~コイバナ~
フゥーー……
深く息を吐き出し……勇が歩を進める。
高まる鼓動を制する事も出来ないまま……角に隠れていた彼女の姿が徐々に露わとなっていく。
そこにある瀬玲の姿―――
風呂から上がったばかりなのであろう湿り気を残す髪。
そして高温の湯を浴びたのだろうか、彼女の顔は妙に赤い。
自分で持ってきたのだろう、ピンクのスウェットには小さなハートの柄が等間隔で並ぶ。
脇を締める様にしなやかな腕が垂直に腰元に沿い、その手がベッドへと添えられている。
そして上目遣いで勇を見つめ……緩い笑顔を浮かべていた。
「じゃあ勇……ここ座って」
「えっ……」
そう言うと瀬玲が左手で自身のすぐ横のベッドの上を「てしてし」と叩く。
誘っているのだろうか、そう思えなくも無い程に……妙にわざとらしい仕草だ。
誘われるがままに勇が彼女の隣に座る。
思った以上に近く感じる距離間……彼女の香りが呼吸に伴い吸い込まれていく。
未だ勇の鼓動は高鳴ったまま……漂う女の子の香りを周囲に纏わせる今、彼には落ち着いた様な顔を見せるだけで精一杯だった。
「で、な、何の用……?」
必死にそのどもる声で彼女の意図を探る。
途端、流し目で勇を見つめる瀬玲……そんな彼女の表情を前に、不意に視線を逸らすが……その顔が理性をガリガリと深く荒く削りとっていった。
「んとねぇ~……」
焦らす様な声を前に、徐々に勇の顔がしかめシワを作っていき、口の形が歪んでいく。
「プッ」
すると突然空気の破れる様な小さな音が聞こえ、不意に瀬玲の顔を見つめると……彼女の顔が面白い物を見るかの様に今にも吹き出しそうな顔へと変貌していた。
「プフッ!! 勇ちょっと……面白すぎ!! アッハハ!!」
「ちょ……セリィ……お前ふざけて……」
「アハハハ、ごめんごめん!! 」
一瞬で場がしらけた。
大きな期待をしていた勇の想いは見事に打ち砕かれ……そんな彼をあざ笑うかの様ないつもの瀬玲を前にただ溜息しか出てこない。
「……俺戻るわ」
「待ってちょっと!! 用があるにはあるんだからぁ!!」
立ち上がろうとする勇の腕を掴み、無理矢理元の場所へ座らせる。
勢いよく引かれたからか……勇の腰がベッドへ落ちると、ベッドがギシギシと軋みを上げて揺れ動いた。
「全くアンタはもう少し『横』も見なさいってぇ……真っ直ぐ前を向くのは悪い事じゃないけどさ」
彼女の細い指が不意に勇の鼻先に乗り……ツンと突く。
そんな不可解な行動に、勇の口から再びの溜息が漏れていた。
「まぁいいわ……勇さ、初恋っていつだった?」
「はぁ!? なんでそんな……」
突然の不可解な質問……さすがの勇も戸惑いを隠せない。
言い出せない彼に、瀬玲はどこか不満げだ。
「いいから!! 言いなさいよ!!」
痺れを切らした瀬玲がずずいと身を乗り出し、お互いの顔が接近する。
それに対して勢いに押されるまま首を引く勇は、彼女の勢いに負け……渋々語り始めた。
「わ、わかったよ……初恋は……小学4年生の時隣に座った子だったよ」
「へぇ~そんな頃だったんだ。 その子の名前は?」
「えっと確か……宍戸さんだったかな……下の名前は忘れたよ。 隣に座ってから頻繁に話す様になって遊びに行った事もあったんだ。 けど彼女が引っ越す事になってさ……」
「ほうほう……」
「ウンウン」と頷き話の相槌を打つ瀬玲……その瞳はキラキラと輝く様を見せる。
「遠くに行くからって別れの挨拶して……それっきりだよ。 どこに行ったかもわからないし」
「そうなんだぁ~……また会いたい?」
「え、まぁ会いたいと言えば会いたいかな……でも今は好きとかそんなんじゃないけど」
瀬玲が腕を組み、「ウーン」と唸る様に首を俯かせる。
彼女の脳裏に浮かぶのは彼の初恋話のイメージ。
妄想力を働かせ、その話の人物に自身を没入させていた。
語った当の本人を放置して。
「もういい?」
「ダメ」
