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雪女ーThe Snow Womanー

作者: 山谷麻也
掲載日:2026/01/20

挿絵(By みてみん)


 第一話 ある夏の日に


 妻はドライブが好きである。休日には一人でも秘境に出かける。

 妻も四国の山間部育ちなので、山道の運転は達者だ。関東からUターンした当初、かすかながら目が見えていたので、私もよく同行した。


 その年も猛暑だった。老体には応えた。私は冷房の利いた鍼灸院にこもる毎日だった。

 妻がドライブから帰った。しかし、盲導犬・エヴァンの反応がいつもと違った。誰かを後部座席から降ろしているようだった。


「峠を下ってたら、この人が倒れてたの」

 細身の若い女性だった。真っ白な着物を着ていることは、視覚障害者の私にもおぼろ気ながら分かった。

 妻はさすがに現役看護師だった。手際よくベッドメーキングしている。

 ベッドに寝かせ、脈を診る。思わず手を引っ込めるほど冷えていた。しかし、速かった。体温が低いと脈は自然に遅くなるはず。およそ、あり得ない脈状だった。

 冷えているので温めればいい、というものではない。とりあえず、脈を落ち着かせるため手足のツボを刺激して、様子を見ることにした。


 女性の意識が戻った。

「ありがとうございます。ここはどこですか。よろしければ、室内温をもっと下げていただけませんか」

 妻がクーラーを全開にした。


「体を冷やしすぎるとよくないですよ」

 最近、ガンガン冷房をかけた部屋を好む傾向がある。健康には決して良くない。

「平熱が氷点下五℃なんです。零度以上になると、私たちは生きていけないのですよ。今年の夏は寝台の氷が解け、水浸しでした。夏眠かみんから覚めると、多くの仲間が息絶えていました」

 女性はか細い声で語った。

 南極大陸の氷が解け、南太平洋の島々には水没しているところがあると聞いていたので、私は特段驚かなかった。


 第2話 口止め


 秘境の山奥に一年中、氷の解けることのなぃ洞窟があることは、木こりをしていた祖父から聞かされていた。入り口に神棚が設けられ、およそ人を寄せ付けない難所にあった。このため、村に分社し、二十四節気の大暑と大寒の祭礼を欠かしたことがなかった。

(あの伝説は本当の話だったのだ!)


 私の生まれ育った村に長く語り継がれてきた猟師の祖父と孫の伝説があった。

 ある雪の日。二人はイノシシを追って山中深く分け入った。祖父はすでに還暦を過ぎていた。いつも同伴するのは最年長、一八の孫だった。

 吹雪はますます激しくなる。たまたま岩屋を見つけたので二人は雪あらしをやり過ごすことにした。いつになく日はとっぷり暮れ、外は真っ暗。もう村に帰るのは無理だった。二人は岩屋で一夜を明かすことにした。体を寄せ合って休んだ。


 孫は人の気配に気づき、夜半に目覚めた。女の話し声がする。

「年寄りはもう息をしていないが、若いのはどうする。放っておけば、この寒さだからすぐ凍え死ぬだろう。それにしても、若い身空みそら不憫ふびんでならぬ」


 真っ白な衣装にくるまれて空を移動していた。不思議に寒くはなかった。雪は止み、星が光っていた。村の上空にたどり着くと、そのうちの一人が言った。

「今宵の出来事は決して他言してはならない。私たちは人間の迫害を逃れ、人知れず何世紀にもわたって生きてきた雪女の一族じゃ。存在を人間に知られると、また雪女狩りが始まってしまう。よいか、他言したとたん、貴殿の命はないものと思え」


 後の展開は小泉八雲(Patrick Lafcadio Hearn=パトリック・ラフカディオ・ハーン 一八五〇ー一九〇四年)著『怪談』(一九〇四年)の『雪女』(Yuki-Onna)とほぼ同じだった。


 若者は旅の女人と知り合い、結ばれる。絶世の美女だった。婦人に似た五人の可愛らしい女の子に恵まれ、村の衆は誰もがその幸せぶりをやっかんだ。

 魔が差したとしか言いようがなかった。男は酔いが回り、村の仲間に、生死の境をさまよった夜のことを洩らしてしまったのだった。明くる朝、冷たくなった男の亡骸なきがらが見つかった。妻子の行方はよう として知れなかった。


 第3話 思い出の村


 翌朝、施術室に顔を出すと、女性は目を覚ましていた。

 妻の印象では顔色は健康的な青白さで、平熱に戻ったようだった。確かに声もしっかりしていた。

「昨日は命拾いしました。このご恩は一生忘れません。高熱に浮かされた状態でお聞きしたものですから、不正確かも知れません。あなたは秘境との境にあった村の出身なんですか」

