~緊 急 事 案~
昼前の10時頃。
なんとか体力をやりくりし、茶奈と心輝が揃って事務所へと出勤を果たした。
二人が揃ってやってくる姿を見たレンネィが「妙な組み合わせて来たものねぇ」とからかい半分で言い放ち、心輝の戸惑いを誘う。
慌てふためく彼を眺め、いつもの様にレンネィがいじらしい顔を浮かべていた。
心輝が自身のデスクの上で沈む中……各々のやるべき事務仕事を淡々とこなしながら時折話題が上がり、話で盛り上がる。
今頃瀬玲はどうしているのだろうか、オッファノ族との戦いはどう立ち回ろうか、等々……彼等の持つ心配事を挙げてはそれを相談し合う……それもれっきとした彼等の仕事なのだ。
「今頃、セリは戦ってる頃かしら……何事も無ければいいけれど」
「アージさんとマヴォさんが居るから平気ですよ」
「あの二人はなんだかんだでしっかりしてるからねぇ」
レンネィが微笑みながら彼等の事をそう評価する姿に、勇も思わず笑顔が零れる。
今はもう彼の記憶にも薄いが……以前、彼女が魔者に対する意思の在り方を見た時、勇は彼女を「冷たい人間だ」と思っていた。
それと比べ、今となっては人間相手となんら変わらずアージやマヴォ、カプロ、ズーダー達とも接している。
慣れとは不思議なもので……当時魔者を怨んでいた彼女がこの様に接する様になったのは、彼女自身もまた驚いている事だ。
「んー……毛玉の事思い出したら、そろそろ充電行きたくなっちゃったわぁ」
おもむろにレンネィからその一言が放たれると、心輝の頭がピクリと動く。
「充電器……ありますけど、使いますか?」
スマートフォンの電池の事なのだと思ったのだろう、茶奈が気を利かせて鞄から充電器を取り出すが……レンネィが微笑みながら首を横に振ると、茶奈は首を傾げながら充電器をそっと鞄へ戻した。
何故彼女がそんなものを持ってきているのかはさておき……。
レンネィの言う『充電』とは、すなわち「子犬や子猫と戯れる事」である。
そして心輝が彼女を好きになったのもまたその趣味を知った事がキッカケなのは、彼と勇だけが知る事だ。
「充電……俺も付き合いますよっ!」
だからこそ……反応するのは彼。
心輝が勢いよくデスクから起き上がると、キラキラと歯を輝かせた笑みを浮かべて彼女にアピールする。
謙遜する事も無くアピールする彼に、レンネィもまんざらでもなく……「ウフフ」と自然な笑みを浮かべた。
「えぇ、じゃあ今日辺りにでも一緒に行きましょうか」
「っしゃあ!!」
思わず心輝が喜びのスタンディングを見せ、周囲が盛り上がる。
二人が何故こうも盛り上がってるのか理解出来ていない茶奈だけが首を傾げたまま……事務所に笑いの声が上がっていた。
ヒュオオオオオン!! ヒュオオオオン!!
その時突然、事務所内に聴き慣れないサイレン音がけたたましく鳴り響いた。
屋内の至る場所に設置された全ての回転灯が赤い光を撃ち放つ。
突然の出来事に、敷地内に居る誰しもが慌て周囲を見渡していた。
「なんだ!? 何が起きた!?」
「これは……緊急事案令よッ!!」
緊急事案令とは……予期せぬ緊急事態が起きた時にのみ発令される指令である。
緊急事案令が発令される場合とはつまり……国内での魔者絡みの案件で緊急的な問題が起きたという事だ。
すると、途端タブレットが鳴り響き、先日の様に福留からの共有会話モード要求がなされていた。
すぐさま全員がタブレットへと指を伸ばし通話モードを開始させると、福留の顔が映りきる前に彼の声が聞こえてきた。
『皆さん緊急事態です。 5分以内にレンネィさんのチーム四人は戦闘準備を行い、屋上ヘリポートへ向かってください。 以降インカムにて通話します!!』
それだけを言い残し、通話モードが途切れた。
その場に居る全員が自分の荷物からインカムを取り出し、電源を入れて耳へ備え付ける。
レンネィ達が言われたままに準備を始める中、耳から福留の声が聞こえてきた。
『これは訓練ではありません。 埼玉県西部に突如魔者が数体出現し、住宅街への急襲を開始しました。 既に多くの民間人が犠牲になっており、予断を許さない状態です』
「なんだって……!? 出現って……まさか!?」
レンネィ達が準備を終え、揃って事務室を駆け抜ける中……動く事を指示されていない勇もが準備を始めつつ声を上げた。
