第37話 人質弟ミュラー!(大森林防衛戦その4)
エルフの国の大森林。
王都シウバの魔王姫軍の本陣にて、シルウェスとゲバルトが四天王のアイヒマンと戦っていた。
それを樹上からユーシアが不遜な態度で見下している。
軍服を着たアイヒマンが先制した。
マントを弾き飛ばすように膨らんだ背中から、蛇のような手が伸びてゲバルトを急襲する。
シルウェスは距離をとっていたため動けない。
「ゲバルト! ――くそぉ! 我が名シルウェストリスと契約せし、火の精霊イグニータよ! 我が呼びかけに応じ、燃え盛る意思となれ! ――火炎召喚!」
ゴウッ!
彼女の剣が燃え上がった。
呼び声で我に返ったゲバルトは、失態に気付いてとっさに体をひねる。
ガッ!
避けきれずに腕がゲバルトの肩を掴んだ。それだけで銀毛と血が辺りに散る。
人形の指先は、のこぎりのような歯が幾重にも生えていた。
「ぐっ!」
ゲバルトが剣を振るって銀色の腕を斬ろうとするが、ぼよんっと弾かれる。
アイヒマンが眼鏡を光らせて笑う。
「切らないであげてくださいよ。愛する弟が作った最高傑作なんですから――ひひひっ」
「そうだよ、お兄ちゃん」
「な、なにっ!?」
ゲバルトが声の方を素早く見た。
マントがなくなったアイヒマンの背中に子供が乗っていた。ゲバルトと同じ、艶やかな銀毛に覆われた狼獣人の子供。
背負われた子供は目を細める。にんまりと笑ったようだ。
「お兄ちゃん……久しぶりだねぇ」
「なっ!? その声はやはりミュラー! ――あ、アイヒマン、貴様ァ! 弟をよくもッ!」
ゲバルトが怒りに染まった目で睨む。
アイヒマンは指で眼鏡を押し上げる。
「おやおや。勘違いしないでいただきたいですねぇ。望んだのはミュラー君なんですから。私の発明に協力してくれたんですよ。まったく新しい人形――多腕人形の操縦者になるというね」
「え?」
すると、アイヒマンの背中に乗るミュラーが目をきらきらと輝やかせた。
「本当だよ……アイヒマンさまは僕の願いを叶えてくれたんだよ……お兄ちゃんを越えるっていう夢をね、この複数の人形腕、すごくない?」
「な――なにを言ってるんだ、ミュラー!?」
キヒッ、と耳障りの甲高い声で笑う。
「お兄ちゃんはいいよねぇ。背が高くて体格がよくて、力も強くて、誰よりも速く動ける。最高の狼だよ」
人形の腕に掴まれた肩から赤い血をポタポタと流しつつ、ゲバルトは苦しげな声で言う。
「お前だって……誰よりも頭がよかったっ!」
「走れない狼なんて、野良犬以下だよっ!」
ゲバルトは、はっとして上ずった声で尋ねる。
「お、お前、脅されてるんだな!? 生まれつき動かなかった足を、どうにかしてやるから協力しろとでも脅されているんだな!?」
ミュラーは背中に乗ったまま、レバーをガチャガチャ言わせながら叫んだ。
「キヒヒッ! どうでもいいよ、そんなこと! 足があったところでお兄ちゃんには勝てないじゃないか! ――だから最強の力を手に入れることを願ったんだぁ」
「そ、それがこの姿だというのかっ!」
「うん、そうだよ。ただ背負われてるだけじゃないよ? 神経でアイヒマンさまの脳に繋がってるんだ。頭が冴え渡ってどんな難問も解けるよ。異界の知識に触れたんだ――僕はお兄ちゃんを超えたよ」
「い、異界の知識――?」
ゲバルトが放心した目でアイヒマンを見る。
その背中から9本の腕がぬるりと伸びる――色とりどりの腕が、すべて蛇のように伸びる。
「僕とアイヒマンさまの最高傑作なんだ。どれだけ強いか試させてよ」
ゲバルトは震えていたが、目をギュッとつむると言った。
「ミュラー……お前は心まで悪魔に渡してしまったんだな」
「悪魔? アイヒマンさまは天使だよ。どんな願いだって叶えてくれる天使。――僕は寂しがり屋でしょ? だからお兄ちゃんの一番大切なものまで奪いたいって願いすらも、叶えてくれたんだよ――ほら、見てよ」
