうか。

「うん。ちょっとね。」

「なんかあったの? そのメール。」

「うん。」


折角彼女が家族に今日は遅くなるっていう連絡をして、

何か僕らの関係にも更なる発展のチャンスが訪れたような気がしていたのだが、

その期待を裏切るように、僕は「帰るね。」という味気ない、

冷たい言葉を言わなくてはならないことが、申し訳なくって、

情けなくって、そして何故かみじめだった。


彼女はそこからやっぱり不機嫌になり、

もう遅い夕食は誘わないでと別れる時につぶやいた。

それから彼女とは、同じバンドメンバーの一人という関係に戻った。


練習の後は同じ方向に帰るので、連れだって行動したが、

話がはずむわけではなかったし、どこかへ寄り道をすることもなかった。


そんな感じで大学のライヴも終わると、

僕もその女子大へは行かなくなり、当然に彼女とも疎遠になった。

そして彼女と疎遠になった代わりに、またあの「私探し」が加熱していった。


東京女子大までは正解だったということか・・。


それは僕に自信を与えた。

でも一方で僕に不安も与えた。


それは何故、僕の行動があの人にばれているのかということだった。

僕の行動は監視されているのだろうか・・。

或いは、僕があの人の周りをうろうろしているということなのだろうか。

だとすれば、あの人は意外に僕の身近な人なのかもしれないとも思った。


いずれにしろ僕はこの追跡を更に進めようと思った。

ヒントはあの女子大・・。でもそこで止まってしまっている。

あの女子大で何かヒントはあったのだろうか。

それが思いつかない限り、いくらお尻を叩かれても前には行けない。



僕のあの大学での思い出と言えば、

「さいこうTWCU-最高だから再考しよう-」というテーマだったVERA祭。

そしてあの子の存在だけだったが、それが「私探し」とどう関連するのか。

或いはまったく関連しないのか。


それでやっぱり立ち止まってしまった。

何かメールでも手紙でも、ヒントになるものが送られてくれば助かると思ったのだが、

それも数日の期待で終わってしまった。



第十二章 ヒント


朝目覚めると、携帯にメールが一通届いていた。


「VERA祭だけではなくて、クリスマスコンサートにも出演されるのですか?

