悪夢の始まり
時がたちイシュテン歴1950年7月
ヒープラスリック王国の王宮の大図書館
「おーい、ラクスマス、早くこっちに来て」
「レールル、ちょっと待てくれ」
ラクスマスはめんどうくさそうな顔をした。そんな顔をするならこんな仕事を引き受けなければよかったのに、とつくづく思う。
「この文法を教えて欲しいだけど」
こんな難しい問題を解くなんて俺はなんて天才なのだろうと思っていたが、優秀な義兄弟を見るにそんなことはなかったようだ。特に、魔法に至っては比べ物にならないほど弱い。
「そのくらい、自分で考えろ」
「お前、何のためにいるの」
「口だけは達者なクソガキが。そんな言葉どこで覚えた。はぁ、しょうがないから教えてやるよ」
ラクスマスはそう言って丁寧に教えてきた。こう言っているが、ラクスマスは俺になんだかんだ優しいのだ。もし、父かラクスマスのどっちが好きかと聞かれたら、ラクスマスと答えるだろう。なぜだか俺は父より彼のほうに優しさを感じるのである。ラクスマスは人に教えるのは上手でこんな難しい問題もわかりやすく解説してくれる。
「ねえ、最近言語ものとか軍事ものの勉強ばかりで、さすがに飽きてきたよ」
「他にやりたいことでもあんのか」
「魔力についてとか」
俺は何としてでも魔力の力を強くしたかったが、
「ごめん、俺魔力に関しては皆無に等しいから他にしてくれ」
と言われた。ラクスマスに訊いたのは間違いだった。
「じゃあ、ずいぶん前に読んだ『大王戦記』をもう一回読みたい」
「大王戦記」とは、およそ100年前にいた西の隣国のゲヒルベンシャー帝国の英雄であるハルトマン大王について書かれた戦記だ。小国だったゲヒルベンシャーを一気に大国に上り詰めさせ、何度も起きた大国との戦争でゲヒルベンシャーを勝利に導いたまさに偉大な人物だ。
ただ、ラクスマスは少し複雑な顔をした。
「その本は……、確かに彼は軍事の天才だが……。分かった、レールルから見て左側の一番端にあるからそこから……」
その時、
「何をしている」
と言って男が俺たちの前に現れた。父ことガルテン国王だ。4年前に当時国王のエラクラが死んだ。そして、父が国王となったわけだ。
父と一緒に使用人のサールもいた。サールはよく俺の世話をしてくれる人だ。メイド服が似合っていてかわいい。
「ラクスマス、今レールルに何を教えようとした」
「別に大したことじゃないさ。ただ、知りたいことがあるなら教えてあげようと……」
「お前、その本の著者がだれかわかっているのか」
急にガルテンが怒鳴りだした。
「……、カイマル・アレンシュタインだ。忘れるわけがない」
ラクスマスは真剣な顔をして答えた。
いったいどういう意味なのか、わけがわからなかった。大王戦記の著者とガルテンの怒りに何の関係があるというのか。
「そうだ。我らヒープラスリック人が一生忘れることのない名だ。お前だって、40年前にその身であの地獄を経験しているだろ」
「ねえ、アレンシュタインって誰なの。40年前に何があったの」
「……、いずれ教えるさ、あの忌々しい大戦を」
そう答えたラクスマスは遠くを見つめていた。そして怒りに満ちている顔をしていた。その顔は誰に向けているものなのかはわからない。
「すまんな、ガルテン。お前の心情は痛いほど俺にはわかる」
「私も少しカッとなってしまった。申し訳ない。ただ、本当にあの本だけはやめてほしい。やはり、処分しておくべきだったか」
「そんなこと言うなって。それよりも話したい事があってここに来たんだろ」
「ああ、そうだった。レールル、お前に2つ話がある。1つ目は、お前の勉強についてだ。最近は同じ事ばかりで飽きてきたとラクスマスから聞いていたし、お前の10歳になったことだし外国語を学ばせようと思う」
「外国語? 」
「ヒープラスリック語以外の他の言語さ。俺は2ヶ国語話せるから、その2つのうちだったら俺が教えられるけど」
とラクスマスは言った。
「ちなみに何が話せるの? 」
と聞くと
「ラックラリーボ語とゲヒルベンシャー語だな。おすすめは、ラックラリーボ語かな。今、かの大帝国は世界中に植民地を築いて、もはやラックラリーボ語は国際公用語だし、それに……。おい、聞いてんのか」
とラクスマスは言ったがそんな言葉は全然耳に入らなかった。ハルトマン大王、彼の姿が頭に浮かんできて、そして離れない。まるで洗脳されているように
「俺、ゲヒルベンシャー語を学びたい」
「お前、ラクスマスの話聞いていたか。ゲヒルベンシャー語なんて使わない言葉を学ぶ必要もないし、そもそも私はゲヒルベンシャーが嫌いだ」
「落ち着け。レールルが学びたいなら俺は学ばせるべきだと思う」
「そうか、分かった。では、レールルはゲヒルベンシャー語を学習するということで。担当は……、ラクスマスでいいか」
と言った。これで、ようやく話が終わると思ったら、
「レールル、どうしてそんなラクスマスに似た”俺”などの一人称を使う。きちんと丁寧な言葉をつかえ。あとラクスマス、レールルに余計なことを教えるな。悪影響になるだろ」
「へいへい」
「ほいほい」
「返事はしっかり」
「「はい! 」」
父が少し説教気味になり面倒になってきた。早く次の話に切り替えてほしい。
そう思っていたら、ガルテンが話を始めた。
「それと、もう一つの話だ。実は来月にフレールリン連合王国との国交正常化式典があるのだが、そこにレールルも来ることになった」
フレールリン連合王国って何のことだ、と不思議に思っていたら、ラクスマスがそれを察知して
