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精霊国物語

【精霊国物語特別編IF】異世界で束の間の休息を

作者: 夢野かなめ
掲載日:2026/06/13

本日6月13日で、夢野がWeb投稿を始めて一年が経ちました。

それをお祝いして(?)本編とは関係のない〝IF〟の短編を書いてみました。

短編といっても、一万文字を超えてしまったのですが……マリー達とゆっくりまったり一緒に旅行をしているような気分でお楽しみ頂けますと幸いです。

ギャグ寄りですので、深く考えずかる~くお楽しみください。

舞台を現代にすることで、マリー達のことをより身近に感じて頂けますように。

皆様、いつも『精霊国物語』をお読みくださり、そして応援して頂きまして有難うございます。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします!

「全て、理解しました」


 アントニオがひとつ頷き言った。


「此処は、異世界。地球という星の日本という国のようです」


「い、異世界⁉」


 遡ること数刻前。


 明色の町の館に居た筈のマリーエル達は、気が付けば見慣れぬ街に立っていた。


 色や、音や、人々が賑やかに、そして目まぐるしく動いている。


 そのことに呑まれそうになりながら、逃れるように高台の広場に移動してきたマリーエル達は、自分達の服装がいつのまにか変わり、そして知らぬ間に共に居たアントニオが苦しそうにしているのに気が付いた。


 〈知の洪水〉だ。


 暫く、苦しみ堪えていたアントニオは、妙にすっきりとした顔で復活したのだった。


「で、何でこんな所にオレ達は居るんだよ?」


「それは……お祝いのようですよ。私達にも関わることのようですが──」


 そこでアントニオは言葉を止め、難しい顔をした。


「これは、〝メタ発言〟というもののようです。これ以上は言えませんが、とにかく、姫様に……いえ、此処に居る者達に温泉街で束の間の休息を、ということです」


「束の間の休息をって言ったってさぁ。さっきの町の様子じゃ休む所の話じゃなかったけど。祭りでもやってんのかと思ったけど、そうでもないみたいだし」


 インターリが、自身の衣の至る所をつまんだり、引っ張ったりしながら言った。そうして、自身の横に目を向ける。


「それになんかさ……ベッロが小さくなってない?」


 皆の注目を浴びたベッロは、嬉しそうに尻尾をパタパタと揺らした。


 インターリの言う通り、ベッロは何周りも小型になっていた。狼というよりは、犬だ。


 時折通りかかる人々に「あぁ、かわいいわんちゃん」と声を掛けられている。


 難しい顔で考え込んでいたアントニオは、彼にしては珍しく軽い調子で言った。


「まぁ、深いことを気にするのは止めにしましょう。このひと時だけのようですから、心配せずとも我々の世界に帰ることは出来ます。ひと時の夢、のようなものですよ。それに──」


