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アルメン

作者: 侑吾

1時を告げるチャイムが鳴り、今日もこの時間がやってくる。


まだ誰もいない静かな図書室。いつもあの子はここへ一番乗りで来るんだ。

でも今日は金曜日だから、次にあの子の姿を見るのは3日後になってしまう。


少し寂しい。


土日は特にそうだ。子供達も来ないし、たまに来るのは図書員のおばさんだけ。


だから今日はしっかりとあの子の姿を目に焼き付ける。毎日そうしてるけどね。


それから少し経って、離れたところで扉が開く音がした。おばさんか、あの子か、どっちだろうか。


「いつも早いのね」


「だって読みたい本があるから」


あの子だ。どうやらおばさんと一緒に入ってきたらしい。


その子はいつも奥の広い部屋で本を読む。今日も例に漏れず、真っ先にこっちに歩いてきた。


一瞬「ぼく」のほうを見てから、お目当ての本を探し始める。


目があった瞬間はいつもドキっとする。心臓もないのに本当に不思議だ。


その子は、美沙は、本を手に取るとたくさんある机の中から「ぼく」に一番近い机を選ぶ。そして読み始めてからはすごい集中力で、声を掛けるのをためらうほど。


もっとも、声を掛けることは出来ないけど。


美沙の本を読んでる最中の顔は、小学6年生とは思えないほど凛々しい。


「ぼく」はいつもその顔に見とれてしまって、時間が経つのを忘れてしまう。


そして美沙は周りを気にせずに本を読むため、午後の授業に遅れることもある。


だけど今日はちゃんと時計を確認していた。昼休みが終わる5分前には席を立って、本を元の場所に片づけた。


そしてまた「ぼく」を見てから、図書室を後にした。


行かないでほしい。だけどどれだけ背中を見つめても、彼女は振り返らずに行ってしまう。美沙が行ってから気持ちはどんより曇った。これから2日間はずっとひとりだ。


たとえガラス越しでも、人の温もりを感じていたいのに。あの子を、美沙の温もりを。


いつからだろう、人を好きになったのは。


そしていつからだろう、「ぼく」が心を持つようになったのは。





僕が生まれたのは20世紀の、確かフランスだった。


僕を描いてくれたご主人様は、いつもひどく疲れた顔をしていた。

家族もいないようで、食事もろくに摂らずに僕や、他の絵たちを描き続けていた。


やがて僕が完成したらしく、ご主人様は喜ぶような悲しいような顔で僕を見ていた。


それからすぐに僕は街の美術館に出されて毎日たくさんの人に見られた。


しかし、周囲の評判はあまり芳しくなかった。


それもそのはず、僕自身は明るい色で描かれているが、作品全体の印象は暗くて華がない。その当時の周りの絵は、黄色や赤などをたくさん使った煌びやかな物ばかりだったので恐らく僕は浮いていたのだろう。


