勘弁してくれよ
相手にわかってもらおう、わかってもらおう、と思っているときはキツイ――。
どうしても、どれだけ訴えても、その訴えはすり抜けてしまう。そういうとき、そのことをどう受け止めればいいか、考えていくうちにたどり着いた一つの心の在り様について、ミヤが語っていますので、ぜひ、読んでみてください。
きょとん。
一瞬、時間が止まったように感じた。それくらい、予想もしなかったことを言われ、あっけにとられる。
ミヤくんの弟のレオンくんは身体が弱く、レオンくんが咳きこんでいるのを見たミヤくんのお母さんが、傍にいたミヤくんを責めるような態度をとった場合に、ミヤくんは何をどう思うのか。
その場合、ミヤくんがレオンくんを病気にしたって早とちりしたせいでお母さんはミヤくんを責めたんだから、ミヤくんはお母さんに対して「マジかよ、勘弁してくれよ」と思う、ということだけど――。
「え? 勘弁してくれよ……?」
勘弁してくれよって、なんか、サッパリしてない?
話の展開についていけずに、僕が目をパチクリさせていると、ミヤくんがにっと、いたずらっ子のように笑った。そしてまた、歩きながら話し出す。僕もあわてて歩き出した。
「そうなんだってさ? そういうときは、とりあえず、『勘弁してくれよ~』って思っとけって、タカ兄に言われたんだ。『マジかよ~』、『やってらんねーぜ』って。そんな風に思っておけって」
ミヤくんは、ちょっとふざけた、軽い口調で「勘弁してくれよ~」「マジかよ~」「やってらんねーぜ」と言った。
ミヤくんがタカ兄と呼ぶのは、僕たちのリーダーの天平くんのことだ。
「なんで?」
天平くん、なんでそんなこと言ったんだろう。
ちょっと天平くんにうらみがましい気持ちになる。だって、ミヤくんがひどい目にあっても、そんなのたいしたことないだろう、って言ってるみたいだ。僕はそう感じて、不愉快になる。
けれど、ミヤくんは気分を害した風でなく、
「オレの場合は、オレが悪いコトしたワケじゃないのに、母さんににらまれたりするのって、母さんがキリキリしてるからで。母さんがキリキリしないようにするためには、母さんがキリキリする原因をどうにかしてあげないといけないってことだけど、母さんがキリキリする原因っていったら、怜音を病気にさせられないっていう想いなワケで」
「うん」
「ってことはさ、母さんがキリキリしないようにするには、怜音が病気にならなければいいワケだけど、怜音を病気にかかりにくくできるんなら、そんなのとっくの昔に母さんがやってるよ。そんな簡単に怜音を頑丈にすることができるワケじゃないから、そうなると、怜音の身体の弱さと根気よく付き合ってくしかないワケで、母さんのキリキリも、そう簡単に無くなったりしないだろうな、ってなる」
ミヤくんが、少し苦しそうに言う。
自分がお母さんにキリキリされるのがイヤっていうのもあるだろうけど、レオンくんの身体が簡単に丈夫にならないっていう現実が、心苦しいんだろう、って思う。
「母さんは怜音が病気にならないように必死なせいで他のことまで気にしていられない状態だから、そんな母さんに、怜音は大丈夫だよ、っていくら言ったって、それで落ち着けるっていうものじゃない。それはわかる。オレらだって、例えば……雷がどこかで鳴ってたら、雷なんて、そうそう自分ちに落ちることなんてないと思うけど、ドーンって音が大きくなったら、近くに落ちたぞって、やっぱビビるっつーかさ? そういうときに、落ちるわけないって人から言われても、雷が止むまで、やっぱり落ち着かないやん?」
と、ミヤくんが雷を持ち出す。
それで思い出したんだけど、いつだったか、落雷でゴルフ場の木が燃えてるとこをテレビで見たことあるんだよね。あ、でも、雷が落ちるのはゴルフ場みたいな原っぱに高い木があるとこだけだ、なんてことはなくて。人の住んでるとこに雷が落ちることはあるみたいで( 科学館で実験してたけど、車は雷落ちても大丈夫なんだって! )、えっと、よその国だったと思うけど、雷がゴロゴロピシャピシャよく落ちる地域もあるんだって。
だからといって、自分の家に雷が落ちることなんてそうそうないと思うけど、遠くでゴロゴロ鳴ってるだけならいいけど、ピカッて光って、その後にドーンって音がするときは、近くに落ちたってわかるから、それはやっぱり怖くなる。近くって言っても、すぐそこってわけじゃなくて、距離にしたらあるていど遠いとこに落ちてるわけだけど、ほんのちょっと矛先が変わったら? うちに落ちないって保証はない、よね?
