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7. 運命の輪

 ギムレーの山から王都に戻ったレイは、宿舎の自室で黙々と提出課題の作成にあたっていた。夏休み終盤にギムレーに出向いてしまったため、一ヶ月弱もアカデミーを休んでしまった。次の試験で十分な成績を取らなければ、奨学生の資格を取り消されてしまう。

 レイは魔石の種類と産出に関する課題をなんとか書き終え、引き出しから一枚の手紙を取り出した。夏の間バイトをしていたへーベルグ領の男爵からの手紙で、ブルーブラックのインクで書かれた文字の向こうに目尻のシワが優しい男爵の穏やかな顔が浮かぶ。

 レイは手紙を読み返し、一つため息をついた。へーベルグ男爵から養子に入らないかとお誘いを受けたのだ。

 願ってもないお誘いだ。

 公爵家から出て生きる道を探そうとアカデミーにきたのだ。へーベルグには長い夏の期間滞在したが、自然の美しい土地、賑やかな町の人々、少し寂しそうなへーベルグ男爵がレイと話している時に見せる穏やかな笑顔、私はあの土地が好きだ。

 以前のレイだったら迷うことなく心を決めていたのだろう。しかしレイはギムレーの山小屋でセシルに抱きしめられて以来、セシルの存在しない未来をどうしてもうまく思い描けないでいた。


 ギムレーから戻ってから、レイは週に二、三度はセシルに会い、話をするようになっていた。

 セシルはあの時未来が見えないと言っていたが、その悩みの半分は解決できたらしい。何をやりたいかは見えてきたが、どう実現したら良いか模索中だという。あの時よりも、セシルの目は力強い。きっと大丈夫だろう。今は、よっぽどレイの方が迷いの中にいる。

 レイは明日授業の後セシルに相談しに行こうと決め、デスクの光を消した。



 次の日の午後、アカデミーのカフェのテラスに座ると、気持ちのよい秋風を頬に感じた。この席からは、少し色付き始めている学内の木々がよく見える。

 少しぬるめのカプチーノを一口飲んだレイは、へーベルグ男爵からの手紙をセシルに見せた。

「へーベルグ男爵は息子さんを病で亡くされていて、今お爺さま一人で切盛りされているから、養子に入るのも悪くないと思って。あの土地の人たちも好きだし」

 セシルは初め眉を顰めて話を聞いていたが、意外に爽やかな顔をこちらに向けた。

「いいんじゃないかな。レイがそう決めたら、ヴァロア家には俺の方から伝えておくよ」

 それを聞いて、レイは少し拍子抜けした気持ちと同時に寂しさを感じた。

 理性では公爵領に戻ってもしょうがないと分かっているのだが、セシルには公爵領に帰ってこいと言われたい、ダメでも求められたいという欲望が、どんなに隠しても心の奥に存在するのだ。

「セシルは反対するかと思ったよ。あれだけいつも公爵領に帰ってこいって言っていたから」

 レイは穏やかに笑った。

「俺がへーベルグに会いに行くよ」

 そう言ってテーブルの上の手を握ってくれたセシルの指は、温かく柔らかだった。


 セシルの手のぬくもりを思い返しながら宿舎に帰ると、入り口のロビーで友人と話していたライアンがこちらに目を向けた。

「レイさん!」と駆け寄ってきたライアンと共に宿舎の階段を登っていく。

 部屋の前で立ち止まったライアンが、先ほどまでの明るい表情を曇らせた。

「レイさん、今日カフェでヴァロア公と一緒にいましたね」

「あ、ちょっと相談があって」

 レイは少し警戒をこめた声で答えた。セシルと一緒にいるのをライアンが快く思っていないのはわかっているが、いちいち指摘しないでほしい。

「最近、世間の噂に疎い僕のとこまで話が流れてきます。ヴァロア公が、エレノア嬢と婚約解消して、どこの馬の骨ともわからない女とばっかり一緒にいるって」

 さすがにそう言われるとレイは不機嫌な顔をした。

一時(いっとき)一緒にいたって、それくらいいいでしょう」

 もう放っておいてほしい。

 話はこれで終わりだとばかりに部屋の扉に手をかけたレイに、ライアンは真っ直ぐな瞳を向けてきた。

「レイさん、もっと自分を大切にしてください。

 もっときちんとしたお付き合いができる人にした方がいい」

 ライアンは私のためを思ってそう言ってくれているのだろうと頭の片隅で理解できても、何年も思い悩んできた私の心には他人様に言われることなど今更すぎて届かない。

「そんなことは分かってる」

 レイは冷え冷えとした声でそう言い切ると、自室に入っていった。



 *****



 年が明け、レイはへーベルグの屋敷のサンルームで、ゆっくりと紅茶を飲みながら外の雪景色を眺めていた。昨夜降っていた雪はもう上がり、草木の上に積もった雪が日の光を眩しく反射している。

