~男はほくそ笑む~
新宿グランドロンジットビル。
新宿駅の近郊に聳え立つ大型ビジネスビルディングである。
賃借企業もテレビCM等で見られる名ばかりで、規模もかなり大きめ。
加えて地下には有料駐車場を構えており、一般人もが気軽に利用する事が可能で。
しかも東京の地価に対してそれなりに安いらしく、顧客の回転率はかなり高い。
難点はと言えば、駅から少し離れている事か。
その地下駐車場が、謎のメールにあった集合場所らしい。
とはいえ、謎のメールの仰々しさにも拘らず集合場所が人気の駐車場。
待ち合わせるにはいささか人目が気になるのではないだろうか。
何故そんな場所を指定してきたのかは全く以って謎である。
しかし行かなければ真相はわからない。
そんな想いと好奇心が千野を突き動かす。
半ば巻き込まれただけのモッチを引き連れて。
だが―――
「えぇ、ちょっとぉ……クリスマス凄すぎない?」
いざそのビルへと辿り着いてみれば、二人を待っていたのは『満車』と示した電光掲示板。
駐車場は絶賛全埋中で、待ち合わせ場所に向かうにも停める所が無い模様。
いつもより人が少なくとも、こういう所だけはしっかり埋まるらしい。
どうやら二人はクリスマスパワーを甘く見ていた様だ。
顔を揃えて苦笑に震え、呆れる様子を隠せないでいる。
「ま、まぁ最悪俺が車回してますし、入りませんかね?」
「当然よ」
とはいえこんな事で挫ける千野ではない。
世の中のカップル達を鼻で笑いつつ、ゲートを通って駐車場の中を進み行く。
そんな彼女を出迎えるのは、きっちり詰められた車・車・車。
思わず舌打ちが飛ぶ程の詰まり具合である。
なお、運転しているのはモッチであり、千野本人はただ鼻息を荒げているだけだ。
「停められるトコ、3Bにあればいいんすけどね」
スロープ坂を降り、地下へ地下へと進んでいく。
相変わらずの詰まり具合に飽き飽きしながらも。
そんな車がとうとう地下三階を示す標識の前に停車して。
揃って首を伸ばし、続く坂の先を覗き込もうとする姿が。
「いいい行きますよ?」
「い、いいわ! 早く行きなさいよ!」
しかし降りなければ先は見えそうにない。
ならばもう、覚悟を決めて降りるしかない。
千野の催促に誘われるまま、再び車が動き出す。
スロープ坂をゆっくりと降り、目的地へと訪れる為に。
その先に一体何が待っているのだろうか。
悪戯か、それとも真実か。
ただのリア充達の夢の跡か。
だが、この時二人は知る事となる。
待ち構えていたのが、いずれをも虚となる程に想像を絶する光景だったという事を。
車が―――無い。
一台たりとも、停まっていなかったのである。
「何、これ……」
「どう見ても、満車じゃないっすよね……」
広い空間に、一切何も無い。
車も、人も、ゴミさえも。
ずっと先の壁までが丸見えな程、全く何も無いのだ。
強いて言うなら中柱や鉄骨が見える程度で、それ以外に遮る物が一切存在しないという。
でも壁に備えられた電光掲示板は、真っ赤な文字で『満車』が浮かんだまま。
人の気配一つ無いその空間にその文字が浮かぶ事の如何に不穏な事か。
かといって社員用駐車場かと思っても、壁には『一般』と書かれている。
明らかに何かがおかしい。
空気が何か違う。
そう思わせるに充分な程、この空間は異様そのもので。
思わず車がスロープ直後で停まってしまう程だ。
「ど、どうします?」
ただ、来てしまった以上はもう引き返すのも億劫で。
むしろ、この異様な理由を調べたいとさえ思えてしまう。
そう思うのがこの千野という女性だからこそ―――
「……行くしかないでしょ。 少なくとも、停める場所に困りはしないわ」
もう止まるつもりは無い。
モッチに指示を出し、再び車を走らせる。
「もう帰りたい」と言わんばかりの困り顔だろうと構う事無く。
そうしてすぐ目の前のスペースに停車させると、二人が颯爽と車外へ。
早速周囲を見渡すが、相変わらず何も気配は無い。
ドアを閉める音が奥の奥まで届いてしまう程に無音が支配していて。
それどころか、ヒールの足音さえ隅々にまで行き渡りそうだ。
「やっぱり悪戯なんじゃ……」
「悪戯でここまで手の込んだ事すると思う? 有り得ないでしょ。 ちょっと駐車場内を探りましょ」
いつもならば、ここも人で溢れているだろうに。
それだけの集客分を退けているのだ、この場を貸し切るだけでも相応の金額が掛かるだろう。
それを〝悪戯〟などという言葉で括る方がずっとおかしい。
どこぞのセレブが乱痴気騒ぎでも起こすつもりなのか。
それとも、世界一の富豪が密会の申し込みでもしてきたのか。
〝今世紀最大のスクープ〟とやらをここで予約注文でもしたのだろうか。
その正体は未だ何もわからない。
ドキュメンタリーなのか、ゴシップなのか、ドラマなのかバラエティなのかも。
ただただ真実味だけが先行する。
そう思えるだけ、この場の静けさは異常だったのだ。
予定時刻まではまだ少しある。
その余った時間の内にと、二人は早速駐車場内をぐるりと歩き始めていて。
互いに気を向けつつ、周囲を警戒する様にして端から端まで探っていく。
そんな千野の右手は常にポケットの中へ。
隠した手に携えているのはスタンガン。
自己防衛用として持ってきた物だ。
本当に悪戯であろうとも対処出来る様に、と。
他の報道陣は来る気配さえ無い。
となれば、後はメールを送った相手が現れるのを待つだけで。
結局、駐車場に怪しい所は何も無く。
二人揃って車の下へと戻っていく。
余りにも何も無さ過ぎて、千野は逆に苛立ちを隠せない様だが。
「怪しいのは良いけどさ、だからって何も無いんじゃ意味ないんだけど?」
「それ、俺に当たられても困るんすけど……」
その苛立ちをぶつけられるモッチとしては堪ったものではない。
「いっそ何か起きて欲しい」とさえ思えてしまう程に。
千野がこう苛立つとなかなか止まらないと、よく知っているからこそ。
だが、その願いがまさか現実になるとは思いもしなかっただろう。
「来たのは一局だけだったか。 まぁいい、来てくれただけでもありがたいと思わねばな」
その時、他誰も居なかったはずの空間に男の声が響き渡る。
静かに、それでいてハッキリと。
それに気付いた二人が咄嗟も振り向くと、その先には黒づくめの男が一人。
全く気配が無かった。
足音も、服が擦れる音さえも。
男が立つ場所は、つい今しがた千野が通った所なのに。
まるで幽霊か霞の如く、突如として現れたのだ。
これに二人が驚かない訳もない。
そして男が現れた途端、千野とモッチをこれ以上無い圧迫感が襲う。
今まで感じた事の無い程に強烈な重圧が。
息が、詰まる。
体が、動かない。
目が、震えて止まらない。
まるで蛇に睨まれた蛙の様だった。
視線をも合わせていないのに。
声を当てられただけなのに。
ただそれだけで、二人はもう動けない。
出来るのはもはや、戦慄で震える事のみ。
いや、出来る事があるとすればもう一つ。
それは、男の声を再びその耳にする事だ。
「ようこそ記者殿。 私の名はデュゼロー=ガーレ=イゼノウ。 貴女達を呼んだのはこの私だ」
男はほくそ笑む。
時が訪れた事を祝して。
そして、千野達が訪れてくれた事を讃えて。