あの礼拝堂素敵ですよね。」


東京女子大学で毎年行われているクリスマスコンサートのひと月前、

あの子から久しぶりに連絡があって、大学のクリスマスコンサートに出演するので、

前と同じ曲をやりますが参加下さいますかとあった。


初めてあのバンドに参加した当初から、学園祭だけではなく、

十二月のクリスマスコンサートも一緒にやるという話はしていた。


ここしばらくは音合わせはおろか、彼女ともまったく連絡を取っていなかったので、

やっぱり僕との関係がこうなってしまったからか、

もう一緒にはやらないのかなあと思っていたのだが、これでまた急に忙しくなった。


忘れた頃にやってくるといえば、「私探し」についても同じだった。

あれからまったく進展していなかったこれについても、半ばあきらめかけていた所に、

こうしてまたメールが届いた。

そして内容はあの女子大にまつわるものだった。

やっぱりヒントはあの大学にあることには間違いなかった。


クリスマスコンサート、礼拝堂・・。

キーワードはここらあたりだろうか・・。


礼拝堂といえば、アントニー・レーモンドがル・ランシーの教会堂を

模倣して建設したものとして有名で、中央線の西荻窪の駅と吉祥寺の駅の中間点当たりで、

電車の車窓からも北側にその先端を見ることが出来る。

何かここらへんに「私探し」のポイントはありそうな気配ではある。


しかし、この「私」はいったい何のために探して欲しいと言っているのだろうか。

そしてその宛先は、果たして僕でいいのだろうか。

以前メールで送って来た人と同じ人物なのだろうか。

また大学の他の五人にも同じようなメールを送った人物と同一人のしわざなのだろうか。

更には、学校で僕に紙切れを渡した彼女と同一人物なのだろうか。

僕の疑問と不安は今はそれらの点に集約されていた。


そして今回のヒント・・・。

いったいクリスマスコンサートが、礼拝堂がどうしたというのだろうか。



第十三章 それから


私が初めて彼に逢ったのは・・。

と言うか、初めて彼の存在を感じたのは、確か中学生になってからでした。


彼は近所の同級生で、幼稚園、小学校とずっと一緒でしたが、

同じ組、クラスになったことはありませんでした。

いわゆる幼馴染という関係ですが、それもただ近所に住んでいるだけということで、

一緒に遊んだり、話をしたりということは、記憶に残るレベルではなかったと思います。


小学校四年生の時に、クラスの女子が男子にチョコレートを渡すところを目撃しました。

私は、それが特別なこととは思わず、

誰か知り合いの男子に気軽に手渡すものだということくらいにしか、

当時は思っていなかったので、翌年、近所の男子ということで、

コンビニで買ったチョコレートを彼に手渡しました。


彼は私よりもっと遅く手だったのか、たぶん意味もわからずに、

何か事務的にそれを受け取ると、無言で手に握りしめていました。

そのことは私の家に彼が回覧板を持って来た時に起こったことなので、

勿論誰に知られることもなく、まして私が彼を好きだとか、

彼も私をそういう対象でそれ以降意識し出したということもなく、

まさに回覧板を届けてくれてありがとう、はい、おだちん・・

みたいなものとして事実だけが残った感じでした。


それが中学生になった或る日。

確か、中学二年生のいつかだったと記憶しているのですが、

やっぱり彼とは別のクラスでした。


彼が登下校を一緒にしている親友が、私の席の近くの席だった時に、

たまたま彼が私のクラス・・というよりも彼の親友のクラスに、

休み時間だということで遊びに来ていて、机に何かいたずら描きをしていたのです。


なんでそういうことになったのかはわかりませんが、

私が休み時間が終わりそうなので自分の席に戻ると、

そこに彼が座っていて、彼の親友と私の机にいたずら描きをしているところだったのです。

私が、「そこ私の席だよ。」と言うと、

彼がびっくりした顔になって、

彼の親友に「え!ここ、君の席じゃなかったの?」と叫びながら、

必死で手のひらでそのいたずら描きを消し始めたのです。


彼の親友はそれを見て笑っていました。

その様子から、彼は本当に私の席だとは知らず、彼の親友の席だと信じて、

いたずら描きをしたんだと思いました。

そして次の授業のベルが鳴り始めたので、

私に「ごめんね。」と言いながら急いで自分の教室に戻って行く姿が、

初めて彼の何かを感じた出来事として強く印象に残ったのです。


「ここ君の席じゃなかったの?」と言いながら、まずは彼の親友に視線を向け・・

それは、彼が彼の親友にひっかけたなあということを現わすしぐさで・・

次に私に向かって、ごめん、彼のいたずらにひっかかっていたずら描きしちゃった・・

というお茶目な笑顔を見せたその瞬間に、私は今まで彼には感じたことがなかった・・

彼だけではなくて、男子というものには感じたことがなかった何かを、

植えつけられたような衝撃を受けたのです。


これが彼とのはじまりです。

そして彼とはそれから今に至るまでずっとのことなのです。

私はあれから約七年間彼を見つめて来ました。

そして同時に彼が私をひきつける意味も色々と考えて来ました。


中学三年生になり、卒業式が近づくと、

あちこちで男子が女子に、あるいは女子が男子に告白するという光景が目に付きだしました。

私にも告白する男子が現れて、私はその人の気持ちを受け入れ、付き合うことになりました。


初めてつきあった男の人は彼ではありませんでした。

彼はというと、女の子にはまったく興味がないのか、

例の親友と外国のミュージシャンの話をしたり、バンドを組んだりしていました。

私と彼の距離は遠くもならず、また近くもなりませんでした。

ただこの中学三年生の一年間は私にとって一番幸せな一年でした。

それは彼と初めて同じクラスになれたからです。

朝、私がいる教室に、彼が「おはよう!」って言って入って来る光景が、

信じられませんでした。

勿論私に言っているわけではないのですが、

私にも言ってくれているんだという感じはしていました。

国語の授業や物理の実験で同じ班になることはなかったけど、

授業中の彼の様子や、時々先生に当てられて発言する彼の姿を見られることが、

私にとってなによりの幸せでした。


そんな或る日、歴史の授業で先生から、

いつも席が近くの同じ班ではつまらないだろうという話が出て、

今までは遠くの席にあった彼と同じ班になることができたのです。


その時それぞれの班ごとに課題があてがわれ、

私たちの班のテーマになったのは、

奥州藤原氏三代に関することでした。


藤原氏といえば、平泉の中尊寺。

そして中尊寺といえば、金色堂が有名ですが、

私たちの班は特にこの金色堂について研究し、発表をしました。


彼は地図で平泉の辺りを見ている私に、「この花巻温泉が気になるんだよね。」と

あの愛くるしい笑顔でチャチャを入れて来ました。

私が「温泉好きなの?」と聞くと、

「別に、なんか面白い名前だなって思って。」と答えました。


クラスには男女ペアの日直という日替わりの当番がありました。

私は彼と一緒になれたらいいなといつも思っていたのですが、

席も遠いし、出席番号も遠かったので、

最後までペアになれることはありませんでした。


ところが、夏の或る日、私が図書委員の仕事で放課後図書室に残っていた時に、

彼が血相を変えて飛び込んで来て、私の手をつかむなり、外へすごい勢いで、

ひっぱって行ったのです。

私はまったく事態がつかめなかったのですが、やがて校舎から出て、

校庭を抜け、学校を去り、通学路を通って、うちの近くまで来た時に、

「君を探したよ。お母さんが交通事故に遭って、すぐ戻れって連絡があって。

僕今日の日直だから。」そう言って、私の家の前まで来るときびすを返して、

彼は学校へ戻って行きました。


私はカバンも何もみんな学校に置いて来たことをその時初めて気がついたのですが、

母のことが心配でそのまま家に駆け込みました。

祖母が家で私の帰りを待っていてくれました。

祖母は心配そうにしている私に、

母の怪我もたいしたことがなく、

今日一日様子見で病院に泊まれば、明日には帰れるという話をしてくれました。


それにしても、私が学校へ連絡したら、

あなたあっという間に帰って来たねと祖母が言うので、

本当に彼が必死になって私のことを探してくれたんだと、彼にとても感謝しました。


翌日、彼が登校して来るのを今か今かと待って、

彼に「昨日はありがとう。」と言うと、

彼はだまって、こくりとうなずくだけでした。


「お母さん大丈夫だった?」

「心配したよ。」

「君の居場所がわからなくて学校中探し回って、やっと見つけたんだよ。」

「うん。君図書委員だったでしょ。だからもしかしてあそこかなって。」


彼の言葉を昨夜からずっとあれこれ想像していました。


「君をずっと探したよ。」

「私を探してくれたの?」

「うん。ずっと君を探してた。」

「私を探した?」

「君を探してって言われて、君を探した。」

「私を探してって?」

「うん。だから君を探した。」


でも、彼は無表情に私の前を通り過ぎて行くだけでした。


夏休みが始まると、みんな塾や予備校通いが本格化して、

私もその流れにはまってしまいました。

けれど比較的早い時期に推薦が決まると、決まった子同士での交流が始まり、

その中のひとりの男子が私に告白をしてきたのです。


私は勿論付き合う気なんかなかったのですが、

仲介者が実は彼でした。

彼がどうしても君に話をしたいヤツがいるということで、

私はとりあえず会ってみようという気になったのです。


それに仲介された男子も嫌いなタイプではありませんでした。

その子も彼の親しくしている人の一人で、

よく彼と一緒に帰っているところを見かけました。


私は彼との接点がまったくなかったので、

この男子と付き合うことで、もしかしたら、

彼とも一緒に帰るチャンスがあるのではないかとか、

どこかへ遊びに行くこともあるのではないかとか、

また学校でも三人で楽しく話をすることも出来るのではないかと、

そういうことを考えていました。


そういうイメージを抱いて、

あまり深くは考えずに私はその男子と付き合うことをOKしたのでした。



第十四章 私を探して


高校へ進学すると、やっぱり彼とは別々の高校でした。

中学三年生の時に付き合いだした彼とは、

私の勝手な思惑もはずれたこともあって、卒業すると同時くらいに連絡も取らなくなり、

自然消滅をしてしまいました。

高校は都立高校で、共学でした。

クラスが一緒になった男子に一学期早々に告白されました。

私は誰とも付き合う気はなかったのですが、その男子とは、

ショックな出逢いをしたのがきっかけで、私もついOKをしてしまいました。


それは授業が終わって学校の中にある駐輪場に向かって行った時、

その男子が息を切らせてどうやら私を追いかけて来たようでした。


「探したよ。自転車通学だったんだ。」

「え?」

「君を探した。」

「私を?」

「うん。」

「なぜ?」

「うん・・・一緒に帰ろうと思って。」

「どうして?」

「だって・・・帰る方向が同じじゃない?」

「そう?」

「うん。そうだよ・・。」


そう言って、その男子が私について来るので、

私は自転車には乗らずに、押して帰ることにしました。

すると確かにその人の家の方向と私の家の方向が意外に近くだったことがわかり、

ちょうど中学校の学区の境界をまたいで、

それぞれの家があるような感じだったことがわかりました。


「ね。近いだろ。前に、ずっと君が僕の前を歩いていて、

なんか僕が君の後をつけているような感じになって嫌だったんだけど、

でもそうしたら家が近いことがわかったんだよ。」

「私は今は自転車だから。」


「僕も明日から自転車で通うから。さっき学校にも届を出して来たし。」

「そうなんだ。」

「だから一緒に登下校しようよ。」

「え・・。」

「帰る時間が合ったらだよ。行きは一緒で問題ないでしょ?」


この男子とはこんなことで高校への登下校を自転車で一緒にすることになりました。

これがはっきり付き合ってるということになるのかはわかりませんが、

敢えて一緒に行っていたということは、

この男子にしてはやっぱりそういう気持ちがあったのだろうし、

私にしても一応付き合ってるという心持があったのだろうと思います。


私の通う高校は自転車で行ける距離になったのですが、

彼の通う高校は電車に乗り、一時間くらい掛る吉祥寺の駅から、

更にバスに乗るという高校でした。

彼はおそらく私の通う高校を知らなかったでしょう。


ごくたまに近所で見かけることがありましたが、

走り寄って、「やあ、久しぶり」なんて声を掛け合う仲ではなかったし、

共通の親しい友達がいるというわけではありませんでした。

でも、もしかしたら私の制服を見て、

私がどの高校に進学したかをなんとなく知ったかもしれませんでした。


私は彼の進学した高校を友達の友達の更に友達から聞いて知りました。

わざわざそんな遠い学校を何故選んだのかまではわかりませんでしたが、

それでも休日に出かける時にたまに吉祥寺まで行って、サンロードを歩きながら、

彼も毎日のようにこのあたりを学校帰りに散策しているのかなあと、

感慨にふけることもありました。


そして彼の高校の文化祭。

この日をどれくらい楽しみにしていたか。


私はその日程を早くから押さえていて、

そしてカレンダーに丸って印をつけてありました。

彼がどのクラスか何の部活かもまったく知りませんでしたが、

一年生の全部のクラスと全部の部活の催しを回ればきっと会えると思い、

前日からかなり高いテンションでした。


文化祭当日、彼の高校は近くに女子高や都立校がひしめいていて、

その学生たちが一か所に集まったようなものすごい人でした。


私の思惑ははずれて、結局彼を見つけるどころか、

学校の中を自由に歩くことさえできませんでした。

仕方がなく、彼を見つけることをあきらめて、吉祥寺の駅前で遊ぼうかと思い、

学校から出たところで、二人組みの男子に声を掛けられました。


「君、ここの生徒じゃないよね。」

「はい。」

「さっき見かけて、探しちゃったよ。」

「そうなんですか?」

「帰るんだったらちょっと吉祥寺で遊んで行こうよ。」


彼らも中学の同級生の文化祭に招待されて来たらしいのですが、

やっぱりあの人ごみで、いたたまれず逃げだして来たとのことでした。

私は今日の予定がすっかり狂ってしまったので、

彼らに誘われるままにカラオケに行きました。


カラオケの最中に、その中の一人の人と携帯の電話番号を交換しました。

私を探した・・と言った人です。



高校生の付き合いは、メールで色々なやりとりをしたり、

時々は一緒にカラオケに行ったり、友達みんなで遊園地に行ったりするくらいのことで、

それは今思っても遊びの延長でしかなかったように思えます。


高校二年の文化祭の時は、しっかりリサーチして彼の学校に行ったのですが、

彼のクラスはクレープ屋さんを企画していて、彼は厨房で作る方を担当しているのか、

あるいは給仕担当でも今は休憩時間でいないのか、

まさかクレープを作っている厨房を覗くわけにもいかず、

やっぱり会うことが出来なくて、その場を出てしまいました。


ところが、その教室の前の廊下を通って、校舎の外へ出ようとした時に、

私の腕がぐいと引き寄せられたのです。


その人の方を振り返ると、それは彼でした。

彼があの笑顔で私を見つめているのです。


「ねえ。クレープ食べて行ってくれない?」

彼は外で呼び込みをしていたのです。


「え・・」

私は一瞬思考が停止したかのようになって、

そして記憶が、あの中学生の時の母が事故に遭った時に戻ってしまいました。


私は彼のなすがままに、再びあの教室に連れて行かれて、

またクレープを食するはめになってしまったのです。

彼は私が注文をするのを確かめると、

「ありがとう! きっと美味しいから。」と言ってまた外に行ってしまいました。


うそ・・私を覚えていないんだ・・。


私はそのショックを忘れようと、昨日前髪を切ってしまったからかなとか、

前は短かった髪を高校生になってずっと伸ばしていたからなのかとか、

そういうことを考えていました。


やっとのことで、クレープを食べ終わって、再び彼を探しましたが、

もう彼と会うことはありませんでした。


普段の通学の途中で、稀に彼を見かけることはありましたが、

こんな感じで近距離で遭遇することは、

まるで七夕みたいに一年に一回くらいしかありませんでした。


高校三年生になると通学の途中でも彼を見かけることはなくなりました。

彼が学校へ通う時間、ルートを変えたのでしょうか。

それはわかりませんでした。

ところが、夏休みになって、

スロースタートだった私も図書館に通い出す決心をした初日に、

地元から少し離れた図書館の中で彼とばったり出逢ったのです。


彼は女の子と一緒でした。

一緒に図書館に来て勉強をしているという感じでした。

私もコンビニでお昼でも買って来ようかなと思った時に、

図書館の廊下で彼とすれ違いました。

彼らがあるいて行く方向に市の施設の食堂がありました。

後をつけるつもりはなかったのですが、私も自然にその食堂の方に足が向いて、

結局彼に背を向ける形で座ることになりました。


「で、どうするの?」

「どうするって?」

「どこ受けるの?」

「うーん。どうしようかなって思ってる。やっぱり東京女子大かな。」

「女子大なんだ。」

「うん。」


どうやら彼はその女子の進路について聞いていたようで、

その女子は女子大に行くという話をしていました。

結局二人の会話はそこで途切れてしまい、

二人がつきあっているのかどうかとか、そういうことはわかりませんでした。


私の高校三年生の時はいわゆるモテ期で、

通学の途中や、カラオケ、普通に町を歩いていても、よく声を掛けられました。

でも私がひっかかったのは、なぜかいつも決まった感じの子で、

その誘い文句が一定の法則に従っていたということを発見したのは、

つい最近のことでした。


「なんか君って僕が探してた子なんだよね。」とか、

「ずっと君のような子を待ってた。君のような子をずっと探してた。」

そんな言い回しの子に何故か私は興味を抱いたのです。


友達と一緒にいても、そんな誘いを受けて、

カラオケだけだからいいでしょって思いでついて行こうとすると、

ああいう人は遊び人だからいっちゃだめよと叱られることもよくありました。


風体やその人から発する何かに魅かれるのではなくて、

何かその言い回しに私が反応するのは、どうしてなんだろうと、

そういう自分に気がついてからもしばらくは私にもわからなかったのです。


でも、そこで私が気がついたのは、男の子って結局みんな同じで、

みんな同じような誘い方をするんだなあっていうことでした。

狩猟本能がそうさせるのか、

追いかけるような対象にこそ惚れてしまうのではないかということに気がついたのです。


そして私が思いついたのは、

私からそれを利用して誘ってみたらどうかしらということでした。


「私を探して。」


このキーワードは殺し文句になりました。


ゲーセンでこの子どうだろうって目星をつけて、

そのキーワードを投げかけると、男は必ず反応して来ました。


図書館に行っても、隣で勉強している子にそのメモを渡すと、

必ずと言っていいほど、メールが送られてきました。

私はこのことを実感するとこれを使ってある実験をしてみようとふと思ったのです。



第十五章 記憶と無意識


「世界は実は五分前に出来たのかもしれない。」

バートランド・ラッセルはこのような世界五分前仮説を提唱しました。


私が記憶していることを、彼は記憶にないと言います。

私が覚えていることで、彼も記憶にあることでも、

実はそれはそういう記憶を植えつけられた上で五分前に世界が始まったのかもしれません。


私が彼が無意識で行ったことや言ったことを記憶しているということも、

それはそういう記憶を植えつけられて、私が存在し始めたということかもしれません。



第十六章 ケース1


「私を探して。」



なんだろう? このメール・・・

意味不明。

誰からかもわからないし。


怪しいメールに以前うかつに返信してしまったことがあって、

それが原因で不当請求メールが本当にしつこく届いたことがあった。

それ以来、知り合いからのメールでも注意して、

やたらに開けたりしなかったのだけど、

このメールに限っては、何かひっかかるものがあって、

うかつに開いてしまった。


開けた瞬間に、「しまった!」と思ったのだけど、

でも内容は意味不明なもので、

メールを開けると何かこちらの情報が向こうに届いて、

これからしつこく変なメールが届くのかなと戦々恐々としていたのだけど、

それ以降、そういうメールは一切来なかった。


ではこのメールはいったいなんなんだろうと気になりだして、

それもうかつに「だれ?」とメールをしてしまった。


それから数日後、

同じ送り主から、メールが届いた。


「遠回りするのは徒歩ではどうかしら。ではなんだったら?」


おいおい・・また意味不明な内容。


遊ばれてる?

それともやっぱりおかしな人からのメールだろうか。


メールの内容は皆目見当がつかず、僕はどうしようもなく、そのメールには

返信できずにいた。


それで終わりだと思った。

ところが、それからしばらくして、

またあの送り主からメールが届いた。


「五月だったかな。雨が降ってたよね。あの光堂で食べたおそば、

あなたがなかなか蓋を出来なくって、食べ過ぎたって言ってた顔が可笑しかった。」



第十六章 ケース2


朝起きると

迷惑メールの中に紛れて、

一通だけ件名のないものが紛れていた。


前は件名のないメールに怪しいものが多かったが、

今は却ってもっともらしい件名のあるメールの方が怪しいものが多く、

その中で敢えて件名を書いてないメールが気になってしまった。


それをクリックすると、

「私を探して。」


なんだこれ。

誰だろうと送り主を見ようにも、見なれないメールアドレスしか表示されず、

それは僕のアドレス帳にはないものだった。


結局誰からのものかわからないメールは、どうしようもなく、

そのまま放置をしていた。


しばらくして、迷惑メールの中に再びあの件名のないメールを発見したので、

それをクリックすると、

そこにはまたもよくわからない文面が書かれてあった。


「カラオケに行く時は、誰を連れて行くの? 今の友達の中から選んで行くの?」


カラオケ・・しばらく行ってないなあ・・

前回行ったのって・・どれくらい前だろう。


そういえば、友達の文化祭で知り合った女の子とカラオケに行ったなあ。

彼女は可愛かった。

一度みんなで遊園地に行った。

あの時、林が連れて来た子が、その後でメールを送って来て、

その翌日に二人で映画に行った。

元々彼女とはつきあってるという感じでもなかったし、

林もその子とつきあってるというわけじゃなかったみたいだし、

別に僕らがつきあったって誰に迷惑がかかることじゃなかったし。


・・これって、文化祭で知り合った子から?

それともその後付き合った彼女から?


返信にはこう書いた。

「君って、あの文化祭で会った子?」


返信はその日のうちに来た。

やっぱりあの子だと直感した。

でも返信の内容がずれていた。


「五月だったかな。雨が降ってたよね。あの光堂で食べたおそば、

あなたがなかなか蓋を出来なくって、食べ過ぎたって言ってた顔が可笑しかった。」


あの子と遊びに行ったとこって、確か遊園地だけだったと記憶している。

それ以外はカラオケとか、渋谷とか、原宿とかありきたりの場所で、

この光堂でおそばがどうだとか、そんな覚えはまったくなかった。

それとも暗号か何かだろうか。

そうだとすれば僕は何かを試されているのだろうか。


「よくわからないけど、光堂へ行けば君に会えるの?」

鎌をかけて僕はそうメールを送って見た。


するとそれの返信としてこう返って来た。

「光堂でお待ちしています。是非会いに来て下さい。」


やっぱりあの子だ。

あの子の記憶が脳裏にぱあっと広がった。

あの子、結構可愛かったし、あれから五年?

