~急転せし日常~
夢は儚い。
願って叶う時もあれば、不意に叶ってしまったり。
時には手からすり抜けていったり、不意に消え失せたり。
得るも消えるも運命次第。
その大小に拘らず、意思にも拘らずに現れては去っていく。
それはまるで掴み所の無い、霞の様に―――
「気楽なものだ。 こんな姿に成り果てた世界で」
それは勇と亜月が公園のベンチで二人だけの時間を堪能していた時の事。
突如として、二人の耳に鋭く突き刺さる様な声が響く。
まるで、その一瞬で場が凍り付いたかの様だった。
それだけの威圧感が、二人にこれ以上無い悪寒を与えていたのである。
冬夜さえも温いと思わせるまでの寒気として。
そこから生まれた警戒心が二人を跳び上がらせていて。
更には地に付いて早々に身構え、警戒心を露わにする。
既に二人は臨戦態勢だ。
体に命力を漲らせ、暗闇の先へと睨みを利かす。
そうするのも当然か。
何故なら、今の一声には―――命力が乗せられていたのだから。
続き暗闇の先から飛んできたのは、殺意の塊。
強烈な命力波動が気流に乗って、肌を刺さんばかりにビシビシと伝わってきたのだ。
まるで大気が暴風となって打ち当たってきているかの如く。
その気迫だけで二人の意識が押されていく。
たじろぎ、足を引かせてしまう程に。
「自らが如何に醜愚であるという事を理解しようともしない、この滑稽さよ」
カツッ、カツッ……
続いて届いたのは、混凝土を叩く靴の音。
それと共に暗闇の中から一人の人影が浮き上がり、その姿・素顔を晒す。
しかし現れたのは―――全く見知らぬ男。
身長で言えば二メートルあるかないかと言った所か。
ただし頭部以外が黒いマントに覆われており、体格は判別出来ない。
夜闇に溶け込む長黒髪が、筋張った面長の顔付きを隠すかの様に靡き動く。
そうして見せる佇まいはまさに強者の様で。
二人を前にしてもなお威風を留め、警戒心を煽りに煽る。
黒づくめの男が放つ迫力はもはや異常の領域。
相対しているだけで、二人の精神力をガリガリと削ぎ取っていくかのよう。
故に、その額からは冷や汗が溢れて流れ落ちる程だ。
「誰なんだ、お前はッ!?」
それでも勇が負けじと声を張り上げる。
同様に命力を乗せ、気迫で押し返さんとばかりに。
魔剣は無いが、ここで引く訳にはいかない。
それが魔剣使いの意地であり、魔特隊隊員としての使命でもあるのだから。
だが―――
「フッ、浅いな。 所詮はこの程度か」
黒づくめの男の余裕は一向に消える事はない。
勇からの気迫を打ち消したのか、反応を見せたのは靡かれた前髪のみ。
それどころか、遂には鼻で嘲笑う始末だ。
「それに……私が何者かなど、本当はどうでも良いのではないか?」
そんな中、マントの袖から腕が伸び、おもむろに「パチリ」と指を鳴らす。
すると、更に二人の人影が男の背後から現れたではないか。
そして勇達は驚愕する事となる。
続いて現れた者達が余りにも信じられない存在だったのだから。
それは彼等が―――魔者だったからである。
それも、見た事の無い種族だ。
一人はヒョウの様な顔付きと斑点柄、身軽そうにも見える軽装細身の体格で。
もう一人は雄ライオンに似た風貌で紅く短い鬣を備え、体格は前者と比べて大柄だ。
共に魔剣の様な長物を腰に下げ、自信満々の様を見せつける。
「なっ!? なんで東京に魔者がッ!?」
「フフッ……何を驚く必要がある? お前達はこういう形を望んだのだろう?」
「ううッ!?」
そう、勇が驚いたのは〝魔者がここに居るから〟という事だけではない。
〝黒づくめの男と共に魔者が居る〟という事実に驚きを隠せなかったのだ。
男の方はどう見ても人間だ。
なのにも拘らず、魔者を引き連れている。
まるで勇達と同じ様に。
それが決して和解して共に居るのかどうかはわからない。
だからといって強引に引き連れている様にも見えない。
それに、男達はまるで勇達を知っている様な口ぶりだ。
厳密に言えば勇達というよりも―――魔特隊の事を。
〝何故知っている!? 彼等は一体何者なんだ!?〟
その様な疑問が勇の脳裏を駆け巡り、惑いを更に深めさせていく。
「ギリリ」と歯を食い縛る程に。
「仲の良い魔者達と手を取り合って世界を繋ぐ、か。 言う事は立派なものだ。 しかしそれが全てを終わらせる行為であろうと、お前達は何もわかろうとしない。 考えようともしない。 こうして伝えようとも、きっと気付きもしないのだろうな」
そんな中で続く男の語り。
その口ぶりは、まるで全てを悟ったかのよう。
勇達の事だけでなく、世界に起きている事までも全て。
その語りが勇の強い動揺を呼ぶにはそう時間も掛からなかった。
それだけ、男の正体が謎過ぎたのだ。
「何だとッ!? どういう事だッ!?」
「……どうやら剣聖達からは何も聞かされていない様だな。 相変わらず、あの二人はまだ掴めぬ夢を追い求めているのか」
「ッ!?」
しかしその謎も、今のたった二言で紐解ける事となる。
勇は気付いてしまったのだ。
たった一つ、この男の正体を示すヒントを自身が握っていた事を。
そう、聴かされていた事を。
―――彼は【黒双刃】の~~~と言われていてねぇ―――
――― 一人で動くのは勝手だが、独自に突っ走り過ぎなんだぁよ―――
