第46話 獣のしつけ
獣人国ベスティエの首都にある会議用巨大テント。
その中で傲慢な発言――この畜生ども――をしたユーシアに対して獣人の族長たちが襲い掛かった。
この侮辱の言葉には、さすがに獣人全員がいきりたった。
「言わせておけば!」「何様のつもりだ!」「その間違い、正してあげますわ!」「この鍛え上げられた鋼の筋肉が目に入らぬと見える――ぬおお! サイドチェスト!」
マッチョな男が横を向いた姿勢で左手首を掴んで筋肉に力を入れた。胸と腕の筋肉が盛り上がり、爪先立ちになった片足の太ももの筋肉も強調される。
その間に獣人たちが襲い掛かった。
「くらえ!」「魔王を騙る愚か者め!」
ユーシアは口の端を歪めて不敵に笑う。
「ふんっ。そんな攻撃が当たるとでも思っているのか?」
ユーシアは何気ない調子で体を横へ移動させた。
豹獣人と猫獣人の、矢のような攻撃がスルーされる。
「なっ!? ――ぐにゃっ」「ぐえっ!」
すれ違いざまに二人の腹を殴りつけた。テントの際まで吹っ飛び、うずくまる。
「ふんっ。口ほどにもない」
獅子獣人が握りこぶしを固めながら、ユーシアを睨む。
「逃げ回るのが得意というわけか。しょせんは体を鍛えていない証拠」
「ほう? ならば全力で殴ってみるがいい」
「言ったな? その甘さが貴様の命取りだ!」
獅子がにやりと笑うと、たてがみを震わせて殴りつけた。
ドゴッ――ゴキンッ!
木の棒が折れるような、乾いた音がした。
獅子獣人は震えながら自分の手を見る。拳は砕け、手首は折れていた。
「あ……あ、あ……」
「どうした? 鍛え方が足りんのは貴様のほうだったようだな? ふははははっ!」
高笑いしながら獅子の顔を無造作に殴った。
ボゴォッと吹っ飛ばされて獅子獣人は地面を転がった。
それからも何人か倒すと、歯向かうものはいなくなった。
ユーシアは地を這う獣人たちを見下ろしながら鼻で笑う。
「口ほどにもない! 我輩に歯向かうなど百万年早いと身を持って知ったであろう! ――ん?」
ユーシアの見る先には、向かってこなかったパンツ一枚の筋肉半裸男がいた。
男は立ち上がってポーズを取り続けているが、悔しげに力んだ顔を歪ませる。
「くそっ! なんという男だ! 俺のラットスプレッド――背筋と広背筋の筋肉も効かないと言うのかっ!」
ユーシアは首を捻りながら狼獣人ゲバルトに目を向ける。
「あやつはさっきからなにをやっているのだ?」
「はっ! あれは裸族に伝わる筋肉精神攻撃、略してMMCかと」
「なんだそれは」
マッチョは白い歯をニカッと光らせて叫んだ。
「教えてやろう! この鍛え抜かれた肉体美の前には、どんな敵も恐れをなして逃げ出すのだ! 見よ、この迫力を! ――アブドミナル・サイ!」
両手を頭の後ろに当てて、少し前かがみになる。割れた腹筋が盛り上がり、太い脚に力が入った。筋肉の筋が見て取れる。
「怖れをなしたのではなく、本能的に関わりたくなかっただけではないか?」
ユーシアは冷静なツッコミを入れた。
ゲバルトやリスティアも頷いている。
アンナだけが、感激したように声を震わせた。
「まあ、なんとストイックに鍛え上げられた筋肉でしょう! 神への祈りに相通じるものがありますわっ。筋肉の神様もいらっしゃるのでしょうか?」
「そんな気持ちの悪い神などおらぬわ」
ユーシアが、なんだこの女は、という目付きでみていた。
まったく動じていない魔王に、筋肉半裸男は驚きで目を見開く。
「ば、ばかな……っ! 俺の腹筋すら効かないとは! 奴は化け物か!? ――いや、本当に魔王なのか!? ――いいだろう、試してやる! かくなる上は裸族奥義! 限られた者にしか使えない最強の力が溢れるポーズを受けてみよ――モストマスキュラー!」
前かがみになって、両腕を体の前で輪を作るように曲げた。
肩の筋肉が盛り上がり、腕、胸の筋肉も見せ付けられる。
四角い顔は正面を向き、白い歯を見せてニカッと笑う。
オイルでも塗ってあるらしい肌が照り輝いていた。
