お別れ
8月某日ポグスー
今、俺はポグスー中央駅のホームにいる。フレールリン連合王国との交流会に行くためだ。もう夕方で日が沈みそうだ。東には満月の青い月である群青の月が、南には上弦の紅蓮の月が見える。ポグスーは比較的北にある都市なので、夕方になれば8月でも涼しくなる。
駅構内を見渡せば、多くの武器を持った者がいる。彼らは近衛兵だ。王族の人間が集まるということで、彼らには緊張感が走っている。
ただ、俺には気になることがあった。
「ラクスマス、ネイメル姉さまはまだですか。出発まであと30分だというのに」
隣で煙草を吸っているラクスマスに訊いた。
「さあな。俺が知ったことじゃない。そのうち来るだろ」
ラクスマスはそっけない返答をして、再び煙草を吸い始めた。ラクスマスに訊いたのは間違いだったと思ったその時、駅構内につながる階段から銀髪のサラサラな髪の毛が目に入った。
「ネイメル姉さま」
俺はあの特徴的な髪を見て、すぐに気が付いた。彼女がネイメル・ロザフスだ。特徴的な髪は母親の一族であるクルーツク家からの遺伝らしい。クルーツク家の血を引くものは皆、髪が白く、強大な氷魔法を操れるらしい。
「久しぶり、レールル」
本当に久しぶりである。元々、住んでいる屋敷が違うので会う機会がないと簡単には会えない。ネイメル姉さまは駆け足で階段を下りてきた。
「ネイメル様、走ったら危ないですよ」
「え!! 」
意外な声に思わず声を出して驚いてしまった。
「は、母上」
ネイメル姉さまの後ろに母であるフィメルがいた。ラクスマスもそれに気が付いたようで、
「フィメル様、どうしてここにいらっしゃるのでしょうか」
と訊いた。すると母上は、
「レールルのお見送りと、渡したいものがあったのですわ」
と答えた。
「あー、そうだったのですか。わざわざ距離のある中央駅までお越しくださいまして誠にありがとうございます」
ラクスマスがそう母上に言った。だが、俺にとっては違和感しかない。ほとんど敬語なんて使わないのに、俺や父上以外の王家にはしっかりと敬語を使っている。それにラクスマスは極力、他の王家とはしゃべらないようにしているから、敬語を使うなんてほとんどない。つまり、はっきり言って気持ち悪いのだ、ラクスマスが敬語を使うなんて。それくらいのレベルなのだ。
「はぁ……」
思わずため息をついてしまった。
「どうしたレールル、ため息なんかついて」
「あ……、いえ、なんでもありません。それよりも母上、渡したいものって何ですか」
早く話題を切り替えたかった。
「レールル、これよ」
そう言って母上が取りだしたのは、丸くて平べったい形をした、花の模様が彫られている赤色のペンダントだった。よく見ると、開けられるタイプだ。
「母上、これはなんですか」
母上は俺にそう言われると、ペンダントの中を開けた。中には俺と母上と父上が移っている白黒の写真が入っていた。確かこの写真を撮ったのは……
「3年前のレールルの7歳の誕生日の記念に撮った写真ですね」
ラクスマスが俺の言いたいことを代わりに言ってしまった。
「ええ、そうよ」
母上が優しく答えた。
「へえ、結構この時のレールルもかわいいじゃない」
「ちょ、ネイメル姉さま。そういうことはやめてください」
ネイメル姉さまはきっと俺の新しいいじりネタを見つけたとでも思っているのだろう。
「母上、家族写真の入ったペンダントを渡すなんて、急にどうしたのですか」
俺がそう言うと母上は
「思い出、ってものかしら」
と単調に言った。そして、母上は俺をまじまじと見た。俺はなぜか、どことなくその言葉と行動に母の寂しさを感じた。まるでお別れのような。
「は、母上」
いったい何なのだろう、この違和感は。そう思ってしまい、無意識のうちに母上を読んでしまった。
「どうしたのです、レールル」
どうしよう。何とかごまかさないと。そういえば……
「いえ、ここに彫られている花はなんなのだろうと思いまして」
俺は何とかごまかした。なんもないのに母上を呼ぶような失礼な真似はできない。
「それは、スイートピーっていう花よ」
「スイートピー? 聞いたことのない花ですね」
そもそもこの国に咲いている花なのか。
「この花は、この王国だと自然に生えてないし、寒くて栽培も難しいからレールルは見たことないのね」
「では、どこにその花はあるのですか」
俺の問いに母上は戸惑ってしまった。
「原産地はヘジャモニア島とは聞いたわ。あの魔女が封印されているバットゥ宮殿がある島よ」
ヘジャモニア島とはジェハンナンと砂漠大陸の間にあるハフスパシンニャン海盆と呼ばれている巨大な海盆に浮かぶ島だ。
「母上はこの花をそこで見たことあるのですか」
「……」
母上は黙ってしまった。その時、これから俺たちの乗る列車がホームに入ってきた。
「レールル、先乗っているわよ」
