3. 異能
吸殻の海が広がる灰皿に煙草を押し付けながら、上司は窓の外を見る。
「それに、護衛人ってのは正義の味方の職業だ。金の亡者の貴族だったらともかく、そのご息女。まだ十五歳の少女だ。護らない理由はないだろ? もう選り好みしている時間はないんだ。レジスタンスの襲撃計画が立案されれば、いよいよこの国の崩壊が見えてくる」
上司の視線を青年は追う。
王国とは名ばかりの貴族国家。王族はお飾りとばかりに、大した資金もかけずに建築された王城に押し込められ、一生、国の象徴として生涯を全うするだけ。
――そんな国は早く滅びてしまえばいい。
そんなことを思い、それを思考だけに留めながら青年はこほんと咳払いする。
「しかし、なぜ俺なんだ? 他にもいるだろう」
「選り好みしている時間はないって言っただろう? 奇人変人ばかりのウチでまともなのはお前だけ。それに、護るという一点でお前に勝てるヤツを俺は知らない」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる上司。
何か含みのある笑みに対して、青年は深い溜息を吐く。
「わかった。それじゃあ、明日の準備があるから俺は帰る。もう連絡してくるなよ」
「はっは、やだね。一応は親族なんだぜ? 仮とはいえ、もう少し親子らしい会話をしてみたいもんだ」
「背筋が凍る思いだ。もうやめてくれ」
その後の背後から聞こえる上司の声を無視して、青年は先んじて部屋を後にする。両開きのドアを気だるげに押し開き、横柄な態度でロビーへと踏み入る。
すると、昇降口の前に数人。どこからどう見ても悪人面の武装集団が待機していた。
「「――――――」」
あちらも準備が整っていなかったのか、予想外の闖入者に困惑の空気が流れる。
そこはいわゆるホールと言われる場所だった。およそ階段の上り下りのためだけに広大なスペースを取っている広い場所。設計段階ではここにもう一室作る予定だったそうで、その計画が頓挫してしまったため、こうして大きなホールとして鎮座している。
最奥の昇降口付近に立つ防弾チョッキを身に付けた大柄の男を取り囲むように、武装した男たちが待機している状態。全員正体を隠すためか、サングラスとマスクをしているが、その奥からぎらつく視線は間違いなく殺意の類。
外の様子を感じ取っていた――否、初めからこうなることを予想していた上司はおどけた調子の声音で、コロコロと笑う。
「背筋、凍ったか?」
直後、武装していた数人が一斉に拳銃を突きつけてくる。前時代的な旧式の武器。それでも人を殺すことは容易く、一秒もあれば青年は蜂の巣だろう。彼らに引き金を引くことへの躊躇いは一切感じられない。
そして、次の瞬間。パンっ、十数の撃鉄が叩かれ、同時に乾いた音が反響した。雨霰とばかりに銃弾が青年の体へと降り注ぐ。寒気に満ちたホールすらも食いかねない熱量を持って、銃弾は正確に青年の体を射抜く。
はずだった。
「あ」
素っ頓狂な声を上げながら、彼らは音源へと視線を向ける。
硝煙を上げている小さな穴。その行為を促したゴテゴテとした黒い物体――つまりは拳銃だ。そして、それを支える人間の腕から先は青年を変わらない。
いや、少しだけ違うのは表情だ。方や驚愕のあまり目を見開いている。方や先ほどと変わらない顔つきで首を捻っている。
「あ、えっ……なんで、え?」
困惑の声を漏らす先頭の男。俺が今銃を撃ったんだよな? と確認するように、何度も銃と青年を交互に見比べている。
困惑する理由は明白だ。銃を放ってから一秒かからず、なぜか自分の頬から血が流れたのだから。普通で考えればおかしな話だが、それが今起こっているのだから笑えない。
青年は「あー」とポンと手を叩いて、何に驚いたのか気付いた様子。
