ナナトくんの新たな課題
そうこう話しているうちに、壁に設置された透過壁越しにナナトが準備を終えたのが見えた。
魔防服は真っ白でできているため、外から見るとなんとも異様だ。さすがに何年も学園に通っていれば見慣れたが。
その格好で、ヘルメットは前が見辛いので小脇に抱え、魔方陣の束をペラペラと捲っていく。
『姉ちゃん。どれがどれだかわかんねぇ』
だろうな、とそこに居合わせた全員が頷いた。
『上から順番で良い? ってか、詠唱いる?』
「詠唱呪文も魔方陣に書き込んでおいたから要らないわ。魔方陣の中央に魔力を当てれば発動するように描いておいたから。攻撃魔法は対象に向けるのよ。それと、上から順番にするなら3枚目の魔方陣を最初に使いなさい。風の陣だから。部屋を保護できるわ」
指示されて、ナナトが3位目を抜き取っているのを見ながら、それと、ともうひとつ注意事項を追加する。
「上から順番なら一番上は一番最後ね」
『ん? 何で?』
「いきなり竜の咆哮ぶっ放したい?」
『こっわ! いきなり何描いてんの、姉ちゃん!!』
それは、元素魔法で最も威力の強い炎と雷と風の合わせ技の名称で、戦略級魔術と恐れられ国内では教育機関や研究機関にある魔防室を除いて使用が禁止されている魔術の名称だ。
逆に見てみたいと隣室側のメンバーは面白がっているのだが、省力性能だけ分かっている陽魔法の威力は未知数の状態でいきなりの大技は何が起きるか予測もつかない。簡単なものから徐々にね、とアカルに宥められている。
強力な魔術になると魔方陣と呪文は完璧なものが用意出来ても魔力不足で発動できないことも増えてくる。
ナナトの魔力もこれまた本人の学力不足から一度も全力を出したことがないので、発動するかしないか含めて一切不明だった。
とにかく、一番最初は昨日も発動した風の陣だ。取り出した魔方陣を部屋中央の床に置き、他の魔方陣が描かれた紙の束を懐にしまう。
そうして、床の魔方陣に手を当てた。
『……っ、ハッ!』
どれだけ気合いを溜めたのか、蝋燭1つ分で昨日の威力だったのに盛大に力を籠めて魔力を放つ。
途端、実験室内に一瞬強風が吹き荒れた後、部屋の壁に添って10センチ程の風の幕が張り尽くされた。明らかに昨日よりも精度が上がっている。籠めた魔力の分なのか、用意した魔方陣が違うのか。
うんうん、とアカルが満足げなので後者の可能性は高い。
「つか、力入れすぎじゃね? 後何枚練習する気だ」
「ほんっと、ナナトくん加減知らずだねー」
「姉よ。どーよ、あんな弟」
「まぁ、良いんじゃないかしら。今まで底が抜けるまで魔力を使ったことがないんだもの。これから加減も覚えるわよ」
「はあ? マジか! 俺なんか授業で全魔力使い切っちまうぞ」
「……姉笑えねぇな、お前」
「笑ったこたぁねぇ!」
『俺の姉ちゃんを姉呼ばわりすんじゃねぇ!!』
隣室で好き勝手に展開されるおしゃべりに、術後落ち着いたらしいナナトの怒鳴り声が飛ぶ。
この中で姉といえばアカルのみであるだけに、本人すら別に構わないという態度だが。むしろ家名まで付けて呼ばれていた今までの方が長くて鬱陶しい。拘りがあるのはシスコンな弟だけだ。
「風の陣以外は全部攻撃系の元素魔法だから、魔力は加減なさいね」
『おー。じゃあ上から順番なー』
ヘルメットをかぶり直し、懐から1枚魔方陣を引っ張り出す。
足元に放置されたままの風の陣の魔方陣が描かれた紙は、なんの原理からか書き付けたインクはごく一般的なものだったはずにも関わらず白紙に戻っていた。
これでは疑いようもなく1度きりの使い捨てだ。
で、あの魔方陣は何だ、と隣に立つミツシに問われて、アカルが振り返る。
「ちゃんと上から2番目なら、氷の矢よ」
「あぁ、初っ端からナナトの苦手な初級魔術か。詠唱呪文書き込む手間といい、ナナト向け特化だな」
