~夢にまで見た一時~
様相を改めて二人が向かったのは新宿。
東京が誇る大型繁華街の一つで、多くの路線が交差する場所でもある。
東京都庁もある事から、この場所が日本の中心と言っても過言ではないのかもしれない。
勇達の住む街からも電車一本で来れるとあって、最も身近なデートスポットと言えよう。
候補としては他にも沼袋や六本樹と選択肢は多い―――が、それほど拘りを持たない二人には新宿が最適だった様だ。
ちょっと駅構内から足を踏み出せば、天突く建物達が来訪者を迎えてくれる。
無い物は無いと言える程にありとあらゆる物が詰まったビル群が。
加えて無数の飲食店や遊戯施設、映画館から大公園までがこの街には詰め込まれていて。
おまけに今日はクリスマス一色と、恋人達を迎え入れるには充分過ぎる環境だ。
となれば、二人が感心の声を漏らしもしよう。
そんな馴染み深い街でも、全てを網羅している、という訳ではなく。
勇もあずーもせいぜい駅周辺程度しか知らないとあって、半ば探検気分での来訪だったから。
聖夜を祝う美しい街並みに、二人は胸を弾まさずにいられない。
それからの時間が過ぎ去るのはとても速かった。
昼食から始まったデートは、なんて事の無い一般的なもので。
特に立てていた予定も無く、ただ街を練り歩くだけ。
それでも充分なくらいに、興味を惹かれるもので世界が溢れていたから。
面白そうな物を見つけては店に入って目ぼしい物を選んだり。
見た事の無いアパレルショップに足を踏み入れては、ちょっとだけ服装を変えてみたり。
ちょっと小洒落たスィーツのお店を見つけては、そこで甘味に舌鼓を打ったり。
流行のラブロマンス映画を求めて映画館に入るも、あずーの希望で長編アニメを見る事になったり。
そして早めの夕食はあずーの望みもあって、お高めな鉄板焼きのお店に行く事になったり。
色々あったけど、いずれにしても二人はとても楽しそうで。
お金に困っていないからこそ、この街は最高の遊技場となってくれた様だ。
そうして時はあっという間に過ぎ。
気付けば、空に朱の夕暮れが差していた。
夕日の反対側を向けば藍色の空が大きく広がっている。
夜の訪れが早い時期だからこそ、その藍色もきっとすぐに空一面を覆うのだろう。
それでもまだまだ遊び足りないと、あずーが元気な姿を見せていて。
勇の手を掴み、半ば強制的に引きながら街を行く。
まるで藍色の空に捕まらない様にと。
最初はそんな感じで強引だったけど。
まばらだった歩みも次第に足並みが揃っていく。
互いに手を繋ぎ、共に道を歩む為に。
日が落ち、街灯の明かりが街を照らし始める。
それでも建物程度なら見えるくらいにはまだ明るいが。
「見て見て、都庁! 都庁だよー!」
「相変わらずデカいよな」
そんな中で二人が訪れていたのは都庁の近く。
その大きさに、思わず揃って首を上げて唸る様子が。
こうして近くで見るのが初めてともあり、「おお~」と感心の声が漏れる。
こういった政治的名所は、地元民だと逆にわざわざ足を運ぼうとは思わないもので。
立ち寄るとしたら、せいぜい見学会などの用事があった時くらいだろう。
都政に興味が無ければなおさらだ。
もちろん、二人は興味を持って訪れた訳では無い。
ただ単にチラリと都庁の姿を見掛けて「折角だから見ていこう」となっただけで。
今の二人はもっぱら観光気分。
どちらも東京都民なのだが、見た限りではただの観光客にしか見えない。
そしてそんな観光気分はこれだけで収まらない様だ。
「次あそこ行きたい、花見の名所!!」
「代々田公園な。 行ってみるか。 夜遅いから見る物無いだろうけど」
あずーの欲求は留まる所を知らない。
まるで朝の失敗を取り返さんと言わんばかりに。
でもきっと、彼女はただ勇と一緒に居られればどこでも良かったのだろう。
今はただそれだけで。
二人が街並みを堪能しながら道を行く。
ただ歩く事が目的だから、電車なんて野暮な物は必要無い。
それに、クリスマスで彩られた夜景がとても綺麗だったから。
