結局ふたりでひとり分
学園は集合座学を行う教室棟と各学科に則して建てられた学科専用の実習棟が合わせて3棟用意されている。
学科生は自らが所属する学科の実習室は自由に利用できるが、他学科の実習棟を利用するにはその学科長に申請する必要があり、手続きが大変面倒臭い。
特進科だけは学科専用棟がないためどこでも自由に利用できる特権があるが、だいたいは己の希望進路に則した棟に絞って出入りするため交遊関係が自然と出来上がる。特進科で常にひとりぼっちなのは、16学年では図書館に入り浸っているアカルくらいのものだ。
そんなわけで、出来上がったばかりの魔道具を試験するために移動した先は技師科実習棟強化戦闘魔道具優先実験室である。
一応ナナト自身が実験はしているが、如何せんナナトの魔術知識は地を這っていて、一応思い通りに動きそう、というレベルの試験しか出来ていない。これをアカルが使った場合、人間単位で分散している学力と魔力が融合するわけで、発生する魔術の規模は未知数なのだ。それゆえ、技師科でも最も強力魔術に対応できるよう設備を施された実験室を用意したわけだった。
プレゼントだという魔道具の仕組みは、開発したグループメンバーがよってたかって実験室への道すがら教えてくれた。
皆技師のたまごだけに創作物への愛着心が強い。学問もこのくらい熱心に取り組めば良いのにとアカルなどは思うのだが、なかなか上手くいかないものだ。
万年筆の仕組みはこうだ。
まずは取って付けたような羽の間に隠された充魔石、魔力を外部から取り込み貯めておくことのできるごく一般的な魔石だが、これにナナトの魔力を貯めておく。
普通魔力は一晩眠れば全回復するくらいのスピードでゆっくりと自然に回復するものなので、夜寝る前に充填しておくのが効率的かつナナトの負担減だろう。
貯めた魔力は使わなくても1年ほどで自然に魔石から抜けてしまうところは要注意だ。どの充魔石も同じ性質なのでこの世に生きる人間は誰でも知っている制約だが、それはともかく。
そうして魔力を貯めた状態で紙に魔方陣を描くと、魔力をしっかり含んだ魔方陣が出来上がる。あとはこれを発動させれば魔術が使える、という仕組みだ。
「……発動させるには魔方陣に籠めた魔力がいるけど?」
「あ……」
アカルに指摘されて、全員がその場に立ち止まった。
魔術の行使は、魔方陣を描き呪文を詠唱して必要な魔力を叩き込む、という手順で行われる。言葉で言うのは簡単だが、細かく言うならば魔方陣を描くにも呪文を詠唱するにも魔力が必要だ。詠唱呪文を省略しても発動するのは力任せのナナトが普段から証明しているが、発動の際に魔力を叩き込む必要があるのは変わらない。
あらかじめ魔方陣を用意しておいて後日発動するという使い方も昔から行われているが、この時魔方陣に籠められた魔力と呪文を唱えて術を発動する時に使われる魔力は同一人物のものであることが望ましいとわかっている。魔力の相性によってはピクリとも反応しない場合もあり、そうでなくても大幅に威力が減退するのだ。
そのため、街中で専門の商人により売り出されている生活魔法の魔方陣は豆粒ほどの充魔石がセット売りされており、魔方陣を描いた誰かの魔力が籠められている。この充魔石は使用後同じ商人に回収され再利用されている。
「あー、発動側の魔力は考えて無かったな。充魔石の杖でも作るか?」
この集まったグループで知恵を寄せあって作り上げた万年筆だけに、発動についても全員が同じように考え込んだ。寄り集まったところで技術者としては有能でも知識レベルは似たりよったりの彼らがいくら集まっても文殊の知恵にはなかなか足りないのだが。
「発動の問題はまた考えるとして、今日は万年筆のテストしようぜ」
「だから、どうやって発動するんだよ」
「ナナトの魔力で魔方陣描くんだからナナトが魔力叩き込めば良いんだろ?」
そっかぁ、そうだよなぁ、ということで、ナナトはアカルと一緒に実験室へ押し込まれることになった。
実験室は暴発の恐れを考慮した安全設計になっている。完全防備の実験室と実験室内をモニターできる隣室の2部屋構造で、実験室入室者は魔防服とフルフェイスヘルメット着用の義務がある。