剣聖とラクアンツェ、あの二人から。
だからこそ勇は直感した。
目の前に立つ男が何者なのかという事を。
「まさかお前は……!?」
そして男もまた悟る。
勇が自身の正体に気付いたという事を。
「そうだ。 私の名前はデュゼロー。 藤咲勇、貴様の愚行を正す為にこの地へやってきたのだよ」
これこそが男の正体。
【剣聖】・【鋼輝妃】と肩を並べる、三剣魔と呼ばれし最強の一角。
それが【黒双刃】デュゼロー。
「お前がデュゼロー!? 剣聖さん達と同じ、三剣魔の……ッ!!」
その衝撃の事実に、勇も亜月も焦りを禁じ得ない。
考えても見れば、わからない訳は無かったのだ。
デュゼローの放っていた威圧感は剣聖やラクアンツェとまるで同じで。
滲み出て感じ取れる強さもまた、あの二人に負けずとも劣らない。
そう、間違いなくデュゼローは強い。
未知数であろうとも圧倒的に。
少なくとも、命力を失い掛けている勇よりはずっと。
それ程の力の差があるから、二人は気迫だけで圧倒されていたのだ。
「―――だが、今日は挨拶だけに留めておくつもりだ。 魔特隊の諸君にな」
「ッ!!」
それに、やはりデュゼローは知っていた様だ。
勇達魔特隊の事を。
恐らくは、その活動内容さえも。
そう理解した時、突如として勇の雰囲気が変わる。
今まではただの警戒態勢に過ぎない。
未知の相手に対して周囲を巻き込まずに柔軟に対応出来る様にと。
でも今は違う。
相手は言わば究極の存在だ。
ならば、手加減などしてはいられない。
その想いが、覚悟が、勇の身体にこれまでにない力を与えたのだ。
例え命力が残り少なくとも、魔剣が無くとも関係無い。
今の勇ならば、その命力だけでも全盛期程に戦う事が出来るのだから。
決して命力の光は灯っていない。
けれどその内に秘めた命力は、今までに無い程激しく駆け巡っている。
いつかのアンディとナターシャとの再戦時の様に体が巨大化しなくとも、その力はほぼ同等。
漲る命力がこれとない活力を与え、細くとも硬い身体がミシリと音を立てて軋みを上げる。
すなわちこれが真の臨戦態勢。
最大最強の相手に向けた全力の姿勢なのである。
今の勇はもはや一触即発状態だ。
たった一つ敵意をぶつけられれば、瞬時にして間合いを詰める事だろう。
「答えろッ!! 何故魔特隊の事を知っているッ!?」
「フッ……答える義理は無いな」
「キサマッ―――」
ッターーーンッッ!!!
だがその瞬間、臨戦態勢だったはずの勇は―――なんと、退いていた。
片足が地を擦り、僅かに下がっていたのだ。
デュゼローがただ一度、つま先でアスファルトを叩いただけで。
とても信じられない事だった。
力も技術も度量も、劣ろうとも負けないと信じていたのに。
たった一つ足音を鳴らされただけで、気圧されてしまったのだから。
確かに、今の勇の突撃力ならば並の魔剣使いでは捉えられないだろう。
その自信は決して増長でも傲慢でも無い。
しかし、今起きた事はその実力とは全くの別問題だ。
これは厳密に言えば気圧されたのではない。
ただタイミングをズラされただけ。
戦士は卓越すればする程に攻撃タイミングを重要視する。
例えそれが意図的であろうとなかろうとも関係無く。
その理由こそ、肉体の造りにある。
肉体の節々は言わば別の生き物の様なもので。
だからそれを中枢である脳が制御し、肉体の動作へと繋げている。
しかし、その制御も難しい動作となるにつれて複雑となっていくだろう。
人はその動作を繰り返す事で克服し、成功率を上げていく―――これがすなわち経験というモノだ。
その克服を成した正体こそが瞬適機。
意識がリズムを刻み、その瞬間を自発的に導き出すのである。
もし完成したタイミングに乗れば、自身が望んだ最も相応しい動きが出来るだろう。
身体がそう理解しているからこそ、間違い無く。
これは現代格闘術でも同じく言える事で。
リズムに乗らなければ、腰の入った拳撃は撃ちだせない。
相手のリズムを読み取らねば、隙を突く事も出来ない。
まさに戦闘における基本であり、根幹とも言える仕組みなのである。
でももし、そのタイミングを強制的に崩されたならばどうなるのだろうか?
その答えこそが、今起きた勇の行動結果。
闘争本能が、戦闘経験が、退くという答えを与える事となる。
自身のリズムを取り戻そうと、身体がそう反応してしまうのだ。
そして、なまじ電気信号よりも伝達の速い命力を使っているからこそ―――
その反応速度は、本人が理解する間すら与えない。
一瞬、気圧されたのかと錯覚してしまう程に。
「逸るなよ。 言っただろう、挨拶だと」
「くうっ……!!」
もちろん、その根拠をすぐ理解出来る程に勇も卓越している。
だからその事を理解するのに、そう時間は掛からなかった。
ただ、自分のされた事もまた同様に理解する事となるだけで。
如何に常人離れした手段を講じられたのか、という事を。
恐らく、デュゼローはもう勇のリズムを理解している。
そしてそのリズムを手玉に取れる程、更に卓越しているのだろう。
今の動きは力の差ではなく―――技術の賜物。
すなわち、戦闘技術においては明らかにデュゼローが上。
たった今、不本意にもそう証明させられてしまったのである。




