~救いの一擲~
「んッぎああァァァーーー!!!」
亜月の手から勇が遂に解放された。
しかし身体の主導権を巡る命力同士の戦いは止まらない。
なおも体の節々の毛細血管が弾け、血飛沫が舞い続ける。
「あ、あず……」
服はもう既に真っ赤に染まり上がっていて。
叫ぶあまり、顔も雄叫ぶ獣の如く天を仰いでいる。
その見開かれた眼さえも真っ赤に充血し、今にも弾け飛んでしまいかねない。
「もうやめろ、やめてくれ……!!」
腕は特に酷い惨状で。
至る箇所の皮が破れ、めくれ、赤黒く変色した中身が露わと成っている。
周囲の地面も赤黒く染まり、日が出ていれば惨事は克明となっていただろう。
もう勇でさえ直視出来ない。
見難いほど痛々しい有様だったが故に。
「もう奇跡は打ち止めの様だな。 相応の逸材ではあるが仕方あるまい。 そう導いたのは藤咲勇、お前の至らなさが原因であると思え」
「クソッ、デュ、ゼロォ……ッ!!」
「フハハハッ!!」
弱った今の勇では、もはや命力を操る事さえ困難だ。
デュゼローを制する事は愚か、亜月を止める事さえも不可能に近い。
打開策が全く無い中で、デュゼローの嘲笑が空を突く。
まるで勇を煽らんとばかりに高々と。
勇も鋭い眼光で睨み付けるが、何の意味も成しはしないだろう。
むしろその嘲笑を助長させる餌にしかなりはしない。
例え勇が解放されようと状況は変わらないのだ。
ただ死の矛先が変わっただけで。
今はただただ、亜月が朽ちていくのを待つ事しか出来はしない―――
だがその時、空を裂く何かが暗闇を貫いた。
ピュンッ!!
それは本当に一瞬の出来事だった。
デュゼローさえも認識出来ぬ程に。
たったその一瞬で、全ての状況がひっくり返る事となる。
なんと、デュゼローの摘まんでいた元凶の魔剣が、粉々に砕け散ったのである。
「何ッ!?」
砕いたのは、何の変哲も無い小さな石だ。
命力が籠っているのかもわからない程に気配の無い、豆粒以下の小石。
ただ、魔剣自体も相応に脆かったのだろう。
気配が無くとも、砕ける程に力が籠められていたのだろう。
たちまち破片が舞い散り、暗闇の彼方へ。
大地に落ちた欠片もまた土に紛れて消えていく。
そして、操心は筐体が破壊されれば維持される事は無い。
たちまち亜月の身体が地面にへたり込む。
操られた黄色の命力が突如として消え去ったのだ。
こうして拮抗さえ崩れれば、赤色の命力も介在し続ける事は無い。
霧散して消え、心と身体に還るのみ。
「あずっ!?」
「うぅ……ごめんね勇君、うぐっ!!」
それに、どうやら亜月自身は見た目ほど酷くないらしい。
息こそ荒く、身体を痛ませているが、「えへへ」と微笑みで返すだけの余裕はある様だ。
そもそもが空元気であるのかもしれないが。
ただ、対するデュゼロー達からは既に余裕を感じられない。
余興扱いとはいえ、こうも容易く握っていた魔剣を破壊されたのだから。
あのデュゼローが虚を突かれる程の所業。
これに彼等が敵意を向けない訳がない。
もはやその敵意は、勇達では無く別へと向けられている。
小石が放たれた暗闇の先へと。
「随分と、物珍しい……魔剣を、持っていた……ものですね」
その先に佇んでいたのは、スーツを纏った一人の男。
それも、勇が一度だけ会った事のある。
その名も井出。
絶命の危機に瀕したレンネィを救った男である。
「貴様、何者だ……!?」
「井出、と言います……ただの、サラリーマンです」
この台詞が彼の常套句なのだろうか。
そう返す様子は以前同様の雰囲気を保っていて。
気迫を向けるデュゼローを前にしても動揺さえ見せていない。
