1.始まりの時
美咲と蓉子は校舎の近くで不思議な声を聞いてから、黙ったまま校舎に入って行った。新学期の教室は2階のBクラスだった。
始業時間よりも30分ほど早かった為、教室にはまだ2人の他は誰もいない。教室に入るとどちらからともなく、声を上げる。
「お蓉!さっきのは何だったの⁉︎」
「わ、私がわかる訳無いじゃない」
「普通、ああいうのって夜の学校とかで起こるんじゃ無かった?」
「ちょっと、それ確定事項なの⁉︎」
「とにかく聞いたのは確かよね…」
「うーん…聞いたよね」
その時、教室に誰かが入って来た。
「何だか声がすると思ったら、新2年生か、ずいぶん早いわね」
新しい担任の先生らしかった。20代半ばの細身長身の女性だった。見た目は少し暗く感じるが、その目には鋭い光が宿っているように見える。タイトな紺色のパンツスーツが似合っている。肩までの髪をワンレングス気味に流したような髪型で、大人の女性らしさが感じ取れる。
2人は新担任の姿を見て、慌てて挨拶をする。
「あ、おはようございます」
「おはようございます。…ん?…ああぁぁぁ⁉︎」
「お蓉、どうしたの?」
美咲は突然奇声を上げた蓉子に驚く。
「ち、超風ねえさん…」
と、蓉子は新担任を呼ぶ…。
新担任の先生はそれに答える。
「誰が超風ねえさんだ!…全くあんたは相変わらず黄蓉気取ってるのかい?はぁ…」
「ねえさん、何でここに?確か東京に行くって…」
「お蓉、いったいどうゆう事?教えて」
「あ、ああ」
美咲は蓉子の説明を聞く。どうやら、蓉子の武術の姉弟子にあたる人で、蓉子の好きな「射鵰英雄伝」の中に登場する「梅超風」という人物に雰囲気が似ていた事から、個人的な親しみを込めて「超風ねえさん」と呼ぶようになったとの事だった。仕事で東京に移って行ったと話で聞いて、それきり会っていなかったらしい。
新担任の先生は名前を「梅野風花」という。なるほど、超風ねえさんね…。
しかし、梅超風は悪役でめちゃくちゃ強い人だったような…そんな事を美咲は思っていた。
「とにかく、ここにいる時は梅野先生と呼ぶ事!そうしないなら…お蓉、わかってるわね…」
お蓉の顔がみるみる青ざめていく…。
「は、はい…梅野先生」
「よろしい」
そんな話をしているうちに、次々にクラスメイトが教室に入って来た。
「はい、みんな座席表通りに席について!」
梅野先生は段取り良くクラスを仕切っていく。
美咲は兎小屋のあの声の事が頭から離れなかった…。
始業式が始まる前に、学校の講堂に全校生徒が集まり、理事長の話を聞く。新1年生も加わって初めての全校集会だ。
あたりさわりのないスピーチを理事長が行い、全校集会は終わりになった。始業式のホームルームの為、生徒は格教室に向かう。
その時、美咲と蓉子に誰かが声をかける。
「先輩、初めまして。私は新1年の松野愛菜って言います、よろしくお願いします」
2人は少し戸惑いながら声をかけようとした。その声を遮るように愛菜が声をかける。
「立花美咲先輩、それに波多野蓉子先輩ですよね?今後もよろしくお願いします、それでは失礼します」
そう言って、愛菜はその場を立ち去る…。
「何、あの娘…?」
「美咲の知り合いじゃないのか?」
「いえ、全然…」
「ふーん…なんかいい感じじゃないな….」
そんな会話をしながら2人は講堂から教室に向かった。
始業式のホームルームが終わり、教室を出ようとした2人に風花が声をかける。
「立花さん、波多野さんちょっと残ってくれる?」
「はい、何でしょう?」
「はい、ちょ…いえ、梅野先生」
「理事長から話があるそうです。2人とも理事長室に行ってくれる?」
「えっ、理事長が!?」
「何で私達に…?美咲なんかしたっけ?」
「まさか!お蓉こそ何かした?」
そんな2人を遮るように風花が声をかける。
「何か大事な話らしいけど、注意とかの類では無いと思うわ。理事長に2人を呼べって頼まれただけだから」
「そうですか、とにかく行ってみます」
「はい、わかりました。それでは、ちょ….いえ梅野先生失礼します」
「よろしく。お蓉、朝言った事忘れないように」
「は、はい!」
2人は理事長室に向かう。お蓉は風花に言われた事がかなり気になっているようだった。超風ねえさんは相当怖い存在なのかもしれない…。
1階の廊下の突き当たりに理事長室はある。2人は重厚そうな扉に「理事長室」とプレートがあるのを目にした。
美咲がノックをして、入りなさいと声がするのを確認してから扉を開ける。
「失礼します、2年Bクラス、立花美咲です」
「同じく波多野蓉子です」
2人はそう言って理事長室の中に入った。
理事長室には2人の他もう1人の生徒の姿がある。朝一方的な挨拶をしてきた松野愛菜だった。
「先輩方、またお会いしましたね」
その目に不適な色が見える…。愛菜はボブカットがよく似合っている。髪は肩より少し短い。身長は160cmほどで、よく見ると日本人離れの体型をしている。グラマーだが太っているわけではなく、ウェストはしっかりくびれ、足はほっそりと長い。
美咲と蓉子はこの馴れ馴れしい後輩に声をかけず、理事長に話しかける。理事長は今時珍しく、紋付袴の出立である。白髪は耳がかくれ、首元まで伸びており、口には立派な白髭が蓄えてあった。
「理事長、梅野先生に来るよう言われたのですが…」
「どの様な御用件ですか?」
理事長は大きな机の後ろから2人の方を見て、重そうに口を開く。
「うむ、実はのう…」
「理事長、その先は私が話します」
愛菜が割って入って来た。
「先輩方、今朝兎小屋で不思議な声を聞きませんでしたか?」
2人は驚いて愛菜を見る。
「実はその事について話があるのです」
愛菜はどこか楽しそうだ。美咲と蓉子は訳がわからず、お互いに顔を見合わせてしまう。
「やっと探していた方々にお会い出来ました…。とても楽しみにしていたのです」
「な、なんの事よ?」
「私達が探していた人….?全然意味わかんない」
「まあまあ、慌てずに話を聞いて下さい….それよりも見てもらった方が早いかもしれませんね」
そう言うと愛菜は何か口にするが、2人には良く聞き取れなかった。
すると、2人は不思議な現象を目にした…。愛菜の身体に淡い黄色の光が覆っているのが見える。
とても暖かく、春の日差しの様な心地よい光だった。一瞬我を忘れだが、2人はあり得ない光景から現実に戻る
「な、何、何なのよこれ…?」
「光ってる…よね、これは幻覚か何か?」
光を纏った愛菜が答える。
「これが神気と呼ばれる力です」
2人は何が起こっているのかわからず、無言で愛菜を見つめるしか出来なかった。愛菜は話を続ける。
「実は…先輩方にこの力を身につけて欲しいのです」
美咲と蓉子は理解するまでに少し時間が必要だった…。