 アントニオは、マリーエルを感極まったように見下ろした。


「姫様とこうして直接お会い出来るなんて……私は、此処が異世界だろうがどうでもいいです。姫様、お元気そうで安心いたしました」


「アントニオ……。私も会えて嬉しいよ」


 マリーエルが言うと、アントニオは涙さえ浮かべた瞳を嬉しそうに細めた。


 それを遮るように、物足りなさそうにベッロを撫でていたインターリが「あのさぁ」と口を挟んだ。


「そういうことなら、まず食事にしようよ。僕、お腹空いちゃった」


「確かに、オレも腹減ったな。なんかすげぇ良い匂いしてる店も沢山あるし」


 そう言って、カルヴァスは高台から辺りを見渡した。


 変わらず色が溢れ、音が鳴り響く通りは、多くの人が行き交っている。


 カルヴァスは、ふと横で柵に寄り掛かって景色を眺めているカナメに目をやった。


「お前、大丈夫か?」


 ハッとしたカナメは、慌てた様子で振り返った。


「あ、いや、別に茶が──な、何でもない!」


「茶?」


 カルヴァスはカナメの視線を追うようにし、得心いったように頷いた。茶の色の幡や、置物が置かれた店先では、多くの人が茶と茶菓子を楽しんでいるようだった。


「じゃ、まずはそれぞれ食いたいもんを食おうぜ。と言っても、此処には通貨みたいなもんはねぇのか? オレ、持ってないけど」


 カルヴァスが言うと、アントニオは懐から巾着を取り出した。


「その辺りは、全て私にお任せを。【メタ発言】ですから」


「ふーん、まぁよく判んねぇけど、任せるぜ」


 高台を降り、再び人々の行き交う通りへとやって来たマリーエル達は、その賑やかさに改めて驚いていた。


 左右に並ぶ店が、ずっと遠くに向かってずらりと並んでいる。


 すれ違う人々や、店の看板、鳴り続ける音楽に、匂い、話し声とあらゆる箇所に気を取られていたマリーエルは、歩いて来た人波にぶつかりそうになって足を止めた。


「あ、ごめんなさ──」


 しかし、人波はそれに応えるより先に流されていく。


「ほら、ちゃんと掴まってろ」


 カルヴァスがマリーエルの手を取り、掲げて見せた。


「えへへ、有難う。それにしても、凄い人だねぇ。歩くのも大変。でも、皆楽しそう」


 その言葉に、カルヴァスも楽しそうに辺りを見回して笑みを浮かべた。


「あぁ、活気があっていいな。というか、お前はちゃんと食うもん選んでるのか?」


「あ、そうだった!」


 この賑やかな場に呑まれていたマリーエルは、慌てて辺りを見回した。


 命世界でも見たようなものもあるが、その殆どが見覚えもなければ味の予想もつかないものだった。


 その中で、落ち着いた雰囲気の店に目を留めたマリーエルは、店先に大きく張られた幕を指差した。


「あ、私あれがいい! 見た目が可愛い!」


 後ろをついて来ていたアントニオが、マリーエルの指差す先を見て頷いた。


「サンドイッチですね。珈琲という飲み物と一緒に頂くと良いようです」


「さんどいっち? こーひー?」


 マリーエルが首を傾げると、遠くからインターリの声が呼んだ。


「ねぇ、こっちに広場があるみたいだよ。ベッロが歩きづらそうだし、僕はこっちで待ってる。お姫様達もこっちに来たら?」


 その言葉に、カルヴァスがアントニオやカナメと目配せしてひとつ頷く。


「じゃあ、オレ達が買って行くから、お前達は待ってろよ。──アーチェ、お前は決まってるか?」


 訊かれたアーチェは、すっと少し前の店を指差した。


「えーと、ではあちらの店のものを」


「判った。じゃあ、大人しく待ってろよ」


「うん、お願いね」


 マリーエルは、今度はアーチェと手を繋ぎ、人波を縫うようにしてインターリが待つ場所へと向かった。


 通りを外れれば人もまばらで、ホッと息を吐く。


 その目の前に、串に刺さった果実を差し出された。


「ほら、これ。お姫様も食べるでしょ?」


「わぁ、これなぁに? 果実を串に刺しただけじゃないよね? 飴……かな?」


「いちご飴っていうんだってさ。可愛いし、美味しそうだから買ってみた。ほら、アンタも食べるでしょ」


 そう言ってインターリはアーチェにも串を手渡した。


「あ、有難うございます……」


 戸惑いながら串を受け取ったアーチェは、しかし僅かに頬を緩ませた。


「ほら、あそこでベッロを待たせてあるよ」


 インターリは広場の奥を指差した。そこには、卓と椅子が置かれ、人々が食事をしたり楽しそうに話し合っている。指を差したインターリに気が付いたように、ベッロが尻尾を振った。


 マリーエル達が卓の許へと着くと、ベッロは嬉しそうに鳴き、インターリの手元のいちご飴に期待の眼差しを向けた。


「そんなに見なくても判ってるよ。涎拭きな」


 ぶるぶると顔を振るベッロに、インターリは串からいちごを引き抜き手のひらに乗せて差し出した。一口で食べたベッロが驚いたように目を見開く。そうしてから、「きゃう!」と急かすように鳴いた。


「そんなに美味しかったの?」


 釣られるようにして噛り付いたインターリは、そのまま動きを止めた。言葉を待つマリーエル達の前で、もうひと口齧りつく。


「確かに……凄く美味しい。そもそもこのいちごって僕達の世界のものよりも随分大ぶりじゃない? 甘みも強いし、果汁が口から溢れそう……」


 珍しく雄弁に語るインターリの様子に、マリーエルとアーチェは顔を見合わせ同時にかぶりついた。


 じゅわり、と口に広がる甘酸っぱさに、思わず声が漏れる。


 そうしてから「おいしい!」と声が揃い、そのことにも笑い合う。


「見た目も可愛らしく、このように美味しいなんて……最強の食べ物ですね」


「うん、これならいくらでも食べられちゃいそう」


「おー? 何先に食ってんだぁ?」


 いくつもの袋を下げたカルヴァスが、マリーエルの手元を見ながら言った。


「カルヴァスも食べる? すっごく美味しいよ!」


「ん、頂戴」


 マリーエルが差し出す串からひとつを咥えて抜き取ったカルヴァスは、味わう内瞳を輝かせた。


「美味い! おい、お前達も食ってみろよ」


 後ろに続いていたカナメとアントニオを振り返る。


「それは、いちご飴ですね。インターリの好みでしょう? 先程買いたいと言っていたものはそれでしたか」


 袋を置き、串を受け取ったアントニオは、ひと口食べて何度も頷いた。そうしながらカナメに串を手渡し、食べるようにと促す。同じようにいちご飴を食べたカナメは、目を見開き、串に残ったいちご飴をじっと見つめた。


