2,魔王と女神
"パステリトゥムの女神はこの世ならざる美貌を持つ"という有名な逸話は、かの魔王の記憶にも古く残っていた。そして、いざこうして相見えた結果、それが嘘偽りのない真実であることを彼は理解した。
長く、ガラス細工のようにつややかな金色の髪。顔立ちからは若干の幼さも感じさせるが、その雰囲気は凛々しく、大人びている。同時に、なぜか物悲しげでもあり、どことなくしおらしさも感じさせた。
特に、底の知れない深みのある瑠璃色の瞳は、見た者の邪念を全て見透かされてしまうような、蠱惑的ともとれる危険性を孕んでいた。
身の丈は多く見積もっても百五十と少しぐらいか。まとっている紺と白のドレスや、さり気なく散りばめられた宝具、そしてスカートの部分に大きく象られた『眼のようなモチーフ』は、彼女がつつましくも高貴な身分であることを容易に想起させた。
__しかしながら、魔王カインの目にはそれらの全てが心底いまいましく映った。
「何のつもりだ。ここは貴様ら神の領域であろう。そんなところにわざわざ呼び出すなど……」
言いつつ、魔王カインは背中に下げられている自身の得物に手をかけた。その大きな体格に勝るとも劣らぬ、まがまがしい漆黒の大剣だ。
魔王の意図をいち早く察した女神エールは、慌ただしく手の平を突き出し、震えた声でそれを静止した。
「わーわわわ!ちょっと待って下さい!あなたをここへ呼んだのは殺し合うためなんかじゃありません!どうか冷静に!ね?ね?」
女神エールは精一杯の笑顔で何度かウインクを繰り返し、敵意のないことを懸命に主張した。
ふん、阿呆め。そんなコケ脅しが通用するとでも思っているのか?なめられたものだ。
魔王は更に鋭く睨みを利かせ、構えを維持する。
「では何用だ。返答次第では貴様を殺す」
その時の魔王には可視化できそうな程の凄みがあり、容易に手出しができないことは例え素人目であったとしても理解できたことだろう。眼前の宿敵との死闘に備えているのは間違いなかった。
__対して、パステリトゥムの女神は「ひい!」と馬鹿正直に怯え、涙を浮かせて「あの、えっと、あの」などと繰り返していた。
……ん?
魔王カインはそこでようやく疑問を覚えた。
__神という存在は、得てして自分自身を崇高なものであると確信し、常に自信過剰で、理由もなく全能感に溺れているものである。少なくとも、魔王・邪神界隈ではそれが一般的な解釈だったし、かつてはそれが事実だった。
しかし、目の前のこれは……何というか、俗物めいている。その小柄な女からは、本来あってしかるべき"神の威厳"と呼べるものがほとんど感じられなかった。
「おい、エールと言ったか?とりあえず落ち着け」
「あ……ご、ごめんなさい」
気持ち、柔らかく諫められた彼女は、重ね着していたスカートの一部で涙を拭い、ずびずびーっと不衛生な音をかき鳴らして鼻をかんだ。
それを見たカインは、無意識の内に避けていた彼女に対する抑えがたい感想が漏れ出す。
コイツ本当に神か……?