雷ってどこに落ちるかわからないから、すごく怖いって思う。
怜音くんも、インフルエンザとかが流行ってたら必ず病気になるってことじゃなくて、なるときもならないときもあって、雷が鳴ってるときに、落ちないように落ちないように、って願うように、病気が流行ってるときに、病気にかからないようにかからないように、って願う。そういうことなんだとしたら――。
「そっか、ミヤくんのお母さんの中では、いっつもどこかで雷が鳴ってるみたいなカンジなのかも……?」
レオンくんを病気にしたくなくてキリキリする。それは、いつどこに落ちるかわからない雷におびえているのと同じかもしれない。そう思うと、ひどいばっかりに思えていたミヤくんのお母さんのことが、少しだけ、ひどくないのかもしれないって気になった。
とはいえ、だからミヤくんをにらんでいいことにはならないと思うけど。
ミヤくんは僕のつぶやきに納得気にうなずきながら、
「そうなんかも。母さんの中ではいっつもどこかで雷が鳴ってて、いつどこに落ちるかわかんないってカンジなんかも?」
と、こぼす。それから、うん、と小さくうなずき、独り言のようにつぶやいた。
「雷がさ、いっつも鳴ってると、雷に慣れちゃう人や、雷が落ちたら落ちたでどうにかなるさって開き直れる人もいるんだろうけど、ダメな人はダメでさ? 母さんは、雷が止んでスッキリ晴れないと落雷におびえるのが治まらないタイプ、ってことなんかも」
うん、そうかも、とまた小さくうなずくミヤくん。
ミヤくんは雷の話をしているけど、これは僕の話を受けて言ってるんだから、本当は雷のことを言っているんじゃなくて。ミヤくんの言う『雷に慣れちゃう人』っていうのは、病気になるのに慣れちゃう人、のことを言いたいんだよね?
それから、『雷が落ちたら落ちたでどうにかなると開き直れる人』っていうのは、病気になったらなったでどうにかなるって思える人。『雷が止んで空が晴れるまで落雷におびえ続ける人』っていうのは、病気になるのが怖くて、なんとか病気にならないように願いながらびくびく、病気の流行が過ぎるのを待つ人のこと。
ミヤくんの目には、ミヤくんのお母さんは、レオンくんが病気にならないって安心できるまで、レオンくんが病気になるんじゃないかってびくびくし続ける人に見える、ってことで――。
「母さん見てると、怜音が大丈夫だって母さん自身が思えない限り、母さんは落ち着けないんだろうな、って思う。んで、母さんそんなだからさ、母さんが落ち着けない間は、オレが何をどうしたってキリキリされるだろうから、母さんにキリキリされても、そのことに振り回されないようにした方がいいんじゃないか、って、タカ兄に言われて……そういうもんかも、って」
そう思ったのだと、ミヤくんは言う。
『憑き物が落ちた』って、今のミヤくんみたいなカンジを言うのかな? って、ふと思った。
僕のおばあちゃんが前に言ってたんだけど、キリキリしてた人のキリキリが抜けたカンジになることを『憑き物が落ちる』って言うんだって。憑き物ってどういうのかよくわからないけど、ミヤくんの「そういうもんかも」が、力がふっと抜けたみたいで、憑き物が落ちたときの声ってこんなっぽいかもって気がした。なんとなくだけど。
なんていうかさ、と、ミヤくんが話を続ける。
「母さんに、オレは怜音を傷つけたりしないってわかってもらおう、わかってもらおう、って必死になってたときはキツくてさ。だって、どんだけわかってもらおうとしても、母さんにはそんなの通じないし。けどそれはオレがどうこうじゃなくて、母さんが怜音が病気になったら、っておびえてるだけなんだ、って思ったら、なんていうか……これって、オレと母さん、ずーっと通じ合えないまんまなんやない? っていう結論にたどり着いちゃってさ」
絶望する、みたいなカンジじゃなくて、うんざりしたようなカンジで肩をすくめるミヤくん。
わかってもらおうとするミヤくんと、ミヤくんとは違うところを見ているお母さんとでは、確かに、通じ合えないまんまかも……?
