3,敵対と共闘
女神エールはやっと落ち着きを取り戻した。二人は白い空間の真っただ中、近過ぎず、離れ過ぎずの絶妙な距離感を保ちつつ、向き合ってその場で座っている。
膝を立てて頬杖をついていたカインは、所在なさげに小さく正座している目の前の弱虫を鬱陶しげに見ていた。
……何だこの気まずい状況は。何の時間だこれは。なぜ宿敵であるはずの神をなだめすかして、更には落ち着かせるまで律儀に待たねばならないんだ。
カインの中に次から次へと疑問が湧き上がり、それらが頭の上の方で延々と往復する。
……このままではラチがあかない。止むを得ん。
痺れを切らしたカインは渋々口を開いた。
「……おい」
「はいっ!?」
「一々驚くなよ……。神を名乗るのであればもっと堂々としていろ」
「は、はい……」
伏目がちなエールにカインは思わず溜息を吐く。
「そう言えば、お前さんのことは何と呼べば良い?」
「あっ、エールで大丈夫です。あなたのことは……」
「好きに呼べ」
「はい、じゃあ……カインさん」
……き、気まずい。さっさと話を続けよう。
「で、エール。お前さんはなぜ俺を呼んだのだ?まさかトチ狂ってお友達になりに来たわけでもあるまい」
カインはそれを皮肉のつもりでたずねたが、その返答は意外なものであった。
「……半分当たってます。お願いがあるんです」
言いつつ、エールは顔を持ち上げ、彼の瞳の奥の方を見つめた。その訴えかけるような深淵からの眼差しには、さしもの魔王でも目を逸らせず、彼は黙して続きを促した。厳密には、せざるを得なかったと言った方が正しい。
エールは再び視線を下に戻すと、事の経緯をぽつりぽつりと説明し始めた。
「私達が、異世界から転生させた勇者を、カインさんや他の魔王、あるいは邪神達に差し向けているのは、ご存知のことと思います」
異世界、転生、勇者。その単語群は、魔王カインにとってあまり快い意味を持たない。ある者は異常が過ぎるステータスを持ち、ある者は反則じみた特殊な体質を持ち、ある者は究極とも言える万能のガジェットを持つ。こと魔王・邪神界隈では、彼ら彼女らはまさしく最強最悪の敵対勢力に他ならない。
カインはわずかに生じたイラ立ちをしまい込み、静かにたずねた。
「その異世界勇者共がどうしたのだ」
エールはしばらく押し黙っていた。……が、やがて罰の悪そうな笑顔でこう答えた。
「__私達、裏切られちゃいました☆」
「……は?」
カインの思考が一瞬止まる。
裏切られた?何に?聞かずとも分かる。異世界勇者に。
「何ゆえそんなことになったのだ」
「……えっとですね、神界が、異世界勇者さん達に、制圧されまして…….」
「そんなことは分かっている。なぜ神々ともあろうものが配下の種族に制圧されたのだと聞いているんだ」
「その……チートパワーの数々を前に、為す術もなく……」
カインは絶句した。
「わ、私達、力を与え過ぎちゃいました!てへへ!……なんつってー」
何呑気なことを言っているんだ、コイツは。目の前でへらへらしているこのすっとぼけた女を今すぐ張り倒してやりたい。
「で?助けを求めるために、恥も外聞も捨てて俺の前に転がり込んで来たと?」
「はい……」
「この阿呆め。いっそ勇者に屈して『あんなこと』や『こんなこと』をされれば良かったのだ」
「ひどい!そんなこと言わないで!」
彼女はえらく傷心したらしく、ふにゃふにゃの顔でほろほろと涙を流していたが、なおも懇願するためにカインの下へとにじり寄ってきた。
「今のパステリトゥムには管理できる神がいないんです!このままでは勇者さん達の好き放題にされちゃうんです!もう頼れるヒトはカインさんを置いて他にいないんです!お願いします!」
「断る」
「そこを何とか!!」
エールはカインの片手を両手で包み、自分がか弱い存在であると言わんばかりの雰囲気を醸し出しながら彼を見上げていた。
カインは抗議の意味も兼ねてその小動物的矮小女神に軽蔑の視線を送っていたが__やがて根負けした。
「分かった。協力する。だからその顔を止めろ」
すると、エールの顔がぱっと明るくなり、先程までのふざけた悲壮感が嘘だったかのように小躍りし始めた。
「やったぁ!ありがとうございます!これでまだ何とかなる!」
何て調子の良い奴……。魔王らしく絶望を与えた方がいっそ清々したかも知れない。
「喜ぶにはまだ何もかもが早い。まず条件がある。勇者を打ち倒した暁にはこの世界を俺に渡せ」
「はい喜んで!」
「おい」
驚く程タイムラグの少ない返答。お前それで良いのか……?
「と言うか、俺は異世界勇者に蹂躙されがちな一介の魔王だ。こんなことで何もかもを解決したなどとは思うな」
それを聞くと、先程まで調子付いていた彼女はふと動きを止め、再びカインの瞳の奥を覗き込んだ。
「私、知ってますよ?カインさんも異世界転生者なのでしょう?」
カインの眉がぴくりと動き、数秒の沈黙が流れる。
「……なぜそう思う」
「だって、あなたは魔王にしては平和的過ぎるんですもの。私はパステリトゥムの管理を任されてから日が浅い方ですけど、それでもやる事がなくて本当に暇だったんです」
エールは推察を続ける。
「仮にも邪神は『破壊と殺戮』を第一に掲げている存在です。その邪神を深く信奉している魔王が、平和を優先するとはあまり考えられません」
「だが異世界転生は神によって故意に引き起こされる現象だ。俺は神々に呼ばれた覚えはないぞ」
「……神々を経由せず、自然に異世界転生をしてしまう可能性は、天文学的な確率とは言え確かに存在します」
どうですか?当たってますか?とエールが興味津々に身を乗り出す。
……中々どうして、鋭い。ほとんどが直感任せの妄想に近いものだが、『真実を司る神』とは良く言ったもんだ。
カインは心の中で感嘆した。
「そうかい、なら変に堅苦しくする必要もないな」
カインは足を軽く投げ出し、片腕を背中の後ろで支えにした。結果、エールの推察通りに事が運んだことになる。
「やっぱり!前々からそう思ってたんです!えへへ、私の勘はよく当たるって、神界では評判だったんですよ?」
「言っておくが、俺は誰かから力を授かっているわけじゃない。状況は依然として厳しい。期待するなよ」
「はいっ!」
「……本当に聞いてるのか?」
エールは一時的な心の安らぎを得たらしく、その顔はとてもにこやかであった。
カインはそれと対象的に、この世で最も苦い虫を念入りに噛み潰したような顔をしている。
「一体どこからそんな自信が湧いて来るんだか……」
エールは答えた。
「勘です!!」