俺の唯一神
宝条珀の優秀な秘書兼唯一無二の親友、白井隼人の心の奥底です。
俺は白井隼人。宝条に連なる白井家の長男として生まれ、宝条家次期当主、宝条珀の秘書だ。
俺が初めて珀と会話したのは5歳の時だったと思う。いや、家同士の関係からしてもっと前から会っていたのだろうが、記憶に残っているのがその時なのだ。
「白井隼人です。よろしくお願いします」
5歳で同い年の相手といえども、身分差は明確。敬語で話しかけると、珀は端正な顔立ちをピクリとも動かさず、興味がなさそうにこちらを向いた。
「ああ、俺は珀だ」
端的にそう答えた珀は、興味をなくしたようにすぐ手元の本に目をやった。
かーっと身体中が熱くなる感覚があった。それがどんな感情なのか、当時の自分はわからなかったが、今ならわかる。
歓喜。
珀の赤い瞳は全てを見通しているかのようだった。5歳という幼さにして美しく整った非の打ちどころのない顔立ちが原因か、ああ、この人は全てを司る神にも等しい人間なんだと思った。
歓喜に俺の心は震えたのだ。
ああ、俺はこの人に仕えるために生まれてきたのだ——。
それからというもの、俺はそれまで以上に心血を注いで勉強した。貴族社会のこと、秘書としての振る舞い、教養として知っておくべきことは全て頭に入れた。能力の訓練、体術の訓練も死ぬ気でやった。他の貴族の子どもでさえ、自由に遊んでいるような年齢からずっと、そうして努力した。
全ては珀に仕えるため。
だが、珀は簡単に俺の上を行った。どの分野においても、涼しい顔をして同年代で、いや史上最高の成績を叩き出してしまうのだ。
俺は成績が出るたびに、体が、心が、歓喜に震えるのを感じた。
もともと白井家は代々宝条の当主に秘書として仕えてきたのもあり、文句なしで俺が珀の秘書になった。だが、秘書など必要ないかのようになんでもこなしてしまう珀は、俺の存在を無視しているようだった。ついてきても来なくてもいい。そんな態度だったのだ。
俺はさらに努力した。珀の右腕としてふさわしい存在になるために。神の右腕になるためには、人間を捨てる覚悟で努力しなければならない。血眼になって勉強した。
聖桜学園の中等部に入学した時、初めて俺は珀に認めてもらった。
「隼人。お前はこれから俺の隣を歩け。秘書として働く時以外は敬語は抜いていい」
恐れ多いと思った。神と並んで歩くなど。神に敬語を使わないなど。許されないことだとも思った。
でも、神の言葉は絶対だ。俺はそれすらも右腕になるための試練なのだと思って、必死で隣を歩き、会話をした。
毎日が幸福で満たされていた。どんなに辛い訓練も乗り越えられた。
自分が神として崇める存在に隣に立つことを、そしてタメ口で話すことを認められるなんて、これほど幸福なことはない。
そんな尊敬の念よりも、常に一緒にいる友達としての情が勝るようになったのはいつからだろうか。
俺は今でも珀のことは神に等しい存在と思ってはいるが、同時に唯一無二の親友だとも思っている。だから、軽口を叩くし、珀もそれを許してくれる。むしろ楽しんでくれているようにすら感じる。
「珀!その顔やめてってば〜。また部下が萎縮しちゃうでしょ!」
「お前がヘラヘラしてるから俺が厳しい顔してるんだろうが」
「え?俺のせいなの!?」
「あーあ、最近ちょっとだけ討伐減ったと思ったらまたこれだよ」
「文句言うな、それとも討伐の予定、毎日入れるか?」
「ぎゃー!珀ひどい!」
授業も討伐も仕事も全て必然的に一緒にやることになる。だから、俺たちの間にはいつの間にか切っても切れない絆のようなものが生まれていた。言葉にするのは気恥ずかしいが。
そんな珀が少し頬を上気させてこちらにやってくる。