「この国の北西にある、13の王国に同じ国王が統治している、いわゆる同君連合国家だ。建前は13の国が平等で、領内にはムーシビエレス民族やヨーロウ民族、そのほかの少数民族も暮らしている。だが実際は、エクステルマル人やニジル人などのムーシビエレス民族系が主導権を握っている。そもそも、王家がエクステルマル人出身だし仕方ない。それと、連合王国とこの王国は200年間正式な国交はなかった」
と答えてくれた。なかなかの熱量を感じた。
「そんな隣の国となんで200年も国交がなっかったの」
そもそも、国交を結ばない理由がわからない。
「それは、我がヒープラスリック人とエクステルマ人とニジル人の3民族の複雑な歴史のせいだ」
ラクスマスはそう言ったが俺はピンと来なかった。しかしラクスマスは俺のことなんて気にせずガルテンに対して
「どうしてレールルが行く必要がある」
と訊いた。
「連合王国の式典に参加させるのは良い経験になると思った」
とガルテンが答えた。
「で、本当は」
ラクスマスがガルテンの真意を尋ねた。
「政略結婚が決まったから顔合わせをするためだ」
「はあ、そんなの聞いてないぞ」
「とはいっても5年前から決めていたことだ。今更、取り返しはできん」
そういわれるとラクスマスは椅子から勢いよく立ち上がって
「あのな、ガキを道具として扱うなよ」
と言って、机を思いっきりたたいた。
「いてっ」
「あんまり無理しないでください。足が悪いのですから」
「すまない、レールル」
そうラクスマスの心配をしていたら、カルテルが
「出発は1か月後の予定だ。場所は王国第二都市グーチュアーだから列車で行くことになってる」
と言った。
「40年前に初めて会ったときはこんな奴じゃなかったのに」
ラクスマスは失望の色を隠せなかった。
それにしてもこの二人が40年間も知り合いとは驚きだ。
「そうだレールル、今回はネイメルも一緒に来るぞ」
「ネイメル姉さまも来るのですか」
ネイメル・ロザフス、この国の第5王女であり、他の義兄弟の中で一番年が近く、一番仲がいい(と俺は思っている)。
「それでは話は以上だ。また一か月後に会おう」
そう言って席を立ち、サールとともに図書館を出ようとしたとき、
「待て、俺からも話がある」
とラクスマスが引き留めた。
「2か月前の魔導士の反乱の処遇についてだ。今日、即決裁判が開かれるはずだろう」
「それについては、私がお答えします」
サールが口を開いた。
「王国極東地方に起きた魔導軍1個師団の反乱は、1週間ほど前に鎮圧されました。反乱の目的はわかっていません。ただ、生き残った魔導士500人程と鎮圧の対応の責任として内務省と魔法軍省の官僚の数名が先程おっしゃったように即決裁判にかけられます」
「判決は死刑なのか。この国にとって数少ない魔導士は貴重だ。せめて、首謀者以外だけでも」
「内乱罪ですし難しいでしょう。この国は反乱に関わった全員に死刑が適用されるので死刑は免れられないと思います」
「ガルテン、何とかならないのか。もしこの状況で戦争になったら絶対に負けるぞ。国防のことも考えて」
「そうは言っても法がそうなっているから無理だ」
「っ……、畜生め」
「ああ、それと」
サールが何か思い出したようだ。
「そういえば、中央大陸南部にあり、ヘジャック州と隣接するの大帝国のポーク植民地がありますよね。現在、ポーク植民地では大規模な反乱がおこっているそうです」
ラクスマスは困惑した。
「なんで、そんなことをわざわざ報告するんだ」
その問いかけに対しサールは、
「だって、不自然だからです。まるで計算でもされていたかのように、大帝国は軍を展開し、迅速に鎮圧を開始したのですから。……とラクスマス様の部下だったペロコソフスキー様が言ってました。そういえば、今ペロコソフスキー様はグーチュアーにいるようなので国交正常化記念式典に行く途中にあってみてはいかがでしょうか」
と答えた。
「大帝国の不穏な動きか、確かに見過ごせないな。よし、今度南部に視察でも行ってみるか」
ラクスマスは意気揚々としていた。きっとかつての部下に会えることがうれしいのだろう。
◇
王宮から徒歩5分圏内に位置する王国最高裁判所
法廷では、反乱の中核である代表10人と内務省官僚の8人、魔法軍省官僚の5人が裁判長の判決文を待っている。皆、硬直して何も考えられていない。これからの判決に自分の生死が決まるのだから。
裁判長がゆっくりと立ち上がり判決文を読みだした。
「それでは判決を言い渡します。反乱に関わった512名全員を極刑とする。また、反乱の初期対応が遅れた責任として内務省官僚3名、魔法軍省官僚5名に極刑を、内務省官僚2名に流刑を、残りの3名に無罪を言い渡す」
判決を聞いて、反乱の首謀者たちはその場で泣き崩れしまった。実刑判決を受けた官僚たちも絶望的な顔をした。一方で無罪判決を受け取った官僚は逃げるようにすぐに法廷を後にした。
極刑判決を受けたものはすぐに連行された。
刑はその日のうちに行われた。
今回もたくさんのことがありましたね。
「ハルトマン」や「アレンシュタイン」は今後物語にどうかかわってくるんでしょうね、
レールルはゲヒルベンシャー語を選んだのか。それどこで使うの?
フレールリン連合王国とヒープラスリック王国にはいったいどうして200年も国交を結ばない理由なんてあるんでしょうか。
そして魔導士の反乱。何だか、きな臭いですね。平和がくればいいのですが……
次回もお楽しみに!!