「ナナトにしか使えないのだもの、機会は有効活用しなくちゃ」
初級魔術とはいえ、氷を使った魔術は2つの元素を組み合わせて発動する分力任せには使えない。元素単体なら中級魔術でも軽々発動するナナトは、小手先の器用さが求められる術は軒並み不得手なのだ。
一方、魔方陣に詠唱呪文まで書き込んでしまえばあとは魔力と方向付けだけで良い原則に則ってアカルが描きあげる魔方陣は、描き手本人が発動できないため理論上使えると言われているものでしかない実証のないものなのだが、その割には完璧にできている。
まさしく力を合わせれば2倍どころか2乗の威力を発揮する双子である。
初級魔術といえども通常より威力が増すことは既に分かっている状況で初めての攻撃系魔術ということで、見守るオーディエンス側もハラハラしたムードが押さえきれていない。普通初挑戦する相手にかける応援といえば、思いきって行け、という類いだが。
「慎重にやれよ、ナナト!」
「力は押さえ目にな!」
何が起こるか分からない不安は全員共通だった。
さて、流石のナナトも魔術を発動する時は真剣に向き合う姿勢を見せる。無駄に多い魔力を持て余しているナナトにとって、魔術の行使は暴発の危険と隣あわせだからだ。
そのため、初級魔術といわれていても、その魔方陣がこの世で誰よりも信用している双子の姉の作だという安心感があっても、決して手は抜かない。
目の前にかざした魔方陣保護紙に手のひらを当て、四方を囲む壁のうち扉も透過壁もない方に描かれた的に向かい合う。
『うりゃ』
気の抜ける掛け声ながら、発動するタイミングに詠唱破棄にしろ何かしら掛け声を使うのは術者としては当たり前なのでどこからも指摘は入らない。
ただし、その発動される魔術の出来は注目の的である。
ナナトの声に促されて魔方陣を中心にして室内空中に無数に現れた氷の礫が、一瞬の後四方八方に飛び散っていく。
アカルが用意していた氷の矢という魔術は、通常は1本の矢の形状に作られた氷の棒が指示された標的に向かって飛んでいくものだ。
ナナトの発動した魔術では矢とは呼べない。
発動したナナトも驚いたようで、壁に当たって跳ね返ってくるいくつもの氷の礫に反撃されて身を縮めた。ヘルメットに当たるコツコツとした音も数が多いせいで雹でも降ってきたかのようだ。
『な、なんでぇ!?』
「いやいや、そりゃ俺らが聞きたいわ」
自分で発動した魔術に襲われながらナナトが悲鳴を上げるのに、ミツシが仲間たちを代表して突っ込む。
跳ね返っている分威力は軽減されていて見るからに身の危険はないものだから、どちらものんびりしたものだ。
ついで、ミツシが解説を求めてアカルを見下ろすと、アカルの方も不思議そうに首を傾げていた。
「おかしいわねぇ。ちゃんと水を冷やして凍らせた細長い棒を作って正面を貫くようにって指定したんだけど」
その発言は、魔方陣の構造を分かっていて描いているという大前提が匂わされている。普通の魔術師にとって魔方陣とは既存のものを丸暗記してコピーするものなので、記述の内容など理解出来なくて当たり前なのだが。
それは抜きにしても、魔方陣に描き損じでもない限り間違いなく氷の矢を発射するための魔方陣であることは間違いない。
「標的はちゃんと意識した?」
『もっちろん! 当たれーって!』
「どこに」
『……ん? あれ?』
思い返して、じっと手元を見つめて、ナナトが改めて首を傾げる。
『えーと。……コレ?』
指差したのは、白紙に戻った手元の魔方陣保護紙。
隣室の仲間たちが全員で一様に脱力したのは言うまでもない。
「このノーコン!」
『だ、だってー!!』
泣きそうな情けない声をあげるナナトに、こればかりは誰一人同情を向けなかった。
ともかく、練習あるのみ、である。