きっともっと可愛い子になってるに違いない。

そう思ったらあの子に会ってみたくなって、僕はすっかりその気になっていた。

「いつ行けば会えるの?」


「来ればわかるようにしておきます。」

その答えをメールで受け取ると、僕は光堂を目指して、

いや、彼女を目指して動き出した。

「光堂」

「おそば」

ここから想像できる場所はどこだろう。

しかも、あの子が探しに来いと言っているのだから、

あの子に関係するところだろうし。


でも、そこまで僕はあの子のことを知っているのだろうか。

そんな付き合いなんかしてないし。

だとすれば、その場所はあの子にも、

そして僕にも関係などない場所ではないかと思う。


光堂・・・イメージでお寺・・

光がつく名前のお寺・・


あ・・長野の善光寺・・

それに、おそば・・

信州って言えば、おそばが有名だし。


そこまでキーワードが一致すると僕は急いで長野に向かった。

長野の善光寺・・・待っててくれよ。



第十七章 そして


大学に入学するとさっそくと言っていいほど、

他の大学のサークルからの勧誘を受けました。

私はその気はまったく無く、一年生の時は、適当にお茶を濁していましたが、

二年生になり、高校からの友達が是非そのサークルに

入ってみたいからついてきてとしきりに言うので、

仕方なくその飲み会に出てみると、

そこに彼がいたのです。

私は飛び上がりそうになりました。


彼の横には例のあの子がいました。

あの子は希望通り東京女子大に入れたのかしらと思ったけど、

そんなことはどうでもよく、私はこのチャンスを絶対に逃したくなくて、

友達と一緒にそのサークルに入ることにしました。


サークルと言っても、夏はテニス、冬はスキーというおもいっきりナンパな団体で、

初めての顔合わせ的な飲み会から彼氏がいるのかとか、

つきあってみないかとか、そんなことを言って来る人がいることに

かなり閉口しました.