「そんなに気に入ったなら、残り食べていいよ」


 マリーエルがそう言うと、ふるふると首を振る。


「いや、いい。君から奪う訳にはいかない」


 頭を振りながら串を持った手を突き出すカナメに、思わず笑いながらマリーエルは串を受け取り、最後の一個を食べきった。


「それにしても、この日本という国は、随分と文化、生活水準が高いですね。周りの建物を見てもなかなかに感心させられます」


「まぁ、ちょっと落ち着かないけどね」


 インターリが言うと「貴方はそうでしょうね」とアントニオは答えた。


「よし、じゃあ食事にするか」


 袋から次々に器を取り出していたカルヴァスが、椅子に座り言った。


 卓の上には様々な料理が並んでいた。


 マリーエルの前に置かれているのはサンドイッチと珈琲だ。


「いただきます」


 少し硬めの生地に、新鮮な野菜や肉などが挟み込まれているそれに噛り付いたマリーエルは、驚きに動きを止めた。


「どうした?」


「……おいひい」


「食ってから喋れって」


 笑いながら言ったカルヴァスは、大きめの器を前に期待の目をし、蓋を外した。途端に、先程から漂っていた香りが濃く漂い始める。


「なぁに、それ?」


「ラーメンだって。汁物の中に麺が入ってるらしい」


 そう言って、カルヴァスは一口すすり、思わずといった風に溜め息を吐いた。


「美味い……なんだ、これ」


 そうして、マリーエル達は、卓に並べられた料理を分け合いながら、次々に平らげていった。


 味が全く想像出来なかったもの、食感が面白かったもの、何処か懐かしさの感じられるものと様々だった。


「美味しかったぁ」


 マリーエルが言うと、皆が満足したように、それぞれ応えた。


「さて、この後ですが、どうしましょうか。この辺りを見て回るというのもいいですが」


「少し、宜しいですか?」


 アントニオの言葉に、アーチェが小さく手を上げた。


 皆の視線が集まり、僅かに体を縮めてから口を開く。


「先程、通りに気になるお店があったんです。どうやら衣を借りられるようで……」


「あぁ、浴衣ってやつでしょ。綺麗だったよね、色んな柄があって」


 インターリが口を挟むと、アーチェがコクコクと頷いた。


「それです! 是非、姫様にと!」


「え、私?」


 今度はマリーエルに視線が集まった。


「まぁ、当然そうじゃない?」


 インターリの言葉に、皆が頷いた。




「わぁ、本当だ! 色んな柄があるねぇ」


 貸浴衣屋に入ったマリーエルは、色とりどりの浴衣に瞳を輝かせた。


 小さな店舗の中には既に何人かの客がおり、思い思いの浴衣を選び着替えている。


「姫様にはどの色や模様がお似合いになるでしょうか? 是非、私にお任せ下さいね!」


 張り切るアーチェの手を、マリーエルはそっと取ると、微笑みを浮かべ言った。


「アーチェも一緒に着てみようよ」


「私ですか……⁉」


 そう言って驚くものの、ちらちらと浴衣を見る目に、期待が滲んでいるのにマリーエルは気が付いていた。


「ほら、アンタはこういうのが似合うんじゃない? 髪の色にも合いそうだし。──こっちも涼しい感じで良いかな。それだったら、髪飾りは派手な感じで……これとか」


 浴衣を物色し始めたインターリに、アーチェは難しい顔をする。


「ですが……」


「いいじゃん、折角なんだし。気になってちらちら見るだけとか、気持ち悪いし」


「き、気持ち悪いってなんですか! でも……そうですね。私も着てみたいです」


 頬を期待に染めながら言ったアーチェに、マリーエルは笑みを浮かべて言った。


「じゃあ、一緒に選ぼう」


「はい」


 店先を見ると、様子を見守っていたカルヴァスが手を上げた。


「じゃあ、オレ等はここら辺散策してくるわ。ベッロも走りたいみたいだしな。終わった頃に迎えに来る」


 その言葉通り、先程からベッロはうずうずとした顔で通りを見回していた。


「はーい」


 カルヴァス達を見送ったマリーエルは、色とりどりに並んだ浴衣を前に、真剣に悩み始めた。


「インターリ殿はどちらにされるんですか? 男性用はあちらのようですが……インターリ殿なら女性用でも着こなせそうですけど」


 アーチェの言葉に、インターリは少し手を止め、首を傾げた。


「まぁ、興味はあるけどさ、今着てる服もなかなか気に入ってるんだよね。意匠も細工も、生地も縫い方とかも僕達の世界と違うでしょ? 今日だけっていうならこっちを着てたいかな。浴衣も気になりはするけど……構造は僕達の衣と似てるし」