ゲバルトはアイヒマンの背中を強張った顔で見た。
彼の背中から、丸太のような腕が上がった。
そこには、へのへのもへじの顔をした丸い頭と筒状の胴体を持つ物体が組み込まれていた。
「ああ――! それは、俺の命より大切な――!」
アイヒマンが心底楽しそうにパチパチと手を叩く。
「感動のご対面でーす」
ゲバルトが体を前にかがめて叫ぶ。
「うぉぉぉぉ! それは! 俺の、俺の――ッッッ! ネオジャスタウェイ サイクロンジェット ジャスタウェイ――ィィィっ!」
遠くから見ていたユーシアがボソッと呟く。
「完成度たけーな、おい。と言いたくなる完成度だな」
「なんですか、それ?」
ユーシアの足元まで登ってきたリスティアが、黒髪を揺らして小首をかしげた。
ゲバルトは信じられないものを見たように固まり、続いて全身の銀毛を激しく逆立てて震えた。
そして空を仰いで血の涙を流す。
「ウオォォォォォォ――ッ!!」
うるさく吠える彼を無視して、エルフ女王とシルウェスは美しい眉を寄せてこそこそと囁きあった。
「えっと、あれはなんでしょう……?」
「人形のようですが……手作りでしょうか? それにしては不細工ですね……」
ゲバルトが狼の口を開けて吠える。
「アイヒマン――ッ! ミュラー! それは、学校でいじめられていた子供時代、無口な俺が唯一心を開いた友達! それを、それを――っ! 貴様らには血も涙もないのか――っ!!」
彼はさらに吠えた。森の木々が呼応して震える。
しかし、周りはぽかーんと静まり返っていた。
エルフ親子が美しい顔を痛ましそうにしかめる。
「人形が友達……あまり触れないでおきましょう」
「はい、お母さま」
アンナは青い瞳をうるうると潤ませる。
「なんてかわいそうなのでしょう……わたしが彼の子供時代に知り合っていたら、もっと力になってあげられたでしょうに」
ユーシアは大木の上で腕組みしたまま、鼻で笑う。
「ふんっ、奴も堅物に見えて、なかなかのアホであったな」
「真面目じゃなくて、けっこう根暗だったんですね~。意外です」
リスティアがあくびしながら言った。
ゲバルトは存分に吠えると、大剣を噛み付く腕へ振るった。
迷いのない斬撃は轟音を伴う。
しかし切っ先が当たる直前、ミュラーはレバーを操作して蛇の腕を逃がした。
そのまま腕はアイヒマンの背中に収納されていく。
ゲバルトは一歩踏み出すと、地獄の底から湧き上がるような低音の声を出した。
「アイヒマン――ミュラー。そしてネオジャスタウェイ! ――すべて俺が決着をつける!」
ミュラーがバカにしたように手をひらひらと動かす。
「できると思ってるのかなぁ? 僕はお兄ちゃんの動き、全部知ってるんだよ~?」
「それでも、斬るっ! ――御免ッ! ウォォォォッ!」
森を震わせるような叫び声を上げて、ゲバルトがかつてない速度で地を駆けた。
血の涙が後ろに尾を引いた。
大剣を振りかざしてアイヒマンに詰め寄る。
白刃が日差しを浴びてギラリと光った。
――が。
木の床を突き破って腕が出た。
「なにっ!?」
足を取られてゲバルトは転ぶ。
アイヒマンとミュラーは、ゲバルトが話をしている間にローブで隠した腕で床に穴を開け、奇襲の準備をしていたのだった。
神経が繋がっているので彼らに意思疎通のための会話は必要なかった。
倒れたゲバルトへ別の腕が追撃した。手のひらから、金色の槍が飛び出す。
――避けられない。
ミュラーがアイヒマンの背中で踊るように体を左右に揺らした。
「お兄ちゃんは怒ると疾風切りしか、しなくなるんだよねぇ――僕の勝ちだよっ! みんな、見てみて! ついに僕がお兄ちゃんに勝ったあああ!」
「――くっ!」
転んだ彼に、鋭く光る金の槍が迫る――。
ガァンッ!
鈍い音が樹上の都に響き渡った。