空はもう闇夜の様に暗くなったけど、この日だけはその闇こそが本番だ。
ここぞとばかりに街灯とビル明かりだけが街を派手に照らしていて。
特別にライトアップされた建物を見上げては、楽しそうな笑みが堪らず零れる。
世間にとっては当たり前な夜景も、二人には初めての事。
こうして下から見上げる景色も充分に絶景となるのだから。
少なくとも、こんな所に訪れる縁も無かった二人にとっては。
もっとも、品行方正な学生が夜の街を徘徊する事など、本来あってはならないが。
もちろんその点に限っては、二人に何の支障も無い。
教育に良くない点はこの際置いておくとして、身の危険などまず有り得ないので。
なんだかんだであずーも遥かに常人離れしているが故に。
もし彼女に危険を及ぼそうものなら、きっと戦車くらいは必要になるだろう。
そんな訳で悠々と街の中を歩き続けること三〇分。
公園らしい景色が見え始め、二人に微かな期待をもたらす。
スマートフォンの地図を見ても、どうやら間違いは無さそう。
ただ様相はと言えば―――少し殺風景か。
何せ冬ともあって、裸の木々ばかりでみすぼらしく。
街から離れてるともあって、周囲はひと気も乏しく活気が無い。
時期柄、それも仕方の無い事なのだが。
「見えた見えた! 行こー!」
でもそんな場所であろうとあずーには関係無い様だ。
相変わらずのテンションで強引に勇の手を引く。
そのまま公園へと足を踏み入れれば、視界にはテレビなどで見た事のある様な景色が。
ただ、どうやら無人という訳では無さそうだ。
よく見ればカップルの姿がちらほらと。
クリスマスイヴの夜ともあって、同じ考えの者が他にも居たのだろう。
恋人と二人きりになれる場所を求めて。
「あ、勇君あそこ座ろう!」
そんな公園へと足を踏み入れ、少し歩いた時の事。
早速と言わんばかりに、空いたベンチを見つけたあずーがおもむろに指を差す。
如何にも恋愛ドラマなどで使われていそうなベンチだ。
きっとこれが公園に誘った真の目的だったのだろう。
こうしてわざとらしく声を張り上げる辺りは。
これには勇も「ああ、なるほどね」などと心に思う。
とはいえ拒否する理由は無く。
言われるがまま、揃ってベンチへと腰を掛ける。
すると案の定―――あずーの身体がすりすりと勇へ擦り寄っていく。
まるで熱烈カップルの如く、遠慮する事も無く堂々と。
「あ、あず近いって……」
「んーん、恋人なんだからいいじゃん~」
遂には肩同士が密着し、あずーの側頭部が勇の肩上へと寄り掛かる。
でも、それだけだった。
そのまま何も語る事無く、ただじっと密着し続けるだけで。
寒空の下、互いに体が冷えていたというのもあったのだろう。
服越しに重ね合った肌へと、僅かな温もりがジワリと滲む。
どこか心地良くて、それでいて求めたくなる様な暖かさが。
それを求めるまま、あずーはただ静かに頭を擦りつけて堪能し続ける。
喜びと安堵を絡めた安らかな表情で。
もしかしたら、彼女はずっとこうしたかったのかもしれない。
想いを露わにしてから今日までずっと。
大暴れしていた時も、ただただ気を惹きたくて。
どうしたら振り向いてくれるのか、一生懸命考えて。
何があろうとも一緒に居る事を望んだ。
好きな人の温もりを少しでも感じていたかったから。
その想いが通じたかどうかはわからない。
必死に語った思い出が同情となって、奇跡を手繰り寄せただけなのかもしれない。
でも、それでも。
今の彼女にとっては今が全てなのだ。
例え偽りでも、僅かな間だけの事だとしても。
今の為だけに、今までの全てを無為にしようとも。
二人が寄り添ってどれだけの時間が過ぎただろうか。
……時間で言えば、僅か一〇分程度だ。
でもきっと、あずーにはとてもとても長く感じられた事だろう。
それだけ心地良く温もりを感じ続けていたから。
勇はそんな夢心地のあずーを、ただ静かに見守り続けていた。
「勇君、アタシ幸せだよォ……」
「はは、まるで結婚するみたいな勢いじゃんか」
