第53話 勝利の宴
星空の夜。
獣人国ベスティエの王都では、かがり火が街路のあちこちに焚かれていた。
灯りが照らし出すのは大きな酒樽と酔った獣人たち。
中でも一際騒がしい声が聞こえてくるのは議会用の天幕。
サーカスができそうなほどの大きさがある。
天幕内では盛大な宴会が開かれていた。
飲んで騒ぎ、踊って騒ぎ、笑顔が絶えない。
みんな魔王姫軍の支配から逃れられて喜んでいる。
「もうだめかと思ったぜ!」「なんて強いんだ、ユーシアさまは!」「抱かれたい……」
裸獣人が自分の体を抱きしめてもだえていた。
ユーシアは天幕の端、積み上げられたクッションの上で堂々と座っている。側にはスタイルのよい象の娘が大きな団扇を仰いでいた。
ユーシアの近くにはアンナやゲバルトがいた。
各部族の代表たちも半円を描くように座っている。
みな絨毯の上に座り、笑顔で酒をあおる。
円座の中央では薄絹だけをまとった半裸の豹獣人の女が艶めかしい動きで踊っていた。
族長たちが次々にユーシアの傍へ来ては酒を注ぐ。
「このたびは感服いたしました」「凶悪な魔獣人形をすべて倒してしまわれるなんて」「さすがでございます」
ユーシアは胡坐をかいたまま、鷹揚に酒を受ける。
「うむ。我輩にかなう敵など存在しないのだからな。フハハハハッ!」
「「「はは~!」」」
高らかに笑うユーシアに対して、獣人たちがひれ伏して答えた。
もともと、強い者に従う側面が強かった獣人たちは、完全にユーシアのしもべとなっていた。
人が途切れた頃、ユーシアは狼獣人ゲバルトに話しかける。
「そう言えば。街のはずれに城があったが、あちらは普段何に使っている?」
「昔は獣人を統一した王が住んでいましたが、魔王姫軍に接収されて以降、防御陣地兼役所として使われていました」
「そうか。ならば我輩の居城の一つとしよう。あとで我輩たちだけが行き来できるゲートを設置しておこう」
「ははっ! よい部屋を見繕っておきます!」
――と。
ふいにユーシアが真剣な顔で天幕の壁を睨んだ。
横にいて肉に食らいついていたリスティアが首をかしげる。
「どうされました、ユーシアさま?」
問われても眉を寄せて睨み続けるばかり。
まるで外を見通すかのように。
「誰か、いるな」
ゲバルトがひざまづいたまま素早く近寄る。犬のような忠誠心が動きに現れていた。
「ユーシアさま、俺が偵察を……」
「いや、よい。我輩で対処できる」
「ははっ。何かあれば、すぐにお呼びを」
「うむ」
ユーシアは軽くうなずいて立ち上がった。
◇ ◇ ◇
満天の星の下、町のあちこちに立てられた篝火が夜空を焦がしている。
外に出たユーシアは天幕入り口脇の暗闇を睨みつける。
「我輩の様子をうかがうとは不届きな奴だ。出てこい」
すると、陰の中から篝火の下へと進み出てきた。
ぼろぼろの服を着た少女。貧しい様子に見える。しかし、頭にはねじれた角があった。
ユーシアは目を細めつつ尋ねる。
「何者だ?」
少女はひざを突いて彼を見る。
「ま、魔王ユーシアさまですか……?」
「ふんっ。この高貴かつ冷酷な我輩をみて、ほかの何に見えると言うのか! 頭が高いわ!」
少女は、はっと息を飲んで、頭をこすりつけるように土下座した。水色の髪が音を立てて広がる。
「ごめんなさい! わた、わた、私は雷巨人トールの娘、ヤルンストラと申します。どうか、どうか父を、一族をお助けください!」
必死の哀願にも関わらず、ユーシアは冷めた視線で見下ろしていた。
「ふんっ、下らん。自分の力で解決しようとせず、他者を頼るとは。雷巨人の血を引くものとは思えぬ」
ヤルンストラはうつむいたまま、ぐぐっと歯をかみしめた。
「その通りです。ですが、私ではどうしたらいいか、もう……」
「ほう。なにがあった?」
彼女は顔を上げると泣きそうな声で訴える。
「我々の一族は魔王ユーシア抹殺の生け贄に選ばれました。巨人族の王プロトンの命令でもあるため、逆らえません」
「なに!? プロトンだと? 炎巨人だろう?」
「はい、その通りです」
「生きていたのか? ――いや、でも我輩の呼びかけには答えなかった……別人か」
「えっと……プロトンは由緒ある名前だと伝わっています。巨人族の王は炎巨人の中から選ばれます。そして歴代の王がプロトンの名を継承していくのです」
ユーシアは苦々しげに顔をゆがめた。
「ふんっ。真の意味は失われ、形骸化した名前だけが伝わったのか……時の流れはなにもかも失わせる」