不意にまた立ち上がろうとするも……腕を再び掴み離さない彼女に、遂に勇は観念して肩を落とす。
「わかった、わかったよ……次は何を話せばいい?」
「んーーー次は私の番!」
「えっ?」
勇の目に映るのは、楽しそうな表情を浮かべる瀬玲の顔。
そんな彼女の意図が読めず、勇は思わずその首を傾げた。
だが勇の戸惑いなど意に介する事も無く……瀬玲が自分の望むままに淡々と語り始めた。
「私の初恋はねぇ……心輝なんだよ」
「え、そうだったの?」
幼馴染である瀬玲と心輝……幼い頃から今まで一緒であればそうなるのは必然であろうか。
「そそ、幼稚園の頃からアイツと一緒だったんだけどさ、気付いたのは中学1年の時かなー。 それまでは仲のいい友達だと思ってたんだけど……気付いたらアイツ意識してた」
「意外だな」
勇の相槌に空かさず彼女が食いついた。
「でしょ!? 今の私もそう思う!」
彼女の食い付き具合に、勇はたじたじしながらも小刻みに頷いて応える。
彼の賛同に気が良くなったのだろう……彼女はスッと落ち着きを取り戻して見せた。
「……そんでさ、世話が掛かるけど持ちつ持たれつだしこれでいいのかなーって思ってたんだ。 でもある時気付いちゃったんだよね~……アイツアニメとか漫画ばっか好きじゃん? 自分の好きな物ばっか追い掛けてさ……こっち見てくんないんだよね~それで馬鹿らしくなっちゃった」
言い得て妙だがその通りだろうなと勇は頷く。
彼女が好きになった理由こそわからないが……心輝が趣味に生きる男だというのはお互いよくわかっている事だ。
それ故にその結果もまた必然だったのかもしれない。
「多分アイツをまた好きになる事は無いと思うわ……前も言ったと思うけど、園部一家は相沢家にとって家族仲間みたいなもんだから……近くに居続ける限りくっつかないと思うわ」
人は3年ほど同じ家で生活を共にすると相方を家族と認識し、異性と感じなくなる本能を持つ……そんな学術的な話がある。
幼い頃から共に過ごしてきた二人にとってそれは最早それと同等の状態であると言えるのだろう。
「じゃあ次は勇の番」
「え、また!?」
「当たり前じゃん、これは恋バナよ?」
「恋バナ……女子会かよ!?」
勇のツッコミに瀬玲が「ニシシ」と嘲笑う。
困惑の顔を浮かべながらも、話を続ける勇に対し瀬玲は満足そうに笑顔を浮かべていた。
それというのも……昼間の一件で、瀬玲は多少なりに罪悪感を感じていた。
それはエウリィの事を思い出させてしまった事に対して。
彼にとってその思い出は人生で最も大きな傷だった。
それは元恋人であった勇の親友・司城統也の死を受け入れた彼女と同じ境遇と言える。
それを感じたからこそ……彼女は少しでも勇の力になりたかったのかもしれない。
そしてもう一つ……いつも真剣で真面目な彼の煩悩が欲望に忠実だった事、そこに親近感を覚えたから。
朴念仁だと思っていた勇が実は疚しい事に飢えていたとは思っても見なかったのだろう……彼にも欲望が存在するという事に、同じ人間として安心したからなのかもしれない。
それら二つの要因が、彼女にとっての勇への感情を「仲間」というよりも「同志」に近いモノへと昇華させていたのだった。
男と女の友情は有り得ないとある人は言った。
そんな事は無い……お互いの感情の一部が欠如しているのであればきっとその可能性もゼロではないのだと……いつの間にか笑い合う二人の表情がそれを物語っていた。
その日、二人は夜遅くまで語り合い、お互いの恋バナや身の上話で盛り上がったという。
――――――
その後トルコ政府とリジーシア領国は協力関係を約束する条約を結び、彼等は今までとは比較に成らない程の安定した生活を約束される事となる。
リジーシアの人々の新たな生活はしばらく苦労を伴う事になるだろう。
だがそれでも彼等は生き抜いていく。
そう思える程に、彼等は生き残る事に対してバイタリティに溢れていたのだから……。
第十七節 完