「もうこのまま結婚しちゃいたいぃ」
遂にはそんな戯言まで漏らし、強めに頭を擦りつけ始めていて。
これには勇も堪らず苦笑を浮かべずにはいられない。
それ程までに愛しているのはわかるのだが。
良識や相手の気持ちを考えない所は、相変わらずのあずーと言った所か。
「ハイハイ。 でもまだあずは高校生だし、卒業するのが先決だろ」
「えー、『婚姻は十八歳から出来る、問題無い』って聞いたよ~?」
「それ誰から聞いたんだよ……間違ってはいないだろうけど、そういう問題じゃない。 あと、結婚っていうのはお互いに色々知ってからだ」
「ぷぅ~!」
もはや今のあずーの意思表示は頭部コミュニケーション式だ。
さっきまで擦り付けていたはずが、今では「トストス」と叩き付けて小憤りを体現中である。
小さく「フンフン」と聴こえる辺り、ちょっと首の動きがしんどそうだけれども。
二人の関係はまだまだ始まったばかり。
あずーの方が準備万端でも、勇としてはほぼゼロからの恋愛に近い。
となれば、いきなり求婚されても戸惑うのはもっともな訳で。
こういった事に奥手―――もとい慎重派な勇らしい反応だろう。
「んで、あずはいつまでこうしてるつもりなんだ?」
そんな勇だけに、密着し続けるのはさすがに恥ずかしかった様だ。
例え心地よくとも、なんだかこのままでいるのが憚れてならなくて。
でもあずーの方はと言えば―――
「んーんー」
勇の返しにただ口を紡ぎ、離れるどころか額を充てていて。
遂には腕に抱き着き、その顔を袖に深々と埋めるまでに。
たちまち「ギュッ」と引き絞られて、どうにも離れそうにない。
「え、何? どうしたの?」
「〝亜月〟って呼んで」
「え?」
更に顔と腕の隙間から漏れて来たのは、そんな思い掛けない要求で。
これには勇も困惑を隠せない。
「ええ……あずじゃダメなの?」
「だめぇ」
あずー自身はどうやら本気な様だ。
いじらしい声で甘えていても、掴む腕には命力さえ籠っている。
要求を叶えないと梃子どころか巻上機でも動かなさそう。
そんな本気が、勇を遂に観念へと導く事になる。
でもこれは決して嫌だったからなんかじゃない。
何が真の目的かなんて、鈍くともわかる程に明らかだったから。
どうして欲しいかなんて、奥手だろうとすぐ読み取れたから。
こうしてあげたいと思えたから。
「あ、亜月、そろそろ腕を離してくれないか?」
それがその答え。
傍に居る事よりも、温もりを感じる事よりも。
それ以上にわかり易い〝言葉〟を待っている。
そう、感じ取れたのだ。
そしてそれはきっと正解だったのだろう。
今の一言が放たれた途端に、あずーの腕の力が弱まっていく。
するりと解ける様に拘束を解きながら。
こうして見上げた彼女には、穏やかな微笑みが浮かんでいたのだから。
「やっと言ってくれた。 ずっと待ってたんだ。 あだ名じゃなくて、名前で呼んでくれるのをさ」
これもまた、あずーが望んだ夢の一つだったのだ。
好きな人に真名を呼んで貰いたいという、とてもとても小さな夢。
別に「あずー」というあだ名が嫌いな訳じゃない。
むしろ親しみがあるからこそ、そう呼ばれるのも悪くないって思っていた。
でも一つ夢が叶ったならば思うだろう。
別の夢も叶えたいと誰しもが願うだろう。
それが例え、自分に不相応なラブロマンスだったとしても。
その夢が些細なら、こうしてすぐにだって叶えられる。
そんな淡い夢で散りばめられて出来たのが、園部亜月という少女なのだから。
だからきっと、次の夢もすぐに叶うことだろう。
「あず……」
「あーもぅ、また『あずー』ってぇ」
「あ、ああごめん、慣れなくてさ」
二人が笑い、語り合う。
それはいつか勇が、亜月が望んだ、ささやかな願い。
〝この時間がいつまでも続けばいいのに〟と、そんな想いを乗せ合って。
いつまでも、朝が明けるまででも。
二人はずっと話し続けられる、そう感じていた。
例えそれが、今だけの儚い夢であったとしても―――