……しーんと静まり返る室内。
ユーシアが呆れつつ鼻で笑う。
「ふん。そんな無駄だらけの体を見せ付けても、なんの意味もないわ!」
筋肉男は驚愕に口を開きつつ、がっくりと肩を落とした。
「くっ。完敗だ……俺の筋肉が通用しない者がいるとは……これ以上、どう鍛えればいいというのだ……くそっ!」
筋肉男は悔しげに地面を拳で殴り始めた。関係ねぇと呟きながら。
ユーシアは、他の獣人たちに向き直った。
「お前たちはしょせんこの程度の者だったと言うことだ。世界最強の魔王である我輩には、絶対にかなわんのだ、ふははははっ!」
亀の老人がしわがれた声で言う。
「獣人たちをどうするつもりじゃ……?」
「貴様らに地獄を見せてやる! 我輩の支配の下でな! ――まず魔王姫軍への協力は全面的に中止だ!」
「勝算はあるのじゃな?」
「当たり前であろう? なぜ雑魚しか量産できぬ弱者に負けねばならぬ? エメルディアは魔王の名に釣り合わぬ!」
「ふぅ……わかった。皆のもの、それでよいな?」
亀老人は溜息を吐くと、地面にうずくまって呻く獣人たちを眺めた。
「しかたない……」「あの強さなら……」「魔王姫軍を粉砕できるわけだ」
狼の壮年が頷く。
「孤高の剣士ゲバルトが信じたのだ。我らが一族も従おう」
獅子獣人はアンナから治癒魔法を受けていた。
尻尾がたれて、たてがみも力なくゆれる。
「鍛え上げた拳が通じなかった――わが生涯に一片の悔いなし……っ!」
「ええ。ユーシアさまは、口ではああ言っておられますが、とても頼りになるお方ですわ。この世界を救うために神さまが遣わしてくださった勇者さまに違いありません」
アンナはニコニコと微笑んでいた。
獣人たちはほぼ全員、恭順の意を露わにした。
ただ一人だけ、ユーシアに従わないものがいた。
悲しげな顔をしながらも、両腕の力瘤に力を入れて筋肉を見せつける半裸男。
「俺の大胸筋が倒されても、さらに鍛えた第二第三の筋肉が、必ず貴様を倒す!」
ユーシアはそんな筋肉半裸男を見ていたが、ふいにゲバルトへ尋ねた。
「ゲバルトよ。一つ訪ねて良いか?」
「はっ! なんなりと!」
ユーシアは打ちひしがれたように膝を抱えて座るタレ耳の男を指差した。
「あの男は兎の獣人だな」
「はい。その通り」
ユーシアは狼の獣人を指す。
「では、こいつは?」
「狼の獣人です」
「こいつは?」
「豹の獣人です」
ユーシアは、白い歯を見せてポーズを取る筋肉男を指差す。
「では、あやつは?」
「裸の獣人です」
腑に落ちない様子でユーシアは首を捻る。
「獣人ではなく人間ではないのか? ただ体を鍛えただけの」
ゲバルトは銀毛を揺らして首を振る。
「彼らは人ではないかと」
腕を大きく回してポーズを変える半裸男。
「その通り! どんな人間に尋ねても『一緒にしないでくれ』と言われる! そう、我々裸族は人類を超越したのだ!」
「それは単に、変態扱いされているだけではないか?」
「確かに変態だ。でも、意味が違う! 我々は虚弱な人に生まれながら、裸族へと生まれ変わる! まるで醜い芋虫が美しい蝶へと完全変態をとげるように! ――トライセップス!」
横立ちの姿勢で、手首を掴んで力を込める。
ムキッと腕と足の筋肉が盛り上がった。
「今こいつ、人と言いおったぞ」
「言葉のあやだ! 俺の心は屈しても、筋肉だけはあくまで戦う!」
汗をかきながらも筋肉を盛り上がらせる半裸男を、ユーシアは不適な笑いを浮かべて眺めた。
「いいだろう。その反攻的な筋肉とやらを、我輩がねじ伏せてやろう! ふははははっ!」
「なに!? そんなこと、できるわけがない!」
ユーシアはきびすを返すと入口に向かって歩き出す。
「獣人の国は家畜も飼っておるのだったな?」
「はっ! その通り」
ゲバルトが横を歩きながら答えた。
「ならば見せてやろう。魔王の真骨頂を! 裸族族長、着いて来い! フハハハハッ!」
ユーシアは大股で歩きながら高笑いを広いテント内に響かせた。




