~兄弟、かの約束を果たす時~
某日、インド南部 マドゥライ―――
多くの人々が行き交うこの街は、観光地としても一定の評価を得た独特の雰囲気を持つ。
赤褐色の肌を持った多くの現地人がそこで生活し、訪れた人々を受け入れる。
そんな中に二つ程、飛び抜けて白くデカい大きな者の姿が在った。
その姿を見た者達は彼等の行く手を阻まぬよう慌てて道を開ける。
一人は背中に大きな斧を背負い、もう一人は腰には二本の小さな斧をぶら下げる……。
その者達……兄アージと弟マヴォ……魔者の兄弟である。
場違いとも言える界隈へ堂々と臆する事無く足を踏み入れ、周囲の風景を見渡す。
突然現れた白熊とも思える風貌のその二人を前に、多くの人々がその姿を写真に収めていた。
「兄者……やっぱここを通るのは止めといた方が……」
「今更どう言った所で変わらぬ。 堂々とすればよい」
既に世界へ公表されている魔者という存在。
しかしその存在も多くの人にとっては未だ身近とは言えない。
だがそんな魔者がこうして目の前で歩いているのだから、誰もが注視するのも無理はない。
……とはいえ、ここまで周囲の視線を集める程の事になるとは思ってもみなかったのだろうが。
彼等通称【白の兄弟】……『あちら側』において魔剣使い狩りと恐れられた存在ではあったが、その根底にある願いは勇達と同じ『争いの無い世界の構築』。
その想いを知った勇と彼等は共に手を取り同じ道を進む事を誓った間柄である。
だがそんな彼等も今だ現代人の文化には慣れぬ様で……今までは人通りの少ない道を通り旅を続けていた彼等であったが、本日ついうっかり街中に突入してしまった様だ。
「折角だから女神ちゃんと連絡とりてぇなぁ~……」
「安心しろ、どうせ言葉が判らん」
弟マヴォの言う女神……田中茶奈は以前瀕死の彼の治療を行い、それ以降ぞっこんなのである。
「どうせならうまいもん食いてぇなぁ~……」
「安心しろ、どうせ金など無い」
金という概念は勇達から学んでいるものの、自給自足を主としてきた彼等の生活にそんなものが入ってくる余地など有る訳も無く。
「たまにはベッドで……」
「マヴォ……」
その途端、足を止めたアージの手がマヴォの頭を握り掴む。
途端「ミシミシ」という軋む音がマヴォの頭蓋骨を通して彼の鼓膜に響き、焦りと冷や汗を呼び込んだ。
「アガガガガ……!?」
「マヴォ……お前はもう少し煩悩を消す鍛錬をした方がいい様だな……」
武人肌のアージに頭の上がらないマヴォ……こんなやりとりは日常茶飯事である。
特にマヴォはこの世界の便利さに触れて欲望を垂れ流す様になってしまい……アージの悩みの種となっていた。
「アニキ許してちょ……」
「あぁ!?」
「も、申し訳ありませぇん……!!」
大通りに出た所で兄弟喧嘩……もといアージの一方的な叱責に周囲の人々が静かに見守る。
そんな中、一台の背丈の高い大型バスが大通りの道路を通過していく。
運転手や乗客達が二人の姿を見つけるや否や、彼等を指差し声が上がる。
たちまちその姿を記憶や写真に収めようと、乗客達が一斉に身を乗り出し始めた。
その途端、バスの重心が崩れ……グラリと傾いた。
ドッギャアーーーーーーン!!
「何ッ!?」
大きな音と共に大型バスが転倒し、「ガリガリ」と音を立てて地面を擦り火花を散らして滑っていく。
転倒した巨大な車両を避けようとした車までが巻き込まれ、転がる車体へぶつかりコントロールを失いながら大通りへと突っ込んでいった。
その先には、パニックになった大勢の人々……そしてアージとマヴォ達の姿が。
ギギィイーーーーーー!!
ブレーキ音を掻き鳴らしながらも停まる事の無い乗用車が彼等に突撃していく。
そして彼等の周囲には、市民が、観光者が……目の前の事態を受け入れんばかりに立ち尽くす事しか出来ずにいた。
その瞬間、アージとマヴォの体から同時に強い光が迸った。
ドッゴォーーーーーン!!
凄まじい衝撃音が周囲に鳴り響く。
金属の擦れる音と、爆発音にも近い轟音。
誰しもが最悪の事態を迎えた……そう思い込んだ。
だが、立ち尽くしていた彼等が閉じていた目を見開いた時……目の前に起きていた事に再び茫然とする他無かった。
なんと、突っ込んで来た車のボンネットへ……アージとマヴォの太い腕が深々と突き刺さっていたのだ。
地面へとその手が到達せんばかりに深く激しく。
二人が寸前で飛び出し、突撃してきた車のボンネットへ渾身の一撃を見舞っていたのだ。
余りの衝撃に、新品同様だった車のフロントは重機に潰された様にひしゃげ潰れ、タイヤのホイールが歪んで車体フレームごとアスファルトへ叩き付けられていた。
そして吸収しきれなかった衝撃が車体を貫き、二人の腕が突き刺さったのである。
ボンネットに突き刺さった腕を引き抜くと……アージはおもむろに車の側面の扉を千切り飛ばし、車内で脅える運転手を車から引きずり降ろした。
「ヒ、ヒィィ!?」
だが二人は運転手が無事だと確認すると、何をする事も無くすぐさま道路へ飛び出す。
そんな二人の目に映る光景は凄惨なものだった。
横転したバスが煙を吹き、今にも燃えそうな状態。
内部からは我先にと押し退けて上部の窓から這い出て来る人間が一人二人……だが、その後が続かない。
巻き込まれた車両からは声にならぬ悲鳴が上がり、一部では鮮血の痕跡すら見られた。
燃料の鼻を突く臭いも周囲に充満しており、燃え広がる可能性すら大いにある程であった。
周囲の人々も、そんな光景を前に手を出す事すら出来ず……ただ事態を慌て怯える事しか出来ない。
そんな中……アージとマヴォは互いに拳を握り締め、その力をふんだんに篭める。
「マヴォ!!」
「応!!」
横転したバスから出られぬ者が大勢中に閉じ込められている事を理解した二人はバスへと駆け寄っていく。
「マヴォ、やれるか!?」
「任せろ兄者!!」
そうハッキリと答えたマヴォは腰にぶら下げた小斧型魔剣【ヴァルヴォダ】と【イムジェヌ】を両手に構え……「スォォォォ」という息を吐く音と共に命力を迸らせた。
「斬り裂けィ……!! 【迅・空】!!」
マヴォが叫び、魔剣を思いのままに奮う。
たちまち両手の魔剣から発せられた二つの光の刃が円を作り彼の周囲を舞い始めた。
チュィィィィン!!