それでも私は彼と同じ時間と同じ空間を共有できることに、

とても言葉では現わすことができない悦びを感じて、

そんなことには負けませんでした。


彼はこのサークルに純粋にスポーツ・・テニスとスキーをやるために入ったようで、

勿論、あの子がいるからかもしれませんが、

他の女の子と親しく話をするということはありませんでした。

私がジュースをつぎに挨拶に行くと、普通にそれをコップで受けて、

「どこの学校ですか?」

「誰かの紹介ですか?」

と、やっぱり初対面の話し方をしていました。


「私は思わず、覚えていませんか?」と言ってしまいそうになったけど、

ここは我慢してだまっていました。

でもこれから三年間、彼と同じサークルで一緒にいられると思うと、

それだけでドキドキしてしまって、

とにかくこのサークルが楽しみで楽しみでならなくなりました。


サークルのイベントは色々とありましたが、

極力その全てに参加するようにしました。

それでも講義の関係や、家の事情で参加できないときは、

高校からの友達に、イベントが終った後で、

彼どうだった? ということを必ず確認していました。


彼女の話だと、どうやらいつも彼と一緒にいる子は、

彼の彼女というわけではなく、

なんか、お友達という感じの関係のようでした。


だからと言って、私が急に彼に歩み寄って、

それでいきなり彼にどうかできるというわけではなく、

とってもそんな勇気は無くて、

むしろ、このままこうして何もしないほうがいいという思いがしていました。


そんな時、学校で男子学生が失踪したという噂が広まったのです。

しかも、私と同じ講義を取ってる人ばかりという噂でした。

なんか怖いというか、どうしたんだろうという気持ちでした。



第十八章 冴子


それで、彼とは何か進展したの?」

「ううん。全然。」

「そうなんだ。」

「うん。」


私はこうして小枝子の話を高校の時からずっと聞かされている。


聞かされている・・・一見私があれこれアドバイスをしているように見えるのだけど、

アドバイスはいつも空を切り、

小枝子は決して私のアドバイス通りのアクションを起こさない。


それで、最後はいつもこうなる。

「何か進展はあったの?」


そして小枝子の答えはいつも決まっている。

「ううん。」


私と小枝子は高校で知り合った。

高尾にある女子高で、そこで同じクラスになった。

中学からエスカレーター式に上がってくる子が多い学校だったので、

高校から入った私たちはすぐに仲良くなった。

しかも、名前が小枝子と冴子・・・。


同じ「さえこ」

名前が同じだからと言って、何か特別なことがあるというわけではないけど、

一緒に帰ったり、一緒に勉強したり、

学校での行動もいつも一緒になった。

私が小枝子を追いかけたのか、小枝子が私を追いかけたのかはよくわからないけど、

私たちはいつも一緒にいた。


ある日、

一緒にテストの準備をしようということになって、

私も彼女がどんなおうちに住んでいるのか興味があったし、

小枝子のうちで勉強をしようということになった。

そして、翌日が日曜日ということもあって、

私は小枝子のおうちに泊まることになった。

小枝子はとても勉強が出来て、私はいつも教えてもらう立場だった。

その日も最初の一ページ目でちんぷんかんぷんだった私が、

なんなく試験範囲をクリアできたのは、やっぱり小枝子のおかげだった。


私はいつも小枝子にぶらさがっているような自分が、申し訳なくて、

また悔しくもあって、いつか小枝子に何かしてあげたいと思っていた。

それで私にも出来ること、それが何かないかなといつも気にしていた。


勉強が終って、じゃあ何をするっていう時になって、

私は本棚に目に付いたアルバムを引っ張り出した。


「あ、これって、小枝子の中学のときのアルバムじゃん。」

「あ・・だめだってば。」


そんな小枝子の取り乱した顔は初めて見たので、私はきっと何かあると思って

強引にそのアルバムをめくって行った。


「小枝子ってどのクラス?」

「・・・三組。」


私はいっきにそのページまでアルバムをめくると、小枝子の姿を探した。


「あ・・いたいた。小枝子変わらないじゃん。」

「もう。」


私は直感として、きっと好きな子がいたんだろうと閃いた。

今は女子高だし、学校のある場所が場所だけに、男の子と知り合う機会など、

なかなかないけど、でもそれにしても男の子の話をまったくしない小枝子には、

そういう意味でも興味があった。


「好きな人がいたんでしょ?」

「え?」

「図星だ!」


小枝子は無理にアルバムを奪おうとしたので、

そこにその子が写っていることを私は確信した。


「えーどの子、教えて。」

「知らないよ。」

「いいじゃん。」


それから小一時間、悪戦苦闘した末に、彼女はある男の子を指差した。


「絶対内緒だからね。」

「へーこの子なんだ。」

「へーって?」

「小枝子が男の子を好きになるなんて意外だったし、

小枝子が好きになる子ってこういう子なんだって。」

「なにそれ。」

「でも、今も好きなの?」

「え?」

「今でも好きなんでしょ。」

「もう。」


学校で一、二番を争う小枝子が、男の子に興味を持っていたということは、

私にはとても意外なことだった。

けれど考えてみたら、小枝子も普通の高校一年生。

べつに誰かをちょこっと好きになったって、特におかしいというわけでもない。


というか、私は寧ろ、小枝子が好きになる男の子ってどういう子なんだろうと、

そのことの方に興味を持った。


「小枝子、文化祭に行ってみない?」

「どこの?」

「決まってるでしょ。彼の学校の文化祭。」

「えー、行かないよ。」


きっと小枝子は行かないと思った。

なら私が行ってみようと思ったのは、

やっぱり昔からいたずら好きだった私の性分だと思った。



第十九章 俊彦


僕が彼女を好きだったのは、もうどれくらい前からだろう。

男子は八秒女子を見つめると好きになってしまうとか、なんとか、

そんなことをどこかで聞いたような気がしたけど、

僕は初めて彼女を見つめたのは、間違えて机にいたずら描きをした時だった。


いたずらなんて、確かに僕のキャラじゃないけど、

まったくしたこともないわけでもないし、

でもあの時はうかつだったというか、僕はあいつの策にはまり、

そしてきっと八秒以上、彼女を見つめてしまったのだと思う。


彼女とはいわゆる幼馴染で、近所に住んでいるというだけで、

何かをして遊んだということもなかったし、

たまに、どこかで見かけるという、ゆるい関係だった。


それが、あの事件をきっかけに、

なんとなく気になる関係になった。


中三になった時、

彼女と同じクラスになった。

クラスになったって、特にどうだということはなかったけど、

いままで、どこかで時々姿を見かけるという関係からは、

とりあえずいつも教室で会うという関係になったのは、

「ゆるさ」の中でも、それがいくらか締まった状態になったのだろうと思う。


そういう意味では、出席番号の関係でいつも一緒に日直になる麻衣子、

席が近くて何かにつけておせっかいをしてくる真理絵、

理科の実験で同じ班になる朋美やこずえの方が近い関係だったし、

また気になると言えば気になる存在だった。


それがある時、先生のきまぐれで彼女と同じ班になる機会があった。

と言っても、僕には最早彼女を意識するものはなく、

彼女にしてもその他大勢の一人として、同じクラスというカテゴリーの中で

僕は存在しているだけだった。

彼女と同じ班になれて、少なからず話をしたり、

彼女を横目で見る機会が出来たりしたが、その時間はあっと言う間に流れてしまった。

その班替えは不評だったのか、その一回だけで、

それからは彼女ともう一緒の班になることはなかった。


ところがある日、

僕が日直の時に、彼女のお父さんから彼女のお母さんが車にはねられたから、

急いで家に戻ってほしいという連絡が入った。

先生が折り返し、お父さんの会社に電話をして、その確認をすると、

おばあちゃんが家で待機しているから、

おばあちゃんと一緒に病院に行ってほしいということだった。


僕は彼女を探すために学校中を走り回った。

この時間は委員会が開かれている時間で、中には自宅へ帰ってしまう子もいる。

果たして彼女はどこにいるのだろうとあれこれ考えたが、

前に図書室で本の貸し出しをしている彼女を、

ちらっと見たことがあったことを思い出した。

それで図書室へ走った。

結果、塾、友達の家、その他の選択を捨てて、とりあえず図書室へ向かったのは正解だった。


そこに彼女の姿を見つけた。

息があがってしまって、言葉がうまく言えなかったので、

彼女の腕をつかむと、彼女の家の方に走り出していた。


彼女の腕はとても細かった。

髪からいい香りがしていた。

僕らが走るリズムに合せて、その髪がなびいていた。

いつもは後ろで髪をゴムで止めていたはずなのに、

その時はそうでないことに気がついた。

そして僕をじっと見つめていた。

僕はだまって彼女のその華奢な腕をしっかりつかんでいた。


彼女のうちの前まで着くと、

やっと僕は解放された気持ちがした。

そして言葉が出た。

「君を探したよ。お母さん交通事故にあったんだよ」


彼女は、ありがとうって言って、そのまま家に入って行った。

その事件以来、たぶん僕は彼女が本当に好きになったのだと思う。



第二十章 小枝子


私の彼に対する思いは、冴子しかしらない。

冴子がうちに泊まった時に、彼のことがばれてから、

私は冴子に彼とのことを淡々としゃべることで、

それでこの恋心をを昇華していたのだと思う。


冴子は色々とああしたら、こうしたらと、アドバイスをしてくれたけれど、

私はとってもそんなことをする気にはなれなかった。

そんな勇気はなかったし、もしそんな無理押しをしたら、

きっと何か壊れてしまう感じがしたからだと思う。

それがわかってか、冴子も無理強いはしなかったし、

私の話す思い出話をよく聞いてくれた。


冴子とは仲が良かった。まるで私とは違うタイプだったけど、何故かうまがあった。

冴子は勉強には熱心ではなかったけれど、遊び人というタイプでもなく、

そういえば誰かとつきあってるという話も聞かなかった。


その代わりに女友達はたくさんいたと記憶している。

高校は私と同じ学校に通って、

学校の中ではいつも二人で行動していたけれど、

自宅へ帰ると、彼女は彼女で中学校からの友達と盛んに交流を持っていたようだった。

特に都立高に行った子が親友とかで、学校では私とべったりしていたのと同じように、

自宅ではその子とべったりしているという話を聞いていた。


勿論私はその子とは面識はないし、たまに聞く感じだと、

どうも遊び一色の関係らしく、私はまるで関心がなかった。

冴子にしても、私とはまるで合わないだろうと察していたのか、

その関係に私を巻き込むことはしなかった。


私は冴子と学校で仲良く出来ればそれで良かったし、

うちでは勉強が忙しかったし、そしてたまに気分を変えて行く図書館で、

彼と遭遇する楽しみだけで十分だった。


大学に進学するとき、冴子は上の女子大にそのまま進んだ。

私は成績が良かったので、思い切って冒険して、他の大学を受けてみた。

そして志望する大学に見事入ることが出来た。


冴子とは大学生になってもよく一緒にいた。

彼女が私の大学のサークルに入りたいと頻繁に言って来たので、

いくつか案内すると、その中の一つを選んできた。


私もその後、そのサークルへの入会をうながされ、

仕方なく入ってみると、そこに彼がいたのにはびっくりした。

最初はわからなかったのだけど、

「山下俊彦」という名前・・。

最初の飲み会の時に胸につけたネームプレートに書かれた名前には、

本当にびっくりした。


彼と一緒のサークルということは勿論嬉しかった。

どうやら同じ学部らしかったし、

何かの講義で一緒になることだってあるかもしれないと思った。

そして案の定、丸山先生の講義で私は彼と一緒になることができた。


ところが、その丸山先生の講義に出ていた五人の学生がいなくなった。

そんな噂が出て、私はその中に彼が含まれているのではないかと

ちょっと不安になった。

でも、心配した日の次の講義の時間にも彼はいつもの席に座って、

先生の講義を聴いている姿を見かけたので、私は安心していたのだけど、

突然、冴子に連絡が取れなくなって、

私は寧ろ彼女のことの方が心配になってしまった。


冴子どこに行ったのだろう。

それで今まで実は一度も訪れることがなかった、冴子の家に行ってみることにした。



第二十一章 さえこの失踪


冴子は両親と住んでいたマンションに、両親の離婚の後も一人で住んでいた。

お母さんは岡山の実家に戻ったような話をしていて、

お父さんは海外駐在員の仕事をしているというような話だった。


大学生になれば、地方から東京に一人で来て、

一人で暮らしている人もたくさんいるわけだし、

一人で住みなれたマンション、その土地にいることは、

それに比べたら全然楽だと言っていた。


冴子と連絡が取れなくなったのは、あのサークルのイベントに私が参加出来なくて、

いつものように冴子にその様子を聞こうとメールを出した時からだった。

その返事はいつまで経っても来なかった。


今までは、そのイベントの最中にわざわざメールをして来て、

彼はいまどの女の子の隣でどのようなことをしているかと、

まるで実況中継のような感じでメールをして来てくれていたのに、

その時はイベントが終わってもなしのつぶてだった。


そもそも冴子がそのイベントに参加したかも不明だったので、

サークルで顔見知りの人に冴子の出席を伺うと、

やっぱり参加はしていないことがわかった。


何をおいても、サークルのイベントには出席していた彼女なので、

私は風邪でもひいたのではないかと心配になり、携帯に電話してみたり、

メールをあれこれ送ってみたが、どれにも反応がなかった。


そこでうろ覚えだった冴子のマンションに行ってみたのだが、

やっぱりそこには帰ってはいなかった。


こうなるともう私には彼女を探す術がない。

岡山の実家に戻ったということだと、連絡先がわからないし、

まさかお父さんのいる外国・・その国さえも知らない・・だったら、

もうどうしようもない。


それで私は仕方がなく、冴子を待つことにした。

一週間、一か月・・どれくらい待ったらいいかわからなかったけど、

私には待つことしかできないと思った。


それから一週間後、やっぱりじっとしていられなくて、

私は冴子のマンションに再び足を運んだ。


ドアフォンの音が廊下に響いた。

すると隣のドアが静かに開いて、なんかむさくるしい男の人がぬうっと出て来た。

私は反射的に危険・・と思ったのだけど、その人は

それ以上こちらに近づいてくることはなく、寧ろ私を見て、

「なんだ女の子か。」とそう言って、そのままドアを閉じた。


いったいなんだったのかわからないけど、

私の二度目の訪問は、冴子ではなく、変な男に遭遇して失敗に終わった。


夏休みが終わった。

噂ではあの五人が学校に戻って来たということを聞いた。

どうやら失踪というよりも、学校をさぼってふらふらしていたらしいとのこと。


もしかしたら冴子もそんなことなのかと思ったけど、

まったく連絡もなくそんなことをしているとは思えないし、

私はどうにかして冴子のお母さんに連絡を取って、

この不安な状態から解放されたいと思った。


私がこんな決心をするなんて、自分でも信じられないことだったけど、

これは冴子の性分が移ったのかしらと思ったりもしたが、

そうではなくて、この大学で再会した彼の熱いイメージが、

私に勇気をくれたものだということを確信していた。


もし冴子に何かあったらどうしようという思いもあった。

またこんな行動に出る私ってなんかどうかしてるという思いもあった。


出来ればこのまま耳をふさいで、目を閉じて、

そして一人閉じこもって、冴子の帰りを待ちたかった。

そしてそうしてうずくまってる私を後ろからトントンって

冴子に肩を叩いて欲しかった。


あ・・冴子お帰り・・どこ行ってたの? 心配したよ。


でも、その肩を叩くのは冴子ではなかった。

私のイメージでは彼だった。

彼の激しく強く私を導く力が、私を安堵させる。


私は学校や冴子の友達に色々当たって、冴子のお母さんの住所を調べて回った。


でも誰も知らなかった。

学校へはあのマンションの住所で届けてあるし、

友達関係は、離婚したお母さんの話題はタブーだった。


どうしようもなくなった時、

私にメールが届いた。

それは冴子からだった。

「私を探して・・・。」




第二十二章 小枝子の追跡


「私を探して・・・。」


私はその文面がいなくなった男子学生に送られて来たものと同じであることを知って、

彼らからその話を詳しく聞くことにした。


でもどの学生からも反応は極めて悪かった。


「何言ってるんだよ。からかってるのかよ。」


私の親友から、彼らと同じようなメールが届いて、私が心配しているのに、

大学生同士ってこんなに冷めてしまうのだろうかととても残念な思いがした。


彼らに届いたメールは結局、文面だけがはっきりと記憶されていて、

その後の彼らの行動はどれもばらばらで要領を得なかった。

結局「私」に会うことができずに彼らが退散して来たということで締めくくられた。


それを恥じてか、彼らがそのことについて語りたがらないという気持ちもわかる。

でも今回、私に届いたメールは少し違うように思えてならなかった。

それは男性に届いたものではなくて、女性に届いたものであるということ。

そして何より冴子はそんな冗談を言う子ではないし、

また冴子とも一向に連絡が取れなくなっていることも確かだった。


でも、彼らの反応はとても冷たかった。

私だって、立ちあがる時はある!

そう思ってもう一度、彼らにアタックしてみることにした。


私はずかずかと学食にいる彼らのひとりに歩み寄って、そして問いただした。


「メールの送信者、どこまでわかったか教えてくれない!」


辺りが一瞬静まり返った。

そして、彼の表情が困惑に変わった。

次に口元がゆるみ、それは吐き捨てるかのように言い放たれた。

「送ったの、君じゃん。」

え・・。


「あの「私を探して」って送ったの、君だろ!」

え・・。

いったい何のこと?


私はその場にひとり取り残されて、そしてそのまましばらく動けなかった。


私がなんで送るの?

私はそれでも冴子を探さなくてはいけない! という堅い決意に後押しされて、

他の四人にも当たってみることにした。


でも、答えは同じだった。

「あのメールって私から送られて来た?」

四人とも、ふざけるなという視線を送りながら、

「ああ・・。」

とだけ返事をした。


あのメールは私が送ったんだ・・。


いやいや・・そんな記憶はない。

私が送るはずがないし、現に送ってはいない。

ばかなことだが、自分の携帯の送信済みのところを検索しても、

そんなメールを送った形跡は残ってない。


まさか無意識のうちに送信してしまって、そして無意識のうちにそれを削除しているのか。

だとしたら私って何者・・?

どうやって冴子を探すの?

私が冴子をどうにかしちゃったの?


その日からしばらく眠れなかった。

でもそうしていても冴子は戻らなかったし、

そして戻って来るわけもなかった。


いけない。いけない。こんなことでは・・。

私は自分が精神を病んでいて、もう一人の私が何か別の意識を持って、

何か不審な行動を起こしているのではないかという疑心暗鬼に包まれていた。

精神科に行けば、何か解決するだろうか・・そうも思った。


私の記憶がないところで、私が何かの行動を起こして、

そして今の私がそれを知らないだけなのかもしれないという恐怖に襲われた。


そんな或る日、

サークルの知り合いが、私の家にわざわざ次のイベントの日程を知らせに来てくれた。


「わざわざ家にまで来てくれてありがとう。」

「うん。携帯にメールしたんだけど、戻ってきちゃったから。」

「え?」

「ほら、サークルに入った時、みんなで連絡先を書いた名簿作ったでしょ。」

「うん。」

「あそこに書かれてたメアドにいくら送っても、小枝子から全然返事が来ないんだもの。

それで私がこうやってわざわざ来たんだよ。」

「え!」


私があんまりびっくりした顔をしたのか、彼女が吹き出した。

それほど滑稽な表情をしたのだろう。

そして私の頭の中も滑稽なほどパニくっていた。


「そのメアドってどれ?」

彼女が携帯を出して、送信先のメアドを見せてくれた。

それは私のメアドではなくて、冴子のものだった。

なんで冴子のメアドが・・・。


私はそれから学校のサークル室へ行って、その名簿を確認してみることにした。

それはサークル室の壁に画鋲できつく止められたノートに貼りつけられていた。


私の情報が書き込まれた箇所を見ると・・・、

そこには私の名前、住所・・そこまではあっていたが、

携帯のメアドは私のものではなくて、冴子のものに書きなおしてあった。


え・・どういうこと?

いたずら?

これでは私にメールは届かない。

みんな冴子に行ってしまう。

でも、どうして?

なんで冴子に私へのメールが行くようになってるの?


そして・・

私はふと思いついた。

あの五人へのメール。

あれももしかしたら、冴子が送ったものではないのだろうかと。

何かよくわからないけど、直感がそう私に語っていた。


私はそう思うと居ても立ってもいられず、

学食に行って彼らを探していた。


私が近づいて行くのがわかると、

またお前かよという視線とオーラが彼と彼の仲間たちから、

ものすごい勢いで私に発せられた。


でも今日の私はめげない。

これはこうしないといけないことだから。

その時に、彼が私の腕をひっぱる光景が頭をよぎった。

私が彼らにあと一歩近寄る前に、その中の一人がけん制して言葉を発した。


「なんだよ。今日は・・。」


私は冷静にならなくちゃいけないと思って、深呼吸をした。


「ごめん。あのメールまだ残ってる?」

「え?」

「私を探してっていうメール。」

「あんな不愉快なメール消しちゃったよ。」

「じゃあメアドとか覚えていない。」

「覚えてないな。」


私が立ち去る時に彼らの方から笑い声が聞こえた。

私はこれをむなしく五回繰り返した。



第二十三章 第二のメール


私は途方に暮れた。

どうやらあのメールは冴子が発したのではないかという推測が立ったが、

その証拠は残っていなかった。

そして未だ冴子の行方はわからなかった。

そして私は孤独だった。

冴子からのお願いに未だ答えられずにいる自分がむなしかった。


でも、それから少しして、

この八方塞がりの状況を打破することが起こった。


冴子からもう一通のメールが届いた。

「雨の金堂で待ってる。必ず来てね。」


どうして冴子がこんなことをして私を呼び寄せるのか、

今はどうでも良くなっていた。

それより早く冴子に会いたかったし、今の孤独な状況から抜け出したかった。

そして、よくわからない不安な事態からも逃れたかった。


雨の金堂・・・どこ?


金色のお寺・・

金閣?

どうして雨?


この謎かけに私は答えなければならない?

どうしてかなんてどうでも良かった。

早く冴子のもとへ駆けつけたかった。


疲れを癒すために湯船につかっている時に、

ふと以前何かで読んだ俳句が頭の中に浮かんだ。


「五月雨の降のこしてや光堂」

これって・・平泉の中尊寺・・・金色堂・・。


それって、懐かしい・・・。

中学の時彼と同じ班になって、研究テーマで調べたところだし。


これって。

そんな思い出話を冴子にしたから、それで私をそんなところに呼びだしたの?


私はあのメールの答えがその中尊寺に間違いないと確信していた。

そして早速明日平泉に向かうことを決心していた。


でも行く前にやることが一つある。

そうも決めていた。


翌日、丸山先生の講義に遅れて行くと、教室の後ろのドアから入って、

いつも一番後ろの席で聴講している彼の隣に座り、

その場で書いたメモを彼に渡した。

私はその足で東京駅に向かい、東北新幹線に乗った。


そのメモに書いた言葉は、

「私を探して。」



第二十四章 冴子の軌跡


私が不審に思ったのは、

覚えがない送信先からの不審な返信だった。


返信・・って私が誰かに送ったメールの返事ってことだし、

そんな元のメールを送った覚えがない。

記憶がないのに、事実そういうことをしているということが、

不安になるよりも、わけがわからなかった。


返信の文面もだいたい決まってはいた。


「君、誰?」

そんな感じだった。

私も名乗らずに、なんかメールを出してしまっていたのか、

これってウィルスかなんかに感染してしまって、

そんなメールが勝手に行ってしまったのか、

或いは新しいタイプの迷惑メールだったのかもしれない。

私はこの最後の線が強いと思ってその返信はそのまま放置していた。

それでこの件は忘れてしまっていた。


それからしばらくして、学校で五人の男子が失踪するという事件を耳にして、

なんか怖いことがたくさんあるなあと思っていたりしたところ、

気分転換で旅行をすることになった。

旅行なんてずっとしなかったから、すごく楽しみで、

どこへ行こうかということになった時、

それじゃあ、思い出の平泉なんかどう?という話が出て、

私も興味あったからその中尊寺金色堂へ行って、なんか美味しいものを食べて、

温泉にでもつかって、英気を養って来たいと思った。


今回は車でのんびり目的地に向かうことにした。

高速道路の休日千円もいつなくなるかわからないし、

高速で行って、交通費を浮かせた分、

美味しいものをたくさん食べようということになった。

東北道に入るとそれほど車は混んでなく、先先へとスムーズに流れた。


最初の休憩場所は、羽生パーキングエリア。

ここのスナックコーナーで腹ごしらえをして、そして更に先へ。

私はここで自家製焼きそばを食べた。


続いて、ちょっと近いけど、佐野パーキングエリアへ。

ここではTVで視たとちおとめを使った牛乳をゲット。

車内で飲みながら先へ進めるから、快適!。


その次は大谷パーキングエリアで休憩。

楽しみだった宇都宮餃子を食べるために、右往左往してしまった。


次はちょっと走って、那須高原パーキングエリア。

ここのアイスは最高!