僕がたくさんの批判を浴びるのを見てご主人様は、「なんでこの絵の良さがわからないんだ」と常日頃嘆いていた。


それから10年以上経っても、ご主人様の絵はいい評価を貰えずにいて、あまりお金にもならなかったみたいだった。


その頃の僕は美術館の館長さんからご主人様のところへ返品されて、狭い部屋に飾られていた。



それから数ヶ月経って、ご主人様は亡くなった。


元々病気だったらしく、医者にもあまり長くないと言われていたらしい。そんな話を、家に来ていた親切な人から聞いた。


そしてちょうどその時、聞いてしまったんだ。


「子供さんを亡くされて奥さんと別れてからずっと元気がなくて……何もしてあげられなかったよ、俺は」


この時僕はすべてを悟った。ご主人様は僕を死んだ息子として描いていたのだ。

そしてそのおじさんが僕を見て涙を流していたのを見て、僕は生まれて始めて悲しいと感じた。


思えば、もうその時から心を持っていたのかも知れない。


それから僕は、親切な人に引き取られて街の教会の玄関に飾られることになった。

たいして大きくもない教会だったけど、毎週たくさんの人が訪れて僕を見ていった。


あのままご主人様の部屋にいるよりはずっとよかったと思う。みんな僕をじっくり眺めては口々に素晴らしい絵だとかなんとか呟いてくれる。


絵画に生まれた僕にとっては最高の幸せだった。けれどご主人様が居ない今は、あんまり意味がなかった。


あの人が生きているうちに良い評価が貰えればよかったのに……


当時の僕はそんなことばかり考えていた。



それから間もなくして戦争が始まって、僕の住む街もドイツ軍に占領されてしまった。

大挙して押し寄せる兵隊に僕もただならぬ不安を感じたのをよく覚えている。


街の人たちや神父さんはドイツ軍が来る前に逃げ出してしまって、僕は連れていってもらえなかった。


大きい絵は荷物になるから当たり前だけど、やはり寂しかった。


なんとか焼かれずにすんだ僕は、終戦後にイギリスの画商に引き取られて初めて海を渡った。


ところがこの画商がいけ好かない人物で、まるでお金のことしか頭にないのだ。


恐らく僕を引き取ったのも一部の美術家からは高い評価が貰えると考えたからだろう。

昔はお金の価値はよくわからなかったが、0がたくさん付く金額で買われたときはその男は満面の笑みを浮かべて喜んでいた。


今までで一番嫌な持ち主だったと思う。


それからはイギリス各地の美術館や図書館を転々とし、最後はある学校に落ち着いた。


僕はこれからずっとその学校に飾られるのだと思っていた。最初は僕に目もくれなかった子供達が成長していくのが楽しかったから、僕自身学校という場所が好きになった。


しかし運命は皮肉なもので、僕はまた外国に売られることになった。


飛行機に乗せられて着いてみればそこはヨーロッパとは全く違うところで、僕は最初はかなり不安だった。

でもイギリスやフランスにいた頃よりは僕はいい言葉を掛けてもらえた気がする。


最初は何を言われてるのかさっぱりだったけど。


そして今いるこの小学校に行き着いたのは、10年くらい前だった。





午後になって雨が降ってきたらしい。窓に叩きつけるような激しい雨音が聞こえる。


今図書室は薄暗く、誰もいない。

暗闇にひとりだとさすがに怖い。だって僕は一応子供だから。


それにしては長く子供をやっているけど。


もしあの時代に人間に生まれていたら、戦争にでも行って死んでいたかもしれない。


色んなものを見てきた僕にとって、戦争は悲しい記憶のひとつだった。


これまでの人生(?)を振り返りながらご主人様のことを思い出していた時、急に図書室が明るくなった。


誰か電気のスイッチを入れたのかな。そう思って入り口を見てみるとひとりの女の子が現れた。


美沙だ。

どうしてこんな時間に?


でも何故美沙が学校にいるのかという事よりも、僕はただ図書室に来てくれたことがうれしかった。


美沙はランドセルを机におろし、僕の目の前のいつもの席に座ると頬杖をついて僕を観察し始めた。


いつにも増してじぃ〜と見つめられる。


ものすごく恥ずかしい。顔が赤くなりそうで心配だ。


自分が焼け焦げるかと思うほど見つめられた後、美沙はやっと僕から目を離してくれた。ランドセルから漢字ドリルとノートを取り出して、宿題をやり始めた。


息がつまるかと思った。呼吸なんてしてないけど。


でも正直うれしい。これから2日間は顔を見れないと思っていたから。

それから美沙が帰るまで、僕は彼女の勉強する姿を飽きることなく眺めていた。





最初にあの子に出会ったのは確か3年前、美沙が小学3年の時だった。


見ない顔だったから図書室は初めてなんだろうと思っていた。

慣れない様子で本棚から好きな本を探してきて、クラスのみんなと騒いでいたのを覚えている。


それから数日経ったある日。美沙は高学年向けの本棚、つまり僕が飾られている部屋へとやってきた。

小学3年にはまだ早いような本ばかりだったが、美沙は特に気にせず本を選んでいた。


そんな時だった。美沙と目があったのは。


ロマンチックに言うとあれが恋のはじまり。運命の出会い。


とにかく一瞬時が止まったのかと思ったくらいだった。だっていきなり美沙がこっちを見たまま動かなくなったから。


僕は少し心配になったが、美沙はてくてくと僕のほうに歩いてくると頭上の絵画をしげしげと眺めた。


別にあのときから美沙のことが好きなわけじゃない。しかしあの日から美沙はよく図書館に立ち寄るようになった。


そして僕の前はいつも指定席。そんな毎日が2年くらい続いた。





雨の放課後から数ヶ月が過ぎて、季節は冬に入った。


直接寒さを感じるわけではないが、毎日厚着してくる子供達や葉が落ちてしまった木々の寒々しい姿を見ると季節の移り変わりがはっきりとわかってくる。


そして何故か3学期になってから美沙はあまり図書室に来なくなった。来たとしても、友達が一緒でふたりきりにはなれなかった。


そんな少し寂しい毎日が続いたある日のこと、美沙が図書室にやってこない理由がわかった気がした。


「毎日卒業式の練習ばっかでつまんないよね」

「そうそう何回も同じことやらせるし、ホント面倒くさい」


たぶんあれは6年生。女の子ふたりが愚痴をこぼしながら図書室を後にしていった。


そうか卒業式か……僕は途端に寂しい気分になった。



今まで本当に色んなものを見てきた。その中には悲しい記憶もある。


僕は専ら各国の図書館や美術館に飾られてきた。だから絵画も色んな書物も見てきた。

たぶん英語はもちろんフランス語だって日本語だってペラペラなはずだ……喋る口が、ないのだけれど。


でも恋愛に関する本や文献なんて僕は見たことがなかった。


だから焦る気持ちを目の前にして、僕はどうしたらいいかわからなくなった。





もし僕が人として生まれていたら、あの子に自分の気持ちを伝えることが出来ただろうか?


