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2. 魔術師

 舞踏会から一ヶ月ほどが過ぎ、真昼の高い太陽に外の道が白く焼きつく季節となった。

 レイは公爵家の調理場で、うっすらと額に汗を滲ませながら芳醇な香りを立ち上らせるスープを煮込んでいた。今宵開かれる晩餐の、二十名分の料理の仕込みを手伝っているのだ。

 二つ年上の使用人のマイロが調理場の角からレイを呼んだ。

「レイ、ここに氷を」

 マイロのそばの保冷庫まで行き、水の汲まれたトレーに手をかざす。目を閉じ、手から放出される魔力を水に与えると、冷え冷えと粉をふいた氷から白い冷気が漂ってきた。

「サンキュ。これで、デザートのジュレも夕方までには完璧だ」

 なかなか市場(しじょう)で氷を手に入れることが難しいことから、夏場の冷たいデザートは貴族しか楽しめない贅沢品にあたる。

 魔法の力を発現させる人間は十人に一人位いるが、その程度はさまざまで、レイのように火も氷もほぼ全ての属性の魔法を器用に操れる人間は稀だ。そんなレイは調理場で火付けに保冷に重宝がられていた。


 マイロが調理場の窓から屋敷の門に目をやると、象牙色の美しい馬車が入ってきた。車止めに横付けされた馬車から、従者にかしずかれ麗しい令嬢が降りてくる。

「お。エレノア様がいらっしゃったみたいだ」

 今宵のセシルの誕生日を祝う晩餐には婚約者のエレノアも招かれている。マイロは初めてエレノアを公爵家で見た時から、その妖精のような美しさに信仰じみた崇拝の念を抱いている。

「マイロ、今日の給仕代わる? その代わり、調理場の後片付け私がやってあげるよ」

「まじ? やるやる。お兄さんに任せとけ」

 マイロが喜びの拳を握り締めている。

 よかった。セシルとエレノア嬢の会食なんて、見ていたくない。レイはほっとすると、煮込んでいたスープの様子を確認し、料理長に次の指示を仰ぎに行った。



 晩餐会は、次々に美しく皿に盛り付けられる料理をミスなく送り出し、つつがなく終了することができた。戦場の様子を呈していた調理場も、今はレイが一人で食器を洗う水の音だけが静かに響いている。

 間もなく今日が終わってしまう。セシルにおめでとうの一言も言えなかったな、とレイは気づかずため息をついた。


「レイ、ここにいたんだ」

 調理場の入り口から慣れ親しんだ声がして振り返ると、少しほろ酔いのセシルが立っていた。今日一番会いたかった人に会えたと、レイは思わず頬を緩ませた。

「片付け大変だね。手伝うよ」

 ブルーのボレロを脱ごうとするセシルにレイは呆れた視線を送った。

「ありがと。でも、その服が汚れると、余計仕事が増えるから」

「じゃあ、待ってる」

 セシルは調理場のスツールに腰掛けて、ぶらぶらとご機嫌にレイを見ていた。

「レイ、今日俺の誕生日」

 ぽつりと言ったセシルに、レイは少し振り向いて祝福を返した。

「うん。誕生日おめでとう」

「今年はプレゼントないの?」

 セシルが期待の眼差しをこちらに向けている。

 薄給の使用人なのに、セシルは毎年プレゼントを欲しがる。本当にたいしたものは贈れないのだが、今年は露天で見つけたターコイズを使って、アンクレットを作ってみた。アンクレットなら普段見えないので、高価な服から浮くこともない。

 レイはお皿を洗っていた手を拭くと、ポケットからアンクレットを取り出してセシルに渡した。

「はい。このアンクレット、守護の魔法をかけておいたから。セシルに万が一何かあった時は、少しだけ身代わりになってくれると思う」

「レイ、ありがとう。結んで」

 セシルが嬉しそうにアンクレットをレイの手に戻した。

 セシルは未だに子供の頃のように甘えるところがある。いい青年になってからこれをやられると、なんだか甘美な香りがたちこめ軽く酔い心地になってしまう。

 セシルが左の靴を脱ぎ、少し靴下を下げた。レイは革紐に通したターコイズのアンクレットを丁寧に結びながら、青い石に祈りを込めた。

 ――セシルを全ての危険から守りたまえ。



 明くる日は、家庭教師の先生が見える日だった。北側の庭が見える静かな部屋で、レイとセシルは机に向かっていた。子供の頃なかなか勉強をしたがらなかったセシルに、家庭教師の勧めもあって、公爵は遊び友達のレイを一緒に学ばせるようにしていたのだ。


「では、この問題を次回までに解いておいてくださいね」

 家庭教師の先生は今日の資料を片付けると、鞄から一枚の紙を取り出して、レイの前に置いた。

「レイさん、王都のアカデミーを受験してみませんか?」

 レイの前に置かれた紙には細かい文字で『アカデミー推薦応募要項』と書かれている。

「レイさんは扱える魔法の種類も精度も飛び抜けている。奨学生の枠を狙えるかもしれません」

 アカデミーに通うなど考えてもみなかったレイは、ぽかんとした表情のまま先生の顔を見返した。

「先生、ありがとうございます。よく考えてみます」

 うなずき立ち上がった先生を、セシルが若干機嫌の悪そうな声で呼び止めた。

「先生、レイが行くなら、私もアカデミーに行きたいです」

 以前アカデミーには行きたくないと言っていたセシルの意外な要望に、先生は少し目を見開いた。

「それは良いですね。セシル様は年齢的に来年ですね。公爵様にもお伝えしておきましょう」

 先生はそう言って微笑むと、部屋を後にした。


 気を取り直してアカデミーの資料を見てみると、魔法関連では、魔術師科、魔法騎士科があるようだ。奨学生になると、学費、制服、教材費、寮費も無償だという。王都のアカデミーを卒業できれば、色々な仕事につける可能性が出てくる……

 レイがアカデミーの資料に見入っていると、セシルが横から声をかけてきた。

「レイは、ここを出て行きたいの?」

「え?」

 心を見透かされたような問いに、セシルを見上げたまま言葉が続かない。

「アカデミーに行っても、必ず公爵領に戻ってくると約束して」

 セシルの子供じみた言いように、レイは少し困った様子で答えた。

「どこにいても、セシルが大切なことには変わりないよ」

 セシルは益々機嫌悪そうに顔をしかめた。

「俺は嫌だから」

 鋭い一瞥をレイに投げると、セシルはノートと筆記具をまとめ、部屋を出て行った。


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