「確かにそうですね……あ、姫様! こちらは如何ですか?」


 そう言ってアーチェは涼やかな風の色に、目にも鮮やかな大輪の花が描かれた浴衣を取り出した。


「あぁ、それお姫様に似合いそう。ついでに、アンタのはこれでどう?」


 「ついでって何ですか」と文句を言いながらも、アーチェはインターリが掲げ見せた、陽が沈んだまだ明るい空の色をした浴衣を見やり、頬を緩めた。


 二人して浴衣に着替え、鏡の前に立つ。


 暫し、その姿に黙り込み、同時に顔を見合わせると声を上げた。


「かわいい! アーチェ、凄く似合ってるね!」


「姫様こそ! 可憐さがより際立って、素敵です。国に帰ったらこのような衣を仕立てましょうか」


 話し合う二人を着付師は僅かに怪訝そうな顔をして見やったが、すぐに笑みを浮かべた。


「お二人とも、お似合いですよ」


「有難うございます」


 待合所で待つインターリの許に小走りで行くと、パッと顔を上げたインターリはじろじろと全身を見回した後、納得したように頷いた。


「なかなかいいんじゃない? 似合ってるよ、二人とも」


「えへへ、有難う」


「有難うございます」


 そう二人が言った時、店先にカルヴァス達が現れ手を上げた。


「見て見て! この浴衣にしたよ!」


「おー、すげぇ似合ってるな」


 そこで言葉を止めたカルヴァスは、じっとマリーエルを見つめると、何処か耐えるようにしながら僅かに唇を噛んだ。


「カルヴァス?」


「いや、なんか……こう、グッとくる感じがあるって言うか……すげぇ可愛い」


 そう言ってマリーエルの頭を撫でようと伸ばした手を止め、指先で軽く触れてから、照れたように笑った。


 次いで後ろに控えていたアーチェに「お前も似合ってるな」と笑顔を向ける。


「お気遣い有難うございます」


 そう受けたアーチェは、カルヴァスの横で佇んでいるカナメに目を向けた。


「カナメ殿は如何ですか?」


 ハッとしたカナメは、手を彷徨わせてから、何度も頷きながら口を開いた。


「凄く、良いと思う。花……花が、大きくて、その……鮮やかで。アーチェも、深い色が、こう……いい色で」


「……有難うございます」


 呆れた顔のアーチェに、マリーエルは思わず笑みを零した。そうして、アントニオに視線を移すと、アントニオは柔らかい笑みを浮かべて見下ろしていた。


「見惚れていました。こちらはアーチェが選んだのですか? ──あぁ、とても素晴らしい。姫様の可憐さを熟知しています。貴方のはインターリが? 相変わらずこの感性は見事ですね。非常に艶やかさが増して似合っていますよ。お二人とも、まるで咲き誇る大輪の花。いつまでも眺めていたい気分です」


 その言葉に、口を曲げ応えたインターリは、ベッロの前に屈み込むと、その耳元に花の髪飾りを付けた。


 笑顔を浮かべたベッロに、満足そうに笑う。


「お前も、なかなかいいんじゃない? さっき此処を通り過ぎた小さい犬がやってて可愛かったんだよね。丁度犬用があったから買っておいた」


「わう!」


 ベッロがぶんぶんと尻尾を振る。


「さて、じゃあ少し散策でもするか?」


「うん!」


 通りの向こうに足湯があるらしい、というカルヴァスの言葉に、通りを歩き始める。


「そういえば、待ってる間何してたの?」


「あぁ、この辺りを走ってたぜ。アントニオはすぐ近くの土産物の店に置いて行ったけど」


「えぇ⁉ 走ってたの?」


 マリーエルの驚いた声に、カルヴァスはおどけたような顔をする。


「この辺りを見て回るには走った方が早いからな。ベッロも楽しそうだったし、そのお陰で足湯を見つけたんだぜ。──それにしても、此処は随分道が均されて走りやすかったな。ただ、長期的に見たら脚に負担がかかりそうでもあるけど。あぁ、あと肉も食べたぜ」