『はい、恐らく新たに転移した魔者と思われます。 レンネィチームは速やかに敵を排除してください。 説得は不要です!!』
「俺達も行きます!!」
そう声を上げながら翠星剣が収めてあるロッカーへと手を伸ばした瞬間……福留から彼へ向けて一言が発せられた。
『勇君は待機です。 茶奈さん、彼を全力で事務所に押し留めてください』
途端ロッカーへ掛けた勇の手が止まり、憤りの表情が浮かぶ。
「そんな!? 何故ですかッ!?」
堪らず勇の大声が事務所に響くが……福留の反応は至って冷静であった。
『勇君、君はまだ体が回復していません。 こう言うのは酷かもしれませんが、今の貴方は信用出来ません……きっと私がこう言っても飛び出すでしょう。 なので茶奈さんにそう指示させて頂きました』
福留の言葉と同時に勇の肩へ「ガッ!!」と強い衝撃が走る。
彼の背後に立った茶奈がその多大な命力を篭めて彼の体を押さえ付けたのだ。
「ちゃ、茶奈……君は……!?」
「ごめんなさい勇さん……私も同意見です。 勇さんはきっと我慢出来ないから……」
彼女の腕は既にフルクラスタに近い程に濃縮された命力を纏っており、不完全でありアレムグランダすら有していない今の勇の力では振り解く事は愚か抵抗すらままならない。
「き、君だって守りたいんじゃないのか!?」
焦り、戸惑い、勇が茶奈へ訴えかける。
だが彼女の意思は固く、なおその手は緩まない。
「私だって本当は行きたいです……でもっ……私は勇さんを守りたいんです!! あんな無茶をしない様に……守りたいんです……!!」
「茶奈……」
最初は抵抗しようと体を動かしていた勇も、彼女の言葉を聴き……次第に力を緩めていく。
遂に逆らう事を辞めた勇の肩ががくりと落ち、フルフルと震わせ始めた。
「気持ちはわかります……あの時、渋谷で遭った事を……私も一緒だったから……!!」
「あぁ……そうだよな……」
初めて彼等が魔者と遭遇した時、多くの人間が犠牲となった。
女子供老人……関係なく彼等の歯牙に掛かり、血を流して死んでいった光景を二人は未だ覚えている。
解決した今でも忘れる事の出来ない渋谷での出来事と今回の事件……自分達の無力を重ね、無念を内に秘めずにはいられなかった。
『勇君……貴方が戦い続けたいと願うならば……今ここで無駄に消耗する事は得策ではありません。 命にも関わる問題とも言えるでしょう。 ここはレンネィさん達を信じてあげませんか……?』
すると……福留の言葉に続き、不意にインカムから心輝達の声が聞こえてきた。
『心配すんな!! 俺達に任せろって!!』
『師匠はゆっくり休んでてくれよな!!』
『アタイ達がちょっちょいってやっつけてあげるよ!!』
『というワケ……貴方はゆっくり待っていなさいな』
それはまるで勇を支え励ますかの様な仲間達の声。
その想いが彼の心に響き渡る。
瀬玲が勇を責めた理由には彼等もまた同感だった。
だからこそ、彼に無茶をさせる訳にはいかない……その想いが彼等の意思を統一させた。
瀬玲が魔特隊を去ると宣言した今、役割を担う人員が減る事となる。
彼女の抜けた穴を自分達で埋めねばならない。
各々がそう思い始め、自分達の意思と行動で勇を支えようという考えに至ったのである。
無念を秘めた胸を押さえ付け、悔しさから生まれた憤りを噛み締めて……勇が小さく声を上げた。
「……皆……頼んだ……ッ!!」
その言葉を最後に……勇は通話ボタンをオフにし、彼等に全てを委ねる事を認めたのだった。
途端、崩れ落ちる様に床にへたり込み……静かに項垂れる。
そんな彼を前に、茶奈が同様に地面へと膝を突き……彼の肩へと腕を回した。
「大丈夫ですよ、皆強いですから」
彼女の温もりが体に伝わり、彼の心にも伝わり落ち着きを呼び込む。
事務所の片隅で、二人の男女が無念を抱え……ただ静かに仲間達の成功を願うのだった。
事務所屋上のヘリポートへ間も無く到着するヘリコプター。
轟音を響かせて心輝達を乗せた機体が空へと飛び立ち、北西へと飛び去っていった。
その先に待つのは如何様な相手か、未だ知る事無く……間も無く控えた激闘を前に、レンネィ、心輝、アンディ、ナターシャの四人はただ静かに心の牙を研ぐのであった。