でもちょっとこぶりのガレットも美味しかった。


次はどこでお昼を食べようかなって、

ちょっと迷った末に、安達太良サービスエリアに入った。

ここで目に止まったのは、酵母入り牛ハンバーガー。

結構ボリュームがあっておなかが一杯。


結構疲れてきたけど、まだ目的地は先なので頑張らないとと言いながら、

菅生パーキングエリアで休憩がてら、ベーカリーでパンを少し買い込んで、

再び先へと。


ついに仙台南インターチェンジ。

ここで仙台で今日は一泊する。

明日はいよいよ平泉。

夜は仙台駅の近くにある牛タンが美味しい店に行って、

思う存分厚切りの牛タンを堪能した。

大満足。


翌日再び東北道に乗って、一路平泉へ。

今日のお昼は前沢牛だと決めているので、朝食は抜き!

ゆうべ、ホテルのフロントで前沢牛のことを聞くと、

なんでも肉質日本一だとのこと、ますます食べてみたくなって、

平泉なんかよりも、こっちに関心が行くのだけど、約束だから、

まずは中尊寺を観光することになった。


帰りに前沢牛を食べて・・でも高いのかなあ・・・。


そして、夜は仙台に戻って、お寿司・・。


もう最高の旅行になりそう!



第二十五章 小枝子の追跡2


一ノ関駅からタクシーに乗った。

一刻も早く中尊寺に行ってみたかった。

行って・・それから先は考えてなかった。

でも、きっと冴子が何らかの目印を残しておいてくれていると思った。


「いま一ノ関に着いたよ。これから中尊寺に向かうね。」

一応メールを送った。


中尊寺は世界遺産を目指しているということもあって、

やはりその観光客の数はすごいものがあった。

ひっきりなしに大型バスが出入りしてるし、

乗用車で観光に来る人の数も多かった。


どこが金色堂の入口なんだろうと、

あたりを見回していると、

団体旅行のご一行さんが前を横切って行ったので、

観光案内も聞けるかもしれないし、道に迷うこともないと思い、

その集団についていくことにした。


金色堂への道は意外な上り坂で、けっこうきつかった。

ヒールでは、少しつらい。

でもみんなに遅れてはいけないと思い、

ヒールが脱げそうになりながらも必死についていった。


「ねえ。聞いた?」

「なにを?」

「この前、上の金色堂の近くで、人が倒れてたらしいのよ。」

「あ、聞いた聞いた。」

「まだ身元不明なんでしょ。」

「そうそう。若い女性だったらしいけどね。」

「そうなんだ。」

「どうなったの?」

「亡くなってたらしいよ。」

「事件?」

「行き倒れじゃなくて、殺されたみたい。」

「そうなんだ。」

「いやだね。」


必死でついていく私が耳にしたおばさん達の会話。

それが私にはとても気になった。


身元不明の若い女性の遺体・・・。


それって、

まさか・・。


「それっていつの話ですか?」

私は構わずおばさんたちの会話に割り込んでいた。


「え?」

ちょっとびっくりしたおばさんが、それでも普通に答えてくれた。

「えっと・・確かおとといぐらいだったかしら。」


私はいま登って来た坂を再び戻って、

そして下のお土産売り場のおばさんに、

近くの警察署の場所を聞いて、そしてそこへ向かった。


まさか、違うよね。

そう思いながらも、自分の手が震えているのがわかった。

タクシーの中で、いきなり泣きそうになるのをこらえながら、

私は冴子と最後に会った日のことを思い出していた。


警察署に行くと、受付でその話をして、

もしかしたら知り合いかもしれないということで、

担当の刑事さんに話を伺うことになった。


既に遺体は火葬されてしまったので、直接顔を確認することは出来なかったが、

遺品やそして・・

遺体の写真を見ると・・それは間違いなく冴子だった。


どうして・・。

誰が・・。


刑事さんの話だと、

一週間前に、中尊寺の金色堂の前で鋭利なナイフで刺された後、

下まで歩いてくる途中で息絶えたということらしい。

身元を判断するものは何も持っていなくて、どうしようもなく、

二、三日前に全国ネットのワイドショーで大々的に報道してもらったらしい。


「携帯電話・・。」

「携帯電話?・・それもなかったよ。」

「そうですか。」


じゃあ私の送ったメールも届いていない。

いったい誰が持っていったの。


私はむなしく東京に戻った。

冴子が残してくれた目印ってこれだったの?

確かにこんな確実な目印はないけど。


東京に戻っても、しばらく何もする気がしなかった。

学校へも行かなかった。

それから冴子のお葬式だの、なんだのと、そういうことがあったのかもしれないけど、

警察がお父さんやお母さんに連絡する方法が簡単に見つかったのかもわからないし、

私はしばらく途方にくれて家でじっとしていた。


冴子との日々を思っても、涙は出なかった。

いきなり姿を消してしまって、そして亡くなったと知らされて。

でも遺体を見たわけでもないし、死んだということが信じられなかった。


お葬式も行われたということも聞いてないし、

学校には連絡が行ったのかもしれないけど、

学校の友達からもそういう連絡は一切来てなかった。


警察の捜査がどう行われているかわからないし、

私にはそれを積極的に覗こうという意思が出てこなかった。


助けて欲しい。

私をここから引っ張りあげて欲しい。

強い力で、この暗黒の深遠から引き上げて欲しい。


それって・・彼?

彼の力が必要?

私は思い切って彼を探しに外へ出た。

久しぶりの太陽がとてもまぶしかった。


学校へ行き、サークル室、彼が履修していた講義・・どこへでも顔を出した。

でも見つからなかった。

彼と一緒にいることを見かけたことがある男子学生に彼のことを尋ねた。


「最近見かけないんだよね。」

「なんか学校に来てないみたいだよ。」

「そういえば女子大でバンドやってるとかいう噂なかった?」

「そうだっけ?」

「うそだろ。」



第二十六章 携帯


久しぶりの母校

ずっと東女に通い詰めていたから、

まるであちらの学校の学生みたいなつもりになって、

母校の感覚もなんか薄らいでいた。

なので、こうしてまた母校に通いだすと、

やけに新鮮だったり懐かしくもあった。

でもそれも一ヶ月も過ぎると、またもとのもくあみという感じで、

怠惰な日々が押し寄せて来た。


「君・・山下俊彦君だね。」

「はい。」


え・・だれ?


「警察のものですが、ちょっとお聞きしたいことがあって。」

「え?」


刑事二人の後ろに、学生がもう一人立っていた。


「いま彼にも聞いていたんだけど、並木冴子さんていう人はご存知ですか?」


え?


「いいえ。」

「そうですか。」

「その方がどうかしたんですか?」

「いえね。亡くなりまして。」

「亡くなったって・・それって。」

「一応他殺の線で追っています。」


殺された?


「その並木さんの携帯電話からのメールの発信先にあなたのものがあったので、

ちょっとお話が聞けたらと思いまして。」


「僕にその人からメールが?」

「はい。」


その時、刑事さんと一緒にいた学生が口を開いた。


「例のあのメールだよ。」

「あのメール?」

僕はかなり舞い上がっていた。


「私を探してというメールが何人かの学生さんに送られてきていたようですが、

あなたもその一人ですよね。」

「あ・・・あれ?・・あ・・はい。」


どうやら一緒にいた彼もそのメールが送られてきた一人だったようだ。


「送られて来ました。でも誰だかわからないし。

それにその並木さんって記憶ないですし。」

「確か、あなたはホワイトベアーズというサークルに入ってませんでしたか?」


「はい。一応。」

「一応というと?」

「あまり出てませんでした。」

「そうなんですか。あまり熱心に参加はされていなかったのですね。」

「はい。」

「実は亡くなられた並木さんもそのサークルに入ってたんですよ。」

「え・・あ・・そうだったんですか。」

「並木さん、記憶にないですか?」

「はい。」


僕は謎のあのメールの正体をその時初めて知った。

でも、何故僕にその人から送られて来たのだろうか。

そして何故その人が殺されたのだろうか。

まさか僕はこの事件に巻き込まれていないよな・・・。

刑事さんが帰った後も、学食でずっとそのことを考えていた。


その時・・

再び携帯にメールが届いた。

まさかとは思ったけど、

やはり文面にはそう書かれていた。


「私を探して。」

でもそれはあのメアドから発信されたものではなかった。



第二十七章 私


「私を覚えてる?」

「え?」

「俊彦くんと中学で一緒だった・・・。」

「え?・・誰?」


私は遂に彼の前に歩み出る決心をした。

もういままで何度も会ってるのに、

っていうか、もう何年もあなたのことを、あなたのことだけを見てるのに。


十年愛ってなんか聞いたことあるけど、

私も彼を初めて近くに感じた中学生の時から、今年でもう七年?


ううん。彼と出逢ったのは、もっと幼い時だし。

そう考えれば十年どころじゃないし。


「そうだったっけ?」

「うん。ほら、私の母が交通事故に逢った時。」

「え・・あ・・。」

「私を探してくれて、うちまでひっぱっていってくれて。」

「あ・・・え・・・そ・・そうなの?」

「思い出してくれた?」

「あ・・うん・・でも、変わったね・・。」

「そう?・・でもあれから何年たった?・・あの時はまだ中学生だよ。」

「そうだよね。」


ずっと離れてた魂が、いまひとつになる。


「私ね。ずっとあなたを見てたの。」

「え・・。」

「高校・・別になったでしょ?」

「あ・・うん・・。」

「私、文化祭に行ったんだよ。」

「え?・・うちの高校の?」

「うん。」

「へえ・・いつ?」

「一年生と二年生の時・・。」

「そうなの!・・え・・それほんと?」

「うん。でも会えたのは二年生の時。」

「二年生っていうと・・。」

「クレープ屋さんやった時。」

「ああ・・あの時来てくれたんだぁ。」

「うん。」

「じゃあ教室まで来てくれたの?」

「連れて行かれた。」

「え・・って、それって僕に?」

「うん。」

「ははは、そっか・・呼び込みしてたからな。」


もう何度も顔をあわせた学食で、いまこうして思い出話にひたってる。

良かった。

思い切って打ち明けて良かった。


「三年の時は受験で文化祭には参加しなかったんだよね。」

「知ってる。だから行かなかった。」

「え・・・そうなんだ。」

「その頃、図書館でよく見かけた。」

「あ・・近くの市立図書館行ってた。君も?」

「うん。」

「よく会った?」

「時々かなぁ。」

「ははは。」

「確か・・彼女といなかった?」

「彼女?」

「うん・・確か東女受けるとか・・。」

「あ・・あの子かな・・ってよく受験する大学まで知ってたね。」


思い出が尽きない。

っていうか次々に溢れてくる。

「でも彼女、東女じゃなくて、うちの大学だよ。うちのサークルだし。」

「うん。知ってる。今でもよく話してるよね。」

「そうだね。なんか受験の頃からの腐れ縁って感じ。」

「彼女じゃないんでしょ。」

「うーん。ちょっと違うかな。まあいつもなんか一緒だけど。」


なんかこの十年の断絶がいっきに修復された気がする。

ずっと前から知り合いで、間断なくずっと親しかった・・

今はそう思えて仕方がない。


「俊彦くん・・東女のバンドに入ってたの?」

「ああ・・誰に聞いたの?」

「うん。誰だったかなあ。」

「噂になってた?」

「うん。」


私は彼の彼女のことも知っている。

でも、その話は今はしない。

私たちの思い出には無関係なことだから。


「ライブも何回かやったんだけどね。もうやめちゃったよ。」

「そうなんだ。残念。」

「ははは。」


彼の笑顔がいい。

その笑顔を見てると確かにこちらも楽しくなってくる。

きっとあの頃の私もこの笑顔を好きになったんだ。


「一緒のサークルだよね。全然覚えてなくってごめんね。」

「私、印象薄い?」

「そんなことないけど。」

「授業も一緒だったよ。」

「ええ!・・そうなの?」

「うん。丸山先生の。」

「えー・・ほんと?」

「うん。」

「じゃあ・授業よく出てる?」

「うん・・一応。」

「じゃあノート見せてくれる? 