「形骸化とは、いったい……?」
「我輩直属の部下として巨人族をまとめさせていた。ただそれだけのことだ」
「そうだったのですか……」
ユーシアはニヤリと鋭い犬歯を見せて笑う。
「忘れたと言えば貴様等も同じだがな」
「え?」
「雷巨人族は我輩に従わず、徹底的に敵対した。お前たちは光の神と火の神が生み出した生き物であるからな……。さあどうする? それでも我輩に頼るか?」
ユーシアの挑発的な言い方に、息を飲むヤルンストラだった。
しかし彼女はもう一度勢いよく頭を地面にこすりつけた。
「どうかお願いします! 一族を救ってください! もう頼れるのはユーシアさまだけなのです!」
そんな彼女をユーシアは嗜虐的な笑みを浮かべて見下ろす。
「だが断る!」
「そ、そんなぁ!」
「我輩が得することなの何一つない! それとも何か取引に値するものでもあるというのか?」
ヤルンストラは震える声で言った。
「我が一族はすべてユーシアさまの下に……女たちも好きなようになさっても……」
ふんっ、とユーシアは侮蔑的に鼻で笑った。
「ますます下らん! そんなもの、世界征服した後ならいくらでも好きにできるわ! 今、我輩が欲するものはただ一つ! 強い力あるのみ! 貴様に力を振るう覚悟があるというのか!」
ヤルンストラは土下座の姿勢のまま顔だけ上げる。水色の瞳に決意が光る。
「あります!」
ユーシアは不敵に笑うと右手を前に出す。
「ならば見せてみよ。かかってこい!」
「いざ! ごめんなさい!」
バチバチッと彼女の頭にある2本の角の間に火花が散る。
次の瞬間、体の輪郭がぼやけるとともに雷光が走った。
ガツ――ッ!
ヤルンストラの拳がユーシアのマントを揺らした。
途中の動きが全く見えない、瞬間移動したかのような早さ。
しかし彼女の端正な顔が、徐々に驚愕に変わっていく。
「ま、まさか……っ!」
「なるほどな。すでに体を雷に変化させられるのか。昔は我輩も苦戦したものだ」
ばさっと黒マントを翻すと、その下では彼女の拳を左手で掴んでいた。
「う、嘘でしょ!? 光の早さの攻撃を受け止めるなんて!」
「簡単なことだ。光より早く動けばよい」
「そ、そんな――! 大自然の摂理すら変えてしまうなんてっ!」
「ふんっ。神の作り出した法則など、我輩の前には児戯同然! 好きなように書き換えてくれるわ! フハハハハッ!」
胸を反らして高笑いする。
ヤルンストラはがっくりとひざを突いた。
「か、勝てない……これが噂の、真の魔王さま……」
「あきらめるのが早いな、小娘。――だが、神々どもが作り出した一族を従えるというのは悪くない。あ奴らの泡吹く顔が目に浮かぶわ! ちなみに生け贄にされるのは貴様等だけなのか?」
「はい。なぜか雷巨人族は巨人族の中でも不遇な待遇を受けておりました……今、理由がわかった気がします」
ユーシアは睨みつつ眉間にしわを寄せた。
「それならば、刃向かえばよいではないか。もしくは全員で逃げてもよい」
ヤルンストラは首を振った。
「一部、または全部を人形にされており、魔王姫には逆らえません」
「ならば貴様は?」
「私は病弱だったので、人形化は免れておりました」
「ふぅん……そういうことにしておこうか」
「えっ?」
ユーシアが口を開く前に、後ろから鋭い声が飛んだ。
「お待ちください、ユーシアさま!」
振り返って見ればアンナが立っていた。
美しい顔は真剣な表情で固まっている。
「どうした、アンナ?」
「立ち聞きしてしまい、申し訳ありません。ですが、巨人族は魔王姫軍の中でも、もっとも忠誠を誓う部隊ですわ! そのような者を側に置くわけには――」
しかしユーシアは不敵な笑みを崩さない。
「それがどうした? 我輩が寝首をかかれるとでも? いや、むしろいくらでも我が首を狙うがよい! すべて跳ねのけてくれるわ! フハハハハッ!」
ひざまずくヤルンストラが声を震わせる。
「な、なんという剛胆なお方……」
「わたしが心配することではありませんでしたね。――さすがユーシアさまです」
アンナも少し呆れつつも微笑んで答えた。
ユーシアはヤルンストラの手を引いて起こすと、天幕の入り口へ向かって大股で歩き出す。
「今日のところは勝利の宴を存分に楽しめ! また明日から忙しくなるぞ、ふははははっ!」
彼の豪快な笑い声に、アンナはくすっと笑った。
ただ隣のヤルンストラだけは苦しげな表情を隠すように、顔を伏せていた。
次話は明日更新します。