~過~
京都、アルライの里。
入口の階段をゆっくり上る人影が一人。
福留の要請を受けてやってきた御味である。
彼を迎えるのはアルライの若者の代表者。
日本政府と懇意になって既に1年以上……彼等はもう既に日本語を習得済みだ。
交友などで里の外に出向く事も多く、その度に御味が仲介者として赴いている。
今回も御味の電話連絡を受け、彼をいつも同様に迎えたのである。
「御味さんこんにちは、今日はどのような御用で?」
「ちょっとバノさんに用事があってね……彼は今どこに?」
「バノさんなら恐らく工房に居るはずですよ、お呼びしますか?」
「いや、僕から赴く事にするよ。 ありがとう!」
御味は挨拶を交えて返すと、代表の見送りを受けながら里の中へと足を踏み出したのだった。
かつて魔剣を修復する為に使われていた工房。
バノが現役を退き、弟子も去った今や……もはや火が入る事も無く。
だがバノが日々掃除を欠かさなかった為か、机や棚は整頓されて埃一つ見つからない。
カプロが使っていた頃とは大違いな程に、清潔感溢れる場へと変わっていた。
大柄なバノのマメな一面が覗き見える様であった。
そして、そんな工房内に……椅子に一人座るバノの姿があった。
現役を離れて久しい彼には、もはや魔剣修復師としての力は無い。
だがその太い腕はなお力強さを帯びている。
いつだかカプロが彼の為にと買ってきた大きな金槌を、片手で持ち上げてはクルリと回す。
その様はまるで―――
「バノさん、こんにちは」
その時……彼の背後、工房の入り口から聴き慣れた声が響く。
しかし彼……御味の存在既に気付いていたのだろう。
バノは突然の来客に驚く様子も無く……振り回していた金槌の勢いをもう片方の腕で受け止めて見せた。
「なんじゃい、ワシに用があるんかいのォ?」
「えぇ、実は相談があって……ちょっと力添えを願えないかと思いまして」
「ほぉん?」
「ドスン」と重い金槌の先を大地に突かせると、おもむろに立ち上がり体を御味へ向ける。
御味がバノとこうして話す回数も二桁を超える程。
彼に対して物怖じする事など無く、すっきりとした笑顔を向けていた。
「実は、勇君から要請がありましてね。 明日、魔者の拠点制圧作戦が有る様で……ですがどうにも人員が一人足りないらしく。 そこで……彼が言うには、バノさんはもしかしたら昔―――」
「はんっ……あンの小僧め、余計な事ばかり気付きやがるのォ……」
御味の言葉を遮り放たれたバノの言葉は、まるで彼が言いたかった事を見抜いたかのよう。
だがその顔はどこか浮かない様な、眉尻を下げた表情を見せていた。
「そうさなぁ……確かに小僧の気付いた通り、ワシは昔……魔剣使いだったよ」
「やはり……」
「じゃが、言う程のモンじゃあねぇ……世界を知るのに丁度良かったってェだけだ」
バノが御味に座る様促すと、二人は揃って椅子に腰を掛ける。
互いに腰を落ち着けると……バノはゆっくりと続きを語り始めた。
彼が語る、己の過去……言うに軽いが、魔者の魔剣使いがどの様な戦いをしてきた事か想像するに容易くは無い。
「若い頃は血気盛んだったからのォ、魔剣を手に入れた時は村を飛び出しては周りがどんな世界なのかを見て回ったもんだ」
『あちら側』に居た頃、隠れ里であるアルライは世界から秘匿された存在だった。
その存在を知られぬ為に、村人は村から出る事は禁じられていた。
だが魔剣使いと成った彼を止める事の出来る者が居るはずも無く。
バノはその立場をいいことに、勝手気ままに出入りしていたのだという。
「そりゃまぁ帰る所を失いたくはねぇもんなぁ……数日の内に帰ったりしてはまた出掛けて……そんな事を繰り返してたもんさァ」
あくまでも里の事を考え行動していたバノは出入りに注意を払いつつ、里周辺を散策していたらしい。
里の者達にはいい顔をされる事こそ無かったが……問題を起こした事は一度も無いという辺り、彼の賢さがよくわかる事案とも言えるだろう。
「何度か、人間の魔剣使いとも対峙した事があるが……どいつもこいつもまだ未熟モンばっかでなぁ~運良く凌ぐ事が出来たってェ訳よ」
例え未熟者であっても、魔剣使いともなれば強敵には変わりない。
それを退ける事が出来たのは、彼の実力があっての事なのだろう。
「だが、それだけだ。 旅の途中で他の魔者に出会って話した事もあったが……話せば話すだけ世界が如何につまらないか、そう感じちまったのよォ」
途端、バノの頭が俯き影を作る。
世界を知ろうと走り回った結果、世界が憎しみと恨みで包まれていた。
それを知った時の彼の落胆の度合いは計り知れない。
「まぁそんな事があってワシは魔剣を置いたのよ。 その頃にゃあ相当体も鍛えられててのォ……当時の魔剣修復師の師匠に力を認めてもらったワシはそのまま魔剣修復師となった訳だ」
「なるほど、それがバノさんの過去なんですね……教えてもらって良かったのか……」
「隠す様な事でもねェからのォ……」
ただ話す必要が無かった……彼にとってはそれだけの事であった。
「だが、あの小僧の言う様な実力は残念ながら持ち合わせちゃいねぇ……なんたって現役から離れてウン十年だからのォ。 悪いが、力には成れないだろうよ」
「そうですか……バノさんがそうおっしゃるなら仕方ありませんね、諦める事にします」
「すまねぇなァ……」
話し合いが終わると……御味が立ち上がり、バノに一礼して踵を返す。
バノが「また来な」と一言彼に返すと……御味は爽やかな笑顔で応え、その場から立ち去っていった。
「そうさな……戦う理由なんぞ、もう無い方がええ……」
バノだけとなった静けさが包む工房の中で、誰にも聞こえない小さな声で呟く。
その顔に覗かせたのは……悲しみを帯びた瞳であった。