 なぁ? と振り返りカナメとベッロに訊くカルヴァスに、マリーエルは笑った。


 ──異世界に来てても、カルヴァスは変わらないなぁ。私も、人のこと言えないけど。


 通りを見て回ってから足湯に着き、横に長く続く椅子に腰掛けたマリーエルは、そっと足を湯に浸けた。


 途端、丁度良い温度の湯がじんわりと体に沁みる心地がする。


「ふぁ……」


 思わず零れた声と共に、知らず溜まっていた疲労が抜けていく気がする。


「気持ちいいねぇ……」


「そうですねぇ……」


 隣に腰かけるアーチェまでもが、深い息を吐き、とろけている。


「どの世界でも、温泉というものは、人々を癒しているのだな」


 ぼんやりと熱のこもった声で、カナメが言った。「だな」とカルヴァスが応える。


「こちらの温泉は、疲労回復に美肌効果、筋肉痛や肩こりなど様々な効能があるようです」


「へぇ……。どう、ベッロ?」


 すぐ隣にある犬用足湯にベッロを入れていたインターリが、指先で湯を撫で言った。


「インターリも足湯入らないの?」


 マリーエルが訊くと、インターリは「入るよ」と答えてから靴を脱ぎ、ベッロの横に足を浸した。ふぅ、と息を吐き、ベッロの背に顎を乗せるようにする。そうしてから、おもむろに小さく笑った。


「小さいと、こういうことも出来るんだね」


 そう言ってから、僅かに不満そうにする。


「〝犬〟連れが許されてる所も多いけど、この世界では人間以外は別って感じなんだね。獣族も居ないみたいだし」


 インターリの言葉に、アントニオが難しい顔をする。


「そうですね、この世界は殆ど人間が支配していると言っていいでしょう。とはいえ、私の中に流れ込んだ知識は、この周辺に限定されていますから、他の地では異なるかもしれません」


 そこで言葉を止めたアントニオは、笑みを浮かべて続けた。


「そんな貴方に朗報ですよ、インターリ。我々には宿が用意されているようです」


「宿?」


「えぇ、室内に個別温泉のついた宿です。そこでは勿論犬や猫も共に入浴可能のようですよ」


 その言葉に、インターリの表情が僅かに明るくなる。その頬をベッロが優しく舐め上げた。それを押しやり、インターリは取り澄ました様子で言う。


「へぇ……良かったね。というか、用意したって、誰が?」


「それは【メタ発言】ですよ」


「……またそれかよ。まぁ、いいや。それなら、とっとと見て回って早い所宿に行こうよ」


 インターリは湯から足を上げると、手巾で拭い、靴を履いた。


「お前なぁ、折角異世界ってもんに来てんのに、色々楽しもうって思わねぇのかよ」


 カルヴァスが言うのに、ベッロが「わうわう」と尻尾を振り応える。しかし、カナメが真剣な顔をして言った。


「インターリとベッロは長い時を共に過ごしてきた。此処では同じようにはいかないから落ち着かないのだろう。気になる場所があれば寄って、早めに宿へと向かおう」


 その言葉に、インターリが盛大に舌打ちする。


「あのさぁ、僕は知ったような口を利かれるのが嫌いだって知ってるよね?」


「あぁ……すまない。ただ、俺も早い所宿に行くのは賛成だ。だがその前に、一か所寄りたい所がある」


 真面目な顔をして言うカナメに、マリーエルは頷いた。


「うん、お茶のお店だよね?」


 カナメは頬を緩ませて頷いた。それに笑みで応えてから、マリーエルはインターリとベッロに目を向けた。


「皆で一緒に、だもんね。宿に行けばベッロも変身出来るだろうし、お茶のお店に寄ったら宿に行こう」


 その言葉に、インターリは視線を逸らしながらも頷いた。




 茶葉や、茶を使った様々な菓子が並ぶ店に入ると、カナメはそわそわと店内を見回した。


「カナメ殿、見て下さい。茶葉の種類がこんなに……!」


 アーチェが声を弾ませて言う。


 それを見守っていたマリーエルは、ゆっくりと店内を見て回った。菓子と言っても、様々な種類があるということに、改めて驚かされる。包みまでもが色鮮やかで、心が躍る。


「へぇ、試食……だってさ」


 隣に並んだカルヴァスが、小箱を開けて中身を掴み取ると、口に放り込んだ。「旨い、酒に合いそう」と言いながら、今度はマリーエルの口の前に差し出した。


 小さな茶の色をした菓子を口に含んだマリーエルは、甘じょっぱさに目を瞬いた。


「豆菓子? 甘くて、しょっぱくて美味しいねぇ」


「……なんか、美味い物が多くて、オレ達の世界に戻った時が心配なんだけど」


 カルヴァスの言葉に、マリーエルは顔を曇らせた。


 確かに、見慣れぬ料理が多いし、素材自体も命世界にはない物が多かった。


 黙り込んだマリーエルの頭を、カルヴァスが優しく撫でた。


「わりぃ、そんな顔させるつもりはなかった。ただ、それだけ美味いもんがあるのは確かだよなぁ……正直、オレはラーメンを何とか作れないか厨役に相談してみようと思ってる。クッザール隊長も好きだぜ、きっと」