その東女のバンドで授業に出てない時が結構あってね・・。」

「いいよ。」

「やった! 助かる。」

「じゃあ・・お返しに、何か美味しいもの食べさせて。」

「うん。わかった・・学食のデザートとか?」

「ええ?。」

「うそうそ・・何がいい?」

「じゃあ・・自由が丘のスィーツフォレスト。」

「それって自由が丘にあるの?」

「うん。」

「了解! じゃあ行こう!」

「やった。」

「じゃあ・・早速、明日?」

「いいよ。」

「よし!」



第二十八章 小枝子の決心


私は・・どうしたらいいんだろう・・

そう・・私はどうしたら・・・


その時、頭に蘇ったのは、私を力強く引き上げる彼の手の感覚だった。


そうだ・・最早彼に頼るしかないと思った。


彼なら、救い出してくれると思った。

そして彼しかいないと思った。


冴子が殺されて、それでもまだあのメールが私に送られてきて、

いったい「私」が誰なのか、どうして探して欲しいのか、

何故私が探さなくてはならないのか・・

この答えは私ではどうしようもなかった。


もう彼しか私を救えない。

私は俊彦くんに最後の救いを求めることにした。


学食に行けば、いつものように彼はそこにいる。

彼に歩み寄って、全てを打ち明けよう。

最初は彼も戸惑うかもしれない。

けれど彼ならきっと助けてくれるに違いない。



第二十九章 私と俊彦


ずっと心に思い描いていた俊彦くんとのこの瞬間。


自由が丘の改札を出て少し歩くけど、最後の階段を上がると、

そこは私の大好きなスィーツのお城がある。


ずっと彼と来ることを夢見てた。

そしてそれがいまやっと叶った。


手をつないで、

優しく語りあって、

楽しく笑いあって・・


私の初恋の人がいま私の隣にいて、そして私だけを見ている。



僕のいま横にいるのは幼馴染の小枝子。


昔の面影も少しあるけど、どっちかというと昔の方が可愛かった。

なんて、そんなことを言うと怒られる。

小枝子に学食で今迄のことを色々と聞かされて、

正直びっくりした。

中学生の例のことは鮮明に覚えていたけど、

その後はすっかり疎遠になってしまって、気が付いたら同じ大学で、

同じサークルに入っていたわけで、それも奇遇だけど、

結局、いつも小枝子が僕の周りになんとなく存在していて、

そして僕をずっと見守ってくれていた。

そんな気がした。


今思えば、付き合ったと言えるのは、あの東女の子くらいだったけど、

やっぱりこうして、小枝子と結ばれるべくして、

あれはあれで、ああいう終わり方をして良かったのだと思う。


中学生のあの出来ごと。

小枝子を家まで連れて行ったあの時。

幼いながらも、僕は彼女に恋をしていた。

でもまさか、好きだなんて言える状況じゃなかったし、

その後もなんか話すことさえ照れてしまって、どうしようもなかった。


高校へ進学した後も、勿論彼女のことは気になっていたけど、

どこかの女子高に行ったということしかわからなくて、

まさか女子高になんか文化祭だって行けるわけがなく、

自宅は覚えていたけど、いったい何の用があって行くのだろうかと、

もうどうしようもなく諦めていた。


でも、小枝子の話だと、

高校の時に僕の学校の文化祭に来てくれていたとのこと。

ちょっと感動。


クレープのお店をやった時に、

彼女を僕が案内したらしいけど、

それも覚えていないなんて、ちょっと情けないけど、

でもやっぱりその時も今思うと運命的なものを感じてしまう。


大学に受かって、今のサークルに入ったこともそう。

これも運命的。

ただあまり僕も参加していなくて、

そういうことから彼女の存在を知りえなかったけど、

でも、いまこうしてこんな感じで再会したのだから、

そんなことはどうでもいいことに思える。


中学生のあの時の彼女が、今は髪も長く伸ばして、

ちょっとウェーブがかった髪を茶色に染めて、そしてきっちりお化粧もして・・・

大人の女性として、僕の隣で笑顔で笑っている。


あれからいったい何年経ったのか、その期間が僕には今は一瞬に思えた。


最初はちょっとびっくりしたけど、それがやがて懐かしさに変わり、

そして実は中学生の頃の淡い恋の延長線上の出来事として、

自分自身が認知するまでには、それほどの時間を要しなかった。

あの頃の幼い恋が時間を掛けて少しずつ成長して、

今はりっぱな恋愛として二人の間に確かに存在することが実感できた。


「私ね。ずっと俊彦くんにあこがれていたの。」

「ほんと?」

「うん。そうだよ。」

「いつから?」

「知ってるでしょ?」

「お母さんの事故の時から?」

「違うよ・・その前だよ。」

「え?」

「私の机にイタズラ描きしたことあったでしょ?」

「え・・・そんなことあった?」

「あったよ。」

「そうだったっけ。」

「うん。」

「じゃあ、その時から?」

「うん。」

「そっか。」


「俊彦くんは?」

「え?」

「私のことはどう思ってる?」

「うん。」

「うんじゃわからないけど。」

「うん・・好きだよ。」

「ありがと。」


「ねえ俊彦くん。今度旅行しない?」

「旅行? ってどこへ?」

「平泉。」

「平泉?」

「うん。」



第三十章 俊彦と小枝子


俊彦くんがいなくなった。


或る日忽然と彼が学校から姿を消した。


私は学食や講義や、学校の中のありとあらゆる場所を探索したが、

やっぱり彼を見つけることが出来なかった。

彼、学校に来てないのかも。


もしかして、

前の時の五人のように、彼もまた姿を消してしまったのだろうか。

まさか、冴子と同じような危ない状況にいることはないだろうか。


サークルの知り合いに尋ねても、最近彼を見かけていないから、

どこで何をしているかはまったくわからないということだった。


まさか・・ということで、

勇気を出して、家を訪ねた。

彼の家に行ったことはなかった。

お母さんが出て来た。

私を見て一瞬びっくりしたようだったが、

どうやら彼は旅行に出かけたらしかった。


もしかしたら、彼にもあのメールが届いたのかもしれない。

勿論お母さんはそんなことは知らないだろう。

だからそのことには触れないで帰って来た。


やっぱり私はこのことから逃げることは出来ないのだと思った。

冴子のことも忘れてはいない。

というか、忘れることなどできない。


やっぱり、冴子が最後にヒントをくれたあの金色堂に何かがあるのかもしれない。

そう思って、私は再びそこを訪れる決心をしていた。

もしかしたら、そこに俊彦くんもいるかもしれない。


もしそこで会えたら、全てを話そう。

そして運命の再会を祝福しよう。

そう決めた。



僕が金色堂から下ってくると、土産物売り場の前で小枝子が待っていた。

「ごめんね。待った?」

「大丈夫。お土産とか見てたし。」

「そっか。良かった。」

「少し歩かない?」

「うん。いいよ。」


僕らは散策をしながら話をすることにした。

「なんかこんなとこまで来て、改まって話をするなんて、ちょっとドキドキするね。」

「・・・・。」

「それで、話って?」

「うん。」

「・・・。」

「実はね。俊彦くん。」

「うん。」

「私たちのことは、もう終わりにしない?」

「え!」

「これ以上、あなたと一緒にいたくないの。」

「どうしたの?いきなり。」

「いきなりじゃないよ。」

「だって、いきなりじゃないか。」

「なんか、あなたとこうやって普通に話せるようになったら、

なんか、こう・・冷めちゃったの。」

「え?」

「私って、追いかける時は夢中になるんだけど、

その思いが成就すると、さっと冷めちゃうみたいなの。」

「え・・・。」


彼女のこの拒絶は、本当に突然だった。

なんとなく、そういう雰囲気がしていたということもまったくなかった。

今の今まで、僕は彼女に別れを告げられるなんて、

微塵たりとも想像などしていなかった。


「ちょっと待ってよ。」

「待てないよ。決めたんだもの。」

「僕は納得できないよ。」

「俊彦くんが納得できなくても、私は決めちゃったの。」


彼女の決意は固かった。

それは彼女の視線や、表情、そして言葉の節々に現れていた。


「でも、なんでなの?」

「うん・・なんでなのかな。」

「やっぱり納得できないよ。」

「うん・・私ね、俊彦くんにずっと憧れていたでしょ。」

「・・・。」

「十年? ・・それ以上? ・・ずっと片思いだったの。」

「・・・。」

「あなたに何度もこの気持ちを打ち明けようと思ったのよ。

でも出来なかった。色んなことがあった。

俊彦くんも色んなことがあったでしょ。東女の子と付き合ったりとか。」


「ええ・・そんなこと気にしてるの? 今は関係ないよ。」

「ううん。そんなことじゃなくて、私は俊彦くんが色々と回り道してた時も、

ずっとあなたを思ってた。そしてついこの前やっとあなたがそれに気がついてくれて、

そして私の方を振り向いてくれた。」

「うん。」

「私のこと好き?」

「うん。好きだよ。だから別れるなんて嫌だよ。絶対に出来ないよ。」

「だよね・・でも・・それならどうして、最初から私だけを見てくれなかったの?」

「え?」

「私がずっとあなたを好きだったように、

あなたも最初から私のことを好きだって言ってくれなかったの?」

「え・・だって。」

「だって、私のこと知ってたでしょ? 私のこと気にしてくれてたでしょ?」

「う・・うん。」

「それを私をずっとあなたに向かせておいて、あなたは知らん顔して、

それでこんなに待たせておいて、それでこんなに遅くなって、今頃になって、

何が好きよ。」

「・・・。」

「私はあなたの何なの?」

「何だと聞かれても・・。」

「私、馬鹿みたいじゃない。あなたを十年もずっとひたむきに待ち続けて、

それであなたは最近になって、簡単に好きだなんて、よくそんなに軽々しく言えるわ。

それっておかしくない? 私可愛そうよ。なんで今更そんなことを言うのよ。

好きだって言うにしても、なんで対等なの? 私はずっとあなたを待ってたのよ。

もっと私の気持ちに敬意を払ってくれてもいいんじゃない?」


「小枝子・・君の本心は・・素直な気持ちは・・そういうことなの?」

「ええ・・そうよ!」


ひた向きな愛が成就された時に、相手を拒絶することは矛盾しているか?


「じゃあなぜ最初に私を愛してくれなかったの?」


その小枝子の言葉が胸に突き刺さった。

一般的に、素直になる大切さは是でも、この場合、素直になることは是なのだろうか、

それとも否なのだろうか。


小枝子の答えは否だったのだけれど。



第三十一章 述懐


私にとって並木冴子は仲のいい友達だった。

冴子は私の幼馴染。

ずっと一緒。

学校は高校から別々になっちゃったけど、それでも自宅ではいつも一緒。


私、ひきこもりだった。

それで、友達なんて出来なかった。

でも、冴子は違う。

冴子は私にいつも外の話をしてくれた。

私はそれが楽しみだった。


冴子の話には、いつもワクワクした。

冴子といると幸せだった。



その冴子が死んだ。

私が殺した。


理由?

理由か・・・。


理由なんて今更どうでもいいけど、

強いて言うなら、もう私には必要ないから。

冴子は、もういらないから。


確かに、冴子は私の一番の友達だったけど、でも今は違う。

冴子は、私に色々なことを教えてくれたけど、でももうそれも必要ない。

だから殺したの。


だって、私はもう何でも出来るもの。

冴子に教わらなくても一人で出来る。

冴子は私に男の子とのことをよく話してくれた。

そしてその中で、冴子の学校での友達の話をよくしてくれた。

その友達とその友達が好きな男の子との恋愛話をずっと最初から話してくれた。

私はその話に聞き入った。

そのうちにその女の子の気持ちがなんとなくわかってきた。

なんとなくわかってくると、もっとその子のことを聞きたくなった。

そしてもっとその子のことを知ると、私はその子の気持ちにいつしか同調した。


その子の気持ちに一体化すると、

私はそれ以外、外界からの刺激がまったくなかったので、

そのことだけを考えるようになった。


そうなると、私ならこうしよう。私ならこうしたいっていう思いが、

最初はすごく小さかったものが、それが次第にふくれあがってきて、

そしていつしかそれを実現することが、

私の生きる意味みたいに思えて来た。


そうだ。私はこの人との恋に生きよう。

この人との愛を実現するためにこそ生まれてきたんだ!

