ごめんねチャーリー
アメフトの試合を観に行った記憶。
SPARTANS。
サンノゼ・ステイツのキャンパス・ストアで買った青いスタジアムジャンパーの胸にはその英文字が大きな字体で施されていた。この大学のアメフト部所属の学生は自分たちをスパルタンズと名乗り、女子学生はもとより地域住民からも人気があった。キャンパス内の売店で売られる衣類にも愛称が刺繍されるほどに。
私が寄宿する学生寮にもアメフト部所属の者が何人かいた。彼等のうちのひとりデイヴィッドは、アジアの東の果てからの留学生である私に親しげな態度で接した。
「おまえ、日本から来たんだって?」
「そうだよ」
「おれのクルマはダットサンのハニー・ビーだよ」
「ああ、あれは日本ではサニーと呼ばれているんだ」
「スタジャンが似合っているぞ」
「ありがとう。あんたは試合に出る選手?」
「ああ、ランニングバックのレギュラーだよ」
「そうか。でもおれはアメフトのポジションはクオーターバックしか知らないんだ」
「そうなのか? スパルタンズのジャンパーを着ているから詳しいのかと思ったんだが」
「いや、これはデザインと色がカッコイイから買ったんだ」
「試合を観たくないか? チケットなら二~三枚都合できるぞ」
「ああ、それは嬉しいな。ありがとう」
アメフトには興味がわかなかったが、気さくで親切な者からのチケットを断る理由もなかった。
クヌートが運転する旧い型式のオペルは、ハイウエイ101を北上しスタジアムに向かう。助手席にはクヌートのガールフレンド、ジェシカが座り、私は後席でカレッジフットボールのパンフレットに目を通していた。小さな文字でびっしり埋まった記事の、意味が解らない単語は読み飛ばしたが、大意は理解できた。この国ではカレッジフットボールの人気は高く、それは日本の高校野球と似ていた。
スタジアムに着くと駐車場は広大で、オペルが停まった所からゲートまでがずいぶん遠く感じられた。
「チケット、どうやって手に入れたんだっけ?」
「デイヴィッドから貰ったんだ。彼は今夜のゲームに出るらしいぞ」
「へー、あのでかい赤毛の奴はアメフト部だったのか」
「でかいって、身長はおまえの方が高く見えるんだが」
「ああ、おれの国は平均身長が高いらしいな。みんなおれより小さいけどな」
「寮に他にも北欧から来てるやつがいるが、おまえはひと際ノッポに見えるよ。どれくらいあるの?」
「六フィート五インチかな」
「それっておれの国の言い方だと二メートル級で、巨人の部類だぞ」
「おまえは?」
「五フィート七インチくらい」
「小せーな」
「おれの国だと標準的だぞ」
「わたしも五フィート七インチくらい」
ジェシカが合いの手を入れるうちにゲートをくぐった。受付カウンターでチケットが半券になり、スタンドに指定席を見つけて座った。
ゲームが始まった。しかし私はラグビーのルールさえも解かっていなかったから、甲冑で武装しているが如くの大男たちがグランドを走り回りぶつかり合う様を観てもすぐに飽きてしまった。照明に照らされた芝生が後楽園球場のナイトゲームのようで美しかったけれど。
前半戦が終わり、ハーフタイムになった。クヌートとジェシカはゲームが始まる前から手を繋ぎ合い、時折睦言らしきを交わしている。彼らの人目を憚らないその手の行為は、日本人の私から見ると奇異に思えたが、この地では私が異邦人である。
クヌートと私が同じクラスにいた時間は短かった。
アメリカの大学で留学生が学部を専攻するには、通常はトイフルという試験で五百点以上を取らなければならなかった。それはリスニングと英文法と長文読解の三つから構成されていて、日本人は英文法と長文読解では高得点を得ることが多かった。私の眼には、クヌートはここに来てすぐにネイティブの学生たちと、何の不自由なく会話しているように映ったが、五百点には至らなかったようで、他の国から来た学生たちと共にトイフルをパスするための講義を受けていた。
サンノゼ・ステイツは二セメスター制で、彼は来て半年後の秋から始まる年度からエコノミクスを専攻した。
私は二度目のトイフルで470点を取ったが、その点数だとアート・メイジャーかミュージック・メイジャーの二択しかなかった。知る限りアメリカの大学には美術や音楽の学部がある。サンノゼ・ステイツもそうで、五百点に僅かに満たない者でも専攻できた。しかし、私には絵心がなかったし、音楽の譜面も読めなかった。それ以前に実家の経済が破綻しかかっていて、銀行の残がエアチケットを買う額に近づいたら帰国しなければならなかった。I-20ビザではアルバイトも不可であった。