「悪いな。デフォルトは『盾』にしているんだが、銃みたいな武器だと跳弾するんだ。気をつけてくれよ」
青年がそう言った途端、武装集団は第二波の準備に取り掛かる。
おかしい。なぜだ。銃弾は確かに対象へと放たれていったし、それは銃口を未だ向けていることから明白だ。なのに、なぜ銃弾は対象の眼前で四方八方に散らばったのか。
対象の言う、跳弾するのもおかしな話だ。跳弾するほどの障害物が今しがた現れた形跡もない。いや待て。ここへ来る前に渡された資料にはなんと書いてあったか――
「まあ、それ以上やるならこっちも責任は取らない。思う存分撃ってくるがいいさ。出来るだけ跳弾の角度は調整するから」
余裕の籠もった笑みを浮かべる青年。それを出来る力が彼にはあるのだ。それが彼の異能。絶対的な防御の象徴。矛盾すらいとわない、絶対的な盾。
即座に『銃では撃ち抜けない』ことを悟った者もいただろう。だが、それを理解していない者――三列目に立っていた男が声を荒げて一心不乱に銃弾を放つ。パン、パンと乾いた音を反響させながら。しかし銃弾は青年の前まで放たれると、途中、見えない壁のようなものに阻まれ、そして跳弾する。
ゴスッ、と肉を抉るような音が響いたかと思えば、最前列の男の肩が赤黒く滲む。
跳弾した弾の一発が、彼の肩を射抜いたのだ。
「……ギ、ィ」
即座にうずくまる男。それを見て、『自分のせいで仲間が傷ついた』という妄執に囚われた乱射男が二歩後退る。さらに武装集団たちの中に『勝てない』という単語が連鎖していることだろう。
だが、最奥に立っていた男は違った。悠々と歩いて青年まで接近すると、うずくまり、恐怖に顔を歪ませている彼らを背にして飄々(ひょうひょう)とした顔で笑う。
「強いな、兄ちゃん。名前は?」
「Σ(シグマ)だ」
瞬間、男の背後からざわめきが上がった。
「なるほど、『記号持ち』かよ。そりゃあ強いわけだ!」
語尾を強めに叫んだ男は、ポケットから取り出した球体を勢いよく地面に叩き付けた。
ボン、と弾ける音。咄嗟に警戒を強めた青年だったが、攻撃してくる気配はない。それどころか敵意、殺意や先ほどまでそこにいた彼らの気配そのものが消えていく。
「煙玉か。古典的な逃げ方だが、まあ異能者相手ならこうするのが上策か」
室内のため、中々煙が晴れる気配はないが、すでに敵は撤退したものと見える。
「奴らが異能を使う気配はなかった。つまり、今のがレジスタンスだ。どこかで郵便商人と繋がっていて、お前がエレナ嬢と契約すれば、即座に殺す予定だったんだろう」
「まあ、そうだろうな」
背後から歩いてきた上司に、青年は適当に相槌を打つ。
「それで、言ってよかったのか? お前の名前」
跳弾した弾によって傷だらけとなったホール。小さな窓から差し込む月明かりは角度を変えて、無傷の青年にスポットを当てる。
月明かりの影響で絵の具を塗りたくったような灰色となった青年は薄く笑いながら、
「別に構わないさ。それが牽制になって襲ってこなくなるなら上々だし。それに、襲ってきたらきたで、今度は容赦しない。真正面から叩き潰す。それがエレナ嬢に害する者ならなおさらな。それが護衛人の使命だ」
「いい覚悟だ。ウチも資金繰りに困ってたところだ。しっかりお勤めを果たしてくれ」
「ああ。それと、一ついいか?」
煙草に火を点けようとした上司に、青年は手を上げて質問する。
「んあ、なんだよ。お嬢様と禁断の関係になりたいとかいう質問はナシでぜ? 俺の首が飛ぶ」
「そういうことを訊きたいんじゃない。資料にはエレナ嬢の写真がなかったが……」
「それは実物を見てのお楽しみってもんだぜ。今見ても面白くねぇからな」
歯を見せて笑う上司に疑問を抱きながら、青年もそれには同感だった。顔を見ても、やることは変わらない。自分が為すべきは、対象を護りきることにあるのだから。
青年は覚悟を決めて、小さく拳を握った。