そういう思いが湧き上がってきた。



冴子の友達はその愛を全く進展させていないし、

それを冴子に言っても、冴子はただ笑ってるだけ。


もどかしいよ。

せっかくの愛を死なさないで。


せっかく最愛の人に巡り合うことが出来たのに、

それをほうっておいて・・それで殺してしまうなんて許せない。


愛はこの世で一番大切なことではないの?

なのにそのまま息絶えるのを待っているようなことって、

それってそれを殺してしまうことでしょう。


だから、私はその子に代わって彼を愛することにしたの。


彼の生活に関与し出すと、確かに彼は想像したとおり素敵な人だった。

私が命を賭して愛するのにふさわしい人だった。


でも、それに冴子が気がついた。

冴子が私の命を賭けた恋を邪魔しだした。

許せない。

私は冴子を平泉への旅行に誘った。



第三十二章 辞世の句


いま遠ざかって行くのは誰?


やっぱりこういう結果になってしまった。

せっかく冴子の事件の謎を解こうと思ったのに、やっぱり私には出来なかった。

不安だったから、彼にあの言葉を託した。


「私を探して。」

教室で彼に残したあの言葉は、まさに今のこのことを予感していた。


冴子が殺されたこと。

盛んに飛び交った「私を探して」という言葉。

そのふたつが私を通してひとつになることで、

何か事件の解決に至るのではないかと思った。

だから、私はここに来た。


誘いにのるようにして、この平泉に来た。


もし冴子の遺体が見つかっていなかったら、

私はメールの送り主が冴子だと確信していたと思う。

でも冴子の遺体が見つかったことで、最早冴子があのメールを送ったとは思えなかった。

と言うか、冴子が亡くなった今、それが冴子が送ったかどうかということはどうでも良かった。


思うに、メールの送信者は冴子を殺した犯人だと思う。

万が一、当初は冴子が送っていたとしても、

それが途中で冴子から犯人に変わっていったことは確かだと思う。


そして今、私はその推測を証明するように、冴子を殺した犯人に、

冴子の二の舞におとしめられた。


けれど・・あの犯人はだれ?

私、知らないんだけど・・・。



第三十三章 別れ


それから数日して

小枝子の遺体が、やはり同じくして、中尊寺の境内で見つかった。


僕はそれを最初聞かされて、自殺ではないかと思った。

けれど、刑事さんの話だと、他殺だということだった。


もう何が何だかわからないまま、現地の警察署に向かった。

小枝子の死が本当に僕らを別々にした。

彼女には恥ずかしいくらい未練たっぷりで、

もし出来ることなら復縁をしたいと切に思っていた。


でも、いまこうして彼女が亡くなってしまうと、

最早どうしようもない別れを認めざるを得ない。

まさに「幽明遙けく隔つ」である。



警察署に行くと早速、遺体安置所に案内された。


僕は絶対見たくない・・という思いと、

もしかしたら彼女じゃないのではという思いと、

最後に一目だけでも・・という複雑な思いが交錯していた。


暗い部屋に灯りがつけられ、彼女の顔を覆っていた布が取られた。


ああ・・遺体に傷がつけられていたら、どうしよう。

それどころか、顔もわからなくなるくらい損傷していたらどうしよう・・。

そんなことが一瞬で頭に広がった。


表情が固まった、少し土色になったように見える顔を覗き込むと、

あれ・・どうも何かが違う。

あれ・・よく見れば見るほど、これは小枝子と違う気がしてくる。


今更ここにいるのが小枝子じゃないなんて、自分にそう言い聞かせたって、

小枝子が戻ってくるわけじゃないし、しっかり確認して、

彼女の死を認めなければいけないんだ! とそう思ってもう一度確認をした。


あ・・

でも、違う。


まさか化粧でこんなに違うものなのか?

それとも死人の顔ってこんなに変わってしまうものなのかな。


「刑事さん・・これは小枝子ですよね。」

「うん。まちがいないよ。免許証で確認済みだから。」


ふと気がつくと、部屋の隅に彼女の両親らしき影が立っていた。

僕が挨拶も忘れて少しの間凝視すると、確かに昔みたことがある顔の二人だった。


彼女の遺留品から免許証と学生証が出て来て、それで身元がわかったらしい。


その両方を見せてもらった。

けれど、それは僕の知る小枝子の顔とは違っていた。

いや、寧ろかつて僕が知っていたあの可愛かった小枝子の顔だった。


以前、僕らの大学のサークルにいた子がここで遺体となって発見されたので、

その時にこの「小枝子」という子にも警察が事情を聞いていたらしい。

勿論その時は僕も聞かれていたので、

今回もその関連があるのではないかということで、僕にも即日連絡が来たのである。


学校でもその冴子という子が亡くなったということは一時噂になっていたが、

特に親しかったわけでもなく、まあそういう事件があったんだくらいにしか思っていなかった。

うちの大学は全部で二万六千人くらいの学生が在籍している。

サークルも山ほどあるので、一時は騒がれても、すぐに何事もなかったようになってしまう。


でも、この目の前の子があの小枝子だとすると、

あの子はいったい誰だろう。


あの子も小枝子で、この子も小枝子・・・。

勿論同一人物ではない。


でも、小枝子との様々な記憶。

彼女は鮮明に覚えていた。

そしてその記憶は確かに実際にあったことに間違いはなかった。


するとやはりこの子が偽物だろうか。

でも、この子が小枝子だということは、免許証や学生証が語っている。

「きっと冴子さんと、この小枝子さんの事件は関連あると思う。

何か知っていることや、気になることがあったら言ってくれないかな。」


いま僕自身混乱している。

なになに・・以前殺されたのがうちの学生の冴子で、今回は小枝子が殺された。

そして僕を振ったあの子も小枝子だと言っていた。


じゃああの子はだあれ?

もしかしたら小枝子っていう名前だったのかもしれないけど・・・。

いや、そんなことはないだろう。

きっと小枝子を騙っていたに違いない。


でもなぜ?

どんな目的があって、小枝子を騙っていたの?


そして刑事さんが言うように、冴子さんの事件も今回のこれに関係しているのなら、

この三人の関係はいったいなんだったのだろうか?

そして、それに僕は関係しているのだろうか?


その日はとりあえず僕は帰された。

遠く中尊寺まで来たのだから、その日に東京に帰ることはせず、

近くのホテルに泊まった。

小枝子さんの御両親とは別々の行動だった。

警察からまた何かあれば、今日と明日の午前中なら対応できるとは話をしておいた。


その夜、小枝子と名乗っていた子に電話をしてみた。

やはり出なかった。

僕はきっと彼女が一連の事件に関係しているのではないかと思ったが、

何も証拠がなかったし、こんな状況ではそのことを警察に話す気にもなれなかった。


勿論あの子が関係しているとしても、

まさか彼女が事件に直接かかわっているとは到底思えなかったし、

同じ学校の学生として、何かに巻き込まれたのかもしれないくらいに思っていた。


その夜、ぼーっとホテルの部屋の天井を見ていると、

携帯にメールが届いた。

それはあの子からだった。

「私を探して。」


今迄ずっとこのメールを送って来たのは実は彼女だとその時確信した。

そしてもしかしたら、彼女がこれらの事件の真犯人ではないかという気もして来た。


「君はいったいだあれ?」

僕はそう返信した。


ポーン!

メールが送られて来た。

「私は私。あなたが私ではないように、私は私でしかない。」


「君がやったのかい?」

それには返事は来なかった。


「メールで話してもいいけど、これから会えないかな?」


ポーン!

「いま平泉にいるよ。明日の朝、金色堂ではどう?」

「了解。何時?」

ポーン!

「8時に。」

「了解。」


一瞬、警察に連絡をしようかと思ったけど、

彼女が犯人だと決まったわけではないし、

明日話を聞いてからでも遅くないと思った。

結局一睡も出来ないまま、僕は約束の時間に約束の場所にひとりで向かった。


彼女は既に僕を待っていた。


やっぱり小枝子だ。

別れてからまだ少ししか経っていないのに、妙に懐かしかった。

早足で歩み寄ると、「やあ。」と返事をした。

彼女は僕の他に連れはいないかと聞いて来て、

確かに僕ひとりだということを確認すると、

ゆっくりと歩き始めた。


まだ時間が早いせいか、参拝客はいなくて、

僕たち二人だけが、歴史的なこの場所を悠々と闊歩していた。


僕は何も話しかけずに、彼女から話し出すのを待っていた。


この時間が永遠に続けばいいと思った。

何か直感で、彼女が口を開いた時に全てが終わるような気がしていた。

だから、彼女には何も話して欲しくなかった。

このままこの参道を歩いて、そしてまた笑って別れれば、それでいいと思った。


「わたしね。」


だめ!

瞬間そう思った。

全てが・・

全ての思い出が、その一瞬で崩壊してしまったと思った。


「私、葉月っていうの・・。」


え?

君は、小枝子だろ?


