第28話 秘密の地下室
晴天の早朝。
今は魔王城となった孤児院の二階。
書斎は立ち並ぶ本棚で埋め尽くされ、一本の細い通路がうねうねと弓の字のようになっている。
庭からは少年サジェスの稽古する声がかすかに聞こえいた。
ユーシアは一番奥の本棚の前に立った。
「ここだな」
「普通の本棚のようですが……」
「何か、わくわくしますっ」
アンナとリスティアが従っていた。
ユーシアは本棚の背表紙に目を走らせ、それから一冊の本に手を伸ばした。
「これだ――お?」
背表紙に指をかけて手前に倒したとたん、本棚が青黒く光った。
「ひゃ!?」「か、軽い!? 体が浮きそうですっ」
ユーシアたちも青い光に包まれて消えた。
飛んだ先は地下室だった。
魔法で生み出された青白い松明が消えることなく燃え続けている。
薄暗い部屋。特に何もない。ユーシアの後ろには書斎にあったのと同じ本棚があった。
アンナがユーシアの背にくっつくぐらいに近寄る。柔らかな胸が押し当てられた。
「なんだか、重苦しい空気を感じます……」
「ほう? 我輩は心地よいがな。リスティアはどうだ?」
リスティアは口をへの字に曲げて可愛らしく文句を言った。
「う~。地下なのに妙に冷え冷えしてます。ユーシアさまとのたまごに適さないです……おかしいな~。地面の下ってぽかぽか暖かいはずなのに」
「やはりたまごか。リスティアが魚類でなくて安心であったな」
「え? なんであたしがお魚に!? ドラゴンですよ、ドラゴン」
リスティアは不思議そうに首を傾げていた。
――魚類だと、メスが卵を産んで、その卵にオスがかけなくてはいけなかったからな。
さすがに魔王としてふさわしくない行為だろう。想像しただけで滑稽すぎる。
ユーシアは辺りを見回した。
「ここには本棚以外、何もなさそうだな」
「あそこに扉がありますよっ!」
リスティアが部屋の奥を指差した。
「うむ。やはり何か隠しておったな……我輩の目に隠し通せる者など誰もおらんのだよ、ふはははっ!」
「さすがです、ユーシアさま!」
リスティアが飛び跳ねて喜んだ。黒い髪がふわりと揺れた。
それから奥へ行き、扉を開けた。
そのとたん青白い冷気が流れ出す。
ユーシアは手をアンナの前に出してかばった。
そのまま彼女の前へ立ちはだかりながら、率先して部屋へと入った。
広々とした地下室。青白い魔法の松明が灯っている。
本や魔法の道具が雑然と棚や床、作業台が置かれている。
そして、壁際の執務机には、頭からローブを被った人間が一人、うつむいて座っていた。
「ふむ。あやつがここの主か」
「あのローブ……もしかして魔女さまかも知れません。この屋敷の元の持ち主さまです」
「ん? 死んだのでは――ああ、そんな話はしてなかったな」
「はい、何年も前に行方不明になったので、懇意にしていた父がこの屋敷を引き継いだのです」
「それにしても全然気が付きませんね~。……寝てるのかな?」
リスティアが忍び足で、そろっと机に近付いていく。
そして、肩に手を掛けた。
そのとたん、ガタンッと椅子を鳴らして人間が椅子の背にもたれるように仰向いた。
被っていたローブが落ち、青白い長髪がはらりと垂れる。
その顔は眼窩がない骸骨。
――いや、ミイラになっていた。
「ひっ! ――死んじゃってます! とってもビックリしました!」
リスティアが驚きのあまり天井近くまで飛び上がった。
ユーシアは顎を撫でる。
「ふむ。魔女が行方不明になった原因がこれか……腐敗しなかったのはこの地下室が低温だったためだな」
アンナが悲しげな顔をしながら、こわごわとミイラに近付く。
「幼い頃、一度だけ見たことがありますが……やはり魔女さまのようです。老齢でしたが、おばあさまと呼びたくなるような美しい方でした。わたしもそんな年の取り方をしてみたいものです……おや?」
「どうした?」
「何か執筆中だったようです……日記でしょうか?」
アンナは机に広げられていたノートを慎重に持ち上げた。
ぱらっとめくって中を読んだとたん、彼女は青い瞳を丸くした。
「え!? ユーシアさまの名が書かれています!」
「なんだと!? 読んでみよ!」
「は、はい! ……えーと『ユーシアさま、申し訳ありません。あなたさまの復活を待ち続けていましたが、もう限界がきてしまったようです』」
ユーシアは眉を寄せて独り言を呟く。
「ほう……誰だ? 青い髪? ……う~ん、多すぎて一人に絞れんな」
アンナは続きを読んだ。