なにせ胸に穴の開いた人間を再生する力を持っているのだ。
もしかしたらデュゼロー相手でもまともに戦える人物なのかもしれない。
その正体は勇でさえもわかりはしないが。
もちろん、デュゼロー達も知らない様で。
先程以上の敵対心を露わにしている。
魔者達も腰に下げた魔剣に手を充て、既に臨戦態勢だ。
勇も亜月には意識すら向けてはいない。
もう眼中にすら無いのだろう。
「あまり、面白くない事を……している様でしたので、邪魔をさせて……頂きました。 彼はまだ、勿体ないですから」
「ッ!? そうか、貴様が……ッ!!」
そして遂にはデュゼローまでが魔剣を取り出すに至る。
それも【ラパヨチャの笛】の様な小賢しい道具ではない。
れっきとした戦闘用の魔剣を。
黒いマントの中から現れたのは、細身の曲刀。
刀身から刃、鍔や柄に至るまでが漆黒の魔剣である。
まさに【黒双刃】の名に相応しい一刀と言えるだろう。
それがもう既に光を灯している。
「ジリジリ」と大地を震わせる程の共鳴音を打ち鳴らしながら。
デュゼローもまた戦う気なのだ。
井出に対して何かを感じ取ったからこそ。
その殺意はもはや先程までの比ではない。
「イビド、ドゥゼナー、奴を殺すぞッ!!」
「わかったぜェ!!」
「任せよッ!!」
その殺意が、敵意が息を合わせた時、暗闇に三筋の光が刻まれる。
デュゼロー達が井出に向けて凄まじい速度で飛び掛かったのである。
その速さはいずれも驚異的だ。
魔者二人はどちらも勇と負けず劣らない速度で。
デュゼローに至ってはそれさえ霞む程に速い。
いずれせよまさに光の様で。
あっという間に井出との距離を詰め、遂には即座に斬撃を見舞うほど。
井出自身もその猛攻を前に後退一方だ。
彼等にも負けない速度で飛び跳ね、その斬撃を紙一重で躱す。
ただ、井出の逃げ方は若干不自然に見えなくも無い。
まるで勇達から離れる様に逃げていたのだから。
勇達の窮地を救ったのが偶然ではないと言わんばかりに。
あっという間にデュゼロー達も井出も景色の彼方へ。
暗闇に消え、もう光の筋しか視認出来ない。
「井出さん、何故俺達を……くっ、でも俺には貴方を助ける事は出来ないッ!!」
でももう考えている暇は無い。
井出の意図はわからずとも、こうして逃げる機会は生まれたのだ。
今は何が何でも逃げて、亜月を安全な場所に連れて行かなければ。
例え微笑んでいようとも、その失血具合はもう心配の域を超えている。
治療までの猶予がそれほどあるとは到底思えない。
だからこそ勇は立つ。
僅かな命力で体を奮い立たせ、亜月を抱え上げて。
「井出さんッ!! ありがとうございますッ!! どうか死なないで……ッ!!」
体はまだ動ける。
体力だけならまだ十分だ。
なら後は気力と底力で乗り切るのみ。
今は夜で、闇に紛れて建物の屋上を跳ね行く事が出来る。
提携している病院にも最短ルートで進めばすぐ辿り付けそうだ。
「あず、もう少しだけ耐えるんだッ!!」
「うん、が、頑張る……」
故に、またしても一筋の光が空へ。
東へと向けて、ブレる事無くアーチ状に刻まれていく。
それを人が見掛けても、きっと勇だと気付く事は無いだろう。
代々田公園で何が起きていたのか、という事さえも。
誰も与り知らぬ所で勇が、亜月が、井出が命を賭けている。
幸せに包まれた都会の中心で。
聖夜に起きたこの事件は始まったばかりだ。
デュゼロー達は何故この街に現れたのか。
何故勇達に敵意をぶつけたのか。
その真意はまだ何もわかってはいないのだから。
彼等がわざわざ勇達の前に現れた目的とは果たして―――




