第62話 ディアボロスの想い
アルバルクス王国の王都フェリク。
人々と魔王姫軍との戦闘は一時中断されて、みんなはユーシアとディアボロスの戦いの行方を見守っていた。
ユーシアが塔の屋根を蹴って、ひらりと飛んだ。
高い青空を黒マントをはためかせて横切ると、王都北側の門の外に着地した。
目の前には蛇の体を半分さらすディアボロス。
強者の笑みを浮かべながら彼女を見る。
「貴様、我輩の部下たちにずいぶんと丁寧な挨拶をしてくれたようだな?」
ディアボロスが顎をはずしそうなほどに大口を開けて叫ぶ。
「ば、ばかな! なぜお前がここに! 封印したはずだ! それにお前はもう……」
「封印? 我輩ほどの存在が同じ手を喰らうとでも思っていたのか? 対策を取っていたに決まっているだろう」
「そんなはずはっ! 新しく作り上げた魔法ですよ!」
「しょせんは元からあるものを改変したにすぎん。貴様らの使う異次元封印はネズミの奴で体感済みだしな! すべては我輩の想定内だ」
「たった一度、異空間に閉じ込めただけで魔法の原理を見抜いたというのですかっ!」
「ふふん、その通り。我輩の才能が自分でも恐ろしいわ、くくくっ――ちなみに種明かしをしてやると、異空間から戻ってくるための基点となるポータルをすでに作ってあっただけだがな」
「ぽ、ポータル!?」
「ほれ、あそこの欄干に」
ユーシアは城を振り返って指さした。
王の部屋のバルコニーにある欄干の飾りが、黒く光っていた。
「い、いつの間に!」
「あの城に入ってその日の内にな」
「そんなに前から……!」
取り乱すディアボロスへユーシアは光る犬歯を見せつけるように笑う。
「さぁて。貴様も魔王姫軍四天王だったか。今までの奴らと違って、少しは楽しませてくれるのだろうな?」
ザッと土を踏みつけて大胆に一歩前に出る。
ディアボロスは汗を流しながら叫んだ。
「こ、この人質が見えないのですか! それ以上近づくとこのエルフの命はありませんよ」
シルウェスを掴む右腕を、ずいっと前に出す。
ユーシアは眉間にしわを寄せた。
「弱っているな――その腕は力を吸い取るのか。なかなか厄介だな」
「ええ、わたくしを返してくれるならあとで送り届けてあげましょう」
ディアボロスが虚勢を張って答えた。
ユーシアは顔色一つ変えずに内心、鼻で笑う。
――ふんっ。厄介なのは、異形の神の眷属としての力。
脱皮で逃げられたり、ステルス能力で姿を隠されると面倒だ。
そこで彼は悪そうな笑みを浮かべて言った。
「殺したければ殺すがよかろう。エルフの代わりなどいくらでもいるからな。――というか、直属の部下でありながら、なんたる醜態だ」
「も、申し訳ありません、ユーシアさま」
蛇の腕に絡まれたシルウェスが喘ぎながら答えた。
「シルウェスよ。我輩のために死ぬ覚悟はできておるか?」
「……はい、ユーシアさま。お役に立てず、申し訳ありません……」
ユーシアはぐっと拳を握りしめる。
「ふふんっ。最後の最後でいい心がけだな。――では、ゆくぞ!」
地面を蹴って平原を走り出す。後ろには土煙が巻き起こる。
ディアボロスは右手を前に出しつつうろたえる。
「ま、待て――――くそっ! こいつだけでもっ!」
獣の顔が大口を開けてシルウェスの美しい顔にかぶりつく――。
が、ユーシアはニヤリと笑う。
「判断ミスだ、ディアボロス!」
「なに!」
「いでよ、シルウェス!」
パチンッ!
ユーシアの指が鳴った。
獣の顔がシルウェスをかじる瞬間、ユーシアの横に転移する。
ドサッとお尻から地面に落ちた。
「あっ! ――さすが、ユーシアさまっ!」
すらりとした太股の付け根、白いパンツを盛大に見せながらシルウェスは感嘆の声を上げた。
契約を交わした直属の部下はいつでも手元に呼び寄せられる。
死ぬ覚悟うんぬんは、ただの茶番。
――当然、ディアボロスに隙を作るため!