「隼人!あの女が誰かわかった」
俺はその言葉を聞いて、少しだけ憂鬱な気分になった。
珀が9歳の時、光の纏う女の子を見つけ、恋に落ちたというのは宝条上層部では有名な話だ。それ以来、俺含め数人がその女の子が誰かずっと探してきたが、光を纏う女の子などいたらすぐ話題に上がるはずなのに、全く見つからなかった。光は珀の見間違いだということになったが、貴族令嬢の顔写真を片っ端から珀に見せても珀は違うと言うから、その女の子は一般人だったという結論に至った。一般人の女の子の中から1人を見つけ出すのは相当難しいことだ。珀ももう一度会えたらラッキー、くらいに考えることにしたらしい。
俺は正直安心した。
普段、珀は擦り寄ってくる女には一切見向きもしない。珀は俺だけを認めてくれる。それ以外の人間には興味がないのだ。それまではそう思えていたのに、何処の馬の骨とも知れぬ、ぽっと出の女に恋に落ちた。許せなかった。珀が別の人間に目を向けた。これが嫉妬せずにいられるだろうか。友情が恋情に勝てるとは思えない。
でも、その女は現れなかった。これで大丈夫だ。珀は俺しか見ない。
そう思っていたのに——。
その女はなんと神楽家の娘だった。能力が発現せず、貴族教育を受けさせてもらえなかったと言う。だからあれだけ探しても見つからなかったのだ。
琴葉様が宝条家に来てからというもの、珀が表情を緩めることがかなり多くなった。これまではほとんど顔のパーツを1ミリたりとも動かさなかったというのに。琴葉様といる珀はかなり表情豊かだ。
珀のその表情を引き出すのは自分ではなかったことに複雑な感情が芽生える。
だが、神が認めた人間なのだ。きっと素晴らしい人間なのだろう。俺も認めなければならない。実際、琴葉様は「神楽の力」を持っている可能性があると、宝条の中では言われていた。
俺は今まで通り”しごでき”の秘書として振る舞った。
そんな折、宝条の見立て通り、琴葉が能力を発現した。珀と匹敵するくらいの力だ。
悔しいが、認めざるを得なかった。この人は珀の隣に立つにふさわしい人間、いや女神なのかもしれない。彼らは夫婦神としてこの日本を、いや世界を統べることになるのだろう。
正直、貴族令嬢としての教育を詰め込みで受けている今の琴葉様はまだ珀の婚約者としては足りない部分が多い。だが、空白期間を埋めようと必死で努力する彼女の姿は、珀の右腕としてふさわしい人間になろうと死ぬ気で頑張っていた過去の自分と重なる。応援したくなってしまった。
ならば、俺は琴葉様が珀と並び立てるように、琴葉様の貴族としての拙さが周りに知れ渡らないように、さりげなくフォローを入れるとしよう。嫉妬心は奥底にしまい込んで悟られぬようにして、自然に彼女を支える。それが、珀の右腕たるこの俺の役目なのだ。珀に全力で仕えると決めたからには、珀も婚約者も全力で守る。
「隼人!」
神の声がかかる。
今日も俺は”しごでき”として振る舞う。
何をしろと言われる前に、全てを察して珀が滞りなく仕事を進められるように。全ては唯一の親友であり、主である珀が最初に認めた人間としてふさわしい存在であるために。
「珀様、資料はこちらになります。琴葉様はこちらに目を通していただきたく……」
お久しぶりです!
挑戦していたコンテストの作品を書き終えたので、『揺蕩う音符とシンデレラ』の執筆に戻って参りました。メインストーリーの方はまだプロットを練っている最中なので、投稿はもう少し先になると思いますが、ものすごい壮大な話が出来上がりそうにはなっています。お楽しみに!
その間ちょいちょいこうやって閑話を挟むつもりです。よろしければ星やブクマなどいただけると嬉しいです。