「私のこと知ってる?」

だから小枝子だって。

「そっか・・何も知らないんだ。」


彼女が笑ってる。それは僕への侮蔑だろうか。

それとも正体がばれなくて、安心したのだろうか。


「私、冴子の友達なんだよ。」

「冴子って・・最初に殺された?」

「うん。・・まあ、親友ってところかな。」

「冴子って・・・。」


また彼女が笑った。

「そっか・・冴子も知らないんだ。

でも、冴子って俊彦くんと違う大学だけど同じサークルだよ。」

「そうなんだ。」

「俊彦くん、他の学校で忙しくてサークルに出てなかったから、わからないか。」


また彼女が笑った。

「冴子って、小枝子と仲良かったんだよ。」

「・・・。」

「だめじゃん、俊彦くん。何も知らないの?」


もう彼女は笑ってなかった。


「小枝子と冴子って・・名前の読みが同じでしょ。それに高校が一緒だったんだよ。」

「高校で仲良くなったの?」

「そうだよ。」

「君は?」

「葉月でいいよ。・・私は冴子とずっと前から。近所だったし。」

「そうなんだ。」

「小枝子と冴子は高校から一緒で、あの高校って中学、高校、大学ってあるんだけど、

二人とも高校から入った組だから、それで特に仲良くなったみたい。」

「高校から入った組?」

「うん。ほとんどが中学からエスカレーター式で高校に上がるから、

高校から入った子はなんか他人みたいな感じになっちゃうんだよね。」

「そうなんだ。」

「私は冴子とは近所だったし、学校は別だったけど、

家に帰って来てからはいつも一緒だったよ。」

「じゃあ、その冴子って子は、学校では小枝子と、家では葉月さんと遊んでたんだ。」

「うん。」

「そうなんだ。」

「小枝子・・もうわかったでしょ。彼女はずっとあなたのことが好きだったんだよ。」

「うん。」

「そのことを学校で冴子に話をしてたんだって。」

「そっか。」

「学校で、小枝子とあなたとの思い出話を冴子がずっと聞いてたらしい。」

「うん。」

「そしてそれに対して冴子がこうしたらどう、ああしたらどうって、アドバイスをしてたの。」

「へえ。」

「でも、小枝子ってなんか消極的でしょ。だからそんなアドバイスもらったって、

出来るわけないし。」

「うん。」

「それで冴子がもどかしくなっちゃったんだよ。小枝子に。」

「・・・。」

「それで、そういう不満を、今度は私が冴子から聞かされてたの。」

「ああ・・。」

「うん。だから、それであなたのことはなんでも知ってた。もう嫌というくらい、

小枝子の話を聞かされた冴子が私に愚痴ってたからね。」

「なるほど。」

「それで、私いつか言ってやったの。じゃあ冴子がその小枝子って子に代わって、

その彼にアプローチしちゃいなよって。」

「・・・。」

「そうしたら、冴子もなんかためらってるから、

じゃあ私が二人に代わって、あなたにアプローチしちゃえって思ったの。」


「そういうことか。」

「男って、狩猟本能が刺激されると弱いんだよね。」

「え?」

「それで、私、考えて、私を探してってメール送った。」

「やっぱり君だったんだよね。」

「いままで知り合った子に、謎掛けて送ったんだけど、みんな軽いよね。」

「軽い?」

「うん。みんな探しに来たよ。でも頭も軽くて。」


彼女が笑ってる。

「探しに来たけど、見つからなくて、みんな断念して帰って行った。」

「え・・じゃああの失踪事件もみんな君の仕業?」

「仕業というか・・まあそうだけど。」

「そうだったのか・・。」

「でもあなたは凄かった・・最後まで答えを見つけてたもの。」

「あれも君ね・・。」

「あなたに関する出来ごとからキーワードを作ったのだから、

わからないはずはないと思ったけど、他の人はだめだった。」

「おいおい・・。」


「それで、あなたに関心が高まったの。」

「・・・。」

「それで、消極的でだめな小枝子に代わって、私があなたに近づいたの。」

「うん・・。」

「でもね・・ここからが問題で、あなたのことを冴子から聞いたり、

あなたのメールで戯れていたりして、

なんか小枝子の思い出が、私のそれと同化しちゃったの。」

「え?」

「つまり、小枝子の振りが、私こそ、小枝子の記憶を持った小枝子の本心そのものに

なってしまった感じがしたの。」

「・・・。」

「それからは、私は小枝子として行動したわ。私は最早葉月ではなかった。

小枝子の頭で考え、小枝子の体で行動し、小枝子の記憶であなたを好きになったの。」

「ええ!。」


「でも、それが冴子にばれちゃって。」

「・・・。」

「あなたどういうつもりなの? 私の親友の彼氏をどうするの? だって。」


「だから言ってやったの。そうじゃないでしょ。

彼は私がずっと恋焦がれていた人なのって。

だから私こそ彼に値する人だし、私こそ彼と結ばれる運命の人なんだって。」

「・・・。」

「そうしたら冴子ったらもうカンカンで・・。

なんか冴子がね、急に邪魔になったの。

私があなたと結ばれるのに、あれ以上の障害はないって思えたの。」

「・・・。」

「それで、わかった。こんなことやめるわって、冴子と仲直りの旅行に誘って、

それが平泉なんだけど・・そこで・・。」

「え・・・そんな。」

「だって、私の十年愛に邪魔だもの。」

「・・・。」

「そうしてめでたくあなたと私は運命の出逢いを果たしたの。」

「・・・。」

「その後はあなたも知っての通り・・やっと思いが叶ったら、

なんか今度はあなたが憎くなって来て。」

「僕も邪魔になったの?」

「邪魔とは違うわね・・。もういらないって感じ・・あ・・同じ?」


彼女が笑ってる。


「と言うか・・あの時言ったけど、最初にあなたに好きだって言った時に、

なんであなたもそう言ってくれなかったのっていうことが、

私のプライドをボロボロにしたのよ。」

「僕が君のプライドを?」

「そうよ。私、無視された。」

「いったいいつ・・。」

「ね・・覚えていないでしょ?」

「え・・・。」

「私、あなたと違う大学なのよ。」

「え? 君はうちの大学じゃないの?」

「違うよ。そんなこといつ言った? 言ってないでしょ。

私は勧誘を受けて、それであなたのいるサークルに入ったの。」

「あ・・そうなんだ。」

「しかも、勧誘したの・・あなただよ。」


え・・。

「その時の言葉覚えてる? 夏はテニス、冬はスキー。

僕が懇切丁寧に指導します!って。」

「え・・勧誘したの、僕?」

「そうよ。あなたよ。」

「そうなんだ。」

「それに。」

「それに?」

「その時、言ったの覚えてる?」

「え?」

「なんか君いいね・・って。」

「え?」

「だから私も、あなたもなんかいいですねって言ったの。」

「そうしたら、じゃあ入ってくれたらデートしようよって。」

「え・・。」

「覚えてないんだ。」

「・・・。」

「じゃあそのあとのことなんか絶対に覚えてないよね。」

「え・・どんなこと?」

「いいよ。言いたくない。」

「え?」

「・・・。」

「あなたと別れて、なんか私、やっと私というものが取り戻せた気がしたの。」

「小枝子の振りをしていたから?」

「違うよ。あなたへの長い思いが叶って、

その上であなたを振ることができたからだよ。」

「・・・。」

「これで全て分かった?」

「ど・・どうして小枝子を殺したんだ?」


「だって、小枝子じゃまでしょ?」

「どうして?。」

「だって、あなたを私のものにするには、小枝子は二人いらなしし、

あちらの小枝子はその愛を見殺しにしたのよ。

だったら生き残るべきは私でしょ?」

「え?」

「だから、小枝子がじゃまになったの。」

「・・・。」

「それで、小枝子も呼びだして・・。」

「中尊寺で?」

「うん。小枝子と冴子仲良かったし。」

「関係あるんだ。」

「当たり前じゃない。」

「そっか・・。これが一連の出来ごとの全てなんだ。」

「うん。これでやっと私が小枝子になれた。そして私がやっと一人前の女になったって感じ。」


「それが私を探してっていう意味?」

「うん。だって、私を探してたのは、私だもの。」

「君自身を探すために、親友だった冴子さんと、

そしてもう一人の小枝子さんを殺してしまって、そんなんでいいのか?」

「それって、後悔してるかってこと?」

「その顔じゃ後悔などしてないよね。」

「はじめから後悔なんかするなら、してないわよ。」

「・・・。」


「私はずっと日陰の存在だったの、冴子に相手をされているだけの、

冴子以外私のことなんか誰も知らないような存在だったの。」

「だからっていって・・。」

「冴子も親のことで悩んでて、それで私とは何か感覚が似てた。

それが仲良くなった理由だと思う。

でも、冴子も所詮負け犬よ。そういう境遇から脱却できなくて、

それで学校ではマイナーなグループで息をひそめて、

自宅に帰れば、ひきこもりの私の家にいりびたる。

そんなのまともじゃないじゃん。」

「そういう子もいると思うよ。」

「冴子と小枝子も同じような小心なところで結び付いたんだと思う。

でも違った。小枝子の方は、元々は輝く存在だったのね。私、彼女に初めて会って、

そう感じたの。」

「そうなんだ。」

「だから、きっとあなたとも両思いなんだろうなって思った。」

「・・・。」

「それも彼女を殺した理由かもね。だって、絶対あなたを取られるもの。」

「・・。」

「そう。私は小枝子の輝きを離したくなかったのかもね。

私がかつて自分でも嫌になるようなそういう私をどうにかしたいと思って・・。」

「え・・。」

「ううん。正直に話すと違うなぁ。私、昔は全然不幸だと思ってなかった。

でも、冴子と知り合って、外の楽しい話を聞いているうちに、自分が不幸で、

悲しい存在だって思うようになったの。」

「・・・。」

「そしてしまいには、小枝子の恋愛話でしょ。なんでそんなにいいことがあるのに、

うじうじして思い悩んで、それでもったいないことをしてるのかなって思った。」

「うん。」

「そして、私もそういう明るい世界に出たいと思うようになったの。

何故なら、私ならこうしたい、こうできるという思いがあったから。」

「そうなんだ。」

「そして、そういう見方をすることが出来たら、冴子なんて全然うらやましくなくなったのよ。

もう冴子は超えたわ。だからその上を目指したいって。」

「そうなんだ。」

「次は小枝子。小枝子そのものになって、私は輝きたかった。」

「そっか。」

「小枝子になり代わることもまずは必要だった。そして小枝子の輝きを持ったまま、

葉月に戻りたかった。」

「え・・。」

「あなたはやっぱり小枝子を愛してたんでしょ?」

「え・・どういうこと?」

「私じゃないんでしょ?」

「え?」

「小枝子の私を好きだったの?、それとも葉月である私?」

「え・・。」

「小枝子が思い出の中から蘇った存在なら、私は小枝子という蛹から孵った蝶。

そのどちらをあなたは好きだったの?」

「それは・・。」


葉月は笑っている。

それは一種勝ち誇ったような笑顔であった。


「葉月さん、あなたは何がしたかったの?」

「何って?」

「君が求めていたのは、恋愛ごっこ?、それとも本当の恋?。」

「私は輝く私を求めていたのよ。」

「でもそのためには恋が、愛が必要だと思ったんだろう?」

「・・・。」

「じゃあ、どっちだよ。」

「それは・・。」

「もし、恋愛ゲームだと言うんなら、そんなものから生まれる輝きなんて、

それは所詮は似せものの輝きでしかないね。」

「え。」

「だとしたら、やっぱり本物の愛を君は求めていたんだろ?

だからこそ君は二人の人を殺すようなことまでしたんだろ?」

「え・・ええ。」


「でもおかしくないかい?」

「なにが?」 

「だって、それなら、僕からの愛が示された途端に、

君が意気消沈する理由ってなんだろう?」


「それは、もう私は輝いたから。あなたみたいな人に告白されて、

私はそれで輝いたのよ。それ以上の答えはないでしょ?」

「それが答え・・つまり求めていたことなのかい?」

「私の恋愛なんて、恋愛なんて呼べるようなものじゃなかったもの。

カラオケでナンパされたり、文化祭でナンパされたり、

しかもどれもまともな男じゃなかったし、

だから付き合なんていうものは存在しなかったし、

どれも好きだなんていう感情なんかないまま、みんな自然消滅しちゃったのがその答え。」

「だから僕とのことは僕が君と付き合って、好きだということが実現すれば、

それで目的は達せられたっていうことなんだ。」


「だって、それって理想でしょ? あなたみたいな人と付き合って、好きだとか言い合って。」

「でもそれが、君が輝くためのものだとしたら、それは愛とは言えないんじゃないか?」

「え?」

「愛って人が輝くための道具なのかい?」

「え・・。」

「君が輝きたい、だから恋をしたい。そして恋をしました。

だから輝きましたっていうのはわかる。でも、恋ってそういうことになったら、

もう自分ではコントロールできないものじゃないかな? 

それが本当の恋なんじゃないかな?」

「・・・。」

「もしコントロールできたとしたら、それはやっぱりまがい物だよ。

まがい物の恋では決して輝くことなんかできないよ。」

「じゃあ・・私、輝いてない?」

「うん。しかもエゴによって単に人を殺しただけの存在だね。」

「前よりはどう? きれいになってない?」

「まさか・・きっと籠ってた方がずっときれいだったと思うよ。」

「そんな・・。」

「ほんとだよ。」



第三十四章 終


それからしばらくして、

葉月から僕に一通の手紙が届いた。


「私は、輝きたかった。それは憧れから始まった。

輝く人に憧れて、そしてその人の傍にいることで、自分も輝けると思った。

けれど輝くものが周りにもたらすものは影だった。


だから私は、私自身が輝く存在になりたかった。そして私は恋をする人の輝きを知った。

だから、私も恋をしたかった。

そして例の「私を探して」というメールで恋のきっかけをたやすく掴むことを知った。

けれどそれも空しかった。それで出逢う恋はすべて曇った輝きしか放たなかった。

私は冴子を通じて、小枝子の恋を知った。

純粋で、そして完璧な恋のように思った。

これこそ私が求めていた恋に違いないと確信した。

そしてその恋が成就されないという事実を前に、

私が本人になり代わり、その恋を成就することで、更には私自身の恋にすることで、

私が輝けると確信した。


結果、私はその恋を成就した。

しかもそのために二人の大事な存在を失ってしまった。

冴子はもちろん親友だったけれど、小枝子も最早一心同体だった。


私は遂に念願の恋を手に入れた瞬間、ふと思った。

私が輝いたら、これ以上恋は必要なのだろうかと。

そして、もしこのままあなたとと付き合って、この恋が色あせるようになったら。

もし彼と別れるようなことがあったら。

私の輝きはまたなくなるのではないかという不安が急に押し寄せて来た。

どうしたらいいだろう・・。

私は動揺した。

そして、答えは出た。


この恋が頂点にある時にこそ、私はあなたを失おうと。

恋がまだ一点の曇りもない完全無欠な状態の時に、

 あなたと別れることで、

この恋をそのままの形で永久にとどめておこうと。

そうであれば、私の恋は永遠。

それは私の輝きも永遠に続くということ。」


いったい、いつ、どこから出したものなのか、

消印が微妙で読みとれなかった。

宛名が僕の名前になっていたので、僕に送ったものには間違いないのだろうけど、

もしかしたらこれは二人の「さえこ」に送った謝罪だったのかもしれなかった。


僕は、その手紙を読んだ夜にその返信を書こうと思った。

そしてペンを握って、数行書いて、はたと思った。

この手紙には差出人の住所が書かれていなかったからだ。


これでは返事を出したくも不可能だ。


「私を探して」はもうして欲しくないのだろうか、

彼女はその一文も、、そして彼女に行きあたるヒントも書かれてはいなく、

その手紙をただ送ってきただけだった。



「でも、恋とは、不完全な男女があれこれ思い悩み、時には相手を傷つけたり、

更には憎むようなことがあったりしながら、再び寄り添い、より信頼を高め、

完全無欠なものへと向かう行為そのものが本人たちをも輝かせるものなのではないかな。


そしてその恋によって確立させていく愛は、ねたんだり、高ぶったり、礼儀を逸したり、

自分のことだけを考えたり、恨みを持ったりするものではないはず。

愛はすべてを信じ、すべてに耐える姿そのもののことだからではないか。・・・」


僕はそこまで書いて、ペンを止めた。

きっと彼女なりの私が見つかったのだろうと思った。

そう思うと、こんな手紙を送ったとしても無意味なような気がした。

愛はみつかったのかどうかわからないけど、私は探し終えたのかもしれない。


僕は途中まで書き始めた便箋をそのまま丸めて、近くのゴミ箱へと放り投げた。


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