通じ合えないまんまだって思うのは、さみしすぎる気がして、僕の心がきゅっと縮む。
でも、ミヤくんは、さみしいとかじゃないみたいで、さっぱりしているように見えた。
それは、天平くんに言われたことが、ミヤくんの心に響いたからみたいで、
「通じ合えないなら通じ合えないままでいいから、オレが母さんのことわかっとけばそれでいいんじゃねーの、ってタカ兄に言われてさ。っつか、タカ兄に言わせると、通じ合えるのあたり前って思う方がおかしいんだってよ? だって、人って、心も頭も身体も、おんなじもの持ってないからさ、おんなじことをおんなじように感じるわけじゃないんだから、通じ合えなくて当然なんだってさ?」
ミヤくんはなんでもないことのように言う。
人って、心も頭も身体も、おんなじもの持ってないから、おんなじことをおんなじように感じるわけじゃない――そうだとすると、通じ合えるのが特別なことで、通じ合えないのはふつうのこと、ってことなのかな?
僕にはまだよくわからないけど、ミヤくんは納得したみたいで、淡々と自分の思いを口にする。
「通じ合えないのが当然なら、オレと母さんが通じ合えなくてもいいんかな、って。母さんと通じ合えなくても、オレが母さんのことわかっとけばいいんなら、母さんにこう思ってほしい、ああしてほしいって期待するのは違うかな、って」
ミヤくんはふぅっと息をついて、また口を開く。
「ってなると、母さんがなぜこういうことするか、こういうこと言うのか、オレが母さんの心の内を推し量って把握しとけばいいってことで。母さんがキリキリするのがなんでなのか考えたら、怜音を守りたいからで。そこんとこがわかっちゃうと、母さんにキリキリされても、『怜音が病気になりそうだと思ってキリキリしてんだな』ってなるから、そしたら、まずは、怜音が病気になりそうな事態かどうか考えてさ?」
「うん」
「怜音が病気になりそうな事態だったら、『怜音が病気になりそうでキリキリしてるんだな』って、それはそうなるだろうな、って納得するっていうか。オレ自身、『怜音、大丈夫かな?』ってなるし。んで、怜音が病気になりそうな事態になってなかったら、『こんなんで怜音は病気になりゃしないって』、『オレにキリキリをぶつけて来られても困るんですケド~』『勘弁してよ、やってらんねーな』って。そんな風に思えるようになったっていうか――」
ぐずぐず引きずらなくなったと、ミヤくんは結ぶ。
ミヤくんの『勘弁してよ』 にはすごく気持ちがこもっていて、げっそりぐったりなカンジで、だけど、胸を締めつけられるような苦しさはなくて。水たまりのそばを歩いていたら、その横を車が通って、水たまりの水がバシャッて引っかかった人みたいなカンジ。からりとしているわけじゃないけど、湿っぽいカンジじゃないから、僕はなんかなんとなくほっとした気分になった。
天平くんの言うことは、話を聞いていくうちに、あ、そういうものなのかも、って思えるから、ふしぎ。
最初に「『勘弁してよ、って思えばいい』って天平くんに言われた」って聞いたときは、ミヤくんがなんにも悪いことしてないのにお母さんににらまれたとしたって、ミヤくんが気にしなければいいだけだ、って言われてる気がして、えー! ナニソレ⁈ って思ったけど。
天平くんが言った『勘弁してよ』は、『相手のことを理解しろ』ってことなんだ。相手のことを理解したら、自然と『勘弁してよ』が生まれてくることがある。
そういう『勘弁してよ』は、どんな目にあってもそのことを気にしなきゃいいだろうってことじゃなくて。ミヤくんのことを見捨てちゃう『勘弁してよ』じゃなくて。天平くんがミヤくんに告げた『勘弁してよ』は、ミヤくんの心を守るための『勘弁してよ』なんだ。――僕はそう思った。
つづく
お読みいただき、ありがとうございます。
自分に非があって怒られたり、キツくあたられたりするぶんには、相手の態度を受け入れようがあると思いますが、自分に非がないときは、相手の態度に納得がいかないと思います。
そんなときは、「勘弁してくれよ」に行きつくしかないのではないかと思うのですが……?
相手を理解するということは、決して、相手の好きにさせて自分が割を食うしかない、ということではなくて。相手を読み解き、理解することで守られるのは、相手ではなく、自分の心の方です。
次回は、この作品で伝えたい2つ目のメッセージを書きますので、ぜひ、読んでみてください。