第30話 銀狼の決意
昼過ぎの大河は日の光がきらきらと川面に反射する。
王都西側の港から一隻の豪華な船が出航した。
10本のオールで漕ぐため船足は速い。
船首にはユーシアが腕組みをしてふんぞり返っていた。
魔王姫軍が支配するエルフの国を奪うため、ユーシアは出発した。
しだいに対岸が近付いて来る。切り立った崖になっていた。
「あら、どういたしましょう?」
「跳べばよい!」
ユーシアはアンナを片手で抱えた。
アンナが恥ずかしそうに頬を染める。
「ひゃっ!? ユーシアさま?」
「ふん!」
船を蹴って一直線に対岸へと跳んでいった。
残された船は反動で木の葉のように揺れる。
「ああ~ん、ユーシアさまぁ、待ってくださぁい!」
リスティアが泣きそうな声で叫んだ。
ユーシアは崖の上に着地すると、すぐに右手人差し指を光らせた。
「いでよ――漆黒古竜リスティア!」
パチンと指を鳴らすと、すぐ傍に魔法陣が輝いた。
おろおろしているリスティアが現れる。
「ふにゃ!? ――こ、これが召喚!」
「便利であろう? ――ふむ、ちゃんと機能するようだな」
「え、ぶっつけ本番だったんですか!」
「我輩が失敗などするわけがないわ、ふははははっ!」
ユーシアは高笑いした。
それから辺りを眺めた。
対岸は広い草原が広がっていた。
ところどころに畑がある。
霞む遠景には山脈が屏風のように連なっていた。
リスティアはすぐに真っ黒なドラゴンに戻った。
ユーシアはアンナを抱えて竜の背に飛び乗る。
「ではゆけ、リスティア。日が落ちるまでに山裾へ着け! エルフの国を夜襲で落とすのだ!」
「あいさぁ~!」
リスティアが地面を力強く蹴って駆け出した。
景色が後方へ飛ぶように流れる。ユーシアの黒マントが激しくたなびく。
大河から離れていくと次第に景色は整地された畑から、何もない荒地へと変わっていく。
どこまでも平地が続く快適な旅。
――と。
街道沿いに大きな木が一本だけ生えていた。大人3人が手を伸ばしても囲めないほどの太い幹。
ユーシアが眉をひそめて叫ぶ。
「止まれ、リスティア!」
「ほえ?」
突然の命令にゆっくり速度を落とす。
シュンッ!
大木の陰から鋭いきらめきが走った。
風を貫く鋭い矢。
しかしユーシアは蝿でも追い払うかのように手を振った。
ぱしっと気の抜けた音と共に矢は地面に落ちる。
「え、え!? 敵!?」
「さ、山賊でしょうか?」
「まだ山ではない。それを言うなら盗賊だ――出てくるがよい」
大木の陰から二人出てくる。
一人は赤い髪をローブからのぞかせる美しい女性。
もう一人は鍛え上げられたたくましい体躯の男。
ドラゴンのリスティアが、がーっと大きく口を開けて威嚇する。
「いきなり撃ってくるなんてひどいじゃないですかっ!」
「そうでもしなければ止まらなかったであろう? ――まあ、それで死ぬなら決闘する価値もない男だったというだけだ」
ユーシアの目が残忍に光る。
「ほう? 我輩に決闘……?」
ばさっと女性はローブを脱ぐと、赤い髪が広がった。輝くばかりのスタイルの良い美女が日の下にさらされる。
精緻な彫刻の施された鎧を着たエルフだった。スカートから長い脚がのぞく。
「魔王ユーシア! 私はフトゥーラ王国の第一王女シルウェス! 私は貴様に決闘を申し込む!」
もう一人の男――ゲバルトはローブを脱ぎながら道の脇へと逸れた。
大木の傍にシートを広げて座り込むと、酒瓶と干し肉を置く。
「では、頑張れ。――決闘こそ最良のつまみだ」
「な、なに!? 一緒に戦ってくれるのではなかったのかっ!」
「なぜだ? 決闘は神聖なもの。眺めて騒ぐものだ。邪魔はしないから安心してくれ」
シルウェスは目を見開いてわなわなと震える。
「ゆ、友人を選び間違えたか……」
「ん? よくわからんが、友達は選んだほうがいいぞ?」
コップに酒をつぎながら首を傾げるゲバルト。
シルウェスは泣きそうな顔で、ぐぬぬっと唇を噛んでいた。
ユーシアは鼻で笑いつつリスティアから降りた。
アンナを立たせながらゲバルトを見る。
「別には我輩は二人がかりでも構わんぞ? 我輩を試したいのであろう?」