 結局レイは、セシルの賛成にも後押しされて、へーベルグ家の養子に入った。男爵も、公爵領にいる両親もとても喜んでくれた。

 この冬の休みの間過ごしているへーベルグの屋敷は、もう既に二回の夏を過ごしただけあって馴染みが深い。へーベルグ領の冬の景色を見るのは初めてだが、どこかほっとするような、帰ってきたと思えるような愛着を感じる。

 レイは、屋敷の車止めにいる馬車に繋がれた二頭の美しい馬に目をやった。今日は年明け早々男爵の所にお客様が来ているらしい。


 扉をノックする音が聞こえ、「レイ様、失礼いたします」と執事のエバンズさんが入ってきた。

「旦那様が応接室にお呼びです」と言われ、レイは執事の後に続きサンルームを後にした。


 深遠な湖の絵画が飾られている廊下を進み、応接室の扉をノックして入ると、へーベルグ男爵が優しい瞳をこちらに向けた。

 男爵に丁寧に礼をとり、いらっしゃっているお客様に挨拶をしようと向かいのソファーに腰掛ける男性に目を向ける。レイはそこに大好きな青い瞳があることに気づいて一瞬動きを止めた。

「レイ、驚いておるね。今日はヴァロア公がいらっしゃっている」

 レイは慌てて丁寧に頭を下げ、男爵に促されるままソファーに腰掛けた。

 へーベルグ男爵も人が悪い。セシルが来るならば、そう言っておいてくれれば良いものを。そう毒付きながらレイは、本当にへーベルグに会いに来てくれたセシルを前にしてふわふわと幸せな気分になった。


 セシルをへーベルグのどこに案内しようなどと考えを巡らせ始めたレイに、男爵は意外なことを言った。

「ヴァロア公が、結婚を前提にお付き合いさせて欲しいとおっしゃっているが、レイどうするかね?」

 それを聞いたレイは、首が絞められるような息苦しさを感じた。

 へーベルグで暮らしていくために養子に入ったのだ。一瞬だけ男爵家に身を寄せ、すぐさま公爵領に帰るなど考えられない。男爵のお爺さまも、町の人も、私にここにいて欲しいと思っていてくれているはずだ。セシルはなぜ今この状態でそんなことを言うのだ。

「嬉しいお話ですが、私はへーベルグのこの地で暮らしていきたいと……」

 レイが硬い顔で答えるのを男爵は優しく遮った。

「いや、そうではない。ヴァロア公はこの地に婿として来たいとおっしゃっている」

 レイは驚いてセシルの顔に目をやった。

 セシル、何を言っているのだ。弟のダニエルはいるが、セシルはヴァロア家の長子として期待され、今まで家業と勉学に励んできたのではないか。それにこう言ってはなんだが、ヴァロア公爵領とへーベルグ男爵領はその規模で百倍近い差がある。本当に田舎の、中央政権から遠く離れた土地なのだ。

 

「聞けば、ヴァロア公とレイは、幼いころからの付き合いというではないか。

 私は少し席を外そう。ゆっくり二人で話しなさい」

 へーベルグ男爵は優しくレイの肩に手を置くと、応接室を後にした。


 セシルはゆっくりとソファーから立ち上がると、レイのそばに膝まずき、手を両手で握った。

「レイ。やっとレイと一緒に生きていける道を見つけられた」

 セシルの澄んだ瞳は、静かな湖のように落ち着いている。

 しかしレイは、セシルが与えようとするものの大きさに足をすくめた。

「セシル、嬉しい。でも、セシルが失うものが大きすぎて……」

「俺は、権力とか財力とかにそんなに興味はない。父も説得してきたし、へーベルグ男爵にもご了解いただけた。ダニエルは社交的だから、俺よりよっぽど公爵家を盛り立てていけるよ」

 レイを説得しようと、セシルは更に畳かけた。

「俺、領地経営の勉強もしているし、へーベルグ男爵を絶対サポートできる」

 たしかにそこは、レイの一番心配している所なのだ。へーベルグ男爵の家族がレイしかいない今の状況では、いずれ領地経営に明るい婿を取らなければいけないのは、レイに課せられた暗黙の義務であった。

「レイ、『はい』と言って」

 セシルが少し身を乗り出し、レイの頬に手を当てた。レイを見つめるその目には迷いのかけらもない。

 ああ、私はセシルと共に行っていいのだ……

 レイは目の前に現れたその輝かしく美しい道に、足を踏み入れることを決めた。


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