ネイメル姉さまはそう言って列車に入っていった。
「では母上、そろそろ僕も行きますね」
そう言って母上に別れを告げようとしたら、
「レールル」
母上が突然、大きな声を出して俺を呼び止めた。あまりの突然のことにびっくりしてしまった。
「ど、どうしたのですか、母上」
「あのね、私はこの花を見たことはないの。この花を見たことあるのは私のお父さんとお母さんなの。それで、このペンダントを作ったのもお父さんとお母さんなの」
なんだ、そんなことか。そういうことか。つまり、母上は、自分でこの花を見たことないから言葉が詰まっていたのか。
「大丈夫ですよ、母上。僕は、たとえ母上が生のスイートピーを見たことがなかったとしても気にしませんよ」
「そういうことじゃなくて」
「ど、どうしたのですか」
母上は焦っているのだろうか。いつもは優しく穏やかなのに、こんな大きな声を上げることはないのに。
「……いえ、なんでもないですわ。そうだレールル、ペンダントをかけてあげますわ。ほら、首をこっちへ」
「はい、分かりました」
俺は母上に首を差し出した。母上はしゃがんで俺にペンダントを着けた。
「似合っているじゃないか、レールル」
ラクスマスがそう茶化した
「ラクスマスの言う通り似あっていますよ」
「そんな、恥ずかしいですよ、母上……」
そうは言いつつ、なんだかんだ嬉しかった。母上からの贈り物なんて珍しいからだ。
「それじゃあ、そろそろ行きなさい、レールル。列車に乗り遅れてしまうわよ。ラクスマス、レールルのことをよろしくね」
「もちろん、任せてください」
ラクスマスはそう勢いよく返事をした。
「まったく、母上は僕に過保護すぎではありませんか」
「母親は息子のことがそれくらい心配なのよ。ほら早く、あと15分で列車が出るわよ」
母上はそう言って立ち上がった。その時、母上の首に何か着いているのが見えた。
「母上、首に何を着けているのですか」
「ああ、これね」
母上はそう言って首に着けていたものをとった。それは紫色でスイートピーとは別の花の模様が描かれているペンダントだった。
「母上もペンダントを持っていたのですか」
初耳だった、母上がペンダントを持っていたなんて。しかも普段着けていたのだったら紫という目立つ色なので気づくと思うのだが……。
「これもね、私のお父さんとお母さんが作ってくれたものなの。私が小さいときに私を慰めるためもらったの」
「そうだったのですね。ちなみにここに描かれている花はなんですか。スイートピーとは違うような……」
「ヤグルマギクよ」
それは何かを決心した時のようなセリフだった。今日の母上はやっぱり何かおかしい。ただ考えたところで何か変わるわけでもない。
「そうですか。その花はどんな花なのですか」
「……、レールル、ほら、もう時間よ。早く列車に乗りなさい」
今、確実に母上は話をそらした。だが、もう列車に乗らなければいけないのも事実。
「わかりました。それでは、ここに帰ってきたらその花の話を聞かせてください。ラクスマス、行こう」
「了解した」
「じゃあね、レールル」
そう言って母上は優しく手を振った。
「はい、母上もお元気で」
俺も優しく手を振った。手を振った後、俺はラクスマスと列車のほうに向かって歩いた。そして、俺たちは、この列車の12号車の入り口から乗った。列車の中は言葉にできないほど豪華だった。さすがは王族専用列車と言ったところだ。俺の席はネイメル姉さまと同じ13号車にある。ラクスマスとは号車が違うのでここでひとまずお別れだ。
「じゃあね、ラクスマス。また後で」
「はいはい、また後でな」
ラクスマスと別れたら、すぐに隣の13号車に乗った。13号車にはネイメル姉さまがいた。
「レールル、もう列車が出ちゃうわよ。早く座って」
そういわれて、俺はネイメル姉さまに手を引っ張られた。
「姉さま、少し痛いです」
「そんなこと言っている暇はない」
ネイメル姉さまの力はクルーツク家の血を引いているから、僕なんかよりもずっと強い。手を引っ張られた俺は半ば強引に席に着けさせられた。
「まったく、強引なのですから」
俺は窓側の席に着いた。窓からは母上が見えた。母上も俺に気づいたようだ。俺はもう一度手を母上に振ろうとしたが、その瞬間に列車の出発の汽笛が鳴ってしまった。列車はゆっくりと走り出した。俺は急いで窓を開けて、
「母上」
顔を出して手を振った。母上ももう一度手を振って、そして何か言った。列車の音で何を言ったか聞こえなかった。ただ、口の動きは見えた。しかし、おそらく俺の気のせいであろうが、その口の動きがさようならと見えたのはきっと気のせいに違いない。
フィルメが持っていたスイートピーとヤグルマギク、いったいどういう意味があるんでしょうね。
そして、魔女の封印とは……、前回の話に出た魔女の力と関係あるのでしょうか?
次回もぜひ読んでください。