~2R後半―池上の意地~
大きな衝撃音……それと同時に池上の側腹部へと大きな衝撃が走る。
池上の体が腹部から大きく反れ、真横へと大きく跳ね上がった。
……が、その側腹部には彼の肘が構えられており、見舞われた強力な一撃をかろうじて防いでいた。
しかしその顔は大きく歪み、ガード上からのダメージの貫通を物語る。
それ程までの強烈な衝撃。
跳ね上げられた池上の体がロープへとぶつかり勢いが止まる。
その足は既にマットへと着いており……膝にはまだ力は残っているのだろう、僅かに膝を屈め力を溜め込んでいた。
その瞬間、圧倒的な存在感が彼に圧し掛かるかの如く襲い掛かる。
勇の猛追……そしてその勢いに乗せた渾身の右ストレート。
常人であればその一瞬はまさに瞬きのそれに等しい間。
―――おぁぁーーーーーー!!―――
その一瞬が全てを決めた……誰しもがそう悟った。
だが、池上の頭部を狙った勇の右拳が突き刺さろうとした瞬間……池上の頭がぐらりと引く。
僅かに頬を掠り、彼の顔スレスレを通り抜けた剛腕が空しい空音を鳴り響かせた。
バグォンッ!!
「ッ!?」
そして……勇の顎が意識に反して高く跳ね上がる。
それは池上の渾身のカウンター。
自身の上体を仰け反らせ勇の一撃を躱した拍子に……その振り子の勢いを利用したアッパーカットが彼の顎へと突き刺さったのだ。
足、膝、太もも、腰、背筋それぞれの力の入れ具合、勇の勢いの反動、そして振り子の原理……それらが全てベストに近い形で籠ったその一撃は、撃ち放った当人ですらも驚く程に理想の一撃であった。
「勇さんッ!?」
「おおおッ!?」
ギャラリーの叫び声が響く中……勇の体が後ろに跳ね上がり……そして勢いのまま倒れこんだ。
バタァーン!!
倒れたまま勇は微動だにしない……意識が飛んだのか、それとも困惑しているのか。
見開いたままの目はピクリとも動いていなかった。
「おおっとっと……ワンッ!! ツーッ!!」
唖然としていた倉持が思い出したかの様に試合の時間を測る時計を止めると即座にカウントを始め、僅かに遅めではあるが数字を刻んでいく。
「……ファイブッ!! シックス!!」
「立つな、立つんじゃねぇ~……」
ロープに肩を預けた池上がぼそりと呟きながら勇の動向を見守る。
「セブンッ!!」
その声が挙がった瞬間「ビクンッ」と勇の体が跳ね上がり、慌てた様に腕を動かし自身の状態をマットを探る様に確かめ始める。
そしてすぐさま自身が倒れている事に気が付いたのだろう……マットに手を突き、すぐに体を立ち上がらせた。
だが既に体を支える膝はガクガクと笑い揺れている……頭へのダメージが響いている証拠である。
「だ、大丈夫か? やれるか?」
カウントを止め、倉持が勇にそう声を掛けると……勇もそれに応答し頷いた。
「や、やれます……!!」
「よしっ!!」
そう応えが返ってきたことを確認すると、倉持はすぐさま時計のスイッチを押す。
途端鳴り響く「カァーン!!」という音。
2ラウンド終了の鐘である。
立ち上がった勇へ追撃を加えようとする池上であったが、一歩を踏み出した所でその勢いは止まり……ゆっくりと最寄りのコーナーへと歩いていった。
勇は意識が僅かに朦朧としているのだろう、取り留めた意識の中でようやく自身のコーナーへ戻るとゆっくりマットに尻餅を突いた。
「勇さん大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……多分……」
背をポストに預け、グローブを顔に擦りつける。
頭に響く「ガンガン」という感覚が、なんとも出来ない彼の心を焦らせていた。
「あーくっそ……グローブ外してぇ……」
「止めた方がいいんじゃ」
「いや、いいよ……なんかこのままやられっぱなしじゃ癪に障る」
だが依然として彼の闘争心は変わらず……むしろ高揚し、怒りにも近い感情が彼の中に湧き上がっていた。
心配する茶奈を他所に……意識をはっきりと取り戻した勇はゆっくり立ち上がり、対面に居る池上の姿を見つめる。
「こんなに苦戦するのって、いつぐらいぶりだろうな」
幾度と無く死地へ赴いた勇ではあるが、ここ最近はそれと言う程苦戦を強いられた事は無かった。
言う程の猛者と手を合わせた事があまり無いという事もあるのだろうが、真剣勝負という上での戦いであれば……戦いそのものに卓越した勇が苦戦する道理は現時点に至りほぼ無いに等しい。
もっとも、剣聖相手の様に圧倒的差での敗北であれば先日経験したばかりではあるが。
思いがけぬ出来事を後に逆襲に滾る勇の心……そんな彼を前にした池上は余裕では無いものの、満足にも似た笑みを浮かべてロープに肩を預けていた。
しかしその額には大粒の汗が流れ、肩が大きく揺れ動いている。
未だ2ラウンドであるにも拘らず、その消耗の激しさを体全体で表していた。
「今の一撃、どうだった?」
「バッチリだった……練習が生きてるんだと思うわ」
先程のアッパーカットは次の対戦相手を想定した切り札だったのだろう。
土壇場ではあったが上手く噛み合った事に手応えを感じた様だ。
「そうか、成果が実感出来たのは良い事だ……後は彼に胸を借りるつもりで挑んで来い」
そう言われると、相槌を打つ事も無く池上が立ち上がる。
「まるで俺が藤咲に負ける様な言い方ッスね……俺ァ取りに行きますよ」
「わかった……すまんな、つい弱気になっちまってた。 勝ってこいコウ、昔の雪辱を晴らす為にな」
「オウ」
滾る闘志を胸に秘め……互いの視線が重なり合う。
そして今……最終ラウンドの幕が上がろうとしていた。