激しく鋭い鳴音を掻き鳴らし、円刃状と成った刃が光を打ち放ちながら高速回転する。
彼の意思の下、横転したバスへと勢いよく飛び掛かった。
瀬玲の光の矢同様、彼の意思によって操作出来る円刃。
それが 【迅・空】……マヴォの得意技である。
ギャギャギャッ!!
激しい金鳴音の様な音を掻き鳴らしながらバスの天板を裂く円刃。
二つの刃は交互に飛び交い、天板を縦横無尽に削っていく。
だが火花は飛んでいない……光が切粉を包み込む様に消し飛ばしているのだ。
そして刃が全てを終えた時……音も無く円刃は大気へと消えた。
その途端、切り刻まれた傷跡を残した天板がぐらぐらと揺れ……断片と成った天板が崩れ落ちていく。
激しい音を掻き鳴らして崩れ落ちた場所から、多くの乗客達がすし詰め状態で姿を現した。
天板が無くなった途端、乗客達が崩れ落ちる様に転がり落ちていく。
だが、まだ生きているのだろう……うめき声を上げながらも、無事な者は自力で起き上がってはよろめきながらその場から離れていく。
下敷きにされていた者も、勇気を振り絞って動き始めた観衆が駆け寄り救助し始めた。
その後もアージとマヴォの協力の下、大勢の協力を得て救助が続けられ……幸い死者一人出す事無く場が収まったのであった。
現場に消防隊や救急隊が到着し、負傷者や被害者達を助け回る中……アージとマヴォは二人多くの人々に囲まれ賛辞を受けていた。
「有難う……貴方達はヒーローだ」
「凄かったぞ!!」
そんな言葉を受け、さすがのアージも照れを隠せない様だ。
二人は今まで生きてきて、この様に賛辞を受ける事など一度も無かった。
それどころか『あちら側』ではこの様に人間と普通に対話する事などあり得ない話だ。
しかしこんな未来を望んで生きて来た二人にとって、こんなに嬉しい事は無いだろう。
「兄者もまんざらじゃあないんじゃねェか……」
ゴォン!!
「イッテェ!!」
マヴォの頭に強い衝撃が走り……頭を押さえ痛みを堪えるマヴォ。
照れ隠しか、それとも今までと同じ叱責か……マヴォにはきっとその答えが判っているのかもしれない。
痛がりながらも笑みを浮かべる彼……正直者は顔に出る。
そんな中……明らかに周囲の人間と違う毛色を持った一人の男が彼等の前に姿を現した。
「アージさん、マヴォさん……探しましたよ」
「ヌ……お主は確か……御味とか言ったか」
彼等の前に現れた男……彼は御味 泰介。
勇達を初期から支える一人の好青年だ。
「……そうか、もう時はそこまで過ぎたか……勇殿は元気にしているか?」
「ええ、相変わらず頑張ってるようですよ……最近は私も会ってないんですけどね」
彼は魔特隊設立後……隊には入らず、総務省で彼を代表としてアルライ族支援を行っていた。
そんな彼であったが、顔見知りともあり急遽アージとマヴォを呼ぶ為に一時的に協力する事となったのである。
「―――という訳で、察してる様なので深くは言いませんが……協力願えますか?」
御味のその言葉を受けてアージとマヴォは二人顔を合わせるが……既に答えは決まっていた。
「うむ、行こう。 約束を果たす時が来た」
「っしゃ、女神ちゃんに会えるぜぇ!!」
二人は共に笑顔を浮かべ、掛けていた腰を上げて巨体を立ち上がらせると……御味が歩く方へと二人並び付いて行くのであった。
―――それは1年前―――
カラクラの里での獅堂 雄英との戦いの折、アージは勇達に協力しようと奮い立ったが……それを利用され逆に勇を危機に陥れてしまった。
アージはそれが堪らなく許せなかった。
「アージさん、マヴォさん……二人とも行ってしまうんですか?」
「うむ、今回の件では意気揚々と協力を申し出ておきながらこの体たらくよ……自身の未熟さを思い知ったわ」
勇が心配そうな顔つきで二人を見守る中……日本を発つ小型航空機へと乗り込む二人の姿がそこにあった。
全ては己を見つめ直し、力を付け……そして二度と失態を犯さぬよう己を鍛え倒す為に。
タラップが離れて扉が閉まりそうになった時、アージの声が響く。
「勇殿……もし我らの力がどうしても必要になった時……その時は遠慮せず呼べ!! 必ずや貴公の助けとしてこの力を奮おうぞ!!」
「女神ちゃんによろしくな~!!」
「はいっ!! 二人共お元気で!!」
こうして彼等はたった数言の約束を交わし別れた……。
―――そして時は再び現在へ―――