シルウェスを失った獣の牙は空を切る。
「しまった――っ」
すでにユーシアはディアボロスの目の前にいた。
隙だらけのディアボロス。彫像のように整った顔が恐怖でゆがむ。
「人質すらも相手を出し抜く餌にする、さすが我輩、恐ろしい! ――ふははははッ! くらえ――!」
黒いオーラに包まれた右手が、ディアボロスの顔面をぶちぬく。
ドゴォォォ――ッ!
「ぐびゃぁ!」
ディアボロスの顔が吹き飛び、体が反動で宙を舞った。
しかしユーシアは止まらない。
一瞬姿が消えたかと思うと、ディアボロスの背後に現れる。
「まだまだ――ッ!」
ドゴォ――ッ!
黒いオーラをまとった右腕が、背中を殴りつけた。
「かは……っ。こんな、ところで……」
ディアボロスは口から血を吐きながら、息も絶え絶えに呟いた。
重い音を立てて地面に倒れ込む。断末魔のようにピクピクと痙攣していた。
ユーシアは拳を握って指をぽきぽきと鳴らした。
眉を潜めて見下ろす。
「どうした? もう終わりか? 命乞いしたら助けてやってもよいがな?」
急にディアボロスは恨みのこもった眼でユーシアを見上げる。
「……もう終わりですよ……。命が助かったところで……なんになりますか――殺しなさい」
そう言うとディアボロスは蛇体を仰向けに横たえた。
「ほう。いい心がけだな。たとえみじめにでも命乞いすれば、再度挑戦する可能性は生まれるのだがな」
「意味がないのですよ……彼女の――エメルディアさまの信頼を失っては、なにもかも」
「子供を傀儡にして、思う存分権力を振るった者の言葉とは思えんな」
「……あなたになにがわかるって言うんです……わたくしは偉大なのですよ?」
息も絶え絶えにディアボロスは呟く。しかし声には怒りが満ちていた。
「ほう? 違うというのか? 裏でこそこそ動くことしかできない、姑息な蛇女が。バカな小娘のお守りをして一生を終えるのがそんなに誇らしいというのか」
ディアボロスは体を起こした。血塗れの口から砕けた歯を飛ばしつつ怒鳴る。
「当然ですよ! わたくしはねぇ、純愛に身を捧げたのですよ! 愛しいエメルディア様の心を我がものとするべく、ありとあらゆる手段を使って、わたくしなしでは生きられない状況にしたのです! ――それを、それをあなたは無惨に砕いた! 許されざる悪行です!」
腕を組んで見下ろしていたユーシアが、右眉だけ器用に上げた。
「ありとあらゆる……? なにをやった? まさかエメルディアに魔法をかけたり、改造して従えたのか?」
ディアボロスは崩れた口から舌を出した。蛇のように先が二股に分かれている。
「きひひ……バカなことを言わないでください。人形に愛されてなにが楽しいのですか! あの可愛い姫様が涙を流して本心からわたくしを頼る瞬間が、何者にも勝る絶頂の瞬間なんですよ! 無粋なあなたにはわからないでしょうがねぇ!」
ユーシアは眉間に深いしわを寄せつつ、ウジ虫を見るような目つきで見下ろした。
「ほう……。ということは、彼女の頼れる存在はすべて貴様が排除したというわけだな? ――あやつは魔王の娘と言っていた。つまり――」
「ええ、そうですよ! 勇者たちが魔王を倒す手引きをしたのは、このわたくしです! どうです、純愛でしょう! きはははは!」
ディアボロスが狂った笑みを浮かべて叫んだ。
ユーシアは吐き捨てるように言う。
「くだらんな。自分の欲望のために小娘の心をもてあそんだだけだ。貴様はエメルディアのためになることなど、何一つしていない」
「欲望? バカを言わないでください。純愛だと言ったでしょう! どれほどの愛を密かに注ぎ続けていたか、あなたにはわからないのです!」
「正面切って欲しいものを奪うことすらせず、裏でこそこそと動いたことが純愛? ただの独善だ」
「いいえ、純愛は心の内に秘められていることが一番美しいのです! この世で最も美しい百合の関係を築くために、性転換までしたんですからねぇっ! ――ああ、エメルディアさま! もっと、もっと頼りにして欲しかった――ッ!」
はぁ~、とユーシアは長いため息を吐いた。
そしてぐっと拳を握りしめる。
「小娘を騙すことに腐心して魔王を目指さなかった貴様になぞ、生きる資格はないわ! しかも元は男だと? 腐りきっておるわ! ――さっき、命乞いをすれば許してやると言ったな? あれは嘘だ。心の心まで腐りきったお前など死んで悔い改めるがよい!」
ユーシアは左足を大きく踏み込みながら、右手を掲げた。黒い光が急速に集まる。
「くぅっ! ――エメルディアさまぁぁぁ! もっと愛を~!」
「死ねぇっ! ――暴帝黒闇波!」
横たわるディアボロスに黒く輝く右の拳を振り降ろした。
――ドゴォォォッ!