 訊かれるまま、私は生まれ故郷のことを話した。


「もしや、村の奥に三軒の家がなかったですか」

 もう消滅してしまった生まれ故郷のことを、女性はこと細かに覚えていた。私の生家は、そのうちでも最奥部にあった。


「そうでしたか」

 女性は表情を曇らせた。

「あの村は消滅したのですか。原因は気候変動か何かですか」

「いや、過疎化と言って、住民が都会に流出したのですよ。残ったのは老人ばかりですから、早晩、村はなくなる運命だったのです」

「あの村がなくなったなんて、哀しい話ね」

 女性はしんみりした。

「過疎化っていう現象なのね。私たちは温暖化によって夏が越せなくなっているけど、このままだと私たちの村もいずれ消滅するのね」


 女性によれば、一二〇年ほど前、小泉八雲が前掲書を著した当時と比べ、『雪女』の舞台となった武蔵国(東京)の平均気温は三・六℃上昇しているという(一九〇四年一三・七℃ 二〇二五年一七・三℃)。特に最近の猛暑は雪女たちを直撃し、冷房の利いた街のビルなどに集団移住を試みるも、熱風に当たり途中で蒸発する者が後を絶たないらしい。


 第4話 涙の別れ


 私は言葉がなかった。気候変動に苦しんでいるのは人間だけでなかったのだ。

「重ね重ね、お願いがあります。私のことは決してほかの誰にも話さないでください。私たちは厳しい掟を護って命を繋いできました。万が一にも、あなたがたが約束を破るようなことがあれば、たとえ恩人でも、私は冷酷な決断をしなければなりません」

 女性は毅然きぜんとした口調になった。


「それは心配ご無用です。私も妻も医療関係者ですから、守秘義務があります。他人にしゃべったり、書いたりするようなことは決していたしません」 女性は感きわまったかのように、ハグしてきた。「ああ、あの人が約束さえ破らなかったら、私はこんなに苦しむことはなかったのに!」

 長く抱擁され、私は心身ともに冷え切っていた。


 妻が昨日出会った場所まで送ることになった。

 妻がクルマの準備をしている間、私は女性に日常生活の心構えなどを話して聞かせた。


 カークーラーが利いてきたことを妻が知らせにきた。

 女性が涙を流しているのに気付いたのか、妻は妙に突っけんどんになった。帰ってから仔細(しさい) を話し、疑いを解くことにしよう。それに、妻も大変な秘密を抱え込んでしまったのだから。


[本編詳細は] 妖怪回生館

作 者 山谷麻也

     (やまやまや)

発行日 2023年3月2日

   <Amazon ペーパーバック>

判 型 四六判168ページ

定 価 1,210円(税込み)

    (電子書籍もあります。Kindle Unlimited会員は無料)


[目次]まえがき/第一章 座敷わらし/第二章 小豆洗い/第三章 アマビエ/特別編1 吸血伯爵/第四章 酒呑童子/第五章 狐狸/第六章 猫又/特別編2 赤シャグマ/第七章 海坊主/第八章 伸び上がり/第九章 砂ふり婆/特別編3 闇金/第十章 ネズミ女/第十一章 ダイダラボッチ/最終章 妖狐/あとがき


[こんな作品です]都会からUターンした盲導犬ユーザーの鍼灸師が主人公。過疎地では人間よりも動物や妖怪たちの受診が多かった。折りしも、コロナ禍の行動制限が緩和され、秘境観光に訪れる妖怪も増えてきた。回生館に持ち込まれる妖怪たちのトラブル。院長の親身な対応により、多くが回生して帰って行った。絶滅したとされる妖怪の面々。あるものは、残ったDNAから復活を果たし、また、あるものは現代にひっそり棲息していた。作者により、独自のリメイクを施された超有名妖怪たちが、四国の秘境に躍動する。作者の友人の土着妖怪も友情出演する。


[つまみ食い=第十章 ネズミ女=]タイトルからして素性は明らかである。夫はTVなどでお馴染みの妖怪。共演するネコギャルに、実生活でも、ストーカー行為を繰り返し、奥さんを困らせていた。相談を受けた回生館の館長は、知り合いのネコの妖怪と連携し、荒療治に出る。ネコににらまれたネズミの運命は……。鍼灸関係者ならずとも、思わずうなってしまう奇想天外な展開。


挿絵(By みてみん)

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