 真剣に言う様子に、マリーエルは思わず笑みを浮かべていた。


「そうだね、お兄様達にも食べさせてあげられたらいいのに」


 その時、店先から袋を提げたカナメが二人を呼んだ。両手に見慣れぬものを持っている。


「なぁに、それ?」


 既に椅子に腰掛け食べ始めていたインターリとベッロを横目で見ながら、マリーエルは訊いた。


 カナメはうずうずとした様子で両手を見比べている。


「そふとくりーむ、というものらしい。茶の味付けをしたものと、みるく──乳を使ったものらしい。マリー、君はどちらがいい?」


 少し悩んだマリーエルは、カナメの様子を見やり言った。


「じゃあ、ちょっとずつ分けて食べない? カナメはどっちも気になってるでしょ?」


 そう言うと、カナメは嬉しそうに顔を輝かせた。


「あぁ、そうしよう」


 マリーエルは〝ミルク味のソフトクリーム〟を受け取り、匙で掬って口に運んだ。途端に口の中に冷たさと、甘みが広がっていく。


 暫くそれを味わっていたマリーエルは、ふいに小さく笑った。


 皆の視線が集まり、それに再び笑みを浮かべる。


「どうされましたか?」


 アントニオの言葉に、ゆるゆると首を振ってから答えた。


「ううん、今日は目的もなく歩いてみたり、食べたり、足湯に入ったり、色々見たりして、ゆっくりしてるなぁって。勉強したり鍛錬したり会議があったりってこともないでしょ? 勿論、大切な務めだけど、そういうことを何も考えないで皆と過ごすのも、楽しいんだなぁって思ったの」


 言い終えたマリーエルは「あ」と呟いてから、付け加えた。


「勿論、自分の役目が嫌って訳じゃないよ。こういうのも良いものだなぁって思ったの」


 えへへ、と取り繕うように言うと、アントニオがマリーエルの前に屈み込み目線を合わせ、微笑んだ。


「そうですね。貴女は生を受けてから、精霊姫として尽くされてきた。このように穏やかに過ごした時はありませんでしたね」


 アントニオはそこで言葉を止め、ふと遠い目をした。


「穏やかな日々……そうですね、私も過去の苦労が思い出されてきました。貴女は本当に、気が付けば外へ出てしまうし、座学は不得手だし……」


「オレも思い出したぜ」


 カルヴァスが同調するのに、マリーエルは慌てて二人を見比べた。


「あ、あの……今は、そういうことは忘れよう! でも、その……本当に、ごめんなさい」


 マリーエルが項垂れると、アントニオは思わずといったように笑い、マリーエルの口元を拭った。


「全く貴女は……口の端にソフトクリームが付いていますよ。──確かに、苦労したのは事実ですが、私の力が不足していたことも原因のひとつです。それに、そんな貴女だからこそ、こうして皆が集っているのですよ」


