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第一章 となりの隣人

 柊 ゆい(ひいらぎ ゆい)

高校2年生(私立女子高)

控えめで真面目だけど、空想癖あり

恋愛経験ゼロ

通学中だけがちょっとした“非日常”

おしゃれに無頓着、でもまつ毛は長い


 高峰たかみね 直哉なおや

高校2年生(進学校の男子高)

無口でスマホすらいじらない、読書家

どこかミステリアスで、でも優しい

毎朝きっちり同じ車両に乗ってくる

小さな変化には気づくタイプ



 朝の通学電車。

 それは、誰にとってもただの移動時間かもしれない。

 けれど、わたしにとっては、少しだけ特別な時間だった。


 言葉を交わしたこともない。

 名前も、学校も、何も知らない。

 それでも、毎朝、同じ車両の、同じ席で――わたしの“となり”に座る彼の存在は、確かにわたしの日常の一部になっていた。


 目が合うわけでもなく、会話があるわけでもない。

 でも、ページをめくる指の動きや、すれ違う気配だけで、わたしの心は不思議とざわついた。


 たった二分の間、隣に座るだけ。

 それだけなのに、朝がほんの少し輝いて見えた。

 わたしはその静かなぬくもりを、密かに、でも大切に感じていた。


 電車がホームに滑り込んでくる音には、もう慣れている。 午前七時二十八分。わたしはいつものように駅の二両目、三番目のドアの前に立っていた。イヤホンをつけたまま、音楽も流さず、ただ耳をふさぐだけの癖は今日も続いている。そうすると、不思議と、世界が少し静かになるから。

 ドアが開くと同時に、ゆっくりと人が流れ込んでいく。わたしもその流れに乗って、無言の朝の儀式のように車内へと足を踏み入れた。

 窓際、右側。そこに空いている席があることは知っている。いつも同じ場所。いつも同じ時間。だから、座る位置も、顔ぶれも、だいたい決まっている。 その“隣”に、彼が座っていることも。

 彼は、制服の違う高校生。たぶん、同じくらいの歳。髪は短めで、整っているけれど特に流行りのセットでもなく、無造作。でもなぜか、きちんとした印象を与える。鞄はいつも膝の上で、スマホをいじることはない。ただ静かに本を読んでいる。

 わたしが隣に座っても、顔を上げることはない。 それでも、わたしは知っている。――彼が、本のページをめくる速さが、ほんの少しだけ遅くなる瞬間があることを。 それが、わたしが座った直後であることも。

 「……」

 今日も、そんなふうにして、一つぶんの間隔をあけたまま、わたしたちは並んで座った。 前の座席の背もたれをじっと見つめるふりをして、視線の端で彼の横顔を確認する。頬の輪郭、まつ毛の影、指の動き。何もかも、やわらかくて、少しだけ遠い。

 車内アナウンスが、次の駅の名前を告げる。 この駅まで、あと二分。いつもわたしが降りる駅。――そして、彼も同じように、そこですっと立ち上がり、別方向のホームへと消えていく。

 会話は、一度もない。名前も、学校も、声すら知らない。 けれど、その二分間だけ、わたしと彼の距離は“となり”。 それだけで、わたしの心はざわついて、少し浮つく。朝が、少しだけ特別になる。

 わたしはたぶん、彼がいない朝を想像したくないと思っていた。 けれど、きっとその日も、いつかは来るのだ。 そう思うと、今この瞬間が、少しだけ切なく感じる。

 電車が減速を始めた。わたしは制服の袖を軽く引っ張って、座り直すふりをする。気づいているかな、彼は。わたしがいつもより少しだけ肩を近づけて座っていることに。

 「……」

 わたしは、かすかに笑った。たぶん、自分でも気づかないくらいの小さな笑み。 そして、彼はゆっくりと本を閉じた。まだ、数ページ残っているはずなのに。

 立ち上がる。彼も立ち上がる。 ほんのわずかに先を歩いて、ドアの前に立つ彼の背中を、わたしは見つめる。 同じ駅、同じ出口、だけど別の方向へ歩いていく背中。声をかけたことは、一度もない。

 でも、今朝――彼の手元に目をやったとき、気づいた。 彼が読んでいた本のタイトル。それは、昨日わたしが図書室で借りたばかりの小説だった。

 偶然? それとも、気づいていた?

 その答えは、まだわからない。 でも、わたしはそのページを、次の朝にめくっていくつもりだ。 二分間の静かな読書タイムと、となりに座る彼と、きっともう少しだけ、続けたいと思っている。

 毎朝の電車の中で、隣に座る人がいる。

 その人の名前も、声も、まだ知らない。

 けれど、その「知らなさ」が、なぜか心地よくて、ちょっとだけ特別だった。


 誰かの隣にいるって、こんなにも静かで、あたたかいことなんだと気づいたのは、きっとこの日々のおかげ。

 話しかける勇気は、まだ持てない。

 でも、心の中では、もうたくさんの言葉を交わしている気がしていた。


 ほんの2分の出会い。

 それが、いつか物語になるとしたら――

 きっと今日も、明日も、また電車に乗ってしまうのだと思う。


 この小さな時間が、どうかずっと続きますように。

 そして、いつか「となりの誰か」と、本当に目を合わせられますように

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