「いいや。俺の気持ちは昨夜の時点で決まっている」
「昨夜だと? 何かしたのか」
ゲバルトは酒の入ったコップをあおる。
「あなたがどれほどの男か調べるために城に忍び込んだ。あわよくば寝首をかこうと思っていた」
「ほう」
シルウェスが髪を振り乱して叫ぶ。
「しかし、いなかったではないか! 何もわからなかった!」
ゲバルトは緩やかに首を振った。銀狼の毛がふさふさと揺れる。
「いいや、わかった。この人の偉大さが」
「え?」
ユーシアが口の端を上げて不敵に笑う。
「聞かせてもらおうか」
「昨日は大敗北だった。あれだけの損害を受けては魔王姫軍もすぐには再軍備できない。しばらくは安全。だから人々は勝利に酔いしれて、夜通し騒いでいた。城の警備はないも同然だった。それなのに、あなたは寝室にいなかった。不測の事態を予想していたのだ――たった一人で大軍に乗り込む豪胆さと、常に最悪の事態を想定して行動するしたたかさを兼ね備えた人物。この方こそ多数の者を導く王であろうと思ったのだ。この人には勝てないと」
「ふん。大勝したときこそ、もっとも安全な場所で眠る必要があるものだ――で、それがわかってどうする?」
ゲバルトはコップを置くと、ユーシアに向かって頭を垂れた。
「ユーシアさまに忠誠を誓う。どうか俺を配下に加えてくれ。戦いしか知らぬ身だが、忠実な部下としてどんな汚れ仕事でもきっちりやり遂げて見せる」
ユーシアはジロッと睨む。
「あっさり手のひらを返す者の忠誠など、なんの保証にもならんな」
アンナが首を傾げる。
「手のひらを返す? どういう意味でしょう? 盗賊さんでは?」
「こやつらは魔王姫軍だ。でないと昨日のいくさを大敗北ではなく大勝利と言ったはずだ」
ゲバルトはうなずいた。
「さすがユーシアさま、一言で見抜くとは。でも一つ言わせて欲しい。俺は師団長まで登りつめたが、エメルディアに仕えたつもりはない」
「ほう?」
「弟を人質に取られて、いやおうなく従わされていただけ。ずっとエメルディアの命を狙っていた……弟を取り戻せるなら、この命すら捧げても構わん」
「その目、本気だな……名前と、前の所属は?」
「ゲバルト。ゲバルトズィーガー突撃隊師団長」
「ほほう、突撃隊で師団長まで登りつめた剛の者か。使えそうだな……ふふん、ならば一度使ってやろう! 次の戦いで功績を上げれば本当の配下として認めてやろう!」
「感謝する。この決闘が楽しみだ。あなたの強さをまだ直接目で見たわけではないから――そこの女シルウェスも師団長。相当の手練だ」
「我輩の恐ろしさを目の当たりにして震え上がるがよいわ! ――で、シルウェスとやらはどうする?」
白鞘から長剣を抜くと構えて叫ぶ。
「わ、私はエルフの未来のため、戦う! エルフの国は自治を認められている! 貴様によって支配されたらどんな地獄絵図になるかわからぬ! 魔王姫軍も取り返そうとして戦乱となり国土は荒廃しよう! だから、ここを通すわけにはいかんのだ!」
「その心意気は立派。よかろう、決闘を受けてやろう。――リスティアは人になってアンナを守れ」
「はーい! ひとにもどりゅう~!」
ぼふっと煙を発して少女の姿になった。
アンナの手を引いて道を逸れると、獣人の広げたシートへ上がりこんだ。
ゲバルトは訝しげな目で少女を見る。
「なんだ? ここは俺の特等席だ」
「干し肉、一枚もらえませんか? すっごくおいしそうで」
「…………」
ぷいっと顔をそらしたが、干し肉の入った袋をリスティアに渡した。
「ありがとうです!」
「まあ、ゲバルトさん。ありがとうございます。コップが空のようです、お注ぎしましょう」
アンナが膝立ちになって酒の瓶を持ち上げる。
「う、うむ。すまん」
ゲバルトは慣れていないのか、ぎこちなく酌を受けていた。
シルウェスはそんな様子を悔しげに見ていたが、きりっと歯を噛み締めると叫んだ。
「覚悟しろ、ユーシア!」
「どこからでもいい。全力でかかってこい」
ユーシアは不敵な笑みを浮かべたまま、手をコキコキと鳴らしている。
シルウェスは赤髪を燃えるように逆立てながら、ユーシアに向かって突進した。