「アントニオ……」


 思わず感激したマリーエルだったが、視線をずらし眉が寄ったアントニオの表情に、釣られるようにして自身の手に目をやった。


「そふとくりーむが溶けてる!」


「あぁ……早くお食べなさい」


「あ、カナメ、こっちの味も……!」


「そうだな……! マリー、俺の方も……」


 そうして、二人してわたわたとしながら、互いの手の中にある〝ソフトクリーム〟を食べあったのだった。




「ベッロ、小さい!」


 宿に着き、もごもごと体を動かしていたベッロは、苦労して変身すると、随分と小さくなった姿で皆を見回した。


 今のベッロは、インターリの肩口程度の大きさしかなかった。


 無言で見下ろしていたインターリは、ふいにベッロの頭をわしゃわしゃと撫でると、僅かに眉を寄せて言った。


「……この大きさだと撫でやすいんだね」


「インターリ、小さい方が、嬉しい?」


 インターリは、小首を傾げるベッロに、暫く黙り込むと「どんな大きさでもお前だろ」と窓際に向かった。


 窓から外を覗き、感心したような声を上げる。


「こっちの庭もなかなかのものだね」


 その言葉通り、小石で造られた庭は、流麗な曲線を描いている。


「石庭というものですね。この国のワビサビという精神のようです」


「でも、本当に立派な宿だね。この辺りの領主のお城って訳じゃないんだよね?」


 マリーエルが訊くと、アントニオが頷いた。


「ええ、こちらは民が利用することの出来る宿のようです。その中でも上等な宿のようではあるのですが」


「そりゃそうか。こんな宿がゴロゴロしてたら、流石に驚くぜ。それにしてもよく使えたよな。こっちの世界じゃ、オレ達はなんの身分もないっていうのに」


「それは【メタ発言】ですから」


「……それはもう判ったって」


 呆れたように言ったカルヴァスは、マリーエルを振り返った。


「お前達は先に部屋の温泉に入って来いよ。ちょっと歩いて汗掻いたんじゃねぇか? よく晴れてるからなぁ」


 そう言って窓の外を見たカルヴァスに釣られるようにして外を見る。日は高く昇り、温かい光を注いでいた。


「うん、じゃあ先に入らせて貰うね。行こう、アーチェ、ベッロ」


 こじんまりとした洗い場の先に、庭を眺めることの出来る露天風呂があった。


 むわりと漂う湯気が、外から吹く風に流されていく。


 汗を流したマリーエル達は、ゆっくりと温泉に浸かり、同時に長い息を吐いた。


「気持ちいい~」


「はいぃぃ」


「みんな、気持ちいいぃ」


 ベッロがキュウゥと細い声で鳴く。


 はぁ、と再び息を吐き、マリーエルは暮れ始めた空を見上げた。


「異世界でも、日が昇って沈むのは同じなんだねぇ」


 スイと隣で縁に寄り掛かったアーチェが、空を見上げながら言う。


「はい。温泉に浸かるのも、それを心地よいと思うのも、美味しいものを食べるのも、綺麗な衣を着たいと思うのも。世界が異なっても同じなんですね」


「ベッロは、違う」


 そう言って、ベッロはマリーエルの頬に頬を擦り寄せた。


「……ベッロ」


 顔を曇らせたマリーエルに、ベッロは慌てたように首を振る。


「違う。この世界、楽しい。ベッロと同じ、居ない。でも、マリー達居る。仲間、一緒。ベッロは〈走る姿〉好き。小さいのは、慣れない」


「うん、そうだね。皆一緒だから、きっと何処でも、楽しいんだね」


「そう! ベッロ楽しい。皆、楽しい、嬉しい」


 ベッロはマリーエルとアーチェを引き寄せようと腕を伸ばしたが、いつものようには出来ず、耳を垂れた。


 顔を見合わせたマリーエルとアーチェは、それぞれベッロを抱き締めると、いつもしているように頬を擦り付けた。


 ベッロが嬉しそうにキュウと鳴く。


「異世界って聞いて驚いたけど、皆で一緒に来られて、良かったね」


「良かった」


 そう笑いあってから、暫し三人でゆっくりと温泉を堪能したのであった。




 ほかほかとした心と体で部屋に戻ると、宿の中の散策を終えたらしいカルヴァスが、立ち上がった。


「おー、さっぱりしたか? もうすぐで夕餉が運ばれてくるみたいだぜ。オレ達もその前に汗流してくるわ」


「わぁ、夕餉は何だろう? 楽しみ!」


 声を上げたマリーエルに、インターリが思い切り鼻に皺を寄せる。


「えぇ? お姫様もまだ食べられるの? 僕はもう暫く食べられそうにないんだけど。少し酒飲むくらいでいいよ。よく食べられるね」


「こっちの世界の料理も色々と食べてみたいし、歩いたりしたからお腹空いてるよ」


「えぇ……?」


 呆れたように眉を寄せるインターリの肩を、カルヴァスが軽く引いた。


「ほら、文句はいいから行くぞ」


「はいはい、急かさなくったって自分で行けるから」


 そうして遠くにカルヴァス達が話し合うのを聞きながら、マリーエル達はカナメの淹れていた茶を飲み、何処か満たされた気持ちで卓に着いていた。


 暫くすると、扉が叩かれ、次々に料理が運び込まれてくる。


 それに合わせたかのようにカルヴァス達が温泉から出てくると、料理を見回した。


「これまた旨そうだな。肉もあるし」


「小鉢が幾つもあって、面白いな」


 丁寧な料理の説明を受けた後、マリーエル達は杯を手に、顔を見合わせた。ちらとカルヴァスが目配せするのに、マリーエルは小さく頷いて応える。


「何で異世界に来たのかは──そうだ、私達にも関係があるお祝いだったね。えっと……どうやって此処に来たのかは判らないけど、でも皆で来られて良かったって思ってるよ。また私達の世界に帰っても、一緒に頑張っていこうね。今日は、楽しかったね」


