~親よ、子よ~
都内郊外にあるとある刑務所……そこに一時的に収監されている獅堂の姿があった。
手を後ろに回し、何重にも硬いベルトで作られた拘束着で縛り上げ、口元も何も喋れぬ様に猿ぐつわの拘束具が装着されている。
その顎には荒々しい手術の跡が残り、彼を仕留めた勇の一撃の重さが伺える様だった。
獅堂が看守に連れられ、細い道をゆっくりと歩いていく。
その目的は未だ彼には知らされていない。
獅堂雄英移送計画……それは今収監されている刑務所から別の厳重な刑務所へと移すだけの計画である。
獅堂は今回の事件において日本の安全の根底を覆す行為を行ったとして、執行猶予無しの無期懲役が言い渡されていた。
当初彼が行った大量殺戮は死刑に値するという話もあったが、正式な人権の成立がされていなかった『あちら側』の人々を殺した罪は問えなかった。
その結果、彼が行った殺人件数は0件……少なくとも表向きでは彼は死刑を求刑される様な罪は起こしていなかったという事になる。
日本政府が尻込みしていた『あちら側』の人間の移民計画の遅延が結果的に彼の罪を軽くする手助けとなってしまったのだ。
その末に彼に言い渡された無期懲役……そして彼自身の拘束をより厳重にする為に移送する事に決定したというのが事の発端である。
勇が同伴の上で許された最初で最後の面会……それを行う為に獅堂は椅子に固定され、誰とも知れない相手がアクリル板越しの場所へやって来るのをじっと待っていた。
面会という事もあって顔からは既に拘束具が外されており、対話する事は可能になっていた。
だが、彼の首には遠隔操作用のスタンガンが仕込まれた首輪が嵌められたまま。
「なぁオイ、一体いつになったら相手来るんだよ? こっちはもう待ち草臥れたよ……」
壊れた顎を治す手術の影響か、獅堂が口籠った様な声を上げる。
相も変わらずの減らず口を叩く獅堂に、看守が表情も視線も変えず冷たい声で返した。
「いいから来るまで黙ってろ」
逆らう事無く「へいへい」と小言を呟きながら獅堂はただそこに座り続けた。
その顔は以前の自信のある顔付とは異なり、完全にやさぐれた表情を写す。
顔をしかめ、眉間は釣り上がり……細く開いた目がそんな雰囲気を醸し出していた。
ガシャン……ギィー……
するとアクリル板越しの面会人側の部屋に金属が擦れる音が響き、扉が開いた事を知らせる。
そして数人の足音だろうか、「コツコツ」と硬い靴の地面を叩く音が獅堂の耳に入り込んできた。
その時……アクリル板越しに見える狭い風景に現れたのは……彼の父親 獅堂誠一郎だった。
「なっ!?」
「久しぶりだな、雄英」
まさか自分の父親が来るとは思ってもみなかったのだろう……獅堂は驚きのあまり、目を細くしていた瞼を大きく見開かせた。
「なんでアンタがここに来るんだよ……そうか、最後通告って事かよ……ハハッ」
獅堂にはもはや自分の家に未練は無かった。
どうせ捨てるつもりだった……だから彼は『空蔵』を名乗ろうとしたのだ。
だからこそ……彼の父親が現れた事でその最後を実感した。
大きく見開いていた瞼が再びゆっくり降り始める。
これで解放される……『獅堂』という呪縛から……そう思ったのだ。
だが……次の瞬間、彼は瞼を先程以上に勢いよく見開かせていた。
目の前に映る光景が彼にとって最も信じられないモノだったから。
それは獅堂誠一郎の見せるその姿……正面の小さな机に手を突き、深々と机に額が付く寸前までにその頭を垂れる様。
思わず獅堂の口が大きく開き、顎が震える。
「……雄英、本当に済まなかった……私がお前を発起させようと放った言葉がお前にとってどれだけ苦だったのか……私には理解出来ていなかった」
「あ……」
獅堂の声が詰まる。
驚きの表情がまるで時が止まったかの様に固まっていた。
「私は財閥の長としてはしっかりやってきたつもりだった……だが父親としては最低だったのだろう……全てはお前を止める事が出来なかった私の責任だ」
頭を下げたまま獅堂にその思いを語る誠一郎……その情けないとも思える姿を前に獅堂の口が思わず開く。
「オ、オイオイ……おかしいだろ……なんでアンタが頭下げてるんだよ……獅堂グループの代表がなんで犯罪者に頭なんて下げてるんだよ!?」
獅堂は自分が犯罪者だと言い放つ……彼自身も自分がやった事がどういう事かは理解していた。
理解した上でその行動に移したのは、理念と勝算のあったからこそ。
その行動が勇達に止められるのは誤算であったが。
獅堂の雄叫びにも訴えにも似た怒号に、誠一郎はゆっくり頭を持ち上げ彼の目を見ながら言葉を返した。
「私とて企業人でもあれば頭も下げるさ……ましてや父親でればなおさらだ。 父親であろうとした私の不甲斐なさを許して貰えるのならば何度でも頭を下げよう」
「父さん……」
誠一郎を父と呼び、声を詰まらせた口元は震え……その声もどこか感情が乗りトーンが上がる。
「例え世間がお前を悪として拒絶しようと……私はいつまでも雄英の味方だ」
「うぅ……」
「次に会える時は……共に酒でも飲んで語り合おう、親子として……な?」
「……うん……」
その言葉を最後に獅堂の声は止まり……頭をだらりと下げ、体を小刻みに奮わせていた。
僅かにアクリル板を通してすすり泣く声が響く。
誠一郎の顔はいつの間にか淡く笑顔を作り、そんな獅堂の姿を暖かな眼差しで見つめていた。
獅堂雄英は既に成人して長い。
独り立ちをした後、大人として……人の上に立つ者として立派であろうとした彼のその姿は普通の人よりも気高く強く見えた。
しかしその心は……きっと愛情に飢えていたのだろう。
子供の頃から仕事の忙しい両親と綿密に付き合えず、それでも彼等に応える為に強くあろうとした彼は何者よりも子供のままだったのかもしれない。
「待っているからな……」
面会の時間が終わり、誠一郎が席を立つ。
それを見届ける事無く獅堂は俯いたまま彼が立ち去るのを待ち続けた。
まるで父親の声の余韻を噛み締める様に……彼の足跡を最後の最後まで余す事無く……聞き届けたのだった。