「うぎぁぁぁ! ――わたくしの、エメルディアさま……百合こそが至高……」
黒い光に包まれた右手はディアボロスの上半身を消し飛ばした。
その上、魔力の奔流は止まらず、後方に待機していた炎巨人の群れまで巻き込んだ。
「ぎゃああ!」「腕が、俺の腕が!」「うわぁぁ! 族長が消し飛んだぁ!」
一瞬にして炎巨人たちが半壊する。
しばらくして平原に漂う土煙が消えた。
大きなクレーターの中に、ユーシアが立っている。
一仕事終えた彼は首を回した。それから指を鳴らして部下を呼ぶ。
「いでよ、リスティア!」
ぼふっ、と白い煙とともに、翼のない黒いドラゴンが傍に現れる。
彼女は真ん丸な目でユーシアを見上げた。
「すごいです、ユーシアさま! あんなに強かったディアボロスを一撃でやっつけちゃった! しかもシルウェスさんを使って隙を作るなんて! さすがユーシアさまですっ!」
「それよりもアンナを探してこい」
「ふぇ? ――は、はい! すぐに~!」
リスティアが王都に向かって四本の足で警戒に駆けていった。
入れ替わりにゲバルトがやって来る。背中にはシルウェスを背負っていた。
「お見事というほかない、さすがユーシアさま」
「ふん、当然だ。――それよりリスティアがアンナを連れてきたら、すぐに向かうぞ」
「いったいどこへ?」
ユーシアは犬歯を白く光らせて、悪い笑みを浮かべた。
「魔王姫城だ。フハハハハッ!」
「ええ!?」「場所がわかったのですか!?」
ゲバルトとシルウェスが驚くが、ユーシアはなぜか青空の一点を見つめつつ高笑いを続けた。
◇ ◇ ◇
一方そのころ。
魔王姫城の地下にある広い人形工場にて。
作業台に座るユーシアはふんぞり返ってスクリーンの映像を眺めていた。
当然、画面の中ではもう一人のユーシアがカメラ目線で高笑いをしている。
「ふふん……この男、なかなか男気と力に優れた美男子ではないか! 好印象だぞ! ふははははっ」
傍に立ち尽くす雷巨人ヤルンストラが口ごもりながら言う。
「あ、あの……ユーシアさま。ご自分ですわ……」
「わかっておるわ! 自画自賛を軽いユーモアで包んだだけだ! ――それにだな、まずは自分が自分を褒めてやらなくて、この世の誰が褒めようと考えるのか! しかも、これほどのことをやり切っておきながら謙遜すれば、ただの嫌味にしかならんわ!」
「た、確かに……そこまでお考えをお持ちでしたとは、申し訳ございません」
ヤルンストラは詫びるように深く頭を下げた。
作業台近くの床には、魔王姫エメルディアがお尻をぺたんとつけて座り込んでいた。
目をまん丸に見開いて、呆然とスクリーンを見続けている。
「あ……あ……ディア……お父さま……男……そんな……」
ユーシアが彼女に気付いて、作業台から傲然と見下ろす。
「さあ、小娘。一番信頼していた部下に裏切られていたが、今の気持ちはどうだ?」
「う……うぐ……! お前が……お前さえいなければ――っ!」
エメルディアは幼い顔を涙でぐしゃぐしゃにして立ち上がる。
小さな拳を握りしめていた。
「ふん。我輩と戦うと言うのか? ――残念だが、盗人の貴様には我輩と戦って死ぬという名誉すらやらん!」
「くぅ――! どこまで――ッ! どこまでわらわを愚弄する気なのじゃあぁぁぁっ!」
エメルディアが小さな体を折り曲げて精いっぱい叫んだ。
その瞬間、彼女の体から光が放射状に放たれて、広い工場を満たした。
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