実験室と隣室間は通信機によって意思疏通が可能だ。これも昔から活用されている魔道具である。
不器用なアカルが魔防服の中でモゴモゴしているのをナナトが助けてやるという普段の双子の一幕を普段通りにこなし、改めて実験開始だ。
まずは託された紙の束から1枚捲り、アカルが万年筆で魔方陣を描く。
学力ランク1位を取得するには美しい魔方陣のフリーハンド筆記は必須要件で、本人は発動できないものなのにその陣の美しさはそのまま教科書になるレベルだ。
落ちこぼれと蔑まれていてもその真円の美しさは学内の誰もが認めるところである。
書き込まれる呪文の文字のかたちも判で捺したように完璧で、こんな美しい魔方陣ならば行使される術もきっとその力を最大限に発揮するだろうと誰もが夢想するレベル。
残念ながらこれまで彼女が描いた魔方陣が発動したことは一度もないが。
「ホント、あれが発動しないとか勿体ねぇよなぁ」
「まぁ、だからナナトの悪足掻きに乗ったんだけどよ」
「あんな美しい魔方陣が発動するところを一度で良いから見てみたかった」
「今から見れるけどな」
アカルがペンを走らせている間、同じように落ちこぼれの彼らは滅多に目にすることがないお手本のような魔方陣が描かれていく様を隣室で食い入るように見つめている。
野暮ったい服装や髪型も特に目を引くでもない平凡な容姿も、今は彼らの目には映っていない。見えるのはただただ優雅に動くその手先と、彼らの乏しいながら振り絞った知恵の結晶だ。
「で、まずは何描いたんだ?」
「風の陣よ」
それは、指定した範囲を強風の幕で覆う防護用の魔術で初歩の初歩だ。ここに居並ぶ彼らが、アカルを除いて、全員行使できる。何かを攻撃するものでもないので危険性は少ないものだった。
真円に魔術が起こすべき現象の内容と有効範囲を記入するのが魔方陣共通の記述法で、より強力になればなるほど魔方陣は複雑化し、描ききれない場合はサイズも大きくなる。これは魔術の原理のようなもので基本は不変だ。
アカルの知識レベルに照らすと例外もたくさんあるが、ここでその情報は必要ない。
同じ魔方陣を2枚分用意し、アカルは片方をナナトに手渡した。
「試しに私の魔力で発動してみるわ」
せっかくプレゼントでもらったのだから、自分自身で使ってみたかったのだろう。
頷いてナナトが見守る中、床にそのまま座り込んだアカルが紙を目の前に置いて魔方陣に手を翳す。
何度も確認するようだが、アカルが持つ魔力は最低ランクだ。よく生きていられるなと感心されるほど弱い。生存を危ぶまれるのは、誰もが多少の差こそあれ保有している魔力が生き物の生命力に直結していると考えられているためだ。
アカルの魔力の無さは、例示するなら、誰でも小さな円を空中に描いて指差しするだけでできる蝋燭の火付け1本分で、1日で蓄えた魔力が枯渇するほど。
その少ない魔力で果たして魔方陣発動が可能なのか。
『空を統べたる悠久なる風よ。我を取り巻きあらゆる支障を退けよ』
誰でも使える初歩魔術だけに、その呪文を省略せずに唱えるのは覚えたての子どもくらいだ。おかげでそれを聞いた全員が懐かしそうな顔をする。
実験室内はほぼ無反応だった。辛うじてアカルのお下げ髪がふわりと一瞬浮き上がったため、風を呼ぶことには成功したようだという程度。
それに気付いてアカルが少し慌ててお下げ髪をヘルメットに押し込んだ。失敗したらこの長い髪がおかっぱ頭になってしまう。
「やっぱり発動側の魔力も必須なんだな」
「実証できたわね。さ、ナナトの番よ」
促されて、立ったまま受け取っていた紙を胸の前で両手に挟む。
ぐいっと力を入れたその途端、実験室内は暴風が吹き荒れた。
中央に無傷でそのまま周りを見守る双子の姿。身を守る魔術なのだから、守られる側が無傷なのは当然で。
「ほとんど力込めてねぇぞ、俺」
「どのくらい?」
「蝋燭つけるくらい」
それはつまり、アカルの全力かつ一般的魔力の最低限で。ナナトの省力化に大貢献だ。
「つまり、むしろナナトの魔力ランク上げるだけって結果?」
「何やってもとことんふたりセットだなぁ、この双子」
示された結論に呆れ全開の友人一同であった。