そんなことを考えてしまうけど、答えはやはり、ノーだ。

僕はこの絵の姿で心を持ったから、美沙に出会えたんだ。だからこの姿でなければ意味がない。


でも届かない。


あの子は人間。喋ることも歩くことも出来る立派な人間なんだ。


僕といえば、ただ考えることしか出来ない。この狭い額縁の中から出られるならば、僕はなんでもしただろう。


でも何も出来ない。


今までにない無力感の中で、ただもがいていた。





美沙との残り少ない貴重な時間なのに、僕は毎日そんなことばかり考えていた。


でもカレンダーが側にあるわけじゃないから、美沙の卒業式がいつかなんてわからなかった。


だから、連日降り続ける雪のように、募り積もった感情はただ美沙を求めていた。


いや、求めていたなんていう表現は子供の僕には合わないかもしれない。


会いたかった。ただそれだけ。


そして、別れは突然やってきた。





その日は変な日だった。


学校は休みだと思っていたのに登校している子供がいたし、みんな体育館に行ってしまってからは人の気配がしなくなった。


変だなと思いつつも、心の奥底ではわかっていたはずだ。卒業式が、近いってこと。

いつかは来ると思っていたけど、今日はまだ違うと思っていた。いや、そう思いたかった。このまま別れるなんて考えられないから。


だけど、胸騒ぎがしたのは確かなんだ。


……でもやっぱり気のせいだろう。


何もない、次に美沙に会えるのはいつだろう、なんて考えているうちに時間は過ぎて、いつの間にかお昼になっていた。


僕は昼ご飯なんて食べないからあんまり関係ないけど。


ちょうど昼食後に訪れる眠気と闘っていたとき、廊下から複数の足音と声が聞こえてきた。

「…うん、じゃ…またね……」


そんな声が聞こえて、足音は立ち去ったかに思えた。しかし、


ガラガラ


図書室の入り口を見た僕は心底驚いた。それこそ、絵から飛び出るんじゃないかと思うくらい。


それから数秒間は突然入ってきた美沙に目が釘付けだった。


美沙はしばらく入り口に立っていたが、僕を見るといつもの席に向かって歩き始めた。


なんで、と思ったが、美沙の着ている服を見ればすぐにわかった。

紺のチェックのスカートに上はブレザーで、髪はいつもより丁寧に整えてあった。


何より美沙の少し思い詰めた表情が、全てを物語っていた。


ああ、今日だったんだ。卒業式。


一番悪い予感が当たってしまった。


美沙はいつもの席に着いて僕の顔をじっと見つめていた。

もちろん僕も見つめ返す。


僕らは長い時間見つめ合っていたが、急に美沙はフイっと視線をそらした。


もしかして、僕と会えなくなること寂しく思ってくれてるのかな……

いや違う。美沙はこの絵と、図書室と離れることが寂しいんだ。決して僕じゃない。


それから美沙はポケットから手帳のような物を取り出して、何か書いていた。

字が小さいし少し離れているので読めない。


何を書いているのか興味津々だったが、美沙は書き終えると手帳を閉じてしまった。


そして頬杖をついて、窓の外を眺め始めた。


僕はこの子の気持ちが少しわかる気がした。


慣れ親しんだ場所から離れるつらさと、新しい場所への期待と不安……


僕もヨーロッパ中を渡ってきたからよくわかる。でも、そこにはやっぱり新しい出会いも待っていて、決して無駄じゃないんだ。


人間と絵画を一緒にするのはおかしいけど。


新しいものに触れるドキドキした気持ちは本当にいいものなんだ。


だけど、いくら僕がそう思っていたとしても、彼女には伝わらない。

当たり前だが悲しいのだ。心を通わすことが出来ない辛さが、いつまで経っても僕から離れない。


いや、離れられない。


一言でいいから声を掛けたい。1分でもいいから側に居たい。


別れの日が来ても僕は相変わらずだった。


そして美沙は立ち上がった。腕時計で時間を確認してから、一息吐いて、出口のほうへ歩き出した。



…行かないでほしい。


声に出来ない気持ちを目で訴えた。どうか行かないでくれと必死に視線を送る。


一瞬、美沙は足を止めて…僕を振り返った。


視線がぶつかった。


だけど次の瞬間には、美沙はもう歩きだしていた。


人間になりたいなんて贅沢は言わない。あの子に気持ちを伝えるだけでいい。


何度神様にそう願ったことか。


それでも、だめだった。


美沙は図書室から出ていった。



結局、どうにも出来なかった。


誰もいなくなった図書室はいつになく寂しい。



辛かった。苦しかった。悲しかった。


人間に生まれていればよかったのに、なんで僕はただの絵なんだろう。


好きの言葉ひとつ、伝えるだけ。誰だって出来るのに……


「仕方ないんだよ」


どこからかそんな声が聞こえた気がした。


誰もいない図書室。僕はいつのまにか、静かに涙を流していた。 






どうでしょうか。

一応「叶わない恋」というものをテーマにしたつもりです。


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― 新着の感想 ―
[一言] どうも、以前感想をいただきながら、こうまで遅くなってしまったことをまずはお詫びさせていただきます。 さて、短くも丁寧な作品でした。 この場合擬人化という表現が適切であるのかどうかはわかりませ…
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