4,一人目と死闘
「とりあえず、ずっとこんなところにいるのも何ですから、まずはパステリトゥムに戻りましょうか」
そう言って、エールはカインの手を引く。
「ああ。こうなっては異世界勇者との全面戦争は避けられないからな。一刻も早く勢力を集結させたい」
「そうですね」
エールはどこからともなく杖を呼び出し、くるくると器用に回転させた後、何もない空間へと突き出した。
すると、太陽と半月を象った先端の装飾が輝き、目の前に縦長の、白い空間とは対照的な黒い長方形が現れる。それは『ただの穴』以外に形容のしようがなく、扉や窓枠のような装飾は特に施されていない。必要最低限の機能のみを持ち合わせているように見えた。
「……随分と質素な穴だな。前に見たときはもっと豪華な造りをしていたと思うんだが」
「あ、はい。神界が乗っ取られて、使える力も弱まってしまって……」
エールがまた罰の悪そうな、困った笑顔を見せる
「まあ、俺はこっちの方が好感が持てるがな」
二人は穴を潜った。そのときも取り立てて描写できるイベントはなく、穴の向こう側は転移先の空間に直接繋がっていた。
__その転移先は大広間であり、まず十メートルの高さはある大扉が目を引いた。その対角線上の壁は、光を室内へ取り入れるために大きくくり抜かれており、差し込む光が空間に臨場感をもたらしている。そして、そのくり抜かれた壁の少し手前には闇堕ちした玉座のような椅子があり、その玉座と大扉の間は長広い赤紫のカーペットで繋げられていた。
詰まるところは魔王カインの謁見室である。
「俺の謁見室か。便利なもんだな」
エールはふふんと鼻を鳴らし、静かに胸を張った。
「さて、まずはヒトを呼ぼう。__来い」
カインがパチンと指を鳴らす。しかし何も起こらなかった。
カインがパチンと指を鳴らす。しかし何も起こらなかった。
エールは困惑している。
「……えっと、カインさん?」
カインはこの事態に強い疑問を覚えた。魔王を務めてそれなりになるが、これは初めての出来事だった。いつ、何時であっても、魔王の側には必ず誰かがいた。これが不手際であれば、配下の沽券に関わる事態のはずだ。
「妙だな。なぜ誰もいない」
__そのとき、大扉が厳かに開かれた。奥には等身大の人影があり、それは小川のように穏やかな声で言う。
「ここにいた魔物達なら、もう全員やっちゃいましたよ」
若い男の声。人間換算で十代半ば程度だろうか。二人はその影を警戒した。
「誰だ」
影はゆっくりと歩みを進め、足元から徐々に大広間の光を浴びていった。そして、黒髪、茶目の『普通の少年』が姿を表す。
「どうも、田中キョウマです。しがない勇者やってます」
その如何にも無害そうな微笑みが、この緊迫した現場とは酷くかけ離れていた。
「あなた達二人のことはずっと『見えて』いました。面倒な事をされても困るので、先手を打たせてもらったってわけです」
「……!!そんな!あの領域まで……!」
何も知らされていないカインは、キョウマと呼ばれる少年の含みとエールの焦りに、いくつかの疑問符を浮かべた。しかし、その説明をひとつひとつ求める時間的余裕はどうやら無さそうだ。
「俺達を殺しに来たということか」
「察しが良くて助かります。でも、できれば穏便に済ませたいんですよね。今からでも仲直りできませんか?」
__次の瞬間、魔王が勇者の背後から大剣を振り下ろす。
それより早く剣を抜いていた勇者は、振り返らずにそれを受け止めていた。
「カインさん!」
遠くでエールが叫ぶ。
カインはその呼びかけには返さず、勇者キョウマに語りかけた。
「仮に仲直りしたところで、俺達が生き残れる保証は無いよな?」
「……察しが良過ぎるのも困りものですね」
勇者キョウマは、魔王の背後から魔法を詠唱した。
__まずい!
魔王のどこかで警鐘が鳴り響く。これは理性によるものではない。
「エール!急げ!早く!」
叫ぶが早いか、魔王カインは女神エールを抱きかかえ、くり抜かれた壁から外へ飛び出した。
勇者キョウマの詠唱が完了する。
「__生滅の破砕」
鼓膜が破れんばかりの破裂音。それと共に、謁見室のおよそ八割以上が球状に吹き飛ばされ、その範囲中にあったものは塵も残らず消し飛んだ。反動の風圧と自重で崩れた城の一部によって、砂煙が高く舞い上がる。
__そこより五十メートルほど下の地面。カインとエールは間一髪、攻撃範囲から逃れることが叶っていた。
「けほっ、けほっ!カインさん、ありがとうございます……!」
「初っ端から勇者と戦闘するとは聞いていないぞ」
「すみません、私の不手際です……」
「もう良い」
カインはエールを抱きかかえたまま、勇者キョウマの死角に隠れた。エールは自分の体勢にようやく気付き、頬を赤らめながらぺしぺしとカインを叩いて腕から降ろさせた。
勇者キョウマは自分の作り上げた急勾配の淵に立ち、二人を探している。
「奴のことは知っているか?」
「……いいえ、私が呼び寄せた転生者じゃありません。ですが、あの魔法力……恐らくステータスが強化されているものと思われます」
「なるほどな」
魔王は影から勇者を覗き、ステータスを確認・表示させた。ステータスの説明はもはや不要だろう。
「……全ての能力値が9999。馬鹿げているな。エールよりも高いぞ」
エールは苦笑いをするしかなかった。それを与えたのは自分達神々なのだから、自業自得である。もっとも、巻き込まれたカインにとってはたまったものじゃないが。
「しかも、奴は俺達の動きが『見えて』いるらしいな。ここもすぐ炙り出されるだろう」
エールは『その』言葉に反応を示した。
「いえ、それはありません。今まで『千里眼』のスキルを与えたのは私だけ、それもたった一人です。つまり彼の能力じゃありません」
……また疑問が増えた。
「後で説明しろ」
「は、はい」
「……とは言え、このステータス差ははっきり言ってまともに太刀打ちできない。正攻法は通用しないだろうな」
「そんな、何か手立ては……」
おろおろと戸惑うエールを尻目に、カインは考えを巡らせていた。
__その時、少し離れた所から楽しげな声が聞こえる。
「そこにいるのは分かってますよ!早く出て来ないと、ここら辺一帯が全部消し炭になっちゃうかもなー!」
「ひい!」
エールは慌てて口を塞ぐが、勇者キョウマの耳には届いてしまったようだ。
このポンコツめ……。
とカインは心の中で毒づくが、後の祭りである。仕方がないので呆れ顔でエールをなだめた。
「阿呆。もう遅い」
エールは目一杯に涙を浮かべてカインを見つめた。何かしらの助言を求めているらしい。コイツ本当に神か?
__しかし、こんな状況でもカインは努めて冷静だった。
「……とにかく今は時間を稼げ。やりようはある」
「え?」
返事を待つことなく、魔王カインは勇者の前に躍り出た。エールの見えない岩場の向こうで金属の打ち合う音と衝撃が鳴る。
彼女は咄嗟にカインの言葉の意味を考えようとした。……が、それより早く、そんなものは無駄だと理解した。
時間があれば打開できる。彼女の勘が、それを信じさせた。