 そう言って杯を掲げると、皆がそれぞれの杯を掲げ、酒を呷った。


 何処か呑み慣れたような酒の味に、ホッと息を吐く。


「よし、食おうぜ。カナメ、お前はあんまり酒呑むなよ。帰りがどうなるのか判んねぇんだからな」


 カルヴァスの言葉に、僅かにむっとしたカナメは、しかし、すぐに頬を緩めた。


「あぁ、気を付ける。それに、まだ茶も試したいからな。また腹がちゃぽちゃぽいったら困る」


 マリーエル達は、揃いの浴衣を着て、酒を呑み、美味い料理に舌鼓を打った。


 命世界でも、共に食事をすることは当然ある。宴だって、この世界とはまた違った趣だが、催される。


 しかし、知らぬ地で、こうして仲間達と共に過ごすのは、あまりに特別なひと時だった。


 マリーエルは、皆の顔を見回しながら、幸せな気分に浸っていた。


 食事を終えると、再び扉が叩かれ、今度は部屋に寝具が敷き並べられた。


 酒の入っていたマリーエルは、食後の茶を飲みながら目を擦って欠伸を噛み殺した。


「ねぇ、僕達っていつになったら帰れる訳?」


 窓辺に陣取っていたインターリが、ちらとアントニオを見やった。


 アントニオは首を傾げ、何処か遠い目をして考え込む。


「そうですね……恐らく、この状況ですと、眠って起きれば我々の世界に戻っているかと思います」


「そっかぁ……じゃあ、あと少しでこの世界ともお別れなんだね」


 マリーエルが呟くと、部屋にしんみりとした空気が流れた。


 しかし、それは悲しみや寂しさだけではなかった。


 既に、此の地での想い出を懐かしむような、そんな心地だった。


「また来られるか判らないけど、来られたらいいね」


 マリーエルの言葉に、カルヴァスがニッと笑う。


「そうだな。そしたら、またラーメンが食いてぇな」


「俺は他の茶も試したい」


「私は他の衣も色々と試してみたいです。浴衣はとても良いものでした」


「僕は……どうだろ。まぁ楽しかったし、次また来てもいいかもね」


「ベッロは肉食べて、走る!」


「この世界のことは是非、私にお任せ下さい。私は〈知の者〉ですから。【メタ発言】。お願いしますよ」


 温かい気持ちでそれを聞いていたマリーエルは、ゆっくりと立ち上がり、床の寝具の上に座り込んだ。


「それじゃあ、寝ようか」


「そうだな」


 部屋の灯りが落とされ、皆の寝息や衣擦れが聞こえてくる。


 ──楽しかったな。


 この一日のことを思い返しながら、マリーエルもゆっくりと眠りに落ちていった。




「姫様、お目覚めですか?」


 アーチェの声がする。


 マリーエルは目を開け、体を起こすと、妙に軽い体をぐっと伸ばした。


「良い朝だね、アーチェ」


 軽やかに寝台を降りると、アーチェが何処かすっきりした顔で笑みを浮かべた。


「今日は特別お元気そうですね。よく眠れたようで良かったです」


「アーチェも、元気そう」


 そう言うと、アーチェは少しだけ訝しがりながら、答えた。


「えぇ。何故か体も軽く、ポカポカと温まっていまして。なんだか、随分と満たされたような気持ちなんです。思い当たる節はないのですが……」


 首を捻りながら言うアーチェに、マリーエルは驚きながらも頷いた。


「私も! 凄く体が軽いし、ポカポカしてるし、満たされた感じなの!」


 二人して顔を見合わせ、首を傾げる。そうしてから、どちらからともなく笑い合った。


「何が原因かは判りませんが、体が軽いことは良いことですよね。今日、霜夜の国へ出立しますから」


「そうだね」


 着替えを済ませたマリーエルは、ふいにアーチェの手を握り、笑みを浮かべた。


「何でか判らないんだけどね、凄く楽しかったなぁって感じもするんだ」


「実は、私もです」


「何でだろう?」


「何ででしょうか……?」


 そう話し合いながら、マリーエルは仲間の待つ続きの間へと、アーチェと手を繋ぎながら歩いて行った。


特別編の〝IF〟如何でしたでしょうか?

実は、この話を書くにあたって、先日取材と題して道後温泉に行ってきました。

学ぶことも多く、とても良い所でした。

作中では道後温泉を基に、様々な温泉街を組み合わせています。

温泉街気分を味わえましたでしょうか?

ここでしっかりと休み、第四部へと続きます。

第四部の投稿は、番外編短編を一作挟み、17日(水)を予定しております。

是非、マリー達と共に歩んで頂ければと思います!

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