『お姿を急に見なくなってから、大混乱となりました。神々が共謀してユーシアさまを封印したと知り、必死で場所を探しました。そして、この場所を見つけました。たぶん近いはずです……しかし怪しげな人々が広大な土地を守護しており、特定までは至りませんでした。そこで私は何度も冬眠して人々がいなくなるのを待ちました』
「ほう……やはり、かつての我輩の部下か」
アンナは真剣な声で読み上げる。
『永い眠りから覚めたときには誰もおりませんでした。そこで私は探し回ったのですが、やはり特定できません。それに、私の力ではこの辺り一帯にかけられた封印を解除することはできませんでした。むしろ、解除方法が設定されていないように思われました』
「ふん。性根の腐った神々どものやりそうなことだ」
ユーシアが吐き捨てるように言った。
アンナとリスティアは沈痛な面持ちをしたが、何も言わない。
ただただアンナは続きを淡々と読み続ける。
『封印が自然に解除されることを願って、私はここに屋敷を構えて待ち続けました。ですが、冬眠で騙し続けていたこの体も、ついに限界が……ああ、ユーシアさま! 封印前にはついぞ一度もお伝えできませんでしたが、私はあなた様を想い続けておりました。いえ、愛してもらおうとは考えておりません。ただ、傍にいられるだけで、嬉しゅうございました』
「…………」
ユーシアも眉間にしわを寄せて押し黙る。
アンナの目の端にキラリと涙が光る。
そよ風のように澄んだ声が、浪々と地下室に響き渡る。
『ああ、ユーシアさま。ユーシアさまっ。本当に申し訳ございませんっ! 真紅筆頭という寵愛を受けながら、復活の時を出迎えられないとはっ。筆頭失格でございます! でも私も心苦しく、また悔しいのですっ……ユーシアさま、どうかご無事で。最後に一目、お会いしとうございました……願わくば、せめて私の死後、この想いがユーシアさまへ届きますように……メビウス』
地下室は、しーんと静まり返った。
アンナとリスティアは涙ぐんでいた。
ユーシアは重々しく首を振ると、干からびたミイラへと歩み寄った。
ミイラの頭に残る美しい青い白髪を撫でながら、優しい眼差しで覗き込む。
「真紅筆頭の氷女帝メビウスであったか! ここに我輩をもてなせる立派な隠れ家があったのは偶然ではなかったのだな! ……そして、死してなお我輩を待ち続けたその姿勢、充分、筆頭に値する! さらに、氷女帝とうたわれたその容姿の美しさは今も変わらず! よくぞ美しいままで我輩を待っていた! 褒めてつかわす、メビウスよ! ――このユーシア、そのほうの想いを確かに受け止めたぞ!」
ユーシアはミイラを優しく抱き上げた。
そして、迷うことなく干からびた唇にキスをした。
アンナとリスティアが息を飲む。でも、非難をしているわけではなかった。
――と。
「…………ぁ」
ミイラの唇から声が漏れた。
ただ肺に入っていた空気が押し出されただけかもしれない。ユーシアのキスで空気が入ったのかもしれない。
しかし、とても美しい声色だった。
それからミイラは糸が切れたように、ユーシアの腕の中で、さらさらと崩れていった。
ユーシアは、床に積もった粉の遺灰を見下ろして頷いた。
「メビウスよ。立派な最後であった。そなたの名、永遠に我輩と共に生きるであろう! ――闇風収縮」
つむじ風が生まれて床の粉を収集していくる。
そしてユーシアの手のひらに粉の山を築いた。
それからユーシアは作業台の上に手を伸ばし、ただの壷に遺灰を入れた。
リスティアはすみれ色の瞳を、うるうる潤ませていた。
「うぅ~、よかったです~っ。同じ筆頭の人が報われて! あたしも頑張ります~ううっ! うわぁぁん!」
アンナは胸に手を当てながら目を伏せた。溢れた涙がなだらかな頬を伝う。
「メビウスさんの想いがユーシアさまに届いて、本当によかったです……想いを受け止められたユーシアさまも、とても男らしく、偉大で。格好よかったですわ……」
ユーシアは壷を持って歩き出す。
「ふん、報われたのにお前たちがなぜ泣く! ――さあ、ゆくぞ! メビウスが用意したこの屋敷を魔王城にしたのは間違ってなかったな! ふははははっ!」
湿った空気を吹き飛ばす勢いで、ユーシアは快活に笑い続けた。
――そして真紅筆頭の氷女帝メビウスの遺灰は、暖かな光の降る庭の隅に埋められた。
事情を知らない新生魔王軍の子供たちが笑顔で花を植えて、お墓の世話をしていった。
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