外国人がレギュラーの学生になるには、トイフルの点数と共に銀行の残高証明提出も必須だったから、それが叶わぬことが知れると、私はトイフル強化のためのクラスにも出席しなくなった。キャンパスから近いセブンイレブンで安いカリフォルニアワインを買い、瓶に靴下を履かせて、明け方までラウンジのソファーで飲みながら、先に帰国した日本人学生から譲り受けたアコースティックギターを弾いた。アルコールはパブリックスペースでは禁止だったが、みなグラスやビールの缶に靴下を履かせて飲んでいた。
「なあ、あんたの国はビートルズのお陰で有名になったよな」
私は寮に来たばかりの頃のクヌートに『ノルウェーの森』を弾いて聴かせてみた。
「ニーハオ。あんた、チャイニーズなのに何故それを知っているんだ?」
「おれはチャイニーズではないが、これを弾けないジャパニーズはけっこう多いかもな」
チャイナタウンは世界中にあるからか、西洋人は初見の東アジア系に「ニーハオ」と話しかけてくることが多かった。当時、サンノゼ市がリコンバレーに属することはなんとなく知ってはいたが、私は「シリコン」とは女性の豊胸手術に使うゼリー状のものだと思っていたから、何故「バレー」なのかが理解できなかったし、知ろうともしなかった。クラスに出席していたときは、頻繁にアサイメントを提出しなければならず、それは手書きでは受け付けてもらえなかったから、図書館から借りたタイプライターを慣れない手付きで長時間かけて打ったものである。
ジェシカは寮長の娘で、夏休みに帰省しない数少ないアメリカ人の学生だった。専攻はアートで、
「印象派がどうのこうの」
などと私が話しかけると、
「画家には興味がないの。学位が欲しいだけでアート・メイジャーなの」
と、素っ気ない口調で返してきた。
それから十日も経たないある夜、クヌートとジェシカがラウンジのソファーでくっつきながら囁き合い、キスをする場面に遭遇し、私は落胆した。
ハーフタイムになってすぐに、チアリーダーたちのダンスパフォーマンスが始まり、グランドを照らすライトの後方から打ち上げ花火が上がった。彼女たちのしなやかな肢体が伸びる様は眩しいものであったが、花火は隅田川や多摩川に上がるものと比して貧弱であった。また、チアリーダーは全員が西洋人の女子学生で、アフリカ系やヒスパニック系、アジア系は見当たらなかった。アメフト選手にはアフリカ系もいたが、その類いのことについては、西洋人であるクヌートとジェシカには訊かない方が良いと、私は理解していた。
ゲームは終わった。どちらのチームが勝ったのか、甲冑武者たちの誰がデイヴィッドだったのかも不確かなままに。
満席の観衆が一斉に席を立ちゲートに向かう。とても混雑して少しずつしか歩が進まない。私は憂鬱になったが、この国の人たちはそういうことに鷹揚である。例えば食材買い出しのためにスーパーのレジに並ぶと、長い列ではないのにいつまでも待たされる気がしたが、誰も不満に思わないようであった。
ところがクヌートが想いもよらぬ行動にでた。
黒いサングラスをかけ、盲人のふりをし始めたのである。それはレイ・チャールズがピアノを弾きながら歌う様子と酷似していた。他より頭抜けて背の高いクヌートがそうすると、近くの者たちはすぐに気づき道を開けた。私も咄嗟に盲人の手を引く者を演じ、三人は容易くゲートを通過したのである。
駐車場をオペルまで戻る。クヌートはサングラスを外し「してやったり」の表情でジェシカの肩を抱きよせ、ジェシカもにこやかにクヌートの腰に腕を巻いた。
私はこの国に来る直前までしていたアルバイトを思い出していた。
赤帽の深夜便で、国道六号を水戸まで下り、十軒ほどの写真店のポストからフイルムを回収し、船橋の現像所まで運ぶ仕事であった。カーラジオから毎晩のようにサザンオールスターズの『ごめんねチャーリー』が流れていた。
あのバンドは、テレビの歌番組でもその楽曲を演奏し、黒いサングラス姿の桑田佳祐は、幼児の玩具風の小さなピアノを弾きながらレイ・チャールズを模して歌った。
そういうことに誰も文句を言わない時代のことである。
この作を書くにあたり、昨今は、チアリーダーも多人種から構成されているとネット検索で知った。
桑田佳祐がレイ・チャールズをプリテンドした映像をYou Tubeで探してみたが、いまは存在していないようである。
〈了〉




