~U の せ 界~
―――なん……だ……? 体が……急に重く……―――
まるでそれは先程の光景が始まる前の状態。
身動きが出来ない訳じゃない。
先程とは違い、意識はハッキリしている。
けれど、とても重く……少しだけ動かそうにも動く間隔に体が付いてこない。
だが抵抗がある訳ではない。
浮いた様な感覚と、周囲が均等に引かれあう様な不思議な感覚……それが全てを不自由にする。
そして……今度は灰色の光が徐々に広がり始めた……。
ボツボツボツ……
この音はまるで……傘に落ちた大粒の雨の音。
パパパパッ……
否、これは雨そのものの音。
サァァァァァーーー……―――
周囲の光景がハッキリしていく。
そこはビルに囲まれた大通りの真ん中……。
雨が激しく降りしきり、肩を叩いて「パタタ」と音を鳴らす。
だが不思議と冷たさは感じない。
まるで雨自体が熱を持っているかの様に衝撃だけが体を通し、温もりすら感じる。
すると不意に彼の背後に違和感を感じた。
ゆっくりと振り向いていく……そこに見えるのは赤熱の炎の塊、そして轟々と遡っていく黒い煙……。
―――ああこれは……そうか、茶奈が……―――
あの時、雨なんて降ってはいなかった。
何故こうなっているのか、そんな事などわかる訳無い。
だがその炎を見た時、そして熱を感じた時……確かにそれに命力の迸りを感じたのだ。
ダッゾ族へ攻撃を仕掛ける事に成った二日目のあの日、茶奈が初めて魔剣を使った日。
初めてにも拘らず大きな火球を放ち、数百とも言えるダッゾ族達を丸焼きにした出来事。
その光景を見て、勇はそう直感した。
「ウッ……ウゥウ……」
だがその途端……うめき声の様な、喉の奥から持ち上がる声が聞こえた気がした。
炎に注視していた意識が周囲へ広がり始めると……炎を介した向こう側に微かに見えた光景。
そこに映った光景を前に……彼はその目を疑った。
膝を突き、雨に紛れた涙を流しながら大きく口を開けて唸り声を上げる統也の姿。
彼の足元に一人の人影の倒れる姿が見える。
その胸元は大きく赤いシミを作り、そこを通る雨が赤く染まった水流となって周囲に広がっていた。
「カハッ……エホッ……ウゥ……嫌だ……死に……たく……ない……」
「勇……ウゥァァ……」
「死にた、く……エホッ……母、さん……ヒュー……死に、たくないよぉ……」
その言葉を最後に……倒れた人影は動かなくなった。
ドクッ……ドクッ……!!
彼の心臓の鼓動が高鳴り、呼吸が荒くなっていく。
「ハァッ……ハァッ……」
それを見届けた瞬間……胸が締め付けられる様な痛みが走り、心臓を掴んで止めたいと思う程に己の胸を力強く掴み力を篭める。
|己の死|を見届けたのだ。
気が狂ってしまうのではないか……そう思える程に気が動転していた。
過呼吸が始まり「ヒュー、ヒュー」という上手く息を吸う事の出来ない掠れた音が口から洩れ出してくる。
涙とも雨とも思えない熱い感情が頬を伝い流れていくのを感じ取っていた。
大地を叩く雨の音だけがその場を支配する。
彼等の傍らには倒れた茶奈の姿も見える……あの時と同じ、命力の消耗からの気絶なのだろう。
雨曝しの中に倒れている彼女の体調を気遣う者は誰一人としていない。
すると……統也がおもむろに立ち上がり、彼へと向かってゆっくりと歩み始めていく。
顔は依然下に俯いているが……明らかに上目遣いで見つめているのが彼にはハッキリ見えた。
その顔に浮かぶ表情はまるで怒り……その瞳は睨み付けるかの如く鋭く……。
「何故だ……どうしてだァ!!」
歩み寄ってきた統也が突然、叫び声を上げて彼の服の胸倉を片手で掴み持ち上げてきた。
「どうして作戦通りに動いてくれなかったッ!? アンタがァ!!」
胸倉を掴む手には命力が籠り、彼の体が服に引っ張られて僅かに持ち上がる。
「ヴェイリィ!! 何故だァ!!」
「ヴェイリ……だと!? 何を言って……!?」
ヴェイリ、それはかつて……いや今この瞬間何も知らない勇を騙して囮にしようとした男の名前。
何故か自分をヴェイリと呼ぶ統也に戸惑い息を詰まらせる。
その様子から勘違いをしている様には見えない。
「落ち着け統也、俺はヴェイリじゃない!!」
「何を訳のわからない事を……そうやって誤魔化して誤魔化しきれる程俺達は馬鹿じゃねェ!!」
途端、統也のエブレを掴んだ右拳が弧を描いて襲い掛かる。
だがその瞬間……彼は左手に持つアラクラルフを手放し、襲い掛かる拳を掌で受け止めた。
ガララァァン!!
アラクラルフがアスファルトに落ち、けたたましい金属音を鳴り響かせる。
その直上では……二人の男の拳が互いに負けじと押し合っていた。
「アンタが言った事をちゃんと実行していれば勇は死ななかったんだ……アンタが殺したんだ!! アンタが勇を殺したんだーーッ!!」
右手に籠る命力が高まり力を上げていく。
抑えきれない程では無かったが……統也という男のポテンシャルを肌で感じ、勢いに押された彼の腕が徐々に圧されていく。
「ウゥ……!?」
「償わせてやるッ!! 俺がッ!! アンタにッ!!」
統也が鬼気迫る表情を浮かべ、力の限りに拳を押し込んでいく。
そして握られたエブレの刃が徐々に勇の顔へと接近していった。
グググッ……!!
「や……め……ろ……統也ァ!!」
「殺してやる!! ウォォォ!!」
―――これが統也の怒りなのか……こんな統也を……俺は知らない!!―――
統也はなまじ何でも出来てしまうから……怒る事など無かった。
大概はどんな苦境でも跳ね除けてしまうし、基本は大らかな人柄だから……。
怒ったとしても、冗談を言って終わってしまう様な人間だった。
だからこそ、初めて見る本気の怒りを前に